『世界婚姻奇談』 ( 高垣守正訳、明治巧年 ) 1 例 ( マンゾク 3 例 ) 、ーし 『小公子 ( 前編 ) 』 ( 若松賤子訳、明治年 ) 1 例 ( マンゾク 5 例 ) 瀧『恋慕ながし』 ( 小栗風葉、明治年 ) 1 例 ( マンゾク 5 例 ) 2 『己が罪 ( 前・中・後 ) 』 ( 菊池幽芳、明治 5 年 ) 2 例 ( マンゾク聟例 ) 『思出の記』 ( 徳冨蘆花、明治第年 ) 8 例 ( マンゾクロ例 ) をなどがあるが、『思出の記』以外は、下の ( ) 内に示したように、濁音マンゾクが多く、清音例 のが少なすぎるので濁点の付け落としとも思える。『思出の記』には清音例が多く見られるが、濁音 二一口 胎例もそれ以上に多い。この事は、著者が清濁併用していたことの現れか、それとも振り仮名を付し た著者以外の人の読みの現れか、それ以外の要因があるのかわからない。どの部分かにまとまって 清音例が出ているなら、そこを担当した校正者などの日ころの言い癖が現れたとも見られようが、 濁音例のある合い間にばつばっと清音例も出てくるという情況なので、理由付けは困難である。 ところで、『日本国語大辞典』 ( 第二版 ) の「まんぞく」の項の〈なまり〉の欄には、最初にマン ソクが挙げられ、〔紀州〕とある。これは『紀州方言音韻篇』 ( 昭和 9 年 ) によるものだが、マンソ クという地域があることが知られる。また、「足」が下に付く熟語「遠足、禁足、駿足、鈍足、人足」 のように、あしの意味では撥音「ん」の下に付く場合でも皆清音である。足りるの意味の「具足、 自足、充足、補足」なども皆清音であるこういう面から見れば、「満足」のように濁音ゾクとな る熟語はあまりないから、マンソクが現れても不思議ではないといえそうである
り明治維新以来百三十年余りが経過した。百年もたてば言葉に変化が生じるのは当然だと考えられ るが、同じ百年でもこの期間は「激動」という形容がふさわしいような年月である。そういう社会 のの激変に応じて日本語は、いろいろな面で大きく変わらざるを得なかった。欧米の文物を取り人れ 言たことによる各方面での新語の発生、文語体から言文一致体へという文体の移り変わり、翻訳語の 章影響による言い回しの変化、標準語の形成、漢語・外来語の増大などは、その著しい現れであろう それらに比べればあまり目立たないが、日常普通に使われる言葉の変化も想像以上に多く起こって 一口に言葉の変化といっても、その変化にはさまざまな場合かある。漢語 ( 音読語 ) については、 呉音読み、漢音読み、慣用音 ( 日本で慣用されてきた音 ) 読みなどにもとづく漢字の読み方の変化、 清音から濁音へ、濁音から清音へという変化などがある和語についても清音から濁音へ、濁音か ら清音へという変化、その他さまざまな音変化などが見られる ところで、日本語は漢字を使うと読みにかかわりなく意味が通じる場合が多いので、読みが軽視 される傾向がある。扉に「押」「引」と記してあったり、エレベーターに「開」「閉」という文字を 見かけたりするが、これらの漢字は記号化していることもあって、どう読むかは間題にならない 以前は人場料を払う窓口の料金表示に「大人」「小人」とあって、おとなと子どもの料金が書かれ ていた。この「大人」「小人」はどう読むのだろうか「大人」はオトナだろうと思っていたが、「小 人」はコビトでは変だし、ショウジンでは意味が合わないしと長年疑間であった。それが辞書を少
となる。また、二つの語が連接して複合語を作るとき、下に来る語の頭の音が清音から濁音になる こと ( いわゆる連濁の現象 ) がある。和語にも漢語にも見られ、「くさ ( 草 ) 」「はな ( 花 ) 」が結合 して「くさばな」となり、「さん (lll) 」「かい ( 階 ) 」が結合して「さんがい」となる。この連濁が 「群集」などにも生じたとすると、漢音読みに クンジュウ ( 群集・群衆 ) クンジュ ( 群聚 ) が追加されることになる。これを加えて読みを整理し直すと、 漢音読みクンシュウ、クンジュウ、クンシュ、クンジュ グンジュウ、グンシュ、グンジュ 呉音読み これは「群」を呉音で となるが、この中には現在普通に使われているグンシュウが人っていない 「集」を漢音で読んでいるからである。そうなると、実は現在使っているグンシュウが最も変則的 な読みだとも言えるのである この語は平安時代にすでに使われているか、以上の考察でわかるように古くからさまざまな読み 集が行なわれている。クンジュが最も多いようだが、グンジュ・クンシュウ・クンジュウなどもあっ た。この状況は明治期にも引き継がれていて、多くの異形を拾うことができる。その例をいくつか A 」 左に挙げてみよう。 高 丈 居 3 ①クンジュ
の読みが当たり前という現在の目から見れば、『海潮音』のアオソラは誤植ではないかと思いがち である。だが、明治四十五年刊の『大辞典』を引くと、 あをーそら ( 青空Ⅱ蒼空 ) 名青青ト晴レタそら。Ⅱアヲゾラ。 あをーぞら名あをそらノ転。 と出ている。清濁両形を見出しにし、「あをそら」が主見出しで、「あをそら」は「あをそら」から 転じた語としている。どうやら『海潮音』の例は誤植ではなさそうだ。 「青空 ( 蒼空 ) 」は近世に例があるが、明治時代の初めにかけては清音アオソラであったと思われ る。へポンの『和英語林集成』では、明治直前の初版から十九年刊の第三版まですっと清音の見出 しである。二葉亭四迷の『浮雲』 ( 第一篇 ) にも、 あをそら 〇断雲一片の翳だもない蒼空一面にてりわたる清光素色 ( 第三回 ) 国 天 のように清音の例かある ャ一方、濁音アオゾラを見出しにした最初の国語辞典は、『言海』 ( 明治年 ) で、著作物でも二十 二年刊の『当世商人気質』や『風流仏』から濁音例を拾うことができる。
とも一言えるが、①の「まんぞく」とくい違う結果になることに思い及ばなかったことにもなる すれにしても原本の姿を伝えてくれる活字本は一つもないということである。そして、マンソクか マンゾクかの判定は簡単にはつかないということでもある。 『安愚楽鍋』の二例は、原本を尊重して清音マンソクであったと認めることにしても、たった二 例だけではいかにも、い細い。他にも必すあるはすだと思い、その後もマンソク探しを続けているか 見つけるのは容易ではない。見つけてもそれは確実な例かと言われるとそうだと断言しにくいので ある けつき、つ ぬれで まんそく ③月々の月給のみに満足せす一粒万倍の投機に因て湿手で粟の攫取なる相場を為さんと心掛け しも ( 西村天囚『屑屋の籠』後・四、明治幻年 ) しょたうぐ は④諸道具何一つ満足なるは無く ( 尾崎紅葉『男こころ』八、明治跖年 ) 右の③④は、それぞれの著作中に「満足」が一例しかなく、それに清音の振り仮名が付いていると いうものである。両著作とも右の例でわかるように振り仮名でも清濁は使い分けていると認められ るが、③の例には「月給」のように「げ」であるべきところが「け」になっていて振り仮名を全面 満的には信頼しかねる面もある このほか、清音マンソクの振り仮名が見られる著作としては、 まんそく つかみどり さうは
あをぞら 〇桃の木一本植ても隣の蔵で陰となり座敷に居ては青空も見られす ( 饗庭篁村『当世商人気質』一・ あをぞら 2 〇雲の切れ目の所々、青空見ゆるに ( 幸田露伴『風流仏』五・上 ) を右の二例がそれだが、こういう情況からすれば、明治二十年代にはすでにアオソラ、アオゾラが の併用されるようになっていたと思われる。この傾向は、はじめに挙げた上田敏と森鶸外の例でもわ 胎かるように明治末まで続く。国語辞典では先に挙げた『言海』以降、『日本大辞林』 ( 明治年 ) 、『日 本新辞林』 ( 明治年 ) 、『ことばの泉』 ( 明治年 ) 、『辞林』 ( 明治和年 ) など、濁音見出しが多く なる。だが『日本大辞典』 ( 明治四年 ) は清音見出し、『日本大辞書』 ( 明治跖年 ) と『大辞典』 ( 明 治年 ) は濁音も立てているが清音を主としているなど、清音も消えてはいない それが現在のように濁音アオゾラに定着したのはなせだろうかその大きな要因は、何といって も明治末から行われた国定読本での「青空」の読みにある。国定読本の第一期は、明治三十七年か ら使われた『尋常小学読本』 ( 俗にイエスシ読本 ) だが、その中に、 〇けふは、あをそら、よいてんき まへのうちでも、 三ロ
1 「青空」と「天国」 〇当時バブテスマのヨハネ来りてユダヤの野に宣伝へて日けるは天国は近けり悔改めよ ( 「馬太 伝」第三章 ) となっていて、「天国」を「てんこく」と読んでいる。この訳と読みはすっと引き継がれて大正初 めにまで及んでいるが、その後改訳された昭和二年日本聖書協会発行の聖書にも、 〇その頃バブテスマのヨハネ来り、ユダヤの荒野にて教を宣べて言ふ、『なんちら悔改めよ、天 国は近づきたり』 ( 「マタイ伝」第三章 ) とあって、やはり「てんこく」が踏襲されており、昭和十八年刊のものも同様である聖書では昭 和十年代になっても明治初めの読みを受け継いでいるらしい へポンの『和英語林集成』は、明治十九年の第三版ではじめて「天国」が見出しに立てられたが、 「 Tenkoku 」と清音で出ている。『和漢雅俗いろは辞典』 ( 明治年 ) も清音で、 〇てんこく ( 名 ) 天国、あまつみくに ( 天上の極楽 ) とある。著作物を見ても、明治二十年ころのものでは、 てんこく てん
てマンゾクで、マンソクは見つからない。『日葡辞書』 ( 一六〇三 5 〇四 ) までさかのばってもやは りマンゾクである。こうなると、著作物を丹念に見ていくはかないようだ。 ます、国立国語研究所編の『牛店雑談安愚楽鍋用語索引』 ( 昭和年 ) を引いてみる。会話部分 の二箇所に「満足」が使われているが、索引では「まんぞく」の見出しである。やはり「まんぞく」 だったのかと、やや落胆しながら念のため本文のその箇所を見ると、 ①お客がはうたをうたふとか一中ぶしをかたらふとかいふとはるさめやわがものもしまひまで まんそくにはひけす三下、歌妓の坐敷話 ) し まんそく 探 ②当人は虚名家たから歓喜雀踊満足でゐるそうだが ( 三下、新聞好の生鍋 ) そ は右のように実は二箇所とも清音「まんそく」となっている。この本文は国立国会図書館蔵のものだ が、日本近代文学館の復刻本を見ても全く同じである。これらを見ると『安愚楽鍋』 ( 明治 5 年 ) では清濁は使い分けていると思われるが、先の②の例の「虚名家たから」の箇所の「た」の濁点が で 満落ちている。こういうミスもあるにはあるが、「満足」の場合は仮名書きも振り仮名も「まんそく」 だから、清音と認めてよいのではなかろうか 満ところで、その後『安愚楽鍋』を活字化したものとして 日本評諭社昭和 3 年 ①明治文化全集 ( 風俗篇 )
0 とあって、これはともに「青ぞら」としており、いすれも濁音「ぞら」を仮名書きにしている。こ 、ーし ういう国定読本の読みが決定的な影響を与え、揺れていた「青空」がアオゾラに固定していったと 漑考えられる ②天国ー悔い改めて近づくのは「てんこく」 「青空」の例としてはじめに挙げた『海潮音』の中の詩「故国」に用いた語について訳者の上田 三ロ 治敏は、あとに注を付けている 一一〇「故国」の訳に波羅韋増雲とあるば、文録慶長年間、葡萄牙語より転じて一時、わが日本化し たる基督教法に所謂天国の意なり 訳者はこの注で、「パライソウ」というのは天国のことだと説明しているが、残念ながら「天国」 には振り仮名が付いていない。現在ならテンゴクと読んで何の問題もないという人か多いだろうか、 実は明治初期は清音でテンコクと言ったらしいのである。明治十五年に出た『新約全書』の日本語 訳を見ると、 ( ママ )
りナカジマと言われることか多いと一々直すのはわすらわしくなり、まあいいやということにもなる 変 こういうことは、人名だけではなく、日常普通の言葉にも多々見られる。「人口」はイリクチとも のイリグチとも読まれる。『ことばのハンドブック』 ( z=u 放送文化研究所、平成 4 年 ) でも、 言どちらを使ってもよいことになっている。このように、共通語でも現在清濁どちらも使われること 章のある一言葉を拾い上げてみると思いのほか多い「ぎこちない」と「ぎこちない」、「こんがらかる」 と「こんがらがる」、「着かえる」と「着がえる」、「はし ( 端 ) 」と「はじ」、「はなかみ」と「はな がみ」、「まぬかれる」と「まぬがれる」など、ちょっと思い浮かべるだけでもすぐ十語や二十語は 出てきそうだ。 このように、清音でも濁音でもおおらかに通用してしまう語が多いのは、どちらの言い方をして も誤解される心配がないということによるのだろう。こういう清濁の揺れは古くからあるが、揺れ ていたものがどちらかに固定していくということもある。また、二種以上併用されていた言い方が 一種だけになって他ははとんど使われなくなるということもある。明治時代から現在に至るまでに 目立った移り変わりを見せた言葉をいろいろと取り上げてそのあとをたどってみることにしたい。 0 0