曹植 - みる会図書館


検索対象: 三国志 49
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1. 三国志 49

、 2 引 / らゆうたっ やはり仲達の ほんしん 叛心は 問違いな、 出迎えに ぐんせいすうまん 軍勢数万とは ただごと ならん ご心配 なされますな そう・ゅう この曹休が 捕えて 参ります つづけ 朕は どうすれば よいのじゃ ロロロロ ロロロロ ロロロロ

2. 三国志 49

らゆうたつみすせいりよう 仲達が自ら西涼へ らやくにん 着任したのは あき かれこころ 明らかに彼の心に み ぎらルうおう 魏の中央から身を 避けたいものが あるのでございま しよ、ったとえば じルうしんたらけんりよくあら 重臣達の権力争い とか・ ふむ、つ とうぜんぎ じゅうしんたら 当然魏の重臣達は らゆうたつみやこ なせ仲達が都をはなれ へん・よう 辺境の地を選んだかに きみわる 気味悪さを感じて いるでございましよう らゆうたっ そこで仲達は 謀反をたくらみ せいりよっむ 西涼に向かったと うわさな 噂を流すのです おもしろ それは面白い やりたまえ - : らに にせげさよん 偽の檄文を 作ってあちこちの 躡に貼るのです わかそうえい 若い曹叡は うたっ たちまち仲達を うた第 かれころ 疑い彼を殺すで ごぎ、いましよ、つ 0 0 ー 147 ー

3. 三国志 49

を 7 「久ヾ、 じようしよう 丞相お気持ちは わかりまするが それがしは今 魏に戦を はんたい いどむは反対で ございまする 0 ト」ー ) かに なんばんへいてい 南蛮平定のために 費やした費用は たいへん 大変なものでした なんばん それも南蛮の みつすものおぎな 貢物で補われた はす なんばんへいてい 南蛮平定のために えんせい その遠征に費やした 資材人員だけでも たいへん 大変なものでした ・一くリよくかいふ・、 その国力も回復せぬ今 わが蜀の三倍もある 魏を討とうなど だいやばう 大野望にござい まする 1 ほくばっ なせ今北伐かといえば ぎ とちひょく 魏は土地肥沃にして じんばつよ そうそういらい 人馬強く曹操以来 だい ここ三代にわたって たい、一′、ていととの 大国の態を整え だ 出しました はやう 早く討たねは そのうち魏を討つなど ふかのう 不可能となり しよくめつばう それはわが蜀の減亡を 意味するからで ございます み ー 180 ー

4. 三国志 49

性命を乱世に全うし、聞達 0 を諸侯に求めざりき。先 ひひ みだ 帝、臣の卑鄙 ( 寵 ) なるを以てせず ( 噐に ) 、猥りに自ら枉 そうろ 屈 ( 0 し、三たび臣を草盧の中に顧み、臣にるに当 世の事を以てせり ( かうた っす ) 。これによりて感激してつ くち あ いに先帝に許すに駆馳 ( 黔社めに る ) を以てす。後、傾覇に値 し ( 賺北をさす 坂て ) 任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉す 呉へ赴き孫権 0 ( を説得した ) 爾来二十有一年なり。先帝、臣の謹慎なる を知る。ゆえに崩するに臨みて臣に寄するに大事を以て このかたしゆくや 劉褝の補佐。卩 せり ( を依頼した ) 合を受けてより以来、夙夜 ( ) 憂歎し、 きずつ 託付の効あらす、以て先帝の明を傷けんことを恐る。ゅ えに五月 ( しを渡りて深く不毛に入りぬ ( 齲 rp,) 。 いま南方すでに定まり、兵甲すでに足る。まさに三軍を こいねカ 奨率し、北のかた中原龕の ) を定むべし。庶わくは駑鈍を くっ ろ どどん おう

5. 三国志 49

帝これを称して能 ( 艢が ) といえり。ここを以て衆議、寵 を挙げて ( ) 督 ( しとなす。思おもえらく、営中 ( し と の事、事大小となく、悉く以てこれに咨えば、必ずよく 行陣を和睦し、優劣、所を得せしめん。 賢臣を親しみ小人を遠ざけしは、これ先漢の興隆せしゅ えんなり。小人を親しみ賢人を遠ざけたるは、これ後漢 十・いた一い の頽 ($ 誌しせるゆえんなり。先帝在しし時、臣とこの かんれい いまだかって桓霊 ( ) に歎息痛恨 事を論ずるごとに、 せずんばあらざりき。侍中 ( 響費 ) 、尚書 0 、長史 0 、 参軍 0 はこれ悉く貞良死節の臣なり。願くは陛下これ かぞ を親しみこれを信ぜよ。即ち漢室の隆、日を計えて待っ べし ( 齠題 ) 。 臣はもと布衣な ) 、躬ずから南陽に耕し、いやしくも ことごと み ま ー 190 -

6. 三国志 49

ゅ ひはく 妄りに自ら菲薄 ( 夥 ) し、喩 ($ と ) を引き義を失い以て忠 とよも 諫の路を寒ぐべからす。宮中府中 ( しは倶に一体とな ちよくばっ ぞうひ り、陟罰 ( と」罰去こと る J) 臧否 ( 社 ) するに宜しく異同あるべか かん とか らず。もし奸をなし科を犯し、及び忠善をなすものあら ば、宜しく有司 0 に付してその刑賞を論じ、以て陛下 あき 平明の理を昭らかにすべし。宜しく偏私行公 ) して内外を して法を異にせしむべからす。 かくゆうし しりよ 侍中侍郎郭攸之・費幃・董允らはこれみ良実にして志慮 のこ 忠純なり。ここを以て先帝簡抜 0 して以て陛下に遺せ ことごと り。思 ( ) おもえらく、宮中の事、事大小となく悉く以 と けつろう てこれに咨い (±談 ) 、しかる後施行せば、必すよく闕漏を しようちょう 裨補し ( 0 広益するところあらん。将軍向寵は性行 ぎようちょう 淑均 ( で ) 、軍事に暁暢 0 し、昔日に試用せられ、先 みだ ふさ ひ とういん ー 189

7. 三国志 49

川个イ , 丸第を 湖南文山・文 臣亮 ( 髞しもうす、 ちゅうど、つ ほうそ 先帝 ( ) 創業いまだ半ならすして中道に崩咀 ( 虻しせり。 蜀の胴鬚在 ) は疲弊す。こ いま天下は三分 ( 一一 蜀・魏・呉の ) し、益州 ( の とき じえい れ誠に危急存亡の秋なり。しかれども侍衛の臣 ( 麝の ) 、 おこた 内に懈らす。忠志の士、身を外に忘るる ( しものは、 けだし先帝の殊遇を追うてこれを陛下に報いんと欲する よろ 鏘しし以て先帝の遺徳 なり。誠に宜しく聖聴を開帳 力い」、つ ひろげて大 き / 、、丁る ) すべし。宜しく を光らかにし、志士の気を恢弘 ( あき す しの ひょう ー 188 ー

8. 三国志 49

ーア彡ノ彡ク ~ 謝〉 けんこうわんはるがっ 建興五年春三月 孔明は三十万の たいぐん 大軍をひきいて ほくばっ 北伐に向かった 「三国志」 50 巻につづく ー 187 ー

9. 三国志 49

心レ彡 先ほども ったように しようぐん、しよく 将軍は蜀には なくてはならぬお方 しまうぐんみなに 将軍の身に何か あると跼の士気にも えい・よっ 影響しましよう それでも としょ まだ年寄り あっかいを なさるか かた としお 年老いて 枯れ木のごとく 。朽ちて死ぬ くらいなら 今ここで じがい 自害して死んだ ほうがましだ なんといわれようとも わしはこの戦の さきて 先手として 参加したい せんじよっ わしは戦場で死ぬは 武士として この上もない 誇りとして 生きてきた男だ いくを 材 ~ じようしよっ ふくしよっ 丞相その副将 それがしに お命じくだされ それほどまでに いわれるなら おとめいたすまい だれ しかし誰か ふくしよう 副将をつけねば めい 1 ノ ー 185 ー

10. 三国志 49

↑ーを しようぐん 将軍の お気持ちはよく わかってござる 私としてももっと ちから か お力をお借り したいのだが : なに・」と それなのに この大事な時に 留守居を させるとは 何事でござる 0 0 0 0 0 わたしなんばん 私が南蛮から かえ 帰ってきてまもなく ばらよっしようぐんびようし 馬超将軍が病死した わたしかたうで 私は片腕を 失ったような 思いであった すると わしが年を とったから つれていかぬと いわれるか しようぐん 将軍もそろそろ よかぜ せんじよう 戦場の夜風が 身にしみるお年 たいせつ 蜀にとって大切な しようぐん 将軍にもしもの ことがあってはと 名前をはすした のでござる み 4 」ー ) かに もの た 他の者にくらべれば わんらようしゃ 年長者だ なんばん だが南蛮での わす はたら 働きを忘れられたか わかものおく 若い者に遅れを とり申したか 0 す・がに ′」こだいしよう ( ん 五虎大将軍 りつば 立派な働きで ござった はたら 0 0 0 0 0 0 0