当顕彰会 邦楽の友 メールマガジン お申込みは 邦楽の友の公式サイトから おことの店 で 日 の 楽 日〒一七九ー〇〇八一東京都練馬区北町六ー二十一ー十一 ( 三九三五 ) 五八五一一番 月 ( 三九三五 ) 五八九一一番 矢野守彦 箏・三味線専門店 東京都認定伝統工芸士のお店 【事務局】 守谷幸則仭邦楽の友社内 〒 156 ー 0053 世田谷区桜 3 ー % ー 0 3 ー 5 4 51 ー 3 0 6 8 0 3 ー 5 4 51 ー 3 0 6 9 お三味線のご相談は 中央区東日本橋ニーニー 電 ( 三八五一 ) 五四三ニ 中亀屋邦楽器 付属品多数扱っております。ご気軽にお問い合わせ下さい 〒ー東京都世田谷区豪徳寺 2 ー釦ー加 - W—JOCO ーっ ) 4 29 ー 8 っ 089 ホームページ http://www.e ・ kameya.com/
まは田スて 5 ①鈴木俊幸氏蔵 全一丁半 ( 表紙半丁・本文一丁 ) 糸のくおき 梅桜松曽我 ( はなきゃうだいあい おひそが ) / 二日目第二ばん め / 四紅葉思恋深川 ( よっもミぢ おもひのふかがわ ) / 中幕 / 市村 座 / めりやす比翼紋 ( ひょくも ひょくもん 「比よく紋壱了」 ⑦板元 / 福地茂兵衛 / ふき屋町 / 冨 士屋小十郎 / 山本重五郎 ⑨白藤源太 / 市川男女蔵、かがやお しゅん / 松本よね三 ⑩長唄冨士田千蔵、三弦錦屋惣治、 杵屋勝五郎 ) 公〈めりやす比翼紋〉 〈備考〉 初演 「狂言作者並木五瓶、福森久助 , ( 表 文化元年 ( 一八 0 四 ) ニ月市村座 紙 ) 。「五瓶述」 ( 内題下 ) 。 《四紅葉思恋深川 ( よっもみじおもい のふかがわ ) 》中幕 〈考察〉 文化元年市村座曽我狂言の一一番目は 久十叮応
後の文化十一年 ( 一八一四 ) 正月森田座ひくやらりゃうの袖の梅合すいな 曽我狂言の「草摺引き」は、父の仇で初演された「正札附根元草摺」の詞章ミのわのとりかねに合中なをりす である工藤祐経に巡り会った曽我五郎と比べると、「おせど引ケどもこりやる酒きげんツレ八ヱ、めんどうなと が思わず駆けだしたところ、小林の朝どうじゃ、朝比奈力はそれぎりか」のとっきとバし合もすそに取リつき 比奈がその鎧を掴んで引き留める、ところが共通している ( 但し、「正札附合ひきとめて喜八ならぬぞいなし いう有名な場面である。多くの曲があ根元草摺」では「引けども押せども」 ) 。やせぬ合さいわいにいのふとハ 「草摺物ーに共通する詞章と、それ合 ( 一・ウ ) 顔どれどんな顔男女八ヲ、 り、「草摺物」とも呼ばれる。 表紙の絵は、上から下を見下ろしてぞれ新しく創作した詞章の組み合わせこ ( 千八それやまアなんのかほじゃ いるのが五代目松本幸四郎 ( 鼻が高くで曲が作られているようである。全曲いな喜八まぶの男のきぬる、にち よと一トびき合すいつけたばこ 鼻高幸四郎と呼ばれた ) 扮する曽我三下りである。 ツレひくものハなに合はる 五郎時致、下から見上げているのが初『未翻刻長唄集』に翻刻がある たっそらのうすがすミ合くもの、 代市川男女蔵扮する小林の朝比奈であ と月にいな、くきりわらやうしのつ る。なお常磐津節「忍夜恋曲者 ( 将門 ) 」 ごひいきこんげんくさすり なひくおはらめといふてはこしに取リ一 を初演した四代目常磐津文字太夫は、御贔屓根元艸摺 ついてゑんや合 / ( 、合おせ この初代市川男女蔵の子である。 長唄の「草摺物」のうち現在でも演三下り八諺に合おにをあざむくりど引ケども ( ニ・オ ) こりやどふじゃ 奏される最も古い曲は、宝暦十二年きしどち楠に花さくごとくにて合幸四郎朝比奈カハそれぎりか男 ヱイヲ、はづかしやは ( 一七六一 l) 四月市村座初演「分身草よろひづきしてたっかゆミ八其あ女ム、 つかしこれじゃならぬとひやうしに らそひはくんしこく合さすが 摺引」で、今は荻江節に伝承されてい か、って引イてくりよ八恋ハいよ る。「分身草摺引」と本曲の詞章を比つるの丸かれとすおふのそでをなが べると、「ヲ、、こは、そりやまあなしめに合ひきとヾむれど合うのうき身をやっす神にちかひて酒の ミのまずたがひにあらそふ其有 んの顔じゃいな」と、最後の「貴賎上ごかばこそ合よもやぬけじの合 下おしなべて、感せぬ者こそなかりけ ( 一・オ ) かなめ石千八かたい心をやリ様合こ、んにまれなる勇力やと ハらかなさとのしょわけでびいて見きせん上下おしなべてミなかんせ れ」が共通している。 また同じく現行曲で、本曲から十年る合く・せっすがヾきつまごとをぬ者こそなかりけれ 〈考察〉
〈御贔屓根元艸摺〉 初演 ゅ者の第男姿 石あは小文化元年 ( 一八 0 四 ) 一月市村座 , おのあ 29 ザ《梅桜松曽我 ( はなきようだいあいお 春おそ いそが ) 》第一番目五立目大詰 ①早稲田大学演劇博物館 参ての》ての ( イ・ 11 ・三 2 ・ 33 ) 半紙本一冊 囘全二丁半 ( 表紙半丁・本文二丁 ) 六行 〈備考〉 寒々亂 0 ( ふ 「狂言作者並木五瓶、福森久助」「ふ 梅桜松曽我 ( はなきゃうだいあい おひそが ) / 第一ばん目五建目大り附市山七十郎、」「上下」 ( 表紙 ) 。 詰 / 市村座 / 御贔屓根元艸摺 ( ご ごひいきこんげんくさずり 春 4 う ひいきこんげんくさずり ) 御贔屓根元艸摺 ( ごひいきこんげ んくさずり ) ⑥「艸摺壱」「艸摺一一了」 ⑦板元 / 福地茂兵衛 / ふき屋町 / 冨 士屋小十郎 / 山本重五郎 ⑨曽我の五郎時致 / 松本幸四郎、小 林の朝比奈 / 市川男女蔵 ⑩長唄冨士田千蔵、岡安喜三郎、 和歌山仙吉、福田新吾、冨士田 千介、岡安喜八、三弦錦屋惣治、 杵屋勝五郎、錦屋金蔵、杵屋巳太一 郎、鳥羽屋三五郎、杵屋弥左吉、絽 ふへ住田又七、ふへ住田清一 七、小っゞミ西川新十郎、小 っゞミ小泉長治郎、大っゞミ 堅田喜惣次、大っゞミ小西平次 良、たいこ坂田重兵衛、たいこ 小西重蔵、 鳥居清忠画
しならぬ合一トつよぎツレせ けた玩具で、手に持ったり、またいだ点は異なる。 なむけかねしはるげしき八うれしめ りして遊ぶ。正月を寿ぐ門付芸としてなお「春駒ーは「はるごま」で、「は も行われた。 るこま」ではない。『未刊翻刻長唄集』でたの日の出まばゆき金ふくりんの 合くらはなしぢのあぶミにあをり に翻刻かある 「春駒ーを扱った現行曲としては、 合たづなかいくり合しっとん / ( 、 本曲より十三年前に初演された「対面 ムロ・り・うぐちぎり・ ) の・り・まハしく 花春駒」 ( 寛政三年 ( 一七九一 ) 正月 はるごまついのうっしゑ るり / ー、くるイ、 / ( 、と ( ニ・オ ) く 中村座初演 ) があるが、詞章の内容な春駒対写絵 るまにあらぬわのりのひやうし合 どに本曲との関連がみられる。 歌い出しは、「対面花春駒」も本曲三下り八めでたや / ( 、はるのはじめのくつわのおとハりん / \ がら / \ りん か・ら / \ ムロはいと、つイ、はい / ー、、 も「めでたやめでたや、春のはじめのはるごまなんぞは合ゅめに見てさ 春駒なんぞは、夢に見てさへよいとやヘよいやと申ス / 、ヲ、それ / ( 、よ / ( 、此間ひやうし八いろもかハら いさくら木や合むすびてほしき 申す。よいとや申す。ヲ、それそれ」 ぬときは木にゑだをつらねてちとせ一 ふるみどりも今ハ名にたかき合松 で始まる。最後は、「対面花春駒」は「麗あだざかりふたりつれたるそのよい 曽我 ( にぎわいそが ) の対面と、うた中をよそに見てさへよいとや申ス / ー、曽我のたいめんとうたひはやしてまひ一 い囃して祝しける」、本曲は「松曽我 ( あそもはる ( 一・オ ) ごまは万歳らくおさむ いおいそが ) の対面と、うたい囃してのまびなれや合さてせいやうのそ 舞納む」である。「麗曽我」は「対面らいろも合こまにかず見る合 花春駒」の芝居の大名題「春世界花麗な、くさはこれじんじつの合せ 曽我」から、「松曽我」は本曲の大名ちゑなり 題「梅桜松曽我」からそれぞれ取って千八かたいやくそくいつわりの合 いる ないてまっ夜をふ合り合す なお「対面花春駒は現在全曲本調て、合っもるうらみを雪のかほ 子で演奏され、「本調子」と記載のあ合っいとけやすきしたひもを喜 る後年の稽古本が残っているが、本正八びんとすねたる ( 一・ウ ) はらたち にそのいひわけをすミのおれきのは 本には冒頭に「三下りとあり、この
三弦錦屋惣治、杵屋勝五郎、 はるごまついのうっしえ ふへ住田又七、小っヾミ西 〈春駒対写絵〉 川新十郎、大っゞミ堅田喜惣 初演 次、たいこ坂田重兵衛 文化元年 ( 一八〇四 ) 一月市村座 《》大命題 〈〉曲名 《梅桜松曽我 ( はなきようだいあいお〈備考〉 「ー引用部分 こ文献名 いそが ) 》第一番目五立目大詰 「狂言作者並木五瓶、福森久助」「ふ 書誌的説明 ( 該当項目のない場合は省略 ) り附市山七十郎」「上下」 ( 表紙 ) 。 ①体裁 丁数 ③本文行数①早稲田大学演劇博物館 ④外題 6 内題 ⑥丁附 ( イ・ 11 ・ 1212 ・ 33 ) 〈考察〉 卩コし 8 ・一三ロ ⑦刊記 ⑨役者名 半紙本一冊 文化三年市村座正月の曽我狂言であ ⑩演奏者 第画師名 囮奥書 全二丁半 ( 表紙半丁・本文一一丁 ) る。『歌舞伎年表』には「少将は春駒、一 六行 舞鶴は万歳にて、五立目に女工藤対面。 6 梅桜松曽我 ( はなきゃうだいあい大詰に「草摺引」」とある。 長唄正本研究会 おひそが ) / 第一ばんめ五建目大表紙の絵は、手に馬の頭の作り物 ( 春 会員加納マ 詰 / 市村座 / 春駒対写絵 ( はるご駒 ) を持って踊る一一人の女の姿を描い 蒲生郷昭 まついのうっしゑ ) ている。揃いの縞の着物を着ているが、 杵屋寒玉 春駒対写絵 ( はるごまついのうつよく見ると右側の女は縞の着物の下に 稀音家義丸 曽我十郎ゆかりの千鳥の柄が見え、こ しゑ ) 竹内道敬 「春駒壱」「春駒一一了」 ちらが十郎の愛人の大磯の虎 ( 瀬川路 酉月美加 ⑦板元 / 福地茂兵衛 / ふき屋町 / 冨三郎 ) であることがわかる。左側は、 士屋小十郎 / 山本重五郎 曽我五郎ゆかりの蝶々柄の着物を着た 羽山裕 大磯のとら / 瀬川路三郎、けわひ五郎の愛人化粧坂の少将 ( 瀬川路之助 ) 星野厚子 である。 坂のせうイ、 / 瀬川路之助 吉野雪子 ⑩長唄冨士田千蔵、岡安喜三郎、春駒とは、張り子の馬の首に柄をつ 凡例 長唄正本研究 ( 咽
けを授与 ( じゅよ ) するわけです。明灯 ( ひ ) あかりに なる風鈴の 治の頃は日本髪 ( にほんがみ ) を結っ ていたので、かんざしの様に雷除けを涼 ( すす ) しさや さして観音様の階段をおりる姿が風流ようも ( ふうりゅう ) で人々の目を楽しませ似合 ( にあ ) った ついゆかた たようです。勿論家に帰って天井 ( て どれが んじよう ) にさして雷の難 ( なん ) を のがれるのです。 姉 ( あね ) やら 前にも四万六千日のことは紹介し妹 ( いもうと ) やら ましたが一升 ( いっしよう ) が米、もみじ 四万六千粒で一生、無病息災 ( いっし散 ( ち ) らした ようむびようそくさい ) ですごすこと袖 ( そで ) たもと が出来るということで、四六時中 ( し ろくじちゅう ) すなわち一日の千倍に 貝「たけくらべ」 も当たるのです。 柏登代子詞富士松亀三郎曲 ほうずきの鉢につけられる風鈴 ( ふ 三下り うりん ) 、赤が魔除 ( まよけ ) になる八浅草は ほうずき市の と信じられてきました。今では色々な 色合いがあるようですが、赤い風鈴に ご縁日 ( えんにち ) みどりは はそんな意味があります。 ひとり しょんばりと 小唄「ほうずき市の」 いっしか 金子千章詞春日とよ稲曲 たどる 三下り 恋 ( こい ) の道 八ほうずき市 ( いち ) の 乙女 ( おとめ ) 心 ( ごころ ) を 水仙 ( すいせん ) に たくせど あわれ うたかたの 夢 ( ゅめ ) か 廓 ( くるわ ) の さざめきて 淋 ( さび ) しい 龍泉寺 ( りゅうせんじ ) 今月は何かと行事が続きます。 「七夕」 ( たなばた ) 様もあります。一 十三日から始まりますお盆 ( ばん ) 御 先祖様を迎える迎火 ( むかえび ) お盆 の中日、送り火 ( おくりび ) 京都の八 坂神社の祇園祭 ( ぎおんまつり ) 九州 は福岡の小倉 ( こくら ) の祇園太鼓、 そして土用 ( どよう ) の丑 ( うし ) の 日、佃 ( つくだ ) 祭は七月三十一日か ら八月にかけてあります。 暑い夏皆様お大事に。 早めたり」春日とよ稲 「遠雷に帰宅の歩み
薬草 ( やくそう ) として中国から伝わ木村富子詞十ニ世片岡仁左衛門曲匂 ( にお ) う りました。 ふとあの日が 三下り 東京の入谷鬼子母神 ( いりやきしば八朝顔の 甦 ( よみが ) える 明日は待っ じん ) 進源寺 ( しんげんじ ) の朝顔市は、 揃 ( そろ ) いの 間 ( ま ) や 東京の夏の風物詩 ( ふうぶっし ) とな 浴衣 ( ゆかた ) も 、つ」、つ当」 A 」 っています。朝顔の鉢を買って帰って垣根越 ( かきねご ) し も長持ちさせたいものです。 八闇 ( やみ ) を 仲良 ( なかよ ) く 夜明けの三時すぎに咲き出します。流るる 手に持っ 朝咲いた花はしばむ前に朝八時ごろ直蛍火 ( ほたるび ) に 朝顔の鉢 ( はち ) 射日光 ( ちよくしやにつこう ) が当た初 ( はっ ) の 今頃 ( いまごろ ) ど、つして らないところへ移動します。これでタ御見 ( ごげん ) を しみじみと 方まで美しい花を楽しめます。 居 ( い ) るかしら しかし日陰のままに置いておくと、胸に焼 ( や ) きつく 昔 ( むかし ) を 次の日に咲く花が小さくなってしまい 面影 ( おもかげ ) も 残 ( のこ ) す ます。日差 ( ひざ ) しが多少弱まったあわれ〈逢わで〉 路地裏 ( ろじうら ) で あざやかに この夜を ら又外へ出して陽 ( ひ ) に当てるとい いようです。 字治川 ( うじがわ ) の 咲 ( さ ) く こうして朝顔にも愛情をそそいで下霧 ( きり ) が 団十郎 ( だんじゅうろう ) さい。入谷の朝顔市は七月六日、七日、 濡 ( ぬ ) らした 八日の三日間です。 瑠璃 ( るり ) の色 梅雨明けの頃は雷 ( かみなり ) が鳴 出来れば午前中に訪れて、花も生き ります。その雷除 ( かみなりよけ ) が 生きとしていると思います。勿論関西 小唄「朝の打水」不ニ小みち作七月十日の浅草観音 ( かんのん ) 様の でも朝顔は愛されています。 四万六千日。同時に開かれるほうずき 八朝の打水 ( うちみず ) 市も夏の風物詩です。 緑 ( みどり ) が 観音様では三角 ( さんかく ) の雷除 小唄「朝顔」
みると紅 ( べに ) 色なのです。 小唄「酔芙蓉」不ニ小みち作 元々は中国の蓮 ( はす ) のことです が、水の中だけでなく陸にも咲くので す。日本ではその花を酔芙蓉と呼んで八過 ( す ) ぎし いるのです。 あの頃 ( ころ ) 追 ( お ) いかけて 何故でしよう。 5 朝顔ほうずき 答は午前中は白い花、昼をすぎると募 ( つの ) る 風鈴の夏 5 ピンク色になります。そしてタ暮に近想 ( おも ) いは づくと色を増して紅色へ変わるので蚊帳 ( かや ) の中 ( なか ) す。お酒を飲むと白い肌 ( はだ ) がだ匂 ( にお ) 、つ 竹越夫んだんピンクの色になりやがて赤くな黒髪 ( くろかみ ) る。そんな様子に似 ( に ) ていること胡弓 ( こきゅう ) が 梅雨 ( っゅ ) が明けると、いよいよから「酔芙蓉」という名があるのです。咽 ( むせ ) ぶ 一夜 ( いちゃ ) 夏です。 日本人の豊 ( ゆた ) かな感性のあら 先月の二十二日は夏至 ( げし ) でしわれですね。この花を小唄にしたのが限 ( かぎ ) りで 散 ( ち ) る たが、この日から十一日目、七月二日おなじみの不二小みちさんです。 は半夏生 ( はんげしよう ) といいます。伊東深水 ( いとうしんすい ) 市川一一一運命 ( さだめ ) 人々は梅雨明けが近く、心待ちにし升 ( いちかわさんしよう ) 田村西男の咲 ( さ ) いて ています。 三氏によって富士の山は日本一の山、悔 ( く ) いなき 私の東京世田谷の家は作家徳富芦花不一一さんの小唄も一一つに不 ( あら ) ず酔芙蓉 ( すいふよう ) ( とくとみろか ) の屋敷を公園にしたと願って名付けられたそうです。 緑のこい場所の隣にあります。その公発足は昭和二十八年 ( 一九五三年 ) 夏の朝、アサガオは静かに花がひら 園には丁度そのころ酔芙蓉 ( すいふよでした。日本にテレビ放送が開始されきます。路地裏 ( ろじうら ) で、軒下 ( した年です。歴史を感じますね。それで ( のきした ) で、色々な表情を見せて う ) が美しく咲きます。この花よ白、 くれます。千二百年余り前奈良時代に 時もありそしてピンク、夕方散歩してはご紹介しましよう。 ト唄オシャレ考 ( 218 )
構と思っていた。五日位たった六月 り聞いたことがないが、興味のない人 三十日川口松太郎さん本葬の日の三時 もいると思う。花の好きな人でも、好 あじさい忌 半頃電話が鳴った。 きな花は人それぞれであろう。 「山田五十鈴でございます , お盆が来るとその年も半年が過ぎた余談だが私は一つきらいな花があ これには電話に出た私はびつくりしことで、月日の経つのはまことに水のる。「つつじ」である。 た。初めまして、と両人が名乗ったあ流れの如く早いもので、昔の人はうま もっといやなことはつつじが文京区 いことを言ったものである。 と五十鈴さんが続けた。 の花、ということである。 「お手紙ありがとう存じました。あお迎え火と送り火を焚くと、いつもおまけに我が氏神様である根津神社 れはスタッフのカットが悪かったので思うことがある。 がいつの間にか奉納されたつつじで境 す。日本中で一人と言ったのは浮世節「おがら」に火が廻ると、風もない内を埋めつくし、つつじ祭りを催すよ のことで、カットが悪くあんな結果にのに必ず風がおきる。これが自然で、うになったことである。 なりました。大変参考になり、あのおその風に乗って仏が帰って来ると昔か今更文句を言ったってはじまらない 手紙はスタッフに見せ、今後気を付けら言われている。 が、ちなみに花ことばを調べてみたら るように致します。どうぞこれをご縁昭和六十年七月十七日石原裕次郎さ「どっちつかずーとあった。 によろしくお願い致します。つきましんの命日があじさい忌と名付けられた。話が横道にそれた。裕次郎さんの命 ては東宝浴衣会も本年で十年、どうに このあじさいという花は雨の中に咲い日が十七日というのでこの日に亡くな かものになりかかってきましたので、ている時が本当に美しい。裕次郎さんられた有名人を歳時記でひろってみた。 切符一枚お送りいたしました。お師匠も雨男だそうでピッタリの名である。坂口安吾一一月十七日 さんご覧になって下さいませ」と大変私もあじさいの花が大好きである。青木月斗三月十七日 今年は四月末から五月初めにかけて暑徳川家康四月十七日 ご丁寧なご挨拶で恐縮した。 さすが大スタ 1 で物事の折目切れ目い日が続いたせいか、我が家のあじさ丸山応挙七月十七日 がきちんとしているものである。 いは五月半ばに大きな花がついた。カ恐れ多いが我が家でも私の亡夫が三 当日七月八日は楽しみに出掛けた。 ンカン照りの中のあじさいは、葉がし月十七日、亡母の兄が一一人居て一月十七 楽屋へ山田五十鈴さんをおたずねしたおれて気の毒だと娘が言っていた。 日、五月十七日どうも十七日は霊界と のは言うまでもないことである。 人間で花の嫌いな人というのはあま何かつながりがあるのかしら :