ぎ返して、河原に長い間座っていたそうだ。 我々はテント回りの整備。昼ごはんはすでに日本でパックしたレーションを各自にくばる。ソーセ クですま ソク、それに水ようかん、キャンディが少々といったパッ 1 ジが一本とビスケットが一バ、 す。ただし食べている暇があまりない。食事当番チームは、チームワークが抜群で、ガンバってい る。特に浅井さんは非常にかんばって、パデ = ーに現在残っている食料を全部チ = ックして、梱包し 直し、すぐ取り出せるようにしてくれた。午後私は、砂じんをさけようと、川の水をテントまわりに まくことに専念する。しばらくして早川が帰ってきて、すぐ関根も帰ってくる。もちろん、お客さん ・オュー も一緒に帰ってきた。大体五一五〇メートルぐらいまで上がったという。そこからはチョー とチョモランマ、その他の山々がバッチリ見えたといった。 夕食の支度になる。本日は野菜炒めにしようということで、ニンジン、ジャガイモ、それから白 業、これをみんな切る。石原さんが ( ムを千切りにしてそれに片栗粉を混ぜ、トロッとした中国料理 ではないが、中国風の野菜炒めが出来た。 夕飯を作り出した頃、関根、浅井、風間の三人が、ノコ / コとどこかへ行ってしまった。河原を見 ていると、チョゾン村の方向へどんどん歩いて行く。福島、早川と、「妙な取り合わせだね、みんな再 食事の準備にあきたのかな」等といっていたら、今度はこの二人もいなくなった。しばらくして帰っン モ てきた二人はニャニヤしている。私は相変わらずキッチン場のところへ水をまきながら、ご飯に砂ぼ チ こりが入らないようにしていた。 風間さんたち三人がなかなかもどらない。私は早川、福島に三人の行方を聞いた。一一人は答えず小
てしまい、残りの = マ・ドルジ = は 0 2 ~ 0 4 を一日で往復すると言ったが、サーダーが 0 2 に待た羽 せ、大蔵パーティと同行する二名と合流させたので、五名の行動となる。彼らはアタックまで同行す るかと言うこちらの話に、 0 5 まで荷上げすると言い、例のシャク・ハを要求して来た。 0 5 への荷上 げで一人百ドル、テントを立てて一人百五十ドルとのこと、このところシャク・ハが横行している。 十二月八日。大蔵パーティ ro 3 へ、天候はよくない。昨日はチョモランマの後ろにあって走ってい た雲が、今日はとうとう前に出て来てしまった。上部三分の一くらいをおおっている。しかし彼らは 意気さかん、 0 3 にはいってしまった。前々回の悪天の際、こうした感じでチョモランマがかくれ、 翌日はとんでもない悪い天気になるかと思っていたら、雲一つない晴天になった。前回は毎日それを 期待したのに、七日も悪天が続いた。今日の天気を見る限り、どちらにころぶか分からない。もしか 彼も天気たけが気になるところらしく、ボク したら明日晴れるかも、といい方だけ大蔵に伝えたが、 / もそう期待しています、と言ってきた。 十二月九日。晴れた。 / - 彼らは 0 4 入りした。計画では朝、早目に ro 3 を出て 4 をとばし、に 入ることになっていたが、三時半、 4 に着いた大蔵から、あとの二人がだいぶ遅れていると言って きた。早川五時半、関根六時に着で、まであと十。ヒッチは本日中には行けないため、泊 り。雪洞好きの大蔵がシェルバ三名とともに雪洞に泊まり、早川、関根がテント泊。大蔵は雪洞が快 ーティがいっ 適だと張り切って言ってきた。ではもう日数も残り少なくなってきたので、次のパ 出るかが話題のまとだった。 スケジュールでは、十九日に o を撤収することになっている。ということは、ビークに着いた日
んだ。 ~ (-)< 間は、ルート的にはそう難しくはない。けれどもなるべくなら上の方で長居をしな いほうがいいから、近藤、早川のス。ヒードバーティを最前線にやり、そこにシェルバ二名を付けて、 ロ 1 プなどを持ってもらい、二人のスビードで。ヒッチを伸ばし、残りの部分は三人三人でルート工作 をする。もしくは、到達、建設予定地作りをするという形にした。こうして最初組んだタク ティクスは、早川、近藤が一日目、二日目が貫田、大矢、樫原、三日目が大蔵、関根、福島と足並み に合わせた。 ところが貫田いわく、大矢はもう六日働いているんです。僕はもう休ませて下さいみたいなことを いうんで、シェルバと同じような考え方をしているし、従って樫原と大矢を一緒にしないほうがいい という。結局最終案としては、早川、近藤がビッチを伸ばし、貫田には大矢と福島を付け、ヒマラヤ の経験のある貫田、福島によって、大矢に少しヒマラヤを分からせること。そして次に、大蔵、関 根、樫原。 ( ーティとする。大蔵、関根はスビードは遅いけれども、確実に登ってくれるということで こう決めた。 十一月九日。福島、非常に元気。 0 2 からの連絡が張り切っている。本日は何もない。 0 3 を切っ てきて、テント三張り、四張り、張れるという報告。本日は全員がべースキャン。フに集まった。 on を越えて、今度 4 に向かっての一つの区切りとして、ここでみんなとゆっくり休むということも決 負 めた。また、遅れていたが、関根の誕生パーテイもしたい。七日が誕生日ということで、夕食は豪勢 に。まもなく無事に関根、福島も帰って来たので、フルーツをたくさん入れたゼリーの上に、ホイツ 。フクリームをたくさんかけたり、鶏のから揚げを作ったり、。ヒーマンをてんぶらにしたり。また風間貶 に
る。テントを出た点はものすごい勢いで前の三人に追いついた。といっても、赤い点はさらに上に向 かっていた。 っ 「ただいまデボに着きました」一時間半ほどでに着いた近藤から交信があった。シェル。、 : 、 しょだと言う。サーダーがシェルバ二名に、今日も残ってアタックしないかと打診したが、寒いから 帰るとあっさり断られた。近藤はシェルバとアタックしてもいいと言っていたが、一。ヒッチ延ばして 戻って来た福島と相談し、二人だけでは荷が重すぎることも含めて無理と判断した。でも、スノ ハ 1 でフィッ クスドロー。フをはる仕事等々、二人では荷が重すぎると計算していた。それに八〇〇 〇メートル以上の高度の場所に三日間も滞在している二人は体も疲れているだろう。下るように言っ 「次のパーティのためにルートを延ばしたいし、帰って休養し、次のアタックに出たいし」と福島が 言った。「今日ボクは何もしていません。あと二ビッチ延ばさせて下さい」と近藤。しかし下るよう 指示した。「昨日、今日の二人の努力で充分、あとは大蔵パーティにまかせてください」こういう私 に「ありがとうございます。まで行けなくてすみません」福島の声が泣きさけんでいた。 確かに 0 5 までは行けなかった。頂上が遠くなった。でも昨日、今日の二人の力がホーイハインに ックスをはった。これで充分だ。これ以上彼らを疲労させては、次にもう一度ここまで来ること は出来ない体になってしまう。彼らにもぜひアタックのチャンスを作らせたい。それには一度 o に おろし、休養させなければ。 十二月五日。昨夜からに戻った福島、近藤はさすがに疲れたらしく、 ro«に泊まり、本日 218
等々、各所に積んであるカートンポックスを種類分けし、今夜のための水作りに専念した。きれいな 雪をとって来て水にして沸かす。一 リットルのなべにお湯を作るのに約四十分はかかる、 01 へ戻っ て来るシェルバのためのミルクティと・フラックティをまず一本ずつ作り ( 一 リットル入りのステンレ ス製魔法ビン ) 、さらにお湯を三本作った。 / 彼らの食事用、その後、やはり本日 01 に戻る貫田パ ティ用のミルクティと・フラックティ、そしてお湯二本。 早川は次のシェルバのグルー。フ用の荷上げ荷物、 0 4 までのダイレクトの分を作り、近藤はプリン を作っていた。三時ごろ、早川は仕事を終わり、 o へ下山した。「あっ、早川さん帰っちゃった ? プリン食べるの忘れて行った。ボクはチャンと食べて行くもんねえ」近藤は一人で自分の作った四人 分の。フリンを食べはじめた。「全部食べないで、次に来る人に残して行ったら ? 」昨日から細切りス ルメをおそう煮に入れて食べたり、いろいろお腹をこわしそうなものをいつばい食べた彼、下痢して も、残したらもったいないからと全部食べる主義の彼が、マイナス三〇度の雪洞で冷えきっているプ リンをカ 、・・、ツ、ガ・ハッと口に入れているのを見ていると気が気ではない。彼は半分ほど食べて「そ うだね」とカツ。フを置くと、四時ごろ、「ソリに乗って帰ろう」と言って出て行った。彼は荷物を入 れて運んで来た。フラ / 。、ールの箱を使って、べースキャンプでスノーサーフィン用のソリを作っていた が、それを直下までもち上げていた。 五時半、 0 3 の大蔵から交信が入った。「四時半には 0 3 についていました」昨日のことがあった ので、本日は一番はじめにしかも明るいうちにはいったという。 六時半、再び大蔵から、貫田パーティが七。ヒッチルート工作し、戻って来てを通過して下がっ
が出ないとか、他の一名も風が強いからと言って下りたがる。もうシェル。 ( の力も尽きたのかもしれ よい。しかたなく下ってよいと言う。 彼らの逃げ足は速く、大矢、樫原とすれ違うのが見えた。上のも、下のも行動していた が、の福島、近藤は音沙汰なし。に早川がついた。「ただいまから近藤出ますが、テントが 狭く、一人ずっしか支度が出来ません。福島はこれから支度をすると二時過ぎてしまいますので、今 日は停滞します」という交信を貫田が受けた。・ とうも福島は調子が悪そうだ。昨日もマイナーな意見 だったし、 0 3 におかないで下ろした方がいいかとも考えた。貫田に言うと「だって明日上ると言っ ているのに、なんて一一一口えばいいの」と言う。少し様子を見ることにした。 四時頃、双眼鏡で壁を見ていると、朝のうち 0 4 から二人、 0 3 から三人のシェルバが下り、 0 2 から二人上った七名の動きでにぎわっていたのに、すでに彼らは去り、 on から昼過ぎに出た近藤が ただ一人、壁の中にいるはずだと思って見ていると、すでに西に傾いた太陽の光がちょうどルート上 を照らしており、そのなかに彼の姿が点のように見えた。午前中あんなに雲がかかり、強風が吹き荒 れ、その中を七名が往来した同じ壁が、今は暖かそうに見える。なんだかうれしくなってしまい、つ づけて見ていた。 七時の交信で、大蔵が、「近藤が来て、盆と正月がいっしょに来たみたいでうれしいです」と言っ吮 た。近藤も、「光の中を歩いているとき、うれしかった」と言った。悪天にも耐えた。そうだ、これ から好天が来るだろう。明るい気分になった。 ところが、 0 3 から交信が来た。「隊長にちょっとお尋ねしたいのですが、コールタールのような
ちたらしい跡は、そこだけすべり台のように雪が削られていて、約二十メートルほど。平坦な雪面 に、あわてたような足跡が三角形に入り乱れてついていた。ここから航空母艦のところまで一気に登 る。航空母艦のところで一休み。雪のない砂利のでたところに座り、半分の梨を三人で食べる。福島 が、こんなのんびりしたトレッキングみたいな山登りがいいなという。 三時を回った。私が、ここから先は二時間かかるから、行かなくちゃというと、近藤が、六時まで 太陽の光があるので、三十分で行けるから、五時半にここを出ればよいといっている。二人とも、私 に付き合っているんだ。自分たちならもっと速く歩くと言いたげだった。氷河への降り口から先を見 るが、テント場が見えない。かなり長そう。先の方に、四人の人間の影が動いている。たぶん、サー ダーとティンディと貫田とナワンだと思う。氷河の中の登りをただひたすら行くと、べースキャンプ に到着。まだ陽が高かった。お茶を飲み、お互いの連絡事項をしゃべりながら、陽に当たる。私が座 って陽に当たろうとすると、必ず隊員の誰かがその前に立って影を作る。には五時に着いた。 ちょうど上から関根、大蔵が帰って来た。本日、関根、大蔵の行動は、へのルート工作だった が、雪が深く、には到着しなかったとのこと。山陰に陽が落ちたので、キッチンテントへ行く。 藤木氏、到着。前回、夜になってから到着した隊員もいたことを思い出し、氏の年齢から考え、高 所での行動に驚く。夕食後、今後の予定について、貫田、大蔵と話し合う。 ・高齢者の登頂 日本の登山界のヒマラヤニストの中で、はたして何人ぐらいの高年齢 ( といっても四〇歳代以上 )
ヤクには、まずえさをやる。枯れ草のえさと、ツアンパをおにぎりにしたえさと。これを一頭ずつ のヤクにていねいにやっていくので、これがまた時間がかかる。中には自分の受け持っている三頭が まだこないなんて言っている人もいる。見ると河原の下の方に三頭のヤクがウロウロしていたりし て、結局は荷物を各ヤク工作員ごとに分けたのが十一時半ぐらい。意外な早さで荷物はトントントン と受け取ったが、それからヤクに、まず鞍をつける。自分たちが寝ているときに使っていた毛布みた いなものを四つ折りにしてヤクの背中に乗せ、さらにその上に鞍をつけて、それをおなかのところで グルリと一回り、首で一回り、しつぼのところで一回りと紐でしばって、それから荷乗せだから時間 がかかる。実際に動き始めたのが、十二時半過ぎ。 本日の隊員の行動は福島、早川が前回のデポ地である東ロン・フクとの出合いのところで、。ヒックア ップする荷物のこともあり、先に出発した。貫田と樫原が、一番最後部のヤクについた。貫田は張り 切っていた。必ずべースまで追い上げますと言って出かけていった。 しかし、午後四時交信で、貫田からヤクの最後尾はまだ東ロン・フクの出合いのところだとのこと。 東ロンプクの出合いは、べースまでの道のりのちょうど三分の一のところ。しかもヤク工作員の手が 足りず三頭のヤクを自分が追っていると言い、 声をからしていた。なお、樫原がみえない。どうした のかという。五時までに戻らなかったらシェルバを迎えに出して、 e 0 に戻したほうがいいという 話だった。五時。樫原は一人で e 0 に戻って来た。東ロンプクの出合いのところまで行ったけれど ークになってしま も、歯が痛いのと、頭が痛いので、これ以上行ってもヤクには追いっかないしビく うと判断したので、戻って来たとのこと。
「貫田、私、指の凍傷です」ガーンい隊員の凍傷は、関根の親指もあり、この寒さと風の中、ある 程度はやむを得ないと思ってはいたが、このパーティのリーダーで、もしかしたら、明後日はアタッ クかという時に、と思うとショックだった。隊員なら「はい、すぐ下りてください」と言うところだ ったが、「手ですか、足ですか ? 右ですか左ですか ? 保温しながら行けませんか」と聞いてしま 「左手中指です」との貫田の返事のあとから、かぶせるように福島の声で「本人は言いにくいと思い ますので代わりました。保温は出来ませんし、関根より範囲が広いです」無理か、彼には下がりなが ら、各キャンプの在庫調べをしてきてもらおう。これで一つ弱くなったと思いながら、それでも近藤 リーダーで o に行くように言った。 に残っている大蔵、関根、早川は昨夜あたりから、もう出発準備を始めており、薄い手袋の上 にゴムの洗濯用手袋をはめ、その上に厚手の手袋とかオー ーシューズを二重にして、手足の冷えを 防ぐなど、春、秋のヒマラヤ登山では考えられない ( 春、秋だとオー ーシューズを履かず、ロング スパッツのみで登れる場合もある ) アイデアと、寒さ対策におおわらわだ。彼らは上にいるチームに なんとか 0 5 までのルート工作をと期待していた。 三時半、近藤からトランシ 1 ー交信が入り、ホーイハイン・ク 1 ロワールの中、五ビッチ延ばし ノノ但のスケジュ たという。シェルバたちが追いついて来て、荷物を置こうとしているという。シェレ。、¯ ノ / カらサーダーに交信があり、五人のう ールに変化があったという。十二時ごろ 0 4 に着いたシェレ。、、 ちの三人は手足が冷たいからこれ以上行きたくない、帰ると言って来た。一人はに荷物を置くと
ークの朝というものは、普通、早く出るものだ、と早川は言う。いずれにしても、私として は、多分、ヨレョレの彼らに少しでも早く紅茶の一杯も飲ませてあげられる誰かが、迎えに行った方 がよいと思い、行ってくれるよう頼んでもらった。二人のシェルバが支度を始めた。と、早川がテン トの両側につのが出たと言った。シェルバをストップさせる。 約一時間、テントと思われる黒い影が小さくなった。早川がテントをたたんでいるのが見えたとい う。しかし人影らしきものはまた下降していない。双眼鏡で見ても、幅一ミリ、長さ三ミリ程度の細 い線にしか見えない。細い線とそのすぐ脇に、その線の半分くらいのちょっと太い点が見える。「ど っちかがダメで、今テントにダメな方を包んで運ぼうとしているんですよ」早川がニコニコしながら そう言った。 そのうち細い線が二つになった。私はその後もずっと双眼鏡で見ていた。三時ごろ、一つの線がス ソと雪面を下った。約一五〇メートル、三ピッチか、そして後から一つ線が下った。後の方が早い。 どちらがどちらだか分からないが、後のス。ヒードはかなりのもので、疲れていない時の下降ス。ヒード に匹敵する。これなら大丈夫と思った。二人がいっしょになり、そのあとは。ヒッタリついてまで 下った。 西に傾いた太陽の光で、雪面に本体の倍くらいの長い影が見える。真正面なので斜面がまるで九〇け 度に見えるから、下降が実によく見える。でテントの側に座った彼らを見て、トランシ 1 ・ハー交 風 信を待ったが、彼らからは連絡は入らなかった。結局、彼らはまで下った。