り 5 い ならば余が しよくのぞ 蜀を望み この精鋭 をもって 押しよせたら 蜀はなんとする しよくじんせい 蜀は仁政で もって治めてる から強大な 兵馬はいらぬと 申すか さ - よ、つ ロロ容 2 たしかに せいえい 精鋭でござるが むてき、い 無敵の兵では ござるまい 0 ロ 0 コロ 0 0 華容では かんう 関羽にあって 命乞いをし すいどうかん なお近くは渭水潼関の ひたたれ かっせんめだ 合戦に目立っ戦袍を ててからくも 逃げられたとか その昔 じよっしようはくよう 丞相は濮陽ー りよム 呂布を攻め りよム 呂布にもてあそばれ えんじよっらようしゅうたたか 宛城に張線と戦って 敗走し また赤壁では し物う拶おそ 周瑜を恐れ に 0 0 02
蜀の使者で ござる そうじ・しよっ 曹丞相に はいえっ 拝謁をおい したい 。丞相は毎日 おおぜい ・ . 大勢の人と 会われて お忙しい せいし ここに﨡氏 か・んしよく 官職をしるして じゅんばん 順番を待たれよ それでは 通知する ー 168 ー
とい、つことは 精鋭といえど 敗け戦は するとい、つこと じようしようしよく 丞相が蜀を のぞ 望まれても はの地 はたしてとれます かな ぶれいもの 無礼者 おまえは 余を侮辱しに 蜀から わざわざ 出てきたのか こやつの くび 首をはねい
おぬしたちを 呼んだのは ほかでもない 蜀四十一州の 絵巻をつくって もらいたい つくっておいた 下絵がある さんこう これを参考にせい 四十一州の さんせんけいこく 山川溪谷 としそんらく 都市村落 どうどうつうろ 七道三道の通路 だばびん 駄馬の便 さんよっしゅうさん 産物集散の模様まで こまかに描きこ ) め これを開けば しなカらにして しよくあそ 蜀に遊ぶような えまき 絵巻をつくる のじゃ ー 162 ー
しか力で ござ - い - ましよ、つ せい 朝廷のご威勢を お見せになられ ま 6 ー ) ては それにしても 都の ・、せに よ 余をなんと 心得る ふむう 、一ミき 4 ( く . 第公、 あすにし 、明日西の 調場に ぐ人びま・ おいて軍兵を 勢ぞろいさせよう おぬしは きやつを連れて れ そして ぐんミ・ わが軍兵の 勢いを見せ しよくかえ 蜀に帰って いわせるのじゃ こうなん せ 江南を攻め落とした のちに西川に 向かうであろうとな っ お そのように いたします 、下 3 、 ー 186 ー
らしながわん 張松は長年に わたって蜀四十一州の ちすしたえ 地図の下絵をつくって いたのである したえ 今その下絵をもとに さイよう 作業ははじめられた 絵巻は すうにら ) 」 数十日後に できあがった 道の数 こうてい 地肱の高低 さんせんけんよう 山川の険要 戸数にいたるまで せいみつ それは精密な ものであった 張松はその絵巻と おう・一んしんじル 黄金真珠などの 上物をとりそろえて そうそう 曹操のもとへと 向かった ノ / ノ、 ー 163 ー
あなたは じようしよう 丞相の だい 偉大さを 知らぬのだ ところで 楊家といえば にん 一門から六人の さいしようだ 宰相を出した名家 はんらい 本来ならば て人し 天子を補佐し まっ・」としんめい 政事に身命を たらば ささげる一場に ありながら そうじようしよう なぜ曹丞相の こやくにん 小役人にならた どんなところ いだい が偉大なの ですかな 聞くところに よれば文武の らルうとはんば どちらも中途半端 ただとりえは はどう・ようけん 覇道強権を てっていてき 徹底的にやりきる 儲だけで あると聞いて おりますぞ 冖 - すー 貴公は しかたいなか 蜀の片田舎に す 住んでいるため じようしよう 丞相の偉大な才能を ご存じないのだ んンイ挈 さよ、つで ござるかな さいのう ー 178 ー
い 02 、 3 ル -0 の言从 第ト第 ペ三す 蜀はなせ まいとしみつぎもの 毎年の貢物を けん 献じないのか はっ しよくどうけんそ 蜀道は険阻な 三にき中盗賊も おおみつイもの 多く貢物も じようたい 運べぬ状態で ございますれば そのことば 難きてならぬ しよしうがい 余は諸州の害を 討ち今や しなカらにして てんかおさ 天下を治めている やとうしルっぱっ 野盗が出没 するほど 余の威光は おとろえて おらぬ てんか 天下はまだ平定 しておりませぬ かんらゆっらようろ 漢中に張魯あり けいしルうげんとく 荊州に玄徳あり こうなんそんけん 江南に孫権が ございます す さらに無頼の巣たる らはう 地方はどれほど あるかわかりませぬ イ イ
なんのなんの しルじんめい 主人の命ならば ばんり とお 万里の遠さは ねっとら・ おろか熱湯 もうかなか 猛火の中とて 恐れませぬ なるほど して蜀の国の ふうどさんよっ 風土産物は くに へを しよくじんざい 蜀の人材は 蜀の国は古くから え、しう ′」う 益州と号し きんこう けん 錦江の険 けんかく 剣閣の山の要害が ござりめぐりは つぎしゆくば ニ百八次の宿場 まんり 縦横ニ万里 あまり むらざとまらまら 村里と町々は うちつづき でんち 田地は肥え水ひでり の憂えもなく とさか くに たみた 民豊かに国は富み栄え さんぶつやま 産物は山のごとく積み てんか たくわえ天下に およぶものござるまい っ ちルう 知勇を かね備え らうぎ こころふかもの 忠義の心深き者 まず百をもって かぞ 数えるで ござろ、つな ー 177 ー
蜀が今まで がいてきおそ 外敵に襲われ なかったのは しぜ人だいようさい この自然の大要塞が あったからである はや 孔明が早くから この土地に目をつけて とうせん いたのは当然のことと いえるだろう たがこの蜀を 漢中の張魯も じだい 今や蜀は時代の外の べってんら 別天地では なくなって きたのである れうろ ー 157 ー