東日本重視論のもうひとつの論理は、西日本はすでに人口も稠密だから、これからの日本のフ ロンティアは水や土地に余裕のある東北日本だということでもある。しかし、この点に関して は、水が絶対的に不足するということになりそうもないなかでは、説得性を失ったといってよか ろう。 ところ そういう前提で考えると、人間は誰でも気候など自然条件のよいところに住みたい。 が、関東地方は火山活動が盛んで、大地震も何十年に一度はやってくる。東北日本の泣き所は雪 で、日常生活上も経済活動上も不便このうえない。それに対して、西日本には台風があるが、こ れは予報技術と建築・都市構造の向上で、いまやほとんど問題にならない。そうなれば、むしろ 気候温暖な西日本地方にもっと東日本からも移り住んできてもいいのである。アメリカでも、人 救ロは西へ南へうつりつつあるではないか。 全文化論的にみれば、前述の西日本偏重文化批判の裏側ということになるが、美しい四季の移り 日変わりと繊細な感覚に裏づけられた日本文化の良さというものは、西日本の自然と切っても切れ 西 ない関係にあるものだ。日本画や和服などというものは、都市のすぐ近くに、やさしい山々の 復樹々の緑と川の流れがあり、そこに見られる春の桜、夏の深い緑、秋の紅葉、冬のうっすら積も 関 った雪といったものが織りなす西日本の自然が育てた。 五日本料理を考えても、あの繊細な味は、九州から東海、北陸あたりまでの海でとれた魚でしか 第 出せない。北海道の荒波で育った筋骨隆々として身が引き締まった魚は、こってりとしたソース
ぎ、地方経済が崩壊寸前である今日、もはや「いろいろやってみたけどうまく行かなかった」で は済まない。 やはり、四全総をフォローアップし、より発展させていくためには行政改革、教育改革などを 進めたのと同様に、各省の枠組みを越え、過去の国土政策を根本的に見直すことが、いますぐに 必要である。 政府は新行革審の内部に「土地臨調」小委員会を設け、首都移転問題にまで踏み込んだ検討を 行うことを決定したが、対症療法的な地価対策に終わることなく、異常な地価上昇の根本原因に なっている東京集中傾向の根本にメスが入れられることを期待したい。 全国首都化で中央と地方の区別をなくそう 東京の抱える深刻な過度集中問題を解決し、地方経済の復興を図るための有効な方策を確立す ることは、単に地域経済間題とか国土開発問題という限定された範囲での課題ではなく、内需中 心型経済へ日本経済が転換していくための最大のポイントである。また、日本経済の世界経済に おける地位向上のなかで、外国人や外国企業が日本に住んだり事務所を構えたり、あるいは活動 する機会が増加しつつある。そうしたときに現在の東京の住宅や事務所の価格、賃貸料の高さは 新たな国際摩擦のたねになりかねない。世界の心臓部のひとつに日本がなったいま、日本はその 国土が外国人の居住や活動に不便であることを許されないのである。
わが国が、西欧文明との出会い以前に立派な文明をもっていたことを誇るのは当然であるし、 それがゆえに世界から尊敬を受けることにもなろう。また、日本固有、あるいは日本がこれまで 学んできた東洋的なものの見方というものが、現代文明の行方を考えるにあたって、有益な示唆 を与えうるものであることも間違いあるまい。 だが、日本はやはりいま西欧文明の論理に立って行動することを基本とせざるをえないであろ う。言語の問題でも説いたように、これまでと違って、これからは世界が日本のやり方に合わさ ざるをえなくなってくる。そうしたときに、これまで世界中のほとんどの人が認めてきた文明の をしかがなものであろうか。 論理とあまり違う論理を強いるのよ、 この本の冒頭にも書いたとおり、日本はいま、西欧文明の正統な後継者として二一世紀文明の あるべき姿を示す責務を世界に対して負っている。こうしたなかで、東京はある意味ですばらし い街になりつつある。しかし、住宅事情の悪さは致命的であるし、あのような巨大都市だけが日 本が世界に提供すべき新しい文明のモデルとも思えない。 現在のところ、東京以外は新しい時代への適合に遅れをとっている。だが、それそれの地域が その特色を生かしつつ新しい時代にあって発展していくことは、地域経済の発展をもたらし、東 京を過密から救うというだけでなく、二〇世紀末文明の多様な可能性を人類に示すことにもなろ う。文明の全盛期にあって、その中心的な地域はそれぞれ多様な顔でもって世界を引きつけてき ミラノ、ベネチア、ナポリ、フィレンツ工といっ た。ルネサンス・イタリアにあってはローマ、
「世界からの接近を謝絶し、鎖国して独立を守ってきた日本民族は、およそ二五〇年の平和の うちに高度の国民文化を形成、普及せしめたが、一九世紀半ばに国際的力関係から開国の避け られぬことをさとり、自主的に大胆に西洋文明をとり入れて、近代国家をつくるために一つの 文化革命を行った。これが明治維新である」 ( 桑原武夫『明治維新と近代化・ーー現代日本を産み出し たもの』昭和五九年小学館 ) 明治維新の評価については、昔から王政復古としての側面と市民革命としての側面をどうみる かという論争がある。だが、実はこの一見矛盾するように見えるふたつの要素は、もちろん部分 的にではあるが、同じル 1 ツをもっていた。つまり、王政復古とは律令制に帰ることである。律 令制はいうまでもなく古代中国から輸入されたものである。一方、明治日本が模範とした近代フ きランス流の地方制度とか官僚機構は、イエズス会の宣教師を通じて紹介された中国の制度に影響 にされて構築されたものである。だから、少なくとも制度的には、王政復古と市民革命の間に根本 台 舞的な矛盾はなかったのではないか。 史 現代の日本文明が獲得した、それなりに高い文明水準の証明にあたっては、江戸時代以前から 界 世 日本がレベルの高い文明をもっていたということを重視するか、それとも明治以降″脱亜入欧〃 八に成功したことに重点を置くか、意見が分かれることである。これは、どちらが正しいとか間違 っているとか、決められるものでもあるまい。 277
ものだが、とくに地方では中学、高校で英語以外を学ぶことが事実上不可能である。 戦前は旧制高校での第一外国語が何種類かあ 0 たから、もう少し状況はよか 0 たとい 0 てよい かもしれない。アメリカ占領軍は「民主化」という名目に隠れて、かなりヨーロッパの影響を排 除することに成功したが、これはそれが最も成果をあげた例といえよう。 言葉の問題を通じた国際化の一環として、建設省は道路表示をローマ字でもするような作業を 進めると聞く。よいことだと思う。しかし、できればついでに住居表示を外国のように、街路別 にしてほしいものである。あれこそは、日本社会の閉鎖性の象徴的存在なのだから。 パリはなぜ燃えなかったか 開国と明治維新を経て世界に登場した日本は、二〇世紀末の今日、世界の頂点に立っている。 「はるかな坂の上の雲をみつめて、細くけわしいひとすじの坂道をわきめもふらずにのぼってき た日本経済は、峠の上で世界をみはるかすにいたった」のである。 経済の中心的国家となることは、世界の文明に対してもより大きな影響を及ぼす存在になった ことを意味する。そして、そのとき西欧文明とわれわれの文明の関係というものが、新たな観点 から問われてくるのではないか。 西欧文明と日本の本格的な出会いは幕末維新である。このとき、日本は政権交替に伴い、諸制 度改革のチャンスが与えられた幸運にも恵まれて、西欧文明の速やかで効果的な受け入れに成功
とに、地方でできるのは他の地方と競争することがほとんどであって、東京から日本一、あるい は日本唯一のものを奪い取るというところへは容易にいかなし これは困難なことではあるが、本当はそこへ入っていかないと東京集中にストップをかけ地方 を振興していくことにならないのである。しかし、とくに中枢管理機能とか、日本で唯一といっ たものの地方分散のためには、地方自身の努力だけではどうにもならないのではないだろうか。 私は、政府が自らの手で、あるいは積極的に誘導することによって、日本一のものや日本でた だひとつのものを地方につくり出していくべきだと考えている。それも東京に現在あるものを移 転する、あるいはそれ以上のものを新たにつくる、あるいはこれまで日本になかったものを生み 出すということでなくてはならない。そして、それが全国首都化なのである。 す責任を地方に押しつけるな 提このように「地方開発を政府の責任で」というと、「地方自身の手でやってこそ値打ちがある を のだ。中央に頼る陳情スタイルは古い」とかいう声が出そうである。また、「地方のやる気のな 都 首さが問題だ」という指摘もありそうである。しかし、「東京にやる気があって、地方にやる気が 全 ない」から東京集中が進むのだろうか。決してそういうことではないと思う。 四京都は前にも紹介したように数年間にわたってサミット誘致運動をやったが、結局は東京での 開催ということになった。しかし、このとき東京はなにか努力をしただろうか。 125
して編集にかかわった小長啓一氏 ( 前通産事務次官 ) はその著書で次のように述べている。 私としてもスタッフとしてかかわったわけだが、あれほどの反響をよぶとは、構想をとりま とめる過程では思いもよらなかった。総理の立場を念頭において、八方気くばりをして論文を 手がけたわけでもない。田中大臣が、「この機会に自分の国土開発、都市問題に関する考えを まとめてみたい」というようなことをいわれて、一回四時間ぐらいのお話を三 ~ 四回聞いてか ら、その流れに沿って関係スタッフが分担してとりまとめたのである。 ( 中略 ) 新憲法下で行 われた第一回の総選挙で議席を得られて以来、田中大臣の政治経歴がまさに国土開発に取り組 な歴史であっただけに、よどむことなく、とうとうと述べられたのを記憶している。なぜ、あ れほど内外の反響をよんだのか。国内的にみれば、佐藤長期政権のあとで新しい変化が期待さ れていた。そこへ都市集中の奔流を大胆に転換して、民族の活力と日本経済のたくましい余力 を日本列島の全域に向けて展開しようということだから、自分たちの町や村が、県が、日本全 体が変わるらしいということで、新しいひとつのダイナミズムを期待したのだろう ( 『日本の設 計』ネスコ、昭和六一年 ) 。 この『日本列島改造論』は基本的には、昭和四三年に田中元首相自身を中心にまとめられてい た自民党の「都市政策大綱」、またその翌年に経済企画庁がまとめた「第二次全国総合開発計画」 ( 新全総 ) と同様の路線にのっとったものである。 つまり、過密の弊害がますます目だつなかで、昭和四二年に東京都に美濃部都政が、四六年に
第二章日本列島と日本人の二〇〇〇年 図 3 ■日本の人口重心 0 沖郷を含ま、場合 △沖縄を含む場合 1 - 郡上ハ幡 ゝ・美並 四 70 、 期 3 ・関 ・岐阜、 1721 A 伊吹山 ・関ヶ原 18 △・・ / 1 1 浜原 長米根 1 6 ・近江ハ幡 名古屋 木、群馬の順である。 それに対して、この五年間に減少したのは秋 田だけだが、六一年から六二年にかけては、そ のほかに、北海道、青森、岩手、和歌山、山 ロ、高知、長崎、鹿児島も減少しており、地 方経済の深刻な落ち込みを示すものとなってい 人口の問題の一番最後に、日本の人口重心の 推移についてみてみたい。人口重心というの は、わかりやすくいえば、日本列島を一枚の板 だとして、かつ日本人全員が同じ体重だとした とき、あるポイントを下から持ち上げたとき・ハ 0 叡をランスがとれるはずである。それが、人口重心 である ( 図 3 ) 。 人口重心は国勢調査のたびに総務庁から発表 されているが、昭和六〇年の調査の仮集計によ ると、北緯三五度三八分、東経一三六度五五 四日市
本交流など多彩である。 だが、今のところ地方は「国際化」ということの本当の意味がわかっていないと思う。今から 2 九年前の昭和五三年に私は「近年″日本人の国際化〃の必要が説かれ、世界へ日本人が雄飛して く必要性が説かれる。もちろん、このことは、大事なことであるし、その重要性を否定するも のではないが、むしろより強調されるべきは″日本〃の国際化である」ということを、書いたこ とがある。 この当時は「日本人がもっと英語をしゃべれなくてはならない」とか、「日本企業が海外へ行 ったときに文化摩擦を起こしてはいけない」とかいうことが、盛んにいわれていたが、日本社会 そのものを国際化するというようなことは、ほとんど考えられていなかったからである。 「ふだんは日本人らしく小料理屋で気楽にお茶づけとたくわんを食べていても、外国人とホテル のレストランでつき合うときは、あちら式のテー・フルマナ 1 も守らなくてはいけない」といった 問題意識だったと思う。しかしいまや、「日本人が日本語をしゃべっていること自体が問題だ」 といった極論まで飛び出すほどで、食品の安全基準が外国より厳しければ非関税障壁だ、公共工 事の指名競争入札は不公正だ、審議会にも外人を入れろ、などなど数年前にはほとんどの人が想 像もできなかったことが「日本の国際化」ということで要求されてきている。ェイズがこわいと いって、銭湯や風俗産業が外国人を断れば、ちょっとした国際摩擦である。 もはや、日本人だけの専用領域というようなものは認められないのだ。ア。ハートの借家人を探
また、鹿児島を代表する名菓である軽かんは、地元に良い菓子がないことを嘆いた島津公が、 江戸から職人を呼び寄せ、地元の材料を用いてつくらせたのが始まりだという。 これからの地方都市は、大いに原宿そっくりのブティックが並ぶ商店街をつくったり、あるい は腕の良い日本料理の職人を京都や大阪から、六本木のビストロからフランス料理のシェフを呼 び寄せて、新しい地方料理を開発させればよいのである。 ゴルフが上達するにしても、まず基本はまねることではないか。 それから、地元の評判だけでなく、全国的な評価というものに、常に関心をもつべきである。 日本という国は、どうも外国での日本人の評価に無関心なところがある。だから、小沢征爾氏と いう世界的で最も知られている文化人が文化勲章をもらっていないし、普通の国なら、彼のため に政府が最高のオーケストラを日本につくろうかといったくらい、考えそうなものだが、そんな 話も聞いたことがない。 地方でも同じことで、たとえば最近、地方でもかなり水準の高いフランス料理屋などたくさん できて、日本中の食通たちによく知られているようになったが、気の毒なくらい地元での知名度 は低い。地方では、料理屋でもそうであるし、お菓子や酒あるいは工芸品でもそうであるが、老 舗が現在の水準とは関係なしに評価される。 そうしたなかで、たいへんいい仕事をしてくれているのが大手デパートで、全国の食品の良い ものを積極的に掘りだして扱ったり、レストラン街に出店を出させたりしている。しかし、地元 104