ランマの切手をはり、最奥の郵便局のスタン。フ入りで届くようにと、隊員たちは一人平均七十枚ほど のはがきを書いた。 昼間は荷上げなどの行動をし、キャンプの整備やトランシーパ 1 交信と、登山に忙しいので、はが き書きは夜なべ仕事になるが、一番コンディションのよい o のテントの中でも、マイナス二〇度前 後の冷気の中で、ひたいにつけたヘッドランプをたよりのはがき書きは大変な作業である。指先がか じかんでペンを握る手をなんどももみながらのことで字は汚くなるし、そのうえ高度の影響で少々・ほ けていたりもするので漢字を忘れてしまっていることもたびたび。 樫原、大矢はそのメールの管理をまかされていた。届いたはがきや切手をそれそれに振り分け、書 いたはがきを集め、藤木氏に託すまでにするには一苦労していた。しかし彼らは律気にこの仕事をこ なした。これからへ上るというぎりぎりの日まで、メール騒ぎをしていたのだ。 関根と私で昼食を作る。ミンマが手伝ってくれた。関根が、「十割そば作りましようか」と言った。 「そうね」と返事をした。私はおそばより冷や麦かおそうめんのほうがいいので、おそばができあが ってから、おそうめんを作ろうと思う。関根は一人一東の計算で七東、ミンマとティンディ二人の分 も入れて、要するに七人分。「これで十分ですよ」と言った。ちょっと足りないんじゃないかなあと 私が言うと、十分すぎるほどあると言う。で、それは任せた。 おそばができあがった。何かに集中している時は、なかなか来ない大蔵が、すっ飛んで来た。顔を 洗っていた樫原もさっとやって来た。大矢もすっとんで来た。お鍋の数が限られているので、おそば が出来てから、そのお鍋を使って氷を沸かしていた私は、うしろでおそばをすする音がしているのを聞 いていた。ふりかえってみるともうザルの中はからっぽ。ミンマとティンディの分も含まれていたの
何となく気持ちが悪いとか、吐きそうとか、調子わるいとか言いながら出ていった。大矢、樫原がそ れを追っかけて出かけた。 大矢、関根が戻って来た。夕方に近かった。 / 彼らは 01 に着いた近藤とテント場まわりの整備をし てから下って来たとのこと。なお、大蔵は、昨日のトランシー ーでは焦ってよく確認せず報告した が、テントのポールは何と折れてはいなかったと言った。大蔵と関根のバテ具合はそれほどでもな すぐ寝るでもなくテント場をうろちょろしながら、「このパーティは、お互いにマイベース・ ーテイだから、それなりの休養も各自とってきた」と言い合ってケロリとした顔つきだった。しよっ ばなに一〇。ヒッチルート工作し、その成果にのってる貫田パーティ、緊張し・ハテ気味の福島パーテ イ、マイベースの大蔵パーティ、 一回のルート工作でもパーティごとのカラーが出て来た。 昼、福島が焼き餅が食べたいと言った。彼は日ごろから食べ物にはうるさく、何でも口に入れば喜 ぶ普通の山屋とは異なるが、この注文でも疲労の度は計れる。疲れている時は、好きなものしか口に 入らないのが通例だ。ここは一つお餅を食べさせてあげようと思い、餅焼き網を探したがない。持っ て来るのを忘れたのだ。今さら手には入らないし、困った挙げ句、医療品の中にあるアミシーネ ( 骨 折のとき使用する副木で、金網になっているもの ) を思い出して、これを使用する。彼はノリがない と生きられない人間で、毎日でもノリを食べる。昼食も、もち一個にノリ一枚という、日本ではでき ないぜいたくな食べ方をしていた。夕食はこれまた福島の案で、新巻を一尾おろして食べた。ニュー ヨークでお寿司屋さんの板前を仕事としている樫原が、包丁さばきもあざやかに、切り身を作ってく れた。凍って切りにくい鮭を皮までしつかり切り出した。さすが ! 白いご飯と、塩焼きであっさり
ん困ったようなので、統一した見解を出しておかなければ、と今後トレッカーについては、なるべく お互いにただあいさつのみにする。めんどうは見たり見られたりしないというような話にした。これ はすでに e ro に上がったときの大矢の伝言の中にもあった。それはトレッキングをしてくる人た ち、ハイカーさんたちには、物を貸したり与えたりしないようにという伝言だった。 隊員たちのミーティングの間に、シェルバが設営していたトイレが、見る間にでき上がった。それ は十六日の午後から、シェルバたちが始めた石で囲ったものだった。本日は一日中、何となく天候が 悪く、私は上下・レインウェアを着つばなしだった。午後から少し太陽の光は出てきたが、それでも 今夜は降りそうな気配。夕方、福島と近藤の調子が相変わらず悪い。近藤はカゼ。福島も鼻がグスグ スしている。大蔵は痔と、それからちょっとおなかがゆるいといっていた。 今晩 ( 明日十八日、福島が e 0 へ上がってしまうので ) はあす誕生日の福島のお祝いということ で、上の部落でサーダーたちが買ってきた卵を使って、玉子丼を作った。キャベッとかタマネギもふ んだんに入れた。シェルバは若いし、隊員たちもことのほかよく食べ、常にキッチンで作った料理が 足りない。 コック、キッチンポーイは、いつも残りものを食べる羽目になっている。今回も玉子丼の 売れゆきは最高。それでも昼間買ってきたツアンパがあったので助かる。 昼間のうちに、明日の行動予定はわかっているので、夜に入ってからは手紙を書いたりテープを聞 いたりしながら雑談。相変わらず貫田が、これが 1 、これが 2 、じゃあこれは何とか、この音は誰の 音など、七、八年前に流行ったゲームをやっている。近藤が受けたフリをして、一緒になってやって いた。本日も雨が降りそうといったのたけれども、みんなが大丈夫ということで、昨日同様、何も防
度にかかる。食堂用のテントに向かい、食事は六時にしますと、、こ しし冫いったところ、張さんたちは中 国側の食事は自分たちで作るといい出し、あなたたちは別に作りなさいという話になった。何かギク シャクしている状態だった。シガールで話し合いをした時に、運転手さんおよび張さんたちの食事 は、日本側で作るという話になっていたのに、どうも話が食い違う。取り決めは全く役立っていな い。あの時、このことについては、中国人たちとわれわれの食物は異なるからおかしいなとは感じて いたが案の定だった。 それから、炊事用に使っている中国テントで食事の準備を始めたら、これはわれわれ中国人の使う テントだといわれてしまった。い っしょに使用するはずだったのにと、早川に聞いたら、そのはずだ ということ。張さんは登山協会の胡淋さんからはそうは聞いていないという。私は腹が立って、カン カンに怒ってしまった。われわれは中継点のこのではいっしょにという決定を登山協会と取り 決めてあるのにな・せだ。コンロもテントも使用させてもらえないなら、このまま帰ると強い口調で抗 議した。 話の決着がっきそうになかったので、一応コンロについては中国用のものはトラブルがあって使え ないのはわかりきっているので、旅遊隊用のものをそのまま貸す。食事用の中国テントについては、 われわれが使うつもりでいたので困ってしまったが、あきらめ、食事時だけ使用させてもらうよう頼 んで、そこで話を一応決着させた。食後、食料係の関根はホッとし、そのまま手紙を書いたりしてい る。私は今後のみんなの動きと、いままでのみんなの動きをノートに記入し、それから眠ることにす る。早川だけビールを一本飲んだ。なぜかわからないのだけど、個人テントに入ると地面が砂のうえ
的地へ到着したから荷の積みおろしには関係ない、とはやばやとマントウなどをほおばっている。隊 員、風間チーム、旅遊隊、通訳の謝さんは、それそれ荷物の移動などで忙しい。 そのうち、中国料理にあきたといっていた風間チームのメン・ハーが、カレーライス、カレーライス と騒ぎ出し、風間さんを中心に、浅井、佐藤さんはニンジンやジャガイモを切ったり皮をむいたりし はじめた。この川の水はにごっているので、私はダン。フさん ( 主人 ) に借りてきた浄水器で浄水して みた。なるほど石灰岩のような白さににごっていた水がみるみる透明になって真水ができてきた。ど んどん水を作ってみる。食事の支度といってもコンロもおなべも調味料も今トラックからおろしたば かりなのですぐにはできない。おなかがすいていたし、早くつくろうと大忙しだ。 そこへ旅遊隊の通訳の斬さんが、中国人用のテントはどこだといってきた。急にいわれたので、一 応テントを渡す。彼らはパジェロを、 川の左岸の広場へ持っていき、車の向こうへテントを張った が、すぐにそれをたたんで持って帰ってきて、くさいからこのテントはいやだという。運転手さんた ちは車で寝るといっていると云った。こちらはまだ梱包もあけていないし、忙しいのに、荷おろしの 手伝いも、荷開けの手助けもせず、要求だけはしてくる。その態度に、おなかもすいていたので少々 イライラする。福島が張ったテントのうちの一番新しいテントをとりあえず使うようにと指示をし再 マ た。運転手さんたちはもうテントはいらないといってきた。 ン 三時頃になって、ようやくカレーライスができ上がった。運転手さんたちはお昼にマントウを食べモ たので、いらないかなあとは思ったけれども、一応呼んでみた。しつかりやってきた。夕方近くになチ って、風が吹き始めた。前回と同様、広い河原なので、砂じんを巻きあげた小さなつむじ風が幾つも引
では樫原たちがお腹をかかえて笑っている。三十分後、 0 2 の大蔵が交信してきた。シェル。 ( たちと話し合ったが、彼らは明日に泊まらず、一気にに荷上げして帰りたいと言っていると いう。七時、八時のサーダーとシェル。 ( の話でそのことは聞いていたが、「わかりました」と答えた。 九時、関根が ro 2 についた。元気だと言う。彼は 01 ~ 0 2 、 0 2 ~ 0 3 の登りのペースは遅い そのことは分かっている。特に今日は、昨日 2 に向かった早川パーティが 01 から北壁に取りつく 壁の基部で、そこのシュルンドが広がり、荷物を置いて飛びこしたので、もう今日あたりはもっと広 がり、飛び越せないかもしれない。荷物を置いて飛び越してから荷物をひき上げるのでは、よけいな 労力を要する。したがってラダーをかけるか、他のルートを探した方がよい、と朝アドバイスしてい たので、大蔵パーティはルートを変更した。そのル】ト探しでしばらく時間をとられていたために遅 かったのだ。分かってはいたが、でももし寒くて動けなくなったりしたらと思うと、夜登ってくれる のは心配なのだ。 アタックをはじめて一カ月になろうとしている。満月だった 0 で、夜、トイレに行くのにヘッド ランプがいらなかった。新月となり、満天の星が輝く中で、「ミルクラインがすごいねえ」と言った ら、「それなに ? 」と樫原。「ミルキー・ウェイって天の川のことですよ」と大矢。「そうなの、天の 川のことそういうの」と樫原。そんな会話があった夜空も、今はまた月が満ちはじめ、現在は夕方七 時ごろから、半月がタ暮れの中の東の空に顔を出し、夜は月の光で登れそう、それほど明るい。登頂 の頃は満月だといいね、と話し合っている。 こうした月の変化もさることながら、の雪どけもはげしい。来た時に白一色の世界に作った雪
・ハゲティをそのまま出した。私のいなかった丸一日間、割り合いとみんな、ダレて休んでいたよう カメラマンの佐藤さんは風邪をひいてしまっていた。それから飲み水について、われわれが使って 日の水は汚いと、村人にいわれたそうなので使用を禁じた。本流の水は飲めるということた。 そこで私たちは、本流から水をくむことにする。なんだかんだと少しずつ少しずつ段取りをして、タ 方までにはとりあえず水まきまでできるようになった。 今日はザンムーもしくはネーラムからシェルバ十三人と、貫田、大蔵、樫原がやってくるというこ ともあって、夕飯はホワイトシチューを作ることにし、風間、福島の二人で相談をしている。ホワイ トシチューを作りたいけれども、だれが野菜を切るのかという話になって、隊長に頼もうということ になったらしい。二人でコソコソしていたので、切ってあげるといった。ジャガイモもニンジンも、 皮はむかずに小川の砂でよく洗って、切った。シェルバ用にヤカン半分ほどのミルクティを作ってお なかなかこない。そこで「今日はこないのではないか」と話しあっていたら、車の音が聞こえた。 もう薄暗い六時頃だ。「車がきた」といったら、風間さんはその辺を走っているトラクターじゃない かと半信半疑だったが、しばらくしたらクラクションを鳴らして近づいてきた。見るとみんなトラッ クの上乗りでやってきた。十二時間かけてやってきたそうだ。大蔵、樫原とは日本を出てから久しぶ りに会う。 みんなが集まって、シェルバたちの顔をみたら、みな若い。そして。ヒン。ヒン張り切っていて、元気
八時の交信。貫田から「申しわけありませんが、ヤク、ヤク工作員ともこれ以上動かず、航空母艦 ークすることになります。力が足りませんで した」といってきた。私は内心、航空母艦まで行けたら、もうけものと思っていたので、まあとりあ えず、ご苦労さまと言った。貫田の持っているトランシ ーくーは電池不足でパワ 1 がない。ヤクタ イ、ヤクタイと、ヤクの隊という意味で言っているが、その先がいつも聞こえない。不安だ。 べースキャンプの近藤との連絡も、はっきりは聞こえなかったが、ヤク隊は、ヤクが航空母艦でビ ークするため、ビ・ハ ーク用品を持っていない貫田およびシェルバ三人は、べースに向かいますとい う話のようだった。私は、貫田からの連絡がはいる前に近藤と連絡をとっていた。陽があるうちは非 常に暖かいが、陽がかげつてしまうと気温がマイナス二〇度近くに下がる。貫田の体のほうが心配 で、近藤に熱いお茶を魔法ビンに入れて、貫田のところへ持って行くように言ってあったのだ。貫田 からの交信が入って間もなく、近藤からの交信で、「貫田さんはわりあい元気です。しつかりした足 どりで、スタスタとべースに向かっています」と言って来た。 近藤のトランシしハー交信の仕方は、意外にしつかりしている。お互い顔を見ながら話すときは、 わりときついことを言っても通じる場合が多いが トランシーバー交信の場合には、ちょっとした言再 マ ン 葉遣い、語尾なんかでお互いにイライラしていると、カッカくることが多いので気をつけている。 このことについては、何回も遠征のたびに感じているが、今回初めて参加した樫原も、近藤のふだモ んと変わらぬーー・ーということは、逆にいうとむしろていねいな形でいわなければ、変わらないと聞こチ トランシー えないのだが ー交信の仕方には感心していた。ふだんは「おはよう」のあいさつも ( と名付けた平坦なだだっぴろい台地のところ ) でビバ
と思います」貫田にしてみれば、から oe•、 on と同行したメン・ ( ーのうち、だれに、 0 4 に残 れとは言えなかったに違いない。皆でビークまでと燃えてきたのだろう。私は貫田が残っては、リー ダーシップがとれなくなるので四人で行くことに同意した。 そして福島には彼の明日の仕事である落下地点にある二つの袋の回収と、の整備を依頼した。そ してから来たシェルバたちに確実に前進用デポキャン。フ ( と呼ぶ ) に上げる荷を持たせるこ とも彼に頼むしかない。もし間違った荷が上がってしまえば四人はには泊まれなくなるのだ。福 島君、よろしく。 というわけで、一応彼らの明日の行動は決まった。しかしでは大蔵、早川、関根、私でいろい ろ検討した。四人が。ヒークへ行くには確かに酸素マスクが足りないが、しかし悪天の後のこの好天、 今がチャンスなのかも知れない。何とか誰かを。ヒークに上げられないものか。案はいくつか出来た。 凍傷にもめげず 十二月三日。本日も天候はよい、風もない。昨夜の交信でに上がっている五人とも元気だった。 全員がルート工作しながら、 =o に上がりたがっていることも分かっている。福島がに残ってく れるということに、やはりべテラン、全体の中の自分を考えてくれたと感謝。なにはともあれ、昨日吮 延ばしたザイルの上に一ビッチでも多く、今日も延ばしてほしい。からおっかけ荷上げしてくる 五人のシ = ルバたちによる物資で、一メートルでも高い所にキャンプを作ってほしいと思っていると ころに交信が入った。
を使うので、今回燃料用としてはほとんど使わない。 ところが中国側で持ってきたコンロは五リットルの燃料タンクの付いた大型ガソリンコンロで、こ ハジェロをしよっち れをフルに利用すると相当ガソリンを使う。また、張さんが狩りにいくために、 ゅう利用すると足りなくなるのはあたりまえだ。一応旅遊隊のほうは、菊地さんを高所に置くことも 心配なので、シガールへは寄らず直接ザンムーまで下山し、ザンムーで二泊するように手配すること をみんなに納得してもらった。 パデューへもどる 午後一一時ごろ、を出発しパデューへ戻る。途中、道がガタガタで、しかも一回も休まなかっ たので、一時間半ぐらいで戻ることができたが、私は後部の荷台のほうに乗って、酸素ポンべを押え ながら、菊地さんに一リットルの酸素を吸わせながらだったからずいぶん疲れてしまった。旅遊隊の 人たちは景色を見たりしていたが、こちらは必死。ポンボコボンボコ揺れるたびに、胃の中、内臓、 全部ひっくり返ったようになり、出発後三十分ぐらいからもう気持ちが悪くなってきて、胃液がどん どん上がってくる。パデ = ーへつけば誰かが何とかしてくれるだろうと思っていたが、そうではなか再 マ ン ーについたら、福島モ そもそもを出るときも、荷物を積み込む作業を私一人でやった。パデュ ・、ケッとしていた。とりあえず菊地さんをテントに入れ、酸素だけはつけさせて休ませた。お湯をチ 作って飲ませてあげて、お昼ごはんを食べてないから、と福島にいったら、斬さんに昨日の残りのス