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検索対象: 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)
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1. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

冫え嚀、外満諸 心臨 菅公一千年祭の湯島天神男坂 5 月 25 日は湯島天神の祭日である。祭神菅原道真は 25 という数字に縁があって、京都菅原 院に生まれたのが承和 12 年 ( 845 ) 6 月 25 日、藤原氏に嫌われて太宰府に流されたのが延喜元 年 ( 90D 1 月 25 日であった。そして、亡くなったのが延喜 3 年 ( 903 ) 2 月 25 日である。そのた め、菅原道真を祀る全国の天満宮 ( 天神 ) は 25 日を縁日としている。さらに 25 年ことには全 国規模での大祭が行なわれる。明治 35 年 ( 1902 ) の舂には全国的に菅公一千年大祭が行なわ れた。湯島天神男坂下は天神町 2 、 3 丁目と呼ばれた下町で、梅鉢紋を入れた提灯を掲け、 手古舞 ( てこまい ) 姿の娘たちで賑わっているのがわかる。 「風俗画報』 ( 明治 35 年 ) 収載「湯嶋天満宮男坂の景況」

2. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

押すな押すな凧をつぶすな神田明神「年の市」 年始用品を買う年の市は、 12 月 15 日の神田明神、深川ハ幡を皮切りに、 17 日の浅草寺、 25 日の湯島天神、そして最後が 28 日の薬研堀不動様。神田明神の年の市では、凧屋が店を開 いていた。凧は、関西で「いかのぼり」、関東て「たこ」と呼んだ。凧屋の店先に高く掲げら れたのは、「大入」のタコの看板。人混みのなかで凧をつふされないように持ち運ぶのには、 この絵にあるように、天ばり ( 上 ) の中央を押さえて頭上に持ち上けるのがいちばんである。 ー景画「東京名所四十ノ \ 景神田明神社内年の市」明治 4 年

3. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

弥生美術館 夢一一・華宵をはしめとする常設展示 812 ー 0012 有料文京区弥生 4 ◎味どこ 251 ー 7911 天野屋 明神甘酒や江戸味噌、芝崎納豆 251 ー 1229 いせ源 あんこう料理専門店 一炉庵 和菓子、「みそまんしゅう」などが人気 823 ー 1365 251 ー 1088 近江屋洋菓子店 新鮮なケーキと洋菓子 楠亭 フランス料理、コース 12 、 000 円より 813 ー 7218 志乃多寿司 コクのある独得の味と上質の海苔巻 255 ー 2525 松栄亭 夏目漱石も食べたかき揚げの店 251 ー 5511 ショバン 251 ー 6227 昔のままの濃く深い香りの珈琲 竹むら あんみつや揚げまんしゅうが有名 251 ー 2328 天満佐 江戸前の魚貝類を辛めの天っゆで 811 ー 0607 鳥栄 久保田万太郎も食べた鳥料理の店 831 ー 5009 251 ー 2138 うなぎ料理 828 ー 1440 はん亭 木造三階家の串揚げ料理の店 251 ー 0577 ぽたん 地鶏を使った鳥なべ料理 251 ー 1556 まつや 江戸の味が残る手打そば 251 ー 0287 ゃぶそば 風雅な店構えと独得の味 ◎ホテル 293 ー 1911 結婚式場 東京 >-äO< ホテル洋室室べッド、 293 ー 5426 東京 >-30< ホステル室べッド 本館肪室、別館室、スイート 2 室 293 ー 2311 山の上ホテル 千代田区外神田 2 ー 休日ⅱ日 ( ) 御茶ノ水より 5 分 千代田区神田須田町ー 休日日 / 土・ ( ¯) ) 御茶ノ水より分 日 ( 1 ・ 8 月 ) 休日Ⅱ 文京区向丘 2 火 / 第 3 水曜 ( 地 ) 根津より分 千代田区神田路町 2 ー 4 休日無 ( ¯) ) 御茶ノ水より分 休日日第ー日曜 文京区本郷ーー囲 8 月中の毎日曜 ( ) 水道橋より 5 分 千代田区神田濃路町 2 ー 2 休日 " 木 ( ¯) ) 御茶ノ水より 2 分 千代田区神田淡路町 2 ー 8 休日日 / 祭日 ( ¯) ) 御茶ノ水より分 千代田区神田須田町ーー円 休日日 / 祭日 ( ¯) ) 物茶ノ水より浦分 千代田区神田須田町ー 休日Ⅱ日 / 祭日 ( ) 御茶ノ水より分 休日 " 日 / 祭日 文京区本郷 3 ー ( 地 ) 本郷三丁目より 5 分 ( 土曜は昼のみ ) 台東区池之端ー 休日Ⅱ日 / 祭日 ( 地 ) 湯島より 3 分 千代田区神田須田町ーー円休日ⅱ 土 / 日 / 祭日 ( ¯) ) 御茶ノ水より 2 分 文京区根津 2 ーに 休日Ⅱ月 ( 地 ) 根津より 3 分 千代田区神田須田町ー 休日Ⅱ日 / 祭日 ( ) 御茶ノ水より 2 分 千代田区神田須田町ー 休日Ⅱ日 / 祭日 ( ) 御茶ノ水より 2 分 千代田区神田路町 2 ー 休日月 ( ¯) ) 御茶ノ水より分 千代田区神田美土代町 1 ー ー ( ) 御茶ノ水より 5 分 千代田区神田駿河台ーー 8 ( ) 御茶ノ水より 5 分 千代田区神田験河台ー ( ) 茶ノ水より 3 分 休日月曜

4. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

◎おもな年中行事 1 月 1 日初脂 神田神社、湯島天神ほか 神田神社はか 2 分節分 湯島天神 2 月日白梅祭↑ 3 / 根津神社 4 月日つつじ祭↑ 5 / 5 ) 最終日曜孔子祭 湯島聖堂 三崎神社 5 月 9 日三崎神社祭礼 5 月日神田神社大祭日前後の日曜日 ) 神田神社 9 月日根津権限大祭 ( 日前後の日曜日 ) 根津神社 月日古本まつり 神保町周辺 ⅱ月日七五三祝 神田神社 ◎公園 須藤公園 風趣に富む池と山地で造られた滝のある公園無料文京区千榮冂ー 4 虹 " 斗文京区本郷 2 ー 1 本郷給水所公苑 武蔵野を思わす雑木林と西洋庭園のバラ れ * - (. ) 物茶ノ水より 1 分 元町公園 中世ヨーロッハ風の庭園。駿河台のながめがよい無料文京郷ー ◎図書館・博物館ほか諸施設 休日ⅱ第ー 35 日電 / 第 24 月 828 ー 71 無料文京区千駄木ー 第外記念本郷図書館森鶸外関係の資料と庭園 曜′ / 第 3 木電 交通全般に関する資料や実物の展示 251 ー 8481 有料千代田区神田須田町ーー為休日Ⅱ 交通博物館 月 / 年末年始 休日Ⅱ月 / 水 / 木 /. 金 / 日 サトウハチロー記念館自筆の絵や書簡などの遺品を展示 812 ー 3080 無料品 ー 5 休日ー 立体模型や横断模型など各種資料 253 ー 7731 無料田区神田須田町ー 土 / 日 / 祝祭日 地下鉄資料室 休日土 / 日 通運資料室 日本における輸送の歩みを資料展示 253 ー 1111 無料千区外神畑 3 ー ( ) 御茶ノ水より 5 分 ( 地 ) 湯島より 3 分 ( 地 ) 根津より 5 分 ( ) 書茶ノ水より 3 分 ( ) 水道橋よりー分 ( ¯) ) 御茶ノ水より 5 分 ( 地 ) 根津より 5 分 ( 地 ) 神保町より 2 分 ( ¯) ) 物茶ノ水より 5 分

5. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

神幸祭の道順は、地図の上に朱書きで描かれること ◎ーーーー神田祭の見どころ がふつうで、これを「朱引き」または「御朱引き」と 神田祭は、現在では、五月一三日ー一六日を中心にもいう。神社の神輿が氏子の町々をもれなく一巡でき 実行される。あるいは曜日の関係でその前にすれ込むるように、一筆書きで朱引きが描かれている。神幸の ことがあるが、これは明治一一五年 ( 一八九一 l) からの道順は常に夬まっている神社と、年によって異なる神 ことである。それまでは、九月一五日が祭日と決まっ社とがある。最近の神田祭の場合は、はとんど同一の ていた。山王祭が六月一五日であるから、夏の山王祭道順を練り歩いている。 と秋の神田祭となっていた。ただし、旧暦のことであ昔から、神田祭の神幸の場合は、神田橋の中にある るから、九月一五日といえば今の一〇月中旬すぎ、日大手町の旧地、平将門塚のあるところまで行列がおも は短く、涼風が立って祭囃子もどこかさびし気に流れむいて儀式を取り行なう。神田明神にとって平将門が てくる。しかも、時期が時期だけに台風の心配もしないかに大きな地位を占めてきたかをうかがわせる。 くてはならない。事実、明治一七年 ( 一八八四 ) の秋祭礼をスムーズに行なうために、準備から当日の式 は、最も盛大な祭で、山車を四六本も連ねて祭行列が次第一切、さらに後日の後始末まで、多くの町会や係 出発したにもかかわらす、暴風雨に吹きまくられて途員たちと取りまとめに活躍するのが、いわゆる氏子総 おふせぎこうみやかぎこう 中で中止となっている。こういうことも考えてか、神代や睦会の連中で、神田明神には御防講と宮鍵講とい 田祭は春の祭に変更されている。 うものがあり、原則として神田っ子の中から選ばれて みたま 今日では、神社の御霊が神輿に乗って渡御するのは講中に入り、世話や取りまとめ方をしている。祭礼の 一日の行程となったが、明治百年祭の行なわれた昭和ときになると、高張提灯にこの二つの文字を見ること 四三年には、矢の倉の御不動様の脇に御旅所をこしらができる。その中には、千社礼で有名なやっちや場の えて、一夜御泊りになって翌日遷輿された。 「いせ万」や、「いづ赤」という名物男もいた。いづ先 神田—PART 2 歴史余談◎神田祭は庶民の祭 N87 かんよ

6. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

上りしも勤めなれはかな 湯島天神の裏に、啄木の歌の書かれた碑がある。 そこから再び本郷大横丁へと戻る。門構えの立派な家の並ぶ通りから大横丁に出ると、そこは人魚 のレリーフのある「ムサシャ八百屋」である。その珍しいレリーフを角地にながめながら南の横町に 入ると、左手に三河稲荷神社がある。本郷っ子はここを「三九さま」と呼んでいる。以前三の日と九 の日に縁日が出たからである。現在は、毎年六月の一日、二日が大祭となっており、人々でなかなか の賑わいを見せる。 この三河稲荷神社の角を入った路地にも、木造一一階建ての家が続く。一一階には洗濯物がはためき、 通りに面した家の前には鉢植えがたくさん置かれている。ところどころに猫がいて、私が近づいても 逃げようともしない。 こういう環境がいつまでも残っていくといいのだが。 ◎ 今はなき本郷座 しばらく行くと、車の通りの激しい本郷通りに出る。横断歩道を渡る途中、左に目を向けると、東 大の木立ちと本郷通りの並木とで行く手には緑があふれるばかりである。とても東京のまんなかとは 思えないながめである。 本郷通りを渡ったら右手の細い路地に入る。路地の左手には板塀と門のある古い家がきゅうくっそ うに建っている。その隣もモルタル造りの古い二階建てアパートになっている。一歩裏に入ると、今 でも戦前の住居が残っている。その先の小さな三叉路の左に目を向けてみると、幅六メートルの通り

7. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

という物悲しい鳴き声を響かせていたが、その声は昭和三六年から聞かれなくなった。 鳥は、たくさんいた。ざっとあげてみてもカワラヒワ、シジュウカラ、ホオジロ、メジロ、ヒタキ などがいた。なかでも、木のてつべんでけたたましく鳴いていたモズは、うるさいやつだったが、い まは懐かしい。 根津権現には、拝殿の前に、願かけのカヤの木がある。そこには昔、白蛇がすみついていた。白蛇 みようけん は妙見様のお使いだから縁起がよいといって、誰もいしめなかった。私たちが白蛇とよく出会ったの は、雑木林の中である。フクロウのすむ大イチョウの下だった。その白蛇は、青大将の突然変異なの か、わりに大きな蛇だった。別に襲ってくるでもなく、こちらも攻撃をしかけたりはしなかった。 あずき 白蛇はともかく、ヤマカガシはわんさといた。ヤマカガシというのは、小豆色をした小さな蛇で、 草むらをかき分けていくとしよっちゅう出くわした。 では、子どもたちは林の中で何をしたかというと、夏にはセミとり、秋にはトチの実拾いである。 はかに、トンポやチョウをとったり、ドングリを拾ったりもした。 東京の七月六日前後はニイニイゼミの鳴き初めで、七月二〇日ごろにはアプラゼミ、八月一〇日ご ろからミンミンゼミが鳴く。ックックボウシは遅くて八月一一〇日すぎに鳴きはしめる。以上あげたセ ミが根津権現にいたセミである。私はガキ大将のメンツにかけてセミを研究し、セミとりの技を磨し た。そして、いくら根津権現の雑木林が深くてもハルゼミやクマゼミはいないことに気ついた。 セミはトリモチを使ってとった。どちらかというと昼間のセミとりより、夕方の幼虫とりの方が面 白かった。

8. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

一一律背反」 ー今は昔の東大人試風景 ′原稿用紙がたくさん手渡され、以上の五問について O ーーーーおおらかだった入学試験 問一問書き放題であった。今考えてみるとたいへん 私が東京大学の入学試験を受けたのは昭和一一四年の大きなテーマを問題としていたように思う。詰め込み ことであった。旧制の最後から数えて一一回目 ( 実際に式の教育ではとても答えられないような間題ばかりだ。 は白線浪人救済の入試が臨時に加わったので三回目なそれまでいかに、良書との対話を繰り返しているか のだが ) の入試である。 そして、自分の人生観、世界観をもっているかどうか 私は法学部の試験を受けたわけだが、その当時の入で決まってくるといってよいだろう。 試は一一日にわたって午前中の八時から一一一時ごろまで、一方、二日目の外国語の試験は、英、独、仏語の中 それぞれ行なわれ、第一日目は論文の試験で、第二日から一科目を選び、選んだ科目ごとに一一問出題があり、 目は外国語の試験であった。 全文を正しい日本語に直すというやり方だった。 私の記慮によれば、第一日目の論文の問題は次のよ ただし、一問とはいっても、縦五〇センチ、横三〇 うなものだった。 センチの問題用紙一一枚にぎっしりと英文が書かれ、全 文を日本語になおすという問題だった。出題のうちの 「近世における英国の地位につき論せよ」 ひとつは、・・ミルの「自由論』からであったと 「法と道徳との関係について論ぜよ」 田じ、つ。 「仏教が日本文化に及ばせる影響につき述べよ」 「民主主義における多数決の原理について論ぜよ」 原稿用紙は便箋のような縦の罫線の入ったもので一 「次について知れるところを簡単に説明せよ。一一者枚に一六行印刷されている。ただし、必ず一行おいて 択一でよい 書くこととし、一枚に八行と決まっていた。外国語も 同じであった。 レ・セ・フェール政策 103 ぶらり湯島・本郷歴史余談曵フは昔の東大入試風景

9. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

38 28 18 今湯島 台東区 や湯島天神男坂 蕩島・本 本郷逋り・春日通り 湯盛 千代田区 卍霊雲寺 日立病院 、日島 2 丁 幵恋神社・・ 湯島•V 目 東京医科歯科大学 ぉ今御茶ノ水ー一相生坂ー 代田区一一日販 日神田 医院 日立本社

10. 湯島・本郷・根津・千駄木・神田 (東京路上細見)

主婦の友ストア 日大病一 1 す目日大 0 一硎罅朝 神田駿河台日 ロ響 \ 3 丁目・ 4 丁目物 名倉病院コ ~ 、梦カ聚楽 1 第コ淡路示 損保会館第 、神田淡路町 = 丁目 丁・ , 小川町向和病院・ 目 ! YMCA 今淡路町。 ま通博物館 神田須田町 1 丁目 千代一 駿河台下 ) 由小川 3 丁目 湯島平 神田錦町 3 丁目 田錦町 神田多町 日丁目 神田鍛冶町 / 3 丁目 内神由 1 、 - 日丁自 神田須田町 2 丁目 東松下町 内神田 3 丁目 町丁 2 鍛冶町 、、 1 丁目 岩本町 2 丁目 中央区 200 500n1 300 18