: 06 簽、 かんうくび ならば関羽の首を、 打った張本人は そうそう 曹操とい、つことに なります・ しよくげんとく 蜀の玄徳は 魏に向かって 兵力を進めるで ございましよ、つ もともと かんう 関羽を討とうと だ いい出したのは そうそう 曹操・・それゆえ くび とど 首をお届け しましたと : 0 0 われ 我らは靆と蜀の 死闘を見て 動けばよいので ございまする なるほど はっ これ しおづ 塩責けにしてある かんう 関羽の首を そうそう すぐ曹操の とど もとに届けろ
蜀動 、みこ第 , 、こ・ 1 成都 ンっー萇「
今蜀においても ちれきし 血の歴史が つづられようと / , していた を / 「三国志』 43 巻につづく ー 208 ー
みもんかんう 南門に関羽を まっさいだん 祭る祭壇を 築き蜀は かんらゆっおうな 漢中王の名を もふく もって喪に服する ははーっ いつじゃ あにき いっ義兄の あだう 仇討ちをやる 張飛か ー 105 ー
一き クト わかったよ あにさ 義兄 そのような かな 悲しいことを わしにさせないで かんう 関羽の死は しよくすく 蜀に少なからず どうようあた 動揺を与えた わかひ し J くに若」日か・ら 苦労をともにしてきた げんとくらようひ 玄徳と張飛には しようげき 衝撃だった ふたり むねかな ニ人の胸は悲しみで 今にもはりさけん ばかりであっこ . ー 107 ー
呉と魏の間に なんらかの不和を かもしだし両者が争い 出した時蜀ははじめて 起っぺきで では 余はどうすれば よいのじゃ そうであった こく 余は一国を あずかる王じゃ 軽挙は つつしまねば ならない ふむう こうめい 孔明 よくぞ 課めてくれた かんうおう 漢中王の げんきすがた 元気な姿を 見れば しょこうあんしん 諸侯も安心 いたすでござい ー 102 ー
さんごく もくし 三国志第懾にる し そうそう 援軍きたらず 曹操の死壮の最期 首騒動 蜀鳴動 曹操発病 名医華陀 曹操の死 新魏 兄弟相争、フ 七歩の詩 叛乱の芽 ーレ , て・ 1 そうはっ - びよう ーレ・ル はん・ら・ル ・ん・んル、・ん び差、・つ′、・ 1 ・あ・ら、 月 コ ツ ク ト ム 掲 載 183 155 145 126 85 71 59 32 7 一め
いまつぎつぎあト 4 今次々と新しい ほうとど 報が届いていますが おうひと 王が人にあわれま じよっはうかん せぬので情報官も それを伝えることが できず困って おりまする 0 呉の心は 0 今朝の知らせでは ごかんう 呉は関羽の首を ぎおく 魏に送り 魏ではそれに おうこうれい 王侯の礼をもって こくそう 国葬にいたしたそうに ございまする しよくう、わ わが蜀の恨みを ぎわぎわいてんか 恐れて魏へ禍を転嫁 しようとしてるので ございましよ、つ 軍師よく聞け わしは ( とともに 天はいただかぬぞ そのような 」細工に のせられるか 7 8
それを ばん、第こ ←番喜ぶのは 誰だと 思われまする たとえどちらが っても 残ったほうは そうぞうをつ 想像を絶する 被害をこうむり 第 6 一 4 どちらが 勝ち残っても 大きく傷つく それを待って一気に はろ 攻め減ばしにかかるで ございましよ、つ 0 ャて、つか しやたしかに そうじゃ かんう 関羽の首を 打ったは せんりよ 浅慮だった な何きま蜀ン張 いかずと昭 ; かいい全ん め ん 手て衝 ; ては かんう 関羽の首を そうそう 曹操に とど お届け なされませ 0 くび 8 7
ときにん この時三人は 死ぬ時も一緒だと 誓いあって ございまする かんう し 関羽の死が げんとくみみはい 玄徳の耳に入れば げんとくらようひ 玄徳張飛は しかく′」 死を覚悟で 呉に攻め入って 参ノ C ・ま 6 ーしよ、つ ノ そればかりか げんとく 玄徳のもとには こうめい こうらルうばらよう 孔明黄忠馬超 らよううん 趙雲などの ′」うけっ 豪傑がキラ星の ごとくでございまする その蜀と呉が っ 死力を尽くして たたゆ 戦ったらどうなり