四階建てだがエレ・ヘーターがなく、各階がと四翼に分かれていて、日本の温泉旅館のよう に複雑。私は最初どうしてものみこめず部屋を間違えてしまう。一緒に来た旅遊隊 ( トレッキング 隊 ) の人たちは高所に慣れていないので、階段の登り下りだけでも大変のようだ。隊員及びサポート 隊で来た風間さんたちの四名は普通の生活テンポだ。 旅遊隊のうち三人は血圧が高かったり、狭心症があったりで酸素を吸ってもらった。風邪をひぎそ うで熱が出そうだという一人には私の部屋の布団を一つ貸してあげた。隊員のほうの心配事といえば 酒の飲みすぎだけであるが、夜中、けっこう飲んだらしい 翌日、歩くとちょっと呼吸が苦しい。昼食のあとは寝つばなし。東京での最終準備、北京での最終 打ち合わせ、歓迎会、成都には夜遅く着き、朝早く出発。そしてラサでの梱包作業、とここ半月ほど は眠るまもなく動いてきたので、いい休養日になる。疲れだけでなく高度も影響している。慣れない うちはスローモ 1 ション・ビデオのような動きだ。 夕食は、なぜかレストランの準備が急に早くなった。夕食後、連絡官の張さん、通訳の謝さん、貫 田と私で、今後の行動について話しあった。明日の宿泊地のシガールで、貫田はザンムーへ向かう。 ネパールからくるシ = ルバと大蔵たちを迎えに行くことになっている。その後のことを彼と張さんで再 打ち合わせた。旅行社に勤めている貫田は、この隊の旅行中のいっさいをとりしきっていたので、彼ン モ のいない間の手配は張さんと私ですることになった。 シガッ工から風間チーム ( われわれのサポート隊だが、。ハイクで最高到達地点記録をつくる目的をチ もっ ) のバイクのことについて連絡をとることになっていたが、郵便局が休みで連絡できず。あとは幻
便が、朝二回出ました。これはどうしたものでしよう」福島からだ。コールタールのような黒い便と いうことは、胃か腸から出血した血液が混じった便ということになる。これはまずい。出血がひど 貧血を起こしたりしないうちにに戻したい。本日はもう無理だから、明日に戻るよう言 うが、「イエ、黄色い下痢です。大丈夫です。明日は朝早く出てまで行きます。七時に出ます。 以上、オー ー」と福島は言った。困った。八時の交信のとき、一人で降りられなくなったら大変と おどかしたが無駄だった。大矢、樫原ははりきっていた。酸素マスクの件で貫田と交信してきた。や はり冬は酸素機材の故障が多い。寒さのためた。早川、関根が、夕方戻って来た。二人とも、顔面凍 傷にかかっていた。 明日、一回にかけよう 十二月十四日。福島から交信が入った。「、、感度ありますか」繰り返し入ったが、こち らの声が向こうに入らない。「えー こちらから用件だけ言います。福島、木日に戻ります。朝、 トイレに行って決めました」実は昨日から朝のトランシし ( ー交信が、こちらから送信不能になっ た。ずっと悪天続きで、ソーラー ・、ツテリーのチャージが追いっかなくなっていた。昨日はあわて たが、全キャン。フとも本日はそのことを知っていて、受信は出来ると分かっているので交信してきた のだ。貫田が発電機を回しに行ってくれた。「本日はシェルバ二名がへ荷下げに行きますから、 彼らと下って下さい」貫田がそう言った。「 01 には三名のシェレ。 : 、・ ノノカコロゴロしていますから、彼 らも使えばいいですよ」昨日、仕事をスケジュール通りせず、 0 3 から逃げ帰ったシェルバたちは、
慎重な貫田なら、こう考えるかもしれないとも予想していた。 サーダーと、に荷上げに行ったシ = ルバとの間で、 o«の状況を話し合ってもらい、その結果、 フィンクスドロー。フの最高点の一本が約三十 ~ 四十メートル落下、その先に二個荷物が見え、さらに その下に、離れてプルーの荷物が見えるが、そのほかはないということが判明した。 対策としては、福島パーティに明日地点に上がってもらい、荷の回収を幀む。プルーの荷とはテ ントだろう。ということは、テントを入れた袋はすでにばらばらになってしまっただろうから、それ と一緒にあったアブミ等の登攀具はないと思わなければならない。袋二つの中身はフィックスと生活 道具か等々、推理しながら次の大蔵パーティには 0 2 に残っているフィックス、スノーバー等を荷上 げし、 0 3 を経て 0 4 へ上るよう指示した。この際、明日 0 3 で泊まったら、三つのうちの一つのテ ントをに上げるよう言った。なにをおいてもを作り、さらに OLO へとルート工作を続行する ために。 一方、明日二十五日、 o からサーダーに e o までおりてもらい、 e o にある残りのテント等 を選んでもって来てもらう。次に mo から上る人間が、それを以上に持ち上げよう。各キャンプ にこの話をすると、貫田から、「下降中考えていたのと、隊長の指示とだいたい同じです」ときた。 ショックは大きく、またダメージも大きかった。なにしろ十人分の荷上げの労力と物資を失ったのだけ から。しかし誰もメゲていなかった。むしろフィックスが足りるか、スノ ーくーはどこかと真剣だ 0 盟 た。まだまだ登れる。 「いえ」と一言向こうから返事がきた。
近藤も「貫田さんがこんなに強いとは思いませんでしたよ」なんていっていた。私は不愉快だと言 われても、やはり頭の隅に、大丈夫かなとの不安があり、元気かと聞いてしまったのだ。今回はぜひ 最後まで健在でいてほしい。に貫田、近藤、に大蔵、関根、今日動いている人間のうち関根 をのそいて、前回の経験者だ。早川、大矢がリタイヤして来て、結局は前回の経験者のパワーで登る しかないのかな、と十八日の大風の日以来、ルート が進まなくなってから考えていた。 そんな時、 0 2 からトランシ ー・ハーが入って来た。「 2 です。大蔵ですが、関根はまだついてい ません。三回ほど待っていたのですが、風が強くてものすごいので、先に来てしまいました。彼はリ ッジの所であと五 ~ 六ビッチだと思います」そうか、またも夜間登攀を、手に汗をにぎって見まもる のか。から近藤が、「今、貫田さんが壁を見上げていますが、ヘ ッドランプの光は見えません」 と言ってきた。 0 2 からは「テントの中、シュラーフもコッフェルも風で動いて散乱しています」と 言ってきた。大蔵も着いたばかりだろうし、落ち着いてから交信をくれるように言って、しばらく待 っことにしこ。 01 の近藤がアナウンサーのような声で「ケンジは生まれた時から、チョモランマ養生ギブスをは められて育った。のどには養生フィルターをはめられ、空気はそのフィルターを通し、地上の三分の 一しか体内に送りこまれなかった。ケンジはたえられず、″ャダヨー コンナモノ〃とギ。フスをはずけ した。父親は怒っておぜんをひっくりかえした。父親は貧しかった。貧しいのにおぜんをひっくりか : 」とトランシー えした。いや、おぜんをひっくりかえしたから貧しかったのか : ーをいたずらし て一人語りを始めた。
う予定 ) 」とおどしたとのこと。 ・ツェリンの声でサーダーを 今日はシェルバもたいしたものだと思っている矢先、 01 からペン・、 呼んでいるトランシー 彼らの話は分からないが、ペン・ハが 01 にいるとい ーの声が聞こえて来た。 / うことは、上に二人影を見たというのはサーダーの見まちがえか。一喜一憂。夕食の後、サーダーに 聞いたら四名はもとより、ニマ・テン・ハが 0 3 をスキツ。フして 0 4 へ荷上げしたという。ペイハは 0 3 を越え二 ~ 三ビッチの所で靴が少々きつく、足が冷えて 01 におりてしまったとか、すでにペイハ は o に下り夕食の席にいた。そうか、そういうことだったのか、それにしてもふだん無ロでガッシ リした体、歌は率先して歌うニマ・テイハ、強い 早川、大矢パーティが 01 入りした。二人が準備していると関根が「早めに行った方がいいです よ」と言った。風が強い、早目に行って 01 の整備をした方がいいということ、この時点ではその程 度に考えていた。二時半に o を出発した早川から交信が入ったのが五時半。「べース、べース、こ 「ハイビーシ ちら 01 、ただ今着きました。 01 は完全に崩壊しています」叫ぶような声だった。 ズタズタです。テントは雪でうまっています」 昨夜来の風で、とうとうやられたか。とりあえず、ミンマ ( コック ) と隊員一一名が今夜過ごせるた けのスペースを作るよう指示し、明日の 2 入りをうながした。どうりで 01 から交信して来たペンパ のへの帰りが早いと思った。ペイハは 01 についたが誰もいず、あれ果てた 01 にびつくりして 一気に o に下ったのか。 160
遅く、ンエレ。、・、 / , カ背負う荷上げの荷造りに手間取ったことで私が怒ったためか、気温が高かったので 起きやすかったのか、今朝はみんな早く起きた。ただし、荷上げの荷物については昨日の轍を踏まな いため、すでに関根と私で作っておいてあったので皆、手持ちぶさただった。今日の朝食は、みそ汁 と玄米ご飯に、おかずがオイルサーディンをフライバンでいためたもの。十時頃、サーダーを含めシ エルバたちは 01 の荷上げに向かった。 遅い出発にイライラ 本日に上がる大蔵、関根、樫原、大矢はまだ出発の気配を見せていない。しつかり登山靴まで 履いて、準備万端整っているのは関根のみ。彼はおとなしい性格だから催促もせず、手持ちぶさた顔 で、キッチンテントの中で座り込んでいた。大蔵は電気室で電気機材をいじくっている。とても今日 に上がる人間とは思えないトレーニングウェアの上下でリラックスした服装。樫原、大矢は隊員 テントの中で手紙書き。ヨーロツ。 ( で知り合った人たちの住所を教えたり、教えられたり、宛名の人 の噂をしたりして騒いでいる。なかなか腰を上げない。「お昼ご飯、食べてから出掛けるみたいです」 十二時をまわった頃、関根が淡々と言う。 ・メールの楽しみ チベットの奥地の中で一番奥の郵便局のある村はシガ 1 ルである。ペースキャン。フ 0) から ( は、一日歩いて下ると大本営 (emo) があり、そこから車で一日走るとシガールの村へ行けるが、 一登山中、隊員はからキャンプ 1 ( ) 、キャンプ 2 ( ) 、そしてキャン。フ 3 ( ) 、キャ
れと言われたので、明日はべースキャンプにいなければなりませんと言った。彼は素直な人で、頼ま れたことは、確実にしようという考えの持ち主なのだ。しかし、彼のためには早めに、高所に体を慣 らしておく必要があるので、この件は休養日の福島、早川に依頼するように言った。すると、福島が 休養日には、仕事をさせないでほしいと言う。貫田が受けて、「休みだからといって、何もしないわ にをいかない」と言った。現実に、装備担当の早川や、食料担当の関根は、に戻った日は、そ れらの整理をしている。しかし、装備、食料、メール等の担当を持っていない福島には、この言葉が ビンとこないみたいだった。というよりは、早川だけでなく福島もそうとう疲れているようだ。この 話は、ヤク工作員が来たとき、チェックするだけのことだから、たいした手間はかからないというこ とで、その場にいる人間が行うことで話はついた。 三日、貫田、近藤は本日泊。荷上げはシェル。、、 サーダーを含め九名と、それにジャパニコ ( 日本人 ) シェルバ。四五〇〇メートルから上は雪のため、 e ro 、べースキャンプとも全く白一色 の世界。勿論、赤茶けた岩肌が周囲の山々には見えるが、雪の反射が強い。出発の前は全員お化粧に 余念がない。男たちの日焼け止めクリーム塗り合戦は実に面白い。特にシェルバたちは日本人よりは だの色が黒いから、白塗りが目立つ。資生堂の # 一〇だから、相当強烈な白っぽい肌色になる。サー ず ダーも塗っていた。塗っていない人がいて、貸してあげたりしている。隊員の方ももちろん・ハッチリけ に 塗っていた。 最初に白仮面のシェルバたちが出発した。後を貫田、近藤が追う。近藤は。 ( リで買った。ヒンクのス カーフを、帽子の上に鉢巻きにしたりして、相変わらず自分なりのスタイルをきめている。貫田は、
明日、雪が降るかも 十一月一一十三日。ダメダいチョモランマの頭が見えない。雲の流れが早い。九時の交信でか ノ / カ 2 を通過し、 3 へ入る ら風が強いと言ってきた。しかし、こちらからは「を出るシェレ。、・、 と言っています。から出て途中でシ = ルバに追いぬかれないよう頑張ってください」と言った。 からは福島が、に風のぐあいを聞いていたが、貫田は「風はあります」とだけ答えていた。 天候が悪いので不機嫌だ。日中も風は変わらず、むしろ雲の量は昨日より多い。からチャンツ = ー二名が登っている 越しに 0 2 上部からのルートが見える。 2 から八。ヒッチほどのところをメンバ とサーダーが教えてくれた。二時半ごろだ。 ノ / 力しるとサーダーが 六時ごろ、近藤からに着いたと言って来た。の真下に五人のシェレ。 : 、、 言う。お腹をこわしたナワン・ヨンデンと氷があたって歯を痛めたダワ・ノルプがで休んでい て、ずっと双眠鏡で見ていた。夜の交信で、には樫原六時着。福島は八時に到着。まあまあ早い 方だと、こちらは慣れてきたが、本人たちは遅くなりましたとあやまって来た。 (-)N のテントは三張 りともポールが折れ、一番まともな真ん中のテントにとりあえず落ち着いたとのこと。特に一番下の テントはペチャンコにつぶれているという。 on の方はテントが雪でつぶされ、六時ごろから近藤が雪かきをして八時半、やっとテントに入っ た。まだお茶も飲んでいないとのこと。いつもふざけている近藤の声が重く小さい。相当消耗してい るようだ。交信は十時にしてくれと言う。十時まで待つ。待っ間、近藤、貫田ともに疲れはてて、テ 180
みこしてチョゾンの村へ帰ったのだろうと言った。日中、サーダーとシェルバたちはオペラグラスを 離さなかった。早川が望遠レンズを北壁に合わせており、こちらはそれをのそいていた。 「からはどうも二人だけ出ているみたいですよ」そうか、本日は風も強いし、今日の荷上げは不 成功か。そんなことを思っている時、サーダーが / 「・、ラサープ ( 隊長 ) 、 0 4 のすぐ下に四名、そし てを越えた岩の所に二名登っています。ホラ」と双眼鏡で見せてくれた。「見えるでしよ。ああ、 今は雪煙の中た」「ほら見えるでしよ」しかし私には見えなかった。風をよけて電機室の中に体を入 れてジックリ見たが見えない。でももしサーダーのいうことが本当なら台風の時の荒波のように、次 から次と西から東へおしよせている雪煙の中、昨夜 0 3 に泊まった四名のシェルバとさらに昨夜 0 2 に泊まったシェルバ二名が、彼らは 0 3 を通りこして 0 4 へ向かっていることになる。すごい、さす がプロだ。 十一月六日がやはりこんな風の日たった。 0 2 から出る貫田パーティに強風と聞いた時、ここで日 和っては後にかかわると行動を依頼したことを思い出した。この時、風が強いからと出なかったナワ ン・ヨンデンのパーティが、隊員が出発したので、仕方なく行動した。この経験から彼らは本日も行 動したのか。 ず ーでは出たくけ 六日の件に関しては、後日 o にもどった貫田の話では、 0 に対するトランシー ないようなことを言いながらも出発準備は着々と進め、近藤に、シェルバを呼びにやらせたところ、 ノエレ。、 : ノ / カ天気が悪いと言って出なかったので近藤は、ま I must go" と言ってきてその後、貫田が 「今日出ないと小西さんに報告するそ ( 次回、ナワン・ヨンデンをサーダーとして小西さんたちが使 に
向けてのルート工作、そしてその後、氷壁を 0 3 、 0 2 と通過して 01 まで下がって来て、北壁の下部 から雪原をテクテクとまで歩いて来たのだから、相当疲れているはず。それなのにこのふざけぶ り。本人は前回、荷上げを目的として協力隊員という形でチョモランマ隊に参加していたのだが、今 回もやはりキヨーリョク隊員だという。キョ ーリョクの字が今回は″強力〃なのだと日本にいる時か ら誰彼かまわずに言っていた。それだけの自負が、まだ余裕のあるところを見せたのか。 の屋根の下に入ると風はなく、プルーの天井の下、テントを背にした中央で、早川が座り込ん ていた。ンエレ。、・、 / , 力あまいミルクティを持って来てくれて、飲み終わっていないのに、「サープ、テ ーシューズをはいてリラックス イ」と次をすすめてくれる。靴をぬぎ、テントシューズの上にオー し、隊員テントに入る。固型燃料をたいてテント内をあたため、改めて早川に、明日からのシェルバ に託す荷上げの荷物の件を話す。彼らがに着いたのが五時、そのままへ下ることは充分可能 だったが、 , 彼らも明日、の荷の選択をしてくれるということで、今晩は三人で o—に泊まること にする。 七時の交信、 0 2 へ向かった大蔵パーティはまだ 0 2 にとどいていないようす。昨夜、福島の到着 が十一一時だったことで心配した貫田パーティは、昨夜の寝不足が今日にひびいたのではないかと思っ ず け たが、もう 0 3 についていた。福島も元気とのこと。 負 八時の交信、 0 2 のトランシー ッテリーおちしていて、こちらの声は届いているらしい が、返事が雑音のみ、どうも樫原だけがテントに入っているらしい。「アキ ( 樫原 ) さん、いまテント に居るのはアキさんだけですか。もしイエスなら二回、ノーなら一二回発信ボタンをおして返事して下