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1. 法学セミナー2016年06月号

126 B 体系書 かっちりとした論理構成カ寺長の R A R 横組で、本文と総括表だけで 937 頁にもなる大著で ある。これで 5400 円はお買い得。学生にとって厚い 本は取っつきにくいが、勉強が進んでくると、詳しい 説明がある方がかえってわかりやすくなるものであ る。近年労働契約法や労働者派遣法の改正など重要な 法改正が続いているが、本書は判例・裁判例も豊富に 引用されているうえ、解雇などについては証明責任の 分配についても触れている ( 525 頁 ) ほか、一つ一つ の論点について結論を曖昧にせずに論じているので、 実務家にとっても、現在の労働法の全体像を知り、事 件を解決していく上で格好の手引きになるであろう。 全体がかっちりと論理的に構成されている点に特長 頁 ) 。懲戒や配転などを考えれば、「非有利設定効」と いうネーミングも理解できる。 変更解約告知については、留保付き承諾について詳 細に検討し、これを否定して結局解雇・契約更新拒否 の問題に帰着するとする ( 572 ~ 578 頁 ) 。 集団的労使関係法についても 279 頁が割かれてお り、近年の教科書としてはかなり多いものとなってい る。司法試験では集団的労使関係法について 1 問出題 するのが通例になっているが、それらを検討するのに は、近年の組合法に薄い教科書では少し苦しいので、 この程度ボリュームのあるものに目を通しておくのが 適当であろう。 労働協約の拡張適用 ( 労組法 17 条、 18 条 ) につい てはかなり詳しく検討されており ( 833 ~ 854 、 858 ~ があり、場合分けをして 隙間なく論じようとして いる姿勢がうかがわれ る。大目次の他に細目次 が付けられ、全体の構成 をつかむことができる。 事項索引もしつかりして いるので、調べたいこと を探すのは難しくなかろ 解雇、雇止め等につい ての要件と効果の一覧を 「総括表」として、末尾 にまとめているのも、学 R E V I W 川口美資 『労働法』 川口美貴 = 著 信山社 / 2015 年 11 月 /A 5 版 / 本体 5000 円十税 861 頁 ) 、 17 条における 「同種の労働者」につい ては、組合加入資格を有 しない労働者は、同種と は言えないとする ( 837 頁 ) 。著者と古川景ー弁 護士との共著『労働協約 と地域的拡張適用』 ( 信 山社、 2011 年 ) でも展開 されていた点であるが、 説得的である。 司法試験を目指す勉強 家の学生と、労働事件を 担当し労働法をきっちり 生や実務家には頭の整理に役立っと思われる。 読んでいて興味を引く点や新しい発見も少なくない が、思いっくままに、何点かを上げてみよう。 労働契約、就業規則、労働協約、労使慣行等、労働 条件等の決定システムをひとまとめにして論じるの は、評者も『労働契約 Q & A 』 ( 東京南部法律事務所編、 〔日本評論社、初版 1999 年〕、 3 版を経て 2016 年に新 版刊行予定 ) で試みたことだが、本書では第 5 章に「権 利義務関係の決定システムと法源」を立て、整理して いる ( 91 ~ 126 頁 ) 。具体的な問題に取り組む上でも 使いやすい構成である。 労働契約法 7 条の効力について、一般に説かれる「補 充的効力」ではなく、「非有利設定効」ととらえ、労 基法所定の手続要件を充たす必要があるとする ( 105 学びたい実務家にお薦めする。 その他にも、弁護士カ玳理人として賃金請求をした 場合に弁護士口座に送金させることが労基法 24 条に違 反するかという点に関して、訴訟代理人の場合であれ ば、民訴法 55 条で弁済の受領権限が付与されているの で問題ないが、他の場合にはこれを許す規定がないこ とが指摘される ( 243 頁 ) など、実務上生じる疑問点 について細かく目配りされている。 「労働法上の労働者」という近年の争点については、 57 頁から 79 頁を一読することで、大著『労働者概念の 再構成』 ( 関西大学出版部、 2012 年 ) で展開された川 口説の工ッセンスを知ることができる。 峅護士、青山学院大学教授塚原英治 ]

2. 法学セミナー2016年06月号

125 事実の概要 員長は同旨の労働協約を締結した。合併は平成 15 年 当就 X らが職員であった A は経営破綻への懸念から Y 1 月 14 日に発効し、新規程も実施された。 Y は、平 目 に合併を申し入れた。両者理事での合併協議会は、 成 16 年 2 月、再度合併した。合併後の在職期間の退 民 平成 14 年 12 月 19 日、 A 職員の退職金額計算の基礎給 職金は新退職金制度によるが、同制定前の自己都合 則 与額を従前の退職時本俸月額から半減等し ( 本件基 退職には支給しない、合併前の在職期間の退職金は 準変更 ) 、厚年基金支給の年金相当額の退職金から 自己都合退職の係数を用いる旨の文書を作成し、各 暈の の控除は従前通りとし、合併時解約される企業年金 支店長に周知を指示した。各職員は「職員説明につ 保険からの還付額の控除も決めた。同 13 日の職員説 いて」と題する報告書中の同意者氏名欄に署名した。 明会で常務理事が新基準を説明し、管理職には退職 新制度は平成 21 年 4 月から実施された。 X らは Y と 金一覧表を示した。同 20 日、新基準への同意書の署 の合併前の旧規程での退職金を請求したが、原審は 名押印を管理職に求め、全員が応じた。組合執行委 個別合意・労働協約による変更を理由に棄却した。 [ 最ニ小判平 28 ・ 2 ・ 19 裁判所 HP681 / 085681 ー han 「 ei. pdf ] 更 対 す る 労 働 者 の 同 最新判例演習室ーー労働法 するのが大勢である。本件は労契法施行前の事案 就業規則の不利益変更への労働者の同意の有無。 であるが、この点を明確に容認した最高裁判決とし 本件基準変更に係る労働協約締結権限は割愛する。 て注目される。ただし、いくっかの留保が付されて いる。第 1 に、「就業規則の変更が必要とされる」。 破棄差戻し。「労働契約の内容である労働条件 就業規則を変更せず、それを下回る労働条件を労働 は、労働者と使用者との個別の合意によって変更 者と合意しても、労契法 12 条 ( 旧労基法 93 条 ) によ することができるものであり、 ・・・就業規則に定 り無効である。最高裁はかかる合意の拘束力を前 められている労働条件を労働者の不利益に変更す 提とする判断を示したこともあったが ( 朝日火災海 る場合であっても、 上保険事件・最二小判平 6 ・ 1 ・ 31 労判 648 号 12 頁 ) 、 ・・・就業規則の変更が必要と されることを除き、異なるものではない・・・・ ( 労 すでにこの立場を明確に否定しており ( 北海道国際 働契約法 8 条、 9 条本文参照 ) 。もっとも、 航空事件・最ー小判平 15 ・ 12 ・ 18 労判 866 号 14 頁 ) 、 賃金や退職金に関するものである場合には、当該 本件でもこれを踏襲した。第 2 に、新しい判断とい 変更を受け入れる旨の労働者の行為があるとして う点でより重要であるが、「賃金や退職金に関する も、労働者が使用者に使用されてその指揮命令に ものである場合」には同意の有無の判断を慎重に 服すべき立場に置かれており、自らの意思決定の すべきであるとする。労働者の使用従属的立場と 基礎となる情報を収集する能力にも限界があるこ 情報収集能力の限界が根拠とされる。これらの度合 とに照らせば、 ・・・当該変更に対する労働者の同 いが低い場合には、同意が比較的容易に認められる 意の有無についての判断は慎重にされるべきであ 可能性を残す。労務提供の対価である賃金以外の る。そうすると、 ・・・当該変更により労働者にも 労働条件について、同様の判断となるのかも不明で たらされる不利益の内容及び程度、労働者により ある。同意の判断基準としては、賃金債権放棄と合 当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当 意相殺に関する最高裁判決を参照判例として例示 該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内 する。本件と同種事案において、不利益性を十分に 容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思 認識した上での自由な意思に基づく同意を求めた に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な 下級審裁判例をさらに推し進めるものであり ( 本 理由が客観的に存在するか否かという観点から 誌 719 号、同旨・同 677 号 ) 、また、具体的な指標とさ も、判断されるべきものと解する・・ ・ ( 最高裁昭 れるのは、降格が均等法 9 条 3 項違反とならないた 和・・・・・・ 48 年 1 月 19 日第二小法廷判決・民集 27 巻 1 めの労働者の同意の判断基準を説示した近時の最 号 27 頁、最高裁・・・・・・平成 2 年 11 月 26 日第二小法廷 高我判決と類似する ( 本誌 722 号 ) 。退職金という将 判決・民集 44 巻 8 号 1085 頁等参照 ) 。」 来一回きりの給付への著しい不利益 ( 結局のところ 無にする ) という事案の性格と切り離せないが、か 就業規則の不利益変更の拘東カについて、労契 かる同意があれば、第 1 の留保を前提にしても賃金 法 10 条とは別に、労働者の個別合意を根拠として肯 債権放棄として解する余地が生じる。労契法 9 条 定できるか。同法 9 条本文の反対解釈の適否とい 本文の反対解釈により、団体法等の整備のないま う形で同法制定後は議論される論点である。学説 ま、個別労働者の同意に過度の役割を負わせる実 法学セミナー ではなお見解が分かれるが、近年の裁判例では肯定 務が普及した点が危惧される。 ( やの・まさひろ ) 2016 / 06 / no. 737 裁判所の判断 龍谷大学教授矢野日日 g

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018 女子労働者の平均賃金なのか。なぜ、男子労働者な いし全労働者の平均賃金でないのか、という問いに 対する答えにはなっていない。 あるいは、最高裁が、家事労働を労働社会におけ る同等の仕事とのアナロジーで金銭評価することか らすれば、家政婦や保育士といった職にある人の賃 金を基礎とした算定を想定した上で、これらの職が、 ほば女性によって担われていることから、女子労働 者の平均賃金をもって逸失利益額を推定したとも考 えられる。もっとも、そうであれば、平均賃金以上 の収入がある有職者が家事を負担していたケースで も、 ( いわば、外の仕事を終えて帰宅した後、家政婦・ 保育士としてダブルワークしているようなものである から、 ) この者の逸失利益を算定するにあたっては、 家事労働分の加算が当然に認められなければならな い。しかし、最判昭和 62 ・ 1 ・ 19 民集 41 巻 1 号 1 頁 は、「被害者が専業として職業に就いて受けるべき 給与額を基準として将来の得べかりし利益を算定す るときには、被害者が将来労働によって取得しうる 利益は右の算定によって評価し尽くされることにな る」として、「家事労働分を加算することは、将来 労働によって取得しうる利益を二重に評価計算する ことに帰するから相当ではない」との判断を示すの である。 結局、以上の実務は、家事は女性の仕事との前提 から導かれたとしか考えられない。そして、歴史的 に ( 現在においてもなお ) 家事労働を担ってきたの が主に女性であったとしても、家事労働は女性が担 うものとの決めつけは、性別役割についてのジェン ダーバイアス以外のなにものでもないのである。 では、家事従事者の逸失利益はどのように算定す べきなのであろうか。そもそも、最高裁が「家事」 と一括りにする労働は、家族 ( 依存者 ) のケアニ ズに対応したケアワークたることを本質としている ところ、こうしたケアワークは、人が生きていくた め、社会を維持していくために不可欠の前提をなす 労働であるといえる。人は誰もが昔は子どもだった のであるが、子どもは、特に幼少期においては、大 人のケアなしには生存すら困難なのである 無論、炊事・洗濯については家事代行サービスを 利用する、また、幼児については保育園、要介護者 については介護サービスを利用し、適切な施設に入 居させる等、一定の家事を外部化することは ( 費用 の問題は別として ) 可能である。 しかし、介護について、在宅で受けられる公的な 介護サービスは限られており、施設入所といっても、 特別養護老人ホームは入所待ちが常態化している。 育児についても、望んだ保育園がいつでも利用でき るわけではないのであって、子どもの預け先が決ま らなければ、産休・育休が終わっても仕事に復帰で きないのが現実である。運良く希望の保育園に預け られたとしても、子どもが体調を崩せば、保育園か らの電話一本で親は迎えに行かなければならない。 その後も、病児が回復するまでは、親の保育が原則 であって、病児保育施設を利用しようとしても、定 員は限られている。子どもが障害を抱えているケー スでは、問題はより深刻となろう。 誰かがケアしなければ生存すら危うい依存者につ いて、最終的に、 ( 他に引き受け手がない場合には否 応なく、 ) この義務を負うのがケアワーカーたる「家 事従事者」なのであるとすれば、ケアワーカーは、 まさに賃労働を裏から支えていることとなる。ケア ワークを担いながら、キャリアを継続することを可 能とする社会システムが整備されていない日本の現 状を考えた場合、この担い手を欠くことは、夫婦の 一方の職を奪うことにもつながりかねないのであっ て 7 、「家事労働」の財産的価値は、この観点から 正しく評価されなければならない。すなわち、家事 労働は、少なくとも賃労働と等価の評価に値するの であって、全労働者平均賃金をもってその対価を算 定することが適切と考えられるのである 8 なお、ケアワークは全人的な労働であり、求めら れる労働の質および量は、各家庭におけるケアニ ズに応じて千差万別であるところ 9 こうした労働 の金銭評価が困難であることは上掲昭和 49 年最判の 論じる通りである。この点、最判昭和 56 ・ 11 ・ 12 民 集 35 巻 9 号 1350 頁は、損害の発生は明らかだが、従 来の損害算定方法では損害を適切に算定できない、 その点で今回と同様のケースにおいて 10 、「かりに」 労働能力の喪失自体を損害として観念することがで きるとすれば、労働能力喪失率によって逸失利益を 算定できることを論じる。上掲昭和 49 年最判が家事 労働の評価にあたっても同様の立場に立つものと考 えれば、賃労働の対価により、被害者の労働能力に ついての評価は尽くされてとして、家事労働分の加

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特集 i ン 039 題の多い配転命令をめぐる法理論 ( 3 ) と、 2014 年 秋に出された広島中央保険協同組合事件最高裁判決 ( 4 ) を取りあげ、それを通じて、労働法学におけ るジェンダー視点の重要性を論じていくことにする。 ジェンダー視点が労働法に間いかけるもの [ 1 ] 問われている問題 ジェンダー視点が労働法に問いかけるもの、それ は、誤解をおそれずにいえば、労働法が想定する「人 間像」の妥当性、適切さへの疑問ということに集約 されると考えられる。 「労働法」は、雇用労働に関わる諸法令やさまざ まな命令あるいは裁判規範によって構成される法領 域を指し、また、これを理論化・体系化し、またそ れらが社会的正義にかなったものであるかを探求す る学問を労働法学と呼ぶが、それらの諸法令やその べースとなる労働政策は、一定の「あるべき人間像」 を指向して作られ、また、労働法学も「あるべき人 間像」を措定して、それに照らし正義を論じる。 そのようななかで、ジェンダー視点が労働法に問 いかけるのは、その「あるべき人間像」の妥当性あ るいは適切さである。 [ 2 ] 「逃げていく平等」という指摘 ところで、制定法や裁判規範あるいは法律学とい った、「法」が想定する「人間像」の妥当性につい て鮮烈に問題提起する最近の議論として、政治哲学 者エヴァ・フェダー・キティが展開する「ケアの倫 理」が挙げられる 4 「ケア」とは、一般的に、「依存的な存在である成 人または子どもの身体的かつ情緒的な要求を、それ が担われ、遂行される、規範的・経済的・社会的枠 組のもとにおいて、満たすことに関わる行為と関係」 と定義されるが 5 ) 、さしあたりは、介護、介助、看護、 育児といった行為を指すものと理解することができ る 6 キティは、ケアの倫理のなかで、そのような「ケ ア」を引き受ける者が不利益を被ったり困難な状況 に遭遇することを指摘し、これを「逃げていく平 等」と表現している。この「逃げていく平等」とい う表現は、公正や中立、平等といったリべラルな理 念を追求し、またそれに基づく政策を行おうとも、 9 それらがもたらす利益は人々の間で均等に配分され ることがないという事態が生じている状況を指して いる。 このような事態が生じることについて、キティは、 「私たちはみな一定期間、依存状態にあ」り、「しか も多くの人が ( たいていは女性だが ) 依存者の世話 をしなくてはならない」にもかかわらず、社会を構 成するさまざまな制度等が、「私たちはみな ( 少な くとも理想的には ) 自由で平等な市民として生きて いるという理解」に立った平等概念に拠って作られ ているからであるとする 7 。つまり、これを「法」 に引き寄せていうならば、「法」が拠って立つ伝統 的な正義論が、「あるべき人間像」として、自由で 自律的で自己充足し、他者と同等に社会に位置づけ られる者を想定し、依存者および依存者のケアを行 う者を議論の射程から排除しているがゆえに、依存 者のケアを引き受けている者の手から「平等がすり 抜けていく」のだという。そして、キティは、公正 でケアに満ちた社会を構築するためには、人間の依 存の不可避性を認識するとともに、ケアを行ってい る最中も、ケアをし終えたあとも、ケアする人が十 分に代価を得、社会的財をめぐる競争に参加するこ とが可能となるような手段と政策を発展させること が必要だと主張する 8 ここには、労働法ないし労働法学について論じて いくうえで、非常に重要な指摘が含まれていると考 えられる。つまり、従来の労働法制度あるいは労働 法学は、ケアを引き受ける労働者を、措定された「あ るべき人間像」から外れる者として扱ってきたので はないか、あるいは、ケアを引き受ける労働者をそ うではない労働者と同等の自由で平等な「人間」 ( 「個 人」と言い換えてもよいかもしれない ) の枠に押し込 めながら、当該「人間」の意思やそれら「人間」の 行う契約締結の自由に重きを置き、それへの拘東を 当然のこととする法制度の設計や法解釈を行ってき たのではないかという指摘である。 ケアを引き受ける労働者の多くが女性であるとい う現実に照らすならば、ケアを引き受ける労働者を 十分に意識しない、あるいはまったく意識しない法 制度や法解釈は、ジェンダー・バイアスのかかった 法制度あるいは法解釈である。そして、そうである とすれば、労働政策や労働法学は、その「人間像」 を修正し、ケアを引き受けている労働者が、その最

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040 中も、そしてその後も不利にならないような法制度 や法理論を構築すべきである、という結論が導かれ ることになる。 [ 3 ] 「人間像」の再検討 ケアの倫理は、法制度や法理論が「人間像」を正 確に捉え損なっていることを鋭く批判する。 それでは、労働法において、あるべき人間像とは どのようなものなのか。「ケアを引き受ける労働者」 がそのなかに含まれなければならないのは間違いな い。そこで、 3 ではその点を意識して論じていくこ とにする。また、妊娠、出産という身体的機能を有 する女性労働者の葛藤は、法における人間像のなか にどのように組み込んでいくべきなのか。 4 では、 この点を考えながら検討していきたいと思う。 「配転」をめぐる間題 [ 1 ] 判例・通説の配転理論 労働法が措定している「あるべき人間像」が適切 なものかを問い直す必要性を感じるひとつの例とし て、配転 ( 特に通勤時間に影響を及ばす勤務地の変更 や転居を伴う配転 ) がある。 現在の判例・通説によれば、労働契約や就業規則 において使用者に配転命令権が設定されておれば ( たとえば、就業規則に、「業務上、必要があれば、会 社は従業員に対して配転を命じることができる。」旨の 規定が置かれている ) 、使用者はその雇用する労働者 に対して、本人の同意を得ることなく、裁量的な判 断により、配転を命じることができるとされている。 使用者の配転命令権に関するリーディング・ケー スである東亜ペイント事件最高裁判決 9 ) は、使用者 がその裁量で行使することができる配転命令権の存 在を肯定したうえで、ただしその権利は濫用される ことは許されないとし、「当該転勤命令につき業務 上の必要性が存しない場合又は業務上の必要性が存 する場合であっても、当該転勤命令が他の不当な動 機・目的をもってなされたものであるとき若しくは 労働者に通常甘受すべき程度を著しく超える不利益 を負わせるものであるとき等、特段の事情の存する 場合でない限りは、当該転勤命令は権利の濫用にな るものではないというべきである。」と述べた。つ まり、使用者に配転を命ずる権利を認めたうえで、 それに対して権利濫用の禁止という法原則に基づく 規制をかけていくという法律構成をとっている。 のような法律構成は、学説における通説でもある。 また、同事件最高裁判決は、 こでいう「業務上 の必要性」について、「当該転勤先への異動が余人 をもっては容易に替え難いといった高度の必要性に 限定することは相当ではなく、労働力の適正配置、 業務の能率増進、労働者の能力開発、勤務意欲の高 揚、業務運営の円滑化など企業の合理的運営に寄与 する点が認められる限りは、業務上の必要性の存在 を肯定すべきである」としているため、現実には、 使用者にはかなり広範に配転を命じる権利が認めら れおり、それが権利の濫用であると判断されるには、 労働者の側に私生活やキャリアなどの点でかなり重 大な不利益な存することが必要であな 0 ) [ 2 ] ジェンダー視点からの考察 ところで、育児や介護といったケアを引き受ける 労働者は、配転命令によって育児や介護と仕事との 両立が困難となる場合が多い。そして、配転命令に 応じられないとして、それを拒否した場合、懲戒処 分や解雇の対象となる可能性が高い。 またそれを回避しようとして、非正規労働 ( パー トタイム労働、有期契約労働、派遣労働 ) といった就 業形態を選ぶインセンテイプが働ぐ l)o 非正規労働 に従事する場合、一般的にその賃金水準は低ぐ幻 また雇用が不安定であるというきわめて重大な問題 もあり、非正規労働を主たる収入源としながら自ら の生活を成り立たせていくことは相当に大きな困難 を伴う。 先述したように、ケアを引き受ける労働者の大部 分は女性労働者である。そして使用者にかなり広範 な配転命令権が認められる場合には、上述のような 不利益は女性労働者のうえに集中することになる。 そうであれば、ジェンダー視点からみた場合、広範 な配転命令権の肯定と権利濫用による規制という法 律構成をとる配転理論は、ジェンダー・バイアスの かかった法理論であるということができ、それゆえ に再検討されるべきであるとの要請が生じる。 具体的には、たとえば次のような点が検討の対象 となってこよデ 3 ) 。 第 1 に、労働者は、採用の際に、使用者が業務上 の必要に応じて配転命令を行うことに対し事前に包

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集 ェノ -. 法 017 ためである。一般に、学歴が高いほど、労働能力 ( よ り複雑で高度な労働を担う可能性 ) が高くなるといえ るのであって、その意味で、逸失利益を算定するに あたって学歴を考慮すること ( その前提として、進 学の蓋然性を判断すること ) は、労働の対価を測る上 で合理的であるといえる。 これに対し、性別は、判決も指摘するように、被 害者が「本来有する労働能力」にかかわる要素では なし、 3 ) 。たとえ、現実には、被害者の性別が将来の 収入額に影響するのだとしても、本来の労働能力に かかわりのない「性別」を、あえて考慮して被害者 の労働の対価を測ること、それ自体が憲法 14 条の禁 じる「性別による合理的理由のない差別」といわざ るを得ないのである。同じことは、憲法 14 条が列挙 する「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」の 全てについていえるのであって、仮にこれらの属性 と収入額の関係を示す統計が存在したとしても、国 家機関たる裁判所が、逸失利益を算定するにあたり、 この統計を利用することは許されない ( 無視しなけ ればならない ) と考えられよう 4 上述の通り、女子年少者に係る実務においては、 平成 13 年頃を境に、性別統計によらす全労働者平均 賃金を用いることが一般化しているのであって、そ の論理は別論、実務は正しい方向に歩みを進めてき たといえる。もっとも、以上の議論の射程は、女子 年少者の逸失利益算定場面にとどまるものではない のであって、少なくとも、男子年少者の逸失利益に ついて男子労働者平均賃金を基礎収入とする実務 は、まさに上記の理由で否定されることとなろう 5 では、学生についてはどうか。年少者と異なるの は、同年代で既に働いて収入を得ている者が存在す る点である。社会では、男女の収入格差は厳然と存 在する。均衡をとる必要はないのであろうか。 しかし、この点、実務は、 30 ~ 35 歳程度までの若 年者につき、収入額が平均賃金を下回る場合には、 平均賃金をもって逸失利益を算定している。すなわ ち、学生と同年代の既就労者の逸失利益は、そのほ とんどが平均賃金をもって算定されることとなる。 現在の実務は、この算定にあたり性別統計を用いる が、これを男女計の統計とすれば、学生について、 全労働者平均賃金に基づき逸失利益を算定すること で生じる不均衡は存しないこととなろう。 翻って考えるに、そもそも、問題となっているの が肌の色や宗教といった属性であったとすれば、 うした属性を考慮することが差別にあたることは自 明であって、こうした実務がまかり通ることは考え られない。にもかかわらず、性別統計を用いた算定 について、我々が問題を認識できなかったのはなぜ か。そこには、性別によって働き方が異なり、労働 の対価も異なることを当たり前とする意識があった と考えざるを得ない。この意識は、現在もなお、 定程度、社会に共有されており、それは、当事者で ある女性自身も例外ではない。性別統計の採用を巡 る問題は、根深いジェンダーバイアスが、性別によ る合理的理由のない差別を不可視化したケースとし て理解できよう。 [ 3 ] 家事従事者の逸失利益 次に、家事従事者の逸失利益の算定をめぐる問題 について検証する。無償労働である家事労働従事者 に逸失利益を認めるか、認めるとして損害額をいか に算定するかは議論のありうるところ、リーディン グケースとなった最判昭和 49 ・ 7 ・ 19 民集 28 巻 5 号 872 頁は、「家事労働に属する多くの労働は、労働社 会において金銭的に評価されうるものであり、これ を他人に依頼すれば当然相当の対価を支払わなけれ ばならない」こと等を指摘し、「妻は、自ら家事労 働に従事することにより、財産上の利益を挙げてい る」ことを結論する。そのうえで、家事労働を金銭 的に評価することも不可能ということはできない が、具体的事案において家事労働を金銭的に評価す ることが困難な場合には、現在の社会情勢等にかん がみ、「平均的労働不能年齢に達するまで、女子雇 用労働者の平均的賃金に相当する財産上の収益を挙 げるものと推定するのが適当」と判示するのである。 以上の実務につき、ます、疑問符が付くのが、女 子労働者平均賃金によるという算定の根拠である。 最高裁の上掲判決についていえば、問題となった 事案で、家事に従事しているのが女性であったから、 というのが一つの答えである。しかし、実務は、性 別にかかわらす、家事従事者の逸失利益は、女子労 働者の平均賃金を用いて算定している ( 広島地判平 成 10 ・ 10 ・ 29 自保ジャーナル 1285 号 ) 。同じ家事労働 について、男女で評価額が異なるのはおかしいとの 理由も考えられるが、そうであったとしても、なぜ、

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041 ェンダー法入 特集 括的な同意を与えているという法律構成の妥当性で ・バイアスのない配転理論を構築することが可能 ある。一般に、採用時というのは、もっとも労働者 になると考えられる。 の立場の弱い時点である。この法律構成は、そのも っとも労働者の立場が弱い時点で、使用者の配転命 妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止 令権に事前の包括的な承諾を与えるか、それとも就 職を諦めるかという二者択一を迫り、そこで得られ [ 1 ] 問題の所在 使用者は、女性労働者が妊娠したこと、出産した た事前の包括的同意に、当該労働者の職業生活全体 こと、産前産後休業を取得したこと等を理由として、 を支配する法的効力を認めようとするものである。 当該女性労働者に対し、解雇その他不利益な取扱い しかし、労働者が他者のケアを引き受ける状況に 置かれるかどうか、その状況に置かれた場合にどの をすることは許されない ( 男女雇用機会均等法 9 条 3 ような対応が必要となってくるかは、あらかじめ予 項。以下、均等法という ) 。 しかし、女性労働者が、妊娠あるいは出産した場 想することはできない。それにもかかわらず、使用 合、従前と同じような状態で職務に従事することが 者の配転命令に対する労働者の事前の包括的同意を ( 一時的に ) 困難となることがある。そのような場合、 認めてしまうと、労働者の職業生活、場合によって は人生のあり方そのものが、使用者の裁量的な判断 使用者は配置転換や役職を免ずるなど、業務上の都 に委ねられてしまうことになる。そのような帰結が 合から、一定の人事上の措置を行うことがありうる。 たとえば、管理職である女性労働者が、妊娠あるい 妥当とは思われない。 は出産から生じる心身の変調や育児のため、頻繁に 第 2 に、使用者はその有する配転命令権を濫用す 休暇を取得しなければならず、それゆえに管理職の ることは許されないが、濫用にあたるのは、使用者 重責を担うことが困難であるとして、降格される場 が労働者の置かれている状況に対して十分な配慮を しなかった場合である。しかし、ケアを引き受ける 合などである。そうした場合に、その措置は、妊娠、 出産等を「理由として」行われる不利益取扱いにあ 労働者にとって、ケアと仕事との両立にとっていか なる措置が必要かは労働者本人が決定すべき事項で たるかが問題となる。 あって、パターナリスティックに使用者の配慮に委 ねることは適切ではないと考えられる。 [ 2 ] 広島中央保険協同組合事件 もちろん、こで主張したいのは、使用者が業務 (i) 事案および判決の概要 このことが問題となったのは、広島中央保険協同 上の都合から労働者を配転することを認めるべきで はないということではない。使用者にとって、人事 組合事件である。同事件では、管理職 ( 副主任 ) の 地位にあった女性労働者 X が、第 2 子の妊娠を契機 や経営上の都合から労働者を配転することが必要な 、こで問おうとして に、業務負担の軽い職場への異動を求めたところ、 場合もあろう。そうではなく、 いるのは、ケアと職業生活との両立に関わる決定権 使用者である Y は、 X の希望を受け入れたうえで、 限は、ケアを引き受ける労働者に委ねるべきではな X を副主任から解任し ( 措置 1 ) 、 X が産前産後休 業および育児休業を終えて復職したあとも、副主任 いかということである。 このように考えてくると、使用者に広範な配転命 に復帰させることはなかった ( 措置 2 ) 。本件は、 x に対する措置 1 および 2 が均等法 9 条 3 項等に違 令権を認める法律構成ではなく、使用者の側に業務 反し無効であり、不法行為等に該当するとして、副 上の必要性が生じた場合に、対象労働者に対し配転 主任であれば支給されたはずの管理職手当相当額の の提案を行い、その後に、個別具体的に当該労働者 支払いを求めた事案である。 から配転についての同意をとるという法律構成 14 の x の請求に対し、第一審 15 および原審伺ともに 方が妥当であると解される。そして、当該労働者が 本件措置 1 については X の同意があったことを認定 どのような判断を行おうとも ( 配転に同意しようが、 し、また本件措置 2 については業務遂行・管理運営 あるいは同意しなかったとしても ) 、そのことによっ 上、人事配置上の必要性に基づいて Y の裁量権の範 て解雇や懲戒処分といった不利益を課すことは許さ 囲内で行われたものであるとして、 X の請求を棄却 れない。このように考えることによって、ジェンダ

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043 特集 本件の差戻控訴審 ( 平 27 ・ 11 ・ 17 労判 1127 号 5 頁 ) が示 した「特段の事情」の判断手法や、使用者に課される「女 性労働者の母性を尊重し職業生活の充実の確保を果たす べき義務」の意義についても論じるべき点は多い。これ らの点については、他日を期したい。 19 ) なお、本件最高裁の発想は、シンガー・ソーイング・ メシーン事件・最判昭和 48 ・ 1 ・ 19 民集 27 巻 1 号 27 頁に おいて展開された、色川裁判官の反対意見にも通じるも のがある。 20 ) 近年、強力に進められている労働法制の規制緩和は、 ジェンダー視点から見た場合にも、さまざまな問題を含 むものである。西谷敏他「日本の雇用が危ない』 ( 旬報社、 2014 年 ) 参昭 (1) 女性の労働実態からみた有期労働契約法制の問題点 を論じるものとして、緒方桂子「新しい有期労働契約法 制と社会的包摂」法律時報 85 巻 3 号 ( 2013 年 ) 15 頁以下。 22 ) 労働者派遣法について批判的に論じる理論書として、 和田肇・脇田滋・矢野昌浩編著『労働者派遣と法』 ( 日 本評論社、 2013 年 ) 。 ( おがた・けいこ ) カテゴリーに関連する社会規範及び社会制度」を指す場 合、⑦男女の権力関係を指す場合である。 2 ) 「法は、ジェンダー規範の最たる表現」であると表現 し、その問題性を論じるものとして、三成美保「ジェン ダー概念の展開と有効性」ジェンダーと法 5 号 ( 2008 年 ) 78 頁。 3 ) 浅倉むつ子「ジェンダー視点の意義と労働法」荒木 誠之・桑原洋子編『社会保障法・福祉と労働法の新展開』 ( 信山社、 2010 年 ) 412 ー 417 頁。 4 ) エヴァ・フェダー・キティ ( 岡野八代・牟田和恵監訳 ) 『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』 ( 白澤社、 2010 5 ) DaIy, Mary, ed. , 2001 , Care Work: The Quest for Security, lnternational Labour Office. 6 ) なお、「ケア」概念をめぐる議論については、上野千 鶴子『ケアの社会学』 ( 太田出版、 2011 年 ) 39 頁以下参照。 7 ) キティ前掲注 4 ) 34 頁。 8 ) なお、キティの展開するケアの倫理については、工 ヴァ・フェダー・キティ ( 岡野八代・牟田和恵訳 ) 「ケ アの倫理からはじめる正義論 - ーー支えあう平等』 ( 白澤 社、 2011 年 ) も非常に参考になる。 9 ) 東亜ペイント事件・最判昭和 61 ・ 7 ・ 14 労判 477 号 6 頁。 10 ) 息子の保育園への迎えの都合から配転命令を拒否し た女性労働者に対して行われた懲戒解雇を有効とした事 案としてケンウッド事件・最判平 12 ・ 1 ・ 28 労判 774 号 7 頁、重度のアトピー性皮膚炎に罹患している幼児をも っ女性労働者に対して行われた配転命令が権利の濫用に あたると判断された事案として明治図書出版事件・東京 地決平 14 ・ 12 ・ 27 労判 861 号 69 頁、精神疾患の妻を有す る労働者および要介護状態の母を持っ労働者に対する配 転命令が権利濫用にあたると判断された事案としてネス レ日本事件・大阪高判平 18 ・ 4 ・ 14 労判 915 号 60 頁がある。 (I) 非正規労働者であれば配転されないということでは なく、あくまでも配転命令の有無は労働契約上の取り決 めによるが、一般的に、非正規労働者の多くは勤務場所 や職種を限定して採用されることが多いため、配転命令 の対象とならないことが多い。 12 ) 平成 26 年賃金構造基本統計調査 (http://www.mhlw. go. jp/toukei/itiran/roudou/chingin/kouzou/ z 2014 / d レ 06. pdf) によれば、平成 25 年度雇用形態別の賃金の状 況は、男性正社員を 100 とした場合、正社員以外の男性 は 65 、女性正社員は 74 、正社員以外の女性は 52 となって いる。 13 ) なお、この点について論じるものとして、緒方桂子「ケ アと労働ーー労働法の解釈学における「ケアの倫理」の 可能性」ジェンダーと法 N012 ( 2015 年 ) 37 頁以下。 14 ) 個別的随時同意説。個別的随意同意説の意義につい て論じるものとして、緒方桂子「「ワーク・ライフ・バ ランス』の時代における転勤法理ー一個別随意合意説の 再評価」労働法律旬報 1662 号 34 頁以下など。 15 ) 広島地判平 24 ・ 2 ・ 23 労判 1100 号 18 頁。 16 ) 広島高判平 24 ・ 7 ・ 19 労判 1100 号 15 頁。 17 ) 最判平 26 ・ 10 ・ 23 労判 1100 号 5 頁。 18 ) 本件最高裁判決は非常に興味深い判決であり、さま ざまな観点から検討する必要があると思われる。また、

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038 [ 労働法 ] ジェンダー法学の視点からみる労働法 より人間らしい労働の世界へ 教挂 学 大方 法 法学セミナー 2016 / 06 / n0737 る 2 。簡単にいえば、一見性に中立的にみえる「法」 はじめに のなかにも、当該社会において「かくあるべき」と 本稿は、ジェンダー法学の視点から労働法を見直 される男性像・女性像が組み込まれているというこ すことの意味を具体例を挙げつつ論じるものである。 とである。 このテーマのもとで議論を進めるにあたって、ま そして、浅倉教授は、これらを踏まえて、「ジェ ず、「ジェンダー法学」とは何かを明らかにしてお ンダー法学」について、「ジェンダーに敏感な視点 くことが必要であろう。もっとも、その作業は容易 で法と社会を深く分析し、研究することや、法にお なものではない。「ジェンダー」という概念は、 けるジェンダー・バイアスを発見し、それを批判す 般的に「社会的・文化的性別」と定義されるが、そ ることなどの目的を共有している法学の総称」と定 れ以外の意味をもって使用されることもあるからで 義する 3 ある 1 つまり、「ジェンダー法学」は、「法学」と称され しかし、この点について、ジェンダーの視点から ているが、民法や刑法、労働法といった個別分野の 労働法を論じることの重要性を説く、この分野の第 法学のように、一般的に承認された法体系をもった 一人者である浅倉むっ子教授は、「ジェンダー」概 学問分野というわけではない。と同時に、「ジェン 念の多義性を追求するよりも重要なのは、「なぜ『ジ ダー」という語感からイメージされるような、もっ ェンダー概念』が登場したのか」を問うことである ばら女性に関わる問題のみを扱う学問領域というわ という。 けでもない。労働法に置き換えていうならば、女性 すなわち、浅倉教授によれば、ジェンダーについ の労働に関わる問題、たとえば性差別、セクシュア て論じる「ジェンダー論」は、性差は生物学的セッ ル・ハラスメント、妊娠・出産等女性特有の機能の クスによって決まる「宿命」であって変えられない 保護のあり方に関する問題のみを対象とするわけで というきわめて固定的な性別観に対抗して登場した はないということである。 理論であり、その理論は、人間をその「宿命」から もちろんこれらは、ジェンダー法学の観点から考 解放することをめざして、人の性別・性差がセック える労働法の重要な課題ではある。しかし、ジェン スでなくジェンダーによって決まること、性別には ダー法学の対象はこれにとどまらない。一見、性に 社会的・文化的な多様性があること、社会を作って 中立的な法制度等のなかに潜む、男性ないし女性の いる人が性別・性差を変えることができることを明 いすれか一方に ( 多くは女性であるが ) 、多くの不利 益を被らせるような仕組みをあばきだし、その問題 らかにした考え方であるという。また、それととも 性を的確に指摘したうえで、克服や解決を目指すこ に、同教授は、今日の日本社会を含め、近代以降の 社会では、あらゆる領域にジェンダー秩序が行き渡 ともまた、ジェンダー法学の重要な役割である。 っており、社会において最高の権威と権力を有する そこで、本稿では、労働法におけるジェンダー視 「法」は、社会におけるジェンダー規範を反映し、 点について、もう少し掘り下げて検討したうえで ( 2 ) 、労働法学におけるジェンダー視点からみて問 それを体現するものとして成立してきたと指摘す

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042 たものとはいえない。 0 これに対し、最高裁 17 ) は、次のような判断枠組み もちろん、自らの自由な意思に基づいて人事上の に基づいて審理を行い、結論として、原審を破棄し、 不利益な措置に同意する女性労働者もいるだろう。 高裁に差し戻す判断を行った。 しかしそれは、そのような同意をすることで、母性 すなわち、本件最高裁は、①妊娠を契機とする軽 が尊重されたり、職業生活の充実の確保が図られる 易業務への転換に伴う降格は、原則として、均等法 ような事情、たとえば管理職から解放されることで 9 条 3 項違反に当たる、②ただし、 ( a ) 労働者の自由 業務の負担が大きく軽減され、妊娠中の就労の継続 意思による承諾があるとする合理的理由が客観的に が容易になる、受ける不利益の程度が享受する利益 存在する場合、 ( b ) 降格させずに異動させることに業 に比して小さい等の事情を踏まえたうえでの判断で 務上の必要性から支障がある場合であって、降格さ あるのが通常である。その通常の感覚を、本件最高 せることが均等法違反とならないと解される特段の 裁は法解釈のなかに適切に組み込んだものと評価す 事情がある場合には、同項に禁止される取扱いには ることができる。 あたらないとした。 以下では、本稿のテーマとの関係で、 ( a ) の点に着 おわりに 目して検討する 18 ) ( ⅱ ) 「同意」に関する最高裁判決の判断枠組みとジ 本稿では、ジェンダー視点から労働法を考える際 ェンダー視点からの評価 に重要なのは、法制度や法理論において措定されて 本件第一審、原審、そして最高裁も、本人の同意 いる「人間像」の妥当性を追究することであるとし ないし承諾があれば妊娠を契機とする軽易業務への たうえで、配転法理と妊娠、出産を理由とする不利 転換に伴う降格は違法ではないとする点においては 益取扱いを例に挙げ論じてきた。 同じである。しかし、前二者と最高裁では、その「同 このような姿勢で労働法の動向を眺めてみるなら 意」の認定の方法がまったく異質なものである点に ば 20 ) 、近年整備された有期労働契約法制 21 や 2015 年 注目する必要がある。すなわち、最高裁は、第一審 秋に行われた労働者派遣法の改正 22 、あるいは、現 や原審とは異なり、単に事実の経過のなかから X の 在、国会において継続審議となっている新しい労働 同意を認定するのではなく、①本件措置により受け 時間規制のあり方などについても、いろいろと論ず る有利なまたは不利な影響の内容や程度、②使用者 べきことが多いことに気がっく。それらの法制度は、 による説明の内容その他の経緯、③当該労働者の意 本当に、あらゆる労働者にとって公正で正義にかな 向等、降格について X の同意があったと認めること ったものといえるのか。女性労働者が被る不公正な のできるだけの客観的に合理的な理由を探求したう 状況は、いつか男性労働者にも及ぶ。あるいは、男 えで、それが認められないとして、降格に対する x 性労働者にネガテイプな影響を及ばすこともある の同意の存在を否定したのである。 ワーキングプアの問題や長時間労働、過労死、介護 このような判断の手法は、ジェンダー視点からも 離職といった問題は、その徴表であると思う。 高く評価できる 19 ) 。なぜなら、妊娠中の女性労働者 これらの問題の根本の原因はどこにあるのか。ジ が精神的なストレスを回避したいという思いから、 ェンダー視点は、それを解き明かす重要なキーを私 あるいは、周囲への気兼ねから、不利益な人事上の たちに提供している。 措置に対して不承不承であれ同意の意思表示を行う ことは容易に想定することができ、そのようにして 1 ) 江原由美子「ジェンダー概念の有効性について」若 桑みどり他編著『「ジェンダー」の危機を超える ! 』 ( 青 表示された意思に基づいて人事上の不利益な措置が 弓社、 2006 年 ) 38 0 頁は、「ジェンダー」という言葉に 違法ではないとされてしまうならば、妊娠、出産と ついて、比較的多い使用法を 7 つに分けている。すなわ いう身体的機能を有する女性労働者は、自ら下した ち、①性別とほとんど同義で使用する場合、②当該社会 で見出しうる「事実上の性差」という意味で使用する場 「自律的な」判断のもとに、さまざまな不利益に甘 合、③「社会的・文化的特性」を指す場合、④「社会的・ んじなければならないということになってしまうか 文化的意味づけ」を意味する場合、⑤「性別や性差につ らである。そのような状態は、およそ正義にかなっ いての知識一般」という意味で使用する場合、⑥「性別 0 三