へし、し ないちゃくゆうめい しやしん 崩れ落ちる兵士』キャパの名を一躍有名にした写真。いとも簡単 ひとり にんげんいのちうは せんそうおそ った に 1 人の人間の命が奪われていく戦争の恐ろしさが伝わってくる。 ほうどうしやしんか になったのは、パリで駆け出しの報道写真家と せいかっ しごとじよう して生活をしていたころのことでした。仕事上 こいびと ふたり のパートナーでもあった恋人のゲルダと 2 人で、 じんゆうめい しやしんか アメリカ人の有名な写真家ロバート = キャパと かくう じぶんしやしんざっししゃ じんぶつ いう架空の人物の名で、自分の写真を雑誌社に 冗り込むことを思いっきます。こうすれば、写 ねだん しんたか ほんみよう 真を高い値段で冗り込むことができ、本名で以 ぜんことわ 前断られたところにも再び冗り込むことができ ると考えたのです。 さくりやくざっしへんしゅうしゃ ほどなく、この策略は雑誌編集者にも知られ しやしんか てしまいましたが、キャパは写真家としてこの なまえひつづ つか 名前を引き続き使うことにしました。その後も、 キャパは、しいながらもフリーの報道写真家 はたらつづ ねん として働き続けました。そして、 1936 年、スペ ひき はじ はんらんぐん インで始まった独裁者フランコの率いる反乱軍 きようわこくぐん ないせん うんめい と、これに反対する共和国軍との内戦が、運命 おお を大きく変えることとなりました。 せかいもっといだいせんそうしやしんか 0 世界で最も偉大な戦争写真家に ねん ないせんばつばっ 1936 年にスペイン内戦が勃発すると、キャパ こいびと きようわこくぐんがわほうどうしやしん は、恋人ゲルダとともに共和国軍側の報道写真 かんたん おも ふたた かんが どくさいしゃ はんたい せんじよう 家として従軍します。戦場におもむいたキャパ きけん ぜんせんむ へいしてき は、危険をおかして前線へ向かい、兵士が敵の ◎ ROBERT CAPA/Magnum Photos Tokyo じゅうぐん みごと ひさん せんそう 弾丸に倒れる瞬間を撮影することに成功しま しゅんかんさっえい だんがんたお せいこう しやしん 年という短い生涯を終えることとなりました。 ねん みじかしようがい かし、仕掛けられた対人地雷を踏み、突然に 40 たいじんじらい とつぜん 出かけ、戦場の悲惨な様を写し続けました。し せんじようひさんさま インドシナ戦争でもベトナムのハノイを取材に せんそう しゅざい さらに戦後の 1954 年 5 月、東南アジアでおこった せん ねんがっとうなん 隣り合わせの前線で兵士たちを撮影し続けます。 ぜんせんへいし ・つつ ' さつえい となあ 写真家としてヨーロッパ各地を飛び回り、死と まわ かくち しやしんか 第二次世界大戦が始まると、キャパは、報道 ほうどう だいにじせかいたいせんはじ ひかれて死亡するという悲劇に見舞われます。 ひげきみま の内戦で、ゲルダが、取材中に味方軍の戦車に ないせん しゅざいちゅうみかたぐんせんしゃ と賞賛されるまでになったのです。しかし、 しようさん 知れ渡り、「世界で最も偉大な戦争写真家の一人」 せかい ひとり いだいせんそうしやしんか もっと しわた こうして、キャパの名前はたちまち世界中に せかいじゅう なまえ 掲載されて、世界中の人々に衝撃を与えました。 せかいじゅうひとびとしようげきあた けいさい され、続いてアメリカの有力雑誌『ライフ』に ゆうりよくざっし つづ 写真は、まずフランスのグラフ雑誌『ヴュ』に掲載 けいさい ざっし す。戦争の悲惨さを見事に写し取った 1 枚の
しようねんじだい ・ジャーナリストをめざした少年時代 ほ人みよう キャパの本名は、エンドレ = 工ルネー = フリー ふじんようふくてん ドマンといいます。プダベストで婦人洋服店を いとな じんいえ つ 営むユダヤ人の家に生まれ育ったエンドレは、 だいこうはん さよくうんどう み 10 代後半から左翼運動に身を投じて、 17 歳で こくがい ついほう 国外へ追放となりました。 ドイツのベルリンへ のが せいじこうとうせんもんがっこう 逃れたエンドレは、政治高等専門学校のジャー がくぶざいせき しやしんつうしんしゃ ナリズム学部に在籍するかたわら、写真通信社 あんしつがかりじよしゅ はたらはじ で暗室係の助手として働き始めます。やがてカ も しゅざい でむ メラを持たされ、取材に出向くようになりまし しやしんか けっしん た。のちにキャパは、写真家になる決心をした りゆう ことば カゞし、一 理由について「 ( 外国の地で ) 言葉のしゃべれな もの ちか もっとて い者が、ジャーナリズムに近づく最も手つ取り ばやほうほう 早い方法だったから」と言っています。 しやしんつうしんしゃ しごとじゅんちょう 写真通信社での仕事は順調でしたが、国内でナ しはい つよ じんはくがい チスの支配が強まってユダヤ人を迫害し始めた だっしゆっ ため、エンドレは、ドイツを脱出しなければな ねん らなくなりました。 1933 年、フランスのバリへ と移ります。 しやしんか たんじよう 0 写真家キャパの誕生 工ンドレが、ロバート = キャパと名乗るよう せんそうひさん 戦争の悲惨さを撮った写真家 キャーミ ( ロバート = キャパ ) ねん 1 913 ~ 1954 年 じん ハンガリーのブダベストで、ユダヤ人 りようしん ほんみよう の両親のもとに生まれた。本名はエンド だいこう レ = 工ルネー = フリードマン。 1 0 代後 はん せいじ しやかいかんしんふか しやしんつう 半から政治や社会に関心を深め、写真通 しんしゃ しごと しやしんか 信社での仕事をきっかけに写真家になる けつい ないせんきようわこく ことを決意。スペイン内戦で共和国 じんみんせんせんがわほうどうしやしんか じゅうぐん ( 人民戦線 ) 側の報道写真家として従軍 へいしてきだんたお しゅんかんさつえい し、兵士が敵弾に倒れる瞬間を撮影して、 いちゃくせかい 一躍世界にその名を知られるようにな せんそうしゅざいちゅう るしかし、インドシナ戦争を取材中に さいわか 地雷に触れ、 40 歳の若さで亡くなった。 しやしんか と さい と こくない つ ーにほん - ーいおとず 日本を訪れたキャパ ちよくぜん ねんがつ キャパは、死の直前の 1 9 5 4 年 4 月に日本の しんぶんしやまね にほんおとず にほんきようみ 新聞社の招きで、日本を訪れている。日本で興味 さつえい をもったあらゆるものを撮影して欲しいといわれ さつえし、 ていたキャパが、とりわけ好んで撮影したのは日 本の子どもたちであった。 目 し にほん ほん し な 0 ら - - じ な ことはのまど せんそう 【インドシナ戦争】 ねん ねん りよう 1 946 年から 1954 年にかけて、フランス領イ いま ンドシナ ( 今のベトナム・ラオス・カンボジア ) どくりつもと たたか せんそう が、独立を求めてフランスと戦った戦争。イン がわしようり お ドシナ側の勝利に終わる。 ないせん 【スペイン内戦】 ( → p. 26 ) ◎ ROBERT CAPA/Magnum Photos Tokyo
0 もくじ アンテルセン アンネ = フランク ガウティ キャパ ゴッホ サン = テグジュペリ シェイクスピア ダ = ヴィンチ チャイコフスキー バッハ バーンスタイン ピカソ べートーウェン ヘミングウェイ ボター マリア = カラス モーツアルト モンゴメリ ルーシュン 魯迅 ロダン 4 6 8 0 2 4 6 8 0 2 4 6 8 0 2 4 6 8 0 2 1 1 1 2 2 2 2 2 3 3 3 3 3 4 4 イプセン ウォーホル クリスティ きようだい グリム兄弟 ゲーテ シートン シューベルト シューマン 44 シュルツ ショバン ストラビンスキー スピルバーグ セサンヌ セルバンテス テイケンス ドイル 45 とほ 杜甫 トルストイ ニジンスキー ヒッチコック ブラームス ブルーナ マチス マルソー 46 りはく 李白 リンドクレーン ルノアール ワグナー マン = レイ ミケランジェロ モンドリアン そうさくいん 総索引 47 48 なんつかかた 0 この本の使い方 げいじゅっ ほん ぶんがくぶんやとくおお 〇この本では、芸術および文学の分野で特に大き こうせきのこ じんぶつ にんえら しやしん な功績を残した人物 20 人を選び、写真やカラー しようかい イラストとともに紹介してあります。 おなぶんやかつやく にんくみ じんぶつ そのほか、同じ分野で活躍した 32 人 ( 組 ) の人物 あ かんまっ かいせつ を取り上げ、巻末にまとめて解説してあります。 じんぶつめい にほん つか よかたさい 0 人物名は、日本でよく使われている呼び方を採 よう こじゅうおんじゅんはいれつ ちょうせんじんめい 用し、五十音順に配列してあります。 ( 朝鮮人名 げんだいちゅうごくじんめい げんちおんさいよう および現代中国人名については現地音を採用。 ) そうさくいん 〇総索引 ぜんかんとうじよう ほん じんぶつめい 本シリーズ全 5 巻に登場する人物名 ごじゅうおんじゅんはいれつ そうさくいんもう を五十音順に配列した総索引を設 けてあります。 りかいたす ほんぶんちゅうむずか 理解を助けるため、本文中の難しい かいせつ ことばを解説してあります。
おもさんこうぶんけん 0 主なー ルーマ = ゴッデン著 / 山崎時彦・中川昭栄共訳 『アンデルセン夢をさがしあてた詩人』 ( 偕成社 ) 森省二著『アンデルセン童話の深層作品と生い たちの分析』 ( 創元社 ) 早乙女勝元編『母と子でみるアンネ・フラン クー隠れ家を守った人たち一』 ( 草土文化 ) 北川圭子著『ガウディの生涯バルセロナに響く ユニフォトプレス マドレイン = ヘミングウェイ = ミラー著 / 酒井チ ェイ』 ( 研究社出版 ) 佐伯彰一編『 20 世紀英米文学案内 15 ヘミングウ べン』 ( 講談社 ) 畑山博著『少年少女伝記文学館第 10 巻べートー ェ訳『アー ( 新書館 ) : 少年時代のヘミングウェイ』 音』 ( 朝日新聞社 ) 横山三四郎著『講談社火の鳥伝記文庫 106 サ 才が見える』 ( 河出書房新社 ) 西岡文彦著『二時間のゴッホ名画がわかる、天 パその青春』『キャパその死』 ( 文藝春秋 ) リチャード = ウィーラン著 / 沢木耕太郎訳『キャ ン = テグジュペリ』 ( 講談社 ) ーシェ著 / 高階秀爾監修 / 高階絵里加訳『「知の再 マリ = ロール = ベルナダック・ポール = デュ = プ の作曲家物語 ( 下巻 ) 』 ( リプリオ出版 ) 『ザ・ストーリー・オプ・ミュージック 4 24 人 ニコラス = イングマン文 / ひのまどか・木村瞳訳 なり一』 ( 創元社 ) 訳『「知の再発見」双書 58 バッハー神はわが王 ポール = デュ = プーシェ著 / 樋口隆一監修 / 高野優 化事業部発行 / TBS プリタニカ発売 ) 森田稔ほか『チャイコフスキー』 ( サントリー文 ヴィンチ』 ( 国土社 ) 中森義宗著『世界伝記文庫 26 レオナルド・ダ・ グロープ座』 ( すえもりプックス ) アリキ絵・文 / 小田島雄志訳『シェイクスピアと クスピア演劇 : 作品とその人間像』 ( ポプラ社 ) 鳥海仟著『 10 代の教育図書館 9 やさしいシェイ 東京国立博物館 デンマーク大使館 損保ジャパン東郷青児美術館 聖イエス会アンネのバラの教会 スペイン政府観光局 スカンジナビア政府観光局 国立西洋美術館 国立国際美術館 英国政府観光庁 0 協力鬢一覧 きようりよくしゃいちらん 発見」双書 31 ピカソー天才とその世紀』 ( 創元社 ) ェリザベス = バカン著 / 上田まさ子訳『ビアトリ クス・ボターーピーターラビットはいたすらも の一』 ( 佑学社 ) クリスティーナ = G = キアレツリ著 / 吉岡芳子訳 『マリア・カラス情熱の伝説』 ( 新潮社 ) 木下晃・堀内修著『モーツアルトへの旅』 ( 新潮社 ) モリー = ギレン著 / 中村妙子訳『赤毛のアンの世 界一作者モンゴメリの生きた日々ー』 ( 新潮社 ) モニック = ローラン著 / 高橋幸次訳『ロダン』 ( 中 央公論社 ) 四方田大彦著『にんげんの物語魯迅ーめざめて 人はどこへ行くか』 ( プロンズ新社 ) 武川寛海著『音楽エピソード面白全集』 ( 芸術現 代社 ) 『ジュニア音楽百科 3 ジュニアの音楽史』 ( 音楽之 友社 ) 中村英樹・谷川渥著『アート・ウォッチング 2 「近代美術編」』 ( 美術出版社 ) 21 世紀こども人物館』 ( 小学館 ) 『伝記人物事典・世界編』 ( 保育社 ) 『人物 20 世紀』 ( 講談社 ) 東北大学史料館 日本近代文学館 日本フィルハーモニ PANA 通信社 美術著作権協会 福音館書店 ー交響楽団 マグナムフォト東京支社 * 著作権については十分配慮いたしましたが、お気づきの方がいらっしゃいましたら、弊社まで御一報ください。
しようせつはっぴょうはじ ひだり ( 左 ) 小説を発表し始めたころのアン トワーヌ。 いわなみしょてんかん ( 下 ) 『星の王子さま』 ( 岩波書店刊 ) 。 えが え 絵もアントワーヌが描いた。 の子さま となあ きけんしごと 死と隣り合わせの危険な仕事でした。そのため、 れようでした。 1943 年 4 月、血『草の王子さま』を発行し終 アントワーヌは、厳しい規律のもとで、占分の ぐん ほんごく つよせきにんかんも ほこ えたアントワーヌは、祖国フランスをドイツ軍 仕事に誇りと強い責任感を持ち、フランス本国 ちょうきよりていさつ かんていきろせんひこう かっ から取りもどすため、北アフリカの長距離偵察 と西アフリカのダカール間の定期路線飛行に活 ひこうたいふつき よくねんがっちちゅうかい やく 飛行隊に復帰します。しかし、翌年 7 月、地中海 躍しました。 きち ていさつひこう と ゆうびんひこう た ぶんがくず にあるコルシカ島の基地から偵察飛行に飛び立 やがて、文学好きのアントワーヌは、郵便飛行 ふたたかえ さばくちゅうけいきち たいけん ったまま、再び帰ってくることはありませんでした。 やサハラ砂漠の中継基地での体験をもとに はっぴょう ねんさいしよしようせつなんほうゆうびんき 1929 年、最初の小説『南方郵便機』を発表、そ ゆうすうぶん やかんひこう ねん の 2 年後には『夜間飛行』でフランス有数の文 がくしよう しようかがや 学賞であるフェミナ賞に輝きました。ほどなく、 こうくうゆうびんがいしや アントワーヌは航空郵便会社をやめると、パイ ロットとして働くかたわら、ジャーナリストと ねんにんげんとち かつやく して活躍するようになり、 1939 年、『人間の土地』 しようじゅしよう でフランスのアカデミー賞を受賞しました。 ほしおうじ 0 アメリカで『星の王子さま』を書く せいけん ねん 1939 年、ヒトラーのナチス政権のもとでドイツ しんにゆう だいにじせかいたいせん ぐん 軍が、ポーランドに侵入して第二次世界大戦が ぐんていさっ はじ 始まりました。アントワーヌは、フランス軍偵察 よくねん しゆっせい 機のパイロットとして出征しますが、その翌年、 ぐんせんりよう フランスはドイツ軍に占領されてしまいます。 ばうめい つま そのため、妻とともにアメリカに亡命することに なってしまいました。ニューヨークに移ったアン どうわほし ねんゆうじん トワーヌは、 1942 年、友人のすすめで童話『星の どうわ しっぴっはじ 王子さま』の執筆を始めます。この童話は、サハ であ さばくふじちゃく ラ砂漠に不時着した飛行士が、そこで出会った ふしぎおうじさま べつほし 別の星からやって来たという不思議な王子様と げんそうてきうつく おも はなし で の思い出をつづった幻想的な美しい話で、アン じぶんえが ねつ トワーヌは、さし絵を自分で描くほどの熱の入 を 0 ユベリ作 0 0 0 し と こうくうろ サン = テグジュペリが飛んだ航空路 こうくうゆうびんがいしやきんむ アントワーヌは航空郵便会社に勤務していた 29 歳 なんべいたい のとき、アルゼンチンのブエノスアイレスから南米大 ろせんかいせつまか りくなんたん ちほう 陸南端のパタゴニア地方までの路線開設を任され はったいせいようおうだん ねん た。 1930 年には同僚のパイロットが初の大西洋横断 いのち こうろかいたく ひこうせいこう 飛行に成功。パイロットたちの命がけの航路開拓に こうくうろせん より、会社の航空路線は、フランスのトウールーズか かくだい なんべいたいりく さいなんたん ら南米大陸の最南端プンターアレナスまで拡大した。 ヨ . ロツ′、 とうーじ - フゆうびんこう・ぐうろ はたら どうりよう か トウールーズ ′当時の郵便航空路 バルセロナ アリカンテ カサプランカ キャップージュビー サハラ砂漠 南アメリ功 ダカール てみカ ナタール コルンバ おうじ リオーデージャネイロ サンディアゴ c—•-•••-- プエノスアイレス サンアントニオ プンターアレナス たいせいよう 大西洋 15