acaule と栽号品種との交雑における交雑不和合性の克服に関する研究 結果を報告している。フィリッポフは S. acaule の実生苗を年老いた ラン = ャヤ・ロザの台木に接木して , 接穂の花をスミスロヴスキイ品 種の花粉で受粉した。受粉された 17 の花から , 著者は 7 つの漿果をえた。 この漿果の子孫は種々の型を生じたが , その一部は栽培型であり , 他の 一部は野性型および中間型であった。同様な実験が , 著者および他の協 力者によって繰返しておこなわれ , 同様な結果がえられた。これらの雑 種の実生苗は , 現在では品種として試験されている。それらの多くは、 ー 5 。 C , ー 8 。 C の初寒に耐えている。 ジャガイモ経済研究所におけるこの種についての 9 年間の研究におい て , 通常の有性交雑の方法によっては , 誰も一つの雑種をもえなかった ことは注目すべきである。 S tubercsum と , S. Semidemiscum のような野生種との交雑にお いて , 更に多くの試みがなされたが , その結果もまた否定的であった。 メントル法を利用して , フィリッ永フはこの種における交雑不和合性 を服した。 自己の研究の総決算をして , 著者は次のような完全に論理的な結論を あたえている。メントルに関するミチュリンの学説は , 一年性作物 のジャガイモに完全に適用しうることは確定的に主張しうる。 。ェ・ヒ。サレフ ( 1944 年 ) は , ヴィノグラドフと協同で、くコ ムギとエルムスの雑種》という論文を発表したが , この中で , Triticum vu-g と E1ymus arenarius の間で , 胚を胚乳へ正逆に接木した興 味ある結果が報告されている。接木の結果 , これらの属の交雑不和合性 が克服された。 同一年に , 学士院会員シムクとヴィノグラドフとの共著で , くラ イムデの胚乳で養育されたコムギの本性の変化 > ( ピサレフ 1944 年 ) と
科学文献における栄養交雑の問題 0 モト・エスペレーナとの交雑苗が , 1 9 年に多数のマルメロの実験個 ミチューリンが育成したナシの品種ドチ・プランコヴォイとベルガ 説明をおこなっている。 の影響によるナシの若い雑種苗の果実の変化に関する次のような実験の 第二論文において , ヤコプレフ ( 1946 年 ) は , メントールのマルメロ その結果 , 果実の味質 , 熟期および貯蔵性の多様な新しい型がえられ 朝 . ) の影響によって形態学的および生化学的性質を変化させることにあ マルメロ—Cydonia vulgaris L. , サンザシ—Amelanchier vulgaris Mön- の目的は , これらの異種の台木 ( 野生のセイヨウナ communis' られた段階的に若い苗が , 種々の種および属の台木に接木されたが、こ 代用品というミチュリンの育成したナシの品種の自由受粉によってえ 実験結果を記述した。この実験の要点は夫のようなものである。砂糖の 1937 年に最初の結果が発表された台木の接穂に対する影響についての べ・エヌ・ヤコプレフはミチューリンによって 1927 年に着手され , 獲得したことも明らかにされた。 響が明らかにされたと同時に , 澱粉を早く蓄積する能力という新性質を れている。早熟性と多澱粉有性との結合に対する接穂と台木の相互影 性質は消失しないばかりでなく , 新世代においても認められかっ強化さ く , その上接穂の価値ある品質を獲得していることを示している。この 5 年間の実験資料は , ジャガイモの栄養雑種は , 台木と類似点が多 育種家トウルラボヴァは次のような結論を下している。 種のラン = ヤヤ・ロザに接木してえられたものであるという。 告によると , 澱粉量の多い品種のコレネフスクとポリトマンを早熟品 ジャガイモの早熟品強を所有している。この品種は , トウラボヴァの報
ヒマワリの品種育成に対するこの方法の将来性を物諳っている。 この研究は全ソ・レニン農業科学学士院の実験基地 ( コ・ルキ・レニ スキー ) でおこなわれた。 植物の交雑不和合性の ( 接木による ) 克服 ン′ 遠隴交雑における交雑不和合性の克服に対して , 生物学者および特に 育種家は , 常に関心を有している。この場合における接木の適用は , 予 期した結果をもたらした。特に , ジャガイモの野生種と栽鬚種との交雑 不和合性や禾本科の属間交雑における交雑不和合性の克服において大一な る成功をおさめている。 べ・ア。ズヴレヴァ ( 19 年 ) は , ジャガイモの耐寒性品種の育成 に関する自己の研究を報告している。この課題を解決するために , 著者 および多くの他の研究者は , 耐寒性のジャガイモ S. acaule と栽 土↓丘ロ 種との交雑を多数おこなった。その結果は殆んど常に不成功であった。 この原因は , それらの種の交雑の困難なことにあった。 世界の文献において , この種の交雑は , 全部で三例が記録されてい これらのことが , 1 0 年に著者が , ミチュリンの栄養接近法を適 用して , 交雑不和合性を克服する特殊の実験をおこなう動機となったの である。 S. acaule の実生苗が , 若干の栽培品種 ( スミスロヴスキイ , ェラ , ロ , レフ , ロザフォリャ ) の個体に接木された。台木と接穂の品種についてお こなわれ・た有性交雑は , S ・ acaule—・接穂, スミスロヴスキイ 木の組合せの個体を除いて , 希望する結果をもたらさなかった。 300 の 受粉された花から , 7 箇の種子のない漿果がえられたが , このことは , S. acaule 種としては全く異例のことであった。その代り、接穂の自家 つ 0
栄養雑種の果実の色における色素体の役割 第 66 表栄養雑種ゾロタヤ・カロレヴァ / フィカラッチイの 37 一 43 号の個体の果実の組織における雑色体の分布 ( 供試細胞 18 について ) 雑色 橙赤色果 赤色部黄色部 果皮直下第肉深部果皮直下果肉深部果皮直下肉深部 の細胞細胞の細胞の細胞の細晦の細胞 2 12 7 29 60 28 42 23 225 色素体の色素 赤 色 黄 色 赤色と黄色 は , 台木の影響によって , フィカラッチイの果実のみに特有なリコピン を獲得したのである。 この外に , 栄養雑種の果実には , 両方の接本成分の色素体 , 即ち接穂 からの黄色色素体と台木からの赤色色素体とを混有する細胞が出現し この特性に関して〉あたかも接木両成分の性を兼有する異質接合子 的細胞が形成されたかの如くである。この事実は , 形質の栄養体分離の 明白な実例であって , この場合、特定の個体の子孫内においてのみなら す , 同一個体内 , 更に , 異質接合子的 ( 色素体の型に関して ) 細胞を生す る一箇の果実内においてさえも亦 , あたかも果実の色が結合したかの如 くである。 栄養雑種ゴールデン / メキシカンスキイ・ 353 の第 2 の解剖学的研究 は同様な結果をえた。対照のゴルデン品種の黄色果は無色の色素体を 含有する黄色果皮を有している。果実の全果肉細胞は淡黄色の色素体を 含有していた。対照のトマト・メキシカンスキイの赤色果はまた , 黄色 果皮を特徴としているが , その細胞中には淡赤色のリコピンの結晶を合 0 8 0 0
1 ié ヴァ , ゴノレデン , ジオノレトウイ。グルッシエヴィドニイ , アノレビノて、 ある。後のグループの品種は羽状欠刻葉で , 黄色果をつけるが , ア 2 レビ ノだけは白色果である。 このような組合せを栄養交雑のために選択した場合には ? すでに F ム において , 第一本葉の発生後 , これらの個体の雑種的徴をみとめる、こ とができる。 1947 年に , トマトの品種ミカドの発芽直後のものが , ゾロクャ・カ ロレヴァの発育の進んだ個体の截頭した茎に接木された。接穂にはただ・ この果実の種子が播種された。 一箇の果実がなった。 194S 年の春に その結果 , ・一 FI において , ジャガイモ型の葉のものが 27 個体 , 羽状欠刻 葉のものが 72 個体えられた。この著書のこの章をかいている時には、 まだそれらの個体は結実していなかった。われわれ , 変異がこの両グ ルプの個体の葉ばかりでなく , 果実の形と色にもあらわれることを確 . 信している。対照個体の種子を播種した場合にはその品種として典型的 な個体がえられたことを指摘しておく。 他の例においては , ゴールデンの若い個体がミカドの個体に割接され・ た。接穂 ( ゴールデン ) の種子の FI においてもまた , 羽状欠刻葉をもっ た個体とジャガイモ型葉をもった個体との 2 つの型の個体がえられた。 対照個体 ( 接をとった株 ) の種子を播種した場合は , ゴルデン ( 羽妝 欠刻葉のみを有する ) として典型的な個体がえられた。 同様の結果が , 一年前にアヴァキャンとノイアンがおこなったアルビ ノとアフィアシェットとの接木実験の際にもみられている ( ノイマン , 19 以後の諸章においてわれわれは , 普通の割接によって起った遺伝的形 質 ( 果実の色 , 室数大きさ等 ) の変異の結果をより詳細に説明しよう。
96 ヅバの形質を兼有していた ( 種子は接穗の普通のソバからのものが種され た ) 。多年性のソバによって養育された雑種第 1 世代は , 結実と一般的 発育において , 対照個体に著しくまさっていることが分析によって示さ れた。この接木からえた雑種の 77 個体が分析されたが , 正常な種子 に関して , 52 個体のそれは対照個体の 3 倍もあった。品種を育成する 目的から , 海汰によって , 最も多収且耐乾性の大きな型を分離すること が試みられた。 栄養交雑によってえられたソバの種子の子孫は , 両親の形質を兼有し ているが , 発育がより強勢であることと , 生産性がより高いことにおい て、両親と異なっているという結論にカヒ。リキエフスキは達してい る。雑種の種子の第一世代では、両親の形質の遺伝が注目された。この ことは , 接木によって獲得された両親の形質は , 種子の子孫においては 消失するという主張を論駁するものである。 栄養交雑法による品育成に関する研究は , シャテイロフスク育種試 験場においておこなわれている。 カ・エス・ミハイロフ ( 1941 年 ) は , ソバの接木に関する自己の実験 と踵子の第一世代の研究の結果を記述している。研究用の原型として、 著者によって , 形態学的に異なる次のようなソバの栽培および野生型が 用いられた。白ロシア産 , プリャト・蒙古産 , 極東産 , フランス産 , 日本産およびダックン産 ( 野生型 ) 。その結果は , カピリキエフスキの 論文の検討の際に述べた結論と類似したものであった。 この研究は , カザン農業研究所の育種講座においておこなわれた。 ア・トウルラボヴァ ( 1944 年 ) は , ジャガイモの工業用早熟品種の接 木による育成に関する自己の研究結果について論文を発表した。 現在 , マリーンスク支搾点の酒精工業研究所 ( ヶメロフ州 ) は , 例を ば , 標準品踵のラン = ャヤ・ロザよりも澱粉を 5 ー 6 % 多く有する
科学文献における栄養交雑の間題 101 これらの数の実験からみて , 接木によって任意の形質を伝えること が可能であり , 又接木の場合に , この伝達が有性交雑の場合よりも一層 効果的に、より豊富に起ることが屡・々あ、るということは明白である。 メンデル主義者一もこれをみていて , かれらにとってこのことが日毎に 明白となってきている。しかしながら , 栄養交雑を終局的に承認するこ とは , とりもなおさす遺伝の染色体理論を放棄することを意味するので ある。メンデル・モルガン学派の代表者達にとって , 接木の効果および 接木の結果起る , 植物の遺伝学的特性にふれるような鋭い植物体の再編 成が明白となったということは , 漸次に起っている理論的見地の放棄か らみても明らかである。 メンデル主義者の栄養交離の間題に対する態度は , 個々の時期 , 段階 において検討することができ , 又検討すべきである。 このような第 1 段階には , 接木成分間のいかなる相五影響をも先入観 的に否定する態度がみられる。この書の第 2 章に , モルガン主義の指導 者の多くの意見を引用した。ここでもうーっの主張を引用することは余 分なことではなかろうと思う。 『現在ー , 無数の実験によって , これらの接木の問題 ( 台木から接穗への 形質の伝逹に関する一 -- - 原著者註 ) は , 否定的意味において決定的に解決 されたと考えることができる。時折 , 珍物であるために一つの木に接 木され , その際その特有の味を維持している何十 , 何百というリンゴ の品種は , 台木の接穂の方向への影響が存在しない明瞭な実例である』 ( エヌ・イ・ヴァジイロフ 1916 年 ) 。 実験が拡大され , 実験的資料が集積されて , その際屡々 , 反対者自身 によっても , 接木の結果における変異性の思想がえられた。 そして , メンデル・モルガン派の代表者達は , 台木の接穂に対する影 嚢を認めることを余儀なくされた。しかし , この変化は一時的なものと
= ェルのおこなったこの全個体の子孫の反復された播種は , 変化は代 までも遺伝することを証明した。 同様の変異をダニエルは次のような組合せの接木においてもえた。イ ンゲン (Phasceolus vulgaris) の . 随々の品 . 踵間の接ヨく , シロガラシ CSinapis alba) とキャベッ CBrassica), マノレバノホロシ (S01anum dulcamara) と べラドンナ (Atropa belladonna), ジャガイモ (S01anum tuberosum) とト マト CLycopersicum esculen tum) 等 0 に興味があるのは , ダ = ェルがキクイモ CHe1ianthus tuberosus) と ヒマワリ (HeIianthus annuus) に接木した際にえた変異である。 かってモリ ( イギリス ) が , キクイモの台木とした一年性のヒマワ リに塊茎状の根をえたことは良く知られている。この特に注目すべき事 実は , ロンドンにおける園芸恊会の学術会議の一つにおいて引用された ことがある。このイギリスの事実は , パリにおける国立園芸協会の会 議において , カリエルによって公表されて , 研究対象とされた。フ呂ヒ ティングは 1894 年にこの接木を反復しておこない , 否定的な結果をえ た。このことから , モリとカリエルは間違っていたという結論がなさ れたが , フヒティングはかれらは一定の効果をえたのであり , 実際に はそれは錯覚であったと考えたに過ぎなかったのである。 1894 年にダニエルは , かれの先行者の実験を繰返しておこなう課 を自ら提起した。かれはこの実験を 26 年続けておこなった。毎回かれ は変化を認めたが , それは特に著しくはあらわれなかった。 1921 年に 始めて次の二つの重要な事実が生起した。 1 ) 400 年間フランスで無結 実であったキクイモに実がなったこと , および , 2 ) 台木にされた一年 性のヒマワリが塊茎状の根を生じたことであった。 ダニエルの記載によると , 独立したキクイモの個体には決してみられ・ ない塊茎状の根が , 接木の結果えられ , それは全く新しい特徴をあらわ、
いわゆるキメラの間題について 263 第 80 図対照個体と接木個体 146 号の葉と小葉。 上列 , 左—S. nigrum, 右ーアルビノ ( 小葉 ) 。下列 ( 左から右へ ) ー中間型の枝 ( 4 ) の種々の型の葉。 変化したトマト型の枝 ( 77 滝 1 と 77 滝Ⅱ ) は , 高さが 14cm で , 平滑で小 さく、淡緑色の葉を有していた ( 第 75 図および 76 図 ) 。 トマト型の個体 77 / 4 , 77 / 5 , 77 / 6 , 77 / 7 , 77 / 8 , 77 / 9 号は結実した 第 77 図は , この群中で典型的な 77 / 5 号の個体を撮影したものである。 対照個体と供試個本の葉片の形態は , 第 78 図によってみることができ 146 号の個体は , 既述のように , クロイヌホォズキをトマトのアルビ ノに接木した結果えたものである ( 第 79 , 80 , 81 図 ) 。截頭して , カルス
科学文献における栄養交雑の間題 ライムギの胚乳への移植の影響による春コムギの生化学的特徴の春ライ ムギの方向への変化は , 属間交雑における椎種粒の結実の上昇に対して も亦著しく影響した』。 ヒ。サレフは , ニつの交雑不能の属—Triticum vulgare と E1ymus arenarius ( シベリャハマ = ンニクー訳者仮称 ) の栄養接近にもとづく、更 につの興味ある実験を行なった。 最初にこの方法が評価された。ピサレフの記述によると『最良の結果 は , 母および父個体が相手の胚乳にく接木 > された場合にえられた。例 えば E. arenarius 19 の胚乳の上で 3 回そだてられた春コムギ 1803 は , E. arenarins ] 9 の花粉で受粉された場合 1.55 % の結実粒を形成し た。コムギ 1803 の胚乳の上でそだてられたエリムスからの花粉が用い られた場合には , 成功の率は 7.5 となった。ェリムスの胚乳に 2 回接木 されたにも拘らす , 春コムギのプレリュダは、交椎によって 0.0 % , 即ち結実しなかったが , コムギの胚乳の上でそだてられたエリムスの花 粉で受粉した場合には , 結実粒の率は実に 3.1 % となった。ェリムスに 2 回接木された雑種コムギ BEII 2 は普通のエリムスの花粉での受粉で は、 0.4 % の結実粒をつけたが , イ接木された》ェリムスの花粉を用い の方法の効力の明白な証明をわれわれは認めるのである。イ・ヴュ ピサレフの実験において、草本植物の栄養交雑におけるミチュ た場合には一 1.7 % となった等』。 冖リン 発育に関するミチュリンの学説ではなく , イ草本植物の種子の胚に 解しえす , より正しくいえば , 理解することを欲せす , 従って , 生物の 解のために , かれはミチュリンの研究の連鎖の指導的な環の意義を理 にピサレフはこのよう・な説明に賛同しえないのである。自己の理論的見 は、対応する構成分の方向への物質代謝の変化にあるのである。しかる チューリンとテ・デ・ルイセンコが証明したように この方法の根本