工作員 - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
220件見つかりました。

1. 魔頂チョモランマ

かせた。私自身としては、これでよかったのではないかと思っている。 ヘースとの 二十三日。昨日、 0 まで届かなかったヤクを、今日はなんとしても 0 にあげたい。・ 交信で、上部の動きは、とりあえずべースから近藤とシ = ルバ一一名が、ヤク工作員たちのために、航 空母艦までお茶を運び、あとの人間がルートを整備するということだった。 本日のスケジ = ールがうまくいくかどうか、心配だった。しかし、張さんからは非常に強気の意見 が出た。二十三日はなるべく早くべースキャンプまで荷を運び、そしてその日のうちに、東ロンブク の出合いまで戻り、東ロンプクの出合いからまたさらに、前回デポしてしまった荷物をベースキャン 。フにあげて、そしてそれが終わったらに戻る、と言ってきた。貫田からは、ヤク工作員もヤク も疲れている。今日、荷物をベースキャンプまであげた後は、におろし、二、三日休ませてく れと言って来た。 張さんは、今日荷上げしたヤクは、 e に戻さず、東ロン・フクで今夜一泊、明日、東ロン・フクに 彼ま、もしヤク工作員を e mt--) に戻してしまう デポした荷をに上げてから戻すよう指示した。 / を と、それ以後いかなくなってしまうと恐れていた。貫田からの報告で、昨日ヤクが悪路で転落したこ とや、足に怪我をしたヤクもいることなどを知り、張さんにもこの旨を伝えたが、彼は強硬だった。再 マ ン ヤク工作員のへ帰りたいという訴えは、サーダーを通じて、貫田に伝えられている。貫田も、 モ 間にはさまれて大変だろうが、からは張さんの指示を通した。 張さんは強硬な意見を通したが、しかし、今夜下に戻らないヤク工作員たちに、ガソリンを分けてチ あげるようにに指示したり、ヤクのえさを東ロン・フクまであげる、にいるヤク工作員に、

2. 魔頂チョモランマ

ラーメンを二つあげる等、さすが手慣れていた。お互いに、手持ちの食料は大切だ。張さんたちの好 きな中国のラーメンを、何を食べても味がわからないヤク工作員たちにあげるのは、もったいないだ ろうと、こちらからは、関根に日本のラーメンを、ヤク工作員用にあげるよう指示した。十二時、ヤ クが 0 に着いたとの報告があり、張さんのスケジュールに、ヤク工作員たちも納得し、一安心。 一時三十分、朝日新聞社の藤木高嶺氏がに到着した。こちらで手配した車、通訳の斬さんと もに行き合えず、シガールから、一言もしゃべらず ( チベット人の運転手さんで、話が通じず ) 来ら れたとのこと。さすが世界各国旅馴れているだけに勇敢。お元気で高度による障害もなく驚く。氏は 一休みもせず、隊員、シェルバを取材。夕方にはチョモランマの写真を撮りに出かけられるという意 欲的な行動をとられた。 二十四日。大蔵、関根がへ向かう。途中、東ロン・フクから早めにヤク工作員をにあげるた めに、二人は九時頃、を出発した。大蔵は相変わらず、シュラーフが入りきれないなどと言いなが ら、重いザックを背負っていた。中には小説、カメラ機材がギッシリ。シュラーフよりこちらの方が大 切という。ヤク輸送は順調に進み、べースキャン。フに着く。一方、夕方の五時頃、貫田たちが帰って 来る。足の速い早川が最初に帰って来て、しばらくしてシェルバが帰って来た。貫田が帰って来た。 近藤と福島がついていて、タオー、タオーと大きな声を出し、ストックを振り回して貫田を追ってい る。ヤク工作員がヤクを追うように。ヤクの動きも順調となり、隊員の中にも冗談をやる余裕が出て 来たということか。 一一十五日。明日、から本隊が mc-) に移動するので、引き揚げ準備におおわらわ。装備をいろ

3. 魔頂チョモランマ

が、それでも、十日ぶりのフレッシ、フルーツに隊員、シェルバとも目を輝かせて歯を立てた。 昨日から帰路に向かわれた藤木氏のメッセージと、秋の隊、長谷川隊からのメッセージが届 けられた。長谷川氏のメッセージの内容は、凍傷の隊員の治療のお礼と、当初考えていた北壁へ単独 で登るために、べースキャン。フから約二キロ先のところへ張ってあるテント場を撤収したいという。 ヤク工作員たちに物をとられないように、上に何があったのかをチェックしてほしいと書いてあっ 夜。次のローテーションの発表。三日からの行動予定で、貫田、近藤パーティが 01 に上がり、四 日に 01 ~ 0 2 間残りの部分のルート 工作兼荷上げをし、五日に 0 2 へ入り、六日に、 0 2 ~ 0 3 間 のルート工作、第一弾。次の福島、早川。 ( ーティが一日遅れで、四日に 01 へ入り、五日は 01 ~ o 2 の往復。ここで少し高所順応をしておいて、六日に 0 2 へ入り、七日が 0 3 へのルート工作、第二 弾。 3 の予定が七五〇〇メートルなので、 0 2 ~ 0 3 間は近い。従って、この福島パーティで 0 3 への到着は可能と思われる。そこで、その次の大蔵、関根パーティは、到着したの建設という形 になると思うが、いずれにしても最後が、大蔵、関根パーティ。彼らは、明日帰って来て、四日に休 養した後、五日に 01 に上がり、六日に 01 から 0 2 への往復。七日に 0 2 に入り、八日に 0 3 への ルート工作となる。 樫原は、から上がって来たばかりの大矢と二日間、 o—への高所順応を目的とし、少々の荷 上げという形をとることにする。ところがスケジ、ール発表後、樫原が下で張さんからヤク工作員た ちが、明日長谷川隊の荷物を取りに来るとき、その荷物をチ = ックして、何を持ったかを確認してく 104

4. 魔頂チョモランマ

とを決めてほしいと、強硬にいわれた。一応これは承諾した。もちろん、お金は支払ってある。した がって彼らは現在使用するものは、自分たちで持って来ているその上での話なのだ。 中国登山協会といろいろ交渉し、ヤク工作員と話し合い、そして今、こんどはシェルバからの要求 を受ける。ヒマラヤ登山はただ登るだけの困難さだけではなく、こうした人間同士の問題も多く、こ れらを処理しなければならないのだ。夜、全員が停滞とはいうものの、一日ではやはりべースキャン 。フを片付けるのは、なかなか難しい。しかし、べースキャンプを建設するためだけにきたわけではな いので、翌日からの行動予定を発表した。 明日は、貫田、近藤、早川、福島が入りし、その翌日、近藤、貫田がルート工作。そして、三 十一日は、福島、早川がルート工作。一日には、大蔵、関根が o から 01 入りをし、 01 から 0 2 を二日にルート工作というふうに決めた。 なお、サーダーが三十日から始めたいといって話し合った時に、一応ルート工作一一名に対して、ロ 1 プ、。ヒトン、スノ ー・ハーなどを持ち上げるシェルバ二人を、後ろからつけることにしたいと申し入 れ、これに同意してもらった。 01 に上がるようにと言ったところ、べースキャン。フで安全祈願をし び てから上がりたいということで、その日が二十九日では月が円いので、まずいということだった。じ 再 ゃあ一日延ばそうということで、二十九日が全員停滞日になったのだけれど、ところが二十九日の夜ン に、じゃあ三十日に上がって、 01 から一緒に行く人は誰かと聞いたら、ニマ・テンバとアン・ソモ ナ、この二人を選んでくれた。明日はセレモニーが終わってから出かけるのかと聞いたら、てれくさチ そうに笑って、明日もまだ日が悪いという。したがってセレモニーは、明後日にする。そうすると、

5. 魔頂チョモランマ

ヤク工作員の活躍 二十一日は、ヤク工作員一一名とシェルバ一一名、そして隊員一一名がヤク道を作りに行った。大矢、近 藤は、そのままべ】スキャンプ入りする。すでに二人は、十四日にべースキャンプに上がり、ここで 一泊し、十五日にヤクを連れて、帰ってきている。高度にも慣れてきている。近藤は元気たったが、 二十一日にそのままべースキャン。フへ入るようにといったときには、入るんですかと不満気。樫原も べースが遠い、遠いと言い出した。何となく沈滞気味。私と大蔵でテントに戻ってから、前回の隊員 は先へ行こう、行こうと言うので大変だったのに、何だ、今回の隊員は、と話していたら、それが聞 こえたらしく、翌朝、がんばって行って来ますと張り切ってみせた。どっちが本当かわからない。 近藤、大矢は無事べ】スキャン。フ入りした。二十二日。昨日の努力でべースキャンプまでの道はで きた。ヤク工作員たちも今まで動いていなかったこともあり、わりとスムーズに動くという意思は示 した。しかもヤク工作員は十三名雇っているはずなのに、数えてみたら十七名いる。ただし、いつも のことながら、河原に陽が当たってくる十時をすぎても、また彼らはテントの中から出ようとしな 。私をはじめ、隊員たちおよびサーダー シ = ルバたちは、みな八時モーニング・ティー、八時半再 食事、九時からは外に出ているというのに。張さんが、パジェロに乗ってすごい勢いでヤクを探しにン いった。この寒さのためにヤクがロンブクまで降りてしまったという。もう陽もさんさんとテント場モ に届き、十時半を過ぎた頃やっと、遙かかなたの河原の斜面のところに、ポッポッと黒いものが見えチ 始めた。ヤクである。これが、ノソノソとやってきた。

6. 魔頂チョモランマ

風なし、ルート工作順調 十二月一日。本日は風が弱い。「貫田、樫原、大矢、福島、次々に on に到着、近藤が最後です」 三時過ぎには貫田から、 0 3 到着の報告が入った。早い明るいうちにキャンプについている。張り切 りようが分かる。それにしても、いつもはダントツの近藤がドンジリとは。 しいえ、近藤は出発が遅かった 「近藤君の調子、悪いんですか ? 」私の問いに返って来た答えは、「、 だけです」笑ってしまった。彼は本当に朝寝坊なのだ。それを許してゆっくり来させたリーダーもリ ーダーだ。まあ余裕なんだろう、と受けとめた。 十二月二日。 0 3 ~ 0 4 へ貫田パーティ移動、本日も風なし。九時の交信では準備も 0 とのこと だったが、その後、貫田から、酸素マスクのセットが不足し、貫田、樫原は酸素マクスを使用せずに 登ると言ってきた。それも十二時近かった。イヤな予感がした。しかし見ているとルート上ではすで に人影が動いている。七時の交信で、近藤が 4 からさらに五ビッチ、ルートを延ばしたと言ってき そうか、明日のために今日ルートを延ばしたのか。遅れた日々をとり返すためにシェルバの荷上げ を 0 3 から ro 4 にせず、次回は 0 3 から直接ルートの最先端に持って行ってもらい、ルート工作してい吮 る人間はルート工作の最後点に泊まって翌日のルート工作をそこからするという話し合いが出来てい たからだ。したがって翌日ルート工作をするのに少しでも延ばしておけば、明日シェルバが来るまで に時間をかせげる。なにしろルート工作は時間がかかるが、シェルバは出来上がったルートを来るの

7. 魔頂チョモランマ

よ・ほすことだということを衄りまくった。 行動のスタートが遅れてペースが狂ったのは、シェル。ハだけではない。大蔵、関根も五時のトラン シしハー交信では、まだに到着しておらず、六時の交信で、関根たけ到着。大蔵はまだだった。 セレモニーには関係なく、昨日 01 へ入った貫田、近藤パーティは、本日、張り切って 01 から 0 2 へのルート工作に出掛けていた。七時の交信で 01 から大蔵が、「彼らは、まだ壁にとりついてい ます」と言って来た。午後七時と言えば、まだ残照はあるし、氷壁の白さが明るさを助けているが、 日没とともに気温は急激に下がる。セレモニーでよれよれの他の人間とは別に、こちらの方は張りき り過ぎて、帰路のことを考えていないのではないかと心配になる。 午後九時の交信。彼らの延ばした。ヒッチ ( 一ビッチは五〇メ 1 トル ) は十。ヒッチ。左側の方の雪壁 からリッジの方に出て、そこから直登したとのこと。八時四十五分に帰って来たと報告してきた。貫 田、近藤パーティとは、を出発する前に、へ到着するまでは、からは下りてこないとい う約東だった。なぜなら、 01 からのルート工作は、初日が貫田パーティ、翌日が福島パーティ、翌々 日は大蔵パーティ、これで到達しなければ、もう一度貫田パーティ、福島パーティと繰り返す作戦だ ったので、一日目に 01 からルート工作し、二日目にに戻り、三日目にまた 01 へ登り、四日目 にからのルート工作という日程を組むと、休養できる日がなくなってしまう。それならば、初日 ルート工作し、翌日と翌々日をで休養し、四日目にまたルート工作に出るほうが、体力的には楽 た。しかし、はより高度が高いうえに、居心地も悪い。基本的に休養はというのが、べ ターではある。やむをえない処置としてこの約東はなされていた。

8. 魔頂チョモランマ

げた荷物が一袋落ちていて、ニマ・テン・ハが拾って来たとも言った。中には— ( ガスポンべ ) 、テ如 ントのポール、ビスケット等食料が入っていて、ポールは使えないが、食料は食べられると言ってき た。十個の荷を失い、一個の荷を拾う。割りは合わないが、でも捨てる神あれば、拾う神あり。この 窮地にちょっと明るい話題たった。 しかしその数分後、今度は e から、サーダーがテントが一個見つからない、連絡官の張さんか くーは貸せるが、フィックスドロープはないと言ってきた。フィッ ら、通訳の謝さんを通してスノー クスドロープはぜひ必要。しかも私たちのべ 1 スキャン。フを通る時、ヤク工作員が持っておりるのを 私たちは見ている。でもないとのこと。 長谷川隊が私たちの隊に、荷をおろしてほしいと言ってきた時、彼らは私たちの登山に影響がない ようにと気を使って、私たちの登山が終わった後でおろしてくれと言ってきた。私はその時、すぐビ ンと来て、もし二カ月も荷物を放置すれば、なくなると思うと言った。ヤク工作員がもう必要ない物 だと思って持って帰ってしまうだろうと説明した。 私たちの連絡官も同じ見解で、私たちの登山中におろすことにしたのだが、ヤク工作員は生活に必 ックスドロープは 0 は通過さ ・、ーは運びおろしたが、フィ 要のない、使い方の分からないスノー せ、 e 0 までのどこかに隠し、 e 0 にはおろさなかったようだ。後日、 e 0 から夜、人が 0 に向かって登っていったので、注意するようにと、 e から交信があったが、その人間はには 来ていない。もしかしたら、フィックスを持って帰ったのかもしれない。 いずれにしても、フィックスがなくては困る。張さんから「明日、パジェロを飛ばして一日でラサ

9. 魔頂チョモランマ

チョモランマ再び ( 一九八五年 + 月 ) 宿舎、食事付き 「もう一度来ようよ」 9 なっかしのラサに到着 ヒマラヤが眼前に ラズー温泉からシガールへ の車の旅 ヤクの上等肉 テンヤワンヤの食事の支度 旅遊隊とへ パデュ 1 へもどる優 中国側とのトラ・フル を入手 キャンプ生活あれこ 秀なシェルバたち無遠慮なトレッカー ヤク工作員の活躍 れ 8 国民性、生活習慣の違い チョモランマの魔鳥行 0 に全員集結 つばらって荷上げ 列 ( 風に負け丿 ( 一九八五年十一月 ) ルート工作はじまる十一月初旬にマイナス三〇度遅い出発 にイライラ 建設へ向けて中休み盟 早くも冬が :

10. 魔頂チョモランマ

は、荷上げが間に合わなくなる。までの荷上げを、隊員がへのルート工作をしている間に同 時に行うには、各キャンプの宿泊可能人数六名を超えない範囲で人数を決定しなければならない。 エルバは四人一組になっているので隊員は一一名。それもいいかと思い私は黙っていた。 貫田、大蔵と私の三人で相談して、相性、 0 4 ~ 0 5 間にあるホーイ ( イン・クーロワールの岩壁 登攀の技術のある人間、リ 1 ダーシッ。フ ( 判断力 ) 等々を考え合わせ、まずス。ヒードのある早川と大 矢、核心部は大蔵、関根、次に確実性で貫田、近藤、最後のフォローを福島、樫原という順番に組ん だ。この発表には異論はなく、というよりは、自分の持ち場が決定したことで、その中で力を発揮し ようとルート研究に余念がないといった感があった。 「ボクらはいつも現場が遠かったから、こんどは近くなっていいや」大蔵、関根は、今までルートエ 作の三日目ばかりだったので、一日目、二日目のルート工作済みのフィックスをつたわって、自分た ちが新しいルート工作をする場所まで来るのに半日以上かかっていたので、そのことを現場が遠い、 遠いと言っていた。今回、二日目が当たったので、近くなったと喜んでいる。 さらに関根はから、から on と酸素を使わずに行動する場所では、登るのが遅い。 テているわけではなく速く動けないのだ。ところが、 0 4 へのルート工作中酸素を吸ったとたん一五 〇メートルを一気にすっ飛んで行ったという経験がある。「まかしといてください。酸素を吸えばホ 1 ンバイン・クーロワールなんかドンドン延ばしますよ。ボクは八〇〇〇メートル以上のルート工作 向きなんですから。七〇〇〇メートル級の無酸素で行く山は行きませんから」と言って、皆を笑わせ た。「酸素を吸うと一一度暖かいじゃなくて六度アッタカインですか ? 」貫田が関根をからかう ( 関根