ヘクタール - みる会図書館


検索対象: コメをどうする
16件見つかりました。

1. コメをどうする

( 注 2 ) 一〇アール当たり収穫量は精米四〇〇キロ ( 玄米四五〇キロ ) はある。六一年の都市消費世帯の一 人当たりコメ消費量は四二キロだから、飯米農家の家庭内消費用は一〇アール未満で十分だ。水田五〇アー ル保有者が減反しない場合、四〇アール分は自由米 ( ヤミ米 ) 市場に出回ることになる。 西日本 ( 関東以西 ) の第二種兼業農家の水田面積は一五〇万ヘクタールぐらいある。仮 にこの一 % が転作に非協力的になったとしても、一・五万ヘクタールが転作に従わない。 これに比べ大潟村の水田面積は全体でも一万 ( クタールに満たない。大潟村の造反派より も、大都市の小さな飯米農家の転作拒否のほうが、農政当局にとって頭を悩まされる存在 になってきたのである。 農政当局は、飯米農家の転作拒否分をどこか他地域にシワ寄せして、とにかく当面七七 万ヘクタールの減反を達成するであろう。つまり、いまや飯米農家が過剰米の原因をつく 農り、純農村部の専業農家が食管制度を守るため必死に減反するという構図だ。 メ コ しかし、これは長つづきしまい。転作目標面積がもう一段拡大されたら、もはや農村部 る 壊も減反消化の負担に耐えきれなくなろう。そのとき、本格的な過剰米が発生する。早けれ 章ば二、三年以内にそのときが到来しよう。 第過剰米発生で食管崩壊の道を歩むか、生産者米価を大幅に下げて過剰供給を防ぎ食管制

2. コメをどうする

米国のコメ産業の規模は一九八六年現在、収穫面積九六万ヘクタール、もみ生産量六一 〇万トン ( 玄米換算四八八万トン ) である。日本の半分より少し小さい。 表 3 ・ 1 に示すように、主産地は南部であり、全体の八割を占める。八六年現在、南部 五州の収穫面積は八二万 ( クタール、もみ生産量は四八四万トンである。これに対し、カ リフォルニア州はわずか一五万ヘクタール、一二六万トンである。 しかし、生産性は中・短粒種中心のカリフォルニア州のほうが高く、一〇アール当たり 単収はカ州八六三キログラム ( 歩留り八〇 % 換算で玄米六九〇キロ ) 、南部五州の平均は 五九二キログラム ( 玄米四七四キロ ) である ( 巻末の資料 3 ・ 1 を参照 ) ( 注 2 ) 。 ( 注 2 ) 籾 ( もみ ) から玄米に加工したときの歩留りは、コメぬかの層の厚さや粘性の違いによる砕け米の 程度によって異なるが、本書ではすべて八〇 % に統一した。 日本人好みのコメ 日本への輸出可能性という観点からいえば、品種問題が重要である。長粒種はインディ カ系、短粒種はジャポニカ系、中粒種は混血でその性質は多種多様である。南部でつくら れている中粒種はインディカの血が濃く、食味もいわゆる「外米」風である。これに対

3. コメをどうする

米国の稲作地帯 偏在するコメ地帯 川沿いを中心とした南部 ( 五州 ) 米国の稲作地帯は偏在している。一つはミシシッピー であり、もう一つはカリフォルニア州であるが、両地域のコメづくりは大きく異なってい 南部は高温多湿で、日本の夏に似ている。水資源は河川水の利用もあるが、ポンプアッ プした井戸水の利用が多い。品種は長粒種が主体である。農家規模は一〇〇 ( クタール程 度だ。 これに対してカリフォルニア州では、サンフランシスコの北東一五〇キロメートルのサ クラメント・バレーが稲作の中心地であるが、ここは乾燥地帯なので、水はすべてイリゲ かんかい ーション ( 灌漑 ) に依存している。また、乾燥地帯で病虫害の発生が少ないため、農薬消 費量が少なくてすみ、その分、低コストになっている。農家規模は平均一七〇ヘクタール で、南部の二倍ぐらいある。品種は中・短粒種が多い。 ①

4. コメをどうする

コメがコストダウンで強い農業になるためには、農家の規模拡大が重要だ。日本のコメ ノオカ一〇ヘクタール以上にならないといけな 農家の耕作規模は、現在平均一ヘクターレど : 、 い。地価のインフレで、農地を買って規模拡大するのは困難だから、先に第 2 節で述べた ように、借地農業による規模拡大だ。 そのためには、基盤整備が必要だ。分散錯圃のままでは生産性が上がらないため、借地 による規模拡大はできない。また、生産調整政策も邪魔だ。三割、五割も減反させられて は、規模の利益が出ない。生産調整はコメの高価格を支持する食管制度と裏腹の関係であ るるから、食管制度が強いコメづくりの妨げになっている。 もう一つの高付加価値農業の道は、消費者の所得水準の向上に伴い、その客観的条件は 活 を整っている。しかし、第 5 章で述べるように、たとえば無農薬米をつくろうと思っても、 そ食管制度が妨げになっている。こういう高付加価値農業は自由化にも一番強い。時代の課 題に応えるために、規制緩和が必要だ。 由 自 管 食 章先進国型農政への転換 序 農業政策は農家の適応能力を信頼したほうがよい。たしかに、後進国では優秀な人材は

5. コメをどうする

である転作を定着させるには、コメより麦や野菜をつくるほうが得だという状況をつくり 出さなければならない。にもかかわらず、麦価を下げ、米価を据え置いたわけだから ( 生 産費が , ハ , ハ % 下がったのを据え置いたことは、農家所得という視点からいえば六・六 % の値上げと同じ効果 ) 、ますますコメづくりを有利にし、転作を阻害したことになる。 しかも、八七年から減反を消化する指導体制が変化する。従来は転作目標面積の農家別 配分は行政主導であったが、八七年から農協主導に移る。しかし、農家に対する指導力が 、減反を十分実施させることのできない農協もあろう。つまり、減反面積を七七万ヘ クタールに拡大したが、目標を百。ハーセント達成できるかどうか、きわめて不安定な状況 だ。もし、七七万ヘクタールの減反目標が十分達成されないならば、戦後一二度目のコメ過 剰期人りは不可避だ 政 米価が高水準のまま過剰米が発生すれば、食管会計の赤字は巨額なものになる。また、 もう一つ、八七年からコメ過剰分を政府だけではなく、農協も自主保管する制度が発足 す 自し、八七年は超過米四〇万トンを農協が調整保管する。しかし、米穀年度内に売却できな 嶂かった場合、売れ残った「メは古米になり、農協は大変な損失をこうむることになる。そ 第 れを恐れて調整保管米を早めに売却すれば、今度は政府米が売れ残ることになる。そうな

6. コメをどうする

せ、コメ業界の不況の原因をつくった。とりあえずはマーケティング・ローン制度という ダンピング政策で対症療法をしているが、長期的には行政価格の水準をいかにして引き下 げるかが、現在の米国農業の大きな課題である ( 注 7 ) 。 ( 注 7 ) 八五年農業法案における価格政策をめぐっては、拙稿「強くなるアメリカ農業」 ( 『日米関係白書一 九八五、八六』日本評論社、一九八五年一〇月号 ) を参照 川コメ業界の不況 価格政策による過剰供給 一九 , ハ〇年代、七〇年代の米国のコメ産業は成長産業であった。表 3 ・ 4 に示すよう に、収穫面積は七〇万ヘクタールから一三〇万ヘクタールに拡大した。輸出だけではな 情 事 、内需も増大しつらけた。現在も歴史的にみれば、きわめて高水準である ( 一九八〇年 米度の生産、輸出、価格の急上昇は、韓国の大凶作の影響によるもので、イレギ寸フーな水 嶂準である。韓国は七七年に統一系と呼ばれる多収穫品種をつくったが、新品種の普及があ 第 まりに急速だったため病虫害におかされ、八〇年に大凶作となった。そのため、米国から

7. コメをどうする

ある。これは、生産調整により過剰米を減らそうとするものだが、その水田利用再編対策 も、三期目が六一年度で終わり、六二年度からポスト三期対策にはいる。 水田利用再編対策はコメ過剰対策である。わが国の水田は約二八〇万ヘクタール ( 六〇 年現在、水田本地面積 ) である。これに全面作付けすれば、コメの潜在生産量は約一三八 〇万トンになる ( 平年作 ) 。ところが、コメの需要量は約一〇四〇万トンにすぎない。減 反しないと需給バランスが保てないのである。そこで政府は、転作奨励金を出して、水田 にコメ以外の作物をつくるように農家を誘導してきた。六一年度の減反 ( 転作面積 ) は六 〇万ヘクタールである。 しかし、コメ消費が減りつづける一方、技術進歩でコメの単収が増加傾向にあるので、 ポスト三期対策では過剰米を出さないためには、もっと大幅な減反をしなければならな い。また、単にコメから他作物への転換ということだけではなく、時代の要請から「産業 として自立しうる農業の確立」、「農産物の内外価格差の縮小」、「農産物市場アクセスの一 層の改善」を目標に、生産性の高い水田農業をめざさなければならない。そこで、 , ハ二年 度から新しく「水田農業確立対策」がはじまることになった。

8. コメをどうする

彼らは、とくにマーケティング能力に優れ、経営者感覚をもっ点、伝統的な農民像と大 きく違う。そこに成功の秘訣があるようだ。知的集積の高い若者たちによって、日本農業 は再活性化していく。「新しい農業革命」が起こりつつあるのだ。 日本の農家の経営耕地面積は平均して一ヘクタール程度である。小零細規模では生計が たたないから、従来、若者は農村から出ていった。しかし、これからは高齢で引退する農 業者が増えるので土地の流動化が起きやすくなり、一〇ヘクタール農家が普通の姿になろ う。経営者能力の高い若者が新規参人できる条件が整いつつある。 土地革命で規模拡大 表 1 に示すように、明治以降、昭和二〇年代後半まで、四〇万人の若者が毎年新しく農 業に参人していた。ほぼ男女同数であったから、毎年二〇万戸分の後継ぎができていたこ とになる。農業経営一世代を三〇年とすると六〇〇万戸分である。 しかし、昭和三〇年頃から新規就農者は激減した。この影響は三〇年を経過した昭和六 〇年代中に出てこよう。農家の高齢化現象が目立ち、しかも後継ぎのいない農家が多い以 上、近い将来、農家戸数の激減は目にみえている。

9. コメをどうする

コメ農政のジレンマ 昭和六二年度からはじまる水田農業確立対策は二つの課題をも & た如っている。第一は過剰米を出さないことである。そのためには、 2 十 7 一 3 一資 減反面積を従来の六〇万ヘクタールから、七七万ヘクタールに拡 円円 「大しなければならない。 化度励億万 贓第二は行革審答申に従い、減反に伴う転作奨励金を削減してい 刀ロ かなければならない。転作奨励金予算は、六一年度の二三五一億 ,. 円・冂・円 行度万 8 億万 円から、六二年度は一七五〇億円に減らされた。 一ム 6 6 績ー後 3 工 車和実正 転作面積が三割近く増える一方、転作奨励金が一一割以上も削減 されたので、農家が受け取る一〇アール当たり奨励金は四〇 % カ 均作 農表 平転ットされたことになる。この転作奨励金は将来、さらに削減され く。いままで農家は、転作奨励金が出るから転作に協力する 面金墅金算てい 標励い励予 目奨 丿奨初 作作一作当という姿勢が強か「た。今後、奨励金が削減されていくなら、秋 転転 a 転 田県大潟村のように、減反に協力的でない農家が増えていくので はなかろうか ( 注 1 ) 。 L750

10. コメをどうする

グ・ローン制度のような補助金つき輸出のない、正常な状況を前提にして ) 。もちろん、 自由化は今日、明日の問題ではない。一〇年タームで考えればよい。ともかく、目標に向 かって努力することが重要だ。 日本には水田が三〇〇万 ( クタールある。しかし、一〇〇万 ( クタールあれば十分だ、 という時代が遠からずくるであろう。現在、一〇アール当たりの単収は五〇〇キログラム である。したがって、一〇〇〇万トンの国内需要を満たすためには、二〇〇万 ( クタール 作付けしなければならない。しかし将来、単収が七〇〇キロに上がれば、国内需要九〇〇 万トンを満たすためには、一三〇万 ( クタールあればすむ。基盤整備に時間はかかるが、 国際競争力のある水田を一三〇万 ( クタールっくるのは、不可能なことではない。 一方、第 5 章で述べるように、基盤整備に適さない中山間地帯は、無農薬米、あるいは 開ハサ架けで天日乾燥したおいしいコメをつくればよい。こうした高付加価値のコメは米国 からははい 0 てこないので、一番自由化に強い「メづくりになろう。全国各地で、それぞ 「れの地域の条件に合わせたコメづくりをすることが、自由化に強いコメづくりにつなが る 第 14