のであった ( 図 4 ) 。 この新産業都市の収支バランスを、どうみるかはむずかしいところである。目標達成率をもっ て優等生とそうでないところを云々する論者もいるが、野心的な目標だったところが達成率が低 くなっているだけ、ということもあるから無意味である。 私も国土庁で、この新産業都市の担当係長を制度発足後二〇年近くを経た昭和五三年から五五 年まで勤めていたのだが、全体的な収支パランスとしては日本全体のためにも、指定地域にとっ ても。フラスのものであったことは間違いないと思う。 ともかく、このような制度がなかったなら、工業立地はより大都市中心に進んだであろうし、 年その結果は過密過疎の問題はより深刻になり、日本経済の発展も阻害されただろうということで 8 ある。 のそれに対して問題点はだいたい次のように整理できよう。 本まず第一は指定箇所が多すぎ、効果が薄められたことである。計画立案者の意図としては、岡 日 と山県水島、大分県鶴崎などせいぜい数カ所のみを指定するつもりだったのだが、空前の誘致合戦 の結果として、最終的には政治的配慮で新産業都市だけで一五カ所、さらに事実上それと同様の 日 優遇措置を受ける「工業整備特別地域」の制度も議員立法により創設され、これも六カ所が指定 一一された。 第 さらに、大都市圏の整備の名目で、よく似た制度も認められることとなり、半数以上の県がな
校を設立するのもひとつのやり方だろう。短期間に権威を確立しようとするなら、たとえば ( 国立行政学院 ) のように、そこを卒業すれば自動的に国家公務員第一種試験合格と同じよう に扱うことにすればよい。そういうものなら、地方につくってもただちに日本一のものになる。 ただし、先の行政学院の場合でも、既存の大学を出て公務員試験を受けるシステムと全面的に代 をしうまでもない。 替させる必要はないのよ、、 新幹線か在来線の全面リフレッシュか ・フロック経済を有効に機能させていくためには、交通網の整備も重要な課題である。いまは政 府も地方自治体もいかに東京と短時間で結ぶかということを主目標にしている。東京と短時間で 結ぶのは地域経済の弱体化を招きやすいというマイナス面もあるが、メリットも大きい。 すただ問題は、プロック内とか日本の他の地域との間の交通に優先して東京とばかり便利になる 提ことである。いくら堤防を高くしても対岸の堤防をより高くしたのでは、かえって危険である。 を 「新幹線や高速道路が開通したところは発展している」ともいうが、それはいわば抜けがけした 都 首結果、地域間競争で優位を占めたということでもある。 全 九州など、隣の県が日本でいちばん遠いなどといわれているくらいで、今年の初め四全総に関 四する地方の意見を聞くために綿貫国土庁長官が鹿児島を訪れた際、何人かの知事はヘリコプター で現地入りするというデモンストレーションで、問題の所在を訴えた。
競いあっていることも多く、その結果、放射線型国土の形成を通じて結局は東京集中を促進して いることもある。 もちろん、これとは逆に自治体の域内でも行政内容によってはもっと小さな地域に分権させた 方がよい場合もあるし、東京近郊では農村時代に設定された行政区域が都市化や交通網の整備で 合理性を失っていることも多く、分県、分市、分区も真剣に検討されるべきである。たとえば、 フランスでは近年になってパリ周辺の県を分県した。国内でも、京都市では山科区とか西京区を 分区して誕生させたし、横浜も区を増やした。 第二は、地域全体の利益より、地方自治体の組織の利益が優先されているケースがかなりある ということである。学生時代の財政学の講義で、「財政は政府や地方自治体自身の財政上の利益 より、その国や地域の経済全体の利益を優先させる。この点が家計や企業の会計との根本的な違 いである」と教えられた。しかし、現実はどうか。政府もそうだが、地方公共団体にもそういう 意識が不足している。 第三に、地方自治体がプランづくりをすると、自分の行政区域内でなんでも完結させようとし て、無理に多種の機能を盛り込みすぎる「幕の内弁当主義」と呼ぶべき傾向があることである。 選挙もあり、それぞれの分野に団体もある。しかも、役所の各セクションの力もなかなかなもの である。 そんなことで、特色ある地域づくりというのもなかなかむずかしいのである。そして、結局は 120
海道本線山科と北陸本線永原で在来の線と結んだ。この結果、この間の距離は湖東回りに対し九 四キロが七四キロ短縮された。もちろん、旧江若鉄道の駅で廃止されたものも多かったが地域全 体としては明らかに。フラスであった。 今後の新幹線建設を全面否定するつもりもないし、整備新幹線のうち北陸新幹線などは、第六 章でも述べるように活用法さえ工夫すれば十分合理性をもちうると思う。だが、現実的な選択肢 として、こういう準新幹線方式が、いま問題になっている整備新幹線のルートや、函館、奥羽、 中央、紀勢、山陰、伯備、予讃、土讃、高徳、日豊などの各線について検討されるべきたと思う。 とくに雪国ではこうしたものこそ利用価値が高いはずである。 準新幹線構想としては、田沢湖線について検討が進んでいる。在来線の上にレールを増設して 新幹線車両を走らせるのも一案だが、長い目で考えればル 1 トの引き直しが必要だと思う。 なお、最近、研究所の世界を考える京都座会「テクノボリスと国土創成研究」分科会 が、「ザ・ジャパン・コリドール・。フラン」を発表して、関東と関西を結ぶリニアモーターカー の建設と空港の大幅増設を行い、それらを組み合わせることにより、東京から関西までが一体化 した都市圏を形成していこうということを提案している。いずれにせよ、空港と鉄道の有機的結 合と適切な分担関係の確立はこれからの地域開発に新しい展望を開く有力な手段となろう。 また、四全総ではコミューター航空について、かなり積極的な位置づけをしている。できるだ け自由にしておいて、多様な方式の競合のなかで好ましい方向を探ることが合理的だろう。 162
東京集中防止という観点からだけでなく、地域開発などのための施策の地域指定といったもの も、複数。フロジ = クトの一括決定方式の対象とするべきである。現在はプロジ = クトごとに対象 地点を募るため、各地方自治体は耳ざわりの良いものなら、何にでもダボ ( ゼのように食いつい て誘致運動に奔走する。その結果、対象地点数は無制限にふくれあがり、それに反比例して指定 の効果は小さなものになってしまう。「指定を受ける最大の意義は、指定されないことのデメリ ットを避けること」とは、九州のある県の部長さんの言である。 これには、そのプロジ = クトのために特別立法したり新しい予算項目を獲得するためには、応 援団の数が多い方がいいという中央官庁サイドの事情もあるわけだが、いずれにせよ、まともな 状況ではない。これも一括決定方式の導入によりそれぞれの地方に本当にあったプロジ = クトが 選ばれることで、少しは、、、 し方向に向かうのではないかと期待したい。 どの地方にどんな機能を配分するかは、各地方の希望を尊重しつつも政府の責任においてそれ ぞれの地方の特質にあったものを選んでいくべきである。さきほどの国体会場のようなケースで も、最初からウェート・リフティングがいいとか、軟式野球が希望だとかいう市町村がそうある はずはないわけで、普通はパレーポールとか硬式野球とかを希望するのを、県の方から割り当て ていくのである。しかし、場合によっては何十かのプロジェクトを用意して、。フロ野球のドラフ ト会議のように、各都道府県がくじ引きで決めた順番に従って選んでいったって、良いこともあ りそうである。 146
国が各地方に日本一をつくる 国土庁が「おたくの町で日本一のものはありませんか」というアンケートを全国の市区町村に 送ったところ、全体の七八パーセントの市区町村が「ある」と答え、その件数は延べ四五一〇件 にもなったという。その結果は国土庁監修で、『全国市町村なんでも日本一事典』 ( 第一法規 ) と いう書物にまとめられている。 これは調査そのものの発想がたいへん良いと思う。経済社会活動が広域化していくなかでは、 日本一クラスのものがなにかあるということが、地域開発を進めていくうえで、非常に大きな意 味をもってくると考えられるからである。ともかく「ハランスのとれた地域づくり」という考え 方とは決別して欲しいのである。 そんななかで、熊本県では「くまもと日本一づくり」という運動を繰り広けている。とくに有 名なのは、下益城郡中央町が昭和四〇年代から取り組んだ「日本一の石段づくり」である。長い 石段といえば駕籠にのって登れることや、御母堂を背負った笹川良一氏の銅像でも知られる四国 の金比羅さまのものが有名だが、これまでの日本一は、修験道のメッカ、山形県羽黒山のもので 二四四六段であった。それを中央町では三〇〇〇段の石段を、九州ではかなり知られた霊山であ る金海山大恩寺釈迦院の参道に建設し、観光客を呼・ほうとしたわけである。 このように、すでに地方は日本一づくりに燃えているし、成果も出つつあるのだが、残念なこ 124
指向、借家人の権利保護が強かったこと、大企業や官庁が充実した社宅や官舎を持ってきたこと の反映であり、今後急速に上昇する可能性があるし、すでにその兆候はある。 現在、日本の住宅で一戸建ての割合は四〇パーセントである。しかし、意識調査によれば、な んと九〇パーセントが一戸建てを望んでいるのである。大都市にあっては、なんとか一戸建てに こだわらない日本人が増えることを期待したいという感もないでもないが、国民がこれだけ一戸 建ての住宅を望んでいるということは、無視するべきではなかろう。 しかし、一戸建てを増やしていくということになれば、当然に土地の問題が出てくる。ところ が日本ではもともと土地が狭いうえに、税制上も他の資産に比して土地が有利に扱われているこ ともあり、一般的に土地価格が高い。とくに、東京周辺では、平均的な収入の住民が一戸建ての 住宅に必要な宅地を手に入れることが、を まとんど不可能になりつつなる。通勤時間の長さおよび 混雑のひどさも、あいかわらずである。東京の通勤電車はほとんどのところで、乗車率二〇〇パ ーセントを越えている。通勤時間もだいたい一時間以上である。 また、一戸建て指向ということに限らず、日本人の住宅の質に対する要求水準には伝統的にも かなり高いものがあり、たとえ欧米諸国並みになったとしても、それに満足することなくより高 い水準を望む可能性が高い。 結局のところ、日本の住宅水準は平均的にみれば先進諸国のなかで低い方に属するが、それは 大都市への集中が進んでいることの当然の結果だともいえる。しかし一方、日本人の住宅に対す
が、かなりの真実をついた見方であった。 冒頭にあげた「奥の太道」論の一面がこの辺にも表われている。 こういう人の問題でなく地域の問題として、東北が冷遇されてきたのかということになると 「白河以北一山百文」などといった言葉もたしかにあるし、会津のように本当に冷たく扱われた ところもあるが、東北全体としては、けっしてそうでもないと思う。第二章でも分析したよう に、明治政府は西日本雄藩が朝廷と連帯して東日本諸藩と徳川幕府を押さえ込む形で成立したも のだけに、東日本にはたいへんな気の使い方をしており、その結果として、人口も、順調に伸び 始めた。 ースクールと帝国大学が同じ都市に設置されたのが東京、京都、名古屋と 政府機関でもナイハ 仙台だけだというのは、東北地方優遇を象徴している。軍事的理由によるものにせよ、仙台が東 京と鉄道で結ばれたのは明治一一〇年 ( 一八八七年 ) で、一三年の東海道本線全通に先立つもので、 二四年には青森まで達している。それになんといっても、東京に近いということがこの地方に有 利に働いてきた。 新幹線について、「東北新幹線が山陽新幹線のあとにまわされたのは、相変わらずの西日本重 視だ」という声もあるが、九州・中国・四国合計が二四一一六万人に対し東北は九七八万人、新幹 線終点以遠の県人口の合計では山陽新幹線については九州全域であるから一三二八万人に対し て、東北新幹線については岩手、青森、秋田合計が四二一万人であり、東北は優遇されている。 228
設置が少ないという結果をもたらす。そうすると公務員も少なければ、関連のサービス産業も発 展しない、さらに人口が伸びないので、消費財の製造業もあまり発達しないという悪循環が始ま幻 るわけで、これが明治以降のこの地方の不振のひとつの原因であった。 戦後は重化学工業の適地が四大工業地帯だけでは不足する、という状況のもとで一時期四大工 業地帯に準じた立地条件をもっこの地域への工場立地が盛んに進められた。岡山県南新産業都 市、福山における日本鋼管製鉄所、周南の石油コンビナート、広島や愛媛の造船、坂出のアルミ 工場などがその成果であった。 しかし、こうした発展は瀬戸内沿岸に限られたものであったし、しかも重化学工業衰退という コンテキストのなかで、工場が進出した地域も不況に苦しむことになってしまっている。このよ うな苦しい状況のもとで中国四国地方は、新しい経済社会状況に合致し、しかも山陰や南四国ま で含めた地域発展を実現する道を探し求めることを必要としている。 中国四国地方の地域構造に大変化をもたらすであろう本四架橋の完成が近づいている。児島坂 出ルートは昭和六三年にも完成が見込まれており、神戸鳴門、尾道今治の両ルートも今世紀中に は開通する予定である。そのとき大きく変わらざるをえないのは四国である。現状ですら経済的 一体性に乏しい四国経済は、空中分解してしまうかもしれない。 ともかく三ルート完成してしま えば、愛媛や徳島の人が高松を・フロック中心都市として認める意味はほとんどなくなってしまい かねない。
昭和二五年には、「国土総合開発法」が立法され、全国総合開発計画の策定も予定されたが、 昭和三七年まで実現せず、さしあたっては法律に規定された「特定地域」を指定し、にな らって多目的ダムを核に、電源開発、農業振興、治山治水を総合的に進めようとした。ところ が、指定地域が各地からの陳情合戦の結果一三カ所、全国土の四分の一にもなって指定の効果も 薄れてしまい、しか鮮戦争を機に産業復興も急速に進み、計画の重要性そのものも減退する こととなった。 工業の立地は当初戦前からの四大工業地帯など既存地域の再建から始まったが、やがて工場の 大型化もあって新しい用地が求められるようになり、昭和三〇年ごろからは、四大工業地帯に隣 年接した千葉、四日市などへ大規模な立地が行われた。こうした動きに対し、各省や地方自治体 8 は、あるいは工業用地を提供し、あるいは道路、港湾、工業水道などのいわゆるインフラ整備を の行ってこれをバックアップすることとなり、そのための立法措置も盛んに行われた。 本この時代に地方では、むしろ高い収入の得られる大都市への就職を促進する政策がとられ、各 日 と県庁にとっては良い職場へいかに多数の少年少女を送り込むかが腕の見せ所となった。中卒生が 列金の卵といわれ、就職列車が走った時代である。第一次産業によるささやかな収入しか期待でき 日 なかった地方では、この県外就職の促進で一人あたりの所得が低下するのを防ぎ、仕送りで地方 一一が潤うと考えた。 第 しかし、昭和三五年ごろになると工場立地の地方への展開が話題になるようになった。大都市