たむ事うたがひなし。性能ものは、めっしぎはつよく、不性なるものは、 めっし安きなり。次に冬日つよくてりては、種井にためをきたる水かわ き、氷にとちらるゝ事なく、雨しげき冬は雨水斗に成。然ばこゝろまゝ に寒の入まへに、清水を船に汲込て、大・小寒をとをし、其水を以て種 かしをしたきもの也。悪水にて種かしをしては、稲不性に成て、米の取 出し曾てなく、損多きとしるべし。 ちゅう 〇種かしは二月中よりまへそよき 節もすぐればまきごろもすぐ ちゅう 伝云、二月の中に至て種かしをしては、必をそきなり。節のうち七日十 = 二十四気の春分にあた る。陽暦の三月二十一日頃。 わせ 日、此日数をか & すべからず。節十五日のうち、初五日早稲の籾種かし、三二月の節。中の + 五日 前。陽暦三月五、六日頃に おくて 中五日中田籾の種かし、後五日晩田の籾種かし、順々如 / 此覚べし。種あたる。節に入る日から七 日、十日頃。 四みい かしをそき時は苗代をそくなる。苗に実入らざれば、稲茂てかね、取実充実する。十分に生育 する。 なし。苗代も三月の節十五日のうちにしてよし。尤春寒き年と、春あた ゝかなる年とあれども、四季・節極定しては、みのりぎは秋になりてか わる事なし。たとへば大風・洪水は人の身にやまひをうくるごとし。 なかて 五季・節をきめさだめて 農事をすれば、秋の収量の 程度一定する。 一減し際強く。ほろび死 にぎわに耐久力が強い。
一四季の終りの十八日間。 したがって、冬の土用の終 りの次の日が立春、春の土 用の終りの次の日が立夏、 夏の土用の終りの次の日が 巻一四季集 立秋、秋の土用の終りの次 の日が立冬となる。立春・ 立夏・立秋・立冬などは、 太陽の運行によって定める。 ここに説明する月は月 百姓伝記一之巻四季集序 の満ちかけによって定める 陰暦の月である。 三底本のまま。開闢。天 抑春夏秋冬を四季と云。一季七十二日宛なり。一季七十二日終りて 地の開けはじめ。 ずつ一どよう は、十八日宛土用あり。四土用の日数七十二日。四季と土用の日数を 0 底本「づを」とあり。 祭魚洞文庫所蔵本 ( 以下祭 あわせ 合て年中三百六十日也。是は大方の日数、月々に大小有て、大の月は三本とよぶ ) の「づゝ」をとる。 五五運六気の略。五運は 十日、小の月は廿九日、また土用のうちに十八日、十九日を用て、月日五行の運行、六気は陰・ 陽・風・雨・晦・明をいう。 の延びちゞみをし、天地開白以来の日よみ六十づゝくり、昼夜の時剋を二 + 四気と関連をもっ気節 の区分である。後出の「節」 わかつ。運気のたがふ事なし。唐土・天ぢく・我朝の智者たちしり給への注参照。ここでは自然の 四季のめぐり。 わたらい 大伊勢の皇太神宮。 る御事也。今伊勢国渡会郡用田、伊豆国三島にて暦のはかせ我ものにし セ古来この地の河合氏が うりわたす て、毎年こよみを作り、板行して国々へ売渡。日・月・昼夜長短・四暦を作って頒布した。貞享 改暦後は伊豆・相模に頒布 季・節毛頭違ひなく、諸民賞翫すゑ平親王将門の古へ、下総国相馬郡した。 ^ 奈良・平安時代 陰陽寮に属して暦数のこと を掌った者。九二十四気 に都をたててこよみのはかせなく、年月を我まゝにかそへ給ひし程に、 そもそも 四 いにし
すぐればをそきものとしるべし 伝云、種かしをする時節は、二月の節に入て、二日三日めより早稲種を おくて なかて かし、水にひたす。中田の種を六日めに種かしする。晩田籾を、また二 日三日もをそく種井に入るゝなり。十日のうち、また七日のうちに早 一四 稲・中田・晩田ともに種かしする事、古法なり。当時は二月中にか & り一四二十四気の春分にあた る。 てみな種をかして、をそきと心得べし。をそき苗はやわらかにして、手一 = 播種・移植した苗が、 地になじんで、生育しはじ さっきなえ めること。 なをりしかね、茂てかねる。五月苗をとる時節、苗のびるといへども、 苗にちからなく、植るうちに中をれし、水によれて失る事数々なり。た とへば生類子をはらみ、うむ事、月かさなり、治定してうみたる子は、 たっしゃ 必達者なり。月にたらずしてうみたる子はそだちがたし。草木もみなそ 抄 と、よ , 、 同 のごとく、時能葉をいだし、花さきては、梢のびやすし。時至らざるに 百生る草木は必やまひ付事多し。 〇種かしをいそぐ苗代なをはやし 巻 勧納もまた時はやきなり 古農の伝に云、種かしを二月節前よりいそぐか、陽気がちなるたな井に 245 一六かんのう じてい わせたね とあることよりみれば二 x 五 = 一〇日のことであろう。 一六田植のこと。
夏に雪・霜降、六七月にあつごをりはるとなり。十二月を丑の月に定む。のこと。太陽の運行に従。 一ニうるうづき て一年の気候を二十四に分 けて定めた日。太陽暦で一、 十二ゐんゑんのあらはす儀也。月々に大小なく、閏月と云事なければ、 いたり 二日の間に定まっている。 一 0 日月地球の運行を考え 春が夏になり、夏が秋になり、秋が冬に至、天地各別の沙汰となりて、 とうじ さだむ ないで、十二支の寅を正月、 六月雪の降ゃうに小よみおもてなる也。唐には冬至を正月と定るとなり。丑を十二月に定めたこと。 一四しもっき 一一十二因縁。人が前 本朝の霜月にあたる。陽気のめぐみ此月よりあり。物をかき、ものをし生から今生に生まれ、老い て死し、また次生に生まれ り給ふ人は、こよみを見、運気をくりて、四季・節をしり給はん。一文る三世輪廻ん ) の有様を みかづき かなわず 十二項の因果関係で説くも の。ここでは子から亥にい 不通の土民は其儀不 / 叶。我々が国里にて朔日より三ヶ月を拝み見覚へ、 たる十二支を示す。一 = 日 十四日より十六日の満月のみちかけを拝み覚へ、春秋二季の彼岸日ざし数を月の満ちかけによって、 朔から次の朔の前日までを を拝み、四季に出るほしをお・ほへ、十二月のうち日月は何れの山より出一月として定める太陰暦に あって、太陽年とのすれを させられ、西の山の端に何月何日の月日は、何時に入らせらる & としり、調整するために設ける月。 すぐたておき さだまり 一七 一三暦。一四陰暦の十一月。 我々が屋敷のうちに、寸尺の定たる竹木のすぐなるを、直に立置、昼夜一 = 新月 ( ) にあたる日。 集 おぼえ かざみ 太陰暦の月始めの日。 の長短を日月の御影にて覚よ。風見と云て立置竹木のさきに、紙かきぬ一六春分 ( 陽暦三月二十一日 頃 ) ・秋分 ( 陽暦九月二十三 四をゆい付置て、東西南北の風をこゝろ見よ。春夏は地より天にかぜふき日頃 ) を中心とした前後三 日ずつ。昼夜平分の日であ 一あぐる、子ども・わらべのたこをあぐるを見よ。秋冬は天より地へ風ふる。日時計である。 ふきさぐ一九のわき 一へ絹布。ぬの ( 麻布 ) 、も きつくるにより、風見を吹下る。野分の大風秋に至りて必ふき、損亡あめん ( 綿布 ) と区別する。軽 くて動きやすい。一九秋か 3 . りノ 。春夏は陽気あらはれ、秋冬は陽気沈み陰気となる。鳥類・畜類・万ら冬にかけて火く疾風。 一五ついたち たておく
246 て籾の目をきらするかして、種蒔ごろおのづからはやくなり、目のびす る時はさながら苗代を五三日もいそぐ。苗代を五三日も時はやくすれば、 一稲の主稈は種類により 田植を十日も十五日もいそがねばならず、いそがぬときは苗にふしたっ 十二 ~ 六節よりなる。この 物なり。苗にふしたちて植るに、曾て稲に子のさくことなく、穂も小穂うち下部の節から分枝 ( 分 蘖という ) を出す。こ の節が、苗代中で多く出米 なり。種かしは一日二日をあらそひて、勧納の時節に遅速ありて、必稲 ることをい ニ分蘖 ( 枝わかれ ) 。普通 にやまひ付。暦文を能かんがへ、前年より覚悟あるべき事也。 栽培では主稈から出る分枝 ( 第一次分蘖 ) まで籾をつけ る。 三暦に関する知識。ここ 〇種井をば朝日夕日の能さして では皇大神宮暦のような刊 行された暦であろう。それ 渋なき水をかねて用よ によって二十四気や月の 一農甫の云、種かしの井には、朝暮共に日よく当、渋なき水を用てよし。節・中が陰暦の何月何日に あたるかをたしかめ、農事 の時節を定めよというので 渋の土地、定りて水の性あしきなり。稲に成て色々悪米とへんずるは、 ある。 種井の水性の善悪故、十をば二つも三つもあく米となる。稲に子のさく 事を茂てるとは云。茂の字をしげるとよむによりてなり。茂てる時分は まれ たねかはること希也。種井・苗代田に肝要は有ものそ。草花のるいの色 々にかはり、世上にもてあそぶを見よ。みな土の善悪よりをこれり。草 木は、雨露の恵み、性よき水を以やしなひそだつれば、稲に子もしげく 三れきもん こ
来 へ伝 よ し 、草 植木米農 稲水四数三種 の 出 来 は頭告 故す 、油 れ月 に 米 毛す 十間 大 し の也 。ち し作 に て 、も 取 出 か天 し 多 。を し 。生 米 。苗 能 に念 、手 故 遅地 しす に づう 米 は理 へ代 籾 を ば に た て て お も き ぼ斗米 をり 用 る 時 苗 ひ よ く 五て ど も 々 の も の な れ ば く せ し ゐ オよ は多な し さ る よ つ て か ろ に ム 籾 を 出で 穂ほ の う ち に て ゑ り と り し き を る と い 力、 ろ き を さ り て そ よ 〇 種 も み を 寒 の 水 に て あ ら ひ び ら き の 十 日 十 五 日 の 遅 速 に な る と 知 べ し よ り 時 蒔 ろ を 0 よ 事 多 。種以種数 の 時 な ら の に 力、 な ひ て も 方 か く る 故 に 主員 多 き な り し 日 日 の さ 野 に 時 節 わ す る ゝ づ事百 な し 。毛外 の 物 をよ 家 内 に を き す る に し ら て有植ず作す取 に 問 ひ 断 有 敷 大 か た 種 か し よ り 代 に つ 田 に と な る ま で 日 内 日 か ゝ る な り を の 力、 ら 山 年 の 大 甫切此 オよ る 本 冬 の う よ り 節 の か わ る と を か ん カ : こ稲 拵の に出 選五す軽四三 す籾る籾水数 別てい き う る損 ろ ば十年 日 の 内納 外 のニな 田しら 案えず ち が妻 ふ子 也食 種 か 田 は 考 ん 254 作 を 御ー 地じ 御 上 も の も く ん 主 るを こ玄 と米 。と し 米 と し 。はに多 水まい にぜ 浮、 くか こた れて をる
ひかずはつか 〇種かしは日数廿日とき & しかど 目きる & 時をあげどきとせよ 老農の云、種籾を種井に入て、日数廿日程には必目ふくらむといへども、 あたゝかなる水とひやゝかなる水とのかわりありて、約束のごとくなら ず。陽気さし能所のもみは、はやく目を出し足をふみ出す。陽気うすき 処の井にひたしたる籾は、をそく目きれるなり。とくと日数廿日目に籾 の目のきるゝを、節にあひ、時に相応の種井と知べし。種井に籾をひて とりあげ 十四五日も過たらば、一日に弐度も三度も取揚、あなたこなたをあけて、 様子を可ニ見斗→必俵のうちにて足ながく、目をのびさする事なかれ。 抄 同 依 / 之、日数にかゝはらず、目のふくらむを、種井よりの揚時と心得べ 首 代 巻 〇種籾の俵を井よりあぐるには 土気をあらひて日にほしてよし 伝に云、種籾の俵を種井よりあぐるときは、俵にどろけしみ付てあり。
〇種もみを木下・日かげで取をくな 苗をひあしくもてかぬるなり 伝に云、種籾を木下・日かげで取てをく事悪し。必うつけ地多し。雨露 の恵み甲斐なく、終日日さしもあしき故、米の性あしきなり。地性能と ても、かやうなる地を、ふかくいむべし。 〇種もみは朝日・夕日の能さして 西風あてる土地をもちひょ 古農の伝云、朝・暮の日さしよくして、雨・風のあたる土地、真性地な 抄 同 り。南風・東風斗のあてる地は、作毛不性なり。朝日・夕日の能さす処 百は、終日共に陽気一ばいの土地なり。陽気斗つよくしても、西風のあた 苗らざる地は、作毛の実入あしきものなり。たとへば生類のいきをするご 力し とく、風は天地のいきなり。稲も穂に出、天気せいろうの日には、 らのロをひらき、天にむかひ、穀をうくる。夜間は陰気にむかひ、ロを ふさぎて、露をうくる。是みな天地の道理にかなふ儀なり。是等の地に ばかり
れ、諸事にかぎりなくおごり有、我より下の者ばかり見れば、渡世にお ごる心なし。三千の衆徒、参詣の貴賤・男女への御いましめ也。左の手 に袋をとらへかつぎたまふは、上にあらはるゝ袋にはあらず智恵袋なり。 つか ) 諸民なすわざ・きく事を気味し、我々が真意の袋に納置て、遣時おもひ一香と味をしらべること。 薬草の効果をしらべること 出して取出し、つかへとのみせしめ也。右の手につちを持給へる事、諸で、ここでは経験をしらペ あわせる事。 民事々をつとむるに、手をあそばせず、昼夜一一六時中かせげとのみせし めなり。衣類・づきんを黒くしてめされしは、諸民寒気さへしのぎあた ゝかにあらば、身をかざることなかれとの御いましめなり。俵を二俵ふ ずつ まへ給ふ事、当世の土民家ごとに二俵宛は持べし、富貴とはいひがたし。 其御こゝろにてふまへさせ給ふにはあらず、いつもあとのすかぬ様にた くはヘをして、我々が妻子けんそくをやしなへとの御いましめ也。御縁 = えんにち。有縁の日、 結縁の日の略。祭典・供養 の日。 日をみづのゑねの日に定め給ふ。御供を備へ奉るに黒米一合に大豆を合 三壬子の日。壬は十干の 四ます し、たきて升にもり、二また大根をそゑ、すへ奉る。山門の大衆末代迄第九位。子は + 二支の第一 位。十干十一一支を組み合せ て、暦の日に配して、壬子 おごる心なく、ひゑひ山繁昌の御いましめと承る。御当世寺々・商人・ にあたる日。 土民たなのはしにすへ奉り、福徳をねがひ、御馳走申、百人は九十九人 0 枡。 心入ちがふべし。大黒へは黒米の御供を備へ奉り、我々妻子けんぞくは
も、御公儀御地頭に御大切なる御なんぎあるときは、妻子・家の子もろ一御難儀。難問題。 ともに、命かぎりに御用を達し、一るいのなんぎをすくひ、同村友百姓 のいひかはす事を少もたがヘず、他の田畠の畔をかすめず、人にうけた る恩をわすれず、妻子等にも常に露ちりほども偽りなく、あらしこ・家 のこなりとて、物をいひつけ、申きかすることにそっともへんせず、物 = 偏せず。かたよらず。 をもらひたる所へは此ほどもそれる \ に送りとらせ、金銀米銭をつかう 所にはをしまずつかひ、つかふまじき所へは一銭をもむさとせず、所用 0 軽はずみしない、無分 別にしない。 ありて見廻所など無沙汰なく、いひ出したる事・なすわざの少もたがは ずっとむるを儀理者と云ふ。 一、礼とは礼拝の事なり。上たる御人は初春よりはじまり、元日元旦の 六つきなみ ついたち 三旧暦正月七日、三月三 諸御礼・五節句・朔日十五日廿八日、月次の諸御礼、仏神御祭礼等かゝ 日、五月五日、七月七日、 かなわざる し給ふ事なく、上下万民っとめずして不 / 叶義也。礼拝なきは、鳥類・九月九日の年内五度の節句。 六月々定ったの意。 ぎようずい まず 畜類も同意也。土民たる人は先前日さかやきをそり、行水をして、翌朝月代。頭の一部をそり おとすこと。 早天よりかみをゆひ、父祖の尊霊を拝み奉り、村里の氏神を礼拝し、父 へ村役人。 九 母兄弟妻子我子までに、それみ、礼儀の言葉を勤め、猶村中の官・五村中の百姓を五戸すっ 組にしたもの。ここではそ の代表者。 人組をはじめて、諸礼を勤るが、人農の役なり。また土民たり共、な 五 四 一一約東事。