去年の今日に書いたデータを下地にしてこの編集後記を書いています。 まあ、一年って過ぎてみるとこんなものかって感じですよね。これからの 一年を考えると長そう・・・・と思ってしまいますが、来年の今頃は、また、 こんなものかって思っているんでしようね。 前置きはこれくらいにして、『蒼海』という作品の説明に移ります。本作 品は今年、卒業される方々の傑作を載せた作品となっております。各々の 土台ともなる考えの上に成り立って構成されている作品の選りすぐりと も言えます。つまり、この一冊を読むだけで、作家たちの根本的なフェチ が丸わかりということです。 作品の紹介は以上です。 以下はつらつらし この作品に載せた、載せていないに関わらず、ほとんどの卒業生の方々 は、当分の間この作品を大学時代の思い出とするのだろうと思います。 どうでしたか ? この部活は ? 自分たちが主体となって団体を運営して、行事やイベントの取捨選択を して、お金も運用してみて。支援課に小言を言われたり、人間関係に悩ん 色々と楽しめましたか ? 部活なので、面倒くさいことも多かったですよね。 ですが、それ以上に楽しめましたか ? もし、断言でなくても、楽しめたような気がするのなら幸いです。 それでは、またどこかでばったりと遭いましよう。私は爺さんになって も変わらず、自転車で放浪をしているはずなんで。こんなにも小さい島国 ですから、遭えますよ。 それでは、さよなら。 お元気で。 H30. 10. 19 池上哲也 45
、け ht s://tokushimaulc. weebl .com/ Twitter @tok—bun Mai1 立垣理旦垣竝 9 理 ・ご意見・ご感想は・一・ HP ( ホームページからも作品を読むことができます。 ) QR Co 面 HP ロ炉 , ロ 、ゞヒ ロ . 口 Twitter 回一 徳島大学文学クラブ 『蒼海 2018 年』 構成 編集 発行日 発行 池上哲也 池上哲也 2018 年 10 月 20 日初版発行 徳島県徳島市南常三島町 1-1 〒 770 ・ 0861 徳島大学文学クラブ 徳島大学学生会館 印刷・製本徳島大学学生会館 掲載作品の著作権はすべて著者各位に帰属します 46
筆者り 。乙しきいした 律んえをクラデび名くこしはくな , 乙も . 79 灯そフじな、いヒ : 恥びく人たいし・すね のもう婢日 . あ海ヒ作。る耳にな あ担 % の野瞿び めての人はあきして , をらびなはリをうーザます し外、ブないもなみとし、丁す。 、い弓 7 第あ日れて いい味でも女 し乃っぼぞのままて、す。 あのつみ秀しバリイえてしまいぞ ) なが ' 、 ま ) と、。別っ作品 / = な , てしまい ) 手しした、、冱ニはかソマ " レ外、そ恥をしてし 『の亡分の一まは、させていただきした。 殄回は海といた・、、 1 香気ド入 , ている おびさし円、ソてす。第マ、す。 びは , の分またゾこかび - ーユ 0 切りし 0 , 敏 = : 。栽、亡。、たけし、第にし 死んにてえ国にはけキ色んね 不なもこん以上い . びとは。り ( んしす 者自皃は可孖失。よ 5 往も娵らはびきレびし 第しししても . 畢を置くこいよしはくとをらびま 44 ノ。 / / ク 2 。娯
2018 気が付いた。体に降り積もる静止感に、名前がつけられ「そんな暗いとこでスマホなんか見てたの ? ってか、 ない。指と腕がスクロールとタップ以外の機能を無くしょふかし : : : 」 ていった。 襖があけられて、目をしばたたかせながら、菊ちゃん それでいて、私は妙な性急さをもって画面の文字を追が顔を出した。ぼうっとした目と頭で、その呆れたよう な顔を見ながら私は、自分がついにぐっすり眠るチャン いかけていた。どんなに短い掌編を読んでも、どんなに 胸に迫るシーンを見ても、不思議とその全てが記憶に残スを逃してしまったことを知った。 らないのだった。 画面の上をすべる右手が不意に総毛だった。機械的に 動き続ける右手に、「ワ 1 プロを打っ猿」の狂的ともい うべき動作が不意に重なったのだ。 「海児って、そもそもどんな種類の猿なのかよくわか 雑念があった。恐怖があった。思考も思索もあってな お、私は読むことだけをやめることができなかった。 らない」と呟くと、菊ちゃんはにつこり笑って、私を近 「読ませる力」がそこにあった。小説の持ちうる引力場の動物園にまで引っ張っていった。 ジャングルの猿、岩山の猿、川の猿 : : : 猿以外にだっ と言い表せるものでもあるのかもしれなかった。 夢に囲われたような気分のまま、一月の遅い朝日が顔てカバとか、クマとか、象とかいろいろ。その中に海児 に差し掛かるころ、私はついに彼の投稿作品の全てを読に類似した生き物は一匹も見当たらなかったけれども、 み終えた。 菊ちゃんにそんなことは元から関係なかったようだ。
述して去るべし てそのことが、この光景の空恐ろしさをいや増していた。 ケージ越しとはいえ、菊ちゃんの発しうる最大に優し ( なんていうんだっけ、こういう感覚。どこまでも人間い声色を拝聴してさえ、人間の子供より一回り小さいく っぽいけど、それが逆に人間の目には、なんか、怖いつらいのその猿は、ついにこちらを振り向かなかった。な ていう : ・ : なんとかの分水嶺・ : : ・違う、なんとかの山 : ・ んてやつなんだろう、と辛うじて思った。 : ? 里 : : : ? いやいやえーと、 ) 何か気の利いたこ との一つでも言おうと思ったが、喉も舌もとっくに凍り 付いていた。 「緋野さん。おー 海児 ! ほら、ちょっとでいし からね、葉ちゃんの方に顔くらい向けてったら。こんな 近くから見てんだぞ。生存本能とかほんとにあんの ? 「『猿がすげー長い時間ワード打ち続けたらロミジュリ 何にもしないんなら、晩飯が木の実四個とかになっちゃが書ける』でも、海児は一日に一度自分ですごい作品を つよー 書いて、それを自分でネットに投稿してる。そりや最初 赤黒い血色の顔はじいっと液晶画面に伏せられて、そはわーすごい っていう連続だったんだけど、なんか、 の表情の一切をうかがい知ることはできなかった。全身だんだん、『何者なんだこいっ』って感じが強くなって をくまなく覆うこげ茶色の剛毛が、両手の振動の余波をきてさ。でも、もうあたしには何が何やらで : : : で、ち 受けてぶるぶるぶるぶる動いていた。背中で巻かれたしようど高校も大学も冬休みに入るもんだから、博識麗し っぽは微動だにしていなかった。 い葉ちゃんに来てもらおうって」 ◇ 0
京都ないものねだり 映画館の手描き看板 れた大判の手描き看板だったように感じる。 京都は河原町といえば昔から映画館が乱立する一大 この頃はコンピュ 1 タグラフィックスの技術も目ま歓楽街であった。特に三条と四条、それに寺町通と河原 ぐるしい進歩を続けており、全くどこからどこまでが現町通りに囲まれた地区の映画館の多さといえば尋常で 実なのかが曖昧になってきた。例えばテレビのコマ 1 シはなかった。 , 往年の京都地図を見てみると、その数の多 ャルを見たときに飲料水などに関わるシ 1 ンなどではさに仰天する。なんとこの狭い区画内だけで二十六館を 水が縦横無尽に飛び散る瞬間が再現されるがああいっ確認することができた。とはいえ、その脅威的な数字を たものも全てそうしたコンピュ 1 タグラフィックスだ打ち出していた時期はオリンピックだ万博だと日本が というのだから驚きだ。いわんや映画をや、である。映敗戦国から一等国へ成り上がろうとしている頃の京都 画のそうした技術は特に目を見張るもので、先日見に行の景色であり、私が覚えている映画館達は衰退の一途を ったスティープン・スビルバーグ作品などでも存分に使たどっていた。この頃の寺町通にはとうとうシネマコン われており、現実には再現不可能な映像を我々観客に届プレックスができるかできないかという時期だった。確 け続けているよ一フに思う。 か幼稚園の卒園頃か小学校に入学した頃にはそうした こうした甲という対象と乙という甲を模した対象と新型の映画館が京都に開館していた気がする。 が見分けられなくなり、頭の中がモヤモャする経験は誰近年の映画館がどことなく合理化しすぎて味気ない にでもあることと思う。ではそうした経験のきっかけはように感じるのは小さな時分にお世話になった映画館 いっ頃始まっただろうか・私の場合は映画館の表に飾らの影響があるのかもしれない。当時私の親は映画を見て
京都ないものねだり 通りを走るバスの車中から今でもふと、表に目をやり、 あの美しくも迫力のある手描き看板の面影をどこかし らに探してしまうのである。 備考】京都の映画館 京都の映画館は一九〇八年の最初の映画館の誕生、そ して一九一〇年の京都八千代館という常設活動写真館 開館からその歴史の端を発する。それ以来歓楽街として 一八七二年に作られた新京極通が発展すると同時に京 都最大級の映画館街としてもその名を轟かせた。特にそ の絵看板が通りに並べられる風景は新京極の風物詩で もあり、通行人の目を楽しませたという。しかし、映画 というメディアの発信力が低下すると同時に閉館や統 廃合が相次ぎ、一一〇〇一年に近隣地区に誕生した大型シ ネマコンプレックスに客を取られる形で更に窮地に追 い詰められた。こうして娯楽の街、映画の街として知ら れた新京極から老舗映画館は姿を消し、今ではその居抜 き物件としての姿を今に残すのみとなった。 ( 了 )
蒼海 2018 私はさっきと対照的に、それらを慎重に身に纏う。 ちょっと左右によろけながら、片足ずっ黒いハイ ソックスをはいて、後ろでひとつに縛っていた黒髪を 解き放った。私は荷物を引っ掴んで、トイレから飛び 出す。 夜はさっきよりも深くなっていて、ネオンがいっそ う存在感を増していた。 「やつばりこっちは、居心地がいいな」 ここにいる人たちは、私のことを知らないし、今は 私がわたしであることさえ知らないのだ。その事実が、 わたしをどうしようもなく高揚させた。 夜の街のにおいを思いっきり吸い込んで、虚構の世 界に溶け込んでいく。 赤レンガで作られた花壇に悠然と腰かけて、何だか 小難しげな書籍に視線を注いでいる彼の姿を見つけた わたしは、行きかう通行人を押しのける勢いで彼に駆 け寄る。 ローファーが地面をテンポよく叩く音に気づいた彼 は、切れ長の目で射止めるようにわたしを見て、につ こりと微笑んだ。 「ナナコは、いつも駆け足だな」 夜に溶け込みそうなほど真っ黒な学ランを身につけ ている彼は、真夏だというのに少しも暑い素振りを見 せず、いつものように涼しげな声を出した。 「そ、そんな、そそっかしいみたいに言わないでよ」 彼とは、もう片手で数えられないくらい顔を合わせ ているはずだけど。今でも彼を目の前にすると、どう しても緊張してしまう。 : 彼の現実の姿が、女の子だとわかっていても。
述して去るべし 「緋野海児小説」 少し息を吸って、大きく吐く。ためらう右手を急かし なにぶん現れたばかりのネット作家だし、探すことにて、検索欄をトップへと戻す。 多少苦労する可能性も少しは考えていたけれども、杞憂菊ちゃんは海児を大切に思っている。だからこそ、私 だった。彼があの狂的なまでの絶技で維持し続けているは一人でこっそりとこのページを開く必要があった。仮 ホームペ 1 ジは、トップにあっさりと見つかった。 に私がその内容を吟味して、顔をしかめるようなことが 目当てのページ名は「緋野海」 : : : 著者名を印象付けあったとしても、その気配や様子で彼女を傷つけること やすい、という点では、優れたネーミングというべきな ないからた。 のだろうか。 菊ちゃんから隠れるような形になるのは悪いけれど 本命のページは置いておいて、そこから下のページをも、遂にあの「ワープロを打ち続ける猿」の思考と、正 探る。 式に対面する時が来たのだ。 いくつかの個人プログに、彼の小説の評価が載ってい るのを見た。人物が生き生きしていて胸に迫ってくる、 場面の書き分けが上手だ、微細な動きの描写がフェティ ッシュなほどに美しい、話の運び方が秀逸 : : : 彼の生み 出す言語表現には、様々なアプローチから最上の評価が 下されているようだった。掲示板やまとめサイトを流し横書きの小さな電子文字を読み始めた時、視界がすっ 見しても、おおむね同じような見解ばかりがみられた。 と狭くなって、文字を捉える機械になりつつある自分に ◇ 4
蒼海 2018 年 りはしないがとりあえず呟いた。なるほど、なるほど。 私は心の中でこの町から消え、話題にも上らない自分 周りを見渡してみると、ハンバ 1 グばかりだった。つまの中の、自分だけの消えた思い出探しをすることに決め り自分は異端者だったわけだ。なるほど、なるほど。な た。固い決心とともに、箸袋から箸を取り出し、ハンバ るほどなあ、釈然としないが。 ーグを割る。そして、ロに含んで一一言。 ただ、同時に懐古主義的な自分の中のかび臭い古臭さ ハンバ 1 グ滅茶苦茶うまいなあ」 も感じた。物が変わるのは当たり前、ましてやメニュー はほかの者より余計に変わっていくじゃないか。 ハンバーグ & ェビフライのラン 改めて店員を捕まえ、 チセットを注文した後、水で一服。考えた。 気持ち悪い懐古主義できっと昨今話題になる老害と いうのはこういうものだろうと感じた。ただ、である。備考】グリル生研会館 誰の胸の内にも変わってほしくない、代わってほしくな 下鴨神社横の生産開発科学研究所ビル一階で商う洋 いものがある。生まれ育った町で気づかぬうちに消え去食屋。今年で六十周年を迎える老舗である。ちなみに生 ったものがあるはずだ。 研、とはこの生産開発科学研究所の略称である。文面で 到着したランチセットが運ばれてきた。ハンバ 1 グのはピラフはもはや失われたものの様に扱ってしまって ドミグラスソースは黒々として艶々しい。ェビフライも いるが、店主に聞いたところ、予約すれば材料を用意し 気持ちいいほどの立ちつぶり。 て作ってくれるとのこと。あまりの優しさに感涙。