[ 特集引最高裁判決 2015- ー 025 弁護士が語る 死亡した者も一部には含まれている ) 。 4 は在外被爆者」はどのように援護を勝ち取。てきたか 原爆二法も被爆者援護法も、法の規定上、国籍や 居住地を被爆者健康手帳の交付と各種援護の要件と していない。しかし、法が定める援護はなぜか「在 外被爆者」 ( 2008 年被爆者援護法改正附則 2 条は「被爆 者であって国内に居住地及び現在地を有しないもの」 と定義 ) には及ばないと政府は扱ってきた。かって 厚生省 ( のちに厚労省 ) と援護事務を処理する地方 陜川にある原爆被害者福祉会館 自治体は、日本に居住していない被爆者に手帳交付 高齢の被爆者約 100 人が暮らしている を認めず、一切の援護を拒否していた。これに対し て、原爆医療法当時の 1972 年、日本に居住していな 帳は失権せす、手当も打切られなくなった ( いった いことを理由とする手帳申請却下処分の取消しを求 ん取得された手帳は日本に居住も現在もなくても失権 めて提訴したのが孫振斗氏だった。同氏の裁判の結 せず、手当も打ち切られない ) 。 郭貴勲裁判以後、世界各地の被爆者が、広島地裁・ 果 ( 最ー小判昭 53 ・ 3 ・ 30 民集 32 巻 2 号 435 頁 ) 、日本 に住んでいなくても日本に来れば ( 居住がなくても 長崎地裁・大阪地裁で同時に裁判を進めながら、被 現在していれば ) 手帳が交付されるようになった。 爆者援護法の国内外平等適用を求めていくことにな しかし、厚生省は、孫振斗裁判一審敗訴の直後、 る。私は、韓国に居住する「被爆者」が大阪地裁に 「手当受給権者は、死亡により失権するほか、同法 ( 原 次々と提訴する事件に弁護団の一員として関わった。 爆特措法を指す。引用者注 ) は日本国内に居住関係を 「在外被爆者」は、一連の裁判によって一つひと 有する被爆者に対し適用されるものであるので、日 っ援護を勝ち取っていった ( 被爆者援護法の条文一 本国の領域を越えて居住地を移した被爆者には同法 つひとつの適用について裁判をしなければならなかっ の適用がないものと解される」とする通達 ( 402 号 た ) 。渡日中に開始された手当の支給が出国しても ( 居住も現在もなくても ) 打ち切られないだけでなく、 通達と呼ばれる ) を発した。この通達により、日本 に住んでいる「被爆者」なら、たとえば旅行で出国 渡日しなくても ( 居住も現在もなくても ) 手当支給 しても手帳が効力を失ったり手当を打ち切られたり 申請が認められるようになった ( 日本国外から申請 することはないが、日本に住んでいる「被爆者」が された手当支給申請の却下処分取消について福岡高判 国外に転居したり、あるいは日本に住まずに渡日し 平 17 ・ 9 ・ 26 判タ 1228 号 150 頁など ) 。さらに、渡日し て手帳を取得した「被爆者」が日本を出国すれば ( 国 なくても ( 居住も現在もなくても ) 手帳の取得が認 籍にかかわらず ) ただちに手帳が失効し手当も打ち められるようになった ( 日本国外から申請された手帳 切られることになった。 402 号通達のため、渡日し 交付申請の却下処分を違法とした広島高判平 20 ・ 9 ・ 2 、 てまで手帳を取得しようとする国外に住む被爆者は 大阪地判平 21 ・ 6 ・ 18 裁判所ウエプサイトなど。裁判 非常に少なかった。 途中の 2008 年 6 月、国外からの手帳申請を明文化する このような状態が 20 年続いた後、 1998 年、出国に 法改正が行われたが、判決は改正前援護法につき国外 より打切られた健康管理手当の支給などを求めて提 からの手帳申請を認めるものだった ) 。国外からの葬 訴したのが郭貴勲 ( クアク・クイフン ) 氏だった。 祭料支給の申請も認められるようになった ( 福岡高 郭氏はその 20 年以上前、在韓被爆者の存在をはじめ 判平 17 ・ 9 ・ 26 判タ 1214 号 168 頁、大阪地判平 18 ・ 2 ・ て取り上げた日本の深夜番組に登場して援護を訴え 21 裁判所ウエプサイト ) 。 ていた、その人だった。郭氏の裁判が、私が大学時 5 ー私たちは郭貴勲裁判以後、裁判で何をどのように争。たか 代の友人たちから相談を受けて、仲間の弁護士たち と受任した事件だった。裁判の結果 ( 大阪高判平 孫振斗裁判では、厚生省は、原爆医療法は社会保 障法だから、日本国内に適法に居住し日本社会の構 14 ・ 12 ・ 5 裁判所ウエプサイトなど ) 、出国しても手
040 会に広い立法裁量がある以上、裁判所による司法審 査には限界があるのではないか、と誰もが思うとこ ろです。しかも日本は、抽象的違憲審査制を採用し たドイツ憲法や韓国憲法と異なり、具体的違憲審査 制を採用しています。国会の立法不作為を問う訴訟 において、裁判所が当然のように違憲審査を行うこ とは、具体的違憲審査制からより抽象的違憲審査制 への性質を帯びることを意味することです。そこか らしても、訴訟の困難さは容易に想像できるところ です。 2015 年 12 月 16 日判決後、最高裁前で喜びの報告 しかしながら、裁判所が人権救済最後の砦であり、 人権保障とは「多数決では奪うことができないもの がある」ということを意味すると考えれば、当然の 回避し、父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐ ように国会の立法不作為を放置してよいことにはな ことにあると解される」と判示していたことです。 らないはずです。国会 ( 国会議員 ) の多数派が、少 その立法目的であるならば、民法 772 条 2 項の形式 数派の人権を侵害する内容の法律を、あえて改正し 的適用からすると、女性の再婚禁止期間は 100 日で ないまま放置することが考えられるからです。その 足りるはずです。最高裁平成 7 年判決は、民法の規 ような検討の結果を踏まえて、「法律を変えたい」 定相互間の矛盾を浮き彫りにする内容だったのです。 という原告の願いを込めた本件訴訟が岡山地裁に提 第 2 に、女性の再婚禁止期間を 100 日とする法務 大臣の諮問機関である法制審議会による民法改正案 訴されたのです ( 2011 〔平成 23 〕年 8 月 4 日付提訴 ) 。 要綱が平成 8 年に採択されていたことです。 第 3 に、学説上は、 100 日を超えて女性の再婚禁 4 ー第一審 : 岡山地判平 24 ・ 10 ・ 18 止期間を課すことは、法の下の平等に違反するとい 岡山地裁における審理では、本件立法事実を前提 う立場が圧倒的に有力であったことです。 にして、判例変更の必要性を訴えました。 第 4 に、国会の審議において、上で引用した平成 審理における主張で特に力を入れたのが、国際人 8 年に法務大臣の諮問機関である法制審議会によっ 権条約機関からの法改正を求めた勧告です。これま て採択された民法改正案要綱を前提として、女性の での裁判実務では、国際人権条約や国際人権条約機 再婚禁止期間を 6 か月とする現行の民法 733 条 1 項 構からの締約国に対する法改正を求める勧告 ( 勧告 について改正を求める質問が繰り返し行われていた それ自体には拘東カがありません ) を引用しても、判決 ことです。 で考慮されないことが多いのです。 第 5 に、日本が締約国である国際人権条約の国際 人権 B 規約及び女性差別撤廃条約の各条約機関か 国際人権条約を訴訟における有効な手段にできな いか、それを有効に引用することで良い判決を導き ら、女性の再婚禁止期間を 6 か月とする民法 733 条 出せないか、という問題は、私自身にとっても大き 1 項を廃止するべきであるとの勧告が、繰り返し出 な課題でした。そこで本件訴訟では、国際人権条約 されていたことです。 および条約機関から締約国に対する法改正を求める 第 6 に、諸外国では女性にのみ再婚禁止期間を課 勧告のいずれもが、憲法に意味を与える「立法事実」 す立法が廃止されていることです ( 以上の第 1 から第 として存在している、という主張を行ったのです ( 国 6 の事実を「本件立法事実」といいます ) 。 際人権条約や条約機関による勧告が憲法に意味を与える立法 事実であるという主張が有効なのではないか、という点につ 3 は法律を変えたい」という原告の願い いては、作花知志「国内裁判所における人権条約と個人通報 もちろん、国会の立法不作為の違法性を問う訴訟 制度一一一事実としての条約」国際人権 23 号 ( 信山社、 2012 年 ) というのは、三権分立制の本質を問うものです。国 56 頁に詳しくまとめておりますので、ご覧ください ) 。
028 はなく、却下の結論だけが先にあったことを露わに 大阪地裁・大阪高裁は、本件の争点について「具 体的には、本件被爆者らが韓国の医療機関で受けた 医療について、被爆者援護法 18 条 1 項の規定が適用 されるか否かが問題となる。」としたうえで厚労省 がいう根拠をすべて斥けた。大阪府は上告受理申立 てを行い、最高裁は、これを上告審として受理した うえで上告を棄却した。要旨、法 18 条 1 項は、規定 上、「被爆者」が日本国内に居住地若しくは現在地 本文中の今は亡くなられたおばあさんと、 を有すること又は日本国内で医療を受けたことを支 被爆者・支援者・通訳・弁護団。右端が郭貴勲氏。 給要件としていないし、同項にいう一般疾病医療機 が、負けると分かった裁判をこれほど長く続けさせ 関以外の者について、日本国内で医療を行う者に限 定する旨の規定もない、というものだった。 たのか。 韓国やアメリカに居住する「被爆者」を原告とす 今、あらためて、そのことが問われなければなら る同種事件が、福岡高裁、広島高裁に係属していた ない。 が、本件最高裁判決を受けて、長崎・広島両県知事 ( 「在外被爆者」裁判は、「被爆者」認定を求める裁判 はいすれも却下処分を職権で取り消した。本件最高 を除き、同一事件の下級審判決を含んで 37 判決。ほば すべて判例集か裁判所ウエプサイトに掲載 ) 。 裁判決により、日本国外に居住する世界中のすべて の「被爆者」が日本国外の医療機関で受けた医療費 ( ながしま・やすひさ ) について、被爆者援護法の適用が認められることに なった。 8 一一連の裁判を終えて 本件最高裁判決を勝ち取るまで、郭貴勲裁判提訴 から 17 年、その大阪高裁判決確定から 13 年、孫振斗 裁判から数えれば同裁判提訴から実に 43 年、同裁判 最高裁判決から 37 年を要した。この間にも、日本国 外に居住する被爆者は、差別と無援護に苦しめられ、 その大半は「原爆棄民」 ( 市場淳子「ヒロシマを持ち 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』 かえった人々 〔凱風社、 2000 年〕より ) として亡くなった。本件被 爆者 3 名のうち 2 名は医療費支給を受けられぬまま 亡くなった。陜川のさらに山深い谷間で私たちが訪 れるたびに笑顔で迎えてくれたおばあさんも亡くな った。 原爆二法と被爆者援護法の平等適用を求めて、日 本国外に居住する被爆者が次々と提起したすべての 裁判で、事実認定にまったく争いがなく、ただ条文 の解釈だけが争いとなり、厚労省と地方自治体は敗 訴し続けた。なぜこんなことが起きたのか。なぜ厚 労省や地方自治体は敗訴しない限り、「在外被爆者」 に法の援護を及ばすことを頑なに拒否したのか。何 0
018 定する 7 カ国に限られていた ) 。 昭和 25 ( 1950 ) 年の現行国籍法制定時にも上記の 制度は基本的に維持され、かつ「外国で生まれたこ とによってその国の国籍を取得した日本国民」と規 定することによって、対象国を生地主義国全てに拡 大した。このときの国籍留保制度の立法目的は、日 系移民の同化政策ではなく、重国籍の発生防止であ った。当時の国籍法制では父系血統主義が一般的で あったため、生地主義国との国籍取得の竸合が回避 されれば、出生による重国籍の発生は大半が防止で きるとされていたのである。 このように、国籍留保制度は当初は同化政策とし て設けられ、昭和 25 年の現行法制定時には重国籍防 止のための制度として存続した。 しかし、その後昭和 59 ( 1984 ) 年の法改正で父母 両系血統主義が採用されるに至り、出生時の重国籍 発生防止の要請は消滅したはずであった。したがっ て、本来であれば国籍留保制度を廃止するか、存続 するとしてもその役割について一から議論する必要 があった。このとき、新たに提示された立法目的が 「実効性を欠く日本国籍の発生の防止」であったが、 「国籍の実効性」という要請には立法事実となるべ き歴史的背景が存在しないのだから、それが具体的 にどのような状態をいうのか、また現行の留保制度 は ( もともと国籍の実効性の判断とは無関係な制度で あったのだから ) 国籍の実効性の有無を判断する指 標として適切か、が慎重に検討される必要があった。 しかしながら、文献や国会の議事録を見ても、これ らの点について十分な議論がなされた形跡はない。 「実効性」というそれらしい言葉に何となく引きず られたまま現行 12 条を成立させてしまった、という のが筆者の率直な感想である。 そのとき働いたのは、単純に「既存の制度を残し たい。」という現状維持の力学だけだったと筆者は 考えている。その結果、日本国籍を失う膨大な人々 が発生することになったのである。 5 一本質的な間題ーーー国籍は誰のためのものか これも推測であるが、筆者は、国が本当のところ で最も重要視していたのは、「本末転倒である」と して排斥されたはすの、前記「③戸籍に記載されな い日本国民の発生の防止」ではないかと考えている。 出生届を出さず、政府が把握できない日本国民がい るというのは、現実的な問題の有無に関わらず、国 民を管理する行政にとっては落ち着きの悪い状態で ある。「戸籍に載らない日本国籍を消滅させる」と いう方法は、短絡的だが「管理の対象である日本国 民と管理の手段である戸籍を一致させる」ためには ある意味で最も合理的な方法であろう。 それにしても、日本国民として生まれた子どもの 国籍がこれほど軽んじられることに、筆者は強い違 和感を覚える。最高裁判所は、平成 20 ( 2008 ) 年の 国籍法違憲判決において、「日本国籍は、我が国の 構成員としての資格であるとともに、我が国におい て基本的人権の保障、公的資格の付与、公的給付等 を受ける上で意味を持つ重要な法的地位でもある。」 「日本国籍の取得が、前記の通り、我が国において 基本的人権の保障等を受ける上で重大な意味を持っ ものであることにかんがみれば」等と判示している。 しかしながら本判決には、このような判示は全く見 られない。国籍を「国民の権利利益を守る重要な法 的地位」と位置づける姿勢が後退しているのではな いか、と危惧する。 最高裁判所の考えには、やはり「日本国内に居な いのだから国籍は不要だろう」という発想があるの ではないかと推測される。しかし、本件の原告らが 「父の国である日本から国籍を剥奪され、その存在 を拒否された」と感じていることを無視することは 許されないと思う。世界が国家に分割され、人は誰 でもどこかの国に帰属するシステムが確立して久し く、人は否応なく国籍を自己のアイデンティティの 重要な一要素として意識することになっている。国 籍は、国家主権の人的範囲を画する道具概念や、個 人の権利保障の基礎となる法的地位という役割を超 えて、「自分は何者であるか」という意識の形成に まで影響を与えているのである。国内にいるときに はこのような感覚は実感しにくいが、多くの海外居 住者が「国外に出ると日本国籍を強く感じる」と述 べていることを忘れてはいけない。このような、国 籍を奪われた子どもたちの内心や人格発展への影響 にまで想像力を及ばすことが裁判官の仕事ではない のだろうか。最高裁判所は再び想像力を失ってしま ったのではないかと懸念している。 にんどう・ひろのり )
026 《判例判旨》最高裁判所第三琺廷 2015 ・ 9 ・ 8 被爆者援護法は、原子爆弾の放射能に起因する健康 被害の特異性及び重大性に鑑み、被爆者の置かれてい る特別の健康状態に着目してこれを救済するという目 的から被爆者の援護について定め ( 同法前文、最ー小 判昭 53 ・ 3 ・ 30 参照 ) 、日本国内に居住地又は現在地を 有するか否かの区別なく同法の援護対象としている。 そのため、日本国内に居住地及び現在地を有していな い者も同法 1 条各号のいずれかに該当し被爆者健康手 帳の交付を受けることにより被爆者に該当するものと なるところ、一般疾病医療費の支給について定めた同 法 1 8 条 1 項は、被爆者が日本国内に居住地若しくは 現在地を有すること又は日本国内で医療を受けたこと を支給要件としていないし、同項にいう一般疾病医療 機関以外の者につき、日本国内で医療を行う者に限定 成員として社会生活を営んでいる者だけが法の適用 を受けると主張した。最高裁は、同法は社会保障と 国家補償の複合的性格を持っているし、その法文は 居住しない「被爆者」をも適用対象者として予定し ているなどとして厚生省の主張を斥けた ( 国が被告 かどうかに関わらず、どの訴訟も厚生省あるいは厚労 省が被告側を主導した。以下、被告側を厚生省あるい は厚労省と記す ) 。 しかし、厚労省は、孫振斗裁判の後も、法文を離 れて法の性格などを一般的に論じて「在外被爆者」 への法適用拒否を演繹する立論を変えなかった。私 たちは裁判の都度、争点を個別具体的に設定して、 法文に基づいて厚労省の誤りを裁判所の前に明らか 0 例えば、郭貴勲裁判では、厚労省は、争点を「『在 外被爆者』に被爆者援護法の適用があるか。」と設 定したうえで、社会保障法か国家補償法かという法 の性格論に加えて、行政法は属地主義が原則だとい う一般論、国会審議における議員の発言を拾い上げ て、議員は在外適用を想定していなかったと主張す る立法者意思論、あるいは抽象的な法の構造などを 述べた。 これに対して、私たちは、「いったん取得した『被 爆者』たる地位は出国によって失われるか。」と争 点を設定した。そして、法の性格・行政法の属地主 する旨の規定もない。在外被爆者が日本国外で医療を 受けた場合に一般疾病医療費の支給を一切受けられな いなら、被爆者の置かれている特別の健康状態に着目 してこれを救済するために被爆者の援護について定め た同法の趣旨に反する。 上記法の規定や法の趣旨に照らせば、医療の安全を 確保するための医療法等による各種の規制や支給の適 正を確保するための被爆者援護法上の規制が、日本国 外で医療を行う者に及ばないからといって、在外被爆 者が日本国外で医療を受けた場合に同項の規定の適用 を除外する旨の規定がないにもかかわらず、 18 条 1 項にいう一般疾病医療機関以外の者を日本国内で医療 を行う者に限定されると解することは、同法の趣旨に 反する。 義・立法者意思・法の構造、そのすべてについて厚 労省の主張の誤りを指摘した。そのうえで、 2 つの ことを明らかにした。第 1 に、かって原爆特措法施 行規則は、国内外を問わす都道府県境を越えて居住 地を移せば原爆特措法上の根拠なしに失権すると規 定していたが、 1974 年その規定が削除された。これ により、都道府県境を越えた居住地移転を法律上の 根拠なしに失権の理由としていた違法が解消され た。ところが、 402 号通達は、この規則改正が解消 した違法を国外への居住地の移転の場合にのみ復活 させるものだった。第 2 に、手帳や医療費・手当・ 年金等について規定する 15 の法律を対比して、明文 の規定なしに、出国により当然に失権する手当等は 被爆者援護法以外ーっもないことを明らかにした。 「被爆者はどこにいても被爆者」と判示して厚労 省の主張を斥けた大阪高裁判決は上告なく確定した。 一連の「在外被爆者」裁判で原告と厚労省との間 で闘わされた議論の様相は、それ以後も毎回ほとん ど同じだった。そして、長い裁判の後も本件まで、 医療費の支給は被爆者援護の根幹でありながら「在 外被爆者」には認められないままだった。 6 本件はどのような事件たったのか 被爆者援護法 18 条 1 項の規定によれば、被爆者が、 放射線に起因すると認定された疾病以外の一般の負
LAWJOURNAL ロー・ジャーナル OOI JOURNAL ロー・ジャーナル 法学セミナー 2016 / 03 / no. 734 私は、 2010 年に裁判員を経験して以降、裁判員経 験者同士の交流を積極的に行ってきた。 2012 年には、 Lay Judge Community Club ( 略称 LJCC) という裁 判員経験者の交流団体まで立ち上げた。私自身は裁 判員として死刑判断に関わったわけではないが、 LJCC の中には死刑判決を下した裁判員経験者が複 数名いる。彼・彼女らとの交流の中で、実際に死刑 を判断することの苦悩、葛藤、逡巡を目の当たりに してきた。その苦悶を受け、 2014 年には、 LJCC と は別に裁判員経験者有志で、「死刑執行停止の要請 書」を作成し法務大臣および法務省へ提出した。 しかし、 2015 年 12 月 18 日、裁判員裁判による死刑 判決に対する初の執行があった。この衝撃的な死刑 執行の意味するところを、裁判員経験者の視点から 考えてみたい。 1 市民が関わる理由 まず前提として、裁判員が関わる事件の範囲から 考えたい。死刑または無期の懲役 ( 禁錮含む ) が刑 罰になるものと故意の犯罪行為で人を死亡させた罪 というのが裁判員裁判で扱う事件となる。俗に重大 事件と呼ばれるものだ。 なぜ一般市民が死刑をも含むような重い事件を判 断しなければならないのかを考えるときに、思い出 すのは裁判員として臨んだ法廷でのある体験だ。私 は、法壇の上から被告人と対峙したとき、自分の居 場所を間違えたかのような錯覚を抱いた。私が座る べき場所は被告人席ではないかと。私と同じように 溜め息をつき、感情を露わにし、当たり前だが呼吸 をして同じ言葉を話す被告人と自分とに、いったい どんな違いがあるのだろうか。 その時、私は犯罪の被害者になるかもしれないが、 同じくらいの確率で加害者 ( 被告人 ) にもなりうる ということを自覚した。いや、たぶん被告人になる 確率のほうがはるかに高いと思う。 えん罪という問題もある中で、私は被告人として 自身の生命にまで及ぶかもしれない判断を裁判官や 熟議なき死刑執行は 即停止を 元裁判員の視点から死刑制度を考える 元裁判員・凵 CC 事務局 田口真義 ているのだろうか。再審や恩赦の請求をしていれば のだろう。例えば、執行の順番はどのように決まっ 言い換えると私たちは死刑について何を知っている その範囲は言うに及ばす死刑に関するすべてだ。 欠であると考える。 という体験的なことから、その情報開示は必要不可 んやねつ造のない」確かな情報 ( 証拠 ) で判断する が法務省や国の言い分だが、裁判員として、「改ざ 死刑について、今以上に知る必要がないというの いことを決定しているという状況が現実だ。 で端的には何も知らない。評議室の中で誰も知らな ですら死刑についての知識は法律上のことが精一杯 関する情報が乏しいどころか無いのである。裁判官 刑判断の場においては、その判断に必要な、死刑に を基に判断することを求められる。それなのに、死 いるようでは話にならない。裁判員は法廷で、証拠 ったのに、これまでと変わらず密行主義を敢行して 導入されて、一般市民が死刑の判断を担うようにな が決定的に欠如していることである。裁判員制度が 現在の死刑制度の問題点とは、死刑に関する情報 3 点であった。 ち市民レベルでの真摯な議論を促してほしいという 死刑に関する情報を公開し、その情報をもとに私た 験者が訴えていたことは、まず執行の一時停止をし、 先の「死刑執行停止の要請書」で私たち裁判員経 2 死刑制度に欠けているもの 一般市民の目が役立つはずだと確信している。 う。とりわけ再審請求審 ( 特に死刑事件 ) にこそ、 訴訟などの分野にも市民の感覚がなじみやすいと思 判に裁判員が関わるべきだと考えるし、民事や行政 私見としては、事件の軽重問わずすべての刑事裁 義があるのではないかと考える。 が、司法制度が適正な方向に動くのであればその意 い。しかし、裁判員が重大事件に関わることで裁判 と、今の司法制度や法律家に対し信頼を置いていな 国任せにしておくのは不安だと感じる。率直に言う
002 LAWJOURNALI ロー・ジャーナル 執行が先送りにされるというのは、確実な根拠があ るのだろうか。 執行方法はなぜ絞首なのだろうか。明治時代まで はりつけ は、「磔」や「斬首」、「さらし首」が残っていた。 そして、歴史の中では約 400 年もの間、死刑が廃止 されていた時代もあった。その理由はなんだろう。 少し視点を変えると、国際社会から日本の死刑制 度がどのように見られているかを知っているだろう か。俗に先進国と呼ばれる国の中で、死刑を存置し、 かっ執行しているのは日本とアメリカだけである。 そのアメリカでも 3 割以上の州が死刑を廃止もしく は停止している状況にある。 関心をもって知ろうとすればわかることかもしれ ない。それでも国が国民に対して積極的に情報を提 供し、議論を促すことで、死刑に対する是非や存廃 の方向性が民意によって確立されていくのではない だろうか。少なくともその間は、死刑の執行を一時 停止するべきである。 今のままの不明暸な死刑制度のもとで、究極の判 断をすることに大きな不安を抱き、不明瞭な中で死 刑が執行されていくことに恐怖感を覚え、行動に出 たのが「死刑執行停止の要請書」であった。死刑の 問題は私たち国民全員に関係することで、死刑判断 に関わった人たちだけが抱える問題ではないと思う。 3 そして死刑執行 要請書は当時の法務大臣から一蹴されたものの、 「死刑の執行停止は法的措置がとられないかぎりで きない」という言を得て、立法過程を経れば可能な のだと小さな希望をもった。立法論に及べば専門家 や政治家の出番である。しかし、彼らは就職禁止事 由にあたり裁判員にはなれない。つまり、裁判員と して死刑の判断に関わることがない。 だからなのか、死刑をめぐる環境に何ら変化は起 きなかった。法律上はいつ執行されてもおかしくは ない裁判員裁判による死刑判決の確定者は 7 名にな っていた。要請書を提出した 2014 年は 3 名に対する 死刑執行があった ( 2015 年も 12 月までは 1 名 ) 。それ でも裁判員判決の死刑執行はなかった。 だが、今回の執行により希望は失望に変わった。 死刑判断に関わった裁判員経験者の方たちがロにす る、「 ( 死刑について ) わからないから不安だ」、「人 を殺すことになる」という嘆息まじりの言葉と文字 通り苦悶の表情を目の当たりにしてきた。それに対 して死刑執行後の記者会見で、官僚が用意した文書 を淡々と読み上げる法務大臣の表情を見て、憤りと 失望がないまぜになって胸から溢れてきた。 それまで司法や犯罪はおろか、死刑という問題に も無縁だった一般市民が裁判員という経験をきっか けに正面から向き合おうと立ち上がり、要請書に署 名してくれた。私たち国民の側が動き始めたのにも かかわらず、何一つ施策を講じることなく淡々と死 刑を執行したのである。 私は、そのことに対する抗議の意味を込め、あら ためて執行停止や情報開示、国民的議論を促すよう 要請した「死刑執行に対する抗議と要請」という抗 議文書を執行された当日のうちに作成して、法務大 臣および法務省へ提出した。 実は、前回の要請書提出より遡ること 2 年前、 2012 年 1 月に「裁判員制度と周辺環境における提言 書」という文書をやはり裁判員経験者有志で作成し、 全国の裁判員裁判を実施している裁判所および支 部、法務省や衆参法務委員会などにも直接届けて回 ったことがある。 その提言書の中に、「死刑についての情報公開を 徹底すること」という項目が入っている。主旨は要 請書と同じで、「国民が死刑の判断をするのにあた って情報が乏しすぎる。情報公開を徹底し死刑の是 非も含めた多様な議論を希望する」というものだっ た。約 4 年の歳月を経ても微動だにしない姿勢に、 あらためて国家という壁の分厚さを感じる。 他方で、死刑判断に関わった裁判員経験者たちの 煩悶を思うと、もっとできること、やるべきことが あったのではないかと自分自身にも憤る。 4 大切なこと 要請書でも本稿でも、私が訴えたいことは、死刑 の是非や存廃よりも一歩も二歩も手前の問題だ。有 権者の誰もが裁判員になるかもしれない可能性は、 そのまま死刑に関わる可能性と直結している。つま り、同じ国民 ( 人間 ) である被告人に対し、国民で ある裁判員が死刑の判決を言い渡すことになりうる のが今現在なのだ。 それなのに、国は、判断材料となるはずの死刑に 関する情報をひた隠し、密行主義を貫いている。ま すはきちんとした情報を提供するべきではないだろ うか。死刑に関するあらゆる情報が明示されてはじ めて私たち市民の議論が可能になる。なぜ市民レベ
086 法学セミナー 2016 / 03 / no. 734 14 ) 近江幸治『民法講義Ⅲ〔第 2 版補訂〕』 ( 成文堂、 債権法 27 」本誌 708 号 ( 2014 年 ) 77 頁、古積健三郎「「相 2007 年 ) 152 頁、道垣内・前掲書 148 頁、松岡久和「物権 殺の担保的機能」の問題」法教 397 号 ( 2013 年 ) 121 頁、 法講義ー 23 」本誌 693 号 ( 2013 年 ) 76 頁、生熊長幸『担 など。 保物権法」 ( 三省堂、 2013 年 ) 139 頁、古積健三郎「抵当 6 ) 平井宜雄「債権総論〔第 2 版〕」 ( 弘文堂、 1994 年 ) 権の物上代位と差押え」法教 394 号 ( 2013 年 ) 130 頁、河 231 頁、林良平 ( 安永正昭補訂 ) = 石田喜久夫 = 高木多 喜男「債権総論〔第 3 版〕」 ( 青林書院、 1996 年 ) 347 頁 ( 石 上・前掲書 162 頁、など。 田喜久夫 ) 、淡路剛久「債権総論』 ( 有斐閣、 282 年 ) 15 ) 保証金には、建設協力金、空室損料の制裁金、敷金、 賃料前払、営業利益の対価又はこれらの性質を混在する 608 頁、内田貴「民法Ⅲ〔第 3 版〕』 ( 東大出版会、 2005 年 ) ものであると解されている ( 月岡利男「借家関係と敷金・ 262 頁、潮見佳男『債権総論Ⅱ〔第 3 版〕』 ( 信山社、 権利金等」稲葉威雄ほか編「新借地借家法講座 3 』〔日 2 開 5 年 ) 390 頁、角紀代恵「債権総論』 ( 新世社、 2008 年 ) 本評論社、 1999 年〕 33 頁 ) 。 87 頁、中田裕康「債権総論〔第 3 版〕」 ( 岩波書店、 2013 16 ) 田中秀幸・最判解民事篇平成 21 年度 ( 下 ) 510 頁、佐 年 ) 414 頁、河上正二「債権法講義〔総則〕ー 42 」本誌 730 号 ( 2015 年 ) 97 頁。 久間毅ほか「事例から民法を考える」 ( 有斐閣、 2014 年 ) 96 頁〔田高寛貴〕。 7 ) この問題に関する詳細な分析を行う参考文献として、 17 ) 内田貴「民法Ⅲ〔第 3 版〕』 ( 東大出版会、 2 開 5 年 ) 松岡久和「賃料債権に対する抵当権の物上代位と賃借人 410 頁、松岡久和「抵当権に基づく賃料債権への物上代位」 の相殺の優劣 ( 1 ト ( 3 ・完 ) 」金法 1594 号 ( 2000 年 ) 60 頁、 法教 382 号 ( 2012 年 ) 22 頁、河上・前掲書 162 頁、など。 1595 号 33 頁、 1596 号 66 頁。 8 ) 杉原則彦・最判解民事篇平成 13 年度 ( 上 ) 266 頁。 18 ) 水津太郎「物上代位とはなにか」法教 415 号 ( 2015 年 ) 9 ) 最判平成 10 ・ 1 ・ 30 民集 52 巻 1 号 1 頁。 74 頁。なお、前回取り上げた目的債権の譲渡については、 10 ) 道垣内弘人「担保物権法〔第 3 版〕』 ( 有斐閣、 2008 年 ) 担保物権の追及効の有無に加えて、さらに設定者の処分 自由と譲受人の取引安全との調和が求められよう。その 153 頁、河上正二「担保物権法講義』 ( 日本評論社、 2015 年 ) 167 頁。 意味においては、抵当権設定登記時を基準とするとして も、前回も示唆したように、譲渡目的および譲受人の地 (1) 道垣内・前掲書 152 頁など。 位・態様に対する考慮が必要ではなかろうか。 12 ) 最判昭和 48 ・ 2 ・ 2 民集 27 巻 1 号 80 頁。 ( むかわ・こうじ ) 13 ) 平成 14 年判決①は、前回取り上げた最判平成 14 ・ 3 ・ 12 民集 56 巻 3 号 555 頁を指す。 第扁メモ 判例と学説 合には、下級審裁判例や学説の助けを借りることになる。 学生の頃は、「〇〇説」の類を頭に詰め込んで、判例 を批判するスタンスで答案を書くことが多かった ( その 下級審裁判例は、具体的な事件と向き合って、考え抜 方が答案の分量が多くなるので ) 。しかし、よく言われ かれた判断であり、類似事案の処理において一般に採用 るように、実務の世界は、判例を中心に回っている。 されている判決の構成や、重視されている考慮要素を知 事件処理の関係で、検討すべき論点がある場合、まず る手がかりとなる。下級審裁判例の収集・検討により、 は事案に適用される判例を探すことになる ( 最近はデー 一般的なところから逸脱した判断をしたり、当然に検討 タベースによる検索が可能であり、便利である ) 。 すべき点を見落としたりすることを防ぐことができる。 学説は、複数の裁判例相互の関係を整理するだけでな でいう判例は、基本的には最高裁判所の判断であり、 く、沿革や比較法の視点から基礎的な考え方を提供する 等裁判所の判断がこれに準じる。もっとも、事案に直接 ものであり、なくてはならないものである。裁判例だけ 適用できる判例が見つかるケースはそれほど多くない。 で学説のない分野は議論に深みがなく、裁判例の適用に 判例には、一般的な法解釈を明らかにするもの ( いわゆ る法理判例 ) もあるが、むしろ事案に即した判断 ( いわ も支障が生じるから、実務的にも不幸な事態といえる。 なお、関連する下級審裁判例や学説を探す際には、判 ゆる事例判例 ) の方が多いからである。事例判例につい 例雑誌の解説記事等で紹介されているものを手始めに ては、判断の前提となった事実関係を分析し、目の前の 事件に適用できるかを慎重に見極めなければならない。 芋づる式にたどっていくことがよく行われる。 学生、修習生の皆さんには、判例と学説の両方をバラ もっとも、分野によっては、事例判例さえないこともあ ンスよく勉強することをお勧めしたい。 る。 事例判例の当てはめが必要な場合や事例判例もない場 LAW CLASS
024 [ 特集引最高裁判決 2015 ーー弁護士が語る 在外被爆者医療費訴訟 最高裁判所第三小法廷 2015 ・ 9 ・ 8 裁判所ウエプサイト / 一般疾病医療費支給申請却下処分取消等請求事件 / 平成 26 ( 行ヒ ) 第 406 号 弁護士 永嶋靖久 法学セミナー 2016 / 03 / n0734 1 卩まじまり 私の学生時代、今から 40 年ほど前、多くの人が「世 界で唯一の被爆国日本」という言葉を何の疑いもな く使っていた。しかし、在韓被爆者を取り上げた深 夜番組の放映などによって、日本国外の被爆者の存 在も徐々に知られるようになってきていた。そのこ ろ、何人かの友人が韓国の原爆被害者孫振斗 ( ソン・ ジンドゥ ) 氏の裁判支援の活動をしていることを私 も知っていた。 弁護士になって 10 数年後、付き合いの途絶えてい たその友人らから、韓国の原爆被害者は今も法律の 平等適用を拒否され、何の援護もなく放置されてい る、裁判で争えないだろうか、と相談を受けた。そ のときは、在韓被爆者や支援者、仲間の弁護士とと もにそれから 17 年間も被爆者援護法の裁判に関わる ことになろうとは、また、そのときまで名も知らな かった韓国の山あいの地、陜川 ( ハプチョン ) を繰 り返し訪れることになろうとは思ってもいなかった。 2 一被爆者援護法とはどのような法律か 1945 年 8 月 6 日広島に、同月 9 日長崎に投下され た原子爆弾は約 69 万人もの原爆被害者を生んだ。 1945 年末までに亡くなった人は約 20 万人とされる。 昨年 3 月時点で、原爆死没者名簿には、広島で約 30 万人、長崎で約 17 万人が登載され、生存する被爆者 健康手帳所持者は約 18 万人だという。 死を逃れた被爆者には、熱線・高熱火災・爆風・ 放射線による被害とケロイド・白血病・白内障・ガ ンなどの後障害が残った。被爆者援護を目的として、 1957 年に原爆医療法が、 1968 年に原爆特措法が制定 され ( あわせて原爆二法という ) 、 1994 年に原爆二法 を統合する形で被爆者援護法が制定された。 被爆者援護法 1 条 ( 旧原爆医療法 2 条 ) 各号 ( 直爆・ 入市・救護・胎児の各被爆 ) に該当し都道府県知事か ら被爆者健康手帳の交付を受けた被爆者 ( 以下、「被 爆者」と表記する場合、法の規定により被爆者健康手 帳を交付された者を指す ) には、その全員に対して 健康診断・医療 ( 医療費の自己負担分の無料化 ) ・葬 祭料や介護手当の支給など、またそのうち原爆症認 定された者に対して原爆症治療や医療特別手当、そ の他各要件を満たした者に対して毎月定額の健康管 理手当など各種手当支給の援護がある。 3 ー国外に住む被爆者はどのような人たちか 被爆者の 10 人に 1 人は朝鮮人だった。植民地支配 により生活の基盤を奪われ、やむなく仕事を求めて、 あるいは徴用・徴兵による強制連行で、軍都広島・ 長崎に居住していて被爆した朝鮮人は、広島市で約 5 万人、長崎市で約 2 万人と推定されているにの うち 1945 年末までに広島市で約 3 万人、長崎市で約 1 万人が亡くなった ) 。日本の敗戦により植民地支配か ら解放され、多くの被爆者が祖国に帰った。その大 部分が朝鮮半島南部の出身者であり、特に慶尚南道 ( キョンサンナムド ) 陜川郡出身者が非常に多かった。 現在も韓国に住む被爆者の 5 人に 1 人が暮らす陜川 は「韓国の広島」と呼ばれる。 明治以降、アメリカやカナダに移民した日本人や その子孫で、開戦前に里帰りや留学していて被爆し た人もいる。被爆後、南米に移住した人も多かった。 プラジル・ベルー・ポリビアに暮らす被爆者は、今 も移住先の国籍を取得せず日本国籍のままの人が多 い。そのほか様々な事情から、被爆者は世界中に住 んでいる。厚労省は手帳を取得した「被爆者」は、 昨年 3 月時点で、韓国に約 3000 人、米国に約 1000 人、 プラジルに約 150 人と公表している ( ただし、すでに
010 [ 特集ー最高裁判決 2015 ーー弁護士が語る 外れ馬券必要経費事件 最高裁判所第三琺廷 2015 ・ 3 ・ 10 判決 刑集 69 巻 2 号 434 頁 / 所得税法違反被告事件 / 平成 26 ( あ ) 第 948 号 弁護士 中村和洋 法学セミナー 2016 / 03 / no. 734 事案の概要 会社員である A 氏は、市販の競馬予想ソフト「 X 」 に過去の統計に基づく独自の研究によるデータや計 算式を加えた予想ソフトを完成させて、パソコンを 通じたインターネットによる自動投票によって、 5 年間にわたり、ほば全開催日の全レース ( 新馬戦と 障害レースを除く ) を対象として、多種類、多額の馬 券を購入していた。 これにより、 A 氏は、年間トータルで、概要、以 下のような成績をあげていた。 金の入出金が同時処理されることにより差額がまと 日ごとに、開催日ごとの馬券の購入金額総額と払戻 関係から、土日は口座がロックされており、毎月曜 また、配当金については、銀行の決済システムの 「 X 」に保存されている。 なお、成績については、すべてパソコンソフトの A 氏は、下記馬券の収入については、確定申告を めて入金される仕組みとなっていた。 行っていない。 すべき経費は、的中馬券の購入金額のみであるとし て、概要、以下のとおりの内容の課税処分を行った。 平成 17 年 平成 18 年 平成 19 年 平成 20 年 平成 21 年 利益 所得税額 払戻 1 億円 5 億 4000 万円 7 億円 14 億 4000 万円 8 億円 的中馬券の購入金 500 万円 2000 万円 3000 万円 4000 万円 2000 万円 差引金額 9500 万円 5 億 2000 万円 6 億 7000 万円 14 億円 7 億 8000 万円 合計 34 億 6500 万円 約 6 億 5000 万円無申告加算税約 1 億 5000 万円 平成 17 年 平成 18 年 平成 19 年 平成 20 年 平成 21 年 利益 払戻 1 億円 5 億 4000 万円 7 億円 14 億 4000 万円 8 億円 全馬券の購入金額 9000 万円 5 億 4500 万円 6 億円 14 億 2000 万円 8 億 8500 万円 差引金額 1000 万円 500 万円 2000 万円 1500 万円 1 億円 合計 1 億 5000 万円 上記に対して、大阪国税局査察部は摘発を行い、 A 氏を単純無申告犯で告発し、 A 氏は、大阪地方裁 判所に起訴された。 他方、所轄の税務署長は、 A 氏に対して、本件の 馬券による収入を一時所得と認定したうえで、算入 また、 A 氏は、市から地方税として約 1 億 5000 万 円の課税処分を受けた。 これに対して、 A は刑事裁判において公訴事実を 争うとともに、課税処分については、異議申立、審 査請求を経た上で、大阪地方裁判所に対して、課税 処分の取消訴訟を提起した。 2 ー A 氏との出会い A 氏は、市販の予想ソフトを独自に改良すること で、上記のような成績を上げていたが、「競馬の配 当金に課税がされるという話は聞いたことがないの で、確定申告する必要はないのではないか。」など と考えて、確定申告はしていなかった。 そうしたある日、いきなり大阪国税局の査察官が 複数自宅に訪れて、強制調査となった。 私のところに相談に来たのは、調査も終盤になっ て、検察庁への告発や課税処分がなされる少し前の 時期であった。私のことは、刑事事件や税務訴訟を よく取り扱っている弁護士ということで、インター ネットで検索して知ったらしい。 私は、 A 氏から話を聞いて、最初は正直「競馬で