、ツゞ それはわかっている しかし魏王がおかくれに てんかどうよう なり天下は動揺して すこ いる少しでも早く 世継ぎを決めて せいじ 政治をせねば みんしんふあん 民心も不安に おちいりますぞ やむを得ませぬ あれほど偉大な 王をなくされ ましたのじゃ かな 悲しみもひとしお でございましよう はや それでは遅いわ にん 魏王には四人の お子がいられる のじゃ それぞれが自分が 王となっても おかし′、ないと おも 思うているのであろう てんし まだ天子の みことのりも ないのにめったな ことはできませぬ おそ そういわれ ましても 太子のみことのりも こくおう なく国王を 名乗られて他の にんなっとく 三人が納得いたし まするか はや ゆいごん 魏王のご遺言 どお 通り決めねば いえそうどう お家騒動が 起きるぞ ー 156 ー
えい」ー す何あ ムムニヤ どうしたのじゃ 新魏王の ご令じゃ ぎおうう 魏王宮に きていただく ー 182 ー
そ魏ぎ長す魏ぎほ呼ょ今 う王弩男でのかび日ぅ じの曹に曹苫で寄ょ や位三丕ひな操もせ にがくはなた いの は 、に 、をンノ そこで余は まず呉の孫権を かんう 征伐して関羽の むわん 無念を晴らし てん 転じておごれる 魏を討とうと 思うのじゃが そうひ その曹丕は そうそう 曹操にまして かんてんし 漢の天子を 苦しめている AJ し、つ 一 201 ー
いまつぎつぎあト 4 今次々と新しい ほうとど 報が届いていますが おうひと 王が人にあわれま じよっはうかん せぬので情報官も それを伝えることが できず困って おりまする 0 呉の心は 0 今朝の知らせでは ごかんう 呉は関羽の首を ぎおく 魏に送り 魏ではそれに おうこうれい 王侯の礼をもって こくそう 国葬にいたしたそうに ございまする しよくう、わ わが蜀の恨みを ぎわぎわいてんか 恐れて魏へ禍を転嫁 しようとしてるので ございましよ、つ 軍師よく聞け わしは ( とともに 天はいただかぬぞ そのような 」細工に のせられるか 7 8
呉と魏の間に なんらかの不和を かもしだし両者が争い 出した時蜀ははじめて 起っぺきで では 余はどうすれば よいのじゃ そうであった こく 余は一国を あずかる王じゃ 軽挙は つつしまねば ならない ふむう こうめい 孔明 よくぞ 課めてくれた かんうおう 漢中王の げんきすがた 元気な姿を 見れば しょこうあんしん 諸侯も安心 いたすでござい ー 102 ー
すうじっす それから数日が過ぎた : れいいト . み豸彡′ いいーい ろうばん 牢番 魏王のご命じゃ とっ 扉をあけよ は は ー彡 ー 137 ー
大王喜んでいる 場合ではござい ませんぞ おう しばい物うたっ 司馬懿仲達か どうして喜んで おられぬ これは 呉が送って きた大きなど お気づきに なられませぬか 大きな かんう 関羽の首を打った しはうしゃ 首謀者は魏王と 気の徳に思わせ 蜀と魏とを戦わせ こくたた学 呉はニ国が戦い れるを待っ かんら 奸智だと 思われませぬか ノ たたか かんうひとり 関羽一人のために はんじようえんぐんたいはい 樊城援軍の大敗 関羽の快進撃の前に 都をかえようかと しあん 「 ) 思案なされたことを わす まだお忘れでは ございますまい
仙ド気、を、いゞトまミ ′」おう′」く 呉押獄 魏王のご命令で 華陀を成敗した まいばん あいつめが毎晩の ようにお夢の なかあら 中に現われるゆえ ざんさっ 斬殺してこいとの ご命令によって したい 死体は しまっ そちが始末せい ー 138 ー
遠路 ご苦労である 魏王 わる お悪いと聞き しルくんそんけん わが主君孫権も ひじよっしんばい 非常にむ配し お見舞いに 参りました しかといただいた第一 客舎で休まれる カよかろ、つ これが みまひん お見舞い品の もくろく 目録と しくんそんけん 主君孫権の しよかん 書簡で ございます ー 146 ー
まあそんなもの をあんたが どうして ? 「青嚢の書」と いってな かだせんせい 華陀先生 ひでんしょ 秘伝の書じゃ せいのうしょ これを読み学べば わしはたちどころ てんかめい に天下の名医と なれる まあ かだせんせい 華陀先生が魏王に ろう ) 」く うたが 疑われて牢獄に つながれなされた せんせい おれは先生を しようけんめい 一生懸命かばい つづけた せんせい すると先生が おんがえ 恩返しじゃと い、って . わー ) に くだされたのじゃ さあさあ おまえも これから名医の 妻じゃぞ さあさあ かどで 新しい門出じゃ もっと酒を 出してくれ ー 141 ー