「鳥の将に死なんとする な その鳴くや哀し ひと 人の将に死なんとする そ げん 其の言や善し」と しようにんおお 聖人も仰せられた わしの言葉をへりくだっ て聞いてはならぬ 0 2 、 むすこたら 息子達よ はっ おまえたちも今いった ことば わたし 私の言葉をおばえて おくのじやわしが あと ・ようだい にん 死んだ後は兄弟三人 じようしようらちおも みな丞相を父と思うて つか お仕えせい いささかも怠れば ふこう 宀蠶津不孝の子じゃ わかったら じようしよう 5 4
リハコ イ ? 「ノ 丞相 お待ちくだされ なんばうふもう 南方は不毛の地 えきびよう くに 疫病の国でござる じうにんになじようしようどの 国政の重任を担う丞相殿 えんせい くにはな が国を離れ遠征に む 向かうのはどうかと 思われまする なんばん ち ぶんめい 南蛮の地は文明に 斑く土民は王化に しのおお なじまぬ者が多う「 ) ざる これを従わせるは武力 だけでなく仁も ひつよう 必要でござるむこうの つよ でかたしだい 出方次第であるいは強く あるいはやわらかく せねばなりませぬ それゆえ人にまかせる ことができぬので ござる それに ようがい 雍闔らの むほんたいしようひとり 謀反は大将一人 さし向ければ じうぶんおも 充分と思われ ま・丁るが したが 、 0 了可 0 0 ユコい 13 ロ ロ」ロこに司山ゴ 0 こんど え、、しゅうらん 今度の益州の乱も なんばんじんあとお 南蛮人が後押ししてござる しんよく ここではっきり心服させて おかねばこのような ことはいつも 起こり国家に不安 をまねきまする ンヾ〔ゾ ー 183 ー
りようとうせんび まず遼東の鮮卑の国に使者 きんきめおく をつかわし金や絹を贈り えびすせい 機嫌をとり遼西の胡夷勢 り議うせ人 十万をかりて陵線より 西関を驪わせまする これ第一にござ います・る せんびこくおう 鮮卑国王に 贈りものを してのう 第ニ路は なんばんこく こくおうーうか′、 南蛮国の国王孟獲に にんか人おんしようあた 任官と恩賞を与え ばんべい 蛮兵十万を出させ えきしゅうえいしょ 4 益州永昌など せいせえ みな《おそ 西川の南を襲わせ まする 第三路は そんけん 呉の孫権とよしみを しよくはんぶんあた 結び蜀の半分を与えると まんへい やくそく 約束して十万の兵を出さ ? ・うせ人はざま せ両川の峡ロより ふじようおそ 陪城を襲わせまする これが第三路に ございまする おう して第五路は だい 第四路は 蜀の降将 もうたっ 孟達を使い じよう、・うへい 上庸の兵十万を だかんらうせ 出し漢中を攻め させまする だい つか 5
それがしは すんしたさき 三寸の舌先で こ・う′」 余の心を動かせる とでも思って やってきたのか 0 0 呉には けんじんはし 賢人も星のごとしと 聞いていたが ひとり たった一人の ししゃ くちさき 使者の口先を おそ 恐れまするか だま 余がき - さまら げろう ごとき下郎を 恐れるか そちのいわんと していることは わかっているわ そちは魏と交りを たしよく 絶ち蜀とよしみを 結べと申しに参っ たのであろう それがしは 呉国の利害を思うた ればこそ使者となり ひとり 申したその一人の ししゃ 使者のために武士を あよらに ならペ油を煮え たぎらせて おどすとは何たる どリよっせま 度量の狭さでござる ー 102 ー
% 0 0 ′人、
、ヤ久ザ人久ザ入 場命でま、 しのとや カ・起こっ のしゃ ごぎー なた、こ ー・も あろう とお おしする ノわけ、 とも、 ご 3 床まで 内して なたで
こ e い ' ( リ 、いンク わからずやめ ひとり そなた一人に 勝手なまねを ゆる 許しておいては しよしようたい 諸将に対して わがを律なう ことができん くび 早々に首を 打てつ 、ン ー 123 ー
この頃四路より ぐん 攻め入った魏軍は しよく′、・ヘ 蜀軍に手痛、 は人げき 反撃をくらっていた ころ えす ( ん 胡夷軍は ばら 4 馬超に蹴散らされ
はう その方の 名はなんと 申す 鄧芝に ございます 官職は 戸部尚書で 蜀中の戸籍を 調査して おります力・ ようき こせき 戸籍の事務など 君の適任では あるまい そのようなこと 考えたことも ございません なぜ先ほど ひとり 一人で笑って
こ、フして 鸚は夜を日に ぞうせん 継いで造船に とりくんだ りゅうこっ そうひ とくに曹丕の旗艦は 竜骨ニ十余丈 せんにん 兵ニ千人を 乗せるという きょだい 巨大なものであった きかん