《 2 月》 6 日常磐まさ米目黒雅斂園 7 日扇よし和神楽坂志満金 7 日蓼津留千代浅草福八 日柳友会水月ホテル鴎外荘 日とよ津満の会 日鶴亀会三越劇場 日しんばち会京橋新八 《 3 月》 日邦楽を楽しむ集い内幸町ホ 越路湯の里湯田上の 日三櫻会浅草福八 昔懐かし湯の煙 日酣春会三越劇場 背中に瀬音のささやき聞けば 《 4 月》 一人旅寝も苦にならぬ 2 日古典小唄鑑賞会三越劇場 いっか貴方と見た眉月は 3 日栄芝会三越劇場 青き光も泣いてる様な 日城南友の会水月ホテル鴎外葉隠れ越しの憂い顔 なしてなして泣くかや 時雨れて袖に 四日季の会紀尾井小ホール 江戸小唄 湯宿わか竹神楽に漏らす 忍び泣く音のいじらしゃ 「縁」城寺操 「かこいや」において、火星会作詞 例会が行われた。出席者は会員の、華八今宵また女だてらに千鳥足 兆史乃、春日とよ五朗丸、常磐まさ米、甘い声音に言うま、気ま、 美浜れい、不二小みち、菊村しづ、三わたしゃ黒猫浜町育ち 浦由喜、の 7 氏。ほかに紙上参加 ( 投飼主は大正ロマン風 稿者 ) の白扇小伊寿、北村純一、栄由秋は秋刀魚と温り恋し 利、城寺操の 4 氏を含めて兼題と「雑」浮世の縁夢心地 の集稿を互選の結果、次の詞章が高点 を獲得した。高点順に掲載する。 「めぐり逢い」常磐まさ米 「湯宿わか竹」春日とよ五朗丸 日春日とよ高壽三越劇場 第 664 回火星会例会 いちょう並木の時雨道 傘にかくれてゆきすぎる どうした縁の一一人ずれ 冷たい雨にぬれながら めぐり逢い又結ばれた縁の糸 秋の夜長に月見酒 差しつ差されつほろ酔いの 「今夜は酔わせて下さいね」 「どうした縁」三浦由喜
じんの結城の着物を着ていた。先生はただきながら先生ご自慢の掛軸など拝 大変おしゃれな方で和服の大好きな方見しながら楽しい一とときを過ごした。 であった。すぐ「やあ、いい着物だなあ、何故、私が岸井良衛先生の事を書く 欲しいなあ」とおっしやった。 のかと不田 5 議にお思いになると思うか 夫が「年をとったら寒くて仕様がな先生の一と言がなかったら今日随筆を い」と言ったら先生ご自身でタンスの書く私はいなかったのである。その点 杵屋栄 中からお召の胴着を出してきて夫の肩では私の大恩人である。 のうしろから掛けて「僕、もう着物を私は大正時代の稽古の事など書いて あまり着ないから差し上げますよ」とおきたいと前々から思っていたし随筆 おっしやった。 も書いてみたいと思っていた。けれど 岸井良衛先生と私 その胴着は毎年冬になると着物を重も書けたとしてもその文を他人がどう 本当の肩書は知らない。先生ご自身ねて着てずい分楽しませて頂いた。未受け止めてくれるか全く分からないこ も肩書などお書きにならなかったと思だきれいにタンスに入っている。 となので書いたものを一度見て頂いて引 う。しいて私は「江戸研究家と申し夫が分からないことがあるとすぐ電からにしようと心に決めていた。 上げる。 話をして伺った。又先生もお分かりにそれが一月号にもふれた第一作目の その名は岸井良衛先生。知る人ぞ知ならないことはお電話を下さりお答え「贋札」である。岸井先生にお電話でお をした。娘は奥様とお揃いで冬のコ 1 話したら「いいですよ。みてあげまし るその道の大家である。 先生は昭和五十八年十一月十五日に トを作ったり夏羽織を作ったりした。 よう」というお返事であった。私はそ 惜しくもご他界された。享年七十五歳一度こんなことがあった。一ヶ月位の原稿を持っておそるおそる先生の机 とのことであった。 お互様に無音の時があった。ある日先の前にすわった。さあ勝負である。で 私と岸井良衛先生とは奥様も存じ上生ご自身で「どうしているかと思って」も文は余技、駄目でもともと。でもで げている方なので個人的に非常に親しと電話を下さった。 も胸早鐘であった。 くお付き合いさせて頂いた。一年に数そのようなお電話を頂くとお目にか いくら親しくして頂いていても机の 回はお電話をしておじゃまに出掛けた。 かりたくなって先生のお好きな甘いお前に座した時は本当に師と弟子という 一度は夫と一緒でその時夫はあゆみ菓子持参で伺った。そしてお抹茶をい雰囲気であった。「いいね。大変面白い。 四季随想 ( 395 )
邦楽のひととき 3 日大阪義太夫「祇園祭礼信仰記」上燗幻日 ( 再 ) 新内 2015.6.20 「残菊物語」「蘭蝶」 富士松小照新内勝一朗 屋の段豊竹靖大夫鶴澤清志郎 川日清元志寿雄太夫清元志寿造 午前 1 【 2 、 1 . 5 日荻江節「金谷丹前」「梅」「竹」荻江寿々 冖再放送翌日 5 】、 5 】〕 荻江友郁 ( 月 ) 地唄・箏曲・尺八・吟詠 幻日大阪琵琶「壇の浦 . 関川鶴祐「湖水につぼんの芸能〔 w テレ〕 ( 金 ) 【開、 1 日広島箏曲「さらし風手事 , 「きぬた」「み 渡り」奥村旭翠 【再】翌週月曜 5 】、 5 】 5 日京の顔見世から「碁盤太平記山科閑 だれ」竹原タ起子安田佳加 居の場」 8 日箏曲「寿くらべ」大間隆之「浮舟」青邦楽ジョッキー中村隼人 1 ・ 0 日「雪振袖山姥藤間洋子花柳翫一坂 木麻衣子 1 ・ LO ( 金 ) Ⅱ】開、 東扇輔坂東扇弘浄瑠璃清元梅寿 日 ( 再 ) 箏曲 2014.5.12 「雨夜の月」山登 冖再放送 ( 土 ) 5 【、 5 】〕 太夫三味線清元美治郎ほか 松和「奥州薩慈」三橋貴風 5 日清元「梅の春」六世清元延寿太夫清 日吟詠「和歌・梅が枝に」久保草風清 元榮寿郎 四日舞踊「鶯宿梅」若柳庸子若柳里次朗 水錦洲 西川大樹唄今藤長一郎三味線一 日長唄「越後獅子」芳村五郎治初世杵 杵屋栄八郎ほか 屋栄次郎 四日 ( 再 ) 東明流 2014.6.30 「東明三番叟」「柳」 東明伶舟東明潮舟 日地唄「雪 , 初世富山清琴 日五世井上八千代の芸「鉄輪」唄と三絃 ( 柳 ( 火 ) 長唄・小唄・端唄 川三味線 ) 】幸良、小ます、だん佑、ま 日端唄「梅は咲いたか」市丸 す穂囃子】藤舎名生、藤舎呂船、中 2 日長唄「浦島」「まかしよ」東音渡邉雅宏 邦楽百番 村寿慶ほか 杵屋五三郎 〔再 ( 日 ) 5 【開、 5 【四 9 日長唄「廓丹前」杵屋利光杵屋裕光 日長唄「安宅の松ー「五郎時致ー東音本多 6 日箏曲「石山源氏」 ( 上、下 ) 「橋姫の曲」その他 ・、【テレ 貞子東音伊勢弥生 山勢松韻 日 ( 日 ) 日小唄「梅川 , 新水千豊田村みち蓼日琵琶「今昔物語」「那須与一 , 平山万佐古典芸能への招待 ク芸の真髄シリ 1 ズ % ク雪クク月ック花をテ 1 胡茂新珠康世 子「船弁慶ー田中錦煌 日清元美寿太夫清元榮三 マとした舞踊で女性の恋心を描く。 ( 水 ) 浄瑠璃・古曲・現代邦楽・琵琶 2 月放送案内 2 月テレビ邦楽番組
佐藤かよ子、「添えぬ身ー坂本和子、「タの振袖さんの踊りで締めくくりまし登茂子「無理なのを」中澤道廣「こば 立や田を。石上申八郎、「木更津から。た。参加者を発声順に紹介致します。れ露 , 安藤貞子「虫の音」小島慎一「勝 太田雅美、「十六夜清心」吉澤賢治、「浪「曽根崎ー吉川龍男「野晒し」室橋名乗り。井上藤夫 の上」阿生山登茂子、「一日逢わねば」渡「待っ夜重ねて」飯塚幸江「卯の花ーグラビアベ 1 ジ写真参照。 小林和夫、「大はりま」中澤道廣、「上山崎澄江「あの日から」吉田鞠子「隅 ( 江戸小唄友の会柳友会・吉川龍男 ) 手よりー安藤貞子、「待宵月ー吉川龍田川」高橋ふさ「浜町河岸」江守善一 男、「長兵衛」小島慎一、「満月や」井郎「佃の渡しー吉田貴子「空ほの暗き」 ■ニュース 上藤夫。 ( 江戸小唄友の会城南友の会・丸山京子「今日も又」市川郁子「待宵月」 冨田竹雄 ) 佐藤かよ子「柳橋から」通崎高子「浜松尾芸能振興財団新理事長に 町河岸」押本新子「築地明石町」富内松尾國之氏 ■江戸小唄友の会柳友会 照子「網島心中」小池悦子「影法師」公益財団法人松尾芸能振興財団では 馬養美佐「博多ながし」伊井道雄「青松尾日出子理事長が辞任し最高顧問に 良くも続いたもので半世紀を越えて柳の糸ー中村誠子「逢いたい病猪俣就任する旨の発表を行った。 三百回、柳友会の例会を十一月十八日洋子「山中しぐれ」渡辺渓子「満月や」 ( 昨年月付 ) 池之端・水月ホテル鴎外荘にて開催岩田喜惇「青いガス燈。持田日勇「茶新理事長には松尾國之氏が就任し 致しました。記念会として特別な企画のとが」小林和夫「山中しぐれー大橋た。 こそ致しませんでしたが、普段お見えみさゑ「一夜流れ。穂積和夫「お夏笠松尾國之氏は「日本の伝統ある芸能 になられない常磐の家元様、蓼胡満千物狂い」山下麗雄「うその固まりー吉の保存・伝承に力の限り努力する」と 加師の賛演、京都からの参加もあり賑沢賢治「山中しぐれ」磴巌「築地明石町ー意欲を述べている。 やかな会と成りました。ほかに糸方は宮本加代子「浜町河岸ー守谷幸則「佃 佐々舟洋・佐々舟正子・蓼胡満和・蓼の渡し」早川揖子「籠つるべ」赤田繁京都三曲協会新会長に 房まさ・新水千豊・土川きく・春竹利夫「野ざらしや」冨田竹雄「雪国ー楢高田鑑山師 香の七名の師匠方。会歌「友千鳥。を木ミョ子「明治一代女ー安本りか「未京都三曲協会では前会長故島田重弘 一同で合唱奏して開幕以下四十三番の練酒、五味好子「八尾の女」斉藤芳江「今師の後任に高田鑑山師が就任した旨の 熱演の後会食、フィナ 1 レは浅草から日一日」佐宗美奈子「新ロ村ー阿生山発表を行った。 ( 昨年肥月付 )
三越劇場 6 時半・ 5 千円紀尾井小ホ 1 ル杵屋勝良、杵屋勝昭、杵屋勝一佳、杵四日春日とよ高壽 金子朋沐枝、武田旺山、清野樹盟、芦屋勝乃夫、他 ( 唄 ) 杵屋勝幸恵、杵屋 7 日八代目巳太郎の会 垣皋盟、安島瑶山、松﨑晟山、工藤煉山、勝代、杵屋勝栄美、杵屋勝孝、他 ( 三 2 戸川藍山、長須佳盟、神令、吉岡龍之介、味線 ) 堅田喜三久社中。「四季の寿」「俄 6 時半・ 6 千円紀尾井小ホ 1 ル 葛西聖司 ( お話 ) 杵屋勝四郎 ( 唄 ) 杵 田嶋謙一、遠藤頌豆、菊地河山、友常獅子」「喜三の庭」「靱猿」 屋巳津也 ( 唄 ) 今藤政貴 ( 唄 ) 杵屋勝 毘山、辻本好美、松岡幸紀、佐藤公基◎ 03 ー 3505 ー 1052 松 ( 三味線 ) 藤舎呂英 ( 囃子 ) 八代目 ( 尺八 ) 〔特別出演〕フランツ・ 日城南友の会水月ホテル鴎外荘杵屋巳太郎 ( 三味線 ) 「四季の眺ー「三 ロメイ ( チェロ ) 〔友情出演〕川村葵山、 曲松竹梅」「勝三郎船弁慶」 大河内淳矢 ( 尺八 ) 「鹿の遠音」失わ ◎ 0 9 0 ー 8 、 4 0 ー 9 712 れた「時」「鳥の歌」「竹の群像。「覚」他。日第百六十九回長唄きおん会 紀尾井小ホ 1 ル 2 時・ 4 千円 ◎ 0 っ 0 ー一 048 【 0 ーっ 080 ワ ~ 貴音三郎助、貴音廣、貴音康寿、他 ( 唄 ) 四日女流義太夫演奏会 紀尾井小ホ 1 ル 貴音康、貴音聖葉、貴音康美、他 ( 三 1 時・ 3 千円 日富田清邦地歌箏曲演奏会 竹本駒之助 ( 浄瑠璃 ) 竹本土佐恵 ( 浄一 2 時・ 4 千円 紀尾井小ホ 1 ル味線 ) 曲目未定。 瑠璃 ) 鶴澤津賀寿 ( 三味線 ) 鶴澤寛也 富田清邦 ( 箏・三絃 ) 清和会会員 ( 箏 ) ◎ 03 ー 5725 ー 8583 ( 三味線 ) 他。「曾根崎心中」天神森の 〔賛助出演〕田中康盟 ( 尺八 ) 〔特別出 段、「嫗山姥」廓噺の段 演〕米川文子 ( 箏 ) 箏物「春の江の島。日男性小唄「季の会」 紀尾井小ホ 1 ル◎ 03 ー 3541 ー 5471 ( 富崎春昇作曲 ) 箏組歌「空蝉」 ( 北島 2 時・ 3 千円 三越劇場 検校作曲 ) 繁太夫物「紙屋治兵衛」 ( 作春竹利昭、栄由利、飯島ひろ志、蓼四日日本橋くらま会 者不詳 ) 京風手事物「夜々の星ー ( 光胡文雄、竹村てる花、白扇タ樹夫、和 敬由三郎、伊吹清寿、春日豊吉久、長日第 6 回杵屋勝四郎リサイタル 崎検校作曲 ) 紀尾井小ホ 1 ル 生小三郎、長生代一郎、蓼鈴子正、 3 時・ 7 千円 ◎ 0 っ 0 ー 00 000 っ 0 ー 1 つ 0 0 蓼胡博雄、竹枝千左男、竹村花加寿。杵屋勝四郎、柳家さん喬、他。「あた ま山」落語一席、対談、他。 曲目未定。 日長唄眞幸会 ◎ 000 ー 00 0 ワ 1 ー 9 【 01 イ 2 時・ 4 千円 紀尾井小ホール◎ 090 ー 3227 ー 8365
金の土より生つずる万もっハ」「路八キてうな初のいさましゃ此間ひやう い・つれ下の宝にて」「喜代八充黒柱しヲドリ八君は目出度八つづく と名付ケたり , 哥八一チに俵ハ五穀なり合はふにほうぎゃう合かハ り合上見ぬために頭巾きて合 らぶき合のきをつらねて江戸の 小づち合 おごる心を合打出の 合にぎハふ中に恋すてふ浮名 平成年度 ) っこり合はっこりあいきゃうそれとたっかいなヲ、それ / ( 、′ ( 、 日本芸術院会員候補者決定 をまもりぶくろや合ふくろくじさ それもそふかいなムロ / ( 、合 合かついだ「路八ニ本のはしひょくれんりのいもせなか八はしらの第三部 ( 音楽・演劇・舞踊 ) ら ハいさなぎいざなみ」「喜代八きかづは三百六十七十ニ伺の合 邦楽宮田哲男〔別歳〕 いへバ陰と陽ー「伊八ちいさくたと柱にあめと風とのさハりなくけふむ ( 芸名東音宮田哲男 ) 「源八おきやくと女郎」ナゲ・フねあげの合、づな合小つな 【訃報】山川直治氏 ひけやひけゑいとうゑいとう合 シ源吾八花のゑがほのこぼれ梅 ( 一・ ウ ) 八初のざしきのつきほなく合 あたりはづさぬむねのかぶらや 肥月日死去。初代山川園松の長男、 もたれか、・り・しとこはしらまるふ見へ 現二代目園松の兄。平成年月一 てもさとそだち合っいかんしやく ( 役者のせりふには「を付した。 ) 日、前夜祭。日日、葬式。日本 にカ戈、さしのふミも反古とかよる、、、かた 基督教団田園調布教会にて執り行わ 合びやうぶかうらのおさまりて ( 語注 ) れた。喪主は山川芳子令夫人。 ふとんのうへのうきはしに合三人三つあふぎ ( 三つ扇 ) : ・岩井喜代太郎国立劇場芸能部演出室にて邦楽公演 よりあいたもふふた神の合し、 の家紋 の企画、制作、調査資料課などの担 むらあまる桁の柄し、むらたらぬぬかさねあふぎ ( 重ね扇 ) ・ : 尾上伊三郎当を経て主席芸能調査役を務めた。 きあなにゑんやうわがう是ぞ神道ロの家紋 著書に『邦楽の世界』 伝なり「路伊セリフ八扨とうりゃうゆひわた ( 結綿 ) ・ : 瀬川路之助の家紋 2012 年には、父の山川園松が点 がひミつにハ哥八かすみの墨曲夭たばんじよう ( 番匠 ) ・ : 大工のこと 字タイプライタ 1 で執筆し未公刊と かいなく合のべの若くさ水盛に なっていた遺稿から編纂した「箏曲 合そでをつらねて ( ニ・オ ) 小松引 要集」を勉誠出版から刊行した。 ニュース
略 ) 五立目、対面に小林のセリ出し、 虎と少々相手に所作ーとあり、セリ出 しで登場したようである。 正本の本文をみると、長唄の詞章の 間に、少し小さい文字で役者のセリフ が挿入されている。「喜代せりふ」は 喜代太郎のせりふ、「路」は路之助、「伊ー は伊三郎のせりふである。また「拍子 マイ」とあることから、役者がせりふ を言いながら舞う「拍子舞」の所作事 であったことがわかる。 曲名に「柱建ーとあるように、家屋 の建築で初めて柱を建てる「柱建」を 主題として、前半は「拍子舞」、中間 は廓情緒で、後半は「ラドリ」になる 華やかな所作事のようである。 気円印 尾よキ 強田ス 完嚼》わ一あ公亳 うと〒角まらの宿 柱建いろはの比翼紋 三下り八かなぐるは月日をはじめまきれ ごよみ合くらたてよしとあししろ一 にかざるはしらの三つあふぎ雷士と ハら会の系なつくばのかさね・つまかさねあふぎを ゅひわたの雪と見るまで三よし野の 合花をかさりしばんじゃうのゑ ぼしすはうのそでつはさ露の羽をのす 初日かげ「喜代せりふ八夫九重の食居 らうかくやごとなきあふ宮人のとのづ くりー拍子マイ「路八聖知識の堂塔伽 藍 ( 一・オ ) しづがふせやにいたる迄 礎かたきはしらだて」「伊八四方へ 則金木水火」「喜代扨中横にはあら
この日、太宰府天満宮 ( てんまんぐ さわらびの う ) は大祭が催されにぎわいます。 孫たち、高校生と中学生ですが、学手ごとというも 問の神様であるので毎年のように参拝恥しく顔に 朝日が に出掛けています。 梅の美しさは、昔は桜よりも人気あさすわいな ったようです。 小唄「梅が香や」 そして梅と時を同じくして鶯 ( うぐ いす ) がさえづりを始めます。これも 早春の光景 ( こうけい ) の一つといえ本調子 るでしよ、つ。 八梅が香や とめて香りの 主ゆかし 小唄「梅が香」 顔は紅梅 本調子 鶯 ( うぐいす ) の いっか音色 ( ねいろ ) を 八梅が香 ( か ) を たのしみに さいわい 初声そっと 東風 ( こち ) が 窓の月 さそい候 ( そうろ ) いきな世界じゃ かし 2 、と ないかいな 書いた つくづくし 主に扇を 小唄「梅にうぐいす」 不二小みち詞 重ねて そして誰を 八梅にうぐいす 好 ( す ) いて 好かれて ホ 1 ホケキョ 焼 ( や ) 餅 ( もち ) ほおじろ 飛 ( と ) んできて チッチチッチと 木 ( 気 ) をつつく 固 ( かた ) い 蕾 ( つばみ ) の 梅の花 はっと 開いて紅 ( あか ) い顔 小唄「梅は匂いよ」 本調子 八梅は匂いよ 木立はいらぬ 人は心よ姿はいらぬ まだ寒い日が続きます。御大事に。 「誘はれて梅見の客と なりにけり」春日とよ稲
5 雪のなか梅の香ほんのり 竹越治夫 一一月に入ると三日は節分、そして四二上り 日は立春 ( りつしゅん ) です。 八鬼 ( おに ) はそと 東京では、昼 ( ひる ) の時間の最も福は内 ( うち ) へと 短い冬至 ( とうじ ) とくらべて、一一月 この宿 ( やど ) に になると一時間以上も長くなります。 女房 ( にようば ) 日差しが字面を温 ( あたた ) める日豆まきや 射 ( につしゃ ) 量も二倍ほどに近づき亭主 ( ていしゅ ) が ます。 拾 ( ひろ ) う しかし立春を迎えても空気が温まる ほんに今宵 ( こよい ) は にはある程度時間がかかるのでしょ節分ときいて う。冬の寒さはまだまだ続きます。 二人が 各地の気象台測候所 ( そっこうしょ ) 笑 ( わら ) い顔 での観測史上の最低気温は二月が一番 多いです。 小唄「鬼は外」 一月下旬の大寒 ( だいかん ) のころ 不二小みち詞常磐まさ米曲 小唄オシャレ考 ( 213 ) から二月下旬にかけてが一番寒いので す。寒さの底は一一月といえますね℃雪八義理 ( ぎり ) だ も多く降るのです。 恩 ( おん ) だと やはり暑さも寒さも彼岸 ( ひがん ) 世間が責 ( せ ) める までとい、つのが正しいでしよ、つ。 別 ( わか ) れましたと 小唄の作品もこうした季節感をうた人目を避 ( さ ) けて ったものが多くありますね。 忍 ( しの ) ぶ恋路 ( こいじ ) の じれったさ 小唄「鬼はそと」 無理も道理 ( どうり ) も 承知 ( しようち ) の上で 熱い思いを 世間の鬼へ ぶつけてやりたい 「鬼は外」 「鬼は外」 節分は昔の暦ではとしの変わる日。 そして新しい春を迎えますが、実際 は雪の季節です。 雪にかこつけてその情緒 ( じようち よ ) をうたいます。 そんな小唄を大好きな方もいらっし やることでしよ、つ。 小唄「雪のあした」
自分達にも考えさせます。」 ることを後で知りびつくりしました。」 びつくりするような奏法を考えてく 宮城喜代子師や数江師に浚って頂い る生徒も多く、若い世代に期待していた曲の演奏を、道雄師に聴いて頂くお ます。 稽古でしたが、「良く弾けましたね。」 「音楽的におかしな方向に進んでいと優しくおっしやるだけで、こちらが ないか、聴いて頂く方の心に響いてい幼かったせいか厳しい指導は有りませ るかどうかを評価し、必要と感じた時んでした。 にだけ、指導するようにしています。」「宮城先生は、高校一年の時に亡く それ以外は細かい指摘はせず、見なられましたが、引き続き喜代子先生 や数江先生からの指導を受けることが 三輪たけし守っています。 できました。」 「沢井箏曲院では、先生に頼らない 「京都に生まれ、幼い頃家族の都合東京芸術大学に入学し、卒業後、沢一 演奏家になるよう指導・育成を進めてで東京虎ノ門に移転しました。」 井忠夫師と結婚しました。 います。」 八歳になり、「習いごとをするなら沢井忠夫師は、高校生のころから作一 本誌シリ 1 ズ聴き書き・第四十回ゲ何をする ? 」と母に聞かれ、家にあっ曲を手掛け、東京芸大在学中から邦楽 スト、沢井箏曲院副会長・沢井一恵師た母が娘時代弾いていた箏を差してジャンルにとらわれない様々な音楽活 の語る次世代の育成です。 「これ ! 」と言ったのが始まりです。動を行い、 将来を嘱望されるホ 1 プと 「基礎が終了した生徒に、自分はど「早速、自宅から徒歩一分足らずのしてテレビやラジオで度々取り上げら んな音楽を演奏したいのか、どんな音邦楽社に有ったお稽古場に通い始めまれていました。 を出したいのかを徹底して考えさせました。」 「どこの流派にも属さずに箏曲の演 邦楽社には、宮城道雄師が疎開先の奏活動をするのには、大変難しい時代 そのために、こう弾けばこ、ついう音葉山から出稽古にいらしており、手解でした。」 が出るといった演奏の引出をできるだきを受けることができました。 赤坂のレストラン・シアタ 1 で演奏 け多く、幅広く準備させます。 「自宅から一番近いお稽古場というしたり、夫婦でジョイントリサイタル だけの入門で、宮城先生が教えて下さを開催するなど、演奏機会を確保しま 「引出は、教えるものだけではなく、 聴き書き・邦楽の星 ( ) 沢井一恵師