おそれながら ご命数と おあきらめ くださいませ 十中の八九じゃと それでは十中の一 でも、つまく いかなかったら なんとする 0 4 ゃぶ医者め 余の命を 医刀の試みに 用いるつもりか なんと ・命数だから あきらめろと いしゃ いのら かって荊州の かんう うでや 関羽が腕に矢を、 あてそこに毒が たまった時その腕を 切り骨をけずって どく のぞ 毒をとり除いて せんら 全治させました 大王ともあろうお方が し物じっ それしきの手術を 恐れられまするか わたし 私には自信は ございまする けんそん あえて謙遜して 申したまで だまれ うでのう 腕と脳と 同じに いえるか 膕わ かた ー 131 ー
、 0 い をに、ヾ り物うこうし物く わしは劉皇叔と とうえんぎ・ようだい 桃園で義兄弟の ちか 誓いをし漢の 皇室を守ろうと誓い あったものきさま ごとき魏と組んで かんそむぎやくぞく 漢に背く逆賊の 仲間入りはせん おう かんうしぐん 関羽将軍 わしはかねてより しようぐんめいせい 将軍の名声を慕い よしみを通じたく 思っておったに しよっち なぜ承知して くださらなかった ふむう わしはそちの 武名を惜しむ ものじゃ このたびは けいりやく うかと計略に かかった あとは死ある のみだ のう かんう 関羽は 一世の豪傑 なんとか余に こうふく 降伏するよう だれと 誰か説き伏せて くれぬか ) 一うけっ 、クヾ第
、ツゞ それはわかっている しかし魏王がおかくれに てんかどうよう なり天下は動揺して すこ いる少しでも早く 世継ぎを決めて せいじ 政治をせねば みんしんふあん 民心も不安に おちいりますぞ やむを得ませぬ あれほど偉大な 王をなくされ ましたのじゃ かな 悲しみもひとしお でございましよう はや それでは遅いわ にん 魏王には四人の お子がいられる のじゃ それぞれが自分が 王となっても おかし′、ないと おも 思うているのであろう てんし まだ天子の みことのりも ないのにめったな ことはできませぬ おそ そういわれ ましても 太子のみことのりも こくおう なく国王を 名乗られて他の にんなっとく 三人が納得いたし まするか はや ゆいごん 魏王のご遺言 どお 通り決めねば いえそうどう お家騒動が 起きるぞ ー 156 ー
かんう そうさい よし関羽の葬祭は こくそう 国葬としよう そればかりか けいおうくらい 荊王の位を あた 与えよう ら物うたっ 仲達 み′」と 見事じゃ ま司し葬見み大ミ礼葬豸音百伝ーよ か馬ば儀ぎ送を祭ミ楽一日令し せ懿いのり百もははのを る仲全に官っ王弩停こ間窪出だす 達穹責立たすて侯止しせぐ に任つべなのさ洛 ? に はこてしせ陽 よの と ははっ ( ン、 ) 2 それにしても かんう 関羽め 首になっても ニ国をふるえ あがらせおるわ・ 4 4 8
フッタ 手塚治山 横山光輝 ながやす巧。 , , ヒ野英明 牧口先 0 マンガ界の 最高峰ー手 一塚治虫が釈尊の生涯に挑戦してかぎ りないロマンを描くスペクタクル巨編 日本でもっ とも一まれ ている大革命ロマンの全劇画化広 大な中国を舞台に正義と誠心が貫く 夢と勇気を 与える迫力 をあるマンガー「三国志」とならんで日 本で親しまれている空前の大口マン 劇画界 が描く本格的青春ボクシング劇画 りさわやかな感動が全編をつらぬく 明ムロ、 大正、昭和 一の激動の時代を背景に、牧口先生の 激闘の生涯を描く異色の伝記マンガ 0
ー 01 むしせんおう そうじゃ昔先王は きみよっ わが君を世継ぎに 莠ぎし なされるお志であった それが家臣の ざんげんにはばまれた せんおう まだ先王が おかくれになって か 十日もたたぬのに にくしんつみ ます肉親の罪を なにごと 問うとは何事で ござる 一しかーし ~ 位には つけなくとも きみよ わが君は世にも そうめい すぐれてご聰明 ふで 筆をとれば流れる よんしよう ごとく文章となり おうじやすた おのずから王者の姿を 備えておられる その通りじゃ 汝のかしすく そうひ 曹丕などとは てんぶんちが 天分が違うわ おまえらには けんし物あんくん 賢主暗君の 見分けがっかぬか とお わが君 この無礼な使者 りて ししゃ
わ孖れ た一ーしかに できることなら しようぐんみ′」ろ 将軍は見殺しには できませぬ とは申して かんうしぐん 関羽将軍は ちちぎ・ようだい わが父と義兄弟 それを見殺し にはできぬぞ み・」ろ それらの大軍の中に われ 我らのわずかの ぜいえんぐんむ 手勢で援軍に向かえる と思われまするか そんなことをすれば せんめつ 我らも全減で ございます・る われ だが情報によれば ーいしゅう 荊州には呉の兵 まんしゆっじん 三四十万が出陣して きており摩陂には そうそうみずか 曹操自ら四五十万の 大軍をしたがえ じんかま 陣を構えている とのこと なかばくじよう その中で麦城は はりあな 針の穴ほどの小さな ちてん 地点 じようはう たいぐんなか その使者は かんらゆうおう 漢中王のもとに 行くべきで ございます それはわしにも わかっている : といって み ) 一ろ 見殺しには できぬぞ ヾ \ 7 8
气←ぐにら 0 日冂ロロロ 0 ただいまの形勢を ぐん 論ずれば荊州九郡は ことごとく呉魏の お 手に落ち残るは この一城のみに ございまする て 0 けいしう ーし」 - と 5 5 、こ そとえんぐん 外に援軍なく う 4 っしよくつよう 内に食糧なく これではもはや 戦にはなりませぬ しよう′、ん 将軍いかがで ございましよ、つ 呉侯に帰順なされて ふたたけいし物つじよっよう 再び荊州襄陽の地を おさ すべて治められ 土 6 ー」ては それが ごこうかんが 呉侯の考えか 0 0 0 しようぐんらから 呉侯は将軍と力を そうそう うやよ あわせて曹操を打ち破り ともどもかんこうてい 共々漢の皇帝を たすまい 助け参らそうとの かんが お考えでござる ロ ロロロ だがわしは かんらゆうおう ぎ・ようだい 漢中王とは義兄弟 てきこくくだ 敵国に降る気は さらさらない しろお 城が落ちたならば 死あるのみじゃ 6