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検索対象: 法学セミナー2016年05月号
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1. 法学セミナー2016年05月号

プラスアルフアについて考える基本民法 075 開始したとは認められないことにかんがみれば、再 度当事者準則により保護されてよいであろう。その ための法律構成としては、抵当権者に対抗できない 占有者のために抵当権の消滅を認める規定として、 397 条が考えられてよい 20 ) もっとも、これを抵当権者の側からみると、設定 時の現況確認により占有状況を認識できたとして も (1) 、所有者と異なり、抵当権実行前において当然 にこれを排除し得るわけではないため、時効防止の ためには、その後定期的に抵当権存在確認訴訟ある いは承認請求 ( 166 条 2 項 ) などを行う必要がある。 事例 Part. 3 のような事例では H が本件抵当権を承認 する見込みに乏しく 22 ) 、訴訟を余儀なくされる展開 が予想されよう。さらに抵当権実行に際しては、執 行手続の円滑および買受人の地位の安定化の観点か ら、時効の成否までを実行手続に反映できるかどう かも課題となろう。 4 賃借人による長期占有と抵当権の消滅 [ 事例で考えよう Part. 4 ] J は丁地を所有する K から同地につき本件 賃借権の設定を受け、同地上に本件建物を建 築したが、建物保存登記未了の間に、 L が丁 地につき本件抵当権の設定を受け、設定登記 手続を了した。 10 年余りが経過した後に本件 抵当権が実行され、買受人となった M が J に 対して本件建物収去および丙地の明渡しを求 めた。 J はこれを拒めるか。 [ 1 ] 前提の確認 使用収益を目的としない抵当権は賃借権と対抗関 係に立たないように見えるが、抵当権設定後に設定 された賃借権であっても常に抵当権者に対抗できる とすると、抵当権実行後も賃借権が存続することと なって買受人が引き受けるべき負担となり、売却価 格の下落を招き得ることから、設定時における抵当 権の価値支配に抵触する。かかる意味において賃借 権は抵当権と対抗関係に立ち、両者の優劣は抵当権 設定登記と賃借権登記 ( 605 条 ) または建物登記 ( 借 借 31 条 ) の先後 ( 借地権の場合 ) によって決せられる。 そして、抵当権者に対抗できない賃借権は抵当権の 実行により消滅する ( 民執 59 条 2 項 ) 。事例 Pa 「 t. 4 に おいて、本件賃借権は本件抵当権に劣後する。 において無権原占有者のために賃借権の時効取得を る保護の意義と射程が問われるが、所有者との関係 i については、まずもって賃借権の時効取得によ 試みよう。 益とのバランスについての考察からさらなる補足を なき賃借人の要保護性および、ⅱ . 抵当権者の不利 否定するのは困難と思われるため 24 、 i . 対抗要件 るのであるが、平成 23 年判決の論理のみからこれを を譲受人と同じように保護すべきかどうかが問われ る譲受人と異ならない。そこで、賃借人の長期占有 その意味において賃借人の地位は抵当権者に劣後す な賃借権は抵当権の実行によって排除されるため、 対抗できない賃借権が問題となっており、このよう ここでは抵当権者に の要否にどう結びつくのか ? しかしながら、上記の理が時効による賃借人保護 [ 3 ] 問題の所在と考え方 この観点からみれば用益物権も同様となる。 これによって抵当権が消滅するわけではない。なお、 権と賃借権は併存する上、賃借権の対抗を認めても たしかに、少なくとも抵当権実行前において抵当 しないことを挙げる。 そのような関係にない抵当権者と賃借人間には妥当 おける相容れない権利の得喪に関するものであり、 して、再度当事者準則は、譲受人と占有者との間に 優劣がくつがえることはない旨を示し、その理由と が長期占有を継続したとしても、対抗関係における 平成 23 年判決は、抵当権者に対抗できない賃借人 [ 2 ] 平成 23 年判決の論理 ものであるため、まずは同判決について確認しよう。 ( 以下、「平成 23 年判決」という ) の事案をモデルとする 事例 Part. 4 は最判平成 23 ・ 1 ・ 21 判時 2105 号 9 頁 にもあてはまるかが問題となる。 下、「譲受人→抵当権者型 + 占有者→賃借人型」という ) が妥当する旨を示したが、さらにこの問題類型 ( 以 事例 Part. 3 のような譲受人→抵当権者型にも同準則 則を適用することも考えられる。平成 24 年判決は、 では取得時効の趣旨に反するとして、再度当事者準 にどれだけ長期間占有しても保護されないというの 効取得を認めるため 23 、賃借人が抵当権設定登記後 時効によってくつがえるのか ? 判例は賃借権の時 それでは、こうした抵当権と賃借権の優劣関係は

2. 法学セミナー2016年05月号

わたしの仕事、法つながり 009 止法 2 条 6 項 ) の問題が絡むこともあります。また、 マルウェアの検体・機能の情報を提供することがあ りますが、これは、刑法の不正指令電磁的記録の罪 ( 168 条の 2 、 168 条の 3 ) が関係してきます ( 結論か ら言えば、同罪は、供用目的、かっ、正当な理由なく 行わなければ該当しません ) 。 このように、この問題については、やり取りされ る様々な情報に関して、広く法的リスクを洗い出し、 調査結果にまとめました。 3 ー研究業務 ICT をめぐる技術や市場等の環境変化は早いの で、常に動向をフォローし続ける必要があります。 そのために、有識者と意見交換する場を持って、さ まざまな議論を行っています。 研究員は、テーマを決めて、資料を作り、当日に 報告して ( ゲストスピーカーを頼んだ場合はその差配・ サポートをして ) 、議論に参加して、議事録にまとめ て・・・・・・ということを行います。 テーマは、法律系のものだけではなく、事業者動 向やサービス系のものもあって、場合により、それ らもこなす必要があるので、中々大変です。 なお、研究業務と関連するのでここに書きますが、 情報ネットワーク法学会という、情報法、法情報学者 を対象とする学会があり、その理事を務めています。 4 一日々是勉強 法学部・法科大学院等で勉強していると、「法律 学は実務では役に立たない」とか「 ( 例えば ) 憲法 は実務で使わない」とか、色々耳に入ることがある かと思います。私は、法廷実務をしていないので、 言うべき立場にありませんが、たしかに、あまり使 わない科目もあるのかもしれません。 しかし、情総研の仕事では、ありとあらゆる法律 が登場します。憲法は、さきほども通信の秘密やプ ライバシーの話が出たとおりです。行政法は、個人 情報保護法が行政法規ですので ( え ? と思った方、 行政法の本の「個人情報保護」の箇所を読んでくださ いね ) 、使います。民法や会社法はいうまでもあり ません。刑法は、さきほど不正指令電磁的記録の話 を書きましたが、それ以外に、 SNS 上の名誉毀損と か、わいせっ電磁的記録とか、児童ポルノ法関連も 登場します。刑事訴訟法のログの保全要請 ( 刑訴法 197 条 3 項 ~ 5 項 ) 等は電気通信事業者に関係します。 できてくださればいいな、と思っています。 興味を持たれた場合には、情報法の世界に飛び込ん 本稿の読者の方々が、よき学修と人脈形成をし、 でも補充できます ) 。 もあるくらいです ( 知識は、その気になれば、後から の過程で得られた人脈の方が重要だなと思えること に助けられました。学んだ知識そのものよりも、そ に行くとかの場面では、これまで構築してきた人脈 ーカーを頼むとか、分からないことをヒアリングし とのつながりが重要だなと痛感します。ゲストスピ それから、もうひとつ。この仕事をしていて、人 は、役に立っていると思っています。 大学院時代や、司法修習生の間に学んだことは、私 はあるかもしれませんが、学部生・大学院生・法科 というわけで、情総研の仕事が少し特殊という面 5 ーおわりに ばいなので、尚更手が回っていませんが。 いなと思います。法律の分野だけでもいつばいいっ 科学系に限っても、一定程度の素養があった方がい 個人情報を収集するアプリの社会的受容性など ) 、社会 見が用いられることが多い ) 、社会学とか ( 例えば、 経済学とか ( 電気通信事業法の改正では、経済学の知 以上、法律学の分野を色々あげましたが、他にも です ( が、手が回っていません ) 。 解しようと思えば、国際法の素養が必要だと思うの 全保障との関係で語られることが多く、きちんと理 絡みます。最近、サイバーセキュリティは、国家安 在り方を検討する、となった場合には民事訴訟法も らないので、匿名の者を相手に訴訟ができる制度の インターネット上での権利侵害は相手が誰だか分か ( くわばら・しゅん ) 頑張った人が報われる社会の実現手段と思っています。 Q . 法とは何でしようか ? 動きが早くて大変ですが、それが楽しくもあります。 Q : 仕事は楽しいですか ? やはり、 2015 年に大改正された個人情報保護法。 Q : いま気になっている法律はありますか ? 最近は、個人情報保護法です。 Q : いちばん使っている法律は何ですか ? 法学部入学以降、現在に至るまで。 Q : 法を勉強したのはどこですか ?

3. 法学セミナー2016年05月号

076 法学セミナー 2016 / 05 / no. 736 LAW CLASS 認めることと、抵当権者に対抗できない賃借人を時 効によって保護することとは、別問題であろう 25 ) 。 平成 23 年判決は、抵当権者は抵当権設定登記に先立 って対抗要件を備えた賃借権の負担だけを覚悟すれ ば足り、特別法上の対抗要件すら備えていない賃借 権を抵当権者の犠牲において保護する必要はない、 という価値判断を基礎とするものといえよう。ちな みにこの考え方では、賃借人が時効によって保護さ れるには買受人との関係においてさらに長期占有す ることを要することになろう。このような評価はも つばら賃借権に限定されるのか、あるいは、抵当権 と利用権 ( 用益物権を含む ) との優劣関係一般に妥 当するのかについては、今後の課題であろう 26 ) ⅱに関しては、抵当権者ひいては買受人の立場か らみれば 27 、抵当権者は当然に賃借人を排除できる わけではないため、抵当権者に対抗できない賃借人 に対しても定期的に抵当権存在確認訴訟あるいは承 認請求等の保全措置を講じなければならないとすれ ば、その負担は決して小さくない。また、賃借人の ための時効の成否までを抵当権実行手続に反映でき るかどうかも問題となろう。 これらの指摘は譲受人→抵当権者型一般に妥当す るが、譲受人→抵当権者型 + 占有者→賃借人型につ いてはさらに i に関する上記の評価と相俟って、再 度当事者準則による保護の限界が示され、占有権原 に応じた「線引き」がされたものと解されよう。 5 おわりに 非占有担保である抵当権が他人の占有によって消 滅するというのは、一見すると矛盾してみえる。し かしながら、抵当権者に対抗できない占有者は永久 に抵当権の負担から免れることができないとすれ ば、制限物権であるはずの抵当権が時効においては 所有権以上に厚く保護されることになるが、それで よいか ? 抵当権についても「取得時効と登記」準 則に即して規律するのが所有権との均衡に適うとと もに、権利関係の簡明化に資するのではないか ? 他 方において、占有者の要保護性と抵当権者の不利益 とのバランスを考えるとき、抵当権の負担を前提と して占有を始めたといえる者まで保護しなければな らないのか ? 占有権原を問わなくてよいのか ? 抵当権者は時効のリスクをどのように管理すべきな のか ? 抵当権においては執行手続の円滑および買 受人の地位の安定化にも配慮すべきではないか 29 ) ? 本連載は、上記のような問題意識に基づいて、抵 当権の制限物権性からみた「所有権との均衡」と、 非占有担保性に着目した「所有権との差異」という 対立軸を立て、主要な問題類型について検討した。 類型化に際しては、①占有開始時による区別 ( 抵当 権設定登記の前。 r 後 ) および、②占有権原の有無・ 性質に応じた区別 ( 第三取得者・無権原占有者・賃借 人 ) を基軸として整理を行った。大変な難問である ため、問題の所在と考察すべきポイントならびに、 成り立ち得る考え方の把握に努めてほしい。 1 ) 397 条につき、所有権の取得時効の効果として抵当権 が消滅する旨を確認する規定にすぎないと解する説 ( 確 認規定説 ) と、同条は所有権の取得時効とは別個に抵当 権に特有の時効消滅について定めたものであり、 162 条・ 167 条 2 項の特別規定であると捉える説 ( 特別規定説 ) を指す ( 本連載の前回〔本誌 735 号〕昭 ) : イ・・い、 0 2 ) 我妻栄『新訂担保物権法』 ( 岩波書店、 1965 年 ) 423 頁、 鈴木禄弥「物権法講義〔五訂版〕』 ( 創文社、 2007 年 ) 、 235 頁、内田貴『民法Ⅲ〔第 3 版〕』 ( 東大出版会、 2005 年 ) 473 頁、など。 3 ) 角紀代恵「再論抵当権の消滅と時効」星野英一先生 追悼『日本法学の新たな時代』 ( 有斐閣、 2015 年 ) 382 頁、 古積健三郎『換価権としての抵当権』 ( 弘文堂、 2013 年 ) 325 頁、など。 4 ) 我妻・前掲書 423 頁、鈴木・前掲書 234 頁、など。こ のように要件構成するには、 397 条の趣旨に消滅時効の 要素を読み込むなどの工夫を要しよう。 5 ) 最判昭和 35 ・ 7 ・ 27 民集 14 巻 10 号 1871 頁、など。 6 ) 大連判大正 14 ・ 7 ・ 8 民集 4 巻 412 頁、など。 7 ) 内田貴「民法 I 〔第 4 版〕」 ( 東大出版会、 2008 年 ) 454 頁。 8 ) 角・前掲 389 頁、同「判批」「民事判例Ⅵ』 ( 日本評論 社、 2013 年 ) 131 頁、石田剛「判批」リマークス 46 号 ( 2013 年 ) 21 頁、古積・前掲書 335 頁。 9 ) 最判昭和 36 ・ 7 ・ 20 民集 15 巻 7 号 1903 頁 ( 以下、「昭 和 36 年判決」という ) 。 10 ) 安永正昭「抵当不動産の自主占有の継続 ( 取得時効 ) と抵当権の消滅」田原睦夫先生古稀記念『現代民事法の 実務と理論 ( 上巻 ) 』 ( 金融財政事情研究会、 2013 年 ) 153 頁、角・前掲 388 頁、など。 (1) 河上正二『物権法講義』 ( 日本評論社、 2012 年 ) 125 頁以下。 12 ) 本件抵当権の存在確認を理由とする時効中断を認め る余地はあろうが、 D に対する取得時効の援用の事実の みから直ちに認定できないであろう。 13 ) 14 ) 15 ) 16 ) 17 ) 最判昭和 42 ・ 7 ・ 21 民集 21 巻 6 号 1643 頁、など。 大判大正 7 ・ 3 ・ 2 民録 24 輯 423 頁。 最判昭和 46 ・ 11 ・ 5 民集 25 巻 8 号 1087 頁、 前掲・大連判大正 14 ・ 7 ・ 8 、など。 最判平成 18 ・ 1 ・ 17 民集 60 巻 1 号 27 頁。 など。

4. 法学セミナー2016年05月号

[ 特集員へイトスピーチ / ヘイトクアムⅡ ーー理論と政策の架橋 049 ュのおそれが最も懸念すべきところではないかと思 います。 櫻庭いまの法益論との関係ですが、刑事規制と の絡みで申し上げますと、先ほど奈須さんがおっし やった 1 段階型の害悪という捉え方は、非常に興味 深いところです。奈須さんの論文の中でも、マイノ リティ個人の生活の平穏というものを害悪の対象と して挙げておられましたが、たとえば日本の刑法の 考え方をみても、脅迫罪の保護法益を私生活の平穏 と捉える見解もあるので、それとの共通性などを考 すので、比較的重い罪として構成するのだろうと思 えながら拝読しました。 います。 また、ウォルドロンの考え方についても、これを この点、金教授や楠本教授が参照しておられるド 法益としてどのように構成するかはこれからの課題 イツではどうなっているかというと、ドイツでは刑 ですが、ウォルドロンの害悪の捉え方は、個人的に 法 130 条の民衆扇動罪で、いわゆるヘイトスピーチ は環境破壊のような捉え方をしていると思いました を規制しています。そこでの保護法益については公 ので、それも非常におもしろい発想です。刑事規制 共の平穏と捉える考え方と、副次的に人間の尊厳も の対象に入れるかどうかは別として、ヘイトスピー 保護法益にしているのだという捉え方があります チに特有の害悪の捉え方としては本質を突いている が、いずれにせよ、名誉に対する罪とは質の異なる、 部分があると感じました。 より重い罪として構成されています。 奈須ウォルドロンは、市民であれば当然に享有 そして、そこでいう人間の尊厳がドイツでどう捉 できるはすの生活の平穏に侵害を加えることを問題 えられているかというと、抽象的に議論されている にしていると捉えることができるので、単に憎悪が だけではなく、具体的な歴史的事実に即して判断さ 蓄積していくとか、憎悪が助長されるということだ れています。たとえば、ホロコーストにまで至った けでダイレクトに規制を認めるという議論ではない 経緯で行われたユダヤ人に対するヘイトスピーチ のではないかと思います。 や、迫害とか、そのようなものがまさに人間の尊厳 ウォルドロンは、人間の尊厳を市民の地位と理解 を攻撃するのだという捉え方をしています。 していますが、この議論をどう考えるのかが一つ問 人間の尊厳の議論で興味深いのは、それを具体的 題としてあるのではないかと思います。 に解釈する際に、そこで問題になっている具体的な 日本では平川宗信教授が侮辱罪の保護法益として 過去に行われた被害の実態を、いかに明らかにして、 「人間の尊厳な状態」を挙げておられます。金尚均 それとの共通性をどのように探っていくかというこ 教授はウォルドロンと同様に、市民としての地位を とが一つの問題になってくるという点だと思います。 社会的法益として保護すべきだとおっしやっていま 奈須人間の尊厳を直接法益にするのは、おそら す。これについてはいかがでしようか。 く刑法的には難しいだろうと思います。人間の尊厳 櫻庭人間の尊厳をどう考えるかは非常に難しい の保護を、背景的な価値あるいは背景的な目的とみ 問題だと思うのですが、平川教授は、人間の尊厳そ て、たとえば生活の平穏や名誉感情の保護とかを直 のものを侵害することはできないので、あくまで保 接的な法益として立法を行う、刑法的にはこういう 護されるべきは人間の尊厳な「状態」であると捉え ことになるでしようか。 ます。したがって、それに対する侮辱については、 櫻庭そういう考え方はあり得ます。具体的に捉 人間の尊厳それ自体を侵害するわけではないので、 えていくやり方は非常に参考になります。ただし、 比較的軽い罪として構成されます。 たしかに抽象的な法益では処罰範囲の画定が困難に これに対して、おそらく楠本孝教授や金教授は、 なるという問題がある一方、それを個人の「感情」 人間の尊厳、あるいは社会の平等な状態というもの に還元してしまうと、感情は人それぞれなので、そ を直接に侵害する行為と捉えておられると拝察しま れはそれで処罰範囲が曖味になりかねないという問 さくらば・おさむ

5. 法学セミナー2016年05月号

038 0 連邦最高裁は、ある先例が、被告人が死刑を科さ れるかーーすなわち、もっとも過酷な刑の加重ーー を決定する際に、被害者に向けられた被告人の人種 的敵意を量刑の際に考慮することを許容しているこ とを指摘して、これまでも量刑の際に動機を考慮す ることは認められてきたと述べる。また、連邦最高 裁は、 R. A. V. 判決では、セント・ポール条例は明 確に表現に向けられているのに対し、ウイスコンシ ン州法は修正 1 条で保護されない行為に向けられて いると述べる。そして、連邦最高裁は、偏見を動機 とする行為は、個人および社会に大きな害悪をもた らすと考えられているため、このような害悪からの 救済という州の目的は、同法の必要性を肯定すると ヘイトクライム法の憲法上の問題点 このように、アメリカでは、連邦最高裁は、言論 と行為を区分して、ヘイトスピーチは前者を規制す るものであり、ヘイトクライムは後者を規制するも のであるとしている。そして、ヘイトスピーチ規制 は原則違憲であり、ヘイトクライム規制は合憲であ るとしている。このような受け止め方が一般的では あるが、しかし①言論と行為とを明確に区分するこ とは可能なのか、②言論と行為が区分できるとして も、なぜヘイトクライム規制は合憲とされるのか、 について議論がある。 言論と行為は区別できるのか ①について、連邦最高裁は、セント・ポール条例 は「言論」を規制するものであり、ウイスコンシン 州法は「行為」を規制するものであるとしている。 これに対して、両者を区別することは困難であると の批判がある。ヘイトクライムは表現的な要素を伴 うことが多く、また、脅迫など、表現行為そのもの がヘイトクライムに含まれることがある。 ッチェ ル自身は暴行に参加しておらず、彼は「ただ言葉を 発したのみ」であり、「煽動者としての責任」が問 われているのである 13 。また、「保護されない表現」 は、従来は言論の自由の保護の範囲外であると考え られており、 R. A. v. 判決で問題となった喧嘩言葉 の規制は、行為規制の問題として扱われるべきであ るとの批判もある。 R. A. V. 判決は、保護されな い言論であっても、それが選択的に規制される場合 には内容差別となるとしているが、ウイスコンシン 州法も、保護されない言論を含んでいる点にも注意 が必要である。 これらの事情を考えると、 R. A. V. 判決とミッチ ェル判決において言論と行為とを区別した連邦最高 裁の論理は説得的とはいえない 5 ) 。実際に ミッチ ェル判決において、ウイスコンシン州最高裁は、 R. A. V. 事件に依拠して、ウイスコンシン州法を違 憲であると判断している。これには、ヘイトクライ ムには表現的な要素があるとの判断がある。単なる 暴行とは異なり、人種的偏見に基づいた暴行の場合、 被害者は皆、メッセージを理解するだろうといわれ ている 16 。そのため、 R. A. V. 判決の法理に従うと、 ヘイトクライムを選択的に規制することは内容規制 となる。 [ 2 ] ヘイトクライム法が罰しているのは「行為」 なのか ②について、仮にヘイトクライム法の適用対象が 行為であるとしても、そもそもヘイトクライム法が 罰しているのは、行為ではなく、思想であるとの批 判がある。ある犯罪の害悪は、通常の刑罰で評価さ れているのであり、法定刑を引き上げるのは、人種 差別的な思想が原因である。つまり、法定刑を加重 することは、思想を罰することになるのではないか、 という指摘である。 たしかに、動機は量刑の際に考慮される 。ミッザ、 ェル判決は、通常の犯罪と比べ、ヘイトクライムの 社会的な害悪が大きいため、量刑の際にその害悪の 重大性を考慮することは正当化されると述べる。し かし、ヘイトクライムには特殊な害悪があり、その 害悪ゆえに規制されているとするならば、それはヘ イトクライムの象徴的または表現的な性質に着目し たことになるであろう 17 ) 。また、ヘイトクライム法 の場合、個々の状況に特有の事情をはるかに超えて、 被告人の精神状態を理由に刑を加重し、一般化可能 な政治的・社会的立場 - ・ - ーー特に、不快であるとされ る立場・ - ーーを有することを罰している点で、量刑の 際に動機を考慮する場合とは大きく異なると指摘さ れる 18 )

6. 法学セミナー2016年05月号

[ 特集員へイトスピーチ / ヘイトクライムⅡ -- ー理論と政策の架橋 かじわら・けんすけ 051 ーチを捉えることになると、ヘイトスピーチの背後 にある、たとえば「歴史性」や「非対称性」の問題 がかえってうまく反映できないのではないか。つま り、民主主義社会の構成員であれば誰もが守るべき ルールとして位置づけられることによって、ヘイト スピーチ固有の問題が抜け落ちるのではないかとい う危惧もあるのではないか。その点はいかがでしょ うか。 奈須私は、基本的にはそれらは両立するのでは ないかと思います。たしかに、そのルールは万人が 守るべきものです。しかし、構造的に従属状態に置 かれているマイノリティに対し、たとえば「殺せ」 とか「ゴキプリ」といった発言をすることは、とり わけそのルールを逸脱する行為と評価できるのでは ないでしようか マイノリティの保護 奈須それと関連することでみなさんにおうかが いしたいのですが、たとえば、究極的な目的として 構造的差別の是正、あるいは構造的、継続的に従属 状態に置かれているマイノリティの地位の改善とい うことを考え、実際に新たな法規制を行う場合、マ イノリティのみを保護するような規定にすべきなの か。あるいは人種、民族に基づくこれこれの発言を 禁止するというように、マイノリティが多数派に向 けたヘイトスピーチも文面上は規制できるように書 くべきなのか。 桧垣その場合、明らかな観点差別となるので、 やむにやまれぬ利益があるか、手段が限定されてい るかということは、当然問われるかと思うのですが、 その場合に具体的にどのような立法事実があるかと いったことを検討する必要があります。前回の特集 号でもヘイトスピーチの被害の実態が詳しく論じら れましたが、被害の実態というものを実証的に研究 をする必要があると思います。 最近そういった研究が進んできており、たとえば インターネットでのレイシズムに関する社会心理学 者の高史明さんの研究があります ( 高史明ルイシ ズムを解剖する』〔勁草書房、 2015 年〕 ) 。それによると、 ツィッターにおける在日コリアンへの差別的発言の 少なくない分量は、プレゼンスが極端に高い一部の アカウントによってなされていたということが指摘 されています。これは非常に興味深い研究で、ヘイ トスピーチ規制でよくいわれているのが、一部の特 うなものを置けば、たしかにマイノリテイだけを保 め、そのうえで具体的な法益として公共の平穏のよ 梶原究極的な理念を構造的な差別の解消に求 への構造的差別解消を目指すべきだと考えています。 組みの一部として法規制を位置づけ、マイノリティ て、できる限り共通の理解を広げていく全体的な取 がなぜとりわけ問題となるのかということについ うえで、日本社会において特定の集団に対する攻撃 面上は中立な規定にした方がよいと思います。その がら進めていくのが政策上は重要でしようから、文 入れると、できるだけ多くの人々からの理解を得な さらに、施策の継続性といったところまで観点に うことを論文の中で指摘しました。 会の分断につながる危険性があるのではないかとい ては、そうした規制に対する「不公平」感が地域社 ると思いますが、とりわけ住民に近い自治体におい 中村社会の状況にある程度左右される部分はあ るのは難しいのではないかと思います。 ですから、政策的には、マイノリテイだけを保護す からのバックラッシュが起こる可能性があります。 頁以下 ) の中で書かれていたと思いますが、多数派 に入っていくと、これは中村さんが本特集の論文 ( 41 り方だと思います。しかし、実際の政策的なところ 筋的にはマイノリティのみを保護するのが本来のあ にしてマイノリティになされる攻撃だと思うので、 奈須ヘイトスピーチの本質は構造的差別を背景 いう調査は必要と考えています。 りあるといえるかもしれません。その意味で、こう ヘイトスピーチを取り締まるだけでも実効性がかな イッター上の件に限ればですが、一部の特に悪質な います。しかし、この研究に従うと、少なくともツ いのではないかと、実効性の問題が指摘されると思 に悪質なヘイトスピーチを取り締まっても意味がな

7. 法学セミナー2016年05月号

わたしの仕事、法つながり 2 ー調査研究業務 [ 1 ] 概要 企業がサービス提供やサイバーセキュリティ対策 等の取組みを新たに行う場合、法令や通達、ガイド ライン上問題が無いか等も視野に入れる必要があり ます。サービスなり取組みなりの内容が具体的にな ってくれば、各社の法務部に相談して、様々なチェ ックを受けることでしよう。始めた後で、不幸にも 法的なトラブルになってしまった場合には、顧問弁 護士が登場してくることもあるでしよう。 法制度研究部は、もっと手前の段階で関与するこ とが多いです。「こんなイメージのサービス / 取組 みをする ( かもしれない ) のですが、法的に注意す べきポイントはありますか」という感じの調査依頼 を受けて、「 A を行う場合には・に注意する必要が 情報通信総合研究所 桑原俊 あり、 B を行う場合には■にも注意したほうがべタ 法制度研究部副主任研究員 1977 年生まれ。早稲田大学法学部卒、同大 ー」というような調査結果をまとめます。 学院法学研究科修士課程修了 ( 知的財産権 法 ) 、中央大学法科大学院修了、司法修習 修了 ( 新 62 期 ) 後、 2010 年情報通信総合研 [ 2 ] ある具体例 究所入社。 最近あった業務を例に、少し具体的に書きましょ 1 ーはじめに 企業が、サイバーセキュリティ対応を行うにあた って、他の機関や企業と様々な情報のやり取りをす 情報通信総合研究所 ( 以下、情総研といいます ) は、 ることがあります。情報の種類によっては、やり取 一言でいうと、 ICT (lnformation and Communication Technology) 分野の調査研究を行う社会科学系のシ りをするにあたり、法的に注意すべき点があります。 例えば、電気通信事業者の場合は、業務において、 ンクタンクです。研究員は 60 人程度です。 「通信の秘密」を取り扱っています。いつ、だれが、 私が所属する「法制度研究部」は、部長を含め研 どのような通信を行ったかという通信の秘密は、憲 究員 5 名で構成されており、文字どおり、「法制度」 法・電気通信事業法で、「侵してはならない」とさ の調査研究をしています。司法試験の必須科目であ る六法 + 行政法はもちろんのこと、通信事業者の業 れています ( 憲法 21 条 2 項後段・電気通信事業法 4 条 法である電気通信事業法や、個人情報保護法、著作 1 項 ) 。安易に他人に提供すると、通信の秘密の侵 権法等々も登場してきます。法分野的にいえば、「情 害になりますので、どのような場合なら提供できる 報法」を取り扱っています、というと、一番しつく のか / できないのか、ということを考えなければな りくるでしようか ( この分野を概観したい方は、私の りません。 また、やり取りする情報の中には、個人情報が含 上司の著作である小向太郎「情報法入門〔第 3 版〕』 (NTT まれる場合もあります。そうすると、個人情報保護 出版、 2015 年 ) や、曽我部真裕・林秀弥・栗田昌裕『情 法が関係してきます。「当該情報は、『個人情報』 ( 個 報法概説』 ( 有斐閣、 2016 年 ) をご参照下さい ) 。 人情報保護法 2 条 1 項 ) なのか」、「個人情報だとし 業務の種類としては、大きく、調査業務と研究業 た場合、第三者提供を行うことのできる事由 ( 個人 務に分けられるので、これらについて、簡単にご紹 情報保護法 23 条 ) に該当するのか」ということも考 介したいと思います。 えなければなりません。 営業秘密 ( 不正競争防 さらには、プライバシー 008 わたしの仕事、 法つながり ひろがる法律専門家の仕事編 [ 第 13 回 ] あるシンクタンクの お仕事 ーーそして情報法の世界への道案内 つ。

8. 法学セミナー2016年05月号

LAW 104 CLASS ーー財産犯事例で絶望しないための方法序説 [ 第 17 回 ] こバトル回イヤル 電子マネーをめぐる諸問題 肝心な価値は目に見えない 内田幸隆 明治大学教授 法学セミナー 2016 / 05 / no. 736 ク 問題の所在 フ ス 日ごろ、私たちが商品やサービスを受ける際に 現金で決済することは徐々に少なくなってきてい る。例えば、高額な代金を支払うときは預金の振込 みを利用することが一般的であろう。これに対して、 比較的小額な代金を支払うときは電子マネーを利用 することが一般的になってきている。しかし、これ まで刑法上の関心は、現金や預金をめぐる諸問題に 向けられており、どちらかという電子マネーをめぐ る諸問題については議論がそれほど盛んではないよ うに思われる。そこで、今回は、目に見える現金の やり取りとは異なって、目に見えないデータのやり 取りである電子マネーについて、どのような刑法上 の保護を与えるべきかを考えてみることにする。 基本ツールのチェック [ 1 ] 「電子マネー」の位置づけ 電子マネーとーロにいってもそれは多義的なもの である。ひとます電子マネーとは、信用に基づく「電 子的決済手段・サービス」であると定義してみたい が、このように解すると、電子化した通貨の他に 事実上、預貯金に基づく振込決済、デビットカード 決済も含まれることになる。他方で、いわゆる電子 マネーとして認知されているのは、プリペイド式電 子マネーやポストペイ式電子マネーということにな ろう。前者の電子マネーと後者のそれは、その所持 者の実際の支払いが前払いなのか後払いなのかとい う違いがあるものの、取引の相手方にとっては、電 子マネーの使用による金額情報の移転と引き換えに 商品、サービスを提供し、その後、電子マネーの運 営会社からその代金相当額の支払いを受ける点では 共通の性格を有する。この意味で、電子マネーには、 これを使用することによって商品、サービスを取得 することができる点で財産的利益があると認められ る。ただし、ポストペイ式電子マネーは、実際上は クレジットカードによる後払い的性格を有するので あり、これに関する事例については、クレジットカ ードの不正利用の場合と同様な解決を図れば足りる のであって、今回の検討では特にプリペイド式電子 マネーの事例を取り上げることにする 1 [ 2 ] 電子マネーの「財物」性 まず、プリペイド式電子マネー ( 以下、特に断ら ない限り単に電子マネーと表記する ) は、財産犯にお いて保護されるべき「客体」性を有しているのであ ろうか。刑法は「財物」を客体とする財物罪を財産 犯の基礎においており、電子マネーそれ自体が「財 物」であるならば、刑法において広く保護されるべ きものとなる。しかし、電子マネーは電磁的記録に すぎないのであるから無体物である。「財物」性の 要件に有体性を必要と解するのであれば、電子マネ ーそれ自体は「財物」とはならない。しかし、「財物」 性の要件として管理可能性があれば足りるとの見解 をとれば、管理可能であるといえる限りにおいて電 子マネーも「財物」として位置づけられる余地があ る。ただし、管理可能性に着目する見解も「物理的 な」管理可能性を要求しており 2 この意味では電 子マネーそれ自体を「財物」に含めるのは困難であ ろう。これに対して、媒体に金額情報が記録されて いる電子マネー ( 媒体型電子マネー ) については、 その媒体に着目して「財物」性を認めることができ る。例えば、次の事例をみてみよう。

9. 法学セミナー2016年05月号

114 LAW CLASS 13 条に由来する「みだりに容ばう・姿態を撮影され ない自由」 ( 最大判昭 44 ・ 12 ・ 24 刑集 23 巻 12 号 1625 頁 ) が存在することを前提に、公道やパチンコ店内とい った、「通常他者から容貌等の観察自体を受忍せざ るを得ない場所」では、「みだりに容ばう・姿態を 撮影されない自由」は認められるものの、法定の厳 格な要件・手続により保護されるべきプライバシー は存在しないと判断したものといえまず 0 さらに、最決平 21 ・ 9 ・ 28 刑集 63 巻 7 号 868 頁は、 荷送り人の依頼に基づく宅配便業者の運送中の荷物 に対して、その外部から X 線を照射して内容物を観 察した事例について、「その射影によって荷物の内 容物の形状や材質をうかがい知ることができる上、 内容物によっては品目等を相当程度具体的に特定す ることも可能」であることを理由に、「荷送人や荷 受人の内容物に対するプライバシー等を大きく侵害 する」として強制処分該当性を認めています。この 判断は、同じ「観察」に関する平成 20 年決定とは異 なり、本件の荷物のような梱包物には、憲法 35 条に より保護される私的領域性が認められることを踏ま えたものといえます。このように考えると、プライ バシー侵害については、憲法 35 条による保護される 私的領域への侵入・侵害といえるかが、強制処分該 当性判断を左右することになります。 第 2 の混乱は、強制処分該当性の判断プロセスに 関する理解です。ときおり、「本件では、現実には 被対象者のプライバシーを大きく侵害していないの であるから、任意処分と評価される」という主張・ 答案に出会います。しかし、このような結論は、重 要な権利・利益の侵害の有無という判断は、「当該 処分は、その性質上、重要な権利・利益を侵害する ものか」という「一般的・類型的判断」だというこ とを十分理解していないと評価されることになりま す。すでに述べたように、強制処分については事前 規制型の規律が及ぶことになります。事前規制の対 象なのですから、当該処分の ( 事後的な ) 結果を考 慮することはできす、「その性質上、重要な権利・ 利益を侵害する処分」ということになるでしよう。 このような「一般的・類型的判断」と、「具体的に どの程度対象者の権利・利益を侵害したか」という 個別具体的判断は異なります ( 次回以降で述べるよ うに、後者は、任意処分の適法性判断で用いられます ) 。 もっとも、最高裁が、このような論理を、あらゆ る場面で一貫して採用しているかについては疑問が 残り、さらに検討が必要です ll 。もっとも、平成 21 年決定は、「その射影によって荷物の内容物の形状 や材質をうかがい知ることができる上、内容物によ ってはその品目等を相当程度具体的に特定すること も可能」であることを強制処分該当性の理由として います。本件の X 線検査の性質から、一般的・類型 的に、私的領域へ侵入するものかを検討していると も読めます。さらに、上述の GPS 捜査については、 私有地など「プライバシー保護の合理的期待が高い 空間に所在する対象車両の位置情報を取得すること が当然にあり得るというべき」にの点で、任意処分 である尾行・張り込みと異なる ) などとして、強制処 分該当性を認めた下級審判例もあります 12 。このよ うに近年の判例・裁判例は、上述の論理をとりつつ あると評価することも可能でしよう。 判例・通説の考えに対する批判 以上の判例・通説の考えに対しては、その基準に 不明確な部分が残るのではないかといった批判もあ り得ます。そこで、すべての権利・利益の侵害を強 制処分とすべきなどの主張もなされています 13 。す べての権利・利益の侵害を強制処分と評価すべきと する見解については、現実的ではないなどの批判も あり得ます。たしかに、この見解だと、すべての権 利・利益侵害について、強制処分法定主義により内 容・要件・手続を刑訴法で規定すべきことになりま す。もっとも、令状主義は、すべての強制処分に適 用されるわけではありません ( 現行法では法 221 条を 参照 ) 14 ) 。そうすると、侵害対象となる権利・利益の 重要性によって、法定の要件や ( 令状を必要とする かなど ) 手続の厳格さが異なることになり、重要で ない権利・利益の侵害についてはある程度包括的・ 抽象的な規定で足りると考えることも可能でしよう。 判例・通説の見解によれば、重要でない権利・利 益の侵害を含む任意処分については、裁判所の事後 的なケースパイケースの審査が及ぶことになりま す。このような審査などが有効な規制となりうるか との批判があるわけですが、上述の見解においても、 このような処分については、一定程度包括的・抽象 的な規律とそれに基づく審査がなされることになり ます。そうすると、説明のプロセスは異なるものの、 0

10. 法学セミナー2016年05月号

096 法学セミナー 2016 / 05 / n0736 LAW CLASS た場合は乙に何罪が成立するか〔結論 1 〕」、「もし 第 2 行為から死亡結果が発生した場合は乙に何罪が 成立するか〔結論 2 〕」を検討する。そしてこの 2 つの〔結論 1 〕〔結論 2 〕のうち、被告人に有利な 結論を最終的な罪責と確定する。なぜなら、被告人 の罪責は〔結論 1 〕もしくは〔結論 2 〕のいすれか ではあるものの、そのいずれであるかが証明されて いない以上、「疑わしきは被告人の利益に」の原則 に従い、罪の軽い方の結論を被告人の罪責とすべき であるからである。 これを、【間題 2 】に当てはめた場合、「もし乙の 第 2 行為 ( 海中転落行為 ) により V が死亡した場合」 に乙に殺人罪が成立する〔結論 2 〕ことは明らかで ある。なぜなら、その場合、第 2 行為が死亡結果を 惹起したのであるし、 ( 乙はクロロホルムで失神させ た後海中に転落させて殺害しようと考えていた以上 ) この時点で乙に殺人の故意が認められることについ て争いはないからである。 これに対し、「もし乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸 引行為 ) により V が死亡した場合」に乙に何罪が成 立するかについては争いがある。この点、後述のよ うに、判例は殺人罪の成立を肯定するが、学説の中 に殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) しか成立しな いとする見解も有力である。もし第 1 行為により死 亡した場合も殺人罪が成立する〔結論 1 ー 1 〕ので あれば、〔結論 1 ー 1 〕と〔結論 2 〕を比較し、い ずれも殺人罪が成立するのであるから、乙の罪責は 殺人罪となる。これに対し、もし第 1 行為により死 亡した場合は殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) し か成立しない〔結論 1 ー 2 〕のであれば、〔結論 1 ー 2 〕と〔結論 2 〕を比較し軽い罪を選択するので、 乙の罪責は殺人未遂罪 ( あるいは傷害致死罪 ) となる。 このように、【間題 2 】では、「もし乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸引行為 ) により V が死亡した場合」 に乙に何罪が成立するかが論点となっている。この 場合、乙は第 1 行為だけで既遂結果が発生するとは 考えていないので、それが早すぎた構成要件の実現 の事例といえるためには、前述のように、乙の第 1 行為が殺人罪の実行行為といえることがせひとも必 要である。そこで、第 1 行為の開始時点で殺人罪の 実行の着手が認められるかが問題となる。 3 殺人罪の実行の着手時期 それでは乙の第 1 行為 ( クロロホルム吸引行為 ) の開始時に殺人罪の実行の着手が認められるであろ うか。 [ 1 ] 実行の着手時期の判断基準 刑法 43 条は、「犯罪の実行に着手してこれを遂げ なかった者」を未遂犯として処罰することを規定し ている。犯罪とは構成要件に該当する行為でなけれ ばならないから、「犯罪の実行に着手して」とは、 構成要件該当行為を開始することを意味するはずで ある ( 形式的客観説 ) 。 しかし、形式的客観的説を厳格に貫くと、実行の 着手を認める時期が遅くなりすぎ、刑法の本来の目 的である法益保護が十分に達成できなくなる。そこ で、判例は、古くから、構成要件該当行為の開始で はなくても、構成要件該当行為に密接な行為がなさ れた時点で実行の着手を認めている ( 密接行為説 ) 。 例えば、窃盗罪の実行行為は「窃取」であるが ( 235 条 ) 、窃盗犯人が住居に侵入して「金品物色のため にタンスに近寄る」行為は、占有を侵害して移転す る窃取行為そのものではないが、その直前に位置し 窃取行為に密接な行為であるから、その行為を開始 した時点で窃盗罪の実行の着手が認められる ( 大判 昭 9 ・ 10 ・ 19 刑集 13 巻 1473 頁 ) 。 このように、刑法 43 条の文言を重視する以上、実 行の着手時期は、できる限り構成要件該当行為に近 い時点、すなわち、構成要件該当行為の直前に位置 する密接行為の時点で認められるべきである ( 密接 性 ) 。 他方、実行の着手は未遂犯としての処罰を肯定す るものであるから、それは未遂犯の処罰根拠に遡っ て検討する必要がある。結果が発生していないにも かかわらず処罰が肯定されるのは、法益保護という 刑法の目的を達成するためである。すなわち、刑法 は法益保護を目的とするが、その目的を達成するた めには、法益が侵害された場合だけではなく、法益 侵害の危険があった場合をも処罰する必要がある。 しかし、法益侵害の危険が少しでもあれば処罰する ということになれば、国民の自由な行動が萎縮せざ るをえなくなる。そこで、法益保護と行動の自由の 確保の調和点として、法益侵害の具体的危険性が認 められる場合に限定して未遂犯を処罰すべきことに