思い - みる会図書館


検索対象: SURFIN'LIFE 2016年 4月号
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1. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

親子の絆は経験をシェアすることでより深まる。ホードトリップともなれば尚更のこと よくある親子関係は、今回のトリップメンバーほど濃 ンで、キャパリタ・ボードライダーに所属することになっ た。その後、ドナ・ウイルソンは同クラブの秘書となった。 くはない。可愛らしい息子が父親に憧れても、父親は 仕事に忙殺される日々で息子を構うことはこくまれ。息 そして今も尚、ウイルソン家にとってサーフィンは大き 子は 1 0 代になれば、サーフィンに出かけたり、生意気 な役割を果たしている。 になったり、吐くまで酒を飲んだりと反抗期を迎える。 ボートトリップも終りを迎える頃、我々は大家族のよ 後に、父親が息子との時間を持とうと思っても、大人と うな関係性を築き上げていた。最高のボートトリップで なった息子は自分の子供を育てることで大忙し。そん は、乗り合いトリップであってもこのような影響を及ぼ なサイクルが繰り返される。そんな失敗バターンはボッ す。混雑や日常のプレッシャーから解き放たれ、サーフィ プカルチャーにおいて定番となり、キャット・スティー ンに夢中になれるのだから。 1 0 日間に渡り、我々は酒 ヴンスの「 Father and Son 」やハリー・チェイピンの を飲んだりと親交を深めた。昨今のサーフシーンで見 「 Cats in the Cradle 」といったセンチメンタルなヒッ かける口論、エゴ、不満などは、天国のようなアイラン ト曲を見れば明らかだ。ただし、もしも親子がサーフィ ドバラダイスを満喫するボートトリップから見れば、あ ンしていれば、結末は変わっていたかもしれない。父 まりにも些細でくだらないことに思える。 親がサーフィンしていれば、息子が父親を避けることな トリップも終わりとなり、我々はそれぞれに異なる道 どできないのだから。グロム時代の息子は、父親にボー へと進む。ソリはアメリカに向かい、チッパとアッシャー ドを押してもらって波に乗るようになり、初めてのバレ は撮影のためにボートに残る。チッパとソリの父親は ルをメイクすれば父親が歓声を上げてくれる。息子の初 ホームに戻り、ボートトリップほど魅力的ではない仕事 トリップで車のハンドルを握るのは父親。こういった経 を再開。私は、トリップ初日にマレ空港に到着した時と 験をシェアしていくことで、親子の絆は強固なものとな は、別人になっていた。あまりにも満たされてハッピー る。そんな環境で育ったとしても、父親の車を盗むよ であったため、タクシードライバーや税関スタッフに笑 うな行為をするかもしれないが、離れることはできない。 顔を振りまいたりと、らしくない自分に気付いたのだ。 ボートトリップともなれば尚更のこと。 そして、自分の家族に思いを巡らせていた。子供たち、 サーフィンは家族の絆を結ぶだけでなく、コミュニティ 妻、 75 歳の父親、滅多に連絡を取ることもない兄弟。 との繋がりも生み出す。ウイルソン家のケルビンいわく しかし、今ではより大きな繋がりを感じている。陳腐な 。 3 人の賢い猿たち " は、幼い頃にこう言われたそうだ。 セリフかも知れないが、海を愛するものはみな家族と 「やりたいスポーツを選びなさい。ただし、クラブに所 いった発想だ。この感覚は、日焼けが落ち着くまで続 属するように」と。 3 人の子供たちが選んだのはサーフィ くだろうから、日焼けという旅の土産も悪くないだろう。 042

2. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

サーフィンを通じて築いてきた兄弟のような親子関係。ニ人三脚で夢を追う たものの、 WQS に参加するようになった初年度は厳し ソリが持ち込んだ 5 ' 1 0 " には、アボリジニの民族旗 ハワイ、中米、ブラジル、日本と行き先は様々。その い洗礼を受けた。アンディと共に向かったブラジリアン スプレーが施されている。工アリアルでリップを飛び出 ような経験から、ふたりの愛情溢れる強い絆で結ばれ、 すと、モルディブの空には派手で見間違いようのない レグでは、悪夢のような経験をしたソリ。サーフボード 今日では兄弟のような存在となっている。時にソリが兄 が行方不明になったり、レンタカーを運転したらスピー デザインが浮かび上がる。アボリジニの血統は、母親 のような存在になることさえある。 ドバンプで吹っ飛んだり、警察から通行料をボッタクら の家族に由来する。世界最古のカルチャーを持つ民族 プロの第ニ世代と言えば、父親の夢を叶えようと子 と繋がりがあることをソリは誇りに思っているし、オー れたりと。なんだかんだで海に到着したものの、ロー 供が辛い思いをすることもあるが、アンディの場合はソ カルから波を取ることができなかった。その結果、ふ ストラリア原住民にとってロールモデルになろうとも考 リに出来るだけ自由を与えた。数年間、人里離れたア たつのイベントに参加したものの、勝ち上がったヒート えている。いつの日か、自身の家系についてより深く ボリジニのコミュニティでアンディが働いていた時期に 探ろうと考えているソリ。しかし、現在フォーカスして は 1 回のみ。ソリにとってはショックのひと言。その際、 は、ソリは家族の友達などと遊んだり、自分のことは自 アンディは WQS イベントを止めたいなら止めても良い いるのはワールドッアー入り。つまり、ソリはふたつの 分で管理していた。そのせいか、同年代よりも独立し と告げたと言う。しかし現在では、ソリの勢いは復活。 異なるミッションを抱えているのだ。ツアー入りすれば、 て大人びて見えるものの、親のありがたみもわきまえ オーストラリア原住民初のサーファーとして、早ければ それはソリのハードワークによる賜物であるが、サー ている。「いくら意見が違ったとしても、父親のアドバ フィンにどっぷりと浸かった環境で育った結果とも言え 来シーズンにはツアー入りの可能性を秘めている。そ イスは受け入れるんだ。だって、心から僕を思っての んなソリは、モルディブでツアーサーファーに相応しい る。 2 歳の頃からシングルファーザーのアンディに育て 意見なんだから。たとえ僕が聞きたくなくても、真実を られたソリは、ビーチが遊び場であった。ふたりが世界 目を見張るサーフィンを見せていた。 口にしているはずだし」と、ソリは言う。 を旅するようになったのは、ソリが 9 歳の頃から。ニアス、 20 歳のソリは、ジュニアでは素晴らしい戦歴を残し 039

3. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

いる子供が、ごく自然に波と親密な関係を築くことは当 ことを受け継いでいくサーファー親子ということかもし 方が上手く波に乗る上で欠くことのできない要素だとい う意味も含んでいる。バドルカや肉体的なフィットネス 然の成り行きだと思うのだ。 れない。 サーフィンが道だとすると、もしかするとサーフィン の重要性、あるいはターンの技術といったことと同様に さらに最近は、将来サーフィンに転向することを想定 は一子相伝の世襲制だったりするのだろうか。親が人 海との関わり方、感じ方が、波乗りそのものに影響を しながら、幼い頃からスケートボードに導く巧妙な親も 生をかけて追及したサーフィンを生活の中で子供に伝え 与える。もちろん、多くの時間を海で過ごし、上達とと 多い。今どきのサーフィンにスケートボード的な感覚は る。そして子供は、それを基礎として新しいあり方を探 もにそれが身についてくるという側面もあるけれど、そ 欠かせなくなっている。サーフィン以上に若いうちから る。技術であれ、生き方であれ、より熟成したサーフィ んなサーファー的な生き方や感覚が幼い頃から生活の 始めないと上達が難しいスケートボードを、あらかじめ なかにあったとしたら、海のリズムはもっと身近なもの 刷り込んでしまおうというわけだ。そんな大げさな理由 ンの未来を開拓していくことになるはずだ。 自分がサーフィンするきっかけは祖父だった。ビーチ になり、サーフィンが上達する上で必要なハードルのい より子供のうちはスケートボードを与えておけという程 を望む丘の上に曽祖父が建てた平屋の日本家屋。家族 度のことから始まるのだろうが、海のライフスタイルの くつかをずっと早い段階でクリアできると思うのだ。 が毎年夏を過ごす海の家に、大学教授だった祖父は電 中にスケートボードの感覚が加わったら、自分もジョン 今や、トップサーファーのなかに親がサーフィンをし 話とテレビを置くことを禁止し、静かな時間と会話を大 ジョンのようなサーフィンができたのではないかという ない人を探すのは難しい。サーフィンが身近にない環 切にした。朝目覚めると海岸まで散歩に出かけ、戻る 境でサーフィンを始めた人が苦労して手に入れる環境を、 気がしてくる。しかもノースショアのような強烈な海の と庭の手入れをし、朝風呂に入り、日差しの強い日中 バイブレーションが存在する場所ならなおさらだ。まあ、 彼らは生まれたときから手に入れているのだ。海の近 は家で本を読んだり昼寝をしたりして過ごす。そして陽 親があまりに期待しすぎて、子供がサーフィンからドロッ くで暮らし、ウネリの到来や潮の干満を基準に生活をア が傾くと、祖父は家にあった板子を手に海への道を下っ ジャストし、波をもとめて旅をする暮らし。幼い頃から プアウトしてしまうという皮肉もなくはないけれど・・・ ていった。坂を上って家路に着く海水浴客の流れに逆 長い時間をビーチで過ごし、海の動きを肌で感じること 子供がサーファーとしてトップに登りつめることを求 い、海へと向かう。海面はタ凪で美しく整い、タ陽が は上手に波に乗るために欠かせない要素である。 めず、普通に仕事をしながらサーフィンをライフスタイ 照らす海に泳ぎだす。板子で波に乗ったり、あるいは 予断だが、最近は波情報を見て波の良さそうな場所 ルに組み込んでいる親だったとしても、そこにはまた 身体ひとつで波に乗ったり、ただやって来る波の下に身 にドライプし、クルマを停めたら目の前の海に入って、 違ったサーフィンの可能性が見えてくる。僕がサーフィ 体を潜り込ませて泳いだり。サーフィンと呼べるような ンを始めた当時、海外には、医者や弁護士、教師、経 上がったら持ってきた水をかぶってあっという間に帰っ 大それたものではなかったが、海と戯れ波に乗ることは 営者などさまざまな職業のサーファーがいることを知っ てしまうサーファーが多いけれど、本当に波に上手く乗 夏の間の大切な日課だった。それが僕の波乗りの原体 て驚かされた。すでに日本にもそういうサーファーがた りたいのなら、もっと長い時間を海で過ごしてみること 験で、だからなのか、僕は今もタ方の波が好きだ。 をすすめたい。サーフィンの目的が「いい波に乗ること」 くさんいるけれど、そんなサーファーが親だったらどう 家族とともに海で過ごす時間。これほど美しく、記憶 だとすれば、どんなタイミングで海に入るかによって出 だろう。サーフィンに情熱を傾けながらも、社会と関わ に残ることは人生のなかにそう多くはない。そして、そ 合う波が変わってくる。心のあり様によって行動のリズ り、そこで成功を収めている親の姿を見ながら育ったら んな時間の中で自然に伝えられる記憶は、かけがえの ムが変わり、それによって必然的に出合う波が変わって 一体どんな人生になるのだろうと思いをめぐらせてしま ない人生のメッセージである。 う。それこそ、「海で学んだことを陸の生活で生かす」 くるのだ。つまり、そんなことを幼い頃から親に学んで 1 059

4. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

仙台新港から生まれる -1 ー希望の光 仙台新港のパーフェクションとも言うべきパ ワフルなブレイク / ( 上段左から ) 波を見 つめる松岡慧斗。チューブを求め入念なチ ェック / 仙台新港からほど近い、べアフット サーフに集まったこの旅の仲間たち。海上 がりの歓談もサーファーにとってかけがえ のない時間 / アーティスティックなライディ ングで地元の波を楽しむ越後将平 / ふた りがいる場所には常にサーファーが集まる 一 ' ・ ' イ山台出身、湘南在住のプロサフア : 越後将平と松岡慧斗。仙台新港を ーホームとする彼らが帰郷して出会ったサ -- フアたちと波の数々。震災から 5 年、シーンを盛り上げたいと願うサヂファーの思いが交錯する、仙台の今 PhOtos: Kenji Sahara T t: Taka uki Kato

5. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

たこの範疇に入らないのが、ジョンジョンやデーン・ レイノルズで、ジョンジョンだったら、スケートして 自分で自分の動きに気付いたりとか、そういう元々の クリエイティビティがあるから、勝てない時になんで 勝てないのか、メンタルなのかテクニックなのかとい うことを探る能力に優れているんだ。 S 人それそれの個性に合わせたコーチングというの が大事なんだね。 ロそうだね、決まったトレンドやポピュラーなもの があるというわけでは無いと思う。コアトレーニン グをやっていたとしても、それだけじや意味がなく て、本当のトレーニングはひとりひとりの特性を知っ て、より具体的にその人の何を良くしたらピークのバ フォーマンスを得ることができるのかということ。同 じメソッドをただ教えるのではなく、選手によってメ ニューを変えて、プログラムを作っていくということ が、コーチングの意義なんだ。 S 今回日本で行ったコーチングの要点はどんなもの だったんだろう ? ロ時間的には短かったんだけど、その分この 2 日間 では自分のコーチングスタイルの「インサイト ( 洞察、 気付き ) 』を伝えることに重点を置いたんだ。サーフィ ンのためにただ瞬発力をトレーニングするとかそうい う一般的なコーチングではなく、フィジカル ( 身体 ) 、 メンタル ( 精神 ) 、工モーショナル ( 感情 ) を全体と して観て、 1 つひとつの重要さに気づきそのバランス を取ること。それが最大のパフォーマンスを発揮する ことに繋がるので、陸上での学びが、海の中でのサー フィンにどう繋がりがあるのかっていうことを理解し て欲しかったんだ。 S この 2 日間日本人サーファー達にコーチングして みて、日本人サーファーにどんなことを感じた ? ロこれも人それぞれなので一概に言うことは難しい んだけど、良いアスレチックのべースや、クリーンな テクニックを持っていて、すごく良いものを身に着け ていると思ったよ。メンタルに関しては、習いたいと いう気持ちがすごくあるのを感じたし、言うことを聞 いてすぐに実践するのが素晴らしいよね。ちょっとの アドバイスですぐに上達するのを感じたよ。みんなの 楽しみ方もいいよね。あとは自分の事をより理解して 信じること、自分自身の目標をセットして、それを達 成できると信じること、目標にたどり着くまで、その 間に何も入らせないようにすることが、必要なんだと 思う。僕の経験から言うと、例えば QS では 1 年の終 わりの大事な試合が ( ダンにとって ) アウェイである ハワイなんだけど、そこは CT にクオリファイしたい ハングリーなローカルハワイアンもたくさんいる場所 で、サーファーだけじゃなくハワイというコミュニ ティー全体が、ハワイアンサーファーの成功を望んで いるという空気の中で戦うことになる。そんな中でも 自分を強く持って目標を達成することが必要なんだ。 S サーフィンがオリンビック競技になる可能性があ るけど、その点についてはコーチとしてどう思う ? ロオーストラリアでは、多くの人がエキサイトして いるよ。オリンピックのような舞台で、サーフィンが 行われるようになったら、プラスのことがたくさんあ ると思う。次世代のサーファーのボテンシャルを挙げ ることや、コーチングスキルの洗練にも繋がるよね。 オリンピック競技になったとしても、海とコネクトす るサーフィンは絶対になくならないと思うから、どう 試合を行うのかという問題をクリアするだけだよね。 僕もいちサーファーとして金メダリストのサーファー を見てみたいと思っているよ。 0 ( 上 2 つ ) 実地トレーニング後は映像を見ながらライディングを振り返る。自分では気付かないような些細なテクニックから、海に入っている際のメンタルの保ち方まで 分かりやすく解説 ( 下 ) 普段の 1 ラウンドと、コーチングを受けながらのそれの差は計り知れない。コーチングの普及によって、世界への道のりは確実に近くなるだろう “コーチングによって、日本のサーファーに少しでも貢献したい” 長年サーフィンをしてきて、サーフィンに対してどん と上達したいというサーファーに対して、いくつかのス なことが還元できたり、貢献できたりするのかという テップは効率的にスキップできるように貢献できるん じゃないかなと思ったんです。例えば日本のサッカー ことを考えるようになっていたんですね。それにアメリ 力と日本を行き来する中で、いろいろな違いというも の選手は、ある時から世界ですごく活躍してますよね。 それは「 5 年後、 IO 年後にこうなりたい」という自分 のが見えてきたということもありました。アメリカにど のなりたい姿を見るようになって、そこに到達するに れだけ住んでも自分は日本人ですから、同じ日本人と して、サーフィンを好きな日本の若い子達が、目指し はどうしたらいいかということを考えるようになったか らだと思うんです。だからコーチングによって、そのよ ている所に到達するための努力を、より効果的に使っ うな環境を少しでも整えられるような手助けを、ちょっ てもらいたいなと思うようになりました。そういった 中のアイデアとして、今回のイベントを企画したんです。 とでもできたらいいかなと思います。 カリフォルニアにいても、日本から来るサーファーの 子って本当に上手ですよ。アメリカのプロに引けをとら ないぐらいの子もたくさんいる。じゃあ日本と海外に おけるコンペティションサーフィンのギャップってなん だろうって思った時に、そこは単に根性とかだけで埋 めるものではなくて、もっとシステマティックに解消で きる部分もあるだろうと。というのは、根本的な所に 誰も教えてない強さがオーストラリアやアメリカにあっ て、それはどうやって勝っていくかというゴールの設 定に対するアプローチが違うんですよね。そういった 部分を実際に見たり経験していましたから、アンバサ ダーで世界的にもプロコーチとして注目されているダ 藤倉克己バタゴー ーア・インターナショナル・マーケティングディレクター ン・ロスを活用することによって、若いサーファーやもっ

6. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

Tai 1611 2015 シーズンの JPBA グランドチャンピオン 祝勝会。その明るいキャラクターで、周りから のサポートを自然と集める沙莉。日本、世界の 頂上で戦う沙莉も、この時ばかりはリラックス Masahiko Yoshioka/Nikon MasahikO Yoshioka/Nikon 皿 ~ 間 1 ・ 0 Ⅷ 2015 田 - ( 左 ) 昨年春に行われ た新島はでももちろん 0 " 優勝。 2015 年はこの 他に 2 度の優勝を飾 る。本人日く「一応仕 事してます ( 笑 ) 」 / 3D 回転を取り入れなが らの工ア、 A. R. S 。技の一 ダイナミックさでも外国 0 選手に引けをとらない一 VCA Tai Courtesy Of Ohhara Family PhOtosurf 」 apan 日本にいる時は積極的にスクールも行い、ボディポードの普及に努める 「台風で波が上がれば、必ずホー ムの志田で海に入ってますね」 / 小池葵さんとまだあどけない表情 の沙莉。思いは受け継がれる 134

7. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

GENERATION BEFORE and SINCE CoIumn 家族の伝承が、 サーフィンの未来を拓く ニ世、三世サーファーが誕生することで、サーフィンの技術は驚くほどに進歩し、 サーファーのライフスタイルは豊かに深まっていく。 もしかすると、サーフィンは世代を超えて受け継いでいくものかもしれない。 Text: Eisuke Tomiyama Photo: Kuniyuki Takanami 058 1965 年生まれの僕がサーフィンを始めた 80 年代前 半は、今では考えられないほどのサーフィンブームだっ た。街はサーフブランドの服であふれ、テレビや雑誌 もサーフィン特集。オカサーファーという言葉も生まれ たほど、サーフィンは一歩先を行くファッションであり、 サーフィンが若者文化を覆っていた時代である。一方、 大人たちににとってサーフィンにはアウトローな印象が 根強く、子供がサーフィンを始めたいと言いだしたら、 多くの親は反対し、反対しないまでもいい顔はしなかっ ただろう。サーフィン・イコール・不良というわけだ。 しかし今や、サーフィンは当時とは比べ物にならない ほど市民権を得た。驚くことに、ビーチタウンで生活を 始める一流企業に勤める父親が、自分はサーフィンしな いにもかかわらず、まだ幼い子供に「この子には将来 サーファーになってほしい」なんて言葉をかけたりする 時代が訪れている。サーフィンはもはや不良の遊びで はなくなった。 太陽の下、サーフボードー本で海に漕ぎ出し、波と いう自然の産物とたわむれることから学ぶことは多い。 時にそれは、陸上の社会と関係を築きづらくなる危険 性をはらんではいるけれど、海から学ぶ人生の教訓は 普遍である。大切なのは、それをふまえてどう生きるか。 ジェリー・ロベスも言うように、「海で学んだことを陸の 生活に生かすことがサーファーのゴール」である。 「サーフィンはライフスタイルだ」と言われる。それは もちろん、いい波がやってきた時に海に出られる環境を 築くことがサーフィンを続ける上で重要だという意味だ が、一方で、サーファー的な暮らし方、時間の過こし

8. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

になって、それで試合で勝てるようになって。そう やって他の人と対等に戦えるようになっていったこと で、自信がついてきたということもあったんですけど、 一番大きかったのは、 " 小池葵ちゃんみたいになりた い " っていう気持ちでした」 日本のトップであった小池葵さんというロールモデ ルを身近に感じながら育った沙莉は、生来の競争心 の強さも相まって、すぐにコンペテイターとしてその 才能を開花させていく。アマチュアとして出場して 132 いた JPBA では中学校 3 年生で初めて優勝。同年、目 標としていた全日本選手権で優勝後、プロへと転向す る。さらに高校生からまわり始めたワールドッアーで は、初めて出場したポルトガルの大会でセミファイナ ルまで進出し、なんと 3 位入賞という結果を残す。 「高校 1 年で初めてボルトガルに行ったんですけど、 その時の衝撃はもう大きかったですね ! " 世界 " っ てこんな感じなんだっていうのも肌で感じることがで きたし、初めてのワールドッアーで 3 位になれたこと も嬉しくて。それと世界の試合の方がすこく楽しく感 じたんです。日本がつまらないということではないん ですけど、日本では言葉も通じるし、波もやつばり毎 回いいコンディションでやるわけじゃないから、世界 より難しい部分もあります。あと友達や知り合いが多 いから、良くも悪くも自分が慣れてくるというか。逆 に世界だと、知らない人の方が多いし、負けて元々だ から " もう自分らしく頑張ろう " ってなったんですね。 波もその時すごく大きくて、ビーチブレイクなのに 4

9. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

Pedro Gomes WSL/BennettA Ricky BirkS ( 左上から ) カノアはオーストラリアで戦っていた。 CT 初戦、ゴールドコーストでの活躍が楽しみだ / 先だって来日した際、サイン会場でのファミリーショット / 海上が りのキアヌ、母・美佐子さんとともに。すでに注目の存在 / その実力はご覧の通りカ強く、早い / 1982 年 18 歳の頃の勉さん。 TEAM ミナミとして活躍していた 五十嵐勉プノアアヌ サーフィンを愛する心で結ばれた強い絆 スーバーファミリーの進化は止まらない 「たぶん生まれたときからサーフィンをするのがあたりま ては、カノアが成し遂げた CT クオリファイという快挙もあ 据える。当のキアヌはというと、「大会に出るのも好きだ えだと思ってた ( 笑 ) 。お父さんとお母さんとカノアが作っ りえなかっただろう。 けど、カノアも応援したいからね ~ 。今年は半分半分かな」 てくれた環境だから、すこく感謝してる。俺はすこくラッ 五十嵐ファミリーのいる環境は、世界のサーフシーン とティクイットイージーな様子かと思いきや、「いろいろ キー」と屈託なく答えるキアヌ。 " カノアの弟 " として覚 のど真ん中だ。「キアヌが「友達のジャガーだよ。この子 な所に家を持って、ずっと家族で世界を回りたい。お父 えられることが多かったが、ここ最近、ビーチでひと際目 のお父さん、ウサギって名前なんだよ。変でしよ。 ( 笑 ) 」っ さんとお母さんを世界で一番ハッピーなペアレンツにする 立つ存在になってきている。「キアヌのサーフィンを見な て、「 ? ? ? ・・・・・・ウサギ ? ・・・・・・もしかして・・・・・・ラビット ? 』「そ よ。絶対に ! Ⅲ」という頼もしい言葉を、自然に無邪気に がら、カノアとキアヌのボードにペイントするのが今の僕 うリ「ええええええーっ、ラビットバーソロミューだ ~ 」っ 口にする。ドサーフィン " という共通の会話ができること の仕事。ありがたいことに、ふたりにたくさんのボードが て、ミサと一緒に ( 笑 ) 」。他にも例えばトム・カレン、オッ で、こうして家族の絆が深まっている。でも困ったことに 出来てくるので、毎日、デザインやペイントで追われて キー、リッチー・コリンズなどの子どもたちが、カノアと サーフィンの話が多すきてその他の話になる時間がない る ( 笑 ) 」と楽しそうに話すのは父・勉さん。そうして一 キアヌの友達だという。 ・ ( 笑 ) 」と勉さんが言う横で、美佐子さんは「今のま 家の男性はひたむきにサーフィンに取り組む中、「カノア 「今までは、カノア中心の生活だった。でもこれからは、 ま家族が健康で仲がよく、楽しくサーフィンライフを続け がほとんど留守にしているので、カノアの雑用をしていま キアヌ中心の生活になると思う。キアヌは、勝手にここま て、そして将来、カノアとキアヌの CT でのファイナルが す。キアヌのサーフィンのことや教育も私の大事な仕事 できた強さがある。この強さに磨きがかかるように家族で 見たいですね」と優しく微笑んだ。 です」と、おしとやかにいう美佐子さんの内助の功なくし サポートしていきたいと思ってる」と、勉さんは今後を見 026

10. SURFIN'LIFE 2016年 4月号

みて地元の波の良さだったり人の良さだったりを改めて 感じたし」と将平。慧斗は「サーフィンやってたのは新 港だし、やつは出来なくなった時期もあったから。現役 の真っ最中だったから、移動してって決めたんですけど。 震災が来なかったら、仙台最高でしょって、仙台から出 ない自分がいたと思うし。必然的に出る状況になったけ ど、俺は仙台なんだよっていう気持ちは全然変わってな いから。今結婚して子供もいるけど、震災がなかったら 奥さんとも結婚してないし、子供もいなかったし。だか らそういう事を考えるとすごい不思議ですよね。全く違 う人生になったかなって。でも今の人生は人生で、最 高だと思ってます」 そして復興の状況について聞いてみると意外な現実 の答えが返ってきた。「親父は去年やっと仮設住宅を出 たんです。その仮設のプレハブの中に家族が居たのを 見てた時に、復興して良かったねってよく言われてまし たが、全然復興してないんじゃないかなって思ってて。 瓦礫とか見た目のものは綺麗になって、整備はされて きてるけど。震災でいろんなものを失った人たちの気 持ちは、何とも言えないですね。みんな前向きには頑 張っているとは思いますけど」慧斗も同じ事を感じてい た。「行き届いて無い場所がいつばいありますよね、正 直。だって将平くんの家族だってそういう状況な訳だし。 そういう人たちがまだまだ沢山いると思うから。復興し きれてるとは何とも言いにくい感じだよね。俺なんかで も分らないから簡単に言えないってのもあるし。そうい う人たちのためを思うと、もっと注目して欲しいってい うか、もっと良い形にもっていって欲しいなっていう気 持ちですよね」 昨年には慧斗や将平をはじめ仙台のプロサーファー がたちが仙台のサーフシーンを盛り上げ、復興やロー カルへの感謝を目的としたニューポートフェスタが開催 された。また今年は JPSA の最終戦が仙台新港で開催 予定となっていて、仙台新港のサーファーのモチベー ションも上がってきてるという。そして 2 人は今後さら に地元への恩返しをしていきたいと話す。 「震災から 5 年経った今は再スタートになってきた感じか な、新港のサーファーは。やつば一時期、震災で出来 なかったし、どこへ行っても自粛ってモードだったから。 サーフィンやるなら日本海まで行くか、やれるポイント まで車で 3 ~ 4 時間走らせて行くみたいな。どれだけ やりたい人でも、そういう動きをしないとやれなかった から。やつば必然的に人も少なくなったしね。だけどそ んな中で段々みんなもモチベーションが戻ってきたか なっていうのが感じられるので嬉しいですよね。だから もっともっとこれからも活性化していって欲しいなって いうか、盛り上がっていってほしいなとは思うけど。ロー カルのレジェンドの人たちにも、ずっと楽しんでサーフィ ンしてもらいたいし、なおかっキッズサーファーが出て 来てくれたら嬉しいかなって思う。上手くなりたい ! みた いな子が震災前は、いつばい居たから。あの打撃でや らなくなっちゃった子もやつばり結構居たし。もっと増え ていって欲しいなってのは俺の願いかな。これから先、 自分たちより熱いサーファーが仙台から出てくれたって だけで、やつば嬉しいですよね。見たいし、応援したい し。そしてそれに繋がるような事をやれたら良いけどね。 まだ踏み出しもできてないけど、僕らがやっていかない といけない事なんじゃないかなって思う」と慧斗。 将平も続けて「そうだね。僕は現役じゃないので、そ ういう若い子を育てたり、力を貸す事ができたら良い なっていうのがあって、そっちの方で地元に対して協 力できる事は何かないのかなって思うし、やつばりいろ んな世代を上手く盛り上げていくっていうのが地域活 性にも繋がると思うし、もうちょっと若い世代の子が始 めてくれたら良いなって思いますね。慧斗たちは現役 なんで、写真残して大会でも結果残して、慧斗も海生 も高橋みなとも、みんなそうだけど、そうやってもら いたいかな。日本の一流のプロサーファーを地元の波 で見る事によって、すごく勉強にもなるだろうし、プロ サーファーへの憧れもそういう所で生まれてくるだろう し。そういった意味でも JPSA はずっとやってもらいた いなって思っていたから、今年は決まりかけているのは 嬉しいですね。やつばり僕が現役の頃はあったんです よね、子供ながらにプロサーファーに憧れ、地元でみ た時にいろんなものを感じると思うんですけど、そうい う子が今後増えてきたらいいなってすごい思いますね。 あと仕事を通じていろんな所に行って、いろんな人と繋 がって日本のサーフシーンっていうのをけっこう目の当 りにしてきて、自分なりの良いなってのものを仙台に持 ち帰れたらいいなっていう。やつば仙台って所で育って きたんで、いつかはそういう恩返しをしたいって想いを 胸に、まずは自分にできる事を探してここ何年かやって います」 3 日間という短い日数であったが、将平と慧斗の帰り を待っていたかのごとく波がヒットした今回の旅。サー ファーたちの心は真っすぐと前を向き、仙台新港には希 望の光が溢れていた。