貿易の理論に則していえば、速水佑次郎教授がきれいに定式化したように、農業は技術 移転が工業よりもむずかしいということがキー・ファクターである。工業分野では、先進 国で開発された技術が後進国に比較的スムーズに移転可能である。自動車、家電製品、半 導体など、米国で開発されたものがすぐに後進国へもっていって生産できる。 しかし、農業の技術移転はなかなか成功しない。先進国で技術進歩が起きても後進国に 技術移転ができないため、農業分野では技術格差がますます広がる。そのため、賃金は高 くても、先進国の競争力がだんだん強くなる。逆に工業では技術水準が平準化するから、 賃金水準で勝負が決まる。つまり、技術移転は農業分野のほうがむずかしいので、農業は す 先進国において比較優位産業に成長していくことになる。もちろん、この理論が成立する 活 越大前提は、農業は研究開発が決定的に重要だという事実である。 1 マン・キャピタルだから、農業 そ農業の競争力を決めているのは研究開発と農民のヒュ は「先進国型産業」だといえよう。もちろん、ここで「先進国」とは、高い研究開発能力 管という意味の経済学上の仮定的概念であり、地理的概念としての先進国ではない。 章たとえば、東南アジアに「緑の革命」が起きて、コメを自給できるようになっても、私 の命題とは矛盾しない。 ( 国際稲作研究所 ) の研究開発が「緑の革命」の背景だ
「ここは水田である。だから稲を植える」というものとは大分違った発想が要求されるこ とになる。 このシステムのもとでは、「考える農民」、精度の高い価格予想ができる農家が得をする ことになる。農業は″知的ゲーム〃だ。「選択の自由」は、農家の創意工夫と経営者能力 の鍛練にプラスになろう。 なお、生産調整計画への選択的参加制と最低保証価格制の組み合わせへの政策転換は長 期的なものであり、経過的措置としては、この制度に適応できる農家層が形成されていく 方向での価格政策が望ましい。具体的には、当面は効率的経営農家の生産費を基準にした 水準で価格支持政策がとられるべきだと考える。 ます国内自由化を 私は第 4 章で述べたように、国境政策に関しては「二段階自由化論」である。まず国内 自由化で農家を強くし、その上で市場開放という戦略だ。 度々述べてきたように、農業は研究開発と農民のヒューマン・キャピタルが決定的に重 要な先進国型産業である。もちろん、土地も重要である。しかし、技術進歩に伴い、土地 174
コスト概念はフィクションである 行政価格である生産者米価の決定方式は「コストプラスアルフア」である (full ・ cost pricing)0 米価審議会は農林水産省の「生産費調査」をベースにして議論するわけだが、 このコスト ( 生産費 ) はフィクション ( 架空のもの ) である。 先に述べたように、技術革新は競争原理のもとで促進されるが、わが国のコメ農業は政 府介人が大きい。生産費所得補償方式という価格政策のもとでは、技術革新の誘因が弱ま っている。現実の「生産費」はそれを反映したものである。逆に、競争原理が採用されれ ば、技術革新によるコストダウン効果が大きく出てくるので、違った水準の生産費にな る つまり、現在のコストは、政府の価格支持政策を前提にして形成されている特殊なもの 論なのだ。価格支持の水準を下げればコストも下がり、逆に価格支持水準を上げればコスト 改も上がる。そういう意味で、価格介人のある産業では、コストという概念はフィクション 管 食である。米価審議会が使う「生産費」もフィクションの世界から自由になれない。 章 第 巧 9
八四、八五年には一九〇万トンに落ちた。その結果、精米の在庫は八二年から八六年にか けて一〇〇万トンも増加し、全米精米業者協会 (x><) が日本に市場開放を要求した頃 は、在庫は生産量の五割という高い水準にあった。 そこで、米国政府は一九八六年四月から、先述のような輸出補助金というダンピング政 策を採用し、市場価格を引き下げ、競争力の回復を図ったのである。その結果、輸出は急 回復に向かい、八六年四月の精米一〇万トンから七月には三三万トンに急増、八六年度通 年では再び二五八万トンへの回復が期待されている。 3 農政も先進国の政策協調へ ジレンマをとく鍵 米国のコメは、輸出の回復とひきかえに、政府が巨額の財政負担をかかえ込むことにな った。現在は、コメ農家手取り金額の七割が補助金という異常事態だ。コメの世界価格の 上昇か、価格支持水準の引き下げか、いずれかが実現しないと、財政がもたない。しか し、両者は裏腹の関係にある。大国である米国の価格支持水準が下がれば、供給が減り、 114
わって高騰したときは、減反しなかったことで得をする。つまり、米国では、減反計画へ の参加は農民の自由な選択であり、損するも得するも自己責任である。日本の減反政策は 強制的であり、この点が日本と米国で大きく違う。 日本とのもう一つの違いは、不況期でなければ、価格支持政策は有名無実になる点だ。 それは、価格支持水準が国際相場より低目に設定されているからだ。再び図 3 ・ 2 をみて ほしい。七〇年代は、市場価格が政府の目標価格を上まわることが多かった。したがっ て、行政価格は制度上はあっても実際上はないに等しく、政府の財政負担はゼロである。 このように米国の価格政策は不況期だけ作動する。もちろん、これは目標価格や融資価格 をどの水準に決めるかによる。 米国の農業法は四年間の時限立法である。一九八一年農業法における価格政策は、当時 の状況を反映して、インフレーションが進むという判断のもとにつくられた。つまり、目 標価格水準を高く設定したのである。しかるに、その後、インフレーションは収束し、世 界的にディス・インフレ局面にはいったため不足払いが巨額となり、財政を圧迫した。 また、融資価格が高目に設定されたことは、国際的なディス・インフレ局面であるにも かかわらず、米国のコメの国内卸売価格の下方硬直性をもたらし、輸出競争力を低下さ 1 10
タイ米の低コストと異常なドル高で競争力が弱まった米国は、競争力を回復するために 一九八 , ハ年四月からマーケティング・ローン制度を実施した。これは第 3 章で説明したよ うに、農家はローン・レート ( 現在、一〇〇ポンド当たり七ドル二〇セント ) で政府に預 けてある自分のコメを国際相場 ( ローン返済レート ) で取り戻せるという制度だ。このロ ーン返済レートは八六年八月現在は三ドル七〇セントである。両者の差額一二ドル五〇セン トは財政が負担する。ローン返済レートは国際価格から逆算されたものだから、どんなに 国際相場が下がっても、米国のコメは常に輸出競争力をもっことになる。 世界的な過剰供給でコメの国際価格が暴落した。そのとき、タイは農民の生活水準を極 端に切り下げることで、この不況価格に耐えることができる。つまり、タイは農村収奪的 な低価格で輸出できるが、米国の農民はひどい窮乏生活を強いられるような低価格では輸 開出ができない。そこで、現行の農業所得水準を維持しつつ、政府の補助金によって農家庭 市 先価格を国際水準に引き下げ、輸出競争力の回復を図ったのである。 の 実際、先述したように、米国のコメは競争力を取り戻し、輸出は急速に伸びはじめた。 章 財政補助金つきダンピングだ。米国の高生産性農業もタイの農民収奪的価格には敗れたの 第 である。
生産費は日本の九分の一 大規模生産と技術革新の成果で、カリフォルニア米の生産コストは低い。表 3 ・ 3 に示 すように、白米一トン当たり三万九五三六円で、日本の生産者米価の九分の一である。日 本は労働費と農機具費がとくに高い。これは規模の零細性からくるコスト高である。しか し、規模の利益に関係ない肥料費なども高いのは問題である。 カリフォルニア米を日本に輸人したら、価格はいくらになるか。まず、生産地から輸出 港までの米国内の流通経費を含んだ価格は、一九八六年八月現在のカリフォルニア 産中粒種「精米一等級ーで一トン当たり三三〇ドルである。これの日本への推定輸人価格 ( 運賃・保険料込みの価格 ) は三六五ドル、円換算で六万円弱である ( 一ドルⅡ一 六〇円 ) 。日本国内の流通経費を一〇キロ当たり四〇〇円とすると、一〇キロ当たり約一 〇〇〇円で消費者の手元に届くことになる。日本の標準価格米 ( 一〇キロ三八六七円 ) の 四分の一、コシヒカリ、ササニシキの銘柄米 ( 六〇〇〇円 ) の六分の一の安さだ ( 注 5 、 6 ) 。 ただし、これらの価格は、世界的なコメ不況で価格が暴落した水準との比較であ るから、カリフォルニア米の平常時の価格との比較では、格差はもっと縮小しよう。 ( 注 5 ) フレート等を小麦並みの一トン当たり三五ドルと仮定した。小麦は一トン当たりフレート一八ド
業界の不況、タイ米との競争というもう一つの背景、引き金がある。 3 国際コメ戦争 世界的な過剰供給 コメ産業は世界的にも成長産業である。世界の精米需要量は一九六〇年度一億六〇三三 万トン、七〇年度二億一四四八万トン、八〇年度二億七二三四万トン、八六年度見込み三 億二一九〇万トンと増大してきた。八〇年代にはいってからも、今日までに五〇〇〇万ト ンも増えた。 題 ただし、貿易は一二〇〇万トン水準で横ばいで推移している。これは「緑の革命」の成 開功で、コメの主要な消費地であるアジア諸国において自給体制が整ったからだ。 しかし、一九八四年頃から過剰供給のため、世界の「メ産業は不況に突人した。コメの 「国際相場の指標であるタイ米輸出価格は、従来トン当たり三〇〇ドル水準だったが、最近 章 は二〇〇ドルに暴落している ( 八一年の四八四ドルは韓国の大凶作・緊急大量輸人に伴う 第 例外的な価格 ) 。 127
で一番花の消費量が少なく、オランダの五分の一程度だ。普及率が低いからいくらでも伸 びられるわけである。毎年、二ケタ成長がつづいている。これは、人々が生活に潤いを求 めはじめたからであろう。ようやく「ダンゴより花」になってきたといってもよい。 一般産業の分野では、重厚長大型からソフト型へと産業構造が大きく変わりつつある。 農業も同じだ。コメや酪農は重厚長大型の農業で、これが従来の基幹作物である。しか し、いま伸びているのは花に代表されるソフト型である。 たとえば花は、極度に情報集約的な商品である。このソフト型の分野で成功するために 必要なものは、アイデアとマーケティングカである。日本は一億二〇〇〇万の人口があ り、しかも世界で一番所得水準が高い。農業にとって、こんなに魅力的なマーケットはな い。花の高成長が示唆するように、まだ未開拓の分野がいつばいあろう。巨大な潜在市場 が残っている。したがって、マーケティング能力のある農家は毎年二ケタ成長がつづいて いるわけである。 消費者の高級化志向 所得水準の向上に伴い、消費者の高級品志向が強まっている。第 1 章でくわしく触れる
からだ ( 注 1 ) 。 ( 注 1 ) 農業は先進国型産業という命題については、拙著『農業・先進国型産業論』および『日本よ農業国 家たれ』を参照。 日本農業の潜在的可能性 農業は研究開発が決定的に重要な知識集約型産業だから、先進国として知的集積の高い 日本は、これからのやり方によっては、アジア有数の農業国家になることも可能である。 日本は農業が発展できる潜在的可能性を十分にもっている。 第一に、農民の教育水準が高い。最近は、大学を出て農業をやる人が増えている。ヨー ロツ。ハの農民は中学校卒が原則で、高等教育はうけない。もとより発展途上国は教育投資 をやる余裕がない。日本の農民は世界の中でもトップクラスの教育水準にあり、わが国は 農業発展の第一の条件であるヒューマン・キャピタルの蓄積が厚い。 第二に、試験研究機関も制度上は充実している。 第三に、日本は経済大国となり、土地改良のために使える資金的余裕があるから、世界 で第一級の農業用地をつくり出しうる。 8 一