工作員 - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
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1. 魔頂チョモランマ

が、貫田パーティが十ビッチ登れたということは、もう、予定地までの約半分を超えていると いうことであり、明日、福島パーティがルート工作すれば、明後日、大蔵パーティはへ着くであ ろうという予想がつく。めどはついた。貫田パーティは、明日はべースへ戻っていいでしようかと言 って来た。 「了解」 貫田の帰幕報告でほっとすると同時に、予想外のルートの伸びで、こちらは忙しくなった。 間の荷上げを行うシ = ルバを、明日中に or-q にあげておかなければならない。明後日、大蔵。 ( ティが、地点に到着すると同時に建設用の機材をへ上げたいのた。サーダーと相談のう え、シェルバを明日、 01 にあげることにする。 95 チョモランマ再び

2. 魔頂チョモランマ

スも皆無とは。装備担当の早川が、常に綿密に計算し、特にには、以上で使用する装備すべ てが。ハ ーフェクトに上がったのに。テントも火器も、ロープもスノー ーもなければ、この先登攀は 続けられない。 しかし、早川を中心に私たちはもう、残りの装備をかきあつめる算段をしていた。藤木さんの泊ま っていたの黄色のテントをはじめ、使用予定のなかったテント、そしてさらに長谷川さんたち の残していったスノー フィックス類はその後、ヤク工作員が e o に降ろしたはずだ。事後承 諾であれを借りよう。しかし、それらは emo から、 pao 、 o—、、 on と上げるのに五日かか る。すでに今日入りする福島、樫原。 ( ーティ、入りした大蔵、関根パーティにはまにあわな いなんとかしなくては。 天候は悪いが、せつかく上がった彼らの仕事を探さなければ。七時の交信で、福島パーティには o 3 の整備を指示した。ここ数日の悪天候で、すべてのキャンプには吹き積もった雪がおおいかぶさ り、風でゆられたテントと、テント回りはめちゃくちゃになっている。テントを掘りおこし、装備を 掘りおこすだけでも一日は充分必要だ。七時三十分、大蔵パーテイからに入ったと報告あり。 o 2 は三つのテントがすべてつぶれ、ポールが折れてしまっていたが、このことはすでに分かってい た。シェル。 ( に持たせた予備のポールが、なぜか 0 2 を通過して 0 3 に入ってしまっており、今夜は つぶれたテント泊となる。 九時三十分、にすでに着いた貫田から、「下降中に対策を考えながら来ました」と言ってきた。 私は思わず、「中止を考えたのですか」と言ってしまった。それくらいショックだった。ふだんから 186

3. 魔頂チョモランマ

れと言われたので、明日はべースキャンプにいなければなりませんと言った。彼は素直な人で、頼ま れたことは、確実にしようという考えの持ち主なのだ。しかし、彼のためには早めに、高所に体を慣 らしておく必要があるので、この件は休養日の福島、早川に依頼するように言った。すると、福島が 休養日には、仕事をさせないでほしいと言う。貫田が受けて、「休みだからといって、何もしないわ にをいかない」と言った。現実に、装備担当の早川や、食料担当の関根は、に戻った日は、そ れらの整理をしている。しかし、装備、食料、メール等の担当を持っていない福島には、この言葉が ビンとこないみたいだった。というよりは、早川だけでなく福島もそうとう疲れているようだ。この 話は、ヤク工作員が来たとき、チェックするだけのことだから、たいした手間はかからないというこ とで、その場にいる人間が行うことで話はついた。 三日、貫田、近藤は本日泊。荷上げはシェル。、、 サーダーを含め九名と、それにジャパニコ ( 日本人 ) シェルバ。四五〇〇メートルから上は雪のため、 e ro 、べースキャンプとも全く白一色 の世界。勿論、赤茶けた岩肌が周囲の山々には見えるが、雪の反射が強い。出発の前は全員お化粧に 余念がない。男たちの日焼け止めクリーム塗り合戦は実に面白い。特にシェルバたちは日本人よりは だの色が黒いから、白塗りが目立つ。資生堂の # 一〇だから、相当強烈な白っぽい肌色になる。サー ず ダーも塗っていた。塗っていない人がいて、貸してあげたりしている。隊員の方ももちろん・ハッチリけ に 塗っていた。 最初に白仮面のシェルバたちが出発した。後を貫田、近藤が追う。近藤は。 ( リで買った。ヒンクのス カーフを、帽子の上に鉢巻きにしたりして、相変わらず自分なりのスタイルをきめている。貫田は、

4. 魔頂チョモランマ

足ばやに近づくと、形らしきものが目に入った。当時のままであった。手を合わせ、ヤッチャンに和 われわれ登山隊の無事を願った。祈りの最中、涙がポロリと頬を伝った。チョモランマの山とヤッチ ャンのマニ石と、二度もお願いごとをしてしまった。ャッチャンのマニ石にお供えものをするのを忘 れたので、車に引きかえし、アタッシェケースからコサージュを取り出してもどった。コスモス、岩 キキョウなど、山好きの人間の好みそうな花々をかたどった布製造花は、日本から用意してきたもの だ。木も花も草もない、まして花など咲かないこの地で、このコサージュはあでやかだった。 ロンプクで記念撮影をして、さらに奥へ車で入った。歩いて二時間ほど、車で二十分ほどの距離 だ。チョモランマから流れ出るロン・フク氷河流の河原を右往左往しながら進むと、前回のスペインの ルセロナの隊のべースキャンプがあった小高い丘を背にした場所に、日本の長谷川隊のべースキャ ン。フがあった。特徴のある通信用アンテナが目印になっていた。 さらに奥に進んで、隊の宇部チャンや中国人登山家、イギリス、フランス隊の遭難死した人 たちのメモリアルがある小山のすぐ下にわが隊の e ( 仮のべースキャン。フ ) を見つけた。午後一 時四十分だった。 中国製の大きな家型テントが一張りと、見慣れない派手な黄色のオートキャンビングテントがあっ た。とりあえずそちらの方に入って、お茶をもらう。そこには連絡官の張さんと、二人の運転手さん がいた。先発で入っている大矢からの伝言があって、本日、ヤクを四十頭、ヤク工作員を十三人使っ てロン・フク氷河上の五六五〇メートル地点の実際のべースキャンプに向かって荷上げしていることが わかった。

5. 魔頂チョモランマ

につかってしまった。私たちの車の運転手は慎重にゆっくりと行き、なんなく対岸に着いた。前回も跖 同行した落語の熊さんのような愛嬌のある運転手は、スビードをつけてポンポンポンと、飛ぶように スンナリと川を渡った。スリル満点、爽快だった。 ヤクの上等肉を入手 そこから一一十分足らずでチョゾンの村に着いた。途端に車めがけて子どもたちがいつばい寄ってき た。チベットの真っ黒い厚手の民族衣服を着て、一度もふろに入ったことがないような黒い顔が並ん でいる。この村はある程度裕福なのか、最奥の部落の一つにしてはしつかりした家がたち並んでい る。白い壁の家の屋根の縁どりは、黒にエンジ、オレンジ、その他多彩な色がぬられ、飾りたててあ る。 カメラをのそいていると、ひょこっと現れた人がいた。顔は面長、よく焼けていて、目がちょっと つり上がっている。髪の毛は編みあげて丸く結んでいる男性だ。見たとたんに、あっ、前回の時のヤ ク工作員の一人、リーダー格の人だと気がついた。熊さん運転手がニコニコと寄ってきて、この人ホ ラホラという感じで紹介する仕草をした。 / 彼よニコッと笑った。手を出すと遠慮がちに握手した。通 訳を通しての話によると、この人がヤクの肉を売ってくれるという。四百五十元で、頭と内臓は彼が とり、肉の部分はこちらがもらえるということだ。 そして、彼は道から一段下がった河原にいるかなり大きい真っ黒いヤクを指さした。タンパク源の 肉を買うについては、本当はラサで牛の肉を買うつもりだったが、よい乾燥肉が手に入らなかったの

6. 魔頂チョモランマ

実感できる。夜でも怖くはない。ただ氷河の上を歩いていると、パシンパシンと氷塔の内部がヒビ割 れる音がする。これには何となくドキッとさせられる。 氷河の一番最初の、氷塔たちの終わりの部分のところまで辿り着いた時に、向こう側からお・ほろ気 ながら薄明かりの懐中電燈が見えた。その電気の灯がタオーツと叫んだ ( タオーツというのは、ヤク 工作員がヤクを追う時の叫び声で、近藤が常におどけて叫ぶ言葉 ) 。そのタオーツだから、近藤だと すぐ分かった。私はすぐに、お疲れさまと声をかけずに、そのまま黙々と登って行った。すると、 「誰だ、誰だ、誰だ」と近藤が不安気に叫ぶ。私はなおも前進する。ちょうど懐中電燈の光で、お互 いのシルエットが分かってしまう至近距離まで来た時、「何だ、先生が自ら来てくれたの」と、近藤 : ホッとしたように言った。私は、握手をしようと彼の手を掴む。なんと指がない。手袋の指の部分 だけを握ってしまった。彼は指が冷たいので、指を全部手袋の掌のところへまるめ込んでいた。手袋 の指の部分には指は一本も入っていなかったのだ。 二人とも、元気。その場でコーヒーを飲んだ二人は、 o に向かった。途中、 o で待っている関 崎君と交信しようと思っているところへ、彼が現れた。光が近くに見えたので来てみたが、意外に遠 かったと言いながら彼も合流した。に戻ると、明日の行動もあるので先に寝てほしいと言ってお いたサーダーとコックのミンマ、キッチンポーイのティンディが出て来た。約東した甘ロカレーと鮭 の切り身を温めて、二人に食べさせる。しばらくサーダーを交えて話をした後、彼らにも寝てもら い、四人で隊員テントに帰る。以後、近藤の一人語りとなった。 「今日のことですけどね。貫田さんが、朝、張り切っていて、僕の寝ているおなかの上にお盆を乗っ

7. 魔頂チョモランマ

ニマとアン・ソナは、上がってしまうので 1 どうするのかと言ったら、かまわないという。二人は o 兜 1 でお祈りをするようにすると言った。何だ、それならば始めから、一日ずらす必要もなかったの に、というような気もした。三十日の朝、八時モーニング・ティ、九時食事、みんなキッチンテント におはようと集まった。セレモニーは、と聞いたらサーダーがまた、てれくさそうな顔をして、今日 はしない、明日、と言った。 三十日。何日ぶりかでテント場は閑散とする。隊員四名およびシェル。、がすべて、荷上げもしくは (-) 1 入りで上がってしまった。アン・ソナとニマ・テンバは 01 入りで、あとはみんな荷上げにいっ て、残ったのは結局、コックのミンマ、キッチンポーイのティンディと、そして、大蔵、関根だが、 関根は相変わらず食料のこと、そして、大蔵は電機関係の仕事に熱中している。私は前日、だいたい 揃えた薬品を、・フルーの ( イ。ヒーシートの上に並べて、外用薬、それも傷のもの、それから骨折その 他、テー。ヒングのもの、それに凍傷薬、また内服薬にしても、風邪薬、胃の薬、その他、というふう に種類別、疾患別に分けて並べ、これを午前中はチョモランマが逆光で陰になるので、午後になるの を待って撮影した。関根は、やはり協力してもらった食料の各製品を、箱の上に乗っけて、チョモラ ンマを・ ( ックに写真を撮っていた。私のカメラ、アルファ七〇〇〇は、なかなかのスグレモノ。 夕方、樫原がヤク工作員と共に、ヤク輸送について上がって来た。これで五回目のヤク輸送。四回 目のヤク輸送のときに、砂糖が二キロなくなったという話があって、 eno とで確認したり、大 蔵が、途中にデポしてあった彼らの荷の中から、私たちの石油タンクをみつけ、怒り狂ったりしてい たが、今回、樫原がついていったところ、砂糖と、中国テント用のポールを雪の中から出してきて、

8. 魔頂チョモランマ

八時の交信。貫田から「申しわけありませんが、ヤク、ヤク工作員ともこれ以上動かず、航空母艦 ークすることになります。力が足りませんで した」といってきた。私は内心、航空母艦まで行けたら、もうけものと思っていたので、まあとりあ えず、ご苦労さまと言った。貫田の持っているトランシ ーくーは電池不足でパワ 1 がない。ヤクタ イ、ヤクタイと、ヤクの隊という意味で言っているが、その先がいつも聞こえない。不安だ。 べースキャンプの近藤との連絡も、はっきりは聞こえなかったが、ヤク隊は、ヤクが航空母艦でビ ークするため、ビ・ハ ーク用品を持っていない貫田およびシェルバ三人は、べースに向かいますとい う話のようだった。私は、貫田からの連絡がはいる前に近藤と連絡をとっていた。陽があるうちは非 常に暖かいが、陽がかげつてしまうと気温がマイナス二〇度近くに下がる。貫田の体のほうが心配 で、近藤に熱いお茶を魔法ビンに入れて、貫田のところへ持って行くように言ってあったのだ。貫田 からの交信が入って間もなく、近藤からの交信で、「貫田さんはわりあい元気です。しつかりした足 どりで、スタスタとべースに向かっています」と言って来た。 近藤のトランシしハー交信の仕方は、意外にしつかりしている。お互い顔を見ながら話すときは、 わりときついことを言っても通じる場合が多いが トランシーバー交信の場合には、ちょっとした言再 マ ン 葉遣い、語尾なんかでお互いにイライラしていると、カッカくることが多いので気をつけている。 このことについては、何回も遠征のたびに感じているが、今回初めて参加した樫原も、近藤のふだモ んと変わらぬーー・ーということは、逆にいうとむしろていねいな形でいわなければ、変わらないと聞こチ トランシー えないのだが ー交信の仕方には感心していた。ふだんは「おはよう」のあいさつも ( と名付けた平坦なだだっぴろい台地のところ ) でビバ

9. 魔頂チョモランマ

と思います」貫田にしてみれば、から oe•、 on と同行したメン・ ( ーのうち、だれに、 0 4 に残 れとは言えなかったに違いない。皆でビークまでと燃えてきたのだろう。私は貫田が残っては、リー ダーシップがとれなくなるので四人で行くことに同意した。 そして福島には彼の明日の仕事である落下地点にある二つの袋の回収と、の整備を依頼した。そ してから来たシェルバたちに確実に前進用デポキャン。フ ( と呼ぶ ) に上げる荷を持たせるこ とも彼に頼むしかない。もし間違った荷が上がってしまえば四人はには泊まれなくなるのだ。福 島君、よろしく。 というわけで、一応彼らの明日の行動は決まった。しかしでは大蔵、早川、関根、私でいろい ろ検討した。四人が。ヒークへ行くには確かに酸素マスクが足りないが、しかし悪天の後のこの好天、 今がチャンスなのかも知れない。何とか誰かを。ヒークに上げられないものか。案はいくつか出来た。 凍傷にもめげず 十二月三日。本日も天候はよい、風もない。昨夜の交信でに上がっている五人とも元気だった。 全員がルート工作しながら、 =o に上がりたがっていることも分かっている。福島がに残ってく れるということに、やはりべテラン、全体の中の自分を考えてくれたと感謝。なにはともあれ、昨日吮 延ばしたザイルの上に一ビッチでも多く、今日も延ばしてほしい。からおっかけ荷上げしてくる 五人のシ = ルバたちによる物資で、一メートルでも高い所にキャンプを作ってほしいと思っていると ころに交信が入った。

10. 魔頂チョモランマ

だ、そんな感じもした。 風間チームを見送り、一段落し、早川、近藤がを出発した。 フランクな話しあい 十一月十一日。ここのところ天候はおちついている。冬のチョモランマの無風快晴は望めないが ーティーが 01 入りした。早 晴天であるだけでもうれしい。本日は mc-) から貫田、福島、大矢のパ 近藤は 01 から ro 2 に移動した。また 0 3 建設のための荷上げでシェルバ四名が 0 2 から 0 3 に 向かっている。実は数日前サ】ダーからシェルバたちの荷上げについて 01 から一日で 0 2 を通過 し、 0 3 へ荷を届けるという案が出され、ルート工作ずみのこのルートなら、ザイルにユマールをか け、ただひたすら登ればいいのだし、危険性もなく、かえって急な斜度の尾根の上にはってある 0 2 に宿泊するより、から出かけへ戻って眠る方が彼らにとってもプラスと考え、この方式で荷 上げすることを了解していた。 そしてそれを昨日行う予定だったが、結局までは行けず、昨夜 (-)N に泊った彼らが on へ本日 荷上げし、 01 へ戻ることになった。 ー交信で本日 01 に上がった福島からまず、 01 の除雪について言って 夕方、七時のトランシー 来た。 01 は、前回は広い雪原の上にテントを張り、その周囲に装備を野積みにしていたのだが、こ れが毎日の地ふぶきで、すぐ埋まってしまう。またトイレに行くにも、以上に上ける荷物を背負 い子につける作業をするにも、一歩テントから外に出ると地ふぶきの中で動かなければならない。そ Z34