178 フェンウェイと流が走った。 もくそく 落ちてくる梅姿の下にスライディングする。目測している暇もない。ト ンウェイも頭を打ちかねない。 激しい衝撃音が工事現場に響い せいじゃく 静寂があたりを包み、まわりを囲んでいた少年達が死んだか、重傷を負っただろう梅姿の姿 を探した。 梅姿は確かに横たわっていた。 上半身をフェンウェイに抱かれている。そして、下半身の方は流がフォローしていた。 叫んだのは梅姿ではない。フェンウェイだった。 加速度のついた四十キロ弱の体を受け止めた衝撃はもちろんだが、コンクリートの上でスラ イディングしたせいで背中に激痛が走った。見なくても背中全体が擦りむけた事はわかった。 「梅姿卩梅姿 背中の激痛はとりあえす後にまわし、フェンウェイは腕の中の梅姿を揺さぶり、呼びかけ 梅姿は目を閉したままだ。受け止めたつもりだったが、どこか打ったのかもしれない。フェ ンウェイは不安にかられて梅姿の頬をベちべちと叩いこ。 ほお クしでもすれればフェ
からん。 乾いた音をたてて小さな物がフェンウェイと流の間に落ちた。一一人はそれが折り畳まれたナ イフである事をみとめると同時に比嘉をふりあおいだ。 「四堂流をやったらこいつは返してやる」 こぶし フェンウェイの頬がさっと朱に染まった。握った拳が震える。睨み付ける瞳が怒りで染まっ 「 : : : てめえ、最初からそのつもりで・ : : ・」 ごう えりくび 動かないフェンウェイに業を煮やした比嘉は梅姿の襟首をつかんで引き寄せ、 「さっさとナイフ拾え」 まだ手すりのついていない部分から梅姿の体を押し出した。 「ああっ ! 」 編「梅姿リ」 前 梅姿の悲鳴とフェンウェイの叫びが重なった。梅姿の片足が空中に浮き、コンクリートの破 者 片が宙に舞い、落ちた。 をすんでのところで比嘉が梅姿を引き寄せた。混乱と恐怖が彼女を襲った。一体何がどうした のかわからず、足はがくがくと震え、立っていられず体重を預ける形になった。 比嘉はうるさそうに、梅姿を放り投げた。 - 梅姿は一瞬空を飛び、背後の柱に叩きつけられ、 ほお しゅ
と、梅姿の閉した両目から涙が零れ落ちた。 : 、フつ、フっ・ も 閉したロから押し殺した泣き声が漏れる。 「どうした。どっか痛いのか卩」 慌てて梅姿の頭や体を調べはじめる。 : ごめんなさい : : : 梅姿のせいでつ・ : フェッ、フェンウェイ、ごめつ・ あやま しやくりあげながら必死に謝る梅姿を見て、フェンウェイはほっと胸をなでおろし、そして 自分の中にふつふっと怒りがこみ上げてくるのを自覚した。 とりあえずケガはなさそうだった。フェンウェイと流は梅姿を立たせ、自分達の間に挟み、 比嘉を見上げた。 「梅姿をかわいがってくれた礼はそのうちしつくりさせてもらうからな」 かば ひらめ 編梅姿を庇い立っ二人のコンビネーションに、比嘉は閃くものがあった。 前 「・ : ・ : てめえら、まさか : : : 今までのは : ・芝居、か ? 」 いまさら なかたが 者 「あほう。今更なに気づいてんだ。俺らが仲違いするとでも本気で考えてたんならお前ば正真 継しようめい を正銘のあほだ」 「よせよ、フェンウェイ。それだけ俺たちの演技が真に迫ってたって事なんだから、比嘉を責 めるのは違うぞ」 こぼ しようしん
流ーーーーその名を聞いて梅姿の顔から笑顔が消えた。フェンウェイは自分より、あの少年と 会う事を優先している。 「お前、毎日どこ行ってるんだ ? 「フェンウェイに関係なイ。梅姿の勝手でしよ。早く流に会いにいけばイイよ」 「待てって」 くう・ フェンウェイが行き過ぎる梅姿の腕をつかもうとするが、手は空を切った。 「おい ! 梅姿ー 後ろでフェンウェイの呼ぶ声がしても、もう振り向かなかった。 フェンウェイは梅姿のことなんかどうでもイイんだ。流ってやつの方が大事なん ダー 自分に会いに来てくれたのだと思ったのに、それは勘違いだった。喜びは悲しみに変わっ まぎ 前 気持ちを紛らわすように梅姿は走った。職安通りの横断歩道を渡り、飲み屋が立ち並ぶ路を 者 抜け、会社帰りのサラリーマンを追い越し、あるビルの前で足を止めた。 を両側を背の高いビルに挟まれたマッチ棒のように細いビルはかなり年季がはいっている。外 壁のデザインはまわりの建物に比べて時代後れの感は臨めない。 梅姿は暗い階段を恐る恐る登った。一一階に黒く塗られたアルミのドアがある。中からは話し
ざっとう フェンウェイは雑踏を歩きながら、なんとか梅姿を取り戻す方法を思案していた。 「ああっー どうしろってんだよっ ! 」 ちゅう 比嘉の恐ろしさは一一度刃を交えて、身に沁みている。やつは自分の目的の為ならなんの躊 ちょ 躇もしない。それは梅姿が相手でもだろう。 比嘉がどうやって梅姿を知ったのか 甘かった。梅姿にもっと〈裏新宿〉が危険である事を言い含めておくべきだった。 ヨーーーー・ーどうする ? どうすれば : : : ? そむ あせ 焦り、考えながら、フェンウェイは自分がある事から目を背けているのに気づいていた。気 づいていて、気づかないふりをしている事にも。 市井に電話の内容を聞かれた時、答えようとしたが、途中でやめた。 なぜ言わなかった。比嘉が流を要求している事を。交換条件が流である事を。 編市井達に話して、対応策を考えるべきではなかったか。なのに、それをしなかった。 前 流を引き換えにして : 者 そんな事はできない。流は『仲間』だ。「仲間』を売ることなんかできない。 継 を だけど梅姿はどうなる ? 比嘉はやるだろう。一一度だけだったが、あの男の目はいまだに忘 疵 れられない。あれは凶暴に燃える狂った目だった。梅姿などあの男にしたらただの道具だ 俺が流を連れていかなかったら梅姿は : メイチ 1
148 を知らせたらアパートを出る。 メイチー それが梅姿の日課だった。 今日も五時に家を出て、ここにやって来た。店の名前はわからない。看板もないし、ドアも 黒く塗りつぶされている。店の名を示すものはなにもない。 店が開くのは午後七時からだ。開店まで店内は比嘉達が占領している。なぜ、そんな事が可 能なのか梅姿は聞いた事がない。余計な事を聞いて嫌われたくはない。 見た目は怖いが、少年達はその外見とは裏腹に気さくだった。 今日も梅姿は恐る恐る店のドアを開けた。 ク 1 ニャン 「よお、枯娘」 枯娘 「少女』という意味の中国の言葉、で比嘉は梅姿を呼ぶ。ほかの誰とも違う、そ こしよう うれ の呼称が特別な気がして、なんとなく嬉しかった。 ここで開店まで過ごす時間が今、梅姿には一番大切だった。 「なあ , コーラを吸い上げることに夢中だった梅姿がストローからロを離した。 「ちょっとおもしろい事、思いついた」 のぞ 肩肘をついた比嘉が、覗きこむようにして言った。 「おもしろい、コト ?
編 前 者 ' 継 を 疵 ゲームセンターで梅姿の機嫌はよくなった。仲間の一人がクレーンゲームの達人で、ぬい るみを山のようにと・つてくれた。それを両手一杯に抱えて、梅姿はにこにこ顔だった。 ダ水の中、無数の泡が立ちのばってい 、つれしかった。 誰も気づいてさえくれない事を褒めてくれて。たった一言でもうれしかった。 「日本語ね、先に日本来てた従兄に会いたかったから勉強したノ。けど、何も言ってくれなか った : : : 」 「その従兄、なんていうんだ ? 「 : : : フェンウェイ」 くちもと 比嘉のロ許に笑みが浮かんだ。だが、梅姿は気づかない。 「フェンウェイ、梅姿が来る前に日本人の友達いたから梅姿の事、どうでもいいョ」 「ひでえなあ。で、ほっとかれてんのか。ああ、しゃあお前も俺達みたいなのと会ってるなん て言わない方がいいな」 うなだれる梅姿に比嘉はかぶせるように言った。 「よし、しゃあ今日はゲーセンにでも行くか。いつまでもグジグジしてんしゃねえぞ」
メイチー あわ 梅姿は慌てて首をふり、立ち上がった。心が弱くなるとついつまらない事を考えてしまう。 にぎ 袋を下げ、公園を出た梅姿は早足でアパートを目指した。なるべく人通りの多い賑やかな場 所を選んで歩いた。そうすればおかしな考えにとりつかれすに済む。 大通りに出て、横断歩道を渡ろうとしたが、信号は赤に変わった。行き交う車をばんやりと 目で追っていた梅姿は向かいの歩道を見てはっとした。 遠目でよくわからないが、歩道を歩いているのはあの流という少年しゃないだろうか。 とたん 途端に梅姿の中に燃え上がるものがあった。信号が青に変わるや、梅姿は車道を走り抜け、 流を追った。 間違いない。あの日、自分を怒らせる真似をして怒らせる事を言った流というやつだ。 人影に見え隠れする流の顔が見えた。 ぼうげん 流の表情に梅姿は小首を傾げた。あの日暴言を吐いた少年と同一人物とは思えなかった。考 あや え事でもしているのだろうか。いや、それにしても覇気がない。なんだか足元も怪しい むくむくと興味が湧き、もっと近寄ろうとした時、前を歩いていたサラリーマンが急に立ち 止まり、梅姿は彼の背中に思い切り衝突した。勢い、袋の惣菜があたりに飛び散った。 「ああ っ ! あにしてんだ、このガキ ! 」 男のズボンに惣菜の汁がべったりとかかってしまった。 しょ , フとっ
176 かっ かなりの重さだった。だが他に自分の手に負えそうなものはない。肩に担ぐ恰好でそれを持 メイチー って梅姿は階段を下りていった。 比嘉達は目の前のゲームに夢中で全く気づいていない。比嘉の真後ろに立ち、梅姿は鉄棒を 構え、叫んだ。 「比嘉あリ 鉄棒は空気を切ってぶうんと音を立てた。 横に薙いだ棒は比嘉の横にいた仲間の横腹に当たった。 しまったー もう一度体勢をたて直そうとしたが、いち早く比嘉が棒の先をつかんでカ任せに引っ張っ た。梅姿はたたらをふみ、つんのめって転んだ。 「このガキャア。ぶつ殺されてえかあ ? 腹に一撃を受けてのたうつ仲間を尻目に、比嘉が近づいてきた。座り込んだまま後すさる梅 おうふく 姿の髪を掴み、そのまま立ち上がらせ、往復ビンタを見舞った。 「比嘉 ! 梅姿には手え出すな ! 騒ぎに気づいたフェンウェイが下から怒鳴った。 比嘉は梅姿の髪の毛をつかんだまま、前に進み出た。 「つせえ ! 黙って見てろー つか
メイチー れがどこの国かさえわからなかったのに。しかし、梅姿の存在は流も知らなかった。 メイチー 「梅姿。流と、こっちが京也」 メイチ 1 かたくな フェンウェイの紹介に一一人は笑ってみせたが、梅姿は頑な態度を解こうとはしない。 「君、 くっ ? 十才くらいかな」 そこ メイチー 機嫌を損ねてしまった立場上、流はおもねるように聞いた。だが、その瞬間、梅姿の固い 顔は和らぐどころか、赤く染まった。 「十三リ子供しやナイ " ・ メイチー 流の努力は逆に梅姿の怒りに火をつけてしまった。 「あ、ご、ごめん ! ちっちゃいから十才くらいかなって : そうしゃなくて」 史上最悪の言い訳はすればするほどどっぱにはまっていく メイチー 助け船の出しようもなかった。京也とフェンウェイは恐る恐る梅姿の顔色をうかがった。 赤かった顔色が「真っ赤』といっていい色に変わっていき、そして、 「ばかっリアンタ、嫌いつつ こきみ ガラスも割れん程の声が〈白梅林〉に響き、そのあとに頬を張る小気味いい音が続いた。 やわ ほお あ、いや、胸がじゃないよー