作っ - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
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1. 魔頂チョモランマ

午後はまた砂嵐が発生し、外にはいられないので天幕の中ですごすが、近藤のカラキジ ( オナラ ) がくさく、みんなホウホウの態。毒ガスマスクがほしいぐらい。みな同じものを食べているので、同 じようなオナラが出るはず。それにしても近藤はここ数日、便通がないとのこと。みんなで真剣に、 摘便だ浣腸だと騒ぐが、本人はトイレにいってきて、軟便だったといっている。近藤便乗型の貫田は いいながら、テントの中をさらにくさくする。いたたまれ お互いのオナラをブレンドしようなどと ず、テントから外へ出た。 ここは、見渡す限りが河原。そしてところどころトゲのある草がはえている程度。段差があって も、せいぜいモモから下ぐらいで体をかくす場所がないので、トイレにかなり苦労した。シェル。、こ ちが着いた次の日に、トイレを私のために作ってくれたが、そこはみんなの大キジ ( 大便 ) の場所と なった。しばらくするとくさくて遠慮がちになった。私はその前から本流のほうまでずっと歩いて、 約五分から七分ぐらい行った河原の段差を幾つか乗り越えた場所でしていた。 ただトイレにいくだけではもったいないので、声の日記をつけたり、顔を洗ったり、歯をみがいた り、いろいろなことを兼ねていっていた。コップ、歯ブラシ、タオルを持って、もちろんトイレット び 1 と濡れティッシュも忘れずに持っていっていた。 再 川へいって本流を眺めていたら、本流のほうに一つ支流が出ていて、それもわりと川幅が広く、一ン 段高くて踏み石があったので、それをポンポンポンと渡って、本流との中洲のところまでいった。中モ 洲から下を眺めたら、本流のほうへ一段、河原の石垣というか、自然に石の積み重なったところがあチ った。下へ降りられたので、ちょうどいいなと思って、そこを下り始めたところ、三歩目ぐらいのと

2. 魔頂チョモランマ

んだ。 ~ (-)< 間は、ルート的にはそう難しくはない。けれどもなるべくなら上の方で長居をしな いほうがいいから、近藤、早川のス。ヒードバーティを最前線にやり、そこにシェルバ二名を付けて、 ロ 1 プなどを持ってもらい、二人のスビードで。ヒッチを伸ばし、残りの部分は三人三人でルート工作 をする。もしくは、到達、建設予定地作りをするという形にした。こうして最初組んだタク ティクスは、早川、近藤が一日目、二日目が貫田、大矢、樫原、三日目が大蔵、関根、福島と足並み に合わせた。 ところが貫田いわく、大矢はもう六日働いているんです。僕はもう休ませて下さいみたいなことを いうんで、シェルバと同じような考え方をしているし、従って樫原と大矢を一緒にしないほうがいい という。結局最終案としては、早川、近藤がビッチを伸ばし、貫田には大矢と福島を付け、ヒマラヤ の経験のある貫田、福島によって、大矢に少しヒマラヤを分からせること。そして次に、大蔵、関 根、樫原。 ( ーティとする。大蔵、関根はスビードは遅いけれども、確実に登ってくれるということで こう決めた。 十一月九日。福島、非常に元気。 0 2 からの連絡が張り切っている。本日は何もない。 0 3 を切っ てきて、テント三張り、四張り、張れるという報告。本日は全員がべースキャン。フに集まった。 on を越えて、今度 4 に向かっての一つの区切りとして、ここでみんなとゆっくり休むということも決 負 めた。また、遅れていたが、関根の誕生パーテイもしたい。七日が誕生日ということで、夕食は豪勢 に。まもなく無事に関根、福島も帰って来たので、フルーツをたくさん入れたゼリーの上に、ホイツ 。フクリームをたくさんかけたり、鶏のから揚げを作ったり、。ヒーマンをてんぶらにしたり。また風間貶 に

3. 魔頂チョモランマ

る。なぜか分からないけど : ハターをつける。コカ・コーラやビールのロのところにも。 ( ターをつけ児 る、という形で祭壇が整うまでに、約二時間くらいかかった。例によって、小山の上からはタルチョ がさげられた。祭壇の前に紙きれと、それからメガネが乗せてあった。日本人の方は、何だ何だ、最 近はメガネも供えるのかなんて言っていたら、そのサングラス、何と経文を読むときに、ナワン・ヨ ンデンがまぶしいので必要なサングラスだということだった。 。フラ。、ールで椅子を作り、祭壇に向かってみんな二列になって座って、いよいよお経が始まる。お ・ツェリン、ニマ・ドルジェだった。お経は、約三十分くらい続し 経をよんだのは、ナワンとペイハ た。その間に、お皿の中にお米が入って回って来る。何かよく分からないが、ナワンがコツ。フに入っ 、。、ールのあの長い、茶色い たあっちこっちの水を振って、水面を上にビンとはね上げる。それも、イ一 いい匂いのするお線香を一一本か三本持っていて、それではね上げる。そうすると、みんなが何やかん やと言いながら、ひとつまみのお米を投げる。それが三回くらい投げて終わるのかと思ったが、延々 と続いて、だいたい五分に一ペんくらいずつ、お米を投げていた。お経が終わると、今度は祭壇に供 えたツアンパを回す。みんなで一口ずつ食べる。それから、ビールとウイスキーが混ざったコツ。フを 回すそれも手の上にとって、すすって飲む。 それから祭壇にあげたビスケットだとか、梨だとかも、みんなで食べる。で、お皿に一杯ツアンパ ーツと投げ合って、わざとかけちゃう とうするのかと思ったら、みんなでそれをウワ が回って来た。。 という感じで、全員粉だらけ。祭壇の方に行ってみたら、二本のポトルは完全にあいている。樫原は お酒が大好きだから、彼が、これは持って帰ってで飲んでいいのかなあと言ったら、ここのお

4. 魔頂チョモランマ

ちたらしい跡は、そこだけすべり台のように雪が削られていて、約二十メートルほど。平坦な雪面 に、あわてたような足跡が三角形に入り乱れてついていた。ここから航空母艦のところまで一気に登 る。航空母艦のところで一休み。雪のない砂利のでたところに座り、半分の梨を三人で食べる。福島 が、こんなのんびりしたトレッキングみたいな山登りがいいなという。 三時を回った。私が、ここから先は二時間かかるから、行かなくちゃというと、近藤が、六時まで 太陽の光があるので、三十分で行けるから、五時半にここを出ればよいといっている。二人とも、私 に付き合っているんだ。自分たちならもっと速く歩くと言いたげだった。氷河への降り口から先を見 るが、テント場が見えない。かなり長そう。先の方に、四人の人間の影が動いている。たぶん、サー ダーとティンディと貫田とナワンだと思う。氷河の中の登りをただひたすら行くと、べースキャンプ に到着。まだ陽が高かった。お茶を飲み、お互いの連絡事項をしゃべりながら、陽に当たる。私が座 って陽に当たろうとすると、必ず隊員の誰かがその前に立って影を作る。には五時に着いた。 ちょうど上から関根、大蔵が帰って来た。本日、関根、大蔵の行動は、へのルート工作だった が、雪が深く、には到着しなかったとのこと。山陰に陽が落ちたので、キッチンテントへ行く。 藤木氏、到着。前回、夜になってから到着した隊員もいたことを思い出し、氏の年齢から考え、高 所での行動に驚く。夕食後、今後の予定について、貫田、大蔵と話し合う。 ・高齢者の登頂 日本の登山界のヒマラヤニストの中で、はたして何人ぐらいの高年齢 ( といっても四〇歳代以上 )

5. 魔頂チョモランマ

ンプ 4 (0 4 ) へと一泊一キャン。フずつ登り、さらに頂上へ向かってルートを作り、キャンプを作る ための資材やルートを作るためのロープやスノー 、各キャンプで使用する食料や燃料を荷上げす る。上に向かって出かけては、へ戻って休息、そしてまた上へ向かうという繰り返しなので、め ったなことでは e 0 やその下の村まで下るということはない。 そこでだれかがから下へおりるとき、今回の場合ならば十一月一日に藤木氏がお帰りになると きと、十一月九日に帰る風間氏のチーム、この二回のチャンスは私たちにとって、日本に連絡できる 大切なチャンスとなる。逆に、日本からお便りをくださる場合も、シガールの郵便局に局止めになっ ているので、だれかがまで上ってくるときは、まとめて郵便物を届けてもらえる。これがとても うれしいことになるわけである。日本にいると、日々の郵便がうっとうしく感じられることもあるも のだが、二カ月、三カ月と山の中にいると、届けられるはがきや手紙、新聞、雜誌、カセットテープ やカード類は、なによりも楽しみなものになる。 今回は、三回ばかり下から郵便が届いた。寄せ書のお便りや、・フタの絵の書いてあるカード、クリ スマスにはクリスマスソングのオルゴール付カードもあった。おはがきの文面に″最近、六本木でお もしろい所を見つけました。帰って来たらいっしょに行かないかい〃なんてあると、東京の匂いがプ ン。フン感じられる。お手紙の封を切ったら、″日本は秋も深まり : ″の文面とともに紅葉したおし 葉がハラリと出て来たりすると、秋の草木の匂いのする日本の山を思い出したりして、なんともいえず け ない気分になる。 負 に 新聞、雑誌はだれに届いたものでもひとまとめにし、袋に入れて一つ一つ毎日回し読みし、一、 週間はこれで楽しめる。こちらからも日本に出すが、特に日本を出発する前にお世話になった方々に 対しては、出発前は忙しくて十分礼もっくせなかったこともふくめて、記念になるようにと、チョモ

6. 魔頂チョモランマ

りの作業を急いでしなければならない。しかもテント内で中腰の状態だから結構疲れる。いっとき、 呼吸を落ちつけてから、空き缶の中を見ると、洗剤でちょうどパンティの汚れが落ちている時間とな り、後は残りのお湯と氷ですすぎを完了させれば、万事終わりとなる。 洗たくものはこの後、人の通らないテントの裏側の張り綱にしつかり結びつけてくる。風で飛んで 隊員にひろわれないように。 夜の交信では、大蔵に、明朝は早く出るようにとしつこく念をおした。大蔵は、昼も夜も関係なく 山を登れる人だ。マイベースで登る場合は、彼のパワーを知っている人なら何も言う必要がない。ま た、何時にでようと、何時になっても帰って来まいが心配はない。しかし、明日は四人のシ = ル。 : 、 荷上げのために、後ろからついていく。こういう場合、新しい道を作って行くルート工作には時間が かかり、出来上がったルートを荷上げする方はさっさと登れるから、かなり時間差をつけて早い時間 にルート工作を始めないと、後ろからついていく荷上げの人間が、ルー トが出来上がらないうちに追 いついてしまう可能性がある。マイナス二〇度の気温の中、強風にさらされてずっと待っていなけれ ばならないということは精神的に辛いばかりか、体力的にも消耗する。これから長い間いっしょに登 るシェルバたちの体もいたわってあげなければ。 十一月二日、大蔵パ 1 ティは九時半に 01 を出発した。シ = ルバたちはルート工作のめどがついた ということで、十二時二十分ぐらいの出発になった。福島、早川パーティはに帰って来た。予想 と反し福島の方が早く、一一時頃には戻ったが早川が遅れた。早川が帰って来る様子を見ていたが、氷 河の中に入り、幾つも雪の小山を越え上り下りする人影が、かなりョレている様子。にたどり着

7. 魔頂チョモランマ

ミルキ 備をしないテントでそのまま眠りにつくが、夜中、トイレにいって外をみると、満天の星空。 ーウェイ ( 天の川 ) はバッチリ見えるが、まん中の一等星はにじんで見えた。しかし、夜半に入って 雨が降ってきた。本日は気温が低かったので、雨がみそれから雪にかわった。 十月十八日。朝起きてみると、左岸の岩山にも積雪があり、また五〇〇〇メートル付近から上は、 ほとんどまっ白だった。心配が一つ、の関根、早川が、ヤクが雪を嫌うので行動できず、予定 未消化のままべースから降りてくるだろうということ。 o への荷上げの予定も滞ってしまっている いくために、 、 / カへ ことだろう。いずれにしても、今日は福島、樫原、ナワン、ダワ、ペノく 当番車が午後になると降りてくる。 フレックファ 早朝から、みんなは貫田にだまされて、食事ができないうちにたたき起こされた。・ スト・ウイルビ ト・レディ、とかんちがいし、カナ ( ネパ ー・レディ。それをプレックファース 語で食物のこと ) ウイルビー ・レディといわれて、みんな起きてしまった。いつもは寝坊の近藤が、 まだシ、ラーフの中だった私の真上に乗っかって、「ホラ、だらしない、起きないと、シェルバに・、 力にされますよ」と、昨日のミーティングのとき、打ち合わせたシェルバへの対応の仕方をたてにと って、私をゆり起こした。「隊長はむしろゆっくりいったほうがいいんだ」「〈エー、じゃあ僕も隊長再 マ になりたい」 ン だいぶ食料が底をついており、しかたがなくジャガイモとダルスープ ( 豆のス 1 プ ) 。ただし、ダル チ スープの中にもタマネギが入ったりしていたし、ジャガイモのほうもケチャップ、マヨネーズ、ソー ス、しようゆなど、調味料をつけて食べた。ソースをつければコロッケ味、ケチャップとチーズをか

8. 魔頂チョモランマ

て行ったという。普通、ルートを延ばす時、キャン。フからすぐ新しいルートとなる一日目は十 ~ 十二 。ヒッチと大〕にルート がのびるが、翌日からはすでに延ばされた十 ~ 十一一ビッチをたどった後、さら にその上へと延ばすので、四 ~ 五。ヒッチとなるのだが、二日目で七ビッチ延ばしたということは相当 頑張ったことになる。したがって 0 3 、 0 2 、 01 と下がってくるのにかなり遅くなることが予想さ れた。八時の交信後八時半、北壁を見に行ったところ、のあたりに、ヘッドランプの光を見た。 あそこからではあと一一時間はかかるなと思い、九時半ごろ北壁を見に行った。 0 2 、 01 間にヘッ ドラン。フの光が二つ見えた。あれ、本日の貫田パーティは三人のはずなのに。テントの中で水を作り ながら十時半再び見に行った。 01 から北壁に取りついて五 ~ 六ビッチ目の所にヘッドラン。フが一つ 見える。おかしいなあ。迎えに出てみようと思い、紅茶の魔法ビンを手にするが、よく考えて見る と、この大雪原、いたるところにヒドンクレバスがある。 0 から 01 への道とは違う。下手に動し て私がクレバスに落ちたらと思うと、出かける気になれず思い止まり、お湯が沸くのを待っことにし た。シェルバたちは、すでに七時ごろ食事を済ませ、十時には寝てしまった。 シンシンとした寒さと暗さの中で待っていると、十一時ごろ福島、大矢が相次いで帰って来た。ま ずはテントの入口から手を出し、福島にはミルクティ、大矢には希望の砂糖もはいっていない・フラッ ず クティを渡した。 ( イ。ヒーシートでおおわれた広場で登攀具をはずし、リラックスした格好になったけ 福島、大矢がテント内に入って来た。 「やあ、オレは先に降りたんだけど、壁の下で電池がなくなり、隊長を呼・ほうかと思ったんだよ」 福島が例によ 0 て冗談とも本気ともっかないしゃべり方で話しはじめた。結局、大矢が来るのを待 0 に

9. 魔頂チョモランマ

いてもあまり口もきかず、靴も脱がずにべットになだれ込んで、そのまま寝てしまった。福島もチョ ロチョロとお愛想程度動いたが、その後は寝てしまった。昨日戻った貫田、近藤が帰って来るとすぐ におなかがすいたと言い、食べたり飲んだりした後、いろいろ話をしたのに比べて、早川、福島の方 の消耗ぶりは激しかった。 夜になって、大蔵からの交信で、「まだ地点と完全に確認できていませんが、あと一。ヒッチ ( 五十メートル ) 登れば良いと思われる地点に荷物はデポしました」と言って来た。みな、一様にが つかりした。さらに大蔵いわく、「登っている間に 01 で突風が吹き、テントがつぶされ、ポール : 一つ折れました」。風、チベットの冬特有の強風。それでテントがつぶされたか。今夜の夕食の席で は、 ro 2 未到着とテントボール破損の報告が、暗いムードを作ってしまった。ついさっきまで、いよ いよもできるし、氷河のど真ん中、大雪原の中でトイレに行くのは大変だからと、前回使用した テントをトイレ用テントにしようと、予備として持って来てあったので ( 01 のトイレをもうそろそ ろ作ろうということで ) このテントを明日持ち上げようと、貫田から話が出たばかりだった。近藤か ら今のテントのポールが弱いんだったら、前回のポールを使わなければならないから、予備テントは まだそのまま置いておいたほうがいいのではないか、との発言が出た。トイレも快適にして、次の o ず け 2 から 3 へのルート 工作に万全を期そうという張り切りムードが一瞬にして崩れた。 負 一方、本日はヤク輸送の最終日。ヤクもかなり早く上がって来ていた。荷物も全部届き、また樫 原、大矢がからべースへ元気で上がって来ている。張さんがおみやげにと梨を一抱えほど彼ら に託してくれていた。梨を食べて元気を出そう。極寒のこの o で梨はすでにカチカチに凍っていたル に

10. 魔頂チョモランマ

はその岩の流れでおし流されているのでは、と想像していた。もしそんなことがあったらと思い、下 から行くパーティにはロープを持ち上げるように指示もしていた。 これでとりあえず 0 に泊まれることが分かった。そこでサーダーに、シェルバにもう一日 0 4 に 泊まり、明日、大蔵パーティをサポートしてくれるよう頼んだが、しかし、彼らはすでにに三泊 しており ( それも泊まるだけで、行動しなくても二十五ドルのポキシスを約東し ) 限界だといって 1 へ下った。サーダーとシ = ルバ間の話の後、すぐ大蔵から交信が入った。「 0 テント、天井に五 十センチほどの穴あき、カギざき、中は雪、雪をかたづけ、荷物をまとめ、テントをつぶして帰りま す」「帰るそー」 今日は o には泊まれないのだ。 0 4 に戻った彼からは早川、関根はよくやった、ほめてやってほ 彼よ自分が行動すると しい、しかしもう限界だから、明日に戻す、自分は残る、と言ってきた。 , 悪天にぶつかり、ツィていないとポャいていたが、でも元気そうな声だ。との交信で、福島から 続行か、撤退かの意見まで出たが、大蔵からは、なにしろ上がってこい、メシと¯を持ってこ と交信していた。 十二月十一二日。本日も天気が悪い。昨日同様、チョモランマの上部は雲におおわれている。朝の交 信のあと、ずっと双眼鏡をはなさなかった。昨日に泊まった大矢、樫原が、十一時ごろにはもう の五。ヒッチ下、チャンツ = の稜線の上の部分から見える氷壁に姿を現した。等間隔で行動し、 いペースで登っている。 0 4 からは早川、関根が下って来るのも見える。 0 3 に泊まったシ = ル。 ( は、昨日はそのうちの三名は近藤とともにまで行くと言っていたが、そのうちの二名が下痢でカ 228