けて、ご飯を作り出したんですよ。僕は仕方なく、ウーンなんて出さなくてもいい声を出しながら寝 たふりしてました。起きろ、飯だといわれて、起きて飯食ったら、貫田さんが僕の分までシュラーフ をたたんでくれちゃって、僕はそれをじっと見ながら、たたみ終わったらきっとぶんなぐられるだろ うななんて思っていたんですよ。そしたら、貫田さんが風が強いなあと言ったんで、この時、僕はラ ッキーと思いましたね。これは帰れるそと思ったんですよ。ところが下からの交信で、今日は何ビッ チ伸ばすか、それとも停滞するかみたいな話がきたんで、貫田さんはさっさと支度をしちゃってね。 僕も支度しましたよ。外に出て下のテントへスノー ーを取りにいったけれども、手が冷たくて、一 本取るのにハアハアハア。手をじっと握って温めてからまた一本。その間背中に、貫田さんのイライ ラしつばなしの感じが。ヒッタリついてくんですよね」 「登り始めたら、だんだん調子が出て、結局十二。ヒッチまで伸ばしたんですけど、最後の一。ヒッチの ところで、下から貫田さんが、オーイ、後一。ヒッチにしようよ、その一。ヒッチをオレがしようと言っ たんですよ。そこで僕は、貫田さーん、もう後一。ヒッチなら自分が行くだけですから、貫田さんは来 なくていいですよと、叫んだんですが、頼むからその一。ヒッチをオレにやらせてくれと言うんです。 僕は分かりましたと言ったけど、内心ではもうちょっとで、一一一一一口、い え、どうせやるなら自分が最後 までやりますと、言いそうになったんです。けれども、もしそれを言うと、後で怒られそうなので、 言わなかったんですけどね」 0 2 での二人の生活は、二 ~ 三人用の小さなテントの中なので、近藤が ラーメンを食べている前で、貫田がキジを打ったとか、身振り手振りを交えて話してくれた。 十一月七日。上部ではルート工作が今日も続いた。早川がトップを切って 0 2 を出たが、早川が一 125 烈風に負けず
「ただいま、リッジの所です。あと五 ~ 六ビッチで 0 2 です。あと二時間はかかるでしよう」とりあ えず光が見え、動いているということは、スリツ。フ事故等ではないことが分かり、一安心したが、そ れにしても遅い。寒さもきついし、かなり消耗しているはずだ。 2 から下がって、サポートするよ う要請する。 では大蔵が、再び外へ出て、から出たヘッドラン。フの光と福島の光を確認した。十時十分、 0 3 から明日の行動があるので、先に寝るとの交信がはいったが、近藤から、「シュラ 1 フを忘れて 来ちゃった、シュラーフがないよー」とも言って来た。 福島のことで頭がいつばいだったが、緊張したムードをリラックスさせるために、わざとこんなこ とを言ってくるあたり、近藤らしい。からでは手の出しようはないし、先に寝てもらった方がい いのだが、でも彼らも気になるらしく、十時三十分「シュラーフがないよお」と来た。 01 からは 「ただいまドッキング、リッジの所です」との交信あり。十一時、 01 から見あげて、あと一。ヒッチ 半くらいとの交信あり。十一時四十五分、 2 から、まだヘッドランプの光が見えませんとあった 後、十二時ジャスト、ただいま到着しましたときた。 一人で o にいた私は、背をまるくして、膝をかかえながら、この交信を聞いていた。 01 ~ 2 間の氷壁は急峻で、登るのに時間がかかる。前回も、八時間、九時間かかっていたが、今回のように 午前十一時頃出て、夜中の十一一時までというのは最長新記録。 「日の出るのが遅いので、朝は出にくいでしようが、明日は各キャンプとも早めに出て、明るいうち についてください」と念をおし、まずは安心して一日を終わる。 140
得が行かないのだろう、装備係として。 私は考えた、 / 彼の完璧精神をここで発揮させると、彼が・ハテるだろう。ほうったまま上に行けと言 ってもわだかまりを残すだろう。そこで彼が雪洞を掘るというのをした。から出る関根も 1 は大切な基地だから、ちゃんと直した方がいいと言って出て行った。六時の交信で、早川から、テ ントは雪原に出して張り直したと言って来た。キッチン用のテントはミンマがそのままでよいという のでそのままにしたという。 十五日に 01 に上がったミンマが、仕事をしやすいようにハイ。ヒーシート内の雪面を掘っていたと ころ、クレバスが開いて片足が股まで入ってしまうという事件があった。荷上げに行ったサーダーが 、、ンマは切り取った氷をそこにつめたそうだが、危険ではないかと のそくと、大変深かったそうだ。 聞いたら、サーダーは危険だと言った。キッチンテントの前から右の方にはしるクレ・ハスだという。 この事件があったから、早川に昨日のクレバスはどうしたかと聞いたが、吹き込んだ雪が積もってし とうせならキッチンテントも移動した方がよいので まったため「雪の下、雪の下」との返事だった。・ ゴミ捨て場にいいよと大 はないかと話したが、あと二週間、急には開かないから大丈夫とサーダー 蔵、そして 01 は、まず住めるようになったらしく、明日、早川パーティは 2 入りすると言う。大 蔵パーティは 01 にステイし、明後日出る。予定より一日遅れとなった。 では相変わらずアタック時のことが話題となっており、四番目に出る福島パーティの樫原は、 ーティで充分だから、午 5 までのルート工作は早川パーティ、大蔵パーティ、貫田パーティの三パ 前一一時頃を出てフィックスの最高点に夜明けに着いて、そこから頂上をねらっちゃおう等と毎晩 164
言っていた。当初の予定では 0 5 のルート工作に出るのが二十五日なので、その日にアタックすると 息まいていた。今日の整備で全体の行動が一日ずれた。 「登頂日が二十六日になっちゃったなあ」と樫原はつぶやいた。 0 5 建設のためには、テント資材も 必要だし、第一、 0 5 からのルートにはフィックスドロー。フが必要だ。風が強い冬、安全のために特 に頂上付近はフィックスなしではとばされてしまうから、ぜひルート工作がいる。となるとにと ックスを 冫し力ないカら いったん下がってフィ どいても、十本もフィ ックスを背負って行くわけこま、 0 5 に荷上げしてからアタックとなる。今回の一順でアタックは考えられない。もう一回 0 から 0 1 、 0 2 、 0 3 、 0 4 そして 0 5 と行ってアタックになることは誰でも知っている。しかし樫原は 「午前二時に出ればなんとか行けるでしよう」と今夜も繰り返した。 隊員の体調が心配 十一月二十日。から早川パーティが出た。昨日と今日は風も弱い。の隊員たちは休みが多 くだれ気味。それそれ本を読んだりゴロゴロしている。私は左半分の頭が痛くてカゼかなと思ってい たら、貫田がやはり頭痛で酸欠かなと言った。「テントの中は空気が悪いのかな」と言ったら、「空気 け 入れ換えしたんですけどねえ。そう言えばシェルバたちはいつも日中は外にいますね」と言った。 負 確かに彼らは休養日には洗髪、洗濯等した後、ダンマットをテントからひつばり出して外で寝そべ印 っている。車座になってカケゴトをする時も太陽の光の下でしている。しかも彼らの陣取る所が、風 があたらず、日のあたる所に必ずいるから不思議た。 こ
味おいしかったー」、大蔵、樫原、大矢は、食べ終わると再び自分の仕事 ( ? ) に戻った。関根は待 ちくたびれて昼寝をはじめた。 時計が一時をまわった。関根に、「何時に出るの」と聞くと、「誰も行こうとしないから」と言う。 仕方がなく大蔵のところへ行って、いくらなんでも遅くなり過ぎるから、早く出るように言った。す ると大蔵は、みんなに二時半に出るように言ってあるという。彼の答え方が、その場限りの言いのが れで、実はまだ何の指示もしていないのだということは、長年のつきあいで私にはすぐ分かったが、 「あ、そうだったの、これはロ出しして悪かった」とその場からキッチンテントに戻り、関根に「二時 三十分出発ってきまってんだって」と言うと、「あ、そうなんですか」とこれも腹もたてずに返事し た。私だったら、「え、ウソ、そんなこと聞いてない」とかなんとか言いそうだが、この辺が大蔵の ートナーとして気があっている。それにしても いいかげんな所を関根も認めているところで、 ~ 間は雪上の歩きで困難な個所は無いとはいえ、五六五〇メートルから六一五〇メートルまで高 度差で五〇〇メートル、距離にして七キロほどあり、空気が薄いから平地を行くようには速く行けな 初めて登る時には五、六時間かかる道のりだ。 その上、太陽が沈んでしまえばマイナス二〇 ~ 三〇度の世界、寒さにより体の消耗もはげしいはず だから、暖かい日中のうちに行動する方がべター、早く出発すればよいのにと、一人いらいらしてい ると、大蔵が準備をととのえて「行くそー」と二時一二十分ごろやって来た。「今日は二時間半でへ 行くそー」大蔵の言葉に樫原が「えー、そんなに急いだら、ボク高山病になっちゃうよ」という。そ して、「もうそろそろシェルバたちは、荷上げを終わってから帰って来るころですよ」という。案 116
道も、今では雪の下のモレーンの石が出て特に道の部分は黒っぽい角ばったこぶし大の石だたみにな っているし、までの道も風で雪がとばされて、踏みあとだけが、田んぼのあぜ道みたいにもりあ がっている。 チョモランマ北壁もだんだん黒っぽくなり、十八日の大風以来、雪煙が急激にへった。光に反射し て氷がテカテカ光っている。冬まっただ中だ。シュルンドも開くし、クレ・ハスも開いて来ている。こ れからは注意深く登らねば。 「風よ、おさまってくれ」 十一月二十二日。チョモランマの姿がチャンツ工と双子のように見えるのが常だったが ( 左側のチ ャンツェは七五〇〇メ】トル峰だが、手前にあるから奥のチョモランマと同じくらいの高さに見え る。そしてチャンツェも、チョモランマも、三角形にとがっていて、チャンツェの右側のスロープが チョモランマの左半分を隠している ) 今朝のチョモランマは違っていた。八〇〇〇メートルくらいか ら上が大きなお椀型の雲におおわれ、その雲は西から東に弧を描いて、次から次へ流れていた。雲の 流れは早く、お椀型にたまっている所から離れたものは、すぐにチャンツェの奥で東の空に去って行 くが、チョモランマの八〇〇〇メートルから上はずっとお椀型にすっぽり隠れている。 十八日の大風以来、壁の中は氷だけとなり、雪煙が上がらなくなったので、風の強さや吹く方向が 見えないが、昨夜半からでもゴー ッと山なりのする風が間欠的に吹いており、異常に早い雲の動 きからも、北壁の中がただならぬ強風であることはうかがえる。正面から目を西の後方に移すと、ギ 173 烈風に負けず
ヤク工作員の活躍 二十一日は、ヤク工作員一一名とシェルバ一一名、そして隊員一一名がヤク道を作りに行った。大矢、近 藤は、そのままべ】スキャンプ入りする。すでに二人は、十四日にべースキャンプに上がり、ここで 一泊し、十五日にヤクを連れて、帰ってきている。高度にも慣れてきている。近藤は元気たったが、 二十一日にそのままべースキャン。フへ入るようにといったときには、入るんですかと不満気。樫原も べースが遠い、遠いと言い出した。何となく沈滞気味。私と大蔵でテントに戻ってから、前回の隊員 は先へ行こう、行こうと言うので大変だったのに、何だ、今回の隊員は、と話していたら、それが聞 こえたらしく、翌朝、がんばって行って来ますと張り切ってみせた。どっちが本当かわからない。 近藤、大矢は無事べ】スキャン。フ入りした。二十二日。昨日の努力でべースキャンプまでの道はで きた。ヤク工作員たちも今まで動いていなかったこともあり、わりとスムーズに動くという意思は示 した。しかもヤク工作員は十三名雇っているはずなのに、数えてみたら十七名いる。ただし、いつも のことながら、河原に陽が当たってくる十時をすぎても、また彼らはテントの中から出ようとしな 。私をはじめ、隊員たちおよびサーダー シ = ルバたちは、みな八時モーニング・ティー、八時半再 食事、九時からは外に出ているというのに。張さんが、パジェロに乗ってすごい勢いでヤクを探しにン いった。この寒さのためにヤクがロンブクまで降りてしまったという。もう陽もさんさんとテント場モ に届き、十時半を過ぎた頃やっと、遙かかなたの河原の斜面のところに、ポッポッと黒いものが見えチ 始めた。ヤクである。これが、ノソノソとやってきた。
一緒に、箱に入れて外に出してあったのを大矢がみつけてくれた。その間もいろいろ交信したが、上 ーナーを持っている の状況は変わらず、テントのスティはまだとっていない。「テントをおさえ、 だけで精一杯ですお茶も飲めません」とのこと。昔からお腹一杯食べていれば凍死はしないという 話がある。しかし寒さの中、お茶も飲んでいないとなると、これはキツイ。「コッフェルはあります か ? 」「外です」「食料は ? 」「外です」これでは何ともしがたい。 「関根さんの声を聞いてみろよ」の近藤の意見で、ずっと交信していた大蔵から、関根にトランシー ーを渡してもらう。彼はどうなっているか心配だった。「元気ですよー」のんびりした声がかえっ てきた。「関根、大蔵に酸素を吸わせて、それから外に出てフィックスを取ってもらえ」「ハイ、今、 大蔵さんが酸素を吸っています」テントのフィックスをとるよう指示してから約三時間、午前一時近 くにやっと「ただいまフィックスを引きこみました。寒かったので食料は次回に取りに行くつもりで す。」と、一回外に出て戻った大蔵から交信が来た。一安心。 「今日は眠れないと思いますので、よかったら音楽でも流してください」大蔵から言って来た。「演 ーの送信部分にガムテー。フをはり、オン 歌がいいんじゃないの」と樫原。早川、福島がトランシー のままにしてテープレコーダーから音を送る。一曲、二曲送っては必ず誰かが様子を聞いた。関根の ザックに入っていたアメ玉をなめた。チョコレートを食べた。でもお腹の皮と背中がくつつきそうと 言って来た。一曲、二曲、大蔵がトイレに行った。一曲、二曲、二時ごろ、関根は眠ってしまったと 言う。しかし酸素も吸っているし、大蔵が・ハーナーを持っているから、暖かいだろうし、まず凍死の 心配はあるまい。それにしても大蔵は大変だ。でも彼なら大丈夫、ガン・ハッテ。関根が・ハーナーを持 196
いてもあまり口もきかず、靴も脱がずにべットになだれ込んで、そのまま寝てしまった。福島もチョ ロチョロとお愛想程度動いたが、その後は寝てしまった。昨日戻った貫田、近藤が帰って来るとすぐ におなかがすいたと言い、食べたり飲んだりした後、いろいろ話をしたのに比べて、早川、福島の方 の消耗ぶりは激しかった。 夜になって、大蔵からの交信で、「まだ地点と完全に確認できていませんが、あと一。ヒッチ ( 五十メートル ) 登れば良いと思われる地点に荷物はデポしました」と言って来た。みな、一様にが つかりした。さらに大蔵いわく、「登っている間に 01 で突風が吹き、テントがつぶされ、ポール : 一つ折れました」。風、チベットの冬特有の強風。それでテントがつぶされたか。今夜の夕食の席で は、 ro 2 未到着とテントボール破損の報告が、暗いムードを作ってしまった。ついさっきまで、いよ いよもできるし、氷河のど真ん中、大雪原の中でトイレに行くのは大変だからと、前回使用した テントをトイレ用テントにしようと、予備として持って来てあったので ( 01 のトイレをもうそろそ ろ作ろうということで ) このテントを明日持ち上げようと、貫田から話が出たばかりだった。近藤か ら今のテントのポールが弱いんだったら、前回のポールを使わなければならないから、予備テントは まだそのまま置いておいたほうがいいのではないか、との発言が出た。トイレも快適にして、次の o ず け 2 から 3 へのルート 工作に万全を期そうという張り切りムードが一瞬にして崩れた。 負 一方、本日はヤク輸送の最終日。ヤクもかなり早く上がって来ていた。荷物も全部届き、また樫 原、大矢がからべースへ元気で上がって来ている。張さんがおみやげにと梨を一抱えほど彼ら に託してくれていた。梨を食べて元気を出そう。極寒のこの o で梨はすでにカチカチに凍っていたル に
・ハゲティをそのまま出した。私のいなかった丸一日間、割り合いとみんな、ダレて休んでいたよう カメラマンの佐藤さんは風邪をひいてしまっていた。それから飲み水について、われわれが使って 日の水は汚いと、村人にいわれたそうなので使用を禁じた。本流の水は飲めるということた。 そこで私たちは、本流から水をくむことにする。なんだかんだと少しずつ少しずつ段取りをして、タ 方までにはとりあえず水まきまでできるようになった。 今日はザンムーもしくはネーラムからシェルバ十三人と、貫田、大蔵、樫原がやってくるというこ ともあって、夕飯はホワイトシチューを作ることにし、風間、福島の二人で相談をしている。ホワイ トシチューを作りたいけれども、だれが野菜を切るのかという話になって、隊長に頼もうということ になったらしい。二人でコソコソしていたので、切ってあげるといった。ジャガイモもニンジンも、 皮はむかずに小川の砂でよく洗って、切った。シェルバ用にヤカン半分ほどのミルクティを作ってお なかなかこない。そこで「今日はこないのではないか」と話しあっていたら、車の音が聞こえた。 もう薄暗い六時頃だ。「車がきた」といったら、風間さんはその辺を走っているトラクターじゃない かと半信半疑だったが、しばらくしたらクラクションを鳴らして近づいてきた。見るとみんなトラッ クの上乗りでやってきた。十二時間かけてやってきたそうだ。大蔵、樫原とは日本を出てから久しぶ りに会う。 みんなが集まって、シェルバたちの顔をみたら、みな若い。そして。ヒン。ヒン張り切っていて、元気