第九回小唄鶴亀会 顕彰碑を維持するための 平成ニ十八年ニ月ニ十五日采 ) 三越劇場 平成一一十七年度は十月十九日に春日とよ稲師・里園志寿栄師・ 柴小百合師・松風若英師の四氏を追刻しました。 小唄顕彰会 会長・北村凡 世話人・安藤貞子、井上藤夫、磯良彦、小島慎一、中田一男、 橋本喬、山田脩司、横倉陽七、吉川龍男 事務局・守谷幸則 156 ー 0053 世田谷区桜 3 ー % 【事務局】 ( 株 ) 邦楽の友社内 ーワ
自分達にも考えさせます。」 ることを後で知りびつくりしました。」 びつくりするような奏法を考えてく 宮城喜代子師や数江師に浚って頂い る生徒も多く、若い世代に期待していた曲の演奏を、道雄師に聴いて頂くお ます。 稽古でしたが、「良く弾けましたね。」 「音楽的におかしな方向に進んでいと優しくおっしやるだけで、こちらが ないか、聴いて頂く方の心に響いてい幼かったせいか厳しい指導は有りませ るかどうかを評価し、必要と感じた時んでした。 にだけ、指導するようにしています。」「宮城先生は、高校一年の時に亡く それ以外は細かい指摘はせず、見なられましたが、引き続き喜代子先生 や数江先生からの指導を受けることが 三輪たけし守っています。 できました。」 「沢井箏曲院では、先生に頼らない 「京都に生まれ、幼い頃家族の都合東京芸術大学に入学し、卒業後、沢一 演奏家になるよう指導・育成を進めてで東京虎ノ門に移転しました。」 井忠夫師と結婚しました。 います。」 八歳になり、「習いごとをするなら沢井忠夫師は、高校生のころから作一 本誌シリ 1 ズ聴き書き・第四十回ゲ何をする ? 」と母に聞かれ、家にあっ曲を手掛け、東京芸大在学中から邦楽 スト、沢井箏曲院副会長・沢井一恵師た母が娘時代弾いていた箏を差してジャンルにとらわれない様々な音楽活 の語る次世代の育成です。 「これ ! 」と言ったのが始まりです。動を行い、 将来を嘱望されるホ 1 プと 「基礎が終了した生徒に、自分はど「早速、自宅から徒歩一分足らずのしてテレビやラジオで度々取り上げら んな音楽を演奏したいのか、どんな音邦楽社に有ったお稽古場に通い始めまれていました。 を出したいのかを徹底して考えさせました。」 「どこの流派にも属さずに箏曲の演 邦楽社には、宮城道雄師が疎開先の奏活動をするのには、大変難しい時代 そのために、こう弾けばこ、ついう音葉山から出稽古にいらしており、手解でした。」 が出るといった演奏の引出をできるだきを受けることができました。 赤坂のレストラン・シアタ 1 で演奏 け多く、幅広く準備させます。 「自宅から一番近いお稽古場というしたり、夫婦でジョイントリサイタル だけの入門で、宮城先生が教えて下さを開催するなど、演奏機会を確保しま 「引出は、教えるものだけではなく、 聴き書き・邦楽の星 ( ) 沢井一恵師
した。 「更に、沢井忠夫が若き演奏家たちをとるようになった切っ掛けは、ソ 「次第に箏曲を習いたいという希望を率いる『沢井忠夫合奏団』を発足さフィア・グバイドウーリナさん ( ロシ 者が集まり始め、門下生による勉強会せました。」 ア出身ドイツ在住の世界的作曲家 ) と も開催できるようになりました。」 第 1 回の定期演奏会以降、「日本最の出会いでした。 単に後進を育成するのではなく、プ初の箏の職業的合奏団になりうるかも 自宅に来訪された際に演奏した、独 ロの演奏家集団の育成を目指すようにしれない ー ( 小島美子氏 ) など高い評奏十七弦と箏群のための焔 ( 沢井忠夫 なりました。 価を得ることができました。 作曲 ) に感動され、十三弦、十七弦を 「昭和五十四年沢井忠夫と共に沢井「私自身の演奏が大きく変わった問わず、筝という楽器に非常に興味を 箏曲院を設立しました。」 きっかけは、武満徹さんが音楽監督を示しました。 全国各地の門下生から団体に所属ししていたベルリンフィルの演奏会での 「その後、交響楽団から、創 ていないと演奏活動ができないとの訴示唆でした。 立六十周年記念にグバイドウ 1 リナ えが相次ぎ、当初は予定していなかっ 前の出番は林英哲師の鼓童、心身のさんに作曲を委嘱した、箏コンチェル た設立でした。 限界まで太鼓を叩き続ける、大音量のト『樹影にて』の演奏依頼を頂きま 迫力有る演奏で、箏一面の一恵師はした。」 すっかり臆してしまいました。 箏コンチェルトでは、コップで弦を 「武満徹さんは、『小さい音は良いん擦る奏法や、ヴァイオリンの弓で弾く だよ』と、背中を押してくれました。」などの多様な奏法が、楽譜に絵入りで その時の演奏は、小さい音がベルリ指示されていました。 師 恵ン・フィル・ハ 1 モニ 1 ホ 1 ルいつば「コップで奏でる音は一回きりの音 井いに指先から広がってゆくのでした。で二度と同じようには鳴らす、演奏す 沢 それまでどちらかというと力をこめてる私にとって、周囲の状況や音と無意 大きな音をだそうと演奏していた一恵識に反応し、地平のかなたに連れてい 師にとって、目から鱗が剥がれる思いかれたような感じがしました。」 でした。 こういった奏法を進歩だとは思って 「コップや弓で、箏の弦を擦る奏法いませんが、箏という楽器の可能性を
肥時開演 ( Ⅱ時半開場 ) 砂崎知子、高畠一郎両師はもちろんくすこと数刻あまり、名残りを惜しみ 特別出演 のこと、箏道音楽院新団体各会員の皆つつ次回再会を約して散会 ( 午後七時 さまの今後の活躍に期待している。 四十分 ) 菊原光治 ( 三絃 ) 稲田康 ( 指揮 ) 次回は一月二十日、水月ホテル鴎外 賛助出演 ■江戸小唄友の会城南友の会 荘に於いて「新年会」を兼ねて開催。 ( 編 石垣清美 ( 十七絃 ) 集部注・本誌発売の五日前になります ) 福永千恵子 ( 箏 ) 吉村七重 ( 箏 ) 第二六七回「城南友の会」が十月 以下、第一声で当日の会者を紹介す 藤原道山 ( 尺八 ) 出演 二十一日、上野池之端・水月ホテル鴎る。「権九郎」冨田竹雄、「酔いざめに」 砂崎知子 外荘に於いて開催された。定刻午後一一茂木敏男、「筆の傘」黒崎亮一、「勢い 箏道音楽院 ( 東京本部、岡山・徳島・時、会員有志による会歌「友千鳥」の肌ー鈴木敏達、「水さし」細川佳代子、 合唱で幕明け。当日の糸方は常磐まさ「吉田屋ー鈴木ナミエ、「牡丹刷毛」吉 広島・大阪各支部 ) 米、蓼津留千代、蓼胡満和、土川きく、田貴子、「獅子頭」岩崎綾子、「上げ汐」 この箏道音楽院の副代表には、高畠齋藤宏子 ( 永井派師範 ) の各師。これ松本輝生、「蝉しぐれ」池畑喜代子、「浜 一郎師が就任することになった。砂崎に安藤貞子、坂本和子、石上申八郎の町河岸、守谷幸則、「芝浜」大久保シ一 代表を支える強い力となるだろう。 各氏が補奏し会員一同、秋酣の一日をズエ、「みれん」小山田正雄、「にごり え」山本達雄、「今日もまた」岩田喜惇、 その高畠師は昨年川月、第 8 回市川全四十一番さわやかに唄い廻した。 市民芸術文化奨励賞を受賞した。 終演後宴会に移り、鴎外荘心づくし「腕まもり」中村恵美、「様は山谷」設 その受賞を記念して本年 4 月にリサの和風弁当に舌鼓を打つ。酒も程よく楽徳子、「時雨茶屋ー猪俣洋子、「一声 イタルを催す。詳細は次号以下に譲る廻ったところで鴎外荘の大女将 ( 中村は月が」大橋みさゑ、「中洲の思い出」 として、大きな節目となる演奏会になみさ子さん ) のご挨拶と若女将見習中秋山輝子、「向島名どころ」白井千恵子、 ると思われる。 の友美さんの紹介があり、満場拍手を「風神雷神 , 室橋渡、「しぐれ茶屋」経 出演は山登松和師、善養寺恵介師、以ってこれを迎えた。次いで当夜の圧塚寿子、「待宵月」齋藤宏子、「十三夜」 箏道音楽院砂崎知子代表ほか、多数の巻、浅草名物「振り袖さん」が登場、荻島ミドリ、「ひとりごと」志村隆子、 賛助出演を予定している。 大江戸舞姫の舞をあでやかに舞うこと「みよしの」社本勝一一、「黒木売り」早 一一番、やんやの喝采を博した。歓を尽川揖子、「辰巳の左褄」馬養美佐、「影絵ー
年 6 月には「蝶々会」を創設。蓼機に会長を勇退された津留葉師だが、 派会全員の厳しい勉強会。そして今回顧問の今も芸の修行を怠っていない 第六十一回「蓼乃会」 の「六十一回蓼乃会」。昨年は六十回。 十一月七日 ( 土 ) 十ニ時半開演 今年は又一年からスタ 1 ト、と明言し 日本橋三越劇場 た会長のファイトに脱帽する。 ここ三年程の間に、蓼派関係の演奏蓼派八十五周年記念会を終えたのを 会がとても多く感じられたので記録を 調べたら、何と 7 件も続いた。胡満佳 会長のバイタリティ 1 に脱帽する。 年 5 月に、ご自身個人が主催する 千 久しぶりの「玉佳会」を皮切りに、 6 満 胡 月に「蓼派創立八十五年記念演奏会」 糸 という骨の折れる大きな会をこなし、 秋Ⅱ月にレギュラ 1 の回「蓼乃会」 佳 で〆めた。 満 胡 年 5 月は、平成年に亡くなった 「胡満喜二世会長十三回忌追善の会」 息女の満喜さんが前年から企画されて 互 いたもので主催は玉虫会。でも胡満佳 て 師は胡満喜師匠に特別に可愛がられ、 胡満佳師はク胡満喜節のすべてを修 や 得したという特別の間柄。だから「追 善の会」に全力を傾注した筈。そして Ⅱ月に「六十周年記念蓼の会」。こち らも手を抜けない。 「きぬぎぬの」津留葉。 ( 糸 ) 胡宏 ( 替 ) 史実。 ー 33 ー
第三十六回「利恵の会」 十月三十一日 ( 土 ) 正午開演 東京証券会館ホール 利恵の会は、昭和浦年第一回を開催 し、秋に毎年続けているので、今年は 三十六回目になる。 利恵師匠の人柄に惹かれるのか、芸 に魅せられての事なのか、恐らくその 両方だと思うが、いつも楽しいひと時 を過ごさせて頂いている。 そしてこれは、端唄の会全部に共通 することだが、小唄の会と比べて活気 がある。原因を考えてみると、唄だけ 邦楽会の歩み ( 十月・十一月 ) 東山晋士 でなく、三味線と取組む初心者が端唄務めて来られた知優佳師のお顔が見え に多いからではないか。それも若い人ないのが寂しいが、跡を継がれた珠代 が。だから、舞台や楽屋にも賑々しい師と知優佳会有志が「こちゃえぶし」 空気が動く。そんな気がする。 を立派に演奏されていた。心配ない。 ところで利恵師匠は、番組編成がお次の写真は、横浜教室の皆さんで、 上手。今回も、お馴染みの池田先生の藤本琇丈一一代目家元編曲「伊勢音頭」 舞台から拝見。これまでずっと糸方をに挑戦。立派に演奏されていた。 志 有 珠 花 味 し え や ち 「伊勢音頭」横浜教室。
が、何気ない文章の中に集約されてい べ」で取材した方。久しぶりにお会い の代表作。どちらも私が好きな曲。適 る。 したので写真を撮らせていただいた。当に緊張感を交えた、良い会だった。 三年前に、創立七十五周年記念演奏下の写真は松代師の〆の舞台。「涙 会を打ち上げて以来特に、一門の精進ぐせ」「誤り証文」は、共に松美師匠 協力の体制が充実し、目を見張るよ、つ な充実した芸の進歩を舞台で見せて下 さるようになったので、招待を受けた 私達は、〆の最後の一番まで席を立っ ことが出来なかった。 松代会長ご自身の芸の研鑽と輝きに 一門全員が追従するかのように、社中 全員の芸風が進化してきたと言うべき だろ、つ。これは嬉しいことだ。 お終いの十四番は幹部社中の演奏。 流石に聴きごたえがあった。中堅クラ スの方と言っては失礼かも知れないが この日ク気持よく聴かせて頂いたツと いう印象に残ったのは、芙美代、奈美 弘、奈美呂、それに千代由。この方は トリで上調子を弾いていたが、自信を もって糸に挑戦していた姿が良い 松帆師の高弟の真帆さんは、唄良し 糸良しで言うこと無し。会長を補佐し て長生派を支える大切な人。同じ松帆 門下の静帆さんは、拙著「邦楽道しる 「十六夜」長生静帆 ( 糸 ) 長生松帆。 「涙ぐせ」長生松代。 ( 糸 ) 真帆 ( 上 ) 千代由。
この日の〆は、会主利恵師匠の唄で どちらも利恵師匠が三味線を弾いた 番組最後の。花季会同人コ 1 ナ 1 は、さすがに名演奏が続くトリ前は が、糸を押さえる指のカ加減で、含み「鐘をどんどん」。珍しい唄である。 登喜穂師の「二上り新内 ( わるどめ ) 」のある音色の変化、微妙な間合いを弾それもその筈。昭和年代に、恩師 ク利恵の会プログラムの表紙の題字き分ける。見事な演奏に聴き惚れた。根岸登喜子師の会で唄って以来暫く 唄っていないそうで、懐かしくて今回 を書いているのはこの方。 取り上げたそうだ。のびのびとした、 この日は社中のトリで、きみ香さん 大きな唄で、若い人に、是非学んで欲 が「二上り新内 ( うつば猿 ) 」を唄った。 しいと思った。私も、歌詞だけでも覚 恵 福えたくて会主さんにお願いしてある 恵 季 花 づ第七十八回「小唄長生会」 十一月一日 ( 日 ) 正午開演 線 味 ( 線東京証券会館ホー 「世の中の変化とともに小唄界を取 喜 利り巻く環境も大きく変わりつつあるよ 季 季 花 うに思われますが、心に響く小唄の言 花 葉と、美しい三味線の音色に触れる機 め ど ど会をもてることの幸せをありがたく感 る ん じております。」 ど わ これは今回のプログラムの冒頭に、 新 松代会長が書かれたご挨拶文の一節を ご紹介したもの。文章の内容と言い、 その表現と言い申し分ない。流石は、 成長を続けている一門の当主の気構え
第 9 回 千代田区邦楽の世界フェスティバル プロ・アマチュアを問わず、本年も広く出演者を公募します。 名人芸の部は、杵屋徳衛師のミニコンサート。 「千代田区における邦楽文化の普及」といった開催趣旨に反しな ければ、どんなジャンルも大歓迎、ソロでも、大勢さんの出演 でもオーケーです。 三味線小曲の世界 平成 28 年 3 月 10 日 ( 木 ) 午後 2 時 ~ 7 時頃 ( 1 時 30 分開場 ) 第一部 ( 2 時 ~ 4 時 ) 「旦那芸を楽しむ」 ( 小唄・端唄 20 組予定 ) 第ニ部 ( 4 時 ~ 5 時半 ) 「邦楽を楽しむ」 ( 箏・長唄・浄瑠璃ほか ) 「杵屋徳術長唄三味線の魅力」 内幸町ホール TEL : 03 ー 3500 ー 5578 ー舞台一万円 要演目、曲名、出演者名、助演者名、所要時間 ( 含出入 ) 、 打ち上げ参加有無及び人数 ( 会費 5 千円予定 ) をご連絡下さい。 TEL : 03 ー 5451 ー 3068 邦楽の友社 2 月 1 5 日 ( 月 ) 出演者募集中 日時 内容 第三部 ( 6 時 ~ 7 時頃 )
佐藤かよ子、「添えぬ身ー坂本和子、「タの振袖さんの踊りで締めくくりまし登茂子「無理なのを」中澤道廣「こば 立や田を。石上申八郎、「木更津から。た。参加者を発声順に紹介致します。れ露 , 安藤貞子「虫の音」小島慎一「勝 太田雅美、「十六夜清心」吉澤賢治、「浪「曽根崎ー吉川龍男「野晒し」室橋名乗り。井上藤夫 の上」阿生山登茂子、「一日逢わねば」渡「待っ夜重ねて」飯塚幸江「卯の花ーグラビアベ 1 ジ写真参照。 小林和夫、「大はりま」中澤道廣、「上山崎澄江「あの日から」吉田鞠子「隅 ( 江戸小唄友の会柳友会・吉川龍男 ) 手よりー安藤貞子、「待宵月ー吉川龍田川」高橋ふさ「浜町河岸」江守善一 男、「長兵衛」小島慎一、「満月や」井郎「佃の渡しー吉田貴子「空ほの暗き」 ■ニュース 上藤夫。 ( 江戸小唄友の会城南友の会・丸山京子「今日も又」市川郁子「待宵月」 冨田竹雄 ) 佐藤かよ子「柳橋から」通崎高子「浜松尾芸能振興財団新理事長に 町河岸」押本新子「築地明石町」富内松尾國之氏 ■江戸小唄友の会柳友会 照子「網島心中」小池悦子「影法師」公益財団法人松尾芸能振興財団では 馬養美佐「博多ながし」伊井道雄「青松尾日出子理事長が辞任し最高顧問に 良くも続いたもので半世紀を越えて柳の糸ー中村誠子「逢いたい病猪俣就任する旨の発表を行った。 三百回、柳友会の例会を十一月十八日洋子「山中しぐれ」渡辺渓子「満月や」 ( 昨年月付 ) 池之端・水月ホテル鴎外荘にて開催岩田喜惇「青いガス燈。持田日勇「茶新理事長には松尾國之氏が就任し 致しました。記念会として特別な企画のとが」小林和夫「山中しぐれー大橋た。 こそ致しませんでしたが、普段お見えみさゑ「一夜流れ。穂積和夫「お夏笠松尾國之氏は「日本の伝統ある芸能 になられない常磐の家元様、蓼胡満千物狂い」山下麗雄「うその固まりー吉の保存・伝承に力の限り努力する」と 加師の賛演、京都からの参加もあり賑沢賢治「山中しぐれ」磴巌「築地明石町ー意欲を述べている。 やかな会と成りました。ほかに糸方は宮本加代子「浜町河岸ー守谷幸則「佃 佐々舟洋・佐々舟正子・蓼胡満和・蓼の渡し」早川揖子「籠つるべ」赤田繁京都三曲協会新会長に 房まさ・新水千豊・土川きく・春竹利夫「野ざらしや」冨田竹雄「雪国ー楢高田鑑山師 香の七名の師匠方。会歌「友千鳥。を木ミョ子「明治一代女ー安本りか「未京都三曲協会では前会長故島田重弘 一同で合唱奏して開幕以下四十三番の練酒、五味好子「八尾の女」斉藤芳江「今師の後任に高田鑑山師が就任した旨の 熱演の後会食、フィナ 1 レは浅草から日一日」佐宗美奈子「新ロ村ー阿生山発表を行った。 ( 昨年肥月付 )