おう こうめい 孔月 お 起きてて だいじぶ 大丈夫なのか かんらうおう 漢中王 わざわざ お越しくださり 恐縮に 存じまする ゆらだーい 体の病では ございませぬ 心の病で ございましたので 起一 - ることは できまする こころやまい 心の病とは けんさっ ご賢察 願、つほか ございませぬ 1 ぐんし 軍師 知発の言を こば 余が拒んだ ことが原因か この孔明わが君に 仕えてはや十余年′一一一 今蜀をとって りそう ようやく理想の 一端が実され ました 1 きみ
かんらうおう 漢中王 今こそ皇帝の御位に そーうれい つき祖廟の霊を また なぐさめ又もって ばんみんやす 万民を安んすべき 時と考えまする ムフ日は かんらうおう 漢中王に けっしん こ決心を、つな力す どう ため一同で 参りました かんめ 0 はなし その話は するなと 申したで あろう しかし玉璽が て かんらうおう 漢中王の手もとに とど 届いたのは天の啓示 かん % ーう 今こそ漢朝の 宗たるわが君が かんせいとう 進んで漢の正統を 継ぐべきであると 考えまする だまだま 黙れ黙れ そち達は まつだい 余を末代まで ふ 2 うふきひと 不忠不義の人と 呼ばせたいのか っ 0 ー 1 10 ー
ひとり 劉氏よ一人の天子 た ひとり てんし 立って一人の天子が はい 廃されるは古来の道 たいきこうてい な・洋ぶか 大魏皇帝は情深い かた お方にて危害を くわ 加えるにしのびす さんよう、一う そなたを山陽公に 封じたもうた こらい 0 みら 今日すぐに しゆったっ 出立し み・のリ - 言力なしカぎ - り・ 都へのばっては ならぬ 7
0 申しあけます せんへいし ひたたれ 全兵士の戦袍まで しろ 白でそろえるに か むり 三日では無理で ございまする たよ」につ しゆっしんまえ 出陣を前に か 十日も 待てと申すのか せめて十日 くださ、 ませ か しかし船の幕から はた 旗武具までと なるとそう かんたん 簡単にはそろえ られませぬ だま 黙れ今度の 戦はわしが た せんとう 先頭に立って たたか 戦わねばならぬ戦 十日も待って おく いては遅れを とってしまうわ 申しましても - ぬ、つ、つ まだ申すか こやつを にわき 庭の木に しばりつけろ ナトトー ノ一 ー 13 アー
おう これは将軍 せったく 拙宅に よくぞおこし くだされた らか この近くまで はうきどの きて彭義殿の家が あることを おもだ 思い出しまして とっせ人かお 突然顔を 出しました しーうぐん これはよいところに おたすねくだされた わたしたいくっ 私も退屈しており ましたまずは 一献いかがで ございまする それは ありがたい 0
. へみ 相お 手てう おう 待てつ もし一方に 傷でも負わせたら かんう 地下で関羽も らひ 張飛もどれほど 嘆くかわからぬ みかたどうし なんで味方同士で けんか 喧嘩をする たちららちち おまえ達の父と父は ぎ・ようだい 義兄弟の仲では ー 165 ー
これ酒じゃ 酉じゃ むわたかな 胸が高鳴るわ そんけんくび 孫権の首 きっとこの らようひ 張飛がとって はせん かんう 関羽の墓前に 供えてやるわ
むむつ 襄陽には かこうしよう 夏侯尚や徐晃が 守っているゆえ 心配ないだろうが もうたっ 孟達よ ーんとう そちが本当に こうよく 余に降伏を 」申し出てきたか どうかためすに い機会 じゃ おぬしは じようト脅っ 襄陽に向かい くび 劉封の首を とってくるが圦 それによって おぬしの待遇を 决めよう では これより ただちに にようト・う 襄陽に 向かいます
なに一つ もっとへりくだれ と申すのか 堯の時代に はなし こ、つい、つお話が ございまする っ すると 樶のを 魏王に とっ 嫁がせよと ぎようし疆ん 堯が舜に世を ゆずろうとなされた時 舜は拒んで受け ませんでした イようてい そこで堯帝は ひめしゅんおう ふたり ニ人の姫を舜王に あと とっ 嫁がせてその後で 帝位をゆすられ ました 4 ノノ けんさっ ご賢察 たれたまえ 0 4 8
、十 火人人 ご命令で ございます 将軍 しよう′、ん 将軍 いかになんでも 無理な ご命令で ございます 黙れ 土 6 だ一い、つカ しようぐん だま もの なまけ者め その性を たたき なおしてやる 「 . 。ひいっ 楽を す . ることばかり ゅんが 考えおって ー 138 ー