のでなく、時期を見て、カのある子どものつけ方を知らない人も増えてきました。 に対してのみ行なっていたのである。 かかり稽古で元に立つ人には、『やり方を 「泣きだした子どもの涙が止まるまで稽分かっている人だけやってください』と 古を続けていました。でも『それを通りす言っています」 ぎると笑顔になるよ』と私はいつも言っ稽古は、分ほど面を着けす、素振り て、土日と続けて稽古をしていたという。る機会も増えてきた。とくに山形県にはていて、子どもたちも我慢ができたのでや足さばきなどの稽古を行ない、面を着 す。そ、ついう厳しさを乗り越えた子どもけてからの基本稽古も分ほど。最後に、 また、遠方の道場に所属し ' かけ持ちツで定期的に行き来をしているとい、つ 通う人もいる。週 1 回や 2 回の稽古でも「他の場所で教えることは自分にとっては、ちょっと当たりが強い相手と対戦し一般の会員が元に立ち、地稽古とかかり 歓迎していることも、遠方からの入門者も勉強になります。雰囲気が全然違うとても対応できたのです。今はほとんど怒稽古を行なう。 「 1 年を 4 期に分け、 3 カ月単位で稽古 ころに行ったときには、ここと同じよ、つ鳴るよ、つなことはしません」 の多さにつながっている 「稽古をいろいろなところでやることはに指導を進めてもいけません。他の場所そうした稽古が減った現在は、すぐに内容を変えています。子どもたちが基礎 に行くと、子どもたちの気質もだいぶ変おじけづいてしまい、試合でも『あと一を身につけるためには 3 カ月か 4 カ月ぐ 歓迎しています。そういう交流はあった わってきたなと思うことはあります」 歩』のところで結果を出しきれないことらいは同じことを繰り返しやらなければ ほ、つかいいと思います」 になっているとい、つ いけません。大事なことは、繰り返し、あ 田原氏は宮崎県えびの市の出身。自衛剣桜会に通う子どもたちも、以前とは 隊に勤めていたときに剣道を本格的に学違う部分はある。かっては、強い子ども「上手に転がすのも、子どもを強くするきないでどうやって続けられるかという ぶことになった。その後 4 年ほど日本武ほどかかり稽古のときに指導者に転がさためには必要です。ただ、そういう稽古ことです」 道館が主催する武道学園に籍を置いて稽れていて、それを見た年少者が そうそう 古をしていたが、この頃錚々たる指導陣「転がされるようになれば自分 から手ほどきを受けたことが、現在の指も強くなれるんだ」と認識し、 導の原点になっているという。近年は、長それを理解した保護者の意識 年の指導経験、また ( 後述する ) 交流会なも変化していったという。「転 どでできた縁などから、遠方で指導をすがす」行為は誰にでもするもみ 田原泰館長 ( たはらやすし ) 昭和年 1 月宮崎県生ま れ。教士七段。 5 歳のころから剣道の手 ほどきを受ける。宮崎県・小林高校卒業 昭和年に自衛隊に入隊。同時に自衛隊 体育学校剣道課程 ( 四期生 ) に入校、故・ 詫摩貞文、作動弘亮に師事。昭和年に 群馬県沼田市に移り住み、年から県立 沼田女子高校剣道部を指導。年 4 月、 沼田剣桜会道場を創設する。全日本都道 府県対抗大会、日光剣道大会、全国官公 庁大会等に出場 群馬県沼田市にある道場。いかにも寒そうな感じだか・ 冬場になれば氷点下まで冷え込む沼田市だが、道場内は空調が利き、まったく寒さ を感じない。通気性が良い立地にあるため、夏場も比較的快適だとし、う 705 剣道日本 2016.04
上野少年リ 後上野少 / 上野少 後上、 ひき面の残心 ひき小手の残心 打突の反動を利用して、自然なかたちで竹刀を胸元に引き寄せる。手の内 の締めを活かせば両手親指は自然と相手方向へと向く。これがいざ相手 が反撃してきた際への備えとなる 打突後、し、ち早く竹刀を斜め 45 度の角度へと持っていく。これは面の振り かぶりの角度と同じである ひき技は ク残心で決める 私自身がひき技でもっとも重視していす。剣道の技には横から打っ技は存在せ るのは残心です。ひき面、ひき小手、ひす、すべて上から下へと切り下ろすもの き胴とありますが、これらすべての技にでなければいけません。刃筋と残、いとは はそれぞれの残心があり、打突してから密接な関係にあり、刃筋正しく打っこと いかにすばやくこの残心を作り、適正なができれば正しい残心が取れますし、も 姿勢になるとともに次の攻撃に備えるかし正しい刃筋を通すことを難しいと感じ が重要なポイントとなります。 ている場合でも、正しい残心を意識すれ 出る技、ひく技問わす、有効打突と認めば正しい刃筋への矯正が期待できます ていただけるのは刃筋の通った技のみで ひき胴の残心 横から竹刀を当てるのではなく、手首をしつかりと返して上から下へと切り下 ろす。ひき小手と同じく、刃筋正しく打っことができていれば両手親指は自 然と相手方向を向く 2016.04 剣道日木 60
筑波大学の剣道場に防音設備が整い、 入ってからは大学内で実施できることに「そこまでの感覚はないですね。自分の 空調機器も入ったのは、竹ノ内佑也が 2 なった。ところが、 2 年時の夏合宿で空なかでは『これは特別』という大会の位 年生を終えようか、という頃からである。調が入るはすが間に合わす、かといって置づけはしていません。どの大会にして 冬の、底冷えを感じるようななかでの寒新たに合宿地を探すには時間がなかった。も、かける思いはいっしょです」 稽古からは解放されたが、その寒さを、下結局、夏は、空調のない学内道場で合宿 世界大会の代表候補に入ったのはい 級生は知らない。「寒稽古では、まず最初が行なわれたそうだ。 つからですか ( 川分全員で走るのですが、そこでもうそんな環境で、竹ノ内佑也は大躍進を「大学 2 年の 4 月からです。高校 3 年と 暑くなって学生は窓を開ける。でもしば遂げた。 大学 1 年の 2 年間は『骨太』 ( 選抜強化訓 らくすると稽古を見ている先生方が『寒 練講習会の講習生 ) に入っていましたが、 いから』と窓を閉める。で、またしばら 史上最年少での全日本選手権優勝、そのときから『 ( 骨太が ) 終わったら上 くすると学生が窓を開ける : 、そんなさらには世界選手権にも大学生として出に上げるから』と言われていました。た 感じです」と竹ノ内は笑った。 場し、しかも団体・個人両部門で活躍しだ、の雰囲気は全然違いまし 毎年夏の合宿は大学を離れた場所で行ました。これはすごいことですが、ご本た。全体でのアップはあるのですが、そ なうのが通例だったが、これも空調が人はどんな感覚ですか れまでに各自で身体をあっためたりして 竹ノ内也 - いこいき、 撮影川村典幸 取材安藤雄一郎 ( 本誌編集長 ) ( たけのうちゅうや ) 平成 5 年 6 月、宮崎県宮崎市生まれ。福岡・福大大濠高校時代にインターハイや玉竜旗大会で優勝。 卒業後、筑波大学へ進む。大学 3 年時に全日本選手権において初出場初優勝 ( 史上最年少での選手権者 ) 。 翌年の世界選手権では団体戦優勝、個人戦 2 位となる。全日本学生優勝大会 2 回優勝
探せなかった二人は思案に暮れたが、ふ「社会人剣道サ 1 クル kent のメインコン風が分け隔てなく受け入れられるのも、 実際、楽しい気分で取り組む剣道は、主 と、どちらからともなく、こんな言葉がセプトは一つです。それは『楽しんで剣道剣道を楽しみたい各人の気分を損ねす、体性にあふれ、「やる気」も湧いてくる 発せられた。 をする ! 』。年齢やプランク、剣道の強さストレスからの解放を促進してくれる 「剣道はこうでなければならない」「こう 「それなら : : : 作っちゃおうか」 での上下関係を一切排除し、参加される 稽古は、切り返しや基本稽古が回り稽すればもっとうまくなる」といったお仕 作るにあたっては、インタ 1 ネットが方が、みな対等に剣道を楽しめる場所で古でひとしきり行なわれ、地稽古は 2 分着せが、必すしも受け手のやる気をうな 大いに活用された。弟の翔太さんが仕事す。年下だから、参加した日が遅いから、刻みで進められていく。突きと逆胴は、事がせないことを、剣道の指導者は知る必 の関係でウエプ集客のスキルがあり、冒剣道歴が浅いからといって他者を見下し前にお互いが了解し合った時以外は禁止要があろう。向上心に目覚めれば、人は 頭で記したとおり、インタ 1 ネットでたり、先輩面するような人たちは kent にとされているのも、「 kent 」らしいル 1 自然と師を求めるのであって、万事、主 ル設定といえる つながるという意味を込めて、『 Kendo はいませんし、私たちが許しません」 体性をもって剣道に取り組むところにこ network 』を略した「 kent 」は生み出さ信念にあふれた力強い言葉は、集まる「たまにやりたい」「適当にやりたい」「好そ、真の人間形成の道が拓けてくる。参 れた。あくまでも自分たちが楽しく剣道人々の中でも、とくに弱者にとって大いきなように稽古したい」「健康維持」「スト 加者たちの声から見えてきた一つは、受 をすることを目的にしたサ 1 クルである。に励みになるものであろう。それぞれのレス発散」「交流の場として」 : : : と、動動的に剣道をやらされることに息苦しさ 2013 年 3 月、「社会人剣道サ 1 クル剣士か、ありのままの自分の剣道を体現機を問わず、気軽に剣道を楽しもうとい を感じ、主体的に剣道ができるところに 楽しさを感じている、ということだ。各 kent 」はいよいよ始動したのだった。 できるのも自由さの一つ。十人十色の剣 うのが、佐藤さんたちの希望だ。 「 kent 」の呼びかけ 当初、佐藤さん兄弟は、フェイスブッ クを通して呼びかけを始めた。ネットを 通した告知など、それほど効果はないだ ろうと思っていたところ、初回の稽古会 に川人の参加者が訪れた。それは、兄弟 二人にとって期待を大きく上回る驚くべ ま き結果であった。 始た 「剣道をしたくても、できないでいる人 たちが、僕らのほかにもいる」 その実感が湧いた。 古 2 「よしつ、本腰を入れてやってみるか ! 」 。正 会と そんな気構えが、一一人に芽生えた。そ古古 を日稽 れから数カ月、「 kent 」の参加者は増え地 古 る一方だった。 日稽 曜本 「同じ気持ちの人が、こんなにいたのだ」土基 る 一一人の感動は、その活動も増強させた。あり 佐藤兄弟が口をそろえて一言う。 0
特集①常勝の理山 し技を出せないわけです。 てもやる気が出ないときもあります。そ 大学の稽古は、基本的には変わった稽ういうときは、地稽古の時間でも気分を 古をせす、同じことの繰り返しです。です高めるために一一本勝負をすることもあり から自分の場合は、自分のなかで条件をます。ときには、道場にずっと立ってい 変えるようにしています。寒稽古や合宿ることもあります。「ダラダラやるのであ のときにはそ、ついうわけにはいきませんればやらないほうかマシ」と気分を切り か、普段の稽古のとき、たまに、どうし替えるようにしています。 得意技を持ち、どの試合も李普段通りを心がけ 鍋山隆弘 剣先が下がったときに下から小手に切りとつでも手を抜かない姿を見て「きっと 上げるべきなのでしようか。そうした動伸びてくる」と予感しました。今まで指 作は、結局は打った側の体勢が崩れてし導者を長く務めていますが、彼はとくに まう。だから良くないと考えています。目立った存在の一人です。彼が大将でな この場合は、「下がった剣先をどうすれく、三将や副将で戦ってポイントを奪っ ば上げさせることができるのかを考えよてくれるのですから、監督としてこれほ う」とアドバイスします。「ダメだ、こうど心強いことはありませんでした。 打ちなさい」という指導でなく、「こ、つい ムは、いい師に巡りあっています。剣 うこともあるのではないか」という微調道を始めた今宿少年剣道部の山内正幸先 整は大事にしているつもりです。 生からは剣道の楽しさ、勝っ楽しさを教 ( 平成年の優勝について ) 決勝戦ではえていただき、学園高校の川上岑志 代表戦になりましたが、「代表戦になっ先生に剣道の厳しさを学び、身体を作っ 実力かあるのに勝てないときもあれば、 たときいちばん力がある選手」というこていただいたという意識があります。筑 カかなくても勝てるときもあります。こ とで ( 当時 2 年生だった ) 竹ノ内を迷わ波大学の佐藤成明先生と香田郡秀先生か の何年かについても、圧勝しているわけ ず送り出しました。彼は学習能力が高く、らは剣道の奥深さを学びました。その年 きんさ でなく僅差の勝負をものにしていった結しています。私の場合は、面を主体に相一度打たれたところをあまり忘れません。代年代でいい方向に導いてくれたことを 果です。ただ、僅差をものにするため何を手にプレッシャ 1 をかけることによって、自分のクセというのはなかなか抜けない ありがたく思っています しなければいけないのか、学生に問いかイ 世の技が利いてくるという持論を持ってものですが、そこを短い期間でクリアす私自身、インターハイで優勝したとき います。それを求めていこうとすれば、 けています。彼らも大学生ですから、私か る能力は高いと感じました。 も、「これでもういい」とい、つ意識はあり ら細々と一言うことはありませんが、結局当然足腰も鍛えていかないといけません。 ただ、彼が全日本選手権で優勝するとません。すぐにク次のことを考えまし ころまでは想像していませんでした。石た。学生になったときは、全日本選手権 は強くなるためには稽古をするしかない学生にもそういう剣道をやってほしいと 隙を生まないようにするためには数をか思っています。 田利也さんや宮崎正裕さんが活躍されてを目指したいという気持ちを持っていま いたときの強さとは違う感じです。彼は、した。次から次に課題ができていた、と けなければいけないでしよう。パワ 1 を学生の技術は日々変わっていまして、 い、つことです。 つけるためにはトレ 1 ニングやかかり稽それまで見られなかった技術が出てくるスピ 1 ドについてはまだトップレベルで 古を工夫しなければいけないということことがあります。それを頭から否定せすはありませんが、身体のキレが身につい 昨年秋の審査で八段に合格させていた です。 認めていくスタンスを持ってはいますが、てくると真のチャンピオンになってくるだきましたが、強い八段の先生を目の前 くのではないかと思います。 ただ、勝ちだしてくると、稽古でク抜そのうえで、どうすれば基本線に近づ に見ていると、「ああなりたいな」という 4 年間で大きく成長したのが、林田匡気持ちになります。 5 歳上、川歳上の八旧 者が目立たなくなります。流す稽古ことができるのかは常に考えています。 をすればラクですが、勝っていれば「し たとえば、中段に構えた相手の手元が平です。竹ノ内と山下真和が飛び抜けた段がいて、そこに行きたいなと。そのた旧 んどくても力がつくんだ」と思って一生浮けば上から小手を切る。横に竹刀を開力を持っていた中、剣道に対する姿勢がめに今から何をしなければいけないのか、本 日 懸命になれるのです。 けば、水平方向に竹刀を操作して小手を非常に良く、研究熱心技の練習一つひつねに自らに問いかけています。 私が学生に稽古をつける際は、「ダメな打ちます。水平までは、戦いのなかでは 「さらに次へ」の意識は自然に培われていた 部分を指摘する」という気持ちで稽古をギリギリのラインだと思いますが、では 監督 3 年で 2 度の
いるところなどを見て、『これがトップ 大学に入ってからの 4 年間、これほ 比較したところ、悪い打ちのほうが動きーーー今後の目標はありますか 選手か』という行動がいろいろとあって。どさまざまな大会に出た選手は他にいな出しが早いことも分かりました。そして、「あと 1 回は全日本選手権で優勝したい のほうが『やってやろう』と いでしよう。そのなかでもっとも悔しい悪いほうは重心がいったん下がってからです。そして、それに向けて 2 回、 3 回 いう空気を感じました。部内戦は、最初試合はありましたか。 打ち出しているのに対し、 いいほうにはと優勝できる選手になりたいと思ってい のうちは勝っても 1 試合か 2 試合程度で、「いちばんというより負けたときは悔しそれがない。そんな結果をまとめました」ます」 『これがトップレベルなんだな』と実感 個人戦で負けるより団体で負けたほ 4 月からは警視庁に入るそうですね。 「選択肢としては教員か警察、と大学 に高校 2 年生ながら福大大濠高校の大将 しました。このなかで勝たないと残れなうが悔しいですね」 いんだなと」 ーー去年の全日本選手権では、勝見洋介入った当初から思っていたのですが、全を務め、玉竜旗大会で優勝を収めた直後、 ーーー今大会の日本代表の中では年少者に選手に負けた後に笑顔が見えましたね。日本選手権を取ったときから、『警察で記者に囲まれた竹ノ内は、こう言った。 「自分はあまりプレッシャ 1 というもの なるわけですが、ある先輩剣士から「生「楽しかったような感じですね、試合がやっていったほうがいいのかな』と考え 意気だ」と言われていました。それは負けたんですけど、勝見先輩との試合はるようになりました。教員になれば稽古を感じたことがないんです」 知っていますか おもしろかったので」 量が落ちるかもしれません。自分の稽古それは今も変わりはないという。どん 「はい、知っています。自分自身も、大学ーーー全日本選手権を取った後、取材も相 の中では下級生が自分に対してそんな感当受けたと思いますし、テレビにも出ま じで接してもらっています。 ( 厳しい上下したね。 もありましたし、ラジオも 関係が ) イヤなので。もちろん、ちゃんと「はい。 一 ~ ナレ fJ やるべきことはやっているうえで、そ、つ 2 つほど出ました。取材は、慣れました」 いろいろなところへ行く機会も増え いう ( 厳しい上下 ) 関係を作りたくない。 ある 1 年生の部員は私のことを『ゅうやたのではないですか 楽しか くん』と呼んでいます。宮崎にいた小さ「去年はアメリカにも招待をされまして、 い頃から知っていて、家族ぐるみでの付西海岸を 4 カ所ほど回りました」 き合いがあるのです。入学した当初の春 ところで、卒論は何について書いた時間を考えたとき、警察で、やれるとこな大舞台であろうと、そうでなかろうと、 ろまでやっていこ、つかと ただ、やるべきことに傾注する。それが 合宿のときは『先輩』と言っていたのでのでしようか。 すが、『お前が先輩と言ったら気持ち悪い 代後半で全日本を取ったのなら、そなかなかできす苦しむ選手が多くいるな 「専用のカメラを使い、自分の面打ちに のでやめてくれ』と言いました ( 笑 ) 」 ついての研究をしました。『標準動作モこで引退できることもあるかもしれませか、竹ノ内はそれをやってのけてきた。 その背景にあるのはク等身大クのスタ その世界大会ですが、団体戦では先デル』というものを先輩に作ってもらつん。でも、これから川年少しは現役として 鋒として戦いました。先鋒の経験はほとていまして、それと自分の面打ちとの違やらなければいけない身だと思っていまンスにある。自分の打突のスピードが超 んどないのではないですか いを調べました。結果ですが、明らかにす。幻歳で全日本を取って、その後に続トップレベルではないことを知っても、竹 かなかったら意味がないので。香田郡秀ノ内はさして驚くことはなかった。そし 「中学生のときはありましたが、久しぶ標準動作モデルのほうが動き出しから打 りでした。あまり気にはならなかったで突までが早いんです。つまり、自分の場先生 ( 筑波大学剣道部部長 ) からは『大学て、打突のスピードを上げることより、他 すね。後ろへ行けば行くほど状況判断が合は重心移動から面に打突するまでが遅に残ってほしい』と言われましたが、 ( 日の要素でそれを補おうという意識がある 、 0 あと、自分の感覚の中で『いい面打本代表に ) 入ったからにはさらに上を目背伸びをせすクありのままクの自分で生き 大事になってくる。先鋒の場合は勝って る。それが、彼の何よりの強みである も負けても後ろに 4 人いますので」 ち』『悪い面打ち』を作って、その動作を指していきたいと思いました」 ったんです
年月に開催された第回学どこかの大学の先生の研究にもあるよて竹刀を交える大切な場です。そこで私した。もちろん試合場で行なわれるすべ 連剣友剣道大会は 1 回戦より うですが、学生の試合時間を計測した結が第一に願うのは、剣友である選手同士ての試合を観られたわけではないのです 好試合か続出、盛況のままに終果、つばせり合いに要する時間がそのほとが試合時間いつばいを使って充分に戦えが、全体の試合進行は実にスム 1 ズに感日 了を迎えた。 んどを占めていると聞きました。私自身るような場を作って欲しい、ということ。じましたし、目を向けた各試合場で行な剣 正々堂々を実践する選手たちの戦い の感じるところも、まさにその研究結果そこで審判員の先生方には、 われている試合には本来の剣道の良さが りは毅然とした審判員の尽力あってのもどおり。学生大会のみならす実業団大会 「この大会は年に一度、同じ学連の仲間見られました。 私が感じたとおり、実際に大会は予定 のたか、大会の審判会議の場において、審や全日本選手権大会などの社会人の大会たちが集って正々堂々と戦う場所です。 判長てある戸田忠男範士からつばせり合においても、残念ながら非常に見苦しいっ互いの肚と肚を比べ合う清々しい試合とよりも早めに進行していましたし、会場 いに関するある提言かされたという。試ばぜり合いが見受けられるように感じてするためには、つばぜり合いなどをやつのいたるところから「今日はいい試合が いました。 合内容を向上させた範士の言葉とはいっ ていたのではもったいない。先生方には、多い」という感想の声を耳にすることが たいとういう内容たったのか戸田範士学連剣友大会はその大会名が示すとおつばぜり合いになった場合はすみやかにできました。尽力してくれた審判の先生 本人に話を聞いた。 り、学生時代に切磋琢磨してきた各大学分かれをかける、それでも一一度三度と繰方の話を聞いてみれば「我々はそんなに 出身の剣友たちが年に一度、一堂に会しり返すようであれば毅然とした態度で反やることがなかった。選手たちはみなっ 昨年肥月に東京武道館で開催された第 ばせり合いになると自分たちで分かれて % 回学連剣友剣道大会において、審判長 堂々と試合していた」という意見が聞か の役目を仰せつかりました。大会前の審 れました。その試合ぶりの要因が果たし てどこにあるのかは定かではないですが、 判会議の席で、「審判長、何かあります か ? 」という問いかけを受けた際、つば 試合者自身も真っ向勝負の意識で戦いに 臨んでくれたことが私にとっては大変嬉 ぜり合いについてのお話をさせていただ きました。 しく感じられました。 5 第回学連剣友剣道大会での試みより 5 つばぜり合いには大きな益となる部分 範士八段 則を与える、というように、審判能力をは見当たらす、むしろ日々稽古で培って ・を一。よ きたものを鈍らせるような悪い働きか目 駆使してつばぜり合いの解消に努めてい 慶覯役覇 , 締制会 株取度大 立つように思います。短慮な人、理合を ただきたい」 校 ( 表ニ段 高ン弋をー と、こんな言葉でお願いをしたんです。求め損なう人などは、つばぜり合いを単 宮会卸 今レシ大、 剣 大会の主催である東京学連剣友連合会なるボクシングのクリンチ状態のように 立洋ン権 府東、〈手 の会長を務めているのは高橋亨先生ですとらえがちです。密着状態から相手に打 大後工本 禾ド日た たれないよ、つに技を封じる。そこからま が、高橋会長もつばぜり合いについては れ卒全果 ま を一 問題意識を持っていたようで、「それはぜるで一本を盗みとるようなかたちで狙、つ 年執合 ひやっていただきたい」と応援の声をい ひき技は私の目には実に姑息なものに映 学在で ただき、また審判員の先生方からもご理ります。近年問題視されることの多いク当 おへ社 てつこ主義ク的な剣道の最たる例がここ だ学入い査賞解をいただき大会を実施しました。 だ塾のめ段位 当日私は審判長席から大会を観ていまにあると感じます。 ( 義東務八 2 一田男 剣道の試合を より良きものに 撮影 = 窪田正仁
貴光 大分県の別府大学で剣道部監督を務め 4 年目になる岩本貴光氏は、過去に日田 高校で 2 年、大分舞鶴高校で 4 年、県立 高校の教員として剣道部の指導にあたっ てきた。平成年には日田高校をイン ターハイ男子団体戦で日本一に輝かせた 実績もある。当時の思い出として岩本氏 が語ったのは、「インターハイ県予選の決 勝で、チームの九本の有効打突のうち八 本がひき技だった」という事例ひき技 の強化だけに専念したわけではなく、技 をつなぐ攻めを徹底的に磨いた結果、休 むことのない果敢な姿勢か、つばぜり合 いからの展開を優位にしたことか取材を 通して伝わってきた。 つばぜり合いからのひき技は、一歩間 違えれば相手に追い込まれ、募穴を掘る 可能性もはらんでいる。「だから技を出 すにあたっては、腹を括るような強い気 持ちも必要になる」と岩本氏。その点は、 一足一刀の間での攻防と違いはない。こ だし、「しかけ技や応じ技」と「ひき技」 には、それを習う側にとって違いを感じ ~ 磨くボイント 5 箇条と 実戦的なひき 2 種 ( いわもとたかみつ ) 昭和 46 年 4 月生ま れ。 44 歳・教士七段。 PL 学園高校時 代、インターハイ団体戦で優勝 ( 平成 元年 ) 。筑波大学に進学し、卒業後、 郷里大分で教職に就く。平成 1 1 年よポ り日田高校に赴任し、平成 20 年に同 イ 校をインターハイ男子団体優勝に導い た。翌年から 4 年間、大分舞鶴高校でノ 教鞭を取り、平成 25 年から別府大学 ト に講師として着任。現在、同大剣道部 そ 監督、光明館道場館長を務める。 の 別府大学監督 撮影 = 窪田正イ る部分があるという。間合をとった攻防「とくに高校の頃までは、技の種類を数 多く覚えることも大事なことと思ってい からの技は、跳び込み面、出小手、すり 上け面、面返し胴 : : : と、詳細な解説がます。広く学んだうえで、その後は自分 指導要領にも載っているか、つばぜり合の得意不得意を自覚しながら、自身の剣 いからのひき技は、面、小手、胴 : : : と道を確立していって欲しいですね」 いった説明がなされるのみで、詳しい解 と岩本氏は一言う。氏が指導するつばぜ = = かなされてしなし り合いからの技について、そのポイント その点も踏まえ、岩本氏は、高校、大と技のつかい方を解説願った。 学での指導、また、現在は光明館での子 打突後、つばぜり合いになって時間が費やされるケースは多い。技が多彩なら展開も広がるはずだ どもの指導も行なうに際し、つはぜり合 いからの技についても細かな技術指導を 展開している。自身が Q—J 学園高校時代 に学んだ。足を継がずに打っ面。なども「」 並行して伝えつつ、現代剣道の試合にお ける「有効打突」を取る方法を、つばぜり 合いからのひき技においても等しく説明 一一をほどこしているのである 一方がしかけ技を出し、一方が応じ技中高生から全日本選手権まで、さまざま を出したとします。両者の技が有効打突な試合を観ても、一一の太刀、三の太刀と にならず、正面衝突したところからどう技をつなげられる選手には、勝負強さが 展開するかは、勝負を左右する大事な場感じられます。 面といえます。そのままつばぜり合し。 、こ試合が始まれば、審判が「やめ」をか なることも多いですが、多いということけるまでは勝負の時間が継続しています は、そこで気を抜く選手も少なくないとから、本来であれば「技が決まらなかっ いうこと。相手の「虚」が生じる場面をたから」「つばせり合いになったから」と いって、気を抜くことはできません。で 突き、つばぜり合いになった瞬間、ひき 技をくり出すのも有効な打突の機会です。すから私が指導するうえでも、「一本打っ つばせり合いになった直後、 気を抜かずニの太刀でひき技を狙う 2016.04 剣道日木 48
レーニングのほか、坂道ダッシュ、馬跳び など約 2 時間目一杯行なっています。ラ ンニングにしても目標タイムを設定して いて、例えば川秒以上遅れたら私の方で 、つるさく一「ロ、つこともあります。トレ 1 ニ ングにしても、自分の力をク出し切るツこ とを大事にしたいんです。 年齢差を問わず ? もちろんです。昨年、私が監督に就任 する際、キャプテンの古川 ( 耕輔 ) に、も 、つ一年残って欲しいと引き止めました。 彼も肪歳でしたが、真面目な性格でテー ピングだらけになりなから頑張ってくれ、 一時調子を落としながらもべテランらし く秋口になって調子を上げて、最後は大 阪の大将にふさわしい仕上がりを見せて くれました。彼の存在は、選手間の引き 締めや、まとまり感を高める意味でも大 きかったですね。 試合ではメンタル的なものも大きい 大きいですね。本番で力を出し切れる かどうかを左右します。メンタルの強さ は選手選考のポイントにもなりますが、 それ以前に監督としては、普段から選手 たちが持てる力を発揮できるような雰囲 気づくりの必要性に迫られていると感じ ています。本人をその気にさせるために はそれぞれの選手に合った言葉がけも必 要で、発破をかけたり持ち上げたりしな がら、努めてコミュニケ 1 ションをはか るよ、つに意識しています。時代による環 境の変化もありますから、我々指導者も ク先生然クとしているのではなく、普段頑 ⑨基本打ち ⑦一息の切り返し 基本技の追い込み稽古は、大きく面打ち三本 ( 往小さく素早く行なう切り返しは、小刻みに手元を返しな 復 ) 、小さく面打ち三本 ( 往復 ) 、大きく小手面三本 ( 往 がら往復する。昨年、何本できるかを全員が行なったと 復 ) 、小さく小手面三本 ( 往復 ) と続いていく。次いで ころ、平均して五十本近く打てたため、確実に打てる 行なわれたのは、体を入れ替えて進んでいく追い込み 四十本をノルマとして設定。四十一本目の正面打ちを 稽古。 A が面を打ったあと今度は打たせた B が面を打全力で打ち切る ち、再び A が面を打って体当たりからひき面、それを B が追って面・・・・・というくり返しを 3 往復。 その後、ひき胴を交えるバージョンに移行して、同じく 3 往復 張っている彼らのところまで目線を落と幻 して接していく。そのあたりは、もとも 返初伴 ともある大阪特練の伝統的な明るさも踏日 刀互復ッ 襲していければ、と思う部分です。 のな口筋い 優勝の結果は、選手からの信頼の厚 0 -0- 移とた着 さを表わしているようにもうかかえます 横くかて それは分かりませんが、優勝という結 誌 ( ( 》し八てもと さ ) し手古果が出たことで、彼らも自信を深めたと 思うし、厳しい稽古の意味を少しは理解 切めえ 昔 ( て痛鍛 してくれたかも知れません。もちろん、 本ずせをを 月わ節幹 を第 : ⑥ 3 合関体 私の力だけでなく、主席師範の船津 ( 普 治 ) 先生を始め、コ 1 チ陣をはじめとす る師範の先生方の指導も、大いに地カ強 化につなかったと思います。ただ、先日 選手たちにはク懸かる稽古ツができてい ないとい、つ点を注意しました。先生に懸 かる稽古では、本来、互いに合気になっ たときの気の勉強もして欲しいのですが、 指導稽古でも、当ててやろう、引っ掛け て打ってやろうという気持ちの特練生が まだいるんです。「地カを練る」というの は、ごまかしの利かない真の強さを求め ることですから、その意味を一人ひとり が考えてくれれば、より一層、全体の底 上げが実現するように思っています。 ーーー全国大会では、今年は連覇がかかり ますか 去年と同じことをすれば勝てるとは まったく思っていません。追われる身と なれば、 3 倍ぐらい稽古する必要もある 稽古のマンネリ化は一番嫌いですから、 いろいろ考えながら、もう 1 年頑張って いきたいと思います。 ⑧水分補給 一息の切り返しを終えて、全員面を外して水を 入れる。疲労困憊の色がうかがえるが、追い込 み稽古はまだハーフタイム
の 1 回は私自身が選手として出場してい叶ったという喜びを感じましたが、連覇 ます。 カかかった昨年は 2 位に終わっています。 私は岸村先生からバトンタッチされるそういう意味では、全国大会の決勝で勝 ようなかたちで潮田中の指導者にななっ っ喜びと負ける悔しさと、その両方を味 たのですが、教員になる以前から指導者わうことができました。その上で感じる として目標としていたのは「日本一になのは、優勝と 2 位との差は大きいという ること」のみ。赴任するなり、自分なりこと。勝ちは選手の手柄、敗けは監督の に考えた新しい稽古方法を導入しました。責任ですから、今はやはり生徒に申し訳 中学校生活はわずかに 3 年間しかなく、 ないという気持ちが大きいですね。 毎年入学してくる生徒がおり同じ人間は 潮田中の指導法 人としていません。その状況にあって その根幹にあるものは る広支従来のオ 1 ソドックスな練習方法で鍛え 映あを るとなると、もしかしたら全国大会出場私の指導法のべ 1 スとなるのはやはり 端 cn 道 右 0 剣 というレベルの結果は残せるのかもしれ自分自身が教わってきたことが中心とな 真校が 写同フ ませんが、やはり目標が日本一となればります。とくに大学での経験の影響が強 かタ 立ロこス 道つのこれは容易なことではない。限られた時 く、日体大では選手としての勉強はもち 剣だ人 中在間の中で生徒のさらなる成長を求めようろんのこと、指導者としての勉強もさせ 丿み旧とすれば、指導者自身がどれだけレベルていただきました。自分が疑問に思った / 動取をアップしていく気概を持っているかとい ことを先生に投げかければ、必す求めて いた回答が得られるとい、つとても恵まれ で問監う部分が大切だと感じたからです。 ( 副大赴任して 3 年間は男子団体戦での全中た環境にあったんです。 員」 部出場は叶わず、 4 年目にして初めて出場その後、教員となって以降は遠征先で 全まて の窈め権をつかみました。そこからは 5 年連続全国各地の監督の方々と接する機会をい 人る務 3 映を ただき、その先生方からは非常に多くの 1 にチで全中への出場を果たしていますが、初 出場時の兵庫開催の大会では予選リ 1 グ影響を受けて現在の指導方法を確立しま した。 4 浪轣敗退、その翌年の埼玉全中でも予選リ 1 子歩裕グ敗退。その次の静岡全中でやっと予選潮田中の練習方法は従来の剣道の稽古 男本 宮リ 1 グを突破してベスト 8 進出。そしてではあまり見られない形式だと思います。 めつる 含持す も務一昨年、ついに日本一を達成し、昨年は他校の先生、生徒さんがうちの練習を見 年腕こ 2 位という結果に終わりました。その間ると必す驚いて帰っていくほどで、どこ本 の榔 け段学 には女子団体も 2 回全中へと出場してい か型破りな部分があるのかもしれません。道 弘士旺ます。 指導者それぞれいろいろな考え方があ は教潮 会道を 大剣す 一昨年果たした優勝にはやっと夢がるとは思うのですが、私は子どもたちに芻