010 西村ただそうは言っても、このままプロセスが進 んでいくと、国会はおそらく生前退位にオーケーを 出しますよね。そのときに、一つの考え方としては、 例えば、天皇が今回このような問題を起こした責任 を議会が追及して廃位に追い込むというストーリー も、横田さんのお考えからはあり得るのかなと思い ますが、その点はいかがでしようか 横田それは生前退位のつくり方によりますよ。ど ういう要件で生前退位を制度化するのかによって違 ってくるでしよう。 岡田今の法の構造からすると、皇室会議の構成員 にも天皇は入らないので、天皇が自由意思で発言す る公式の機会はないのではないか。皇室会議で、皇 族が発言できるのに、なぜ天皇は発言できないのか と考えると、天皇に発言させず、意思を出させない、 必す宮内庁、内閣というフィルターを通さなければ いけないとしている。そういう意味で、形式的に「譲 位する」体裁を整えることは別として、自ら手を挙 げて自発的な退位をするということは、制度的に整 合しないだろうと思います。皇室制度で、歴史的な ことを含めるかは別としても、慣習的につくられて きたのは、自由意思が入らないように皇位は継承す る、だからこその世襲だろうということがある。そ の趣旨からしても、自発的な退位については否定的 に考えざるを得ないかと思います。ただし、政治的 思惑を伴わないこと、公平であることが確保される のであれば、定年制ということは制度としてあり得 るだろうと思います。 [ 7 ] 天皇制度の議論をタブー視してきたツケ 岡田昭和と平成と高齢の天皇が 2 代続いた。昭和 天皇が高齢になったときに本来議論すべきだったの に、それをしないで、天皇について物事を言うのが タブー視される雰囲気をまったく反省せずに二十数 年が経って、再び同じ問題が来てしまった。「人間、 死ぬのだから」という議論をしなかったことのツケ が今日回ってきたという印象をもっています。 横田それは元号の問題などでもみなそうです。天 皇のことを下々の者が語るのが畏れ多いというのが 国民の多くの雰囲気です。だから元号法の制定も昭 和天皇が晩年になるまで行いませんでしたね。「天 皇の御心を心とすべきだ」として、勝手に臣下の者 が天皇の地位をどうするこうすると議論するのはお かしいという考え方があります。 今の話は別として、慎重に退位問題を論じるには、 今は時期が良くないと言えます。皇室典範が戦後で きるときには、具体的に戦争責任で昭和天皇の退位 の是非が問題になっていました。そのことが常に議 論する人たちの頭の中にあったわけです。そのため、 客観的な制度設計として考えるときに、常に現前の 天皇の退位問題が紛れ込んでいました。だから天皇 制度をどうするかという冷静な議論に必ずしもなら なかった。 今回も同じで、天皇が自発的に退位意思を示唆し たために、その意思にみんなが引きずられてしまい、 制度としてどうあるのが妥当であるかという議論よ りも、天皇の意思に則してというところで動いてい る。その意味で今は非常に不幸なかたちで議論がさ れていると思います。天皇の意思が先ず出てきて、 国民の意識がものすごく天皇の言葉に惹かれる状況 があるときに、将来的な天皇制度を、しかも短期間 で考えるということは、非常に不幸なことだと思う し、天皇制度にとっても良くないことだと思います。 5 摂政活用論をどう考えるか [ 1 ] 摂政ー一世襲 植村次に、生前退位よりも摂政の活用がのぞまし いという議論も憲法論としてはあり得ると思うの で、摂政という制度について議論したいと思います。 先ほど、横田さんは、今は摂政を使うべき状況で はないとおっしゃいました。皇室典範 17 条で摂政に は皇族しか就けないとされていて限定されています が、それはともかくとして、横田さんは、そもそも 憲法から見て摂政は誰がなる場合が想定されている とお考えでしようか。 横田それはやはり世襲ということになるのではな いでしようか。皇族に限られると考えます。 植村憲法上そう言えますか ? 横田おそらく言えると思います。外から人をもっ てくるわけにいかないでしよう。政治家をもってく るなどということは考えられないでしようね。その 世襲をどこまで見るかということですが、例えば、 歌舞伎の世襲では外からもってきたりするけれど も、皇位継承の場合はもつばら血のつながりを考え ていると理解されます。未成年の者が天皇に即位し たときに、皇族外の者を摂政にもってくるのには違
- 特別企画 生前退位をどう考えるか [ 座談会 ] 憲法から天皇の生前退位を考える ( 下 ) 005 法学セミナー 2017 / 03 / no. 746 九州大学名誉教授 横田耕一 北海道大学准教授 西村裕一 白鷓大学教授 岡田順太 [ 司会 ] 國學院大學教授 植村勝慶 4 生前退位をどう考えるか 植村 ( 司会 ) 前半の議論 ( 前号 ( 上 ) ) で、「象徴と しての務めについての天皇陛下のおことば」の論理 でいうと、象徴としてふさわしい公務を遂行できな いので生前退位ということになるわけですが、憲法 学の立場からいうと、そこは論理的にはつながる話 ではないということを確認しました。ただ、そうで あっても、今回の生前退位の是非の議論とは別に、 まず一般論として生前退位を議論することができる と思います。 横田さんは、かって「即位の原因を示す規定は本 条 ( 皇室典範 4 条 ) 以外には存在しないから、いわ ゆる生前退位は現在認められない。しかし、生前退 位を否定する規定は憲法にはないから、皇室典範を 改正して生前退位制を設けることは可能である。む しろ、天皇個人の意思も一人の人間として尊重すべ きであること、主権者国民が天皇の政治責任 ( 内閣 の助言のあった国事行為を天皇が行わなかったり、天皇 が国政に関わる行為を自らの意思で行った場合などに政 治責任が問題となる ) や道義的責任を追及していけ る道を開くことが望ましいこと、天皇の不治の重患 があったり天皇が老齢になった場合には引退の道が あることが天皇個人にとっても望ましいこと、など から、生前退位を認める方が合理的であるように思 われる。」 ( 横田耕一「『皇室典範』私注」横田耕一・江 橋崇編『象徴天皇制の構造』〔日本評論社、 1990 年〕 121-122 頁 ) と書いていらっしゃいますが、生前退位 制度の一般的な可能性についてご発言いただけます でしようか。 [ 1 ] 一般論としての生前退位肯定説 を認めてもよい。認める場合にいろいろ制約を付け 前退位を否定する理由にはならないから、生前退位 公的行為を認めないなら、これらの反対理由は生 でしよう。 位と即位拒否は、必ずしも同様に考える必要はない いとも言えます。しかし、いったん即位した後の退 底すればそういうことにもなりますし、それでもい いう反対論があります。人権を大切にする立場を徹 めると、即位自体にも拒否を認めることに繋がると それから、人権を尊重して退位に天皇の意思を認 制することは、あまり考えられないですね。 が、そうでなければ自由意思に基づかない退位を強 もらって退位させるという積極的な意味があります 行うことを天皇が拒否する場合には、責任をとって 必要もないことになります。もっとも、国事行為を なければ、自由意思に基づかない退位の強制をする あるというのですが、天皇が国事行為しかやってい 次に、天皇の自由意思に基づかない退位の強制が るうわけはないから、それを考える必要はない。 あれば、現天皇にない政治的な権限を前の天皇が振 あげられますが、天皇が国事行為しかやらないので が政治的に弊害を生ずるおそれがあるということが 生前退位を否定する理由として、前の天皇の存在 きた理由のいくつかは理由になりません。 いうことであれば、これまでの生前退位を否定して のであれば、そして天皇は国事行為しかやらないと ない立場から論じていますが、公的行為を認めない 議論の内容が違ってきます。私は、公的行為を認め 題を議論するのと、認めないで議論するのとでは、 できます。つまり、公的行為を認めたうえでこの問 横田この問題は、前半で議論してきたことと絡ん
007 [ 座談会 ] 憲法から天皇の生前退位を考える ( 下 ) けれども、王位の放棄については、必ずしも自由に 放棄できるわけではない、とおっしやっていること になるかと思います。たしかに王位継承権と王位は 区別する必要があるわけで、先ほど挙げられていた 「退位の自由を認めたら不就任の自由も認めなけれ ばいけないじゃないか」という議論は、この両者を 区別していないわけです。それに対して、この区別 をきちんとされた上で、王位の放棄については、天 皇の自由意思という観点よりは、国民の監視ないし 国民主権という観点を重視されているということ で、私も網羅的に調べたわけではないのですが、そ ういう見解は日本国憲法下ではあまり例がないので にとっての影響力が大きすぎるからです。実際、天 はないかと思います。要するに、王位の放棄を認め 皇の行動が公になるときはすべて内閣のコントロー るというよりは、 ( 天皇がおかしなことをした場合に ) ルが入るというのが、政府の見解でもあります。そ 国民が天皇の責任を追及して廃位を要求することを ういうものだとすると、自由意思による生前退位と 認めるということですよね。 いう議論の仕方が、的を射ているのだろうかという 横田はい。私はそちらのほうを今でも考えていま す。象徴天皇制度では、その意思が入ることについ 疑問も生じます。 植村その論理では、天皇が自由意思を表明する場 ていろいろ制限されているじゃないですか。その意 は実はないじゃないかということになりますね。今 味では「飛び地」なんですよ。天皇にも人権はある 回の「おことば」も「個人として」ということで けれども、公務に就いている限り、その権利は大幅 NHK を通して発言しているが、あれは、内閣がオ に制限されます。いったん世襲で皇位に就いた以上、 ーソライズしており、個人の意思ではないという説 簡単に自由意思で辞めるとかいうことは制限される。 明になるはすだ、ということですね。そうすると結 西村自由意思による退位を認めるとすると、天皇 局、今回も、「脱出したい」と言ったけれど、それ の自由意思とは一体何なのかという問題が出てきま は人権の行使ではないという説明しか今後もあり得 す。天皇にも当然意思があると思いますが、天皇の ないことになるということでしよう。 意思としてわれわれの前に出されるのは、あくまで 内閣のフィルターを通った意思であって、「これが [ 4 ] 横田説と奥平説、飛び地論 天皇の意思です」と内閣が提示するということです。 西村奥平先生は、自由意思がまさに最後の切り札 そうすると、生の天皇の意思が公にされることはあ として機能するという議論をされていたので、横田 り得ないようにも思われるのですが、この点につい さんのお考えとは少しずれがあるのかなと思ったの てはいかがでしようか ? ですが。 横田植村さんが紹介された論文を書いた段階で 横田私は、正直に言うと、即位段階での自由意思 は、私的であれば政治的な意思を出してもいいじゃ のほうはあまり考えていなかった。奥平先生が『脱 ないかと甘く考えていたのです。しかしこのたびの 出の権利』として人権論をもってこられたことに触 天皇発言の影響の大きさを目の当たりにした今は、 発されて見解を整理したということです。 私的であっても、政治的な事柄については、言う権 西村非常に興味深いご発言だと思います。 利はないとは言わないまでも、控えたほうがよいと 横田なお、天皇の意思表明の問題ですが、生前退 思います。 位の問題について政府、例えば安倍首相は、かって 西村私も、国民に対して天皇の意向が見せられる、 あるいは天皇の行動が見えてしまうときには、すべ 女性天皇の是非が問題になった時になぜ天皇の意思 を聞かなかったのかという質問に対し、「皇位継承 て内閣のコントロールが入らないといけないと思い ます。それは、横田さんも懸念されるように、国民 制度は国会で議決される法律に定められたものであ Extra Articles おかだ・じゅんた
009 [ 座談会 ] 憲法から天皇の生前退位を考える ( 下 ) [ 5 ] どのような場合に生前退位を認めるのか 横田生前退位をもし認める場合、どういう場合に 認めるのかという議論もすべきかもしれませんね。 今一般的に言われているのは、高齢になったときと いうことだけですね。 植村若いけれども病気になったときに認めるとい う議論は、具体的な例がないので議論にならないで しようけれど、あり得るとは思います。高齢化社会 で、これからは年をとったら早めの引退もありだと いう議論もありだと思います。それ以外にもあり得 ますか ? 岡田意図的に皇位継承を早めるため、高齢ではな しかし、今の段階では、天皇には意思能力があるか いけれど早くに退位ということも、可能性としては ら、摂政を置くことはできません。あるとしたら国 あるでしようね。 植村あり得ますね。イギリスでもエリザベス 2 世 事行為の代行 ( 憲法 4 条 2 項 ) です。 第 2 回有識者会議の資料として「天皇陛下の御活 の後、皇太子をスキップして、若くてかっこいいウ 動の概況及び推移」という政府が出した、昭和天皇 ィリアム王子に王位を譲るべきであるという議論は と今の天皇が 82 歳のときに様々な仕事をそれぞれ あります。 何件やっていたかという比較表があります (http.// 日本でもよくありますよね。その次の秋篠宮のと ころには男の子がいるから、そこのお父さんが早く www.kantei.go.jp/jp/singi/koumu—keigen/dai2/ shiry02. pdf) 。それを見ると、 82 歳時、国事行為は、 天皇になったほうがいいという議論はあります。 昭和天皇 1034 件に対して、今の天皇は 1009 件です。 横田あるけれど、また国民の多くがそれで一致す 一方、公的行為は、昭和天皇 344 件に対して、今の るかもしれないけれども、やはりそれには絶対に反 天皇は 529 件です。このように、国事行為は増えて 対が出るでしよう。昭和天皇時代には秩父宮を天皇 ない。増えているのは公的行為だということです。 にしたい勢力もあったわけでしよう。そういう議論 つまり、公的行為を減らせば負担は増えていないと をすると本当にややこしいことになる。ですから、 いうことです。国事行為は、実際何するのかという 高齢でも、無原則だと何が起こるかわからないから、 と、接受と儀式を行うこと以外は署名してはんこを 定年制度ぐらいでないと恣意が入る危険性があるで 押すことだけです。今だってはんこを押すのは、侍 しようね。若いときの病気は別に考えなければいけ 従がしています。署名はしていますが、もしそれが ないけれど。 できないとしても国事行為の代行で十分でしよう。 意思能力が失われてどうしてもできない場合は摂 [ 6 ] 今回の生前退位の是非 政を置けばいい。大日本帝国憲法時代には、大正天 ーー公的行為を減らせば負担は増えていない 皇の病気のときに摂政が置かれましたが、そのとき 植村きっちりとした要件を設定すれば、一般論と は摂政が政治的権能を持っていたから大変でした。 しては生前退位が制度として認められると考えると しかし今の摂政は、形式的・儀礼的行為だけで、例 しても、今回について生前退位を認めることは別論 えばはんこを押す場合にも「ああ、そうですか」で だと思います。その点、みなさんはどのようにお考 押せばいいだけです。 えでしようか ? 「公務」が過多なら公的行為を減らすことを以前 横田私は、今わざわざ急いで生前退位制度をつく から宮内庁は天皇にアドバイスしているようだけれ る必要はないと考えています。 ども、天皇が聞かないということが伝えられていま 現在の制度では、完全に判断能力、意思能力が天 皇になくなって、国事行為ができなくなった場合に す。天皇の義務ではない公的行為を減らしていれば、 こんなに大騒ぎをしなくても済んでいたはずです。 は、摂政が置かれます ( 憲法 5 条、皇室典範 16 条 2 項 ) 。 Extra Articles し っ カ む え
006 [ 3 ] 天皇の人権、天皇の自由意思 植村横田さんは、生前退位を認める理由として、 天皇個人の意思を一人の人間として尊重すべきであ るということも積極的に掲げておられると思いま す。それに関連して、天皇の人権、個人の意思をど のように認めるのかという論点があると思います。 これについては、奥平康弘先生の「脱出の権利」の 議論があります。奥平先生は、「憲法理論としては、 天皇・皇族には究極の『人権』として『 ( 自由剥奪 的な身分からの ) 脱出の権利』が保障されなければ ならない、と考えている。かれらに与えられる『脱 出の権利』は、かれらが『ふつうの人間』に立ち戻 なければいけないことはあるとしても、生前退位自 るための、あるいは『ふつうの人間が享有する、ふ 体は認めてよいとするのが私の立場です。 つうの人権』を自らも享有するための『切り札とし しかし、公的行為を認めて天皇の発意や政治的意 ての " 人権 " 』に他ならないという立場をとる。」 ( 『「萬 思が天皇の公の行為に入るならば、最初の 2 つの理 世ー系」の研究』〔岩波書店、 2005 年〕 325 頁 ) と書い 由がまた生きてくるわけです。また、天皇が政治的 ておられます。この点について、西村さん、いかが に動いた場合には逆に生前退位を積極的に認める必 でしようか。 要が出てくることになるかもしれません。 西村生前退位の可否について議論するときには、 清宮四郎先生が言っておられるように ( 『憲法の理論』 [ 2 ] 一般論としての生前退位否定説 〔有斐閣、 1969 年〕 345 頁 ) 、立法論と解釈論を区別す 生前退位を否定する説を紹介しましたが、他に無 る必要があります。今巷でなされている議論は、基 視できない重要な反対理由があります。その理由の 本的に立法論が中心だと思いますが、憲法解釈論の ーっは、国民の信念と調和しないということです。 レベルにおける生前退位否定説に対して、通説の側 このことを金森徳次郎さん ( 吉田茂内閣の憲法担当国 がきちんと応答しているかというと、疑問がないわ 務大臣 ) は制憲議会で強調しています。国民は、天 けではありません。もちろん私も生前退位を肯定す 皇という存在は不動であるという信念をもってい る通説に反対するものではありませんが、それが通 る、したがって退位は国民の信念に反すると。しか 説であるといっても、それは、考え抜かれた通説な し、国民の意識は変化するものであり、今は金森さ のか、何となく皆がそう言っているだけなのか、そ んの時代とは違いますから、これはたいした理由に こははっきりしたほうがよいだろうと思っています。 他方で奥平先生の議論との関係で言うと、横田さ はならない。 また、金森さんや林修三さん ( 当時内閣法制局長 んはかって「皇室典範をめぐる諸問題」 ( 法律時報 官〔 1954 ~ 1964 年〕 ) などが言っていますが、象徴 48 巻 4 号 ) という論文の中で、「生前退位を今日考 たる地位と矛盾するということ。すなわち、象徴と える場合には、天皇の自由意思よりも、主権者国民 いう、世襲であって、国民の総意でできている による天皇の監視という観点から問題が検討される そういう地位と矛盾するという議論があります。 べきであろう」とおっしやっていました。もちろん そしてもうーっ、前半の議論 ( 前号 ( 上 ) ) とも関 ご論文では天皇の自由意思にも触れておられます 係しますが、天皇に積極的な国民統合作用を期待す が、それをあまり重視しないというのは、今なお新 る立場からは、前の天皇による統合作用と新しい天 鮮というか、斬新な見解だと思います。 皇による統合作用という統合軸が 2 つ出てきて統合 というのも、その一方で横田さんは、「一定の条 の焦点が分裂する、という反対論が出てくるでしょ 件の範囲で」という留保つきですが不就任の自由を う。しかし、それは天皇は国民の統合軸でなければ お認めになっています。ですから、横田さんのご議 ならないという立場から出てくる問題です。 論を整理すると、いわば王位継承権の放棄は認める ・こういち
011 [ 座談会 ] 憲法から天皇の生前退位を考える ( 下 ) Extra Articles どう使ってもよいのではないでしようか。私は、何 和感があります。摂政はもちろん象徴ではなく、政 でも使えるカード的に摂政を捉えています。そうす 治的権能もありませんから誰でもいいとも言えます ると、極論すれば、天皇の血筋の者がいなくなって、 が、やはり皇族が就くというのが穏当ではないでし 天皇の玉座だけが残って、摂政がやるということも ようか。 あり得る。憲法が変わらない前提での話ですけれど。 植村皇族と言うかどうかは別にして、天皇と血が 横田でも、天皇がいなくなったら、天皇の存在を つながった集団からということですか。 前提にしての摂政ですから、摂政もいなくなるので 横田いや、皇室典範で継承川頁位が定まっているか ら、そこへ入っている継承順位の中で考えるのが合 はありませんか。 岡田天皇の地位にある者がいなくなっても、憲法 理的だと思います。 上の天皇制は残ります。その場合、摂政だけがいれ 植村継承順位の人が就くという限定は付くという ばよいと、私はそう思います。 ことですか。では、先ほど横田さんは、今回は摂政 横田でも、摂政は天皇に代わって行うのでしょ を使う場合と違うとおっしやったのですが、本来ど ういう場合に摂政ということになるのでしようか ? 岡田ええ。ただ血筋の正統性だけではなく、国民 横田それは皇室典範 16 条に書いてあるように、意 が民主的な正統性に象徴の意義を置けば。 思能力カ坏十分な未成年者が皇位に就いたときと、 横田摂政は象徴ではありませんから、わざわざそ 天皇が病気等で意思能力が失われた状態にあると んなものなら要らない、ということになるでしよう。 き、それと重大な事故があるときです。重大な事故 岡田そうしたら、憲法 1 条から 8 条は改正でなく の中には、例えば天皇が国事行為をやらなかった場 してしまったほうが楽だと思います。大統領制にす 合も入り得るのですが、その場合は生前退位、辞め ればよいのです。ただ、もしも憲法改正に至らない させたほうがよいと考えますが。今の制度であれば、 場合、どう運用するかと考えたときに、先ほどのよ そういう場合は重大な事故ということになるでしょ うなこともあり得ると思います。 憲法 5 条は、「皇室典範の定めるところにより摂 植村そうすると現行の皇室典範は、憲法が想定す 政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関 る摂政の範囲と合っているということですね。 する行為を行ふ。」としていて、「皇室典範の定める 横田そう考えて特に問題はないのではないでしょ ところにより」としか書いておらす、誰がどういう うか。 場合にといったことは書かれていない。だから、意 外なことに、摂政を制度的にどう組むかについては、 [ 2 ] 摂政に憲法上の限定はない ? わりと自由であってもよいのではないか。血筋を考 岡田実は、摂政の位置づけについては、憲法学と えないことも理論的にはあり得ると思います。 してあまり議論がされていないと思います。 横田憲法 4 条には「天皇は」と書いてあり、その 私の発想としては、何なら摂政は選挙で選んでも 場合の、委任の問題。これはできるのですか ? 構わないのではないかと考えています。 植村すべての国事行為ができるとしたら、摂政が 植村そうですよね。私も実はそう思っていて、横 やれるわけですね。 田さんが世襲だとおっしやったのは意外でした。 横田国事行為代行も ? 岡田江戸時代から明治になるときの王政復古の大 岡田憲法 4 条 2 項の臨時代行の委任はもちろんで 号令の段階で、関白・摂政がいったん廃止されてい きないですね。しかし、選挙で摂政を選ぶなら、お ます。と = ろが、摂政だけは明 ! 憲法にあるただ そらくそういうことはないので・・・・・・。すみません、 実は同じ摂政という名前です力、 ーこはつながって 架空の話をし過ぎています ( 笑 ) 。 ない可能性があって、それはまさに横田喜三郎先生 が言えば、また「なんでそんな名前なのだ」と怒ら 横田しかし、今の制度の中では、やはり摂政とい うのは皇族に限ると考えざるを得ない。 れるかもしれません。それ以前の摂政は、皇位継承 岡田もちろん、そうです。 順位とは結びイ寸けられていません。 植村しかしそれは皇室典範がそう定めているから そのように考えれば、現行の摂政という仕組みは
008 り、まさに国政に関わる問題である」と答えていま す。そして、金森さんも「皇位継承制度の変更は国 政の一端であり、天皇の意思を根拠にすることは難 しい」と言っています。それが従来の線なんです。 植村横田さんが奥平説をどう思っていらっしやる のか知りたいのですが、奥平説には賛成ということ ですか ? 横田自由意思による退位の可能性については私も 否定していませんでしたから、その点では奥平説に 異論はありません。ただ、即位段階については十分 に考えていなかったということです。 植村私から見て、奥平説が横田説と少し違うのは、 横田説では、例えば女性天皇の問題でも、人権の論 理というのは天皇や皇族である中でもあるはずだと する。奥平説というのは、むしろその中では人権を 認めないで、脱出のところだけを認めるということ で、そこは少し違うのではないかと思うのですが。 横田私は天皇・皇族にも原則的に人権はあるとい う説で、奥平先生のように天皇・皇族を憲法の中の 全面『飛び地』とは考えていません。また、私の女 性天皇否定を違憲とする説は、皇族女性の人権論か らではなく、「法の下の平等」を原則として考えて いるからです。 植村人権論ではなくてということですか ? 横田人権論でもあるけれども、「法の下の平等」 を憲法全体を通しての原則として考えているからで す。また、天皇・皇族が憲法原則からの『飛び地』 であるのは、厳密に「世襲」という点においてのみ だと理解しています。 植村例えば、辻村みよ子先生は、「権利侵害の問 題ではない」が、天皇の地位に性別要件が必然的で にしむら・ゆういち はなく、性差別を助長・温存する機能に着目して「合 理的理由のない差別的取扱い」とされています ( 『憲 法〔第 5 版〕』〔日本評論社、 2016 年〕 167 頁 ) が、それ と似たようなことでしようか ? 横田平等原則は及ぶけれども、人権論に限定しな いということです。 植村人権論が及ぶべきだという議論をされている というわけでは必ずしもないわけですね。 そうすると、長谷部恭男先生の身分制の飛び地論 は、横田さんから見るとどうなりますか ? 横田あれですと何でも『飛び地』になってしまう ので、私は世襲だけが『飛び地』だと言っています。 植村世襲を理由に、全部丸ごと『飛び地』で、 切及ばなくなってしまっているということですね。 横田百地章先生の議論がまさに全面『飛び地』論 です。だから政教分離原則に反して宮中祭祀を公的 にやってもいいことになります。長谷部先生の『飛 び地』もそれに近いのではないでしようか。 植村長谷部先生の『憲法〔第 3 版〕』 ( 新世社、 2004 年 ) 134 頁では「一般社会において妥当すべき 政教分離原則が、皇室の行事についても妥当する原 則と考えるべきかについても一考を要する」されて いますね。あれはちょっとびつくりしました。 横田長谷部先生は、天皇制度というのは、身分制 として丸々『飛び地』として考えているようで、百 地先生と、立場は全然違いますが、その点では似て いるところがあります。 西村おそらく奥平先生も、ある意味では長谷部先 生に近いというか、憲法第 1 章は全部飛び地だとい う議論だろうと思います。奥平先生は、しかし最後 の最後で脱出の権利を言うことで、奥平先生はよく 「そして誰もいなくなった」とおっしゃいますけれ ど、誰もいなくなってそれで天皇制が瓦解すれば仕 方ないじゃないかと、おそらくそこまで見越した議 論ですよね。 植村そうだと思います。しかし、長谷部先生の議 論で言うと、脱出することを認めないとは言われな いにしても、想定されていないのではないかと思い ます。そこは、奥平先生と違うのではないですかね。 ご本人に聞かないと、ここで推測して議論してもし かたないですが 西村それはそうですね。
016 くるといい。そういうかたちもあり得るけれど、そ れ自体が今の状況の中で党派的になったり、いろい ろするから難しいですね。 今回はどうするつもりなんでしようね ? 岡田やはり政府提案になるとは思います。通常の 法案であれば、宮内庁が所管官庁として、その職員 が課のレベルから原案をつくり、各省折衝をして、 閣議決定にかけてというのが段取りだと思います。 しかし宮内庁はそういうことを一切しないという前 提になってしまっているので、そこが本件の事案の 特殊性ですね。 植村皇室の問題は内閣官房の皇室典範改正準備室 で検討しているようですが、そこで草案をつくるの かもしれないですね。そうだとすると、政府提案に なります。そうでないのだったら、もう議員立法で すね。 横田議員立法ではもたないでしようね。 岡田衆議院の選挙制度の検討のときに議長裁定が あったように、議長の権威をもって国会の中の、あ る程度まとまる意見を持ち出せるようなかたちが一 つあるだろうと思います。もちろんその前に、議員 の間でしつかり議論すべきだと思います。 横田こういったことをまだあまり議論をしてない けれど、難しい問題ですよね。今回は、内閣が法案 を出して通すつもりなのでしよう。それはあまりよ くないですよね。 岡田憲法の体系にいちばん沿うようなかたちでと なると、皇室典範改正の中心は国会に置くべきだ。 そこは憲法論としてしつかり主張しないといけない と思います。 横田両院議長の下に何か委員会を置き、そこで案 をつくったかたちにするのも一つの手でしよう。そ して、議長・副議長などのトップがリーダーシップ をとって何かをつくり、そこで原案をつくって出す ことがいちばんおとなしいかたちじゃないですか。 岡田そうですね。 横田最高裁判所長官などを入れると三権分立など の問題が出てきますから、むしろ国会が権威をもっ てすべてまとまるようなかたちで構成するのが一番 よいのではないかと思います。 7 生前退位を認める場合の法形式 [ 1 ] ー代限りの特例法は認められるか 植村議論が尽きないですが、最後に、生前退位を 認めるとする場合の法形式について議論したいと思 います。 岡田現在の争点の一つは、一代限りの特例法でい くのか、あるいは恒久的制度として皇室典範を改正 するのかという法形式による区分の議論です。私は、 法技術としては、皇室典範改正案の附則に、今回の 退位の規定を、例えばいついつをもって天皇は退位 する、あるいは皇太子が天皇の地位に就くという附 則を付ける方式もあり得ると思います。ですから、 一代限りだから特例法というロジックはそもそもお かしいはずです。今回は同時にその整備法もつくら ないといけないはずで、いま言われている「上皇」 や「太上天皇」などの退位後の称号をもしも皇室典 範に入れるとすれば、皇室典範改正法が必要です。 そこに附則は付けられますから、そこでやればよい というわけです。 あるいは、退位という事態が非常事態であるとい うか、異常な例外事態であるという意味合いで、特 別措置法という、どの天皇も使えるような恒久法を っくる方法もあり得ると思います。いすれにしても 法形式にこだわって議論する意味はあまりありませ ん。 その上で、私は、一代限りの特例法というのはど うかなと思いますので、皇室典範そのものを変える べきと考えます。憲法 2 条で「国会の議決した皇室 典範」といっているので、そこに全部セットで入れ てしまうのがよいでしよう。 植村本来そうですよね。 岡田皇位継承は、もともと歴史的には不文法、慣 習法によってなされていて、旧皇室典範がそれを明 文化したわけです。その時々の天皇や政権担当者の 意思に左右されないようにするためにというのが明 文化する意義だと思います。ですので、一代限りの 対応は、不可能ではないでしようが、悪しき先例と なって好ましくないと思います。 今回の対応としては、長寿が進行しているという ことで、公職の定年制を創設するような位置づけで やれば、恒久的制度としても問題はないと思います。 これについてはいろいろと議論があるかと思います
018 限り = 特例法」というロジックを断ち切る思考実験 をしたいだけです。ただ、筋が悪くても法律が成立 すれば、その効力は必すしも否定できない。 横田皇室典範に一般論として定めるということ で、あとは放っておけばいいじゃないですか。「附 則などはおかしいから付けるな」ということで止め ておけばよいのではないですか ? 法形式はどうで もよいのですが、一代限りを明示するようなものを 法律の中に入れる必要があるのかなと疑問に思いま す。 岡田もちろん入れる必要はないと思っています。 制度として恒久的制度をつくるべきです。そして、 その場合、私は、国会の同意なるものがあったほう がよいだろうと考えています。 横田国会決議か何かで、法律形式でなくてやれば よいのではないでしようか 岡田恒久的制度としては、私もそのほうがよいと 思います。 植村議論は尽きませんが、時間が来てしまいまし たので、終わりにしたいと思います。これから来年 ( 2017 年 ) の通常国会にかけて、政府の有識者会議 での議論も進んでいき、法案が提出されるかもしれ ませんので、議論の推移に注目していきたいと思い ます。 本日は本当にありがとうございました。 ( 2016 年 11 月 15 日実施 ) 【追記】 この座談会のあとの 2016 年末から 2017 年初めに かけて、政府は、「おことば」中の「平成 30 年」を 手がかりに、現在の天皇一代に限り、 2018 年末で 退位、翌年から新天皇の即位というスケジュールを 既成事実化してようとしている。昨日 ( 1 月 23 日 ) の第 9 回の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識 者会議」で公表された「今後の検討に向けた論点の 整理」を見ても、摂政設置の要件拡大については、 3 件の「積極的に進めるべきとの意見」に対し、 7 点の「課題」が提示され、「退位」について 8 件の「積 極的に進めるべきとの意見」に対し、 8 点の「課題」 が提示されているものの、「将来の全ての天皇を対 象とする場合」については、 10 件の「積極的に進め るべきとの意見」に対し、 23 点のも「課題」が提示 され、一代限りの退位については、 4 件の「積極的 に進めるべきとの意見」に対し、 3 点のみの「課題」 が提示されるにとどまり、一代限りの退位の方向性 を強く示唆するものになっている。また各種マスメ ディアにおいて「新元号」の話題が取り上げられ るなど、政治による既成事実化を補強しつつあるよ うでさえある。 第 193 国会 ( 常会 ) における施政方針演説の冒頭で、 安倍首相は「静かな環境の中で、国民的な理解の下 に成案を得る考えであります。」と述べたが、象徴 天皇制度は、日本国憲法上の制度であり、それらを どのように制度設計し、運営していくのかは、憲法 問題、すなわち、「日本をどのような国にしていく のか。」を考える際の重要なテーマのひとっとなる べきであろう。「静かな環境の中で」一代限りの退 位という政府方針で早急に決着をつけることなく、 国会において慎重で丁寧な議論が積み重ねられるこ とを求めたい。今の天皇の「お気持ち」を忖度した 立案という外観が、実は、今回の退位の要件を明確 化することを避けることに結びつけば、結局は、 体なぜ今回の退位が認められることになったのか、 という肝心の点がばやけたままになってしまう。ま た、たとえ今回が特例法になったとしても、次回も また特例法でという先例になるとすれば、今回限り の問題であると済ますわけにはいかないのである。 座談会が始まる前に、横田先生が、憲法学界では、 象徴天皇制度について、お互い直接に議論を噛み合 わせることをせずに、言いつばなし、書きつばなし の議論が多かったのではないかという感想を漏らさ れたのが印象的であった。横田先生ご自身が多くの 発言をされてこられ、また、象徴天皇制度について もそれなりの議論がなされてきたのではないかとい う印象を抱いていた私には、意外であった。ただ、 考えてみれば、雑誌における憲法特集やテキストな どで「象徴天皇制度」に言及されるものも、それ らは落としてはならない論点として言及されること が多く、議論が交差する場におかれた論稿ではなか ったことが多かったのかもしれない。多くの憲法学 者が今回の事態の推移を傍観することなく、議論を 提起し、それらが交錯し、蓄積されていくことを期 待するものである。 ( 2017 年 1 月 24 日植村勝慶記 )
012 であって、憲法から考えて必然かと考える議論の余 岡田そこは国民の意識なので、民主的プロセスで 地はないですかね。 決めればよくて、憲法学は、そこにこだわらなくて 横田たしかに、憲法の条文を読むと、皇室典範を もよいような気がします。制度論は別途論するとし 変えて、摂政をみんなで選挙するということは論理 ても、まずは、象徴の消極的機能の面で、「玉座の 的には可能です。 みの天皇制」があれば憲法的には十分という認識で 岡田究極的には、そこまで行き着く。ただ、前半 す。その上に何を載せるかは、主権者が決めること の議論 ( 前号 ( 上 ) ) でもあったとおり、あるべき天 です。 皇像というものを皆がそれぞれもっているのと同様 植村憲法学から内容を充填して決めてかからなく に、摂政でそんなことがあってはおかしいというこ ても、現実的に可能かどうかは別にして、どちらで もいいという議論もあり得るのではないでしようか。 とがどこかにあるかもしれません。 横田政治的権能もない摂政をわざわざ手間かけて 6 議論はどのようなプロセスで 選挙で選ぶくらいだったら、大統領を置いたほうが 行われるべきか いいじゃないかという話になるように思います。 岡田憲法が改正できれば一番よいが、国事行為を 植村次に、生前退位を認めるか否か、認めるとし 隹もできないじゃないかとなったときに、皇室典範 てどのように制度設計するかといった議論を、どの を変えて血筋関係なしに民主的正統性があるかたち ようなプロセスで行うべきかについて考えたいと思 にすることも、天皇制を廃止するよりは心理的な抵 います。 抗が少ないかもしれません。 西村ただ、そうすると、天皇位が空位になってい [ 1 ] 2016 年版の立憲主義の危機 ? るわけですから、万世ー系というフィクションも終 岡田まず、天皇に関わる問題を議論するに当たっ わっているわけですね。 ては、前半の議論 ( 前号 ( 上 ) ) でもあったように 横田全部終わり。 旧憲法と現憲法では、天皇の法的な地位や性質が根 植村万世ー系というフィクションは、憲法上の前 本的に異なっていることをおさえる必要がありま 提ではないから、こだわる必要はまったくないので す。特に旧憲法時代には、政務の法である大日本帝 はないでしようか。 国憲法と宮務の法である皇室典範の二元的法制度が 西村もちろん、そうなのですが、しかし国民心理 設けられ、皇室自律主義が採られていました。現憲 の問題は残りますよね。 法はその二元性を打ち壊して日本国憲法の下に一元 植村そうですね。 化し、皇室典範を国会の制定する法律に位置づけ、 岡田はるか何代も皇統を遡って人を探してきて、 宮務を主管する宮内府 ( 宮内庁 ) を内閣の下に置い それを養子にしろとかいろいろやることは考えられ て、民主的責任行政の枠組みで皇室制度を維持する るでしようけれど、究極的に血筋が絶えることは理 ことにしました。ですから、宮務の事柄である皇位 論的にあり得ます。 継承も、政務の事柄ーー国政の問題ーー - である、 横田そこまでいったら、私などはやめてしまえ、 ういう構造が出来上がっているわけです。ですから、 憲法を変えたほうがいいと思いますけどね。 皇位継承の議論は、国会と内閣が責任をもってコン 岡田政策論としてはともかく皇位の安定的継承と トロールし、民主的責任行政の枠の中でなされると いうことに、憲法学がどこまで関心を払う必要があ いうのが本来の姿です。 るのか、私は、そんなの勝手にすればいいじゃんと にもかかわらず今回は、 NHK のスクープという いう立場です。 名の宮内庁のリークから話が始まりました。まずコ 横田私もそういう立場です。 ントロールできないような世論が出来上がってしま 西村それはそうなのですが、日本国民が、皇統が って、そこに天皇自身の会見を組み合わせて、仕方 断絶してもなお天皇という存在を戴こうと思うかど なく内閣が動き出すという具合に、民主的なプロセ うかは微妙な感じがして、先ほどのようなお話は、 スを無視したかたちで事が進んできています。結論 あまり現実味のある議論ではないような気もします。 が良いならばいいじゃないかという意見もあるでし 二一一口