作っ - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
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1. 魔頂チョモランマ

ようにすることは容易なことではない。彼らの重労働、苦労が身にしみて分かる。手がこごえただろ う。息が苦しかったに違いない。心ではそう思いながらも先を急いでくれと言った。 「ヨンデンたちが先ほど通過しました」大蔵からそう言ってきた。こちらの方はへの酸素等を持 ノ / カ 0 3 に一泊せず、一気に 0 4 へ登るという行動で、これも 4 へ ち、本日 ro 2 を出発したシェレ。、 ; 早く荷上げするために作ったスケジュールだ。彼らは一気に行くために、を朝早く出発し、 にいる人間より早く、からへと向かったのだ。皆ガイハッている。失った荷は大きな損失だ が、それ以上のパワーが今働いている。 十二時過ぎにを出た大蔵パーティを、双眼鏡で確認した。では四泊五日の旅から帰ったメ イハーたちが、下着一式から手袋、くっ下等の洗濯や、洗髪に、日の照る午後を費やしていた。 0 からは、ヤク工作員が e 0 に残していたテント、ザイルを上げて来た。この時点で私たちは、ダ メージに対するフォローはまずまず出来たと思った。大蔵パーティが本日を作るだろう。早川 ーティが二十三日に作るはずだったが、リタイヤし、その後、貫田パーティ、福島パーティと、悪 天、アクシデントで三日遅れた。しかし、明日出来ればまだまだ時間的には余裕がある。大丈夫。 r.-) からのテント類と、張さんがラサに行って取って来てくれるはずのロー。フがあれば、 0 4 、 5 のルート工作用品もそろう。彼は明日帰ってくるはずだ。これも大丈夫。 しかし、この安定した思いは、半日しか続かなかった。午後九時、大蔵から交信が入った。「私た ちは七時半ごろ地点に着きましたが、なにしろ風が強くてテントが張れません」もう満天の星 空。その中で彼らはまだテントが張れていないという。

2. 魔頂チョモランマ

が早かった。下で双眼鏡で見ながら誰が早いとか、誰がルートに詰まっているかとか語りながら、ゲ ームを見るように、しばし楽しんだ。天候は相変わらずパッとしない。上空は雲に覆われており、風 花が飛んできた。雪がきそうだ。テントにフライシートをかけたほうがいいんじゃないかと思い、 イビーシートをかけるよう、サーダーと隊員に指示したが、サ 1 ダーも副隊長の貫田も、今日は大丈 夫といい、実行しなかった。 夕飯は野菜がたくさん入ったスパゲティで非常においしかったが、幸せはつかのまだった。夜には いって案の定、雨が降ってきたのだ。途中で起きて貫田に雨の対策を立ててもらったが、風間隊のほ うのテントはビショぬれだったようだ。 翌十七日、朝、曇り空。「本日はシェルバたちになにをさせましよう」と貫田がいってきたが、「た まにはシェル。 ( たちも休ませたほうがいいんじゃないか」と話した。ところがシェルバはもう自分た ちの仕事はきめていた。まず平たい丸い大きな石と、コロコロした握りこぶしほどの丸い石を二つ河 原から持ってきた。火にかけたコッフェルの中には赤トウガラシがい つはい。ニンニクは皮をむいて あった。何をするのかと見ていると、ニンニクとトウガラシと塩、それにショウガを入れて、いわゆ び るシェル。ハ独特のコラサニというチリペーストを石ですり合わせながら作り始めた。 再 マ 彼らは今後二カ月余りの登山中の食生活準備をはじめたのだ。こちらも彼らの常食であるツアンパ の買いつけをしてあげなければ。午後は雨がパラバラする肌寒い状態だったが、貫田、福島、大蔵、モ それにサーダーとシェルバ数名でジャパンという上の部落にツアンパを買いにいった。貫田たちがツチ アンパを買いにいって三十分くらいたってから、馬に乗った男の人がキャン。フへきた。

3. 魔頂チョモランマ

ークする時のテントの支柱に ここに落っこっていたと言ったそうだ。要するに、ポールは途中でビ・、 していたのだろうし、砂塘はやはり、輸送三回、四回となると、どれが自分たちのほしいものなの か、ポックスの中に入っていても分かるらしく、中でほしいものを抜いていたとしか思えない。 酔っぱらって荷上げ 翌三十一日。朝からシェルバたちがとても張り切っている。キッチンテントの中では、お皿の中に ンパェビセンを置いて、要所要所にバターを置き、 ツアンパをこんもりと盛り、その斜面にグルリとカ、 砂糖もふりかけてあるというようなものを作ったり、いろいろな種類のビスケットを置いた。中に昨 日のヤク輸送のとき、樫原が、 e 0 の張さんからのおみやげだといってきたメロンと梨を切って入 れてあった。これらのフルーツは、確か昨日、皆で食べたはずだったが、コックが隠しておいて、今 日のセレモニーのために、とっておいたらしい 祭壇には、いろいろなものが並べられた。例えば、ビール、コカ・コーラ、そして樫原がネ。 ( ールか ら買って来たお釈迦様を中央に安置。これは大蔵のアドバイスで、これを持っていくとシェルバが喜 ぶそといわれ、樫原は買って来た。私は、彼が買って来たとは知らず、祭壇中央の仏像を見て、最近再 はセレモニーもかなり本格的になったと思った。最後にシェル。、は、「サープ、ロキシー」と言った。ン お酒のことであるロキシーはない。そこでウイスキーを持って来たが、サントリーとニッカ両方あるモ チ ので、関根がスポンサーに気を遣って、不公平にならないように二本出した。 / ターをつけ ただ形式的に飾るだけではない。きっちり封を切って、そして飲みロのところには、く

4. 魔頂チョモランマ

等々、各所に積んであるカートンポックスを種類分けし、今夜のための水作りに専念した。きれいな 雪をとって来て水にして沸かす。一 リットルのなべにお湯を作るのに約四十分はかかる、 01 へ戻っ て来るシェルバのためのミルクティと・フラックティをまず一本ずつ作り ( 一 リットル入りのステンレ ス製魔法ビン ) 、さらにお湯を三本作った。 / 彼らの食事用、その後、やはり本日 01 に戻る貫田パ ティ用のミルクティと・フラックティ、そしてお湯二本。 早川は次のシェルバのグルー。フ用の荷上げ荷物、 0 4 までのダイレクトの分を作り、近藤はプリン を作っていた。三時ごろ、早川は仕事を終わり、 o へ下山した。「あっ、早川さん帰っちゃった ? プリン食べるの忘れて行った。ボクはチャンと食べて行くもんねえ」近藤は一人で自分の作った四人 分の。フリンを食べはじめた。「全部食べないで、次に来る人に残して行ったら ? 」昨日から細切りス ルメをおそう煮に入れて食べたり、いろいろお腹をこわしそうなものをいつばい食べた彼、下痢して も、残したらもったいないからと全部食べる主義の彼が、マイナス三〇度の雪洞で冷えきっているプ リンをカ 、・・、ツ、ガ・ハッと口に入れているのを見ていると気が気ではない。彼は半分ほど食べて「そ うだね」とカツ。フを置くと、四時ごろ、「ソリに乗って帰ろう」と言って出て行った。彼は荷物を入 れて運んで来た。フラ / 。、ールの箱を使って、べースキャンプでスノーサーフィン用のソリを作っていた が、それを直下までもち上げていた。 五時半、 0 3 の大蔵から交信が入った。「四時半には 0 3 についていました」昨日のことがあった ので、本日は一番はじめにしかも明るいうちにはいったという。 六時半、再び大蔵から、貫田パーティが七。ヒッチルート工作し、戻って来てを通過して下がっ

5. 魔頂チョモランマ

に。二人の分は全くなし。関根は、「一東が二百グラムで、普通は百数十グラムが一人前だから十分 と計算したのに」とあっけにとられていた。乾燥ネギと乾燥ホウレンソウの混合した物を水でもどし て、薬味にし、ウナギのかば焼きの缶詰を一つ開けて、ティンディが切ってくれた細切りのノリと、 それにワサビ。一斗缶の中に入っていたそばっゅ。これで全く日本の味。私は当初の計画通り自分の 分のおそうめんをゆでた。その間におそばはみごとに四人のロに入ってしまった。なんということだ。 私が自分の分は別におそうめんを作ることなど彼らは全然知らないはずだ。それなのに隊員の誰も が、私の分のおそばをとっておかなければと気遣わなかったのだ。少々頭にきた。ところがさらに追 い打ちをかけられた。おそうめんがゆであがって出したら、「ウワッ、こんなのがあったんだったら、 こっちがよかった。先生はおそばは嫌いだけど、僕はそうめんだったら幾らでも食べられる」と大蔵 が言う。「もともと私の分なんか考えないで、おそば食べちゃったんじゃないのよ」と言って、少し 彼らはメゲなかった。「そんなに食べ 怒り気味のポーズで、おそうめんを独り占めしようとしたが、ノ 切れるものじゃないですよ」、大蔵も、大矢も、みんなおそうめんにじゃんじゃん箸を出し、食べて しまった。 ミンマに申しわけない。しかしかれは、 結局、ミンマとティンディの分はなくなってしまった。 「いいよ、いいよ」とほほ笑みながら目くばせし、「自分たちは朝の残りのご飯があるからそれを食べ ます。シェルバたちはあんまりおそばは好きじゃないから」と言ってくれた。ティンディは、水を汲 んで戻って来て、残りのおそうめんにそばっゅをかけてさっさとかき込んだ。本当は、二人ともおそ ばもおそうめんも、食べたかったんじゃないかなあと思っている。「ヤア 1 。しばらくぶりで日本の 115 烈風に負けず

6. 魔頂チョモランマ

転手さんが一人いるが、いいだろうかと聞かれたとき、私は、チベットでは殺生を嫌うはすだと一言 いったが、一応我々としては別に何も文句はないと言ったところ、実際に持って来た鉄砲二つ、これ は運転手さんのではなくて、張さんのだったのだ。 先発隊は、十二日にに入っていた。荷上げを続けていたが、十五日から時ならぬ大雪が降り 続き、べースへの荷上げは全くできなくなっていた。サーダー以下、シェル。 ( たちはチベット語が通じ る上に、信心深い。まして登山の開始時で、荷上げに苦労を強いられれば、殺生が原因で天候が悪く なったのだからと不満を言い働かなくなる可能性もある。一方、これから三カ月、で管理をす る張さんに対し、好きな狩猟を取り上げることは気の毒でもある。困った問題だった。この件につい て、貫田がどうしようかと言うので、まあ今日は会ったばかりだから、とりあえず今日の夕食は、み んなお互いの紹介もあるし、楽しくやっておいて、明日になったら、我々が e をはなれるまでの 間は、殺生をしないようにといってほしいといった。今日、尼さんはロン・フクへ帰ってしまう。サー ダーはじめシェルバたちが o に上がってしまえば、 e 0 の状況は 0 へは流れてこなくなるのだ から。 夕食は、私が作った。本来ならシ = ルバとともに来たコックに任せるべきだが、タマネギの輪切り再 を野菜カレ 1 煮のお皿のまわりに飾り、ちょっと豪華にした。張さんたちは作っているのを見ていたン らしく、これはあなたがわざわざ我々のために作ってくれた料理ですねと感激してくれたが、おいしモ ハオハオ そうには食べなかった。少し食べては、好、好とは言っていたが。かえって気の毒だった。中国人たチ ちは、お料理に対して非常にうるさい。各地方でもお互いに他所のものはあまりたべないという。今回

7. 魔頂チョモランマ

点々と人が登っているのが肉眼で見える。 三時を回っていよいよ風が強くなる。チョモランマに吹く風は、ネパールの方から西稜をなめるよ うに来て、雪煙が横に波のように這いながら北壁に向かっている。西から東へ向かっているのだ。と ころが今、私の歩いている氷河上の風は、一段高くなっている 01 の台地の左側から吹きおろしてく る全逆方向だ。したがって登って行くともろに向かい風なのだ。周囲に人はいない。私は大声で「な んで逆に吹くの 1 、たまには西から吹いてみろ 1 」等と叫びながら歩いた。 四時、あとはもう一段氷河の段を登ればそこにがあるという地点で、風を背に座って休んた。 のお湯で マインクネッケとビスケット、クッキーを食べ、紅茶とアクエリアスを、持って来たポット 一つ一つザックから出してはしまい、の作業が大変だっ 作って飲んだが、風に飛ばされないように、 た。昼食を終わって最後の登りに入り、そろそろぬけるかなと思っていると、ニマ・ドルジェが迎え ・ラの雪原に出て、あとは西稜そいにまっすぐ行けば 01 彼らは昼寝の後、私がロー に来てくれた。 / という所で、再び追い越して行ってそのままへ到着していたのだ。たぶん私より一時間前くらい に 01 にはいっていた。 五時 01 着、ちょうど 01 のプルーの ( イ。ヒーシートの屋根の所へ着いた時、北壁側から歩いてく る人影を見た。近藤だ。股が太くて、まだちょっと子ども的体型の彼は、シルエットだけで判別がっ 「すぐ近藤君たって分かったよ」と言うと、「ピグミーみたいたからでしよ」と彼の方から言ってき - 彼の本日の行動は 0 3 から 4 へ て、相変わらずおどけて私の目の前でスライディングして見せた。 , 142

8. 魔頂チョモランマ

チームが、昨日べースキャン。フまで来て、本日はべースキャン。フから上部、氷河の部分を・ ( イクで走 った。ただし・ ( イクは途中で・ ( ラし、べースキャン。フを通過する段階では、登りも下りも荷物として 背負われて、行ったり来たりした。 朝、チョゾンの村の人間三人が、風間隊のサポートで来たが、この三名にポリタンを計一一十四個預 けた。べースキャンプで使用する石油がポリタンで一日約一本半、十リットルだから、十五リットル 消耗する。かなりの消耗率。ただし、べースキャンプは暖かくして、みんなをリラックスさせること が、今回の目的だった。これが功を奏したのか、今のところ、例えばひどい下痢をしたり、風邪をひ いたりという人間は誰もいない。暖かさという点においては、豪華なべースキャン。フである。夜、近 藤と貫田がくんで余興を考え、ビールをあけ、みんなでワイワイ騒いだ。シ = ルバにも歌をうたって もらい、近藤と関崎は踊りを踊った。 目的を一つにした人間の世界 十一月十日。一昨日の夜、憔悴しきってメイ ( ーズテントへなだれこんで来た風間チームのメン・ ( ーは、昨日、からの間で・ ( イクを走らせ撮影を完了、。 ( イクでの世界最高標高を記録した。 今朝は全員晴ればれと、晴天ので動き回っていた。 十時半頃、風間さんに呼ばれて隊員全員およびシ = ルバを含めた記念写真をとる。お互いに握手を かわし、帰国したら浅井さんの店に・ ( イクを買いに行くとか、お正月におごってくれとか、口々に帰 国後の再会を約東し、から下山する彼らを隊員一同見送る。雪ののったモレーンの起伏がか

9. 魔頂チョモランマ

素状態だと頭の回転もにぶり、もうろう状態、今自分が何をしようとしていたか、何をしているのか 忘れてしまうこともしばしば。せまいテントもなかなかかたづかないものだ。 とんより曇った空の奥、チョモラ 「近藤を先行させてありますから大丈夫です」こう言ってきたが : ンマの北壁を望遠鏡で見ると、きちっと等間隔をあけて確実に登っているシェルバの一群の後に、か なり下の方から一名が登って行くのが見える。まずいなあ。地点にシェルバが先に着いたら、彼 らは荷を置くが早いか、すぐに下ってしまうに違いない。彼らにはサーダーを通して、テントサイト の雪をけずっておくように言ってはあるが、隊員が見ていないと申しわけ程度ですましてしまうの だ。氷壁の斜面に水平の二 >< 三平方メートル四方程度のスペースを作ることは一仕事なのだ。まして 薄い空気の中、二、三回ピッケルをふるうとゼーゼーする。大変なことはわかっているのだから、近 藤君早く登れえ。そしてシェルバをつかまえろお。 三時、早川が交信を受けて、キッチンテントで食料整理していた私の所へ報告に来た。「 0 3 の貫 田さんから交信が入りました」「 0 3 ! 」貫田はまた 0 3 を出ていないのか。「前回上げた 0 4 の荷 、。、ール語でない ) だそうです。上にいても意味がな 物、サッパイ ( ネノ 。、ール語で全部 ) ツアイナ ( 、イ / いので、全員に下るよう指示しました」 ず えい私はガーンと体全体を打たれた気がした。心臓だけカ : ドッドッと打っている。ぬけがらの体け になってしまったようなショッ クを受けた。荷物がない 。どうしたんだ。前回上げた後、大風でおっ 烈 こちてしまったのだろうか。十八日の大風の時は、二回目の荷上げで約七十五キロの荷が上がった。 ーも、食料も、ガ その前にやはり七十五キロ上がっている。テントもフィックスドロープもスノーパ に

10. 魔頂チョモランマ

てしまう。テントの中も砂嵐に見舞われ、シ = ラ 1 フや羽毛服の縫い目のところには砂がたまってし まった。今日の砂嵐、風の強さは、ここパデュ ーについた時と同じくらいだが、いずれにしても天候が 回復する兆候であるからうれしい いよいよ食料危機。今夜のおかずはマカロニにマーポーどうふの素で作った辛いおかずにお赤飯。 東京でこういうものが出たらなんというだろうと いいながら、みんなで食べた。食後、近藤がコキジ ( 小便のこと ) を打ちにいって帰ってきた。「僕は男の子、小さな鉄砲でキジを打つ、キミは女の子、 お花をつみにいきなさい。小さなジョウロでお水をあげよう」などと大声で歌い戻ってきた。 キャン。フ生活あれこれ 十月十九日、明日、へ引っ越しするが本日は移動もなくおだやかな一日。 いよいよ食料は不 足してきているが、朝食はコーンスープとチューラの炒ったもの。なかなか受けた。お昼までは相変 わらずテントを干し、昨日の砂嵐にやられたテントをすっかり引っくり返して掃除をし、あとは今後 のタクティクスなどを考えているとお昼がきた。昼食はカレーシチュー ジャガイモがたくさん入っ ていて、それでおなかをふくらませる。昼食後、アンミツの缶詰をあけた。だれかがアンコが別にあ るはずだということで、二キロのアンコ、佐藤製アンさんのアンコを出してきた。ここで甘党と辛党 が二手に分かれる。貫田、近藤あたりと大蔵は、気持ち悪がっている。大蔵はアンコなしで食べた。 貫田は半分、近藤はさらに残して、テントにまで持ち込んた。ほかの人たちは、アンミツにさらにア ンコを入れて食べた。