@3 せきどの 伊籍殿の さんせい 賛成でござる わたし それができぬ りんじう 臨終のまぎわに あれほど子どもたちの あん 将来を案じ わたしあと 私に後をたくした りうひょうどの 劉表殿のことばを おも 思えばその信頼に そむくよ、つな ことはできぬ 大義のために そのような かんじよう ちい 小さな感情は す 捨てて ください 0 0 0 荊州を取って はじめて そうそう 曹操と互角に 戦えるのです けいし疆う その荊州まで そうそ・つ 曹操にわたせば そうそうら年っ 曹操の力は ・だい ますます強大となり われわれはどうやって そうそうたたケ 曹操と戦えば いいのです たたか 0 0
を 靫うべきか わ 和をこ、つべきか くにたいど わが国の態度を 決めねばならん しよ、」う 諸公よ いまはいった 報によれば そうぐん 曹軍はついに 、え・んじよう 宛城にまで たっ 達したとのこと だ 諸公の 意見を 聞こ、つ たたか こ、つなれは さけられ 土 6 ・す・ま 6 い 戦うべきで ござる たたか 戦、つ」に わが国は 三つの点が ござる 弱点 ? 私は戦に はんたい 反対だ ます その一つは きくん 江夏の琦君が 、プ、おうあに 国王の兄でありながら まったくのけものに されている ふまん その不満からいっ 荊州の背後をつくか わからぬ不が ござる 、い ー 140 ー
たたかばしょ ます戦う場所は ここより九十里 はずれた はくはうはけん 博望坡の嶮を 利用する そこで わたし 私は地の利を かんが 考えて さくせんた 作戦を立てた はくばうは 博望坡は 左に山あり よざん 予山とい 0 、左に林ありて 安林という 0 かんう まず関羽は 千五百の兵を ひきいて予山に ひそみ敵が 通過して半ばなる 襲駲を帶 そうぐんこうじん 曹軍の後陣をたたき ぐんじふっし 軍事物資に ひはな 火を放って もらいたい 1 張も 同じく千五百の兵を ひきいて安林に みひ ひそみ南に火の手が あがったらまっすぐ らゆうぐん つつこみ中軍を 一する て 4
との 殿のことを 聞いてる のではない あなたはどこで たたか 戦われるのかと 聞いておるのだ わたし 私は をる せんじようで 戦場に出ずに
たたか 博望坡の戦い り飛 200 ) みなもすでに 耳にしておろう そうぐんまん 曹軍十万が しんや いまこの新野に 向かって 攻めてくる みつも 負けるも しよしよう 諸将の 働 IJ に かかっている
朝朝ぐち 大口をたたいての イんはい 惨敗 丞相に あわせる顔も ございませぬ かこうじん 夏侯 その姿は ' 、」回とノぃ お好きな ご成敗 くだされ 負け戦の 理由は 聞いた 三ミ ー 104 ー
との 殿をはじめとして われわれには くを で 出て戦えと 命じながら ほんにん 本人は危険な で せんじよう 戦場には出す ここで新を 宀寸るとい、つ たたか み - 一三 一二 これが 笑わすに いられるか これが 知恵者か てんさい 天才か 2 おまえは じぶんみ 自分の身と あゼんまも 安全を守る てんさい 天才であろう だまれ 4 4
さん 三国志 ういじんこうめ 初郎孔明 ■もくし 曹軍侵攻 博望坡の戦い 酔えぬ美酒 劉表の死 降伏 孔明新野を焼く 〔月刊コミックトム』掲載〕 り・ゅ・つひょ - フ そうぐんしんこう こ、つめ よ しんや びしゅ し たたか や 10 2 139
・ヾ 07 「をイ こうめい 孔明とやらは のうみん 農民から兵を くんれん つのり訓練を してるとい、つのか はっ 農の第者は すうせん 数千にのばった はうこく と報告がきて おります じようしよう 丞相 す 捨てておいては 後日大きな力となり げんレ」′、 玄徳はますます そんざい やっかいな存在と なります い土 6 の、つ十つに たたきふせて おくべきです じようしよっ 丞相 お待ちください一 なんばうせいは 浦方喘覇の 第一歩に まず新野を ほろばそ、つ
糜竺はその なんみん 難民を はんじよう 樊城にいれよ , 〕 はっ そして あすの夜中 白河の下流に 馬のいななき 兵のさけびを ときど 聞いた時土のうの せきをきって落とし げきすい しっせいに激水とともに 攻めかかれ らようひ 張飛もまた おな せんき 同じく千騎を ひきつれ はくがわたし 白河の渡口に ふかんう 兵を伏せ関羽の といっしょになって そうぐん 曹軍の らゆう′、・ル 中軍をたたけ かんう 関羽は せんき 千騎をひきい はくがじよっりルう 白河上流にひそみ 土のうを築いて 流れをせきとめよ 7 趙雲 おう