6 おわりに る資料としてはあてにはなりません。立派な出版社から出ている夏目漱石などの全集でも、元を見 ますと違っているというところがよくありまして、国語辞典を作る人を泣かせる材料になっている んです。そういう点、近代文学の研究というのは、文学的な研究はどんどん進んでいますけれども、 語学的な研究がまだまだ進んでいませんので、これから私のやり残した研究としてそういうことを やっていきたいというふうに考えているわけです ( 平成二年十二月五日於塩山市中央公民館 ) 259
一三ロ 朝の食事の言い方と表記 もう十数年も前のことである。ある古書展で、矢野龍渓著『訂正浮城物語』 ( 明治年 ) を見つ 称けた。これを底本としていると思われる岩波文庫本にはルビがあまり施されていないのに対して、 のこの本は総ルビである。読みの参考として使えそうだと考えて手に人れた。家に持ち帰って最初の 三話を読み始めたところ、その第一行目の「朝飯」に「てうはん」というルビが付いていてびつくり 晩した。これまで全くお目にかかったことのない読みだったからである。これがきっかけとなり、明 昼治以降の資料中の朝昼晩三食の言い表わし方に関心を持つようになった。三食の表現に気をつけな 朝がら資料を見るように心がけた結果、言い方だけでなく、表記にも予想以上にさまざまなものがあ 章ることがわかってきた。見た資料の範囲がまだ狭いので十分な解明ができているとは言えないが、 第今までわかったことだけでも紹介してみよう。 朝の食事といった場合、すぐに思いつくのは「あさめし」「あさはん」「あさこはん」「ちょうし よく」ぐらいだろう。確かにこの四種は現在もよく使われるが、明治以降の資料に限っても、実は そのほかに七種、計十一種を数えることができる。先に挙げた四種のほかに「あさげ」「あさい い」「あさこぜん」「あさがれい」「あさしよく」「ちょうさん」「ちょうはん」の例が拾える。この 中で、「あさげ」は多く使われているか、その他はやや特殊で例も少なく、話し言葉にはます見ら れない表現であろう。以下、この十一種の言い方とその表記、及び実例を挙げて、簡単な説明を添 158
麒んなふうにパラバラ見ていきますと、何箇所か、全体は標準的な共通語で書いてあるんですけれど 語も、ところどころにそういう方言的な表現か出てきます。それが会話の部分に出てくるんなら、こ れは自分の幼い時の思い出ですから、当然方言で話していて不思議はないんですが、会話の部分で 学 代はない説明の部分にそういうのが出てくるわけですね。興味のある方は、この中村星湖の『少年行』 などをお読みになったら、方一言も出てきて懐かしいという感じがなさるのではないかと思います。 2 芥川龍之介と国語辞典 今日の中心のお話は、中村星湖ではありませんで、芥川龍之介なんです。文学館で、非常に貴重 な龍之介の資料を持っておられるという縁もありますので、国語辞典と関係させて芥川龍之介のこ とについてちょっとお話ししたいと思います。今日お渡しした資料は、実はたいへん不親切な資料 で、開きますと何の説明もありませんので、「 ) っこ ) しオしこれはどういうものなんた」とお思いにな ったと思いますが、一枚目の『猫』、『辞書を読む』、『とても』というのは、全部芥川龍之介の文です 大正十三年に新潮社から『感想小品叢書』という、いろいろな作家の随筆を集めた叢書が刊行さ れていまして、そのうちの一冊に、芥川龍之介の随筆が集められています。『百艸』という題の随 筆集なんですが、その中に、この『猫』という文章が出てくるのです。ちょっと読んでみます
「ばんはん」の例は、今のところ『十五少年』以外の資料からは見出だしていない。右の例は明 称治三十二年刊の四版 ( 初版は明治二十九年刊 ) によったが、昭和十三年には岩波文庫に人った。そ のれを見ると「晩飯」にはルビが付いていないしかし、原本には右のほかに九箇所も「晩飯」の例 三が見られるからこう読ませようとしたのは確かであろう。現在では、こういう読み方をすることは 晩ますないが、辞書を見ると、『和漢雅俗いろは辞典』 ( 明治年 ) や『大辞典』 ( 明治年 ) には「ば 昼んばん ( 晩飯 ) 」の項があり、『大言海』 ( 昭和川年 ) や『大辞典』 ( 昭和ⅱ年 ) には「ばんはん ( 晩 朝飯 ) 」の項がある。特に文語調のややかたい文章では「晩飯」を音読みしたものと思われるが、振 章り仮名を付した資料が少ないので確かな例が見つかりにくいと考えられる ⑥ばん 一三ロ 晩食 〇晩食に買って置いた魚を銜へやうとしてゐる犬を ( 里見弴『銀二郎の片腕』、大正 6 年 ) 〇流しもとで晩食の洗ひものの音などさせてゐる宵のロに ( 里見弴『父親』、大正 9 年 ) 三、明治四年 ) ばんはん 186
9 7 8 4 0 9 8 4 0 0 8 9 8 ⅧⅢ翡 II Ⅷ刪Ⅲ 1 9 2 0 0 9 5 0 2 2 0 0 0 I S B N 4 ー 0 9 ー 8 4 0 0 8 9 ー 8 C 0 0 9 5 \ 2 2 0 0 E 定価 . 本体 2 , 200 円十税 リサイクル資料 ( 再活用図書 ) 除籍済
生していて、古い言い方の「げんぎよ」と併用されていたが、十年代には早くも「げんこ」の方が 優勢になりつつあったのではないかと思われる 新しい言い方が辞書に登録されるのは、どうしても発生した時期より大分遅くなってしまうから、 実際にいつごろから使われるようになったかをつきとめることはなかなかむすかしい。丹念に実例 に当たっていくほかはない。しかも、こういう漢字の音の場合には、振り仮名などで読みかはっき りしたものを見つけなければならないので、調べる資料も限られてしまうのである 一方、それでは古い言い方の「げんぎよ」はいっころまで生きのびていたのかとなると、これま た明確には答えられない。辞書を見て「げんぎよ」の見出しがあるからといってその刊行時に使わ れていたとは一一一口えないか、ただ「げんこ」「げんぎよ」どちらの項に説明がついているかによって、 一般的な言い方がどちらであったかを推測する手がかりはつかめる。明治期の主な国語辞典十種を 見ると、明治三十二年までに出た八種のうち、「げんこ」が主になっているのは一種だけ、残りの 七種は「げんぎよ」が主である。それが、明治四十年の『辞林』、四十五年の『大辞典』となると、 「げんこ」が主となっている。実例でも今のところ明治三十五年以降の資料に「げんぎよ」を見い 談 囃だしていない。『福翁自伝』は三十二年刊だから、そのころが「げんぎよ」の晩年だったのだろう レ」 付ゴンゴについて 語 ところで、『福翁自伝』には一箇所だけ「言語」を呉音読みにした「こんこ」が使われている。「欧 羅巴各国に行く」の章に、
の『福翁自伝』の「王政維新」の章に、 多 〇私が其時老成人であるか又は仏者であったら人道世教の為めに如何とか又は平等を愛して差別 を排するとか何とか云ふ説もあらうが三八七ページ ) よ を とあり、「差別」をシャベッと読んでいる。「差」は、漢音サ、呉音シャで、「別」は、呉音べチだか、 森 語古くから慣用的にべツが使われている。呉音読みのシャベチも仏教関係の資料に鎌倉時代ころの例 町があるが、一般にはシャベツが使われている。『色葉字類抄』 ( 一一七七 5 八一 ) をはじめ、中世の 章古い節用集は大方シャベツで、『日葡辞書』 ( 一六〇三 5 〇四 ) も同様である。さらにヘポンの『和 第英語林集成』も初版 ( 慶応 3 年 ) から第三版 ( 明治円年 ) までシャベツの見出しであってサべツは 見当たらない。明治期の主な国語辞典十種を見ると、シャベツはすべてに見出しとして出ているが、 サべツは見出しにないもの二点、カラ見出しでシャベツを参照させているもの四点である。逆にシ ャベツをカラ見出しとし、サべツを主にしているのは明治末の『大辞典』だけである。辞書のこの ような趨勢からすれば、『福翁自伝』の例も意外な読みとは言えないのである。明治期の資料から シャベツの例を左に少し挙げてみよう 〇封ヲ開ケハ是レ百磅ノ紙券ナリ其何人ノ贈リモノタルヲ知ラサレハ暫之ヲ使用セサリシカ窮迫 しゃへつ
2 動きを表す言葉 2 あするロすわぶる つらう 1 どしこむ 1 ふぐれる 3 状態を表す言葉 つん あいそしい 1 こしこし あくあく 1 おおだたい 1 こてくさ 1 すぐろい らっくり 2 ちょっこら 1 てんつるてん 1 ほほら 1 4 今後の課題幻 2 講演近代文学と国語辞典 1 「辞典」と「辞書」 2 芥川龍之介と国語辞典 3 「とても」と「全然」について 3 4 日本語の漢字の読み 5 「あいにく」と「あやにく」のことなど 5 6 おわりに 5 索引ことば①資料と事項 6 213 つまえる 213 装幀岡崎健二 213 218
2 資料と事項 ゆうめし ( 晩飯 ) 188 ゆうめし ( 晩食 ) 188 ゆうめし ( 晩餐 ) 188 2 資料と事項 あ 赤い船 62 秋永一枝 150 芥川龍之介 232 ~ 241 芥川龍之介未定稿集 234 悪魔 79 安愚楽鍋引 , 89 , 91 , あらたま 165 68 , 79 , 188 あめりか物語 油地獄 215 と 213 アパアトの女たちと僕 あたらよ 254 足跡 211 浅草紅団 152 浅草 153 194 32 , 58 , 石川啄木 212 いさなとり 122 夷斎小識 111 イカモノ 1 12 190 , 254 , 257 暗夜行路 113 , 176 , 安吾巷談 112 ある心の自叙伝 113 ゆうめし ( タめし 188 らっくり 220 石坂洋次郎 219 医師高間房一氏 216 いたづら小僧日記 192 糸くづ 58 田舎教師 32 , 67 Ⅲ舎医師の子 220 犬蓼 192 芋粥 173 妹脊員 19 154 ウルトラモダン辞典 梅崎春生 217 腕くらべ 242 内田百閒 210 うた日記 72 51 , 82 報知異聞浮城物語 158 , 166 訂正浮城物語 5 1 , 62 , 浮城物語 171 , 174 , 193 浮雲引 , 73 , 102 , 160 , 浮木丸 192 143 岩波国語辞典 15 , 141 , 174 不言不語 50 , 82 , 162 , 色葉字類抄 42 わなる 2 引 わらぐろ 211 , 212 運命論者 33 永日小品 59 , 159 , 170 英和対訳袖珍辞書 184 A B C びき日本辞典 18 , 64 , 127 , 198 , 199 , 201 , 202 易林本節用集 66 , 80 江戸から東京へ 13 , 51 , 65 , 100 江戸見物 125 思出の記 45 , 57 , 78 , 156 思ひ出るまゝ 己が罪 78 , 92 男こころ 91 落葉 63 190 唖之旅行続編 54 , 59 , 唖之旅行後編 190 大槻文彦 2 大阪の宿 245 欧米印象記 166 新版 ) 142 旺文社国語辞典 ( 改訂 扇谷正造 218 48 延宝八年合類節用集 鉛筆ぐらし 218 ブック 96 N H K ことばのハンド
典』を見ると、「がぜん」の項があり、 俄然である。別段深い意味があるわけではないが、馬鹿に流行してゐる。言葉の調子がいいカ らか ? でたらめに何処にでも使ふ。「彼女はがせん彼に恋した」とか「野球に行ったらがせ ん彼女に会った」とか と説明している。深い意味もなく、でたらめにどこにでも使うというのでは正体がはっきりつかめ ないが、他の新語辞典の「がぜん」の項に挙げられている例を並べてみると、 がせん大日本角力選手権を獲得した がぜん飯を食っちゃった この絵はがぜん傑作だ かせん行こ、つ 割 役 の 辞などがあり、どれも「にわかに」では通じない。新しく起こった事態や、断定・決意などを単に強 編める働きの語とでもいうほかない普通の国語辞典にも当然「俄然」の見出しはあるが、こういう 一時的な流行表現についての記載のあるものはほとんどない。新語辞典を資料とした『日本国語大 137