目 第 9 話光の速さ 第 8 話光の波長 20 第 7 話日本国原器の受難ノ 8 第 6 話メートル原器とキログラム原器 第 5 話メートル条約の成立 74 第 4 話メートル系の起源 72 第 3 話原子時と世界時 70 第 2 話時間の単位 " 秒 " 8 第 1 話度量衡法と計量法 6 発刊によせて 第 1 3 話量と単位の要件 30 第 1 2 話単位記号の役割 28 話 M K S 単位系 26 第 1 0 話キログラム異聞幻 111 76 第 1 1 第 14 話 第 15 話 いわゆる国際電気単位 32 電流の単位 " アンペア " 34 第 1 6 話電磁気の量子標準 36
20 第 8 話 光の波長 6d 5 クリ 7 。ト冫 対象物の寸法を高い精度で測定したい場合 , 標準尺やプロックゲ ージのような有形の標準器とっき合わせる方法のほかに , 干渉計と いう装置を仲介として所要の寸法が既知の単色光の波長の何倍にな っているかを求める方法があります . しかし一口に単色光といって もその質の良さは千差万別です . 1889 年の第 1 回国際度量衡総会か ら 1927 年の第 7 回総会までの間の時代に知られていた最も質の良 い単色光はカドミウムの赤色の原子スペクトル線でした . これに代 って第二次世界大戦後には同位元素分離技術の所産である水銀 198 , クリプトン 86 , クセノン 136 , カドミウム 114 など単一同位元素の スペクトル線が用いられるようになり , メートル原器の目盛線の幅 から生しるあいまいさよりこれらの単色光の波長の再現性のほうが 1960 年の第 11 回国際度量衡総会は , 国際メートル原器に基づく 割を光の波長に譲る結果となりました . すっと確実であることが実証されるに至ってメートル原器はその役
16 第 6 話 メートル原器とキログラム原器 メール源噐 白金 90 % , イリジウム 10 % の合金という高価な地金を用い , 1872 年から開始されたメートル原器 , キログラム原器の製造には当時と しての最高度の技術が駆使され , 多数の科学者の労力と長い年月が 投入されました . 必要と見なされた 30 本余りのメートル原器と 40 個余りのキログラム原器のすべてが揃ったのはやっと 1888 年のこ とでした . これらの新原器にアルシプ原器を加えた多数の組合わせ による相互比較の結果 , アルシプ原器に最も近い値をもつ新原器が 国際メートル原器及び国際キログラム原器として選定され , 1889 年 に至り初めて第 1 回国際度量衡総会が開催されてその決議により国 際メートル原器及び国際キログラム原器が承認されるに至ったので す . この総会の席上で同時に行われたくし引きの結果 , 大部分の新原 器は各国原器として各加盟国に引き渡されました . このとき , わが 国が引き当てた番号はメートル原器 No. 22 とキログラム原器 No.
17 キロク / ラみ源、岩 が , その後の変遷は次項で話題とします . 30 は東京帝国大学 ( 現東京大学 ) にそれぞれ保管されてきました 計量研究所 ) に , またメートル原器 N 0.20 C, キログラム原器 No. と 39 は 1903 年 ( 明治 36 年 ) に創設された中央度量衡器検定所 ( 現 始めのうちメートル原器 No. 22 と 10 C, キログラム原器 No. 6 本国メートル副原器 , 同キログラム副原器とも呼ばれています . 原器 N 0.39 と 30 をフランスから購入しました . これらの原器は日 年 ( 明治 32 年 ) の間にメートル原器 No. 10 C と 20 C, キログラム おくことが必要です . そこでわが国は , 1894 年 ( 明治 27 年 ) から 1899 3 個の同等の原器を備えて , いつでも相互に比較できるようにして 原器に狂いが起きていないかどうかを点検するには , 少なくとも をになうことになったわけです . 器とされ , 1891 年 ( 明治 24 年 ) の度量衡法公布の基盤としての役割 6 で , これらはそれ以後日本国メートル原器 , 日本国キログラム原
18 第 7 話日本国原器の受難 疎開されていた No. 22 と No. 6 の 1 組は 1946 年 ( 昭和 21 年 ) 3 いることが判明しました . れらは原形のまま連合軍に接収され , 日本銀行の金庫に保管されて 月には海軍省に移管されたのですが , 戦後の調査の結果幸いにもこ は軍需資材として供出することが要請され , 1945 年 ( 昭和 20 年 ) 2 一方 , 残されたメートル原器 No. 10 C とキログラム原器 No. 39 気象台柿岡地磁気観測所に疎開されました . ル原器 No. 22 とキログラム原器 No. 6 が茨城県にある当時の中央 安全を期しがたい状況に至ったため , とりあえす最も大切なメート 軍爆撃機が本土上空に飛来する戦局となり , 原器を東京に置いては 1944 年 ( 昭和 19 年 ) にはサイバン島玉砕 , 同島を基地とする米 となりました . かった日本国原器群にも , 第二次世界大戦は大きい爪跡を残す結果 1923 年 ( 大正 12 年 ) の関東大震災の際にも少しも損傷を受けな
108 表 4 接頭語 号 ロ五ロ旨ロ 1 三ロ 頭 接、サタラカカロトカシチリロノコトト ク ム ク ク ン 工 名 工ペテギメキヘデデセミマナビファ 0- -0- -0- -0- 0 0 0 0- 0 -0- 0 -0 0- 0 0- -0 倍数 注 1 ) 1 / 299792458 秒の時間に光が真空中を進む行程の長さ . 注 2 ) 国際キログラム原器の質量 . 注 3 ) セシウム 133 の原子の基底状態の二つの超微細準位の間の 遷移に対応する放射の 9192631770 周期の継続時間 . 注 4 ) 真空中に 1 メートルの間隔で平行に置かれた無限に小さい 円形断面積を有する無限に長い 2 本の直線状導体のそれぞれ を流れ , これらの導体の長さ 1 メートルごとに 2 x 10 ー 7 ニュ ートンの力を及ばし合う一定の電流 . 注 5 ) 水の三重点の熱力学温度の 1 / 273.16.
24 第 10 話キログラム異聞 第 6 話で述べたとおり , 1889 年の第 1 回国際度量衡総会は国際キ ログラム原器を承認し , " この原器を今後 , 質量の単位とみなす " とを宣言しました . 質量の単位 " キログラム " のこの定義は , その後何の変更も受け ることなく今日に及んでいますし , 今後ともその地位は当分安泰で あり続けるでしよう . キログラム原器の相互比較の精度は今日では 10 ー 9 に達すると評価されています . ところでキログラムに関連して 1901 年の第 3 回国際度量衡総会 が発した次の声明に注目しましよう . 重要な部分だけ抜すいすれば , ( 1 ) キログラムは質量の単位であって , 国際キログラム原器の 質量に等しい . ( 2 ) 重量という言葉はカと同し性質の量を示す . ある物体の重 量はその物体の質量と重力加速度との積であり , と述べられています . つまり重量という言葉が , あるときは質量 , あるときはカの意味 に混用されているあいまいさを取り除きたい , 同時に質量 1 キログ ラムの物体の重量も 1 キログラムと称せられる誤用を防ぎたいとい う意図のもとに発せられた声明です . 日本語 「質量 重量 カ 英語 mass weight force ドイツ語 die Masse das Gewicht die Kraft la masse le poids la force フランス亟
15 第 6 条度量衡万国中央局ハ生ノ事務ヲ担任スペシ。 コトご 第 6 . 政府 , 学上協会 , 美術家 ( 7 ) 又ハ学者ノ嘱託ニ応ジ , 諸原器及確止尺度ヲ比較監査 測地用ノ尺度ヲメートル原器ニ照準シテ之ヲ比較スルコト ノニ比較スルコト。 新製原器ヲ以テ , 各国及学術上ニ於テ使用スル所ノ度量御原器ニシテメートル 第 3 . 定期ヲ以テ各国模製原器働及其擬製品 ( 6 ) ヲ万国原器ト比較シ . Ⅱ . 各国標準寒暖 ん : 国原器ノ県存。 第 1 . 新製メートル及キログラム原器ノ比較監査ニ関スルコい 第 5 ・ 第 4 . 第 2 ・ 第 10 条締約各国ハ其支出金額ヲ毎歳ノ初メ , 仏国外務省ヲ経由シテ , 巴里貯金所へ払込ムペ 準拠シ之ヲ定ムペキモノトス。 約各国ノ支出金ヲ以テ之ヲ支弁スペシ , 但支出金額ハ締約各国現時ノ人口ニ基キ調整シタ外 第 9 条度量衡万国中央局 / 構造 , 創設費並其維持ニ要スル毎年ノ経費及万国委員会ノ経費 ルハ独リ万国委員会ノ権内ニ在ルモノトス。 ( 註 ) 旧第 8 条メートル及キログラム万国原器及其擬製品ハ中央局内ニ県存シ , 之ニ接 ] ニ留保セラル 第 8 条万国原器及其擬製品ハ中央局内ニ之ラ保管シ右保管ノ場所ニ接近スルコトハ , 専ラ 中央局職員ノ任命ハ , 万国委員会ョリ締約各国政府ニ通知スペシ。 比較ヲ終「シ , 之ヲ各国間ニ配分シタル後ハ中央局ノ職員ヲ当ト認ムル割合ヲ以テ ( 註 ) 旧第 7 条中央局ハ局長 1 名 , 補助 2 名及其他職員ノ必要ナル員数ヲ以テ組織ス。 トス : 中央局ハ又他ノ学会ニ朎テ為サレタル同様ノ決定ヲ統合スル業ヲ担任ス 第 1 項 ) 単位ニ関スル範囲内ニ於ケル正確ノ度ヲ増加シ , 其統一ヲ最確実ナラシムルコ 中央局ハ又物理的定数ニ関スル決定ヲ担任ス。右定数ヲ一層正確ニ知ルトキハ前記 ( 第 原器及其他ノ精密原器トノ比較ヲ担任スペシ。 会一致ヲ以テ決定シタルトキハ , 中央局ハ電気単位ノ原器及其ノ製品ノ設定及保存 第 7 条委員会ニ於テ , 電気単位ニ関スル値ノ統合事業ニ着手シダル後、仕総会議ニ於ラ ヲ - ス / 格・マル . つ , 、一 ロ 2 条締約各国 / 経験ニ依リ , 本条約ニ修正ヲ加フルコトヲ有益ト認メ々ル廴斗 - 本局学術上ニ関スル器具材料ノ改良ニ充ツベキモノトス。 払入ルペシこ其金額ハ第 9 条ニ記載ノ基礎ニ依リ , 万国委員会ニ於テ之ヲ定ムペシ。且右支ー 第 11 条本条約ニ加盟スルノ権ハ , 各邦国ニ許与スルニ付 , 之ヲ行ハントスル政府ハ , 割賦ノ 額ハ入用ノ都度中央局長ノ証芬ヲ以テ該貯金所ョリ之ヲ請取ルベキモノトス。
14 第 5 話メートル条約の成立 19 世紀の初頭以降フランスの国内にメートル系の単位が普及 , 定 着していくにつれて , 周辺のヨーロッパ諸国にもこの単位系の簡潔 さと合理性が認識されるようになり , 1872 年には国際メートル委員 会という国際会議が開催されて , 新しい国際原器と各国原器の作成 , これらとアルシプ原器との比較その他所要の業務が国際協力のもと に推進されることが決議されました . メートル条約はこれらの決議を実行する手続を定めている条約で , 1875 年に開催されたメートル外交官会議という国際会議の席上で 17 か国の全権の署名により成立したものです . 条約に基づいて設置された諸組織のうち , 重要なものを以下に列 挙しておきます . 国際度量衡総会 ( 略称 . CGPM) 全加盟国が各 1 票の票決権をも っ最高議決機関 , 少なくとも 6 年ごとに開催 . 加盟国はこの総会 の決議を尊重する道義的責任を負う . 国際度量衡委員会 ( 略称 . CIPM) 国籍を異にし , 前記総会で選 出された 18 人の専門家から成る管理機関 , 少なくとも 2 年ごとに 開催 . 国際度量衡局 ( 略称 . BIPM) 原器の作成 , 比較 , 保管その他所 要の業務を処理する実務機関 , バリ近郊に常設 . わが国は , フランス政府からの勧誘を受けて 1885 年 ( 明治 18 年 ) にメートル条約に加盟しました . 加盟国の数は現在は 40 か国を超え ています . また , 日本からの国際度量衡委員会委員は , 1907 年 ( 明 治 40 年 ) に田中館愛橘が初めて就任して以後 , 今日まで第二次世界 大戦後のわすかの期間を除いて途切れすに選出されています .
19 月には回収され , 接収されていた No. 10 C と NO. 39 の 1 組も同年 10 月には接収を解除されて無事回収され , すべてが戦前の原状に復 したところで第三の受難が始まったのです . 受難の内容というのは , わが国が保有する 3 組の原器のうちの 1 組を韓国に輸出せよという連合軍総司令部からの指示であり , 3 組 の原器を備えることが科学的根拠から必要であるというわが国の主 張も通用しませんでしたが , かって海軍省・連合軍・日本銀行の手 を経由して品質が最も危惧される N 。 .10C と No. 39 の組を手離し たいという要望は容れられ , この 1 組は 1947 年 ( 昭和 22 年 ) に韓 国に輸出されました . その後 , 1953 年 ( 昭和 28 年 ) には , 東京大学にあった No. 20C と N 0.30 の 1 組が計量研究所に移管されています . 今日ではこれら原 器と同等程度に高品位の標準尺や分銅は市販品で求められますから , 当時のような危機感は解消しています .