いる子供が、ごく自然に波と親密な関係を築くことは当 ことを受け継いでいくサーファー親子ということかもし 方が上手く波に乗る上で欠くことのできない要素だとい う意味も含んでいる。バドルカや肉体的なフィットネス 然の成り行きだと思うのだ。 れない。 サーフィンが道だとすると、もしかするとサーフィン の重要性、あるいはターンの技術といったことと同様に さらに最近は、将来サーフィンに転向することを想定 は一子相伝の世襲制だったりするのだろうか。親が人 海との関わり方、感じ方が、波乗りそのものに影響を しながら、幼い頃からスケートボードに導く巧妙な親も 生をかけて追及したサーフィンを生活の中で子供に伝え 与える。もちろん、多くの時間を海で過ごし、上達とと 多い。今どきのサーフィンにスケートボード的な感覚は る。そして子供は、それを基礎として新しいあり方を探 もにそれが身についてくるという側面もあるけれど、そ 欠かせなくなっている。サーフィン以上に若いうちから る。技術であれ、生き方であれ、より熟成したサーフィ んなサーファー的な生き方や感覚が幼い頃から生活の 始めないと上達が難しいスケートボードを、あらかじめ なかにあったとしたら、海のリズムはもっと身近なもの 刷り込んでしまおうというわけだ。そんな大げさな理由 ンの未来を開拓していくことになるはずだ。 自分がサーフィンするきっかけは祖父だった。ビーチ になり、サーフィンが上達する上で必要なハードルのい より子供のうちはスケートボードを与えておけという程 を望む丘の上に曽祖父が建てた平屋の日本家屋。家族 度のことから始まるのだろうが、海のライフスタイルの くつかをずっと早い段階でクリアできると思うのだ。 が毎年夏を過ごす海の家に、大学教授だった祖父は電 中にスケートボードの感覚が加わったら、自分もジョン 今や、トップサーファーのなかに親がサーフィンをし 話とテレビを置くことを禁止し、静かな時間と会話を大 ジョンのようなサーフィンができたのではないかという ない人を探すのは難しい。サーフィンが身近にない環 切にした。朝目覚めると海岸まで散歩に出かけ、戻る 境でサーフィンを始めた人が苦労して手に入れる環境を、 気がしてくる。しかもノースショアのような強烈な海の と庭の手入れをし、朝風呂に入り、日差しの強い日中 バイブレーションが存在する場所ならなおさらだ。まあ、 彼らは生まれたときから手に入れているのだ。海の近 は家で本を読んだり昼寝をしたりして過ごす。そして陽 親があまりに期待しすぎて、子供がサーフィンからドロッ くで暮らし、ウネリの到来や潮の干満を基準に生活をア が傾くと、祖父は家にあった板子を手に海への道を下っ ジャストし、波をもとめて旅をする暮らし。幼い頃から プアウトしてしまうという皮肉もなくはないけれど・・・ ていった。坂を上って家路に着く海水浴客の流れに逆 長い時間をビーチで過ごし、海の動きを肌で感じること 子供がサーファーとしてトップに登りつめることを求 い、海へと向かう。海面はタ凪で美しく整い、タ陽が は上手に波に乗るために欠かせない要素である。 めず、普通に仕事をしながらサーフィンをライフスタイ 照らす海に泳ぎだす。板子で波に乗ったり、あるいは 予断だが、最近は波情報を見て波の良さそうな場所 ルに組み込んでいる親だったとしても、そこにはまた 身体ひとつで波に乗ったり、ただやって来る波の下に身 にドライプし、クルマを停めたら目の前の海に入って、 違ったサーフィンの可能性が見えてくる。僕がサーフィ 体を潜り込ませて泳いだり。サーフィンと呼べるような ンを始めた当時、海外には、医者や弁護士、教師、経 上がったら持ってきた水をかぶってあっという間に帰っ 大それたものではなかったが、海と戯れ波に乗ることは 営者などさまざまな職業のサーファーがいることを知っ てしまうサーファーが多いけれど、本当に波に上手く乗 夏の間の大切な日課だった。それが僕の波乗りの原体 て驚かされた。すでに日本にもそういうサーファーがた りたいのなら、もっと長い時間を海で過ごしてみること 験で、だからなのか、僕は今もタ方の波が好きだ。 をすすめたい。サーフィンの目的が「いい波に乗ること」 くさんいるけれど、そんなサーファーが親だったらどう 家族とともに海で過ごす時間。これほど美しく、記憶 だとすれば、どんなタイミングで海に入るかによって出 だろう。サーフィンに情熱を傾けながらも、社会と関わ に残ることは人生のなかにそう多くはない。そして、そ 合う波が変わってくる。心のあり様によって行動のリズ り、そこで成功を収めている親の姿を見ながら育ったら んな時間の中で自然に伝えられる記憶は、かけがえの ムが変わり、それによって必然的に出合う波が変わって 一体どんな人生になるのだろうと思いをめぐらせてしま ない人生のメッセージである。 う。それこそ、「海で学んだことを陸の生活で生かす」 くるのだ。つまり、そんなことを幼い頃から親に学んで 1 059
Pero MattPaul Catalano 」 unj 一 Kumano Natsuki Kuga ( 左上から時計回り ) 普段からハワイを念頭にトレーニングを続ける河村海沙。今シーズンも実力を発揮することが出来た。ハワイアンウ工ーブを匠にこなす / 普段は誘 い合わせる事はないというが、たまにはこうした光景も。正美と海沙 / 次男・沙理亜も負けてはいない / 長年慣れ親しむホームグラウンド、鵠沼の波をクルーズするマミ 目河村正美ー海沙ー沙理叫 波に逆らうことなく自然体で優雅に波に乗る。 それが我が家のサーフスタイル 「僕は以外とサーフィンに関してはおそまきなんですよ。 言われていたけど、僕自身はサーフィンはひとりでやるも 「親がロングで有名なので、色んな人から声を掛けてもら 仕事もサーフィン関係ではなかったので、最初の頃はプロ のだって思っているから、連れて行かなかったですね。だっ うのは嬉しかったけど、小さい頃はそれがプレッシャーで になろうとかシェイバーになろうとか、そういう気持ちは て自分のサーフタイムがなくなるし、だいいち集中出来 嫌だった」という本音を覗かせていた。 なかった。自然発生的に始めてたし、基本的に好きだから、 ないじゃないですか ( 笑 ) 」 「まあ、家族全員がサーファーである以上、良いことも多 こうして今でも続けられているんでしようね。息子たちは 今日まで息子たちにはサーフィンに関しては放任主義を いと思うけど、やりづらい事もあるんじゃないかな。沙理 産まれた頃から海に連れて行っていて、ボディーボードか つらぬいてきたという。とはいっても、息子たちがサー 亜はプロを目指すでも無く、サーフィンを楽しんでいるよ らサーフボードへと自然にサーフィンが好きになっていっ フィンに関してアドバイスを求めてきた時や、間違った方 うだけど、海沙は今年で 3 シーズン目のハワイで、バイプ た」と、プロサーファーでありプロシェイバーであるマミ 向に行っているなと感じた時はもちろん父親として、サー への情熱はたいしたものだと思うし、カメラマンからも注 こと父・正美氏は話す。 ファーの先輩としてしつかり向き合う。 目され始めているのは素晴らしいことだと思う。その反面、 「海沙が 5 ~ 6 歳の頃にはシェイプも始めていたので、い 「彼等にしてみれば、常に河村正美というバックグラウンド 僕自身ハワイの波、特にバイプラインの怖さを知ってい つでも始められるようにボードだけは用意しておいた。だ が付き纏うので、いい面もあるだろうけど鬱陶しく感じる るだけに、心配もしている。無事を祈るしかないですね。 けど息子たちに、「お前たち、サーフィンしろ』といった 事もあるのかな。特に沙理亜の場合は、兄責が注目され 家族でのエピソードですか ? オーストラリアに行った時に ことは無いですね。子供たちが小さかった頃は、よくか ている分、余計にそう思っているのかも知れない」 家族だけでサーフィンをしていたら、 1 OO 頭程のイルカ みさんに「子供たちをサーフィンに連れて行ってよリと それについて海沙はどう感じているのだろうか ? の群れが我々に近づいてきた時は、ビビった ( 笑 ) 」 030
ビーチクラプ全国ネットワーク ドジ棒を着けて姿勢をチェックをして、ビーチセラピ 茅ヶ崎ビーチクラブのビーチセラピーのプログラムに ーウォーキングや、バランスキューブの上で身体の姿 はヨガもあります。いろいろなプログラムを同時に楽 勢やバランスをチェック。腰痛も解消 しめるのです。スラックラインも TOPICS 『茅ヶ崎ビーチクラブは、 0 ゴルフ場ともコラボを始めました』 http://www.beachclub. フィール湘南ののぼり旗が出来ました。この旗のエリ テニスポールより少し小さいポールでサンドゴルフを アまで楽しめます。お子さんがやりたがって BEACH CLUB REPoRT APR. アは、セラピーのエリアということです。みんなでいろ 楽しみました。いずれはみんなでゴルフコースにもデ いましたが、ママもかなりやりたそうでした いろなセラピーを楽しみましよう ビューしましようね ビーチクラブとは、海岸で様々な活動を ね。そこで、アフタービーチクラブでは、ビー チクラブメン ( ー特別の初心者ゴルフプレイ する個人およびグループが一つになって、海 も、ゴルフ場のご協力で実現できるように 岸のコミュニティを形成する国土交通省の 社会実験プロジェクトです。この活動を通じ 準備をはじめています。ゴルフ場は元々広 て皆さんの海岸がもっと利用しやすい海岸 域避難所としてのスペースですから、ゴルフ になればと思います。 場クラブハウスへの津波避難訓練も行う予 事務局長ドジ井坂 定です。そしてこの日、試験的にゴルフコー スのカート道の新しい活用として、ひらっか インタスタイルでのビーチクラブ展示ブー ビーチクラブでもお馴染みのスケートボード スも、ボランティアスタッフみなさまのおか にバドルスティックを持って滑走するグラン げて、無事に終わることができました。あ ド SUP のテスト走行をさせていただきまし りがとうこざいました。新潟の聖籠町と沖 た。写真をご覧いただければわかるように、 縄のショップの方が交流を始められるように これがなんとも気持ちが良いのです。いず れ有料のグランド SUP クルージングッアー これからもお手伝いしていきます。日本全 国の海に遊びのネットワークを作っていきま を企画したいですね。神奈川県のフィール 湘南のビーチセラピー体験プログラムも毎 しよう。日差しも強くなり舂間近ですね。 2 月の茅ヶ崎ビーチクラブの活動には新たに 回 20 名以上の参加者で大盛況です。ヨガを ゴルフ場とのコラボが始まりました。ビーチ 楽しみ、フィジカルセンストレーニングでサ ンドセラピーウォーキングで腰痛や肩こりも では小さなテニスポールといった柔らかい ボールのサンドゴルフが活動プログラムに加 改善されます。ビーチクラブは参加無料で わりました。サンドゴルフは子どもからシニ す。遊びに来て下さい ! vo し 148 FROM ビーチクラプ全国ネットワーク・・、ジ井坂 ・ビーチクラブ体験プログラム認定制度について 1 年中海で遊べる子供たち、そして大人たちが全国共通のルールやマニュアルで安全に楽しめる仕組みづ くりを目指しています。子供たち、そして / ヾパやママをはじめ一般スタッフ、ビーチクラブ活動の主旨に賛同 いただいている各種目の専門家たちが、それぞれの技量に合わせた参加体験記録、運営活動履歴をデータ 化する認定制度社会実験をスタートさせています。子供がいろいろな種目に参加し、海を体験した履歴や 子供たちが練習して上達した種目など、将来デモンストレーターとなるための認定をしていきます。他の子 供たちのサポートができる大きな子供たちには、用具を提供する仕組みも検討中です。 ・各ビーチクラブの定例活動のスケジュール ( 各 BC 共通です ) 8 : 30 スタッフ集合会場設営 9 : 30 一般参加者受付 ( 参加無料 ) 子供用ウェットスーツは無料貸し出し 10 : 00 開会式記念撮影ビーチコーミング 10 : 20 ビーチコーミングで集めた漂流物の解説 10 : 30 体験プログラム開始 主な体験種目 : サーフィン、ウインドサーフィン、シーカヤック、カヌー、ヨット、スポーッカイト、 ビーチバレー、ビーチフットボール、ビーチバスケット、フラダンス、べリーダンス、ビーチマッサージ、 クラゲ観察、ヨーガ、紙飛行機飛ばし、ダッジオーブンなど他にもいろいろ。 ※ ( それぞれの季節、それぞれのコンディションによって実施するプログラムは変わります ) 例えば波が荒い日はビーチで遊びます。風があれば風のスポーツを、暖かい日には海に入って遊び、寒い日 は砂浜で遊びます。雨天荒天の場合はミーティングを行い、みなさんの意見を聞いて運営に活かすようにし ています。 11 : 30 ビーサン飛ばし選手権 ( 全員参加で楽しみます ) 12 : 30 表彰式終了撤収 ・各地のビーチクラブの活動海岸およびスケジュールは http : ″ www.beachclub.jp 定例活動は毎月、曜日が決まっています。第 1 土曜日は逗子海岸、第 2 土曜日はひらっかビーチバー ク、伊東オレンジビーチ、第 2 日曜日は鴨川の千葉未来高校前、第 3 土曜日は新江ノ島水族館前、第 3 日曜日は東京羽田沖ビーチへ船で行って定例活動を行っています。いずれも 9 : 30 海岸に集合 です ( 終了予定 12 . 30)0 参加無料。子供から大人まで、用具およびウェットスーツのレンタルは無料です。 ・問い合わせビーチクラプ全国ネットワーク Tel: 0467-84-4733 Fax: 0467-88-5327 http://www.beachclub.jp E-mail: info@beachclub.jp ゆるやかなゴルフコースのカート道は、絶好のグラン 登り坂はスティックでバドルしてグリーンの横を通り ドサップのスラロームコースなのです。万が一の転倒 抜け、次のホールへとカート道を進みます。コースマー は芝生を痛めないようにランディング シャルの指示に従って行動します ドゾ井事の ご毎遊霍。学校 . BEACH N00 0 海と風と砂浜と波で遊ふための参考書 サーファーのお父さんお母さんへのメッセージ 海を知らない親子が増えています。大人になってサーフィンを始めた方の多くは、 大人の目線でしか海を見ていません。子供たちが海で遊ぶのはサーフィンだけではないのです。 海には風と波と流れ動く海があるのです。子供の目線で海と接し、子供と一緒に楽しんであげてください。 ドジ井坂の海岸コミュニテイ「ビーチクラブ」の活動経験から生まれた、 サーファーが親子で海遊びをするためのノウハウがいつばい詰まった 1 冊です。 【上記商品のご購入方法】の書店、プロショップにてご購入できます。・以下の 0 、・、・、・いずれの方法でもご注文できます。 0 インターネット http://www.mpcy.co.jp/ 0 電話でのご注文谷 03-6712-1412 ( 平日 10 : 00 ~ 17 : 00 ) ・ FAX でのご注文 FAX 03-6712-1420 ( 24 時間受付 ) 0 、 0 、・、とも宅急便にて全国発送いたします。商品 配達時に本と引き換えに代金をお支払いください。送料は、ご注文の合計金額が 1 , 500 円以上の場合は 200 円、 1 , 500 円未満の場合は 500 円となります。 0 、 0 、・に関するお 問い合わせ ( 株 ) マリン企画・販売部谷 03-6712-1412 〒 140-0011 東京都品川区東大井 5-12-10 大井朝陽ビル IF http://www.mpcy.co.jp/ hanbai@mpcy.co.jp ・現金書留・郵便振替・クレジットカードによるご注文 ( 株 ) エムエージー ( クラブマリン・ 047-332-7663 ) へお問い合わせください。 子供は 1 年中海で 遊びたい のです。 海遊びの学校 絶賛発売中 本体価格 952 円 ( 十税 ) 0 海へ行きませんか。 一年中子供たちと海で遊びましよう ! 072
MEET THE G 旧 LS 海辺で出会った女の子大浜についてひとこと 「最高です ! 犬の散歩にも、 ももみちゃん「海がサイコー ) トリコです」 このみさん「波が良くて仲間がいて、かけがえないです」のあちゃん「自慢できる私の大好きなところ 子育てにも、サーフィンにも」 かなさん「大浜が好きすぎて移住します ! 「変わらないみんながいて、 「大浜で食べるプレートランチが サンディさん あゆみちゃん 海に入って温かい気持ちになれます」 最高です ) 」 かずみさん みちこさん「綺麗な伊豆をそのままに」 ひでこさん、 ほみとくん & ことはちゃん時間をありがとう」 「いつも楽しい あやこさん「大好きです切 「すごく綺麗な海です」 りんかちゃん 「本当にのんびりできる場所。 全力でのんびりしに来てください笑」 せなちゃん 127
Adam Bakkedahl ( 上から時計回りに ) 家族の象徴・トラッセルズにて。左から桂、正樹さん、正、恵美子さん / / ヾワーとキレのあるターンが特徴の正 / 「サンクレメンテで 1 番サーフ インしている」と言われるほどの正樹氏 / トップジュニアとして活躍する桂。ローカルで CT サーファーのコロへからアドバイスをもらうこともあるとか 0 N E ー [ L 0 印 日小林正樹一正一桂ー カリフォルニアに暮らすシャパニースファミリー そこで見つけた理想のライフスタイル トラッセルズでサーフィンをしたくて、カリフォルニアに 「桂が 1 歳半ぐらいの時に、桂を覆いかぶせてボディー に子供時代の思い出を訊いてみると、 移り住んだ父・正樹氏。母・恵美子さんと知り合ったのも、 「 7 歳ぐらいの頃、家族でドへニービーチでサーフィンし ボードをしてたこともありましたね。お兄ちゃんと私達 3 た時の事かな。ドへニーは僕がサーフィン始めたところだ やはりカリフォルニアだった。子供たちの正 ( ショウ ) と桂 人が海に入ると、ビーチで置いてけぼりになるのが嫌み ( ケイ ) の兄弟はカリフォルニアで生まれ育ち、共にプロ し、最近ママはあまり海入ってないから、みんなで一緒 たいで、 4 歳ぐらいから圭も 1 人で海に入ってようになっ に海に入ったことは一生忘れないってぐらい楽しかったよ」 サーファー。まさにサーフィンが中心にあるファミリーだ。 て。兄の正が毎週コンペティションに出てたから、桂も 6 「毎朝日の出とともに海に入ってから仕事に行ってま というと、すかさず正樹氏から「ママも近々サーフィン復 歳ぐらいから試合に出てたかな」 す ! 」という正樹氏は、年に一度日本人サーファーの大会 帰するってよ」との言葉。桂は今後 JPSA への出場など 正は普段、サーフボードブランド :. 」 ost " で日本との をトラッセルズで行っており、そこで集まったエントリー費 日本での活動も視野に入れているというから、今後彼を 懸け橋となる仕事をしながら、コンペティションにも出場、 をトラッセルズ州立公園に寄付、次世代にこの環境を残す 目にする機会が増えそうだ。 さらには QS のジャッジまでこなす日々。サーフィンが常 ための活動をしている。それもこれもトラッセルズを愛す トラッセルズで家族と共に理想のライフスタイルを築き に進化していくアメリカで、 " 選手と同じ感覚を持った新し るがゆえのこと。 い世代のジャッジ " として注目されている。そんな兄のこ 上げた正樹さんの今の夢とは ? 「家族みんなトラッセルズが大好きなんです。子供たちも 「今僕 53 歳なんですけど、あと 30 年はトラッセルズで とを「大好きだしリスペクトしてる」という桂は、 1 0 歳で 自然とここで海に入るようになりました」 サーフィンしたいですね。正と桂に子供ができたら、孫も ナショナルチャンピオンとなり、 NSSA やプロジュニアで 母の恵美子さんからはこんなエピソードも。 引き連れて皆で。それが僕の夢かもしれないです」 活躍するなど、プロサーファーとしての成長が著しい。桂 031
Kenji Sahara 1 大原沙莉 1 、 ? 。 0 。れ 0 Sari Ohhara [ プロホティホーダー ] 身体の真下に感し取る大きなエナジーと衝撃を、 推進力へと変えながら日本と世界の先端をひた走る、 トップホティホーダー・大原沙莉。 天性の明るさと類まれな資質に恵まれたアスリートは、 無限の可能性を秘めながら、夢へと突き進む。 Portrait: Tai lnterview & Text: Mitsuto Matsunaga 66 一番大きいのは、小池葵ちゃんみたいになりたいっていう気持ちてした” 世界で活躍するジャパニーズサーファーの話題で盛 ボデイボードを始めたわけでもなかったという。 ほとんど毎日入りました。その時は怖いとか自覚はな り上がった 2015 年。女子ボデイボード界においても、 「海の近くに住んでましたし、小学校に入る時にはお かったんですけど、今思えば恐ろしいことしてたなっ 日本人過去最高のワールドランキング 3 位となる快挙 父さんからサーフィンかボデイボードをやれって言わ て思いますね ( 笑 ) 。小学校 6 年生ぐらいから全日本 が成し遂げられた。大原沙莉。 US オープン優勝を飾っ れてたので、サーフィンは危ないから、じゃあボディ の支部予選や、地元の試合、あと他のポイントに遠征 た大原洋人の姉である。サーフィンとボデイボードと ボードって。だから海に入る環境はあったんです。弟 したりと大会にも出始めました」 いう同じフィールドを共有するスポーツゆえ、日常的 ( 洋人 ) はすぐにサーフィンを始めてましたけど、私 中学生の頃には、さらにコンペへと傾倒していく。 に海でよく見かけていたとしても、昨今の女子ボディ は新しい環境で友達と遊んだりするほうが楽しくて、 「その頃ちょっと考え方も大人になったのかもしれな ボードの世界における躍進を正確にはこ存じなかった いんですけど、ボデイボードと真剣に向き合うように 全然真面目にやってなかったです ( 笑 ) 」 という読者の方もいるかもしれない。 なって、全日本で優勝したい " っていう目標ができ だがその後、沙莉の人生を変える邂逅がある。 男子顔負けの体格を持つ選手がひしめくワールドッ 「小学校 5 年生の時に小池葵さんに出会ったんです。 てきたんです。そのためにはどうしたらいいのか、ど アーの APB で、ひときわ小柄な大原沙莉は、 2015 ういう練習をしたらいいのかということを、具体的に " 私のお店においで " って言ってくれて。そこで自分 年チリで 3 位、田原プロ優勝、ポルトガルで 2 位と好 と年の近いボデイボーダーのお兄ちゃん、お姉ちゃん 考え始めて。葵ちゃんのお店にいるお姉さん達が、日 成績を重ね、最終戦ではもう少しで初の日本人ワール 本の中でもトップクラスだったので、この人達にまず と一緒に海に入るようになりましたね」 ドチャンプ誕生という状況まで持ち込んだ。惜しくも 勝たなきやって思いましたね。両親もサポートしてく 国内ツアーで通算 IO 度のチャンピオン、日本人初 世界ランク 3 位という結果に終わったものの、日本人 れてましたから、毎朝 4 時ぐらいに起きて学校行く前 のバイプラインでの優勝など、日本のボデイボード界 ボデイボーダーが新たなレベルに到達したということ を大きく発展させた立役者である小池葵さん。日本の に海に入って、学校が終わる頃迎えに来てもらってま を証明してみせた。さらに驚くべきは、こうしてワー ボデイボード界のさらなる発展を促すべく、早くから た海に入るっていう生活をしてました」 ルドッアーで成績を残しながらも、同時にこの年国内 なぜそれほど興味のなかったボデイボードに、そこ 若手育成に取り組んでいた葵さんのもとで、沙莉はボ ツアーの JPBA でもグランドチャンピオンを獲得して デイボードの世界へと深く入り込んでいった。 までのめり込むようになったのか。そこには思舂期と いるという点であろう。 「それまでは月 1 、 2 回しか海入ってなかったんですけ いう時期も関係があったのかもしれない。自分に何が 弱冠 20 歳にして、世界と日本でトップボデイボー できるのか、何をやりたいのか、そしてどうなりたい ど、小 5 からは毎日海に入り始めました。さらにその ダーとなった沙莉。生まれは東京だが、小学校に上が のか。誰の心にも訪れ、なかなか答えをだすことので 冬に葵ちゃんが、私をハワイに連れて行きたいってう るときには千葉の一宮へ。父がサーファーで、母はボ きないそんな命題に、沙莉はボデイボードを通して自 ちの親に言ってくれて、初めてハワイに行くっていう デイボーダー、海のそばで育ったサーフファミリーの 機会をもらえたんです。 1 ヶ月程プロの人達や、まわ 分の答えを見つけ出していく。 工リートと傍目には見えてしまうが、実はすんなりと 「技ができるようになって、大きな波に乗れるよう りのお姉さんと一緒に生活しながら、バイプラインで 131
( シークエンス ) リップが強いオフショアで水 飛沫を上げ、荘厳な景色を見せる。バレル を抜ける将平 / ( 左頁左から ) 昼下がりの クリーンなラインナップ / 慧斗のポードが 分厚いリップの餌食となった / ( 右頁左上 から時計周りに ) 父と子の間にはサーファ ー同士の絆も / 波チェックは欠かさない。 海生、慧斗、耕平 / ー際大きなスプレーを 飛ばしていた小鴆海生プロ / 若手のホー プ、熊谷航
GENERATION BEFORE and SINCE CoIumn 家族の伝承が、 サーフィンの未来を拓く ニ世、三世サーファーが誕生することで、サーフィンの技術は驚くほどに進歩し、 サーファーのライフスタイルは豊かに深まっていく。 もしかすると、サーフィンは世代を超えて受け継いでいくものかもしれない。 Text: Eisuke Tomiyama Photo: Kuniyuki Takanami 058 1965 年生まれの僕がサーフィンを始めた 80 年代前 半は、今では考えられないほどのサーフィンブームだっ た。街はサーフブランドの服であふれ、テレビや雑誌 もサーフィン特集。オカサーファーという言葉も生まれ たほど、サーフィンは一歩先を行くファッションであり、 サーフィンが若者文化を覆っていた時代である。一方、 大人たちににとってサーフィンにはアウトローな印象が 根強く、子供がサーフィンを始めたいと言いだしたら、 多くの親は反対し、反対しないまでもいい顔はしなかっ ただろう。サーフィン・イコール・不良というわけだ。 しかし今や、サーフィンは当時とは比べ物にならない ほど市民権を得た。驚くことに、ビーチタウンで生活を 始める一流企業に勤める父親が、自分はサーフィンしな いにもかかわらず、まだ幼い子供に「この子には将来 サーファーになってほしい」なんて言葉をかけたりする 時代が訪れている。サーフィンはもはや不良の遊びで はなくなった。 太陽の下、サーフボードー本で海に漕ぎ出し、波と いう自然の産物とたわむれることから学ぶことは多い。 時にそれは、陸上の社会と関係を築きづらくなる危険 性をはらんではいるけれど、海から学ぶ人生の教訓は 普遍である。大切なのは、それをふまえてどう生きるか。 ジェリー・ロベスも言うように、「海で学んだことを陸の 生活に生かすことがサーファーのゴール」である。 「サーフィンはライフスタイルだ」と言われる。それは もちろん、いい波がやってきた時に海に出られる環境を 築くことがサーフィンを続ける上で重要だという意味だ が、一方で、サーファー的な暮らし方、時間の過こし
早朝にもかかわらす、大浜を愛するみんなが一堂に会した。朝日を受けた笑顔は明 るく大浜の未来を照らしている。美しい海に暮らすサーファーたち SURFING TIME ある日のセッション 毅をを 早朝にもかかわらす、大浜を愛するみんなが 一堂に会した。朝日を受けた笑顔は明るく大 浜の未来を照らしている。美しい海に暮らす ーサーファーたち 1. 大浜のグリーンルームに包まれる進士剛光プロ。流石のスキル 2. 若手代表、進士しゅうやくんの活きの良いバックサイ ド。なんと 2 月にシーガル 3. スウィートボットを心得ている進士ゆきのぶさん 4. メローでマイベース、長い間大浜でサーフィ ンを続ける高橋宏幸さん 5. 林ゆうじさんは三島のショップに属するが浜掃除には積極的に参加。プロ BB の資格を得た 6. 大浜を知り尽くした渋い波乗りを見せる土屋正行さん 7. クラシックなシングルフィンでターンを決める堀之内とおるさん 8. シャープなポードで掘れた波にチャージするのが好きだという森下英之介さん 9. 消防、祭り、地元を盛り上げる河合大祐 さんのカットバック 10. 時間があればとにかく海にいる、地域に根付いたサーファー、池谷光晴さん 124
Mitsuteru Kamio Mitsuteru Kamio Courtesy Of lnaba fa ョを Satoshi Namba/Delta fO 「 ce ( 左上から時計回りに ) 初めて海に浸かったのがハワイの / ヾイプラインだった玲王。今ではそのハワイの波に果敢にチャージする / 日本に帰って来れば父子で波乗りバト ル。それもまた楽しい時間 / 「父は一緒に海に入って絶対負けたとは言わないです」と玲王。確かに負けていないです / 小さな頃の家族写真。仲の良さは変わらない 巨稲葉康宗ー玲王 時にコーチ、時にライバルの父は遠くに居ても常に近くで息子の成長を見守り続ける パソコンで海外の試合のライブを観る康宗氏。海外 玲王は中学 1 年の時に 1 年間オーストラリアに語学留学 選ばれて、一緒にフランスに行ったこと」と口を揃えて言 から電話が掛かってくる。オーストラリアの試合に参戦し をし、中学 2 、 3 年はハワイのウェイド・トコロ氏の元で学 う。道を間違えたり珍道中だったが、初めての海外ニ人 ている玲王からだ。「毎回試合が終わったら 1 時間電話な んだ。「ウェイドが家族のように可愛がってくれて。玲王 旅は心に残る旅となった。 んですよ」と横で奥さんが教えてくれた。玲王はひとり にとってはもうひとつファミリーがあるのが心強いのでは プロサーファーの父が常にアドバイスしてきたことは で海外の試合に行くことも多く、親としては常に心配だろ と思います。ウェイドさんの言うことは心に入っていくよ 「いい波に乗れ」ということ。海に入る前にしつかり海を う。「空港について 1 回電話、ホテルに着いたらメールを うです」と父は言う。そんな父は玲王にとってどんな存 見て、大会だったらポイントが出せる波を見極めろという もらってますね。ひとりで行くことによってすこく勉強に 在なのだろうか ? 日本に帰って来れば一緒に海に入るふた ことだ。いつもふたりで波取りバトルをするのはまさにそ なっていると思うし、ハートも強くなっているのでは」と り。「父とのサーフィンは、いつも戦っているというか。今 こにあるとも言えるだろう。父は言葉だけでなく実践で教 父は語る。母は空港に見送りに行って帰る時は必ず涙を 俺勝ったでしよう ? " とかお互いに言い合っています。波 えているようだ。 する。一方父は、「コーチがいないので俺ができることだ を譲ってくれることはありませんね」。父も「同じグーフィー 康宗氏は玲王へ「自分の気持ちを強くもって頑張って けはしてやりたいんですよ。意見が食い違うこともありま で狙う波も同じなので。父優先ですけどね。でも最近は ほしい」と。毎日父から言われることを「聞いているか すがね」と毎日 2 、 3 回凵 NE でやり取りをしている。それ 玲王がティクオフが早くて取られちゃいます」と、まるで は・・・」と笑う玲王だが、「気づいていないだけで、支えに に対して「毎日いろんなこと言われます。聞いてるかは 兄弟のようなふたりだ。 なっているんですよね。毎日ここまでしてくれて感謝です。 わからないですけどね ( 笑 ) 」と玲王。 そんなふたりの一番の思い出は「キングオプグロムに これを返せるように頑張ります」と決意を新たに進む。 024