出発し、五日かかって最高点まで行くということは、少なくともその間の天候が落ち着かないとスム ーズには行かないということだ。 本日の大蔵パーティのように二日目、三日目で一度下り、から出なおすと日数も多くかかるし、 途中のキャン。フで待っということは、休養はとれず、むしろ消耗するから、体にとってマイナスだ。 大蔵は「、風おさまりました。明日はよくなるでしよう」と希望的観測の意見を送ってきた。福 島パーティは竜巻をかいくぐってに入り、すでに大蔵たちと合流している。後は夜の交信で、貫 田パーティを待つだけだが、の風はきっとまだ強いだろう。七時の交信で、 c-•)—の大蔵から、近 藤とペイハ ・ = リが稜線上にいて、貫田はまだ壁の中だから一時間半くらい遅れていると言 0 て きた。今日に限り日中の風の中を登るより、タなぎになって来た今の方が楽かもしれないから、夜間 : とエ自しこ。 登攀も許しちゃおうか : 八時の交信で、近藤が二時間前に着き、テントの周囲の除雪をしていたと言ってきた。貫田が九時 にに到着、近藤は貫田の到着前「ボクは前回、十一日間、強風のに泊まった経験があります から、この風で前回を思い出し、血が騒ぐ程度ですが、貫田さんが来たら驚くだろうと思います」と 言って、の風の強さを報告してきていた。 ず 「貫田君、ごくろうさま、日中より楽たったですか」と、到着した彼に様子を聞くと、「そんなことけ ありません。途中一回飛ばされました」あの巨体でも飛ばされたとは相当の風た。「地獄の、今、 テントを体でおさえています」案の定、風の強さを強調している。明日の天気、風がおさまってくれ ることを祈りつつ寝る。 に
聞こえている。貫田の声も明るいし、相変わらず、いつも通りおどけている近藤。疲れたとはいって もまだまだ余力十分というムードだ。記念すべき (-)n の建設。本日五日。この八時のトランシー 交信は、録音した。 キャンプが一つできると、はなやいだ気分になるものだ。そしてもう次のキャン。フ建設への期待が 膨らむ。特に今日、貫田。 ( ーティは、まだ太陽の光が見えない午前九時には、を出発していた。 途中入った交信では、風が強く氷塊が風で吹き飛ばされて来て、彼らの表現によると、「テレビ大の 氷が飛んで来ます」とのことだった。近藤が貫田に、「貫田さん、こんな日に登るんですか。これは もう、根性とか技術なんてもんじゃないですよ。無謀ですよ。危険だから下りましようよ」と言った とか。貫田が「どうしましよう。中止しますか」と問い合わせて来たので、「登れない状況ですか」 と言ったら、「登れると思います」と言うので、「それでは行って下さい」とは言ったものの、今日の 建設は無理かなと思っていただけに、風が強い中の建設に感謝したし、感激もひとしおだっ た。明日の行動については、建設に向けてのこちらの期待とは裏腹に、貫田ははじめ疲れている ので、何ビッチ伸ばせるか分からないと言って来た。明日ルート工作の後はべースキャン。フへ戻りた いという。本日の成果をたたえ、明日のルート工作に期待し、その件は了解と言うと、こんどは「分 かりました。明日は十ビッチは必ず伸ばします」と叫んでいた。 次に 01 と交信。こちらは明日の荷上げ物資の話。その後、サーダーとシェルバたちの話になっ た。現在 01 に上がっているシェルバは、若手四人組。ナワン・ヨンデンの弟二人とあとはインデ工 ラとアン・。フル・ハ。彼らは冗談が好きだし、生きがいいし、″タマタマ″とタ・ハコが好きだし。だが、 118
はその岩の流れでおし流されているのでは、と想像していた。もしそんなことがあったらと思い、下 から行くパーティにはロープを持ち上げるように指示もしていた。 これでとりあえず 0 に泊まれることが分かった。そこでサーダーに、シェルバにもう一日 0 4 に 泊まり、明日、大蔵パーティをサポートしてくれるよう頼んだが、しかし、彼らはすでにに三泊 しており ( それも泊まるだけで、行動しなくても二十五ドルのポキシスを約東し ) 限界だといって 1 へ下った。サーダーとシ = ルバ間の話の後、すぐ大蔵から交信が入った。「 0 テント、天井に五 十センチほどの穴あき、カギざき、中は雪、雪をかたづけ、荷物をまとめ、テントをつぶして帰りま す」「帰るそー」 今日は o には泊まれないのだ。 0 4 に戻った彼からは早川、関根はよくやった、ほめてやってほ 彼よ自分が行動すると しい、しかしもう限界だから、明日に戻す、自分は残る、と言ってきた。 , 悪天にぶつかり、ツィていないとポャいていたが、でも元気そうな声だ。との交信で、福島から 続行か、撤退かの意見まで出たが、大蔵からは、なにしろ上がってこい、メシと¯を持ってこ と交信していた。 十二月十一二日。本日も天気が悪い。昨日同様、チョモランマの上部は雲におおわれている。朝の交 信のあと、ずっと双眼鏡をはなさなかった。昨日に泊まった大矢、樫原が、十一時ごろにはもう の五。ヒッチ下、チャンツ = の稜線の上の部分から見える氷壁に姿を現した。等間隔で行動し、 いペースで登っている。 0 4 からは早川、関根が下って来るのも見える。 0 3 に泊まったシ = ル。 ( は、昨日はそのうちの三名は近藤とともにまで行くと言っていたが、そのうちの二名が下痢でカ 228
をとばして 0 3 に荷上げするからとのこと。 0 3 に行く意思のないシェルバ。本来なら 0 2 に止めて跖 おき、現在 01 にいる隊員をストツ。フし、彼らに少しでも休養させたいところだが、残念ながら 01 シェルバいわく、隊員はすでに 0 2 に向かって行動している、という。参ったな とは交信出来ない。 あ。こんなときに連絡がとれないなんて。もしシェルバを止めておけばすでに 0 2 に向かったといわ れている隊員たちと 0 2 で合流してしまうと、今夜泊まるテントがたりない。しかたなくシェルバの 要求を全面的にのんで、へおりることを許可した。 十二時前「ボクたち、このまま入りしていいのですか」と樫原から交信が入った。彼は氷壁の 中で、下ってくるシェルバ五人の群れに驚いたといったが、事情を説明したところ「ハイ」とそのま ま登山を続行した。夜の交信の際、に行ったはずの大蔵。 ( ーティがにいることを知り、 の福島パーティは明日 0 3 に上がってよいかと聞いて来た。「天候が悪い場合は 0 2 で待ちたいと思 います」とも言ってきた。 天候は悪いだろう。そのうえ八〇〇〇メートルで今日行動した大蔵パーティはきっと疲れているだ ろうことも予想していた 0 では、明日 0 3 に入るというシェルバのなかで、強いナワンとニマ・テ ンバをつけて、足の早い近藤を明日 0 3 に上げ、明後日は 0 4 を飛ばし 0 に上げようと考えて、 た。彼らを先行させ、大蔵パーティをその後につけては。 もう一つの問題は、に明日シェルバ三名と隊員 ( 福島パーティの四名 ) を全部上げると、テン トが不足する。それでシェルバ一名を 0 4 までの荷上げ予定たったのを、 3 までの荷上げで帰そう と日中のうちにサーダーと話しておいた。ところが 0 2 からは「二つの考え方があります。一つは明
きたり、突風がきたりで大騒動。テント、場、それから食事用のロの開いたカートン、ハイ。ヒーシート を敷いてあった食卓はすぐに砂だらけになった。昼食が終わると、すぐにタ食の支度だ。装備その他 が揃っていないので、食事の支度もたいへんだ。中国で借りるはずの大型パーナーがないということ で、出発間際になって自衛隊で使っているといわれる石油コンロの大きいのを取り寄せた。これは空 輸で一緒に持ってきたものだが、この使い方が最初わからず大変。みんな初めは火をつけてみたが、 ちゃんとっかないので逃げ腰になってきた。そこで早川と私とで「そのまんまこれ、温まるのを待て ばいいんじゃない」と、火をボウボウたいておいたら、しばらくして、ゴホという音がして、本格的 に燃えはじめた。やっとお湯をわかしたり、クッキングができるようになった。夕飯はラーメンの中 にキャベッとハムを入れたものを作った。みんな喜んで食べた。二十人余りの食事の支度に追われ、 やれやれの一日たった。 十月十三日、サポート隊の風間さんたちは、朝から食事当番をかって出てくれた。以前からキャン 。フ生活になったら手伝ってもらう約東だったので大はりきり。シェフ、シェフといわれて、食事の支 度に専念している。昨日のうちから朝は大根がゆ、それもみそがゆにしようということで、アサリの ・クッカーに入れておいて みそ汁の素と、大根の千切りの残りとごはんの残りをすでにプレッシャー あった。 旅遊隊のお客さんたちは、十時頃からこの辺の山を登るということで、左岸のガレだけでできてい るような山を、左側のほうの尾根から取りついて登りにいき、調子の悪い人だけが残った。一応、今 井さんだけは、体の様子を見るということで残った。菊地さんは一緒に出かけていったが、途中で引
てしまい、残りの = マ・ドルジ = は 0 2 ~ 0 4 を一日で往復すると言ったが、サーダーが 0 2 に待た羽 せ、大蔵パーティと同行する二名と合流させたので、五名の行動となる。彼らはアタックまで同行す るかと言うこちらの話に、 0 5 まで荷上げすると言い、例のシャク・ハを要求して来た。 0 5 への荷上 げで一人百ドル、テントを立てて一人百五十ドルとのこと、このところシャク・ハが横行している。 十二月八日。大蔵パーティ ro 3 へ、天候はよくない。昨日はチョモランマの後ろにあって走ってい た雲が、今日はとうとう前に出て来てしまった。上部三分の一くらいをおおっている。しかし彼らは 意気さかん、 0 3 にはいってしまった。前々回の悪天の際、こうした感じでチョモランマがかくれ、 翌日はとんでもない悪い天気になるかと思っていたら、雲一つない晴天になった。前回は毎日それを 期待したのに、七日も悪天が続いた。今日の天気を見る限り、どちらにころぶか分からない。もしか 彼も天気たけが気になるところらしく、ボク したら明日晴れるかも、といい方だけ大蔵に伝えたが、 / もそう期待しています、と言ってきた。 十二月九日。晴れた。 / - 彼らは 0 4 入りした。計画では朝、早目に ro 3 を出て 4 をとばし、に 入ることになっていたが、三時半、 4 に着いた大蔵から、あとの二人がだいぶ遅れていると言って きた。早川五時半、関根六時に着で、まであと十。ヒッチは本日中には行けないため、泊 り。雪洞好きの大蔵がシェルバ三名とともに雪洞に泊まり、早川、関根がテント泊。大蔵は雪洞が快 ーティがいっ 適だと張り切って言ってきた。ではもう日数も残り少なくなってきたので、次のパ 出るかが話題のまとだった。 スケジュールでは、十九日に o を撤収することになっている。ということは、ビークに着いた日
うにするのだと言った。 0 を見た 十一月十八日。朝、チョモランマを見たら、ドライアイスが冷気を発散し、その中の本体が冷気で 見えないのと同じように、西から吹く風で山自身が見えないほど雪煙が上がっていた。もうもうとし た雪煙で風の方向も分からないほどだった。ヤ・ ( イ、ものすごい風だ。本日荷上げに行っているシ = ルバたちは 0 2 と 0 3 にいる。どちらもこの風ではビビッているだろう。そんなことを考えながらキ 、シェルバたちはサンザイツア ( 元気 ) だと言う。 ッチンテントに行くと、サーダーが サーダ 1 は昨夜八時ごろ、交信のためにキッチンテントを出、 0 を見たのだそうだ。北の空、 山里の方から青ゃ。ヒンクや白光色の、とてもカラフルに輝いている縦長の三十リットル入りのジャグ くらいの物体がチャンツェ峰を超えて裏側に飛んでいったそうた。一瞬、アーツと言って驚いてみな ーでその話をした を呼ぶひまがなかったと言う。彼はそこで 0 3 にいるシェルバたちにトランシー ら、彼らは on からチャンツェを見、山すその方の斜面にその物体を見たという。そして夜間、ずつ と輝いてそこにあったという。 「そうか、幸太郎は、宇宙人のスカウターだったのか」と誰かが叫んだ ( マスコット犬のラッキーを 改名し、昨日あたりから隊員たちは幸太郎と呼んでいた ) 。「そういえば、あいっ昨日に行った な」昨日サ 1 ダーたちが 01 に荷上げに行った時、ラッキ】はついて行っていた。そしてサーダーい わく、今朝ものすごい勢いで 01 の方へ走って行ったという。しかしサーダーは、ラッキーは寒さを 158
近藤も「貫田さんがこんなに強いとは思いませんでしたよ」なんていっていた。私は不愉快だと言 われても、やはり頭の隅に、大丈夫かなとの不安があり、元気かと聞いてしまったのだ。今回はぜひ 最後まで健在でいてほしい。に貫田、近藤、に大蔵、関根、今日動いている人間のうち関根 をのそいて、前回の経験者だ。早川、大矢がリタイヤして来て、結局は前回の経験者のパワーで登る しかないのかな、と十八日の大風の日以来、ルート が進まなくなってから考えていた。 そんな時、 0 2 からトランシ ー・ハーが入って来た。「 2 です。大蔵ですが、関根はまだついてい ません。三回ほど待っていたのですが、風が強くてものすごいので、先に来てしまいました。彼はリ ッジの所であと五 ~ 六ビッチだと思います」そうか、またも夜間登攀を、手に汗をにぎって見まもる のか。から近藤が、「今、貫田さんが壁を見上げていますが、ヘ ッドランプの光は見えません」 と言ってきた。 0 2 からは「テントの中、シュラーフもコッフェルも風で動いて散乱しています」と 言ってきた。大蔵も着いたばかりだろうし、落ち着いてから交信をくれるように言って、しばらく待 っことにしこ。 01 の近藤がアナウンサーのような声で「ケンジは生まれた時から、チョモランマ養生ギブスをは められて育った。のどには養生フィルターをはめられ、空気はそのフィルターを通し、地上の三分の 一しか体内に送りこまれなかった。ケンジはたえられず、″ャダヨー コンナモノ〃とギ。フスをはずけ した。父親は怒っておぜんをひっくりかえした。父親は貧しかった。貧しいのにおぜんをひっくりか : 」とトランシー えした。いや、おぜんをひっくりかえしたから貧しかったのか : ーをいたずらし て一人語りを始めた。
言っていた。当初の予定では 0 5 のルート工作に出るのが二十五日なので、その日にアタックすると 息まいていた。今日の整備で全体の行動が一日ずれた。 「登頂日が二十六日になっちゃったなあ」と樫原はつぶやいた。 0 5 建設のためには、テント資材も 必要だし、第一、 0 5 からのルートにはフィックスドロー。フが必要だ。風が強い冬、安全のために特 に頂上付近はフィックスなしではとばされてしまうから、ぜひルート工作がいる。となるとにと ックスを 冫し力ないカら いったん下がってフィ どいても、十本もフィ ックスを背負って行くわけこま、 0 5 に荷上げしてからアタックとなる。今回の一順でアタックは考えられない。もう一回 0 から 0 1 、 0 2 、 0 3 、 0 4 そして 0 5 と行ってアタックになることは誰でも知っている。しかし樫原は 「午前二時に出ればなんとか行けるでしよう」と今夜も繰り返した。 隊員の体調が心配 十一月二十日。から早川パーティが出た。昨日と今日は風も弱い。の隊員たちは休みが多 くだれ気味。それそれ本を読んだりゴロゴロしている。私は左半分の頭が痛くてカゼかなと思ってい たら、貫田がやはり頭痛で酸欠かなと言った。「テントの中は空気が悪いのかな」と言ったら、「空気 け 入れ換えしたんですけどねえ。そう言えばシェルバたちはいつも日中は外にいますね」と言った。 負 確かに彼らは休養日には洗髪、洗濯等した後、ダンマットをテントからひつばり出して外で寝そべ印 っている。車座になってカケゴトをする時も太陽の光の下でしている。しかも彼らの陣取る所が、風 があたらず、日のあたる所に必ずいるから不思議た。 こ
さい」「ザー、ザー」「はい、わかりました。一人だけで大蔵、関根はまだついていないということで跖 すね」「ザー、ザー」「アキさん、食事は済みましたか」「ザー、ザー、ザー」「はい、わかりました。 まだ食べていないということですね」 テリーおちしたトランシー ・ハーからは、言葉は聞け 近藤と樫原の交信はこんな具合になった。バッ ないが、発信音だけは入って来る。まだに大蔵、関根がついていない。昨夜にひき続き今夜も不 安。早川は、「さあ、今夜も実況中継が聞けるかな」などと言っていた。 発信ブッシュ音と近藤とのやりとりで、時間を過ごし、十時になった。その五分くらい前、私は早 近藤に「もともと大蔵君は夜でも登れる人間でなければ、この山は登れないという考えの持ち主 だから、夜になったからと言って動じてはいないと思うけど」と話したら、近藤が「そうですよ、だ って今日の二時過ぎにまだ 01 から五 ~ 六ビッチの所にいて 8 ミリカメラの撮影をしながら登ってく るから、大蔵さん大丈夫ですか、といったら 8 ミリ撮っているし、今日は遅くなるよ、ボクが最後だ よって、むしろ得意そうでしたから」と言った。 「でも大蔵君だから大丈夫なんて思っていたら、案外どこかでスリツ。フして動けなくなっているって こともあるし、どうしようか、にいるシェルバに迎えを頼もうか」等々、真剣に話していた。 トランシ ーの。ハッテリーのあり場所 突然、明瞭で大きな大蔵の声が飛び込んできた。「えー を樫原君に言っておいたのですが、見つからなかったみたいで、チグハグな交信になりました」彼の 声はちっとも、、ハテていなかった。それどころか自分が遅くなったことさえ気にもしていない。 「私は怒っています。昨夜のこともあり、本日は早く行動するように朝言っといたのに」私の交信を