装備 - みる会図書館


検索対象: 魔頂チョモランマ
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1. 魔頂チョモランマ

スも皆無とは。装備担当の早川が、常に綿密に計算し、特にには、以上で使用する装備すべ てが。ハ ーフェクトに上がったのに。テントも火器も、ロープもスノー ーもなければ、この先登攀は 続けられない。 しかし、早川を中心に私たちはもう、残りの装備をかきあつめる算段をしていた。藤木さんの泊ま っていたの黄色のテントをはじめ、使用予定のなかったテント、そしてさらに長谷川さんたち の残していったスノー フィックス類はその後、ヤク工作員が e o に降ろしたはずだ。事後承 諾であれを借りよう。しかし、それらは emo から、 pao 、 o—、、 on と上げるのに五日かか る。すでに今日入りする福島、樫原。 ( ーティ、入りした大蔵、関根パーティにはまにあわな いなんとかしなくては。 天候は悪いが、せつかく上がった彼らの仕事を探さなければ。七時の交信で、福島パーティには o 3 の整備を指示した。ここ数日の悪天候で、すべてのキャンプには吹き積もった雪がおおいかぶさ り、風でゆられたテントと、テント回りはめちゃくちゃになっている。テントを掘りおこし、装備を 掘りおこすだけでも一日は充分必要だ。七時三十分、大蔵パーテイからに入ったと報告あり。 o 2 は三つのテントがすべてつぶれ、ポールが折れてしまっていたが、このことはすでに分かってい た。シェル。 ( に持たせた予備のポールが、なぜか 0 2 を通過して 0 3 に入ってしまっており、今夜は つぶれたテント泊となる。 九時三十分、にすでに着いた貫田から、「下降中に対策を考えながら来ました」と言ってきた。 私は思わず、「中止を考えたのですか」と言ってしまった。それくらいショックだった。ふだんから 186

2. 魔頂チョモランマ

装備の補充、拾得 十一月二十五日。一週間荒れ狂い、私たちの大切な装備を無残にも一一〇〇〇メートルも蹴落として くれた悪天候はおさまり、風は強いが晴れた。福島パーティに、早く出て落ちた荷を見てくれるよ う、朝の交信で念をおした。からはもう準備がでぎたと、はりきった交信が入った。にはシ エルバとともに、氷壁の下へ落下して来ているかもしれない荷の捜索に行くよう指示したが、彼らは 、酸素など、残っている 疲れもあり、今回の残装備の洗い直しでにまだフィックス、スノし ( ー 計算となったものが、前回の崩壊の後、掘り起こされていないという結論になり、その掘り起こ しもあるため、いい返事は返ってこなかった。 二時二十五分、からテントを一張見つけたと言ってきた。袋からはずれ、ポールも内ばりもな いが、すっかり無傷のままとのこと。ポール等は予備をセットして、のテントとして使用しよう と話し合った。ペコンペコンになったおなべも見つけた。やはり 0 4 から 01 の所まで一気に落ちた のだ。 四時、の方は、テントの他は見つからず、近藤が最後でに下ると言ってきた。彼は「ソリ に乗って帰ります」と相変わらず何が起ころうと自分のペース。自分の楽しみ方をしている。 五時、へ向かった福島から、十九ピッチほど上がったはずだが何も見えないと言ってきた。言 葉がゆっくりなので、酸素を吸ってからもう一度連絡するように言ったところ、次の交信で先ほどは マスクが氷でつまって、酸素の出てないマスクをつけていたからだといった。ゴムホースを直接口に 188

3. 魔頂チョモランマ

に全員集結 / / 力へースキャンプにいる。装備 十月一一十九日。本日は大矢、樫原を除いたすべての隊員、シェレ。、・、・ は早川と近藤が整理し、関根とミンマが食料と食堂テント内の整備。私は医療カートンの整備と、そ れそれ一日かけて、今後の生活に支障のないよう整備した。なお、シェルバ用の装備は、装備担当者 ・テンジンを通じて、パサン・ からシェルバに支給されたが、無事終わったかにみえたタ方、ラクパ ツェリンからの発言らしいが、もう一本、シュラーフを支給してほしいという申し入れがあった。今回 の装備の支給は、ネ。 ( ールで通常行なっている装備の支給とは違い、変則的で、一応装備費としてす でにシェルバたちにはお金を支払ってあった。それでも、なおかっ彼らの持って来た装備では、寒い といけないと考え、こちらから羽毛の下着上下、羽毛服を二着など支給した。 天幕も中国の軍隊用のテントで、キルティングの布でできたものを、べースキャン。フでは使用する ことにしていた。これはシェル。ハのみではなく、登山中、唯一の憩いの場であるべースキャン。フを暖 冫ナかなり気を遣ってあった。しかし、彼らは かくするため、隊員用、キッチン用もこのテントこしこ。 やはり冬の各遠征隊でシュラーフは一本支給されるので、ぜひほしいという。とりあえず遠征中、上部 で使うシュラーフ ( これは 01 から上のシュラーフは、我々も個人持ちではない。各キャンプ地に、宿泊 人数分を配置して、登山の間、シュラ 1 フを持って歩く苦労をなくそうということで、テントの宿泊人 数分が用意してある ) を、遠征が終わった段階で支給できないことはないがと言い、成功した暁のポ キシス ( ポーナス ) にしたいと申し入れたが、今、遠征が終わったら、シュラーフがもらえるというこ

4. 魔頂チョモランマ

へ。前回の招待場の部屋には「厚いじゅうたんが敷いてあって、大きなダ・フルべッドがあった」ホテ ルに近い立派な部屋だったが、今回は床がコンクリートのたたきで、ワンルーム。そこにパイプ製の べッドが置いてある寒々とした部屋だ。しかしそれそれの部屋にトイレだけは付いている。そのトイ レは入口側と一番奥にガラス窓があり、外から丸見え。 宿泊設備としては、前回よりランク落ちだ。ただし便利なのは、登山協会の建物なので登山装備も 敷地内の一隅に置いてあり、整理しやすい。会議場のようなところが装備の倉庫になっていた ( 前回 は装備の集積場までバスに乗って行かなければならなかった ) 。昼食を済ますと、すでに六月に船で 送った約十トンの登山装備、生活用品、食料等のチェックこよ、つこ。 冫冫しナ二日間のうちにチェックしな ければならない。 ラサは海抜三六八〇メートルの町だ。気圧が低い。日本から飛行機で一気にこの高度に降り立った 一行の体には、酸素の少なさがこたえる。歩くだけでも息づかいが荒くなり、しばしばとまって呼吸 を整えるか、ゆっくり歩かなければならない。まして荷物を仕分けし、担ぎ、移動させる作業はきっ 。しかし、隊員たちは、岩と雪と氷しかない世界で生活するためには、どんな小さな物でも必要な ものは忘れられないという思いと、めざす登山への意欲も手伝い、一つ一つ慎重に確認、梱包してい再 った。隊長兼医師の私としては、今回のためにと前回残した医療関係装備が気になっていたが、酸素ン モ マスクおよびデスポの注射器等が、そっくり梱包当時のままに残っていたので助かった。 ーをつつこんでチ 夕方になって福島が風邪気味と訴えて来た。鼻の穴に目いつばいティッシュ。ヘー はくるくる回し、鼻水が止まらないといっていたが、そのうち鼻が乾いてしかたないという。飲み薬

5. 魔頂チョモランマ

を補修 十一月十九日。一夜明けて風はおさまった。 (-)* の早川からの交信あり、こちらから本日入り するよう指示、なお 0 2 もそしてその次の 0 3 も、きっとテントが雪でつぶされたり、ポールがおれ たりしている可能性大だから覚悟して行くように言う。 十一時、再び 01 より交信あり、酸素マスク、レギュレーターが雪の下、どの辺にあるかとのこ と、酸素関係を取り扱っていた貫田からシェルバテントと隊員テントの間にあると答える。再び交信 あり、装備がほとんど雪の下、この場所はもう放棄し、雪洞を掘るか、雪原にテントを移動するしか ないと、つ。 昨夜、サーダーとの話で、もし風がおさまれば、ハイ。ヒーシートをミンマが補修することになって いた。本日が風強く無理なら明日、いずれにしても風がおさまったら補修という話にしてあったの で、そのことを伝えたが、早川は、ハイ。ヒーシートはズタズタで補修は無理といってきた。雪洞を掘 ると主張した。私は、後のことは後から行く人間にまかせてに行くよううながした。早川になに かを指示すれば、後は考えるだろうと思ったのだ。しばらくして交信あり、スコツ。フがなく仕事がは ず かどらないという。装備のことについては全部細かくノートにつけ、どこにあるかを全部知っていけ て、ス = , プなどにないことが分か 0 ている彼がス = ' プを上げてくれと言 0 てきた。大蔵パー ティにもなるべく早く来るようにとも。そして十二時過ぎ、本日はの再建でには上がらない と言ってきた。彼の性格から、の装備すべてを掘りおこし、なくなったものも把握しなければ納 こ

6. 魔頂チョモランマ

「分かりました。今回はホーン・ハインが登れてボクも満足しております。に帰って早くみんなの顔翹 が見たいです」 と、いつもと同じ淡々とした交信が返って来た。ホッとした。 大蔵の交信の後から、「ボクは満足してませーん」という近藤の声がきこえたが、大蔵が近藤をつれ て帰ってくる。もうそれでよかった。後は装備の回収など、事務的な交信が続き、彼らは下山準備をは じめた。 / 力、・ハッテリー切れのため交信出来な なお、 ro 4 の大矢、樫原とは、彼らの手持ちのトランシ 1 かった。双眼鏡で彼らの動きを追う一方、から一方的に、大蔵、近藤とともに下山するよう指示し つづけた。 二時過ぎ、双眼鏡でからかなりのス。ヒードで、上に向かう人影がとらえられた。樫原か大矢が大 蔵パーティを迎えにいったもよう。 その日、四人は (-)—まで下った。帰って来た彼らの話で、樫原、大矢は午前三時、を出発した が、落石が多く、五十メートル登る間に六回石が当たったという。夜の闇の中で落ちてくる石が見え ず、危険と判断した彼らはひとまずにもどった。結局トランシー・ハー交信は通じず、樫原が午後様 子を見に上に登り、下ってくる大蔵パーティと会い、「ケンジ ( 近藤 ) 、今から行こうよ」と誘ったとい うエピソードもあった。 一九八五年・カモシカ同人冬季チョモランマ峰登山隊の北壁登山は、こうして今回も登頂できずに終 了しました。

7. 魔頂チョモランマ

あった。寝ていても体が風で宙に浮いた。浅葉さんがテントの底にビッケルをさした。その話をする と、早川がトランシー ーを握り「大蔵さん、。ヒッケルでもバイルでも、テントの床につきさしてく ださい。テント破っちゃっていいですよ」と叫んだ。装備担当の早川の言葉に、「ありがとうござし え一メートルぐらいです」「じ ます」と返事がきた。「フィックスとテントは離れていますか」「いい ゃあ、フィックスにテントを結べませんか」「だめです。関根が動きませんから届きません」 「今夜は眠れないと思います」 そうか、大蔵が奥にいて、関根が入口の方なのか。大蔵の伝えてくる言葉の中から、状況を頭に描 く。福島が、「大蔵君のゼルブストに関根君のゼルブストをつなげ。たしか関根のゼルブストには二 メートルほどのビレ ーがついているから、それを手を伸ばしてフィックスにつなげてください」と交 信した。なんとか、テントと二人をどこかの支点につけて、テントごと飛ばないようにしろと言いた くて必死だった。 しかし上からは「ハイ了解しました」という返事は返ってくるものの、声から判断すると、行動を 起こしているようには思えなかった。早川が、「だめだよ。返事しているだけだ。何かで一度集中さ せなければ」と言った。「そうだ、信号弾を上げようか」貫田が、張さんからあずかった信号弾を思け い出した。「信号弾を上げて、それを見ろと言って一度外に出させてフィックスとテントをつなげさ 風 せよう」このアイデアに皆のった。ところがもし暴発するといけないと思って置いてあった信号弾は しま 0 たはずの場所になく、一騒動。「ごめん、ごめん。どこに入れたんだ 0 け」結局、予備の薬と に

8. 魔頂チョモランマ

受け、「え 1 、風が強くて予定では七時半に着くつもりが、この時間になりました。撮影もありまし たので」「撮影は 01 から 0 2 まで明るいうちに全部とらなければならない」彼はめげずに風のせし だと言った。 とりあえず、着いたばかりだろうからと落ち着いたところで、もう一度交信しようと十時半を約東 した。十時半、交信したが出ない。十時四十五分交信が通じた。早川が一一一一口、「お互いに夜遅く疲れ ていますので、時間を守ってください」と言ってから、明日の荷上げの荷物の件や、シェルバにもた せる荷の話などをして、これで本日の交信終了。 隊員の食欲旺盛ぶり 十一月十四日。朝九時の交信が大蔵からバッチリ入った。もう支度が出来たと言って来た。「食事の 支度をシェルバにまかせなかったので早く出来ました」昨日 01 ではシェルバの食事の支度が遅れた ので出発が遅くなったのだと言う。彼は何か注意すると必ず、なぜそうなったか理由をいうが、でも 私の言ったことは内心では分かっている人間だ。それを知っているから私もフンフンと聞いていた。 貫田パーテイからもすでに準備済みと言って来た。本日はルートを延ばして、もどるとのこと。早 ず 近藤はまだ寝ている。シ = ラフの頭のところから、規則正しい白い息がフ 1 フーと垂直にはき出け されていた。 / ノカモーニング・ティを持って来てくれた。朝食を終わってテントの外へ出 十一時近くに、シェレ。、 : た私は、インデエラを先頭に荷上げに出るシェルバ四人を見送り、装備関係、食料関係、シ = ラーフ〃 に

9. 魔頂チョモランマ

優秀なシェルバたち 十時半頃からのおそい食事が終わり、十一時を過ぎたころ、太陽があたり始めた。サーダーがこれ なら大丈夫というので、健康診断を開始する。ラク。ハ ・テンジン ( サーダー ) 、ダワ・ノルプ、アン・ ソナ、ナワン・ヨンデン、ニマ・テン、、、 ツェリン、ニマ・ドルジェ、アン・プレ・、、 ノ / イン 、ードル、アルジェン・タマン、 デエラ・ ハサン・ツェリン、そしてコックのミンマ・テンジンとキ ッチン・ポーイのティンディ・ドルジェの総勢十三名。シェルバの健康調査をする時、いつも感じる ・ツェリンは四 のは、血圧がかなり高い人間が多いことと、高所でも脈搏数が少ないことだ。ペイ、 十をいくつも越えているのに、かなり強そうな心臓の音がした。血管を押えると脈圧が高い。「この おじさん、顔のわりに強そうじゃない」といったら、過去の登攀記録はかなりだった。健康チェック の結果はみな元気。 登攀記録のうえでもラクパ・テンジンをはじめとして、みんな優秀な人間が集まっている。平均年 齢は若く、とても活気がある。はりきっていて気がせくのか、昼ごはんを待たずに、ラクパ・テンジ ンのほうからシェルバの装備を渡してくれといってきた。予定を早める。装備は一応、福島、大蔵が 手渡した。サングラスが足りなかったほかは、問題はなかったようだ。シェルバに渡す装備にシェル 。ハの側からクレ 1 ムがついた場合、あとあとまで尾を引くので、とりあえず一安心。 午後、貫田はじめ樫原、大蔵、大矢、関崎は、左岸の丸い山に登りにいった。各人別々のルートを とっていったが、さすがに大矢はかなり先に出た貫田に、追いつく程度に高所順化ができていて動き 8

10. 魔頂チョモランマ

の荷が吹きとばされたー 十一月二十四日。天気悪し。チョモランマの上部三分の一は雲におおわれ、風に飛ばされて西から 東へ流れる雲の合間に、時折。ヒークが見える。本日も登攀の条件としてはよくない 、と思いつつ、九 時のトランシし ( ー交信。の貫田パーテイからは、昨夜シ = ラーフが不足たった件、、酸 素マスク等、装備の不足品について次々と言ってくる。これには意外な気がした。チョモランマを見 上げて天候を心配しているに比べ、壁の中の当事者たちはもっと現実的で、天候については関係 なく、上へ行くことのみを考えているのか。 十二時、本日は貫田。 ( ーティにシ = ルバが同行している。 o«から先で使用する酸素を荷上げして いるが、前回の荷上げの時、すでに 0 4 用のテントおよび登攀具のすべては 0 4 に上がっているの で、隊員が先行し、シェレ。、 : ノ一カ 0 4 地点に着いた時、テントサイトを決定してあげれば、テント場作 りにシ = ルバの手を借りられるから、楽になるはずと考え、隊員に先行するよう言ってあったが、 o 3 から貫田が交信してきた。 「まだ、を出ていないのですか」「テントの中はごちやごちゃ、かたづけるのに手間どりました」 なお、酸素用のレギ、レーターやマスクの位置、使用不能の物の整備などに手間どっているという。 下ので考えると、狭いテントの中なので簡単にかたづけられそうに思うが、七五〇〇メートル付 近で薄い酸素 ( 空気 ) を吸いながらだと、ちょっと動くにも ( ーゼーゼー、それに一つの物を持 っと瞬間に手が冷たくなって、その手をあっためながらの作業は遅々として進まない。おまけに低酸 182