食糧 - みる会図書館


検索対象: 三国志 24
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1. 三国志 24

そうそうえんしよっ 曹操と袁紹 つかかた それぞれ兵の使い方は らが 違ったでしようが しようり けっていてき やはり勝利を決定的に したのは烏巣に しよくようやはら あった食糧を焼き払った 奇襲だと思います こうめいどの 孔明殿は へいはうあか 兵法に明るい たたか あの戦いで そうぐん 曹軍はわすかの 兵でもって え人しようたいぐん 袁紹の大軍を 打ち破った しよういんせつめい その勝因を説明して いただきたい 1 これから たたか 拙者が戦いを いどあいて ′挑む相手は百万 ダそれにくらべ われわれは五万 やはり こうめいどの 孔明殿もそう お考えですか せっしゃ じつは拙者も そう考えて いたのです これを破るには やはり百万の兵の た 食糧を断っ じようツ、 ことが上策と 考えています そうぐん 曹軍の しよくりよう 食糧がどこに はかん 保管されてるか つきとめて ございますか ゃぶ ー 120 ー

2. 三国志 24

0 ( よ すごい もので ござるな どうじゃ よ・、しよくリよう 武器食糧の たくわえは たつぶりとある - - 三第を - おまえとは しようらい 書を読み将来を かた 語りあったものだ そしていま拙者は ・一くんしんよう 呉君に信用され この兵を まかされている 7 ー 201 ー

3. 三国志 24

わずか千騎で じゅてつざんし ~ りよう 聚鉄山の食糧を 焼き払えなど りくせん 陸戦を知ってる もの 者にはいえませぬ、 私がもし 討ち死にでも しよ、つものなら うていとく 周提督は 愚だと下の わらもの 笑い者となり はあ死しも はりぬち はま気きろ はせなん ー 124 ー

4. 三国志 24

ままあ 、、つい、つ ことで : すると 孔明は私を 愚将だと あざ笑ったのか それなら この周瑜が 愚将かどうか 見せてやる ぶ無礼な これでも ) 」ぜんぐん 呉の全軍を あずかる 周論だぞ 0 0 9 このわしが 五升ので じルてつざんしよくりよう 聚鉄山の食糧を やはら みごと焼き払い はな 孔明の鼻を あか 明してやる しじん ・つめい 孔明の出陣は 一とり消せ ー 125 ー

5. 三国志 24

ミじ ふふふ しつれい ル入礼ながら へいほう 孔明は兵法に おいては あなたたちより すぐれていると 髞っています 曹操ほどの じんぶつ 人物が のら せん′、ん 全軍の生命と する食糧を 厳重に守って なしはすは ござらぬ しーくりーう あなたは り・、せん 陸戦だけ しゅうルどの 周瑜殿は すいじーうせん 水上戦だけ あなたや し 2 う A どの 周瑯殿も すぐれた将で あることは みとめます しかしひとつの ことしかで、ぬ ひとつの ことしか できぬ ? ・ 1 丿・人ーゞしイン三 5 : し を りくせん 陸戦にかけては 瑯恥が ひと 一無智に等しいのは 先ほどのことばで おわかりでしよう 少し 過ぎませぬか す 1 ー 123 ー

6. 三国志 24

も一 IKE ト司ー いミ - かす お驪 戦は数が 多ければ勝っと いうものではな、 大きな船は常に 小さな艢にっとは 決まっておらん もんだい 問題は兵の 士気と 作戦だ お 4 みぶんかん 御身は文官だ そ、つい、つことは 、つといと見えるな 0 わが君 そうそうかん 曹操は漢の 丞相とは名ばかり いずれは自分が 子にならんとする 、ヤ、ぞく 逆賊 せたい わが君は先代のご遺業に こうとうすうせん より江東数千里の りーう 土地を領し兵は精 食糧は豊か ・え・ゅう′、ーツ 英雄雲のごとく あつまっております きみ 人 それが 逆賊をこらしめも せす降伏は ございま・すまい てるのか 7 4 9

7. 三国志 24

おもようにん たとえば重い病人を なお 治すにます粥をあたえて おだやかな薬をのませ 五臓がととのい からだかいふく 体が回復するを待って げんき 肉食をもって元気をつけ くすり 強い薬をあたえれば なお いようき 病気は治ります しんやらい 新野は小さな城で しよくリよう 食糧のたくわえもない 武器もとばしい それはまるで 重病人のような ものでござる に′、しよく も関みそ身み劉汝鬟わ の羽うたのを表 ; 南 2 が 。す兵 : : 寄ょ殿の君殳 カ碆せの戦ー玄 飛ひ 大まはらもで徳を 趙将千れと敗は 雲 1 と人たに戦 し らつもの いてだ のも かゆ からだ 体のことも 考えすいきなり げさやくもら 劇薬を用いれば かえって病気を 重くします 3 - = またのがれて 」一 - 身をかくすは からだかいふく 体の回復を 待っためのもの これで 曹電・とまともに ぶつかるとは みすから死にに 行くようなもの これをさけるは 兵家の常 それほど 重病人のような たいせい 体勢でありながら はくはうや 博望の焼き打ち はくが みすせ 白河の水攻めと けんせんそうぐん 健全な曹軍と ・一かく 互角以上の戦いを しなカら 身をひいているのです彡ク たたか 4 2

8. 三国志 24

まん 百万とはいっていますが まん 実数は八十万 ′、、りいてーしよ、つ えんしよう それも袁紹をほろほ はつはうへい した時の北方の兵 荊州の兵をあわせての 数だいわゆる烏合の おそ 勢です恐れる ことはございますまい これは 49 かーしい 、うそう 曹操に め さんざんな目にあわされ せつはつまって に 江夏に逃げこみ しかたなく たにんたす 他人の助けを求め ながら おそ 恐るるにたらぬとは す ことばが過ぎませぬか 0 あなたは兵法に しんべー 信兵は実に 戦う」というのを ご ~ 仔じないカ きみ わが君 げんとくへい 玄徳の兵は 仁義の兵なれど すうせん わすか数千 てきぐんまん それでは敵軍百万の 衆にはかなわす だから江夏に退いて 時を待っている しつ 7 それにくらべ こなたの兵は精鋭 しよくリよう 食糧もじゅうぶん らよっこ、つ ようがい そのうえ長江の要害が たたか あり戦う力もじゅうぶん ありながら しゆくんた、 主君に対しておめおめ 降伏をすすめるとは ひ、うせんばん 卑怯千万 それから見れは きみ わが君は わすかの兵でも そうそう た む 曹操に立ち向かおうと たいど するその態度 そうそうおそ 曹操恐るるにたらぬと ま・してもおかしくなかろ、つ せいえい 6

9. 三国志 24

4 第■・・ - ー新朝一 あなたのことばは ららはは 父母なく 、、み 君もない人町の い、つことばだ ひと 人として生まれながら らうこうみら 忠孝の道を わきまえぬのか だまらっ しや、 これが ひと 人として 歩む道か そうそうかん 曹操は漢に つかえて禄を は 食みながら かんしつセろ . いま漢室が衰え たと見るや かんしつ 漢室をほろばし て てんか その手に天下を にぎろ、つとしている みら ならば あなたに聞こう しーくん あなたの主君の らからむろ 力が衰えたら そうそう 曹操のように たちまち主君 そ人け人 孫権をないがしろに するつもりか ← 9

10. 三国志 24

し 41 つ / 、ム 子どもの時の すがた 姿しか知らん 立派になった のう おまえと なんれん 別れて何年に なるのかのう ノい ところで おまえは昔の はくいしゆくせい・よだい 伯夷叔斉兄弟の ことをどう思う 伯夷と叔斉の ・ようだい 兄弟はたがいに 国君の位を ゆずりあって ついにニ人ながら くにさ 国をつた し噛くせい のらしルう 後に周の武王が らゆうおうう 付王を討とうとするのを はんやく 反逆だといさめ 聞かれなかったため しょようざん 首陽山にかくれ しがいし穿あわ 生涯周の粟は こ・再した 食わぬと志を立て ついには餓死を してしまった ふたり だがニ人は 生きてるうちも 死ぬ時もいっしょで な 名はいまにいたる のこ まで残っている 0