としせいかっ かんじよう 考えました。彼らは、都市生活のよこれた ざまな感情や考えをあらわす、あざやかな くらそくめん しきさい 暗い側面をおおくえがいたのでくアッシュ 色彩でかかれています。 は カン派 ( こみいれ派 ) 〉とよばれていました。 プレンダガストは、そのグループのなか チャールズ・イーフレイム・ でもきわだっていました。彼の絵は、自分 さく いんしようは バーチフィールド が尊敬するフランス印象派の画家たちの作 ひん だんべん 品のように、あざやかな色彩の断片がちり Charles Ephraim Burchfield かがや ばめられ、輝きと動きを生みだしていまし ( 1 8 9 3 ~ 1 9 6 7 ) しせん きようみ た。いまでは、モーリス・プレンダガスト 「自然のなかで、わたしの興味をひかな いものはない」 は、アメリカ印象派の画家として知られて これは、アメリカ人の すいさいがか 水彩画家チャールズ・バーチフィールドの います。 おくがい ことばです。彼は屋外にいることがすきで、 自然を愛していました。 あらしふぶき ヴァシリイ・カンティンスキー バーチフィールドは、嵐や吹雪など、ほ Wassily l<andinsky かの人があまりかこうとしなかった自然の じようサい ( 1 8 6 6 ~ 1 9 4 4 ) 情景を、たくさん絵にしています。彼にと お このロシア生まれの画家は、 20 世紀のと っては、自然のなかで起こるすべてが、ふ じゅうよう ても重要な画家のひとりです。なぜそんな しきで、おどろきにみちているので、その とうじよう いぜん かんどう ひょうげん に重要かというと、彼が登場する以前の画 感動を絵で表現しようとしたのです。 うつく だいざい この 家は、花びんの花や美しい風景といった、 彼が好んでかいた題材は、うつりゆく季 ちょうこく お せつほしあ だれにでもそれとわかる絵や彫刻をつくっ 節、星明かりの夜、そして、青あおと生い まんかい しけった草や満開の花でいっぱいの風景で ていました。しかし、ヴァシリイ・カンテ ちゅうしようが インスキーは抽象画をかきはじめたのです。 ばしょ じんぶつ 抽象画というのは、人物や場所や物をその ままえがくのではなく、形や線、色の組み モーリス・プレンダガスト あわせによってえがいていきます。これは てんかい びじゅっ 美術にとって、まったく新しい展開でした。 Maurice Prendergast あおきし く青騎士 > とよばれる画家グループのリ ( 1 8 5 9 ~ 1 9 2 4 ) ーダーだった彼は、だいたんな色彩と形を モーリス・プレンダガストはカナダで生 つかうことで、感情を表現できると考えま まれましたが、アメリカで画家としての活 せいき した。カンディンスキーの作品はおおくの 動をしました。 20 世紀はじめ、彼は < 8 > えいきよう というグループのメンバーでした。 画家たちに影響をあたえています。 このグループの 8 人は、画家はただ時代 なが の流れにしたがうのではなく、自分がほん とうにかきたいと思うものをかくべきだと そんけい つご あい き ふうけい っ どう 42
絵をかきました。しかし、年をとるにつれ、 この点をもうすこし大きくして、あざやか な色のかたまりでかくようになりました。 そのため、その絵は、モザイクやパッチワ かん ーク・キルトのような感じになりました。 だいざい 彼が気にいっていた題材は、ほかのフラ いんしようは ンスの印象派の画家たちとおなじように、 ふうけい 海や町など、屋外の風景でした。 クロード・モネ Claude Monet ( 1 8 4 0 ~ 1 9 2 6 ) クロード・モネのかいたく印象、日の出〉 てんらんかいてんじ という絵が、ある展覧会で展示されて以来、 しゆっぴん この展覧会に出品した何人かの画家たちは、 く印象派 > として知られるようになりまし た。このフランス人画家のグループは、太 き 陽の光が、日によって、時間によって、季 節によって、また、それが照らすものやそ ひょうめん の表面によって、どのようにちがって見え ひょうげん るかを、絵のなかで表現しました。たとえ たてもの ば、川を照らす朝の光や石づくりの建物に あたる午後の光、といったものを表現した のです。 モネは、屋外で絵をかくことがすきでし え た。そして、チュープからだしたままの絵 の具を、まぜたりしないでつかいました。 まざった色を表現したいときは、いくつか の色をならべてぬり、見る人の目のなかで まざって見えるようにしました。 すいれんほ モネは、睡蓮、干し草の山、ルワンの大 せいどう ゆうめい 聖堂などをえがいた絵で有名です。彼は、 きんだいびじゅっ 近代美術のはじまりとなった「印象派の創 ししゃ 始者」として知られています。 おくがい いらい せつ くさ フランシスコ・デ・ゴヤ・イ・ ルシェンテス Francisco de Goya y Lucientes ( 1 7 4 6 ~ 1 8 2 8 ) せん しこと 木、雨雲、滝、山などで、どの絵も、さま 彼女のお気にいりの絵の題材は、海の波、 だいざい いうことをしめしています。 でなく、カづよい感情やふんいきを生むと かんじよう 風景画は、自然や天候が、場所の感覚だけ しぜんてんこう 年代に風景画で有名になりました。彼女の パナマシティー生まれの彼女は、 ] 980 しが " 場所の感覚 " と考えているものにな ばしよかんかく のすべての要素をあわせると、ほぼ、わた ようそ こんなことをいっています。「わたしの絵 アメリカ人の画家ルイーザ・チェイスは、 ( 1 9 5 1 Louisa Chase ルイーサ・チェイス ール・マネも、そのひとりです。 たすけになったといっています。工ドウワ 絵のスタイルをつくる上で、ゴヤの作品が ずっと後の時代の画家のおおくが、自分の ちを表現した版画もあります。ゴヤよりも はんが 恐怖といった、世界にたいする自分の気も せかい きようふ ゴヤのもっとも有名な作品には、戦争の 失わなかったのがふしきなくらいです。 うしな にえがいたので、宮廷画家としての仕事を きゅうていがか た肖像画では、王家の人たちをとても平凡 しようぞうが へいぼん がいています。スペインの王室一家をかい の絵は、人びとをあるがままのすがたでえ 争や闘牛の絵でよく知られています。ゴヤ そうとうきゅう このスペイン人の画家は、王や女王、戦
かっしかほくさい 葛飾北斎 ( 1 7 6 0 ~ 1 8 4 9 ) 葛飾北斎の生きていた時代、日本の画家 しゆっしん はたいてい、裕福な家の出身でした。そう びじゅってきさいのう ばあい でない場合は、よほど美術的才能にめぐま れていることをしめさなければ、りっぱな 先生につくことはできませんでした。北斎 は、まさにそうしたひとりでした。 はたら 少年のころ、彼は本屋で働き、その後、 もくはんがか とてい 木版画家の徒弟となりました。そこで彼は たいへんな才能をあらわし、 ] 8 歳のとき、 べんきよう 高名な画家のもとで勉強することになりま す。彼は、風景をえがいた版画や絵、とく さくひん に富士山をかいた作品で知られています。 ゆうふく さい ふうけい ふじさん ( 1 8 3 2 ~ 1 8 8 3 ) Edouard Manet 工ドウワール・マネ じっさい 40 ふで じゅう さんせい 様式 ) をすばらしいと思い、彼の絵から学 ようしき 何人かの画家仲間は、そのスタイル ( 表現 がかなかま ひょうげん いなかったので、とまどいました。でも、 ほとんどは、この新しいかきかたに慣れて は平面的に見えました。彼の絵を見た人の へいめんてき な筆づかいでえがいたので、かかれたもの このフランス人の画家は、ふとく、自由 ものもあります。 というだけの理由で、人びとをおこらせた りゆう た。彼がかいた絵のなかには、見慣れない びとは、彼の考えかたに賛成しませんでし ものだと信じられていたので、おおくの人 当時はまだ、絵はおもに聖書の世界をかく せいしよせかい くべきだ」一一一マネはそう信じていました。 古いしきたりにとらわれず、だいたんにか 「画家は、自分が実際に目にするものを、 んだことを、自分の絵にとりいれました。 いんしようは これらの若い画家たちはく印象派〉という 名前で知られるようになります。そして、 いまではマネは「印象派の父」とよばれて います。 わか ジョーゼフ・マラード・ ウィリアム・ターナー Joseph Mallord William Turner ( 1 7 7 5 ~ 1 8 5 1 ) にちぼっ ふぶきたてもの かさい 吹雪、建物の火災、もやのかかった日没、 ふきつける雨 だいざい こういったものを題材に して、ターナーは絵をかきました。このイ ギリス人の風景画家は、自然のもつ大きな み 力に魅せられ、それを作品に表現しようと したのです。 いせん ターナー以前の風景画家のほとんどは、 じつぶつ できるだけ実物に近くかこうとしました。 はんたい ターナーのかきかたは、まるつきり反対で す。彼はあいまいなかきかたをしたので、 絵がぼんやりと見えました。おおくの人が、 へん はじめ、このかきかたを変だと思いました。 しかし、ターナー以降の、モネをはじめと する印象派の画家たちは、これをすばらし どくじ いと思い、そこからおおくを学んで、独自 のスタイルをつくりあけていきました。 ボール・シニャック Paul Signac ( 1 8 6 3 ~ 1 9 3 5 ) フランス人の画家ボール・シ二ャックは、 てんびよう 点描をつかう画家グループのひとりとして 知られ、たくさんの小さな色の点でできた しぜん