サーダー - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
56件見つかりました。

1. 魔頂チョモランマ

彼は前回のヤク工作員頭で、今回四百五十元でヤク一頭を売ってくれた例の人だ。さすがは前回の ヤク工作員頭、羽毛服などをきている。ツアンパを買いに行ったサーダーたちは、途中で彼に会い 上の部落で十キロほどのツアンパを購入したが、残りは彼の所で買う約東をしてきたそうだ。一応、 彼はツアンパは一マス一・五元といったけれども、彼としてはツアンパをお金で売るよりも、お米か タ・ハコと代えてほしいといいにきたのだ。サーダーが戻ったら、また話し合うということにした。彼 は下の村へいった。 明日は福島、樫原をにあげる予定もあり、貫田と相談して、三時からサーダーと今後の動き について話し合う。確認事項のみで、新しいアイディアや要求その他は別になし。予定は、十八日に ・ツェリン、ダワ・ノル・フの五名が e 樫原と福島、それにシェルバのナワン・ヨンデン、ペン・ハ に上がる。今回の第三次隊の任務は今後、の人数が増えることもあって、中国テントを一張り へ立てること。そのあと 0 にあがる日に、 0 にもやはり中国テントを立ててきてもらうこ とだ。 サーダーとシェルバの動き、任務について話し終わったあと、隊員だけが集まって、シェルバの扱 い方について話し合った。命令系統はきっちりしよう。サーダー対隊長の話し合いの中で行っていく しほかの者は勝手なことを こと。ただし食糧関係についてはカナ・サー・フ関根と、コックが話し合、 いったりはしないと決めた。福島は、八分はきびしく、二分は温情をもってシェル。ハと接するように しようと話し、貫田からは、だらしなくすると相手もだらしなくなるという意見が出た。 ・テンジンとは、ダウラギ 私たちはすでに数回、シェルバを使っている。とくにサ 1 ダーのラクパ

2. 魔頂チョモランマ

確実に赤い点がホーン・ハイン・クーロワールを登って行く。今日も福島い近藤はルート工作に出た。 o では行け ! 行け ! この好天のうちにアタックまでもって行け、という思いだった。二時間く らい遅れて二つの影が雪壁を左斜上している。等間隔で登って行ったシェルバど。 ー交信をしていた時、ニマ・テンバが この二人については朝の交信時に、サーダーとトランシー 「シャク・ハ ( おかゆ ) アリカテ ( 少し ) 」と言うのが聞こえた。昨日、サーダーが説得し、逃げ帰っ たシェルバの三人分の荷を、本日もこの二人が荷上げするため、昨夜は帰らずにに残ったのだ。 昨夜、雪洞に泊まった二人は睡眠中に酸素を吸ってすっかり元気。食べものはおかゆが少ししかな とサーダーにうったえているのだと私は思った。ところがサーダーは苦笑いをし、シャクバと、 うのはポキシスのことだと言う。彼らは本日荷上げし、テントを立てる作業もするから、ポキシスを 少々値上げしてくれというのだ。 私はラッキーセプンで七十にしようといった。すると彼らは数が悪い、七十五にしてくれという。 した。彼らは昨日の荷上げで場所を選定し、本日行く気になったらしい。さすが。フロ、大蔵もび つくりだった。その二人が先頭の赤い点を追い上げて行った。もしかしたら近藤と福島、それに二人 のシェル。 ( をこのまま本日張るテントに泊めて明日アタックさせようか。そんな話が出た。その話に から帰って来た貫田を含めサーダーものってきた。 ところが双眼鏡で見ていたら二時過ぎ、 0 4 のテントからポッと人影が出て、その点がどんどん登 「てい 0 た。あれ ! て 0 きり福島、近藤がルート工作をしているものと思 0 たていたが、一人は今魔 まで、 ro 4 のテントの中にいたのか。今ごろ出て行くとすれば、それは寝ぼうの近藤に決まってい 2

3. 魔頂チョモランマ

うにするのだと言った。 0 を見た 十一月十八日。朝、チョモランマを見たら、ドライアイスが冷気を発散し、その中の本体が冷気で 見えないのと同じように、西から吹く風で山自身が見えないほど雪煙が上がっていた。もうもうとし た雪煙で風の方向も分からないほどだった。ヤ・ ( イ、ものすごい風だ。本日荷上げに行っているシ = ルバたちは 0 2 と 0 3 にいる。どちらもこの風ではビビッているだろう。そんなことを考えながらキ 、シェルバたちはサンザイツア ( 元気 ) だと言う。 ッチンテントに行くと、サーダーが サーダ 1 は昨夜八時ごろ、交信のためにキッチンテントを出、 0 を見たのだそうだ。北の空、 山里の方から青ゃ。ヒンクや白光色の、とてもカラフルに輝いている縦長の三十リットル入りのジャグ くらいの物体がチャンツェ峰を超えて裏側に飛んでいったそうた。一瞬、アーツと言って驚いてみな ーでその話をした を呼ぶひまがなかったと言う。彼はそこで 0 3 にいるシェルバたちにトランシー ら、彼らは on からチャンツェを見、山すその方の斜面にその物体を見たという。そして夜間、ずつ と輝いてそこにあったという。 「そうか、幸太郎は、宇宙人のスカウターだったのか」と誰かが叫んだ ( マスコット犬のラッキーを 改名し、昨日あたりから隊員たちは幸太郎と呼んでいた ) 。「そういえば、あいっ昨日に行った な」昨日サ 1 ダーたちが 01 に荷上げに行った時、ラッキ】はついて行っていた。そしてサーダーい わく、今朝ものすごい勢いで 01 の方へ走って行ったという。しかしサーダーは、ラッキーは寒さを 158

4. 魔頂チョモランマ

まだ来ていません。一人で下ります」と言って来た。私は待つようにいった。「でもサーダーの足は 速いからテンポが合わないと思います」「そんなことはありません。彼はネパールで、トレッキング の時、高齢者を連れてゆっくりゆっくり歩くことにだってなれています」「それではサーダーが来る まで待ちますが、大矢は朝、吐いていました。に戻した方がいいのではありませんか」「大矢君 のことについては今日 01 に行った貫田君の判断にまかせましよう」「はい、それでは大矢は残して 貫田さんが来るのを待たせます」 二時半ごろ、サーダーがに着き、五時頃、早川とサーダーは帰って来た。早川は右の七、八番 弓い。せきは弱々しく、そっと 目の肋骨のところを痛がり、肺の音を聞くと左下部の呼吸音が、やや弓 しないと痛いらしく、イテー と叫ぶが、思ったより元気。福島が「どう ? やつばり気胸 ? 」と 聞く。「そうでもないかなあ」私は返事をにごした。聞こえるとはいえ、弱い呼吸音で、迷っていた。 「隊長、どうしよう。ティンディに予約に行かせた成都行きの切符のキャンセル、間に合わないよ」 福島はそう言って私にウインクした。早川は冗談と知ってか知らずか目を細めて笑っている。早川の 診断はつけられないが、左肺の呼吸音も聞こえることだし、で様子を見ることにした。 01 から交信が入り、大矢のことを、貫田から「ボクはドクターではないので判断しかねます」と ず きた。「彼は次のパーティにジョイントしたがっていますが、次のパーティはシェルバ四人といっしけ よなので宿泊が無理です」と言 0 てきた。昨夜、もし早川を連れて私が成都へ行くとしたらとの話の 烈 時、はじめはまかせてくださいと言っていた貫田は、その後、タクティクスを考えるのは大変だとい った。そして病院はシガールでもいいんではないかともいった。ドクターにいなくなられては困る

5. 魔頂チョモランマ

みこしてチョゾンの村へ帰ったのだろうと言った。日中、サーダーとシェルバたちはオペラグラスを 離さなかった。早川が望遠レンズを北壁に合わせており、こちらはそれをのそいていた。 「からはどうも二人だけ出ているみたいですよ」そうか、本日は風も強いし、今日の荷上げは不 成功か。そんなことを思っている時、サーダーが / 「・、ラサープ ( 隊長 ) 、 0 4 のすぐ下に四名、そし てを越えた岩の所に二名登っています。ホラ」と双眼鏡で見せてくれた。「見えるでしよ。ああ、 今は雪煙の中た」「ほら見えるでしよ」しかし私には見えなかった。風をよけて電機室の中に体を入 れてジックリ見たが見えない。でももしサーダーのいうことが本当なら台風の時の荒波のように、次 から次と西から東へおしよせている雪煙の中、昨夜 0 3 に泊まった四名のシェルバとさらに昨夜 0 2 に泊まったシェルバ二名が、彼らは 0 3 を通りこして 0 4 へ向かっていることになる。すごい、さす がプロだ。 十一月六日がやはりこんな風の日たった。 0 2 から出る貫田パーティに強風と聞いた時、ここで日 和っては後にかかわると行動を依頼したことを思い出した。この時、風が強いからと出なかったナワ ン・ヨンデンのパーティが、隊員が出発したので、仕方なく行動した。この経験から彼らは本日も行 動したのか。 ず ーでは出たくけ 六日の件に関しては、後日 o にもどった貫田の話では、 0 に対するトランシー ないようなことを言いながらも出発準備は着々と進め、近藤に、シェルバを呼びにやらせたところ、 ノエレ。、 : ノ / カ天気が悪いと言って出なかったので近藤は、ま I must go" と言ってきてその後、貫田が 「今日出ないと小西さんに報告するそ ( 次回、ナワン・ヨンデンをサーダーとして小西さんたちが使 に

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う予定 ) 」とおどしたとのこと。 ・ツェリンの声でサーダーを 今日はシェルバもたいしたものだと思っている矢先、 01 からペン・、 呼んでいるトランシー 彼らの話は分からないが、ペン・ハが 01 にいるとい ーの声が聞こえて来た。 / うことは、上に二人影を見たというのはサーダーの見まちがえか。一喜一憂。夕食の後、サーダーに 聞いたら四名はもとより、ニマ・テン・ハが 0 3 をスキツ。フして 0 4 へ荷上げしたという。ペイハは 0 3 を越え二 ~ 三ビッチの所で靴が少々きつく、足が冷えて 01 におりてしまったとか、すでにペイハ は o に下り夕食の席にいた。そうか、そういうことだったのか、それにしてもふだん無ロでガッシ リした体、歌は率先して歌うニマ・テイハ、強い 早川、大矢パーティが 01 入りした。二人が準備していると関根が「早めに行った方がいいです よ」と言った。風が強い、早目に行って 01 の整備をした方がいいということ、この時点ではその程 度に考えていた。二時半に o を出発した早川から交信が入ったのが五時半。「べース、べース、こ 「ハイビーシ ちら 01 、ただ今着きました。 01 は完全に崩壊しています」叫ぶような声だった。 ズタズタです。テントは雪でうまっています」 昨夜来の風で、とうとうやられたか。とりあえず、ミンマ ( コック ) と隊員一一名が今夜過ごせるた けのスペースを作るよう指示し、明日の 2 入りをうながした。どうりで 01 から交信して来たペンパ のへの帰りが早いと思った。ペイハは 01 についたが誰もいず、あれ果てた 01 にびつくりして 一気に o に下ったのか。 160

7. 魔頂チョモランマ

得が行かないのだろう、装備係として。 私は考えた、 / 彼の完璧精神をここで発揮させると、彼が・ハテるだろう。ほうったまま上に行けと言 ってもわだかまりを残すだろう。そこで彼が雪洞を掘るというのをした。から出る関根も 1 は大切な基地だから、ちゃんと直した方がいいと言って出て行った。六時の交信で、早川から、テ ントは雪原に出して張り直したと言って来た。キッチン用のテントはミンマがそのままでよいという のでそのままにしたという。 十五日に 01 に上がったミンマが、仕事をしやすいようにハイ。ヒーシート内の雪面を掘っていたと ころ、クレバスが開いて片足が股まで入ってしまうという事件があった。荷上げに行ったサーダーが 、、ンマは切り取った氷をそこにつめたそうだが、危険ではないかと のそくと、大変深かったそうだ。 聞いたら、サーダーは危険だと言った。キッチンテントの前から右の方にはしるクレ・ハスだという。 この事件があったから、早川に昨日のクレバスはどうしたかと聞いたが、吹き込んだ雪が積もってし とうせならキッチンテントも移動した方がよいので まったため「雪の下、雪の下」との返事だった。・ ゴミ捨て場にいいよと大 はないかと話したが、あと二週間、急には開かないから大丈夫とサーダー 蔵、そして 01 は、まず住めるようになったらしく、明日、早川パーティは 2 入りすると言う。大 蔵パーティは 01 にステイし、明後日出る。予定より一日遅れとなった。 では相変わらずアタック時のことが話題となっており、四番目に出る福島パーティの樫原は、 ーティで充分だから、午 5 までのルート工作は早川パーティ、大蔵パーティ、貫田パーティの三パ 前一一時頃を出てフィックスの最高点に夜明けに着いて、そこから頂上をねらっちゃおう等と毎晩 164

8. 魔頂チョモランマ

・異常気象 チベットの冬は″冬季〃とはいわず本来なら乾季だが、″風季〃と呼ぶくらい風が強い。しかし降雨 量はゼロに近い。ところが今年のチベットは雪が多く、私たちが入山したときは、ヤクが歩けないほ どの大雪が六日間降り続いた。べ 1 スキャンプ ( ) 設営後、一段落して、電機室が作られてから、 この雪の多さについては、さらに情報が収集できた。 大蔵が、ラジオを設置し、各地の気象通達やファクシミリ放送をキャッチできるようになったが、 中でも私たちのいるチベットと国境をへだてた山向こうのネパールのニュースは強烈だった。 例年、ネパールでは十月から十一月にかけてのポスト・モンスーン期は天候も安定し、秋晴れの山 麓には世界各国からヒマラヤに触れようとトレッキング・チームがやってくる。その後、秋の終わり には二、三日大雪が降るか、大風が吹き、その後に冬が来る。 ところが今回は、十一月中ごろに来た冬のおとずれをつげる大雪が異常に多かったようだ。スペイ ンのトレッキング・チーム二十数名が、ジョムソン街道で雪のため一週間とじこめられたという。ネ 。、 1 ルのトレッキング・ロードはどこもその沿道の村々は小さくて、村人たちは自給自足に近い生活 をしているから、一泊して通りぬけていくトレッカ 1 に一宿一飯のもてなしは出来ても、二十名もの 人間にそう長くは食物を供給出来るほどのたくわえはない。一週間もすれば、食料が底をつく。 そこで、このトレッキング・チームをガイドしていたシ = ルバ四名が食料補給と救援を求めるたず め、ジョムソンまで下りた。・ : カ途中、なだれに遭い死亡したという。その後、天候の好転を待 0 て瓰 ヘリコ。フターが出動し、トレッキング・チームの二十数名と、ポーター約十名は無事救出されたとの ・テンジンはいっていた。′ ことだが、例年では考えられないことだ、と私たちのサーダーのラクパ ( はネパ 1 ルでもサーダーの中のサーダーとしてその優秀さ、経験の豊かさでは第一人者だ。工べレス

9. 魔頂チョモランマ

し、荷台から次々とシェルバたちが降りて、その石をどける。ガラガラッという音とともに、河原に 落っこちていく大きな石を見、シェルバたちのパワーを感じる。 峠を越えるとチョモランマが正面に見えてきた。シ = ルバたちが歓喜の声を上げる。さらに進み、 最奥の寺院ロンプク僧院に到着。信心深いシェルバたちが、ガーゼのような白い布にお布施を包み、 本堂で祈る。布を持っていた大蔵が布だけ持ってお祈りに行ったが、お布施がいると分かり戻って来 た。前回、廃虚だったこの寺。今回は、本堂の壁面いつばいに極彩色の仏画が描かれ、本尊が真ん中 ( 仏舎利塔 ) に安置されていた。祈りの終わったシェルバたちは、サーダーの指揮の下、ストゥパ にタルチョをかけ始めた。タルチョは経文を書き込んだ五色の旗で、空間の護神 ( 赤 ) 、雲 ( 白 ) 、空 ( 青 ) 、川 ( 緑 ) 、大地 ( 黄 ) とにぎやかだ。トラックの運転手さんも助手もチベット人。その辺にい たチベット人たちも集まって来て、みんな大騒ぎして手伝う。私は旗が塔の一番てつべんから三角形 に張れなかったのを見て、何となく頂上へつくためには、一番上から吊るせばいいのになんて思いな がら見ていた。 シ = ルバたちの信仰の厚さは承知していた。山に入る前には必ず安全祈願に寺に行き、山の中に旗 を持って来てべース・キャン。フにはりめぐらす。また、さらに上部を登る時、危険と思われる場所、再 マ ン 困難なルート上では、お払いをしてもらったお米をまく等、彼らは日々信仰とともに生きている。し トの人たちが喜んたのには驚いた。中国にはもう宗モ かし、今回のシェルバたちの作業を見て、チベッ 教は無いと聞いていたが、チベット自治区ではその限りではないのだ。特にトラックの運転手さんチ は、自分がその前に立った写真を撮ってくれと、サーダーにせがんた。もちろん、サーダーたちもみ

10. 魔頂チョモランマ

慎重な貫田なら、こう考えるかもしれないとも予想していた。 サーダーと、に荷上げに行ったシ = ルバとの間で、 o«の状況を話し合ってもらい、その結果、 フィンクスドロー。フの最高点の一本が約三十 ~ 四十メートル落下、その先に二個荷物が見え、さらに その下に、離れてプルーの荷物が見えるが、そのほかはないということが判明した。 対策としては、福島パーティに明日地点に上がってもらい、荷の回収を幀む。プルーの荷とはテ ントだろう。ということは、テントを入れた袋はすでにばらばらになってしまっただろうから、それ と一緒にあったアブミ等の登攀具はないと思わなければならない。袋二つの中身はフィックスと生活 道具か等々、推理しながら次の大蔵パーティには 0 2 に残っているフィックス、スノーバー等を荷上 げし、 0 3 を経て 0 4 へ上るよう指示した。この際、明日 0 3 で泊まったら、三つのうちの一つのテ ントをに上げるよう言った。なにをおいてもを作り、さらに OLO へとルート工作を続行する ために。 一方、明日二十五日、 o からサーダーに e o までおりてもらい、 e o にある残りのテント等 を選んでもって来てもらう。次に mo から上る人間が、それを以上に持ち上げよう。各キャンプ にこの話をすると、貫田から、「下降中考えていたのと、隊長の指示とだいたい同じです」ときた。 ショックは大きく、またダメージも大きかった。なにしろ十人分の荷上げの労力と物資を失ったのだけ から。しかし誰もメゲていなかった。むしろフィックスが足りるか、スノ ーくーはどこかと真剣だ 0 盟 た。まだまだ登れる。 「いえ」と一言向こうから返事がきた。