決勝戦 - みる会図書館


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1. 剣道日本 2016年4月号

特集①常勝の理山 大学に進学したいと思うし、親にも「行年の大阪教育大学で、 3 人でした。 4 人 かせたい」という気持ちはあるでしよう。以上起用している大学はありません。こ それから、いい選手が進学する大学につ こから言えることは、核となる 4 年生と、 いていきたいという心理もあります。今「大学最後の試合だ」というプレッシャ 1 の少ない下級生が何人かいること。そ の子はそ、ついう情報はすごくたくさん持 っているようで、高校進学においてもそして、高校時代に実績を残したことによ れが一つの判断材料になっているようでって自信を持っている選手を起用するこ す。そして、仲間内で励まし合いながら 勝利に向けてがんばるという雰囲気を作 りだす、とい、つことはいえるでしよ、つ。 実は私も、左沢高校 ( 山形 ) にいた荒川 亜希子 ( 現姓・中村 ) さんと一緒の大学に 行こうと思って、日体大へ進んだんです。 その頃は携帯電話がないので、公衆電話 と文通でやりとりをしていたのですが 決勝戦の勝敗について調べたところ、 川回中 7 回で、合計ポイントの高いチー ムが勝っていて、少ないチ 1 ムが勝った のは 3 回です ( 表中の網部分 ) 。ただ、平 成幻・年の 2 回は合計ポイント、ポイ ント保有者ともさほどの差はありません 全チ 1 ムの学年比も調べました。男 子の場合は、 4 年生が選手の多くを占め、 かなりカのある 1 年生や 2 年生がポツリ とそれに加わる感じです。それに対して、 女子の場合は 4 年生があまりいないイメ 1 ジがありました。その差を比較したか ったのです。 結果ですが、全チ 1 ムのうち、 3 ・ 4 年生のみで構成されていたチ 1 ムは 1 チ 1 ムだけです ( 平成年の筑波大学 ) 。ま た、 4 年生が最多だったのが、平成幻年度 の日体大と平成幻年の鹿屋体育大学、 過去 10 年における全日本女子学生優勝大会の決勝戦進出大学とポイント結果 ポイント 保有者数 2 4 0 4 5 4 5 4 3 5 ポイント 保有者数 合計ポイント 3 8 2 位 東海大 法政大 筑波大 法政大 日本体育大 龍谷大 東海大 筑波大 大阪教育大 筑波大 合計ポイント 優勝 平成 17 年清和大 平成 1 8 年埼玉大 平成 19 年日本体育大 平成 20 年筑波大 平成 21 年筑波大 平成 22 年早稲田大 平成 23 年筑波大 平成 24 年鹿屋体育大 平成 25 年国士舘大 平成 26 年法政大 1 3 4 4 24 24 1 7 27 22 44 平均値は 18.8 ポイント 9 0 8 3 一 1 1 ) 28 1 4 26 平均値は 13.2 ポイント 2 5 3 4 とが、決勝に進むチームのひとつの傾向育学部のある大学は、指導者が学生に寄 り添いながら稽古ができていることか多 といえます つまり、上位に勝ち進むためには、課 本来、剣道においては積み重ねの部分 が重要であるはすです。 4 年生がいちば題を持って先生方にかかっていく稽古を ん経験があって技術も高いはすで、 4 年 4 年間続けることが大きく影響している 生主体のチ 1 ム構成が理想のはずですが、のかなと思います。自分たちでやる稽古 女子の場合はそれができない現状がありは高校レベルの延長線上になってしまい ます。女性ならではの身体的な特徴、体がちです。何を強化すべきかは、自分た 力が落ちていったりすることが一般的にちでは分からない部分もあります。高校 は知られていますので、そのあたりと関まで先生方に稽古をつけてもらって力を 連性があるのかもしれません。これは男伸ばしてきたように、大学でもそれを継 続していくことが大切なのだと思います。 子との大きな差だと思います。 下級生のうちは稽古のつけ方やかかり稽 体育系大学が 古のやり方を指導者から習い、上級生に 圧倒的な実績 なったときに後輩に稽古をつけることを 全日本女子学生優勝大会は、平成年並行する、というのがベストなのではな で芻回大会を数えました。決勝戦に進出いでしようか 全日本女子選手権では、代の警察官 したのべ大学について調べたところ、 最も多く優勝と 2 位を記録しているのはが多く入賞をしていますが、全日本女子 筑波大学 ( 優勝 8 回、 2 位 8 回 ) で、 2 番選手権に出てくる警察官の選手は、普段 目は鹿屋体育大学 ( 優勝 8 回、 2 位 3 回 ) は少人数の環境下で稽古をつけてもらっ です。以下、国士舘大学、中京大学、日ているので、カが伸びるのではないかと 本体育大学、東海大学、法政大学、大阪思います。 ただ、今は大学における推薦制度の幅 体育大学と続きます。そして、のうち 浦大学、約新 % が体育学部 ( 筑波大学は体が広がってきています。その結果として、 育専門学群 ) を有する大学でした。つま先ほど上げた大学でも近年では入賞回数 り、体育学部がない大学はわずか % しが少ない大学もあります。また、 1 回し か決勝に進んでいないのです。この結果か決勝に進出していない大学もたくさん ありますので、これから先の川年でもか は驚きでした。 一般的な大学ですと、週の半分は学生なり傾向が変わるかもしれません だけで稽古をし、監督を含めたの先このデ 1 タから見ると、高校時代に実道 生が週 1 ・ 2 回ほど来られるケ 1 スがほ績のない選手がそろう大学が勝つのは難 とんどだと思います。それに対して、体しい、ということが言えると思います。

2. 剣道日本 2016年4月号

嵂田洋一は、平成元年から八代白百合収めた」という思いがよぎるか対す 学園高校に勤務し、以来年以上に渡るる相手大将・興梠舞にまさかの一一本を奪 監督生活を通じて幾度もの優勝を積み重い返され、出場権を逃したのである ねてきたが、平成年秋からの 1 年間は衝撃はさらに続く。 7 月の九州大会で とくに印象深い年になっている も両校は決勝戦で対決し、やはり大将戦 八代白百合は平成 8 年に全国高校選を失って逆転負けを喫する。九州大会の 抜大会に初出場初優勝を果たしたが、当最終日は 7 月日この 3 日後には玉竜 時から押しも押されぬ名門校となってい旗大会が始まることになっていた。 たのが、同じ熊本県内にあった阿蘇高校「試合で負けた選手たちが萎縮していま ( 現・阿蘇中央高校 ) で、八代白百合にした。これではいけないと思い、『今回は九 とってはつねに超えなければいけない大州の大会。玉竜旗は全国レベルの大会な きな壁であった。 のだから』と選手に言って、自分自身も負 全国選抜大会制覇から 2 年半が経過しけをひきずらないように心がけました」 た平成年材月、春の九州大会の県予選玉竜旗大会。高見は副将に置き、粘り 決勝で両校は対決し、ここは阿蘇が勝利強い戦いを持ち味とする遠山恵を大将に を収める。その 2 カ月後に行なわれた全据える布陣で、八代白百合は戦った。準々 国選抜大会の県予選決勝では八代白百合決勝と準決勝は大将同士の戦いまでもっ か雪辱を果たす。 3 月の九州大会では準れたものの、遠山が勝利を収めた。迎え 決勝で両雄がぶつかり、高見佳予子が大た決勝戦。待ち構えていたのは、またも 将戦でニ本勝ちを収めるなどして阿蘇に阿蘇である 玉竜旗大会 4 連覇を 勝利し、そのまま優勝を果たした。さら には、全国選抜大会においても、 3 年ぶ目指す相手に対し、八 りとなる日本一に輝いている 代白百合は先鋒の田端 「春まではうちがトップレベルにいる、薫が 2 勝を挙げてリー という意識はありましたが、それか逆に ドを奪い、中堅で上段の 高畠志穂が大将の興梠 重圧になっていたのかもしれません」 を引き出す。しかし興 と、当時のことを澤田は振り返る 5 月に行なわれたインターハイの県予梠には敗れ、副将・高見 選。優勝を決める最終試合で、八代白百が登場した。釋田は「思 合は 1 ( 2 ) 1 ( 1 ) と阿蘇からリードい切り行け。一本を取っ を奪う。さらに、大将戦で高見が一本をても最後まで攻めろ」 奪うと、釋田の脳裏に「出場権は手中にと高見に声をかけた。 澤田洋一 試合は、高見が小手で先手を奪うも興 梠がすかさず小手を奪い返す。激闘は延 長にもつれた。ここで興梠が面に跳ぶと、 高見は胴に変化。興梠はとっさに手元を 下げたが、高見はわずかに空いていた隙 間に竹刀を打ち込むと、 = 一本の旗が上が り、八代白百合が玉竜旗大会初制覇を成 し遂けた。 その後のインターハイで阿蘇は団体優 、不同勝。そして、八代白百合と阿蘇の混合チー のムで臨んだ国体では、 5 ー O のスコアを を身連発して優勝を飾った。 「この年の玉竜旗以降、監督は、いかに さ渾 選手の力を出し切らせることが大切かを 悔し感じるようになりました。そして、イン ターハイか終わった後に高見が『うちは の成 選抜と玉竜旗で 2 勝、向こうは 1 勝。だ からうちの勝ちですね』と言ったことも 力、 ( 文中敬称略 ) よく覚えています」 ま冠 さわだよういち昭和 34 年 10 月熊本県八代市に生まれる。 八代高校から中央大学に進む。卒業後、熊本県庁に勤務 283 67 剣道日本 2016.04

3. 剣道日本 2016年4月号

小学生低学年の部 小学生高学年の部 中学生の部 団体戦 全国選抜国体強化第回久枝剣道大会 団体戦は全部門初優勝 ツい・◆寺幸 れい気主丘ハい 優勝・小曽根剣友会 ( 大阪 ) 優勝・剣愛会 ( 山口 ) 優勝・小曽根剣友会 ( 大阪 ) 2 位・京都太秦少年剣道部 ( 京都 ) 2 位・和光剣心塾 ( 山口 ) 2 位・福岡十生館 ( 福岡 ) 3 位・東別院洗心道場 ( 愛知 ) 3 位・光龍舘 ( 香川 ) 3 位・久枝剣道会 ( 愛媛 ) 会 新春を飾る回目の久枝剣道大会が、小学数勝ちを収めた小曽根剣友会と、和歌山砂山 生低学年と高学年、中学生の団体戦と個人戦少年剣友会に完封勝利した昨年夏の全国道場 の 6 部門に分かれ、愛媛県武道館において盛少年剣道大会準優勝の福岡十生館との対戦に 娜大に開催された。開会式では、まず前回の入なった。小曽根剣友会は、先鋒戦の一本勝ちの 賞者を先頭に各剣道会の代表者による入場行 リードを保ち最後は大将が締めて初優勝、大 随進を行ない、君が代斉唱の後大会長である白阪勢としては 8 年ぶりの優勝であった。 石武平太先生の挨拶と来賓祝辞、そして、久個人戦小学生低学年の部では、決勝戦にお 南枝剣道会主将の後藤羽海さんによるさわやか いて技の切れ目にメンを決めた小曽根剣友会 位 な選手宣誓が行なわれた。参加者は、東は静の門田理佳選手 ( 団体優勝との 2 冠 ) 、高学年 岡県から南は九州宮崎県まで、全国府県のの部でも同門の門田功成選手、中学生の部で は延長において見事なメン返しドウを決めた 10 5 団体、 10 7 8 名であった。 団体戦小学生低学年の部では、東別院洗心愛媛選抜 < の片岡遙人選手がそれぞれ優勝を 道場 ( 愛知 ) に先鋒戦は落としたが中盤で逆飾った。 今回の大会は、団体戦 3 部門すべてが初優 阪転して勝利した小曽根剣友会 ( 大阪 ) と、南宇 会和剣道会 ( 愛媛 ) に代表戦で勝利した京都太勝であり、そして 6 部門中 4 部門を制した小 曽根剣友会の活躍が目立った。その中で、個 剣秦少年剣道部が決勝に進出した。決勝戦は一 曽根剣友会が初優勝を人戦低・高学年の門田選手は大会初の兄妹同 少方的な展開になり、 守飾った。京都太秦少年剣道部は 2 年連続の準時優勝であった。小学生低学年から中学生ま 位優勝、 4 連覇を狙った福岡如水館は 3 回戦でで、しつかりとした基本を軸に出頭技や返し 3 敗退した。小学生高学年の部では準決勝第一技、ひき技等多彩な技を駆使して試合が組み 試合、剣愛会 ( 山口 ) が光龍舘 ( 香川 ) に対し立てられており、接戦や代表戦の試合が多く リードで大将戦になり、先に一見られた。また、来年に迫った愛媛国体の強 て一勝 ( 一本 ) 山本取られたが取り返して勝利した。もう一試化策が実りつつあり、愛媛勢の活躍も見られ 合は、守口少年剣友会 ( 大阪 ) に対して、大将た。開会式の祝辞でもあった「愛媛国体、愛 媛県武道館で会いましよう」という言葉か印 友戦で取り返して代表戦に持ち込み勝利した和 年光剣心塾 ( 山口 ) が決勝に進出した。大会初象に残った。この愛媛県武道館は、愛媛県の 此の山口県勢同士の決勝戦になり、先鋒勝利の武道振興のために整備された建物で、県内産 砂 山 リードを守り切った剣愛会が初優勝を飾った。の木材や菊間瓦、大島石、砥部焼、絹製品な 歌 中学生の部では、地元の大声援を受ける久枝どがふんだんに用いられており、愛媛らしさ 位剣道会 ( 愛媛 ) に対して、一勝三本 ) リードあふれる施設となっている。そして、四つの で大将戦を迎え、一本を失うも時間切れで本「き」 : : : ①機能性 ( 世界初の「浮上式柔道床 平成年 1 月 3 日 ( 日 ) 愛媛県武道館 主催◆久枝剣道会・久枝公民館・城北剣道会 文・写真提供◆乗松治 ( 久枝剣道会 ) 2 0 16.04 剣道日木 738

4. 剣道日本 2016年4月号

合同で稽古を行なった。日本の夏は、 アメリカのそれとはかなり気候が違う。 初めて日本の夏を経験する者もいた が、日本の厳しい夏の稽古を、なんと か全員が気力で乗り切った。 10 月、再びアメリカチームは日本を訪 問。ますは筑波大学に移動し、 2 日間 学生らと稽古を行なった。時差ポケは 残っていたが、かまわず稽古をするこ とで時差ポケを解消することに努めた。 2014 年、ヨーロッパ大会を観戦するためフランスを訪れた。イタリアのチームメイトらとともに 翌 10 月 15 日、東京へ移動した。目 的は、日本代表候補との合同合宿で ャング兄弟だけが行っていたが、この 韓国人から勝利をあげたことが、彼に ある。これは全米剣道連盟にとって 年の大会には、ナショナルチームの候 自信をつけさせていた。 3 位にはサイ 画期的なできごとであった。 補選手全員でフランスを訪問し、大会 モン・ユウ、ダニエル・ヤングが入った。 合宿は 4 日間に渡る。日本のトップ を見ることにした。 団体戦では、ヤングが所属する南カ レベルの稽古についていくことは、 1 ただ見に行っただけではない。全 リフォルニア剣道連盟 ( SCKF ) が、 日だけでも並大抵のことではない。し 員が防具を持参し、前回大会ではア 決勝戦では 3 ー 2 のスコアで優勝。大 かし、ヤングは、チームメイトに向かい、 メリカと代表戦までもつれ込んだイタリ 将戦のすえ、大将のヤングが一本勝 「試合や技術面では負けるかもしれな ア、そして団体戦で 3 位に入賞したハ ちを収めて竸り勝っている。 SCKF いが、ハートで負けたら日本まで行く ンガリーと練習試合もおこなっている。 のメンバーは、 5 人全員がナショナル 意味がない。同じ床に立ちたい、日 他のチームが見てないものを見、経験 チームの候補で占められていた。 本チームと一緒に稽古したいというこ この年の夏、代表候補選手が筑波 していないことを経験することによっ とを、気合で示すんだ」 て少しでもアドバンテージを得ることが 大学を訪れ、大学部員たちと数日間 ( 文中敬称略 ) と言った。 できる、とヤングは思った。世界大会 で優勝するためには、ヨーロッパの強 豪を倒さないといけない。ヨーロッパ のチームを研究して対策を練るのも世 界大会の一つと考えていた。 2014 年 6 月 26 日 ~ 29 日、サンディエ ゴにおいて第 13 回全米剣道大会が開 かれた。個人戦では、ヤングと同年代 であるプランドン・ハラダが初優勝を 果たした。決勝戦では出ばな面と相 手の場外反則 2 回による二本勝ちを 2013 年 8 月、福大大濠高校での稽古を終えた後、 収めている。イタリアでの世界大会で 黒木貞光監督とともに ( 2 1 本 2014 年の全米大会。団体戦決勝の大将戦に臨む ャング。相手は、タロウ・アリガ ~ し / 里イ朝 イ、イ当イ 告日本気す - 建盟 0 9 長年の夢であった日本での合同合宿が実現した 2016.04 剣道日木 708

5. 剣道日本 2016年4月号

そこで取りにいけた。あれがあの試合の試合ごとに違う一言葉を投げかけて、気持 すべてだったと思いますし、相原の成長ちを起こして持って行きました。 を示していたと思います やはり日本一を目指す以上は、イン 副将の青山 ( 望美・ 2 年 ) もそこで粘っターハイ決勝の『センターコート』の雰 インターハイ決勝は、 1 ー 0 で桐蔭学した。同点、または劣勢だから、なおさてよく引き分けました。青山が引き分け囲気の中で力が出せるようにしなければ ら自分か取られることが絶対あってはい 園 ( 神奈川 ) に勝利。 1 勝をあげたのは た時点で、申し訳ないけど、あの日の佐ならないんです。そうでないと、 2 位ま ではいけても優勝はできません。全国大 中堅の相原選手だった。準決勝までの 3 と考えるのです。私としてはそ藤からはどんな選手でも一一本は取れない 試合はすべて代表戦にもつれ、大将の佐ういうときこそ勝負してほしいんですか、と思いました。桐蔭学園さんとしては先会のセンターコートになれば、やはり人 藤選手がすべて制するという接戦の連続。玉竜旗まではそれができなかったんです。鋒次鋒で取りたかったと思うので、流れ間は緊張します。そして緊張すると消極 相原選手は佐藤選手の働きに応えるよ、つ その結果を踏まえて、そこで行かなけをこっちに引き寄せなから先鋒 ( 安東侑的になります。だから普段の実生活や練 に、準々決勝、準決勝でもチ 1 ムとしてればダメなんだというスイッチを入れる花・ 2 年 ) 、次鋒 ( 小林桃香・ 2 年 ) か引き習でも、全国大会のセンターコートを意 最初の勝利をあげ、決勝のここ一番では、 ことができたのかインターハイでした。分けたというのも、こちらの作戦通りで識させてやらせています。本番で実力を 発揮するのはプロのスポーツ選手だって 先鋒、次鋒とも引き分けで迎えた場面でインターハイでは相原が全部勝負しましはありました。 一一本を奪って、試合の流れを決定づけた。 た。とくに決勝戦の一一本目のところ、あ佐藤が連続して代表戦を戦ったときも、難しいわけですから」 「今回の陰の >>1 だったのが相原です。 それまでは佐藤がいるため 平成年度インターハイ決勝、中堅・相原選手はメンを先 取したあともニ本目を取りに行き、すぐにコテを決めた に第 2 エースという存在で した。先ほども一言ったよ一つに 佐藤も相原も真面目な子で す。真面目な子というのは責 任感が非常に強いので、ここ 一番になると、失敗しないこ とを先に考えてしまうんで す。責任感が強いから周りに 迷惑をかけないことを考え る。だから大勝負に出られな いんです。 相原もそれまでは 2 ー 0 理で回ってきたりしてスコア の 的に余裕があるときは力を 常出せるのですが、 0—0 と ① か O——で回ってきたとき 特に勝っことはできませんで ここ一番で力を出す 人は自分が思っているよりもできる 平成 4 年に麗澤瑞浪高校に赴任してかスによって逆転できます そして一度できてしまえば、できる側 ら、日本までに年の年月かかかった。 になってしまうのも高校生です。やはり しかし、国体で初めて日本一になってか らはわずか 3 年間のうちに 6 つの日本一自信というか、クそこの人になってし のタイトルを手にしている まうんです。だから、連覇って大変なこ 「もちろん日頃からのプロセスがあって、とだと思うんですが、一度優勝を経験し そういうものか効くんでしようけど、剣てしまうと、連覇するのは不思議なよう 道に限らずどんな競技でも、あるいは受で不思議でないというか : 。平成年 験でもそうでしようが、〈フの子はとくに 1 月の国体で初めて日本一になってから メンタルカというか、一言葉のカで、少し短い間に、 5 年前 1 年前からしたら考え本 ぐらいの差はひっくり返りますよね。大られないような結果を残すことができま道 きな実力差があれば無理ですが、少しぐした。それはたまたまとかまぐれではな 逆に言うと、これまでの取り組みか 2 らいの差はそのときどきのパフォーマンく、

6. 剣道日本 2016年4月号

特集①常勝の理山 にめだとしろう ) 昭和 44 年 4 月熊本市生まれ。九 州学院高校から中央大学に進み、卒業後、九 州学院の教員となる。監督としての主な実績は、 全国高校総体優勝 4 回、全国選抜大会優勝 5 回、玉竜旗大会優勝 7 回、全国中学校大会 優勝 4 回など。選手としても、全日本選手権 ( 3 回 ) 、全日本東西対抗大会 ( 2 回 ) に出場した他、 全国教職員大会優勝 ( 2 回 ) などの実績を持つ。 剣道教士七段 ( わたなべたかつね ) 昭和 35 年 4 月、長崎県島 原市生まれ。島原高校から筑波大学に進み、 卒業後、長崎県高校教員となる。平成元年か ら島原高校に就任し、現在同校教頭。監督と しての主な実績は、全国高校総体優勝 ( 女子 2 回 ) 、玉竜旗大会優勝 ( 男子 1 回、女子 1 回 ) , 魁星旗大会優勝 ( 男子 1 回、女子 3 回 ) など。 剣道教士七段 しかし、そ たいところなのですが : 初のうちは、 5 月の連休中に島原市にあ謝の気持ちを持っています る学校で合宿をしていました。うちは県米田跚年以上前のことになりますが、 ういう姿を見せることも教えになるのか 物事をストレートに 言い合える間柄に 大会で優勝したことが一回もなく、たぶたしかいちばん初めは九州学院の道場になと。ただ。それは若い頃の話です。今 んべスト 4 に入れるかどうかという程度。 3 校が集まって稽古をしたと思います。はムリ、勘弁してください ( 笑 ) 。 己者お二人は相当行き来をして練習試女子に至っては経験者がひとりいればい 「指導者が強くなりなさい」というのがそれからいろんな関係で参加校が 5 校 になり 7 校になり、 9 校になったとき 合等をしていると聞いています。そもそいほうで、たいていは初心者を集めて指亀井先生の教えだったのですが、これが 導をしていました。そんななか、九州学滅茶苦茶きっかった。「切り返しからしだったでしようかそのうち 5 、 6 校が ものきっかけは何なのでしようか 渡邉最初は、米田先生が大学を卒業し院という名門校と練習させていただい なければいけないのか」と。そのうち人その年のインタ 1 ハイに個人か団体のど てすぐ九州学院に入ってからです。当初、 た。高千穂高校の吉本政美先生 ( 故人 ) を数が多くなったので、より広い体育館を、ちらかで初出場を果たしたのです。そし 米田先生は中学生を見ていました。内村はじめ、全国の高名な先生方にお世話にということで島原市にある学校をお借りてそのときは九州学院が出場していない んです。その頃あたりからこの合宿の評 ( 良一 ) くんたちの代を 3 年間見て、平成なっていますが、長い間、行動をともにすることになったのです。 判が広まり、今では校以上が集まる錬 7 年には全国中学校大会で優勝していましていたのは九州学院なんです。今の生 渡邉亀井先生に稽古をお願いすれば、 す。その当時、高校のほうは亀井徹先生徒はそういうことは知りませんが、九州生徒が見ている前で竹刀を飛ばされ、突成会になっています。 が指導をしていました。亀井先生と、瓊学院のおかげでここまで来られたと、感かれる本当は生徒にいいところを見せ亀井先生が指導をしていた当時は年に 何回かの交流でしたが、監督が米田先生 浦高校で指導をしていた岡島正己先生が に代わってからはその数が 1 カ月に 2 回 懇意の間柄で、私と岡島先生も仲がいい とか 3 回になり、平日であっても突然行 ので、「一緒に合宿をしようか」と声をか けていただきました。そのときに米田先 く、ということもあります。今は試合稽 生も来られたということです。だから最 古が中心で、たまに私が米田先生に稽古 をお願いすることはあります。ほとんど が日帰りです。ただ、天下の九州学院に 対して、「〇日に行くぞ」と言っておきな がら、当日になって米田先生から「今日 来るんじゃないのですか」と電話が来て、 「あっ、忘れておった」ということも : 女子については、どこか別の学校を連 れてきてもらうことか多くて、最近は中 ・、、つか旧 村学園さん ( 福岡 ) が多い よく考えてみれば、全国大会の決勝や準 決勝で当たる相手と、練習試合でしよっ木 ちゅう対決していて、そしてどちらも、つ道 ちを踏み台にして優勝しているというこ とですね ( 笑 ) 。

7. 剣道日本 2016年4月号

特集①常勝の理山 し技を出せないわけです。 てもやる気が出ないときもあります。そ 大学の稽古は、基本的には変わった稽ういうときは、地稽古の時間でも気分を 古をせす、同じことの繰り返しです。です高めるために一一本勝負をすることもあり から自分の場合は、自分のなかで条件をます。ときには、道場にずっと立ってい 変えるようにしています。寒稽古や合宿ることもあります。「ダラダラやるのであ のときにはそ、ついうわけにはいきませんればやらないほうかマシ」と気分を切り か、普段の稽古のとき、たまに、どうし替えるようにしています。 得意技を持ち、どの試合も李普段通りを心がけ 鍋山隆弘 剣先が下がったときに下から小手に切りとつでも手を抜かない姿を見て「きっと 上げるべきなのでしようか。そうした動伸びてくる」と予感しました。今まで指 作は、結局は打った側の体勢が崩れてし導者を長く務めていますが、彼はとくに まう。だから良くないと考えています。目立った存在の一人です。彼が大将でな この場合は、「下がった剣先をどうすれく、三将や副将で戦ってポイントを奪っ ば上げさせることができるのかを考えよてくれるのですから、監督としてこれほ う」とアドバイスします。「ダメだ、こうど心強いことはありませんでした。 打ちなさい」という指導でなく、「こ、つい ムは、いい師に巡りあっています。剣 うこともあるのではないか」という微調道を始めた今宿少年剣道部の山内正幸先 整は大事にしているつもりです。 生からは剣道の楽しさ、勝っ楽しさを教 ( 平成年の優勝について ) 決勝戦ではえていただき、学園高校の川上岑志 代表戦になりましたが、「代表戦になっ先生に剣道の厳しさを学び、身体を作っ 実力かあるのに勝てないときもあれば、 たときいちばん力がある選手」というこていただいたという意識があります。筑 カかなくても勝てるときもあります。こ とで ( 当時 2 年生だった ) 竹ノ内を迷わ波大学の佐藤成明先生と香田郡秀先生か の何年かについても、圧勝しているわけ ず送り出しました。彼は学習能力が高く、らは剣道の奥深さを学びました。その年 きんさ でなく僅差の勝負をものにしていった結しています。私の場合は、面を主体に相一度打たれたところをあまり忘れません。代年代でいい方向に導いてくれたことを 果です。ただ、僅差をものにするため何を手にプレッシャ 1 をかけることによって、自分のクセというのはなかなか抜けない ありがたく思っています しなければいけないのか、学生に問いかイ 世の技が利いてくるという持論を持ってものですが、そこを短い期間でクリアす私自身、インターハイで優勝したとき います。それを求めていこうとすれば、 けています。彼らも大学生ですから、私か る能力は高いと感じました。 も、「これでもういい」とい、つ意識はあり ら細々と一言うことはありませんが、結局当然足腰も鍛えていかないといけません。 ただ、彼が全日本選手権で優勝するとません。すぐにク次のことを考えまし ころまでは想像していませんでした。石た。学生になったときは、全日本選手権 は強くなるためには稽古をするしかない学生にもそういう剣道をやってほしいと 隙を生まないようにするためには数をか思っています。 田利也さんや宮崎正裕さんが活躍されてを目指したいという気持ちを持っていま いたときの強さとは違う感じです。彼は、した。次から次に課題ができていた、と けなければいけないでしよう。パワ 1 を学生の技術は日々変わっていまして、 い、つことです。 つけるためにはトレ 1 ニングやかかり稽それまで見られなかった技術が出てくるスピ 1 ドについてはまだトップレベルで 古を工夫しなければいけないということことがあります。それを頭から否定せすはありませんが、身体のキレが身につい 昨年秋の審査で八段に合格させていた です。 認めていくスタンスを持ってはいますが、てくると真のチャンピオンになってくるだきましたが、強い八段の先生を目の前 くのではないかと思います。 ただ、勝ちだしてくると、稽古でク抜そのうえで、どうすれば基本線に近づ に見ていると、「ああなりたいな」という 4 年間で大きく成長したのが、林田匡気持ちになります。 5 歳上、川歳上の八旧 者が目立たなくなります。流す稽古ことができるのかは常に考えています。 をすればラクですが、勝っていれば「し たとえば、中段に構えた相手の手元が平です。竹ノ内と山下真和が飛び抜けた段がいて、そこに行きたいなと。そのた旧 んどくても力がつくんだ」と思って一生浮けば上から小手を切る。横に竹刀を開力を持っていた中、剣道に対する姿勢がめに今から何をしなければいけないのか、本 日 懸命になれるのです。 けば、水平方向に竹刀を操作して小手を非常に良く、研究熱心技の練習一つひつねに自らに問いかけています。 私が学生に稽古をつける際は、「ダメな打ちます。水平までは、戦いのなかでは 「さらに次へ」の意識は自然に培われていた 部分を指摘する」という気持ちで稽古をギリギリのラインだと思いますが、では 監督 3 年で 2 度の

8. 剣道日本 2016年4月号

剣日フォーラム 城第芻回茨城新聞社旗争奪全国選抜高校剣道大会 茨水戸葵陵、守谷の茨城勢がアベック優勝を飾る 本大会も今年度で回目の開催を迎え、男しながらも相手の攻めを探り合う慎重な試合めようとしたところに寒川選手がメンを決めいっきたい西口選手 ( 守谷 ) が序盤から攻勢を 子 170 校、女子 134 校が参加して盛大に運びでそのまま引き分けとなったが、次鋒戦て一本勝ち。大将戦を待たずに水戸葵陵高がかけるが、小松選手 ( 東奥義塾 ) も冷静に相手 開催された。男子団体では、水戸葵陵高 ( 茨で試合が動く。ここまで要所でポイントをあ勝利を決めた。勝敗が決したとはいえ大将戦の攻めを捌いて機会をうかがい、自分のペー 。このまま小松選手のペースか は遅野井選手 ( 水戸葵陵 ) と小角選手 ( 麗澤瑞スを崩さない 城 ) か安定した戦いぶりで 2 年ぶり 9 回目のげてきた 1 年生・杉田選手 ( 水戸葵陵 ) が河村 優勝、女子団体は、決勝で代表戦を制した守選手 ( 麗澤瑞浪 ) の激しい攻めに臆することな浪 ) 、両者の気迫がぶつかり合う好試合となっと思われたが、試合中盤に西口選手か相手の く試合を運び、間合の攻防から相手の動きをた。試合は、中盤に中心の攻防から遅野井選中心を攻め、崩れを誘ったところにメンを決 谷高 ( 茨城 ) が 3 年連続度目の優勝という結 果であった。茨城勢は、男子団体で岩瀬日大よく見て鋭いッキを決めて一本勝ち。水戸葵手が相手の虚を突いたツキを決めて先制するめて一本勝ち。土壇場で守谷が代表戦に持ち リードを奪う。中堅戦は何としてもポイと、その後も反撃を許さず一本勝ち。水戸葵込んだ。代表戦はそのまま大将同士の試合と 高が 3 位入賞、土浦湖北高がベスト 8 進出を陵が なった。大将戦と同様、攻める西口選手、機 果たし、女子団体では常総学院高がベストントが欲しい冲選手 ( 麗澤瑞浪 ) が前へ前へと陵高は 2 年ぶり 9 回目の優勝を決めた。 会をうかがう小松選手という展開で延長戦へ 激しく技を出していくが、高木選手 ( 水戸葵◆女子団体 に進出するなどの活躍が見られた。 女子団体決勝は、昨年の大会と同カード、守突入したが、延長開始早々、中心を攻め切っ 今回も、全国各地から各県を代表するよう陵 ) も相手をよく見て冷静に試合を進め、互い な強豪校が出場し、実力の拮抗した見応えのあに決め手なく引き分けとなる。副将戦は何と谷高と東奥義塾高 ( 青森 ) の対戦。試合も昨年た西口選手が相手の居着きをとらえてメンを しても追い付いて大将戦を迎えたい森越選手と同様、代表戦までもつれこむ熱戦となった。決めて勝利守谷高が 3 年連続回目の優勝 る試合か数多く展開され大いに盛り上がった。 ( 麗澤瑞浪 ) が積極的な攻めを見せて挽回を図先鋒戦は榎本選手 ( 守谷 ) 、高橋選手 ( 東奥義を決めた。 ◆男子団体 男子団体決勝は、水戸葵陵高と麗澤瑞浪高るが、寒川選手 ( 水戸葵陵 ) も冷静に相手の攻塾 ) とも機会とみるや思い切った技を仕掛け ( 岐阜 ) 、勢いに乗って勝ち上がってきた両校撃をさばいて機会をとらえた技を繰り出してていくが、互いに譲らず引き分け。次鋒戦、先 優秀選手 をかけて積極的な攻めを見せる大坂選手 ( 守 の試合となった。先鋒戦は、荒川選手 ( 水戸葵いく。試合も中盤に差しかかるころ、つばぜり 遅野井匡 ( 水戸葵陵高 ) 陵 ) 、森選手 ( 麗澤瑞浪 ) とも気迫を前面に出合いから互いに分かれ、森越選手が間合を詰谷 ) と相手の動きをよく見て機会をうかがう 沖拓真 ( 麗澤瑞浪高 ) 浅野選手 ( 東奥義塾 ) の試合は、両者とも惜し 設楽海斗 ( 埼玉栄高 ) い技か見られたが、决め手なく引き分けとな 梅落太郎 ( 岩瀬日大高 ) る。中堅戦は上段同士の試合らしく、海老原 河本遥 ( 興譲館高 ) 増田滉士 ( 東京学館浦安高 ) ( 晴 ) 選手 ( 守谷 ) 、木村選手 ( 東奥義塾 ) とも 渡辺悠斗 ( 土浦湖北高 ) 気迫を前面に出した激しい技の応酬となった 曽我部伽南 ( 国士舘高 ) が、そのまま時間を迎えて引き分け。副将戦 は、海老原 ( 綾 ) 選手 ( 守谷 ) 、菊川選手 ( 東奥 西口真琴 ( 守谷高 ) 義塾 ) とも冷静に試合を進めていたが、中盤 浅野茉莉亜 ( 東奥義塾高 ) 城 森奈潟 山中秋乃 ( 新潟商業高 ) に中心の攻め合いから相手の居着きをとらえ ( 青神新 北條李華 ( 桐蔭学園高 ) 一 0 高高高た菊川選手がメンを決めて先制する。その後 秋本美菜子 ( 国士舘高 ) 守商は、〈ースをつかんだ菊川選手が反撃を許さ 奥蔭潟 ト林桃香 ( 麗澤瑞浪高 ) 優東桐新ず一本勝ち。東奥義塾が終盤にリードを奪っ 今井恵 ( 興譲館高 ) 阿部なるみ ( 盛岡南高 ) 女 2 3 3 て大将戦を迎えた。大将戦は、何としても追 男子優勝・水戸葵陵高 ( 茨城 ) 2 位・麗澤瑞浪高 ( 岐阜 ) 3 位・埼玉栄高 ( 埼玉 ) 3 位・岩瀬日大高 ( 茨城 ) 平成年 1 月 4 日 ( 月 ) 55 日 ( 火 ) 霞ヶ浦文化体育館 主催◆茨城新聞社、茨城県剣道連盟 文・写真提供◆市毛孝史 ( 茨城県高体連剣道専門部 ) 【男子】 【女子】 747 剣道日本 2016.04

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- 好調の理由筑波大学 - = を、去第皃育大学 民大争 蓄のを第、 . ののて 、、杙第「す ~ します , 第わ永え 昨年の全白本学生優勝大会を制しメンバー 6 中央のスーツ姿が鍋山隆弘監督 撮影 = 窪田正仁 成成年と年に全日本学生りやれば」という気持ちでいます。つま 優勝大会を制覇した筑波大学。り、どの試合も特別な位置づけをしない 年にも関東学生優勝大会てということです。「この大会だからがんば日 頂点に立っており、 3 年続けて団体戦のろう」「この大会だからいいや」というの 主要 2 大会て優勝を果たしていることにを、自分のなかで作らないようにしてい なる。今年度は全日本学生選手権大会てます。そして、チ 1 ムがすでに勝ってい も林田匡平選手か優勝。団体・個人両部門 る状況で自分に試合が回ってきたとして 制覇も成し遂けた筑波大学は、勝利に向も、決して気を抜かすク普段通りクを心が けてとのような取り組みをしているのカ 、、けています 男子監督を務める鍋山隆弘氏と主将を務世界大会に出た日本代表の選手がそ、つ めた竹ノ内佑也選手に聞いた。 なのですが、普段の練習のなかでつねに 真剣勝負をしていることに驚きました。 部内戦となればもちろん本気ですが、地 前主将 竹ノ内佑也 稽古のなかでも真剣勝負なのです。 私が学生になって、全日本学生優勝大自分も、 1 年生や 2 年生と稽古をする 会では 2 回優勝をさせていただきました。ときであっても、より真剣に取り組むこ 2 年前の優勝ももちろんうれしかったのとにしています。自分が本気で技を出せ ですが、今年の優勝のほうがうれしさは ば、相手も本気で打ってくれる。それに対 大きかったですね。やはり 4 年生だったして応じ技を出さなければならない。そ ことで、優勝した瞬間は「自分たちで取っうして、技も自然に身につくと思います。 た」という気持ちがありました。決勝戦あとは得意技をひとっ持っておくこと のときは、チ 1 ムか リ 1 ドしていた状況が大切だと思います。得意技を持ってい での大将戦だったので、まずは打たせなないと、「こういうタイプの相手にはこ いことを頭に入れて戦いました。その前 こを狙お、つ」、「ここに来るからこ、つしょ の試合 ( 準決勝の中央大学戦 ) は、自分がう」と 1 試合 1 試合「〔方を変えること 一本を取らなければチ 1 ムが負けてしまになってしまいますですが、内村 ( 良 う状况にありました。引き分けたらチ 1 一 ) 先輩の試合を見ても感じるのですが、 ムも負けてしまう状況では「自分は負け最後に勝負を決める場面を見れば、得意 てないから良かった」とは決して思いま技を打っていると思います。 せん。相手が誰であろうが、やるからに 得意技をひとっ持ったら、いかにその は「チ 1 ムを勝たせたい」というのが第精度を上げるかも自分では心がけていま 一です す。小手返し面にしても、相手に小手に 全部の試合がそうなのですが、普段通来てもらう状況に持っていかないと、返

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試合は 8 試合場を決勝、剣親会 x 西友会 使って行なわれる。剣親会は先鋒谷がニ本 写真は 4 試合場と勝ち、次鋒戦引き分け なった準々決勝ののあと中堅北村もニ本 場面 勝ちを収め王手。副将 野田はドウを奪ったあと、 コテに跳び込んでニ本目 を奪う ( 写真 ) 。結局 4 ー 0 で剣親会が完勝 上限にしていますが、以前は他県からの対戦となり、剣親会が 4 連覇を達成した。配慮で剣道を専門に学んだ教員 ( 体育教 もっときていただいていたこともあり、 西尾藩は江戸時代前半は藩主がめまぐ師とは限らない ) が配置されているそ、つ 幅広く出場できる形を検討しています」るしく交代したが、後半は松平氏が代々だ。平成年に旧幡豆郡の三町を編入し日 ( 西尾市剣道連盟・田中浩一一会長 ) 城主となり、「文武双肩」「文武双璧」の考たが、その地域にも広げようと努力して剣 西尾市剣道連盟の女性剣士で組んだえを鼓舞して、江戸末期には西尾藩の武いるところだという。 まっちや会、東海市のなでしこなど女性だ術は海道一と称されるまでになった。維平坂小学校では戦前から行なわれてい けのチ 1 ムが実際に出場し、なでしこは 2 新後も明治年頃から西尾小学校で撃剣た大会が「剱の式剣道大会」として戦後 勝して 3 回戦まで駒を進めた。決勝は地元が随意科として採用されるなど、剣道が復活し、続けられている。また、西尾市 出身の剣士 3 名を含み中大、法大など強盛んだった。その伝統を受け継ぎ、 ( 旧 ) 剣道連盟では「サタデ 1 プラン」として、 豪大学出身者で組んだ西友会と、剣親会西尾市ではすべての小中学校に剣道部が剣道未経験者も参加できる小中学生の稽 あるという。小学校に剣道部があるとい古会を各学校で開いている。愛知国体や 、つのは珍しいが、伝統的に教育委員会の全国中学校大会の剣道会場にもなった。 中部日本剣道大会ははそんな「剣道の ) 市羽 本組市のが けてれな蕉と よ市田県 ) まち」を象徴する大会だった。 近で尾て会負っうは 崎豊阜市 亮 = ち西し大てな番でで 屋 < 司綱岐齷 村督たま合の出に一けりカん 古尾所橋 , 所ガ銘 西豊 8 務連ラ < 選さら年だかで薗 大、こしの脇 亮豪の村か」オ 果親友古風べ療道齷 勝太薗隊中前例と 合のでっ = もた 結剣西名春 ( 医市剣名 優村脇動弱広試このし 賞崎田陽レ とたなて大 こる 大勝位位位闘岡豊華東 ◆優 2 3 3 敢 親身翫 = 勝果〕 谷野巧ん出練最「た優しく結思 準決勝、西友会 x 春風会。春風会の先鋒乗田の一 本勝ち以外は引き分けが続き、大将戦を迎える。西 友会の兵藤 ( 裕 ) は、ドウを抜いて一本を奪うと ( 写 真 ) 、さらにひきゴテを決めて一気に逆転した 第載気 : 中村 西友会 ( 2 位 ) 杉浦佑基、兵藤佳亮、村川雄輝、北川清太、兵藤裕則。監督 = 兵藤直樹。兵藤 さん兄弟と杉浦さんが西尾出身。桐蔭学園高校の同級生を加え、中大、法大、国 士舘大などで活躍した選手が揃う強力な布陣だった。 「去年もちょっと違うメンバーで出ました。警察官はやはり練習もしていますし、私 は実業団でやっているのですが、もっと練習しないとまだまだ及ばない気がしまし た。今は試合に出る機会が年に 2 回の実業団大会以外にはこういった地方の大会 しかないので、この大会はありがたいです」 ( 大将・兵藤裕則さん )