東北 - みる会図書館


検索対象: 「東京集中」が日本を滅ぼす
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1. 「東京集中」が日本を滅ぼす

が、かなりの真実をついた見方であった。 冒頭にあげた「奥の太道」論の一面がこの辺にも表われている。 こういう人の問題でなく地域の問題として、東北が冷遇されてきたのかということになると 「白河以北一山百文」などといった言葉もたしかにあるし、会津のように本当に冷たく扱われた ところもあるが、東北全体としては、けっしてそうでもないと思う。第二章でも分析したよう に、明治政府は西日本雄藩が朝廷と連帯して東日本諸藩と徳川幕府を押さえ込む形で成立したも のだけに、東日本にはたいへんな気の使い方をしており、その結果として、人口も、順調に伸び 始めた。 ースクールと帝国大学が同じ都市に設置されたのが東京、京都、名古屋と 政府機関でもナイハ 仙台だけだというのは、東北地方優遇を象徴している。軍事的理由によるものにせよ、仙台が東 京と鉄道で結ばれたのは明治一一〇年 ( 一八八七年 ) で、一三年の東海道本線全通に先立つもので、 二四年には青森まで達している。それになんといっても、東京に近いということがこの地方に有 利に働いてきた。 新幹線について、「東北新幹線が山陽新幹線のあとにまわされたのは、相変わらずの西日本重 視だ」という声もあるが、九州・中国・四国合計が二四一一六万人に対し東北は九七八万人、新幹 線終点以遠の県人口の合計では山陽新幹線については九州全域であるから一三二八万人に対し て、東北新幹線については岩手、青森、秋田合計が四二一万人であり、東北は優遇されている。 228

2. 「東京集中」が日本を滅ぼす

次に、東北の将来性ということだが、よくいわれる土地とか水の問題はそれほどプラス要因と は考えられない。そういうものがいちばんものをいうのは農業社会である。工業社会でも重厚長 大型産業中心の時代には有利な条件であった。だからこそ昭和四四年の「新全総」から四七年の 「日本列島改造論」の時代には、むつ小川原や秋田湾の大コンビナート構想が注目されたし、水 不足が心配された三全総当時にもその名残があった。しかし、これからの産業構造を考えれば、 過密は困るが、必要以上に広い地域に人口が散在していることが有利な条件になることは、あま りないだろうと思う。 そうしたなかで、南東北については、東京への近接性が生かせるので、将来は明るい。むしろ 北関東と同じような観点からものを見ていった方がよいように思う。恵まれた条件を生かすため 代には、地域が新しい時代にふさわしい開明性をもてるかがポイントになろう。九州各県が嫉妬す 活るほどの発展条件をもっ東北はもう田舎でないのだ。 ガしかし東北がより大きな、また北部にまでひろがるような発展をめざしていくためには、東京 はとの地理的近接性を生かしつつも、・フロックとしてのまとまりをもった発展の方向も必要であろ 世う。そうしたなかで、東北大学の西沢潤一郎教授等を中心に「東北を世界的な独創的技術開発の 拠点にする」ことをめざした「東北インテリジェント・コスモス」というプロジェクトが進めら れているが、地域特性にも合致した良い試みだといえよう。 第 しかし仙台以北については、さらに多様な可能性の追求が不可欠である。 229

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に近い。関東との関係では北陸が北関東や甲信越地方、あるいは南東北などに比べても遠隔地で あるという事実は、消し去れるものではない。 「奥の太道」と東北インテリジェント・コスモス 東北には、「奥の太道」という言葉があるそうである。高速道路と新幹線が開通して、もう東 北への道は「細道」から「太道」になったが、意識の方が未だ消極的なので「奥の太道」なのだ AJ い、つ -0 「東北は五回征服された。第一回が坂上田村麻呂のエゾ征伐、第二回が前九年後三年の役、第三 回が源頼朝の奥州攻め、第四回が豊臣秀吉の奥州仕置、第五回が戊辰戦争」で、しかも明治以来 政府の政策のうえでも冷遇されてくるなど、「かくのごとく東北は西ないし中央の勢力から虐げ られてきたため、これらに対して拭い去り難い不信感を有している」のだということが東北の人 の口からよく出る 0 そして、そういう意識が東北開発を促すための原動力になってきたということもできる。 一方、「東北は全国の土地と水資源の二〇パ 1 セントを有し、東京に近いという恵まれた条件 があるなど無限の可能性をもっている。これからは東北の時代だ」ということもいわれる。 東北の問題を考えるにあたっては、こうした「東北開発の常識」が正しいのかどうか検証する 必要があろう。まず東北地方が歴史のうえで冷遇されてきたのかどうかということだが、これま 226

4. 「東京集中」が日本を滅ぼす

分、岐阜県郡上郡美並村、の駅でいえば越美南線美濃下川駅西南西約三キロの地点である。 ちょうど、名古屋の真北の方角、東京の真西ということになる。これは、沖縄も計算に入れた場 合だが、歴史的にみる場合は、沖縄をカウントしない方が便利なので、それでいうと緯度、経度 がそれぞれ五分程度北と東にずれてきて、現在だとだいたい、郡上八幡の南東方向あたりにな る。 歴史的には、八世紀初めには三千院などで有名な京都市左京区の大原付近にあり、平安時代の 始まったころ大津市下竜華あたりから滋賀県に入り、東北日本の開発が進行するにつれ徐々に北 東方向へ移動していった。ただ、逆行現象も何回か起こっている。そのなかでいちばん大きなも のは、さきにも触れた、徳川後期の飢饉などによる東北地方などの人口減と、西日本経済の発展 による人口増がみられたときで、いったん享保年間に長浜市あたりまで東進していた人口重心 は、明治維新のころ琵琶湖西岸の高島郡安曇川町付近にまで戻っていた。 それが東京遷都で再び北東へ向かい、明治中ごろには謡曲で有名な竹生島付近、そして、大正 時代に入ってから一〇〇〇年以上留まった滋賀県に別れを告げて岐阜県に入り、その後も東京集 中の進行に伴い、少しずつ東へ進んでいる傾向にある。 国土開発ニ 0 〇〇年物語 地域開発政策が日本で始まったのは、太平洋戦後だといわれている。たしかに、「〇〇地域開

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でも少し論じてきたように、そういうわけでは必ずしもない。 明治政府のもとでは東北出身者には、「朝敵」という汚名がっきまとったのは事実で、南部藩 出身の原敬が大正天皇の即位式に「奥州出征のとき総督に下付されたる錦旗」が使用されようと したのを、内務大臣として「一視同仁の皇恩に浴し居る今日に於いて恰も外征におけるが如き語 句を使用する事は不穏当なりと認め、之を削除せしめた」ということもあった。 そして、実際明治政府内で東北出身者が冷遇されたというのも事実には違いない。しかし、そ れは薩長などいわゆる藩閥からはずれた地域一般にいえることでもあって、紀州出身の陸奥宗光 ですら「往昔平氏の盛時、世人之を目して平氏の族に非ざる者は人間に非ずといへり。今や薩長 の人に非らざれば、殆ど人に非らざる者のごとし」としたほどである。しかし、それもせいぜい 代 大正までのことであろう。大正七年の原敬の首相就任はその変化の象徴的事件である。 時 活しかし現在に至るまで東北の人たちと西日本出身者の間には、中央政府に対する意識の違いが ガかなり存在する。なにより東北出身の国家公務員というのはたいへん少ない。東京出身者といっ は ても不思議と何代か前に西日本からやってきたという人が多い。各地方自治体の職員の中央官庁 紀 世に対する接し方というのを、霞ヶ関の側から見ていても、西日本は積極的というか図々しく、東 日本は消極的ないし従順である。あるとき、私のいたセクションに東北のある県から出向してき 一 ~ た職員が「われわれは霞ヶ関に来るときは江戸城に上るつもりなのに、西日本の連中はなれなれ しすぎるし国を騙すことばかり考えていてけしからん」といったので笑ってしまったことがある 227

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る。人に道を聞く必要などまったくない。もっともこれは、道路標識がしつかりしているせいで もあるが。東北などこうしたものをつくってみると、 しいと思う。 こうした場合、ぜひイニシアティ・フをとっていくべきなのは自動車メーカーである。ミシュラ ンはタイヤ・メーカーだが、タイヤの需要促進のためにガイドをつくった。日本の自動車メーカ ーも国内需要増進のためにそういうことをやっていってはどうか。自動車メ 1 カーの話が出たっ いでに、もうふたつほど、これらの企業が運動を進めるべきことを指摘しておきたい。休暇の増 加と地方分散策の推進である。このふたつが進めば、必ず自動車の需要は増加する。同様のイン センテイプをもっている業種はほかにもあって、住宅業界などもそうである。内需拡大のために 誰がみても推進すべきだと考えるこうした課題だが、やはり最も利益を受けるこれら業界の指導 代的役割を期待したい。 活東北北部開発にもうひとっ必要な視点は、北海道との交流活発化である。東北と北海道との間 ガの人や物の流れが拡大すれば、青森も秋田も辺境でなくなる。 は岩手県南部、宮城県北部を中心とした北上地方は平坦な土地に恵まれ、また東北の中心的な位 世置を占めていることなどから大規模な都市開発に向いているといわれ、新首都に最適だというよ うな論者もいる。首都ということになると、いかになんでも日本列島の片方のはしに偏りすぎで 一 ~ 不適だと思うが、ひとつの可能性として、将来副都としてふさわしい都市として整備していくこ とが考えられてよい 231

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がもはやなかった。たとえば、近江の国は慶長年間には陸奥の国 ( 現在の青森、岩手、宮城、福島 の各県 ) の約一二〇万石に次ぐ約八〇万石の米の生産を行っていたが、東北や北陸のいくつかの 国で徳川三〇〇年の間に石高が数倍になったのに対し、近江や尾張ではほとんど数字の変化はみ られなかった。そこで、農家の次男、三男は都市へ出ていったり、行商人として全国を巡回する ようになり、これが近江商人、伊勢商人などが経済の世界で活躍する素地となったのである。 それに対し、中国、四国、九州などの西日本各県の人口は、江戸時代を通じてほ・ほ一貫して伸 び続ける。これらの地方では、有明海や児島湾の大規模な干拓に象徴されるような農地開発が順 調に進んだ。 また、西欧や大陸の文明との接点が長崎や琉球を通じて細々としたものであるにせよ保たれた 結果として、サツマイモに代表されるような新しい農産物や工業技術も導入されていた。さらに これらの流通を通じて都市経済が拡大し、藩財政も専売制によって潤い、それがまた新しい投資 を可能にするという好循環がもたらされ、都市も順調な成長をみせた。徳川三〇〇年の間に、い わゆる薩長土肥の人口は、それそれ大幅な伸びを示しており、明治維新を可能とした西南雄藩の 国力充実ぶりが、人口の増加という面からも窺える。 東日本の人口については、前半と後半で大きく様相を変化させた。前半においては東北、北関 東、北陸の開発は、とくに稲作の飛躍的な拡大によって順調な進展をみせる。ことに東北につい ては、古代における植民地的経営以来、統治機構の仕組みにしても後進性から脱却できなかった

8. 「東京集中」が日本を滅ぼす

復興すればかなりの観光資源になるはずだ。もっとも宗教施設だから公共機関がそのままやるわ ーに冫いかないが、外観だけの復興にして、内部は他の用途に使うという手もあるし、あるいは 民活方式でならお寺をつくってもいいわけだ。各地の城も復興すると、 ししが、これこそ昔のまま であるより立派なのをつくればよい。ただし、西日本の城の単なるまね事ではおもしろくないわ けで、それなりに関東の風土が生かされたものであるべきだ。東北地方の会津若松とか角館は、 それそれ近江出身の蒲生氏郷、京都の九条家から養子に入った佐竹義隣の手で、それそれ開かれ た町だが、いずれも京文化の洗練と東北の風土がよく溶け合って独自の魅力を獲得している。 こういう歴史的景観の復興整備というのは、本書のあちこちで提案したが、国が専門の技術者 を養成確保して、長期に計画を立てて取り組んでもよいと思う。 新しい田園調布ともいうべき、超高級住宅地というのもどうだろうか。すでに成田空港周辺で のは、一戸あたり三億円もの住宅を不動産業者が約一〇〇戸売り出したところ売れ行き上々だとい 方う。こういうのをもっと大々的に自治体も参加してやってはどうか。 はさらに、「特定外国交流地域構想」として第四章で提案したどこか特定の外国の文化を集中的 世にひとつの地域で取り入れていこうという構想は、北関東や東北でとくに有効に働く可能性があ る。たとえば、群馬県はフランスにしようということにして、街並みにも少しフランス的な要素 一 ~ を入れてみる、フランス村をつくる、大学にフランス学部をおく、フランス文化センターを設置 する、いくつかの高校で第二外国語としてフランス語を教える、群馬交響楽団に何人かフランス 235

9. 「東京集中」が日本を滅ぼす

人をメンバ ーに加える、フランス料理の普及を図るなどしていけば、少しおもしろい地域文化が 出来上がってくるだろうし、地域イメージの向上、観光開発にも役立つはずである。ほかにも思 2 いっきでいえば宮城はロシア、山形はカナダ、福島はドイツ、栃木はインド、茨城はアラブなど というのも、おもしろいのではないか。 東京再開発は住宅優先で 東北、上越両新幹線は、本来上野などに止まらずに、直接東京駅に乗り入れるはずであった。 ところがいまのところ上野でストップしてしまっている。これこそ東京のエゴが東京一極集中を 促進し、また首都としてふさわしくない行動で、他の地方を困らせているということの象徴的な 事例である。 都市計画上、東北日本への玄関は上野でよいというのは、東京の願望としては当然であろう。 しかし、それは他の都市にとっても同じなのだ。大阪の利益のためだけでいえば、神戸以西と東 京とを結ぶ直行列車はない方がいいに決まっている。 空港との連絡について考えても、地方の人のことは、およそまじめに考えていない。首都であ る東京には、その街が自分たちだけのものでない、という高い意識をもっことを望みたい。 東京自体の問題については、本書のテ 1 マでないので詳しく論じるつもりはないが、なんとい っても最大の問題は住宅問題である。経済企画庁総合計画局長の私的諮問機関である「二一世紀

10. 「東京集中」が日本を滅ぼす

る。私もそのとおりだと思うし、そうであるとすれば、地方振興のための条件が何であるか、答 えも自ずから出てくるはずである。 岐阜県が日本の真ん中 」関東から東北については、少なくとも戦前については、地方圏のなかでは順調に人口が伸び ている。この原因のひとつは、江戸時代後半の人口減少の反動ということかもしれないし、寒冷 地での農業に向いた品種の改良が進んだということでもあろう。また、西日本の人間ほど、東京 へ出て行く意欲がなく、そのひとつの理由が明治体制について東北などの人が時折主張する、薩 年長土肥支配体質ということだったのかもしれない。 〇しかし、これらの地方は新政府が東京に置かれたことのメリットを、農産物の出荷や出稼ぎな のどのかたちでフルに利用した。優遇されたはずの西日本の人口が同時期に減少しているのと比較 本しても、少なくとも結果的には、明治体制のもとでこの地方が冷遇されたわけでないことがわか とる。 島 列一方、北陸の各県は比重低下が著しい。江戸時代に盛んに開拓が行われた結果、開発余地が小 日 さくなったこともあるだろうが、より根本的には海路米を関西へ運ぶことで成り立ってきたこの 二地方の経済が、陸上輸送の時代にあって優位性を失い、その陸上輸送は豪雪地帯であるがゆえの 第 不利がっきまとい、しかも市場である関西の地盤低下が追い打ちをかけたということかと思う。