以外ないような気がする。もしかして、彼は暗にそう言いたかったのか。 夜のとの交信で、貫田から、予定地点まで到着したと言って来た。ただし、地形が変わっ ており、大蔵パーティが到着した地点から、さらに二。ヒッチほど行ったところにやや平らなところが あり、予定地としてはここが良いと思うがどうしようかと問い合わせて来た。その地点は、前回 のよりも少々上部になる。また、貫田は、「酸素を探して何千里 : : : 」歩ぎ回ったが結局見当た らなかったと、前回に残した五十三本の酸素ポンべをぜひ見つけたいといって来た。交信を聞き ながら大蔵は、 リッジの上は前回カールになっていて、緩斜面のスロープだったのに、今回はリッジ に上がるところで、斜度が五〇度近くあり、こんもりと高まっており、リッジから飛び出すところで は、ダ・フルアックスでなければ登り切れないぐらいの急な斜面だと強調した。関根も一緒になって身 振り手振りで、両側のひじを立てて、こうやって上がったと説明した。 大蔵は前回の地点へ到着し、高度計を見たところ、六八七〇メートルだったから、この高度で二十 メートルぐらいをダイヤモンドに切って探せば、絶対酸素は出て来ると主張する。いずれにしても、 テント場としては生活しやすい場所がよいので、貫田に一任すると言ったが、その後また、貫田は大 蔵を呼び出し、上の平らな台地に設営してもよいかと尋ねてきていた。大蔵もそのほうがよいだろう ず け と返事をした。 負 五日。昨夜は暖かかったようだ。最低気温マイナス一三度。しかし、朝から強風である。昨日、し ばらくぶりの無風状態だったので、なおさら強く感じる。「カナ、レディ」 ( 食事が出来た ) という声 で、キッチンテントに向かうと、なんと、今日は、もうみんな外へ出ている。昨日、皆の起きるのがル に
が出ないとか、他の一名も風が強いからと言って下りたがる。もうシェル。 ( の力も尽きたのかもしれ よい。しかたなく下ってよいと言う。 彼らの逃げ足は速く、大矢、樫原とすれ違うのが見えた。上のも、下のも行動していた が、の福島、近藤は音沙汰なし。に早川がついた。「ただいまから近藤出ますが、テントが 狭く、一人ずっしか支度が出来ません。福島はこれから支度をすると二時過ぎてしまいますので、今 日は停滞します」という交信を貫田が受けた。・ とうも福島は調子が悪そうだ。昨日もマイナーな意見 だったし、 0 3 におかないで下ろした方がいいかとも考えた。貫田に言うと「だって明日上ると言っ ているのに、なんて一一一口えばいいの」と言う。少し様子を見ることにした。 四時頃、双眼鏡で壁を見ていると、朝のうち 0 4 から二人、 0 3 から三人のシェルバが下り、 0 2 から二人上った七名の動きでにぎわっていたのに、すでに彼らは去り、 on から昼過ぎに出た近藤が ただ一人、壁の中にいるはずだと思って見ていると、すでに西に傾いた太陽の光がちょうどルート上 を照らしており、そのなかに彼の姿が点のように見えた。午前中あんなに雲がかかり、強風が吹き荒 れ、その中を七名が往来した同じ壁が、今は暖かそうに見える。なんだかうれしくなってしまい、つ づけて見ていた。 七時の交信で、大蔵が、「近藤が来て、盆と正月がいっしょに来たみたいでうれしいです」と言っ吮 た。近藤も、「光の中を歩いているとき、うれしかった」と言った。悪天にも耐えた。そうだ、これ から好天が来るだろう。明るい気分になった。 ところが、 0 3 から交信が来た。「隊長にちょっとお尋ねしたいのですが、コールタールのような
得が行かないのだろう、装備係として。 私は考えた、 / 彼の完璧精神をここで発揮させると、彼が・ハテるだろう。ほうったまま上に行けと言 ってもわだかまりを残すだろう。そこで彼が雪洞を掘るというのをした。から出る関根も 1 は大切な基地だから、ちゃんと直した方がいいと言って出て行った。六時の交信で、早川から、テ ントは雪原に出して張り直したと言って来た。キッチン用のテントはミンマがそのままでよいという のでそのままにしたという。 十五日に 01 に上がったミンマが、仕事をしやすいようにハイ。ヒーシート内の雪面を掘っていたと ころ、クレバスが開いて片足が股まで入ってしまうという事件があった。荷上げに行ったサーダーが 、、ンマは切り取った氷をそこにつめたそうだが、危険ではないかと のそくと、大変深かったそうだ。 聞いたら、サーダーは危険だと言った。キッチンテントの前から右の方にはしるクレ・ハスだという。 この事件があったから、早川に昨日のクレバスはどうしたかと聞いたが、吹き込んだ雪が積もってし とうせならキッチンテントも移動した方がよいので まったため「雪の下、雪の下」との返事だった。・ ゴミ捨て場にいいよと大 はないかと話したが、あと二週間、急には開かないから大丈夫とサーダー 蔵、そして 01 は、まず住めるようになったらしく、明日、早川パーティは 2 入りすると言う。大 蔵パーティは 01 にステイし、明後日出る。予定より一日遅れとなった。 では相変わらずアタック時のことが話題となっており、四番目に出る福島パーティの樫原は、 ーティで充分だから、午 5 までのルート工作は早川パーティ、大蔵パーティ、貫田パーティの三パ 前一一時頃を出てフィックスの最高点に夜明けに着いて、そこから頂上をねらっちゃおう等と毎晩 164
装備、食料もぎりぎりだ。 0 4 で待っている大矢から、「ルート工作、チェンジしましようか」とい 3 ってきた。大蔵パーティが疲れているとすれば、大矢パーティと代えるほうがよいかもしれない。貫 田と相談したが、しかしここで入れかえると酸素も不足になる。「明日の二時まで待ってください 午後一時、大蔵パーティがル 1 トを延ばしきれなかったら、 0 4 から o に上がってもらいます」 もし大蔵パーティが出なかったら、大矢パーティと入れかえよう。もし大蔵パーティが出てもルー トが延びなければそうしよう。そんな話になっていた。その後、大矢パーティのトランシー ッテリーがなくなり、彼らからの送信が不能となった。こちらの送信を聞いてもらい、返事はブッと いう発信音のみ。彼らはもう一日に泊まると、体力を消耗すると言ったが、食料はあるという。 すべての面でギリギリになった。 十二月十六日。連絡官の張さんと、通訳の謝さんが、ナシ、リンゴを持って陣中見舞いに来てくれ た。「今から出ます」八時三十分に大蔵が交信して来た。「近藤はどうですか」「大丈夫でしよう。ヒ ーローを歌いながら出て行きましたから」 やはりそうか。寝坊で寝不足にとびつきり弱い彼は、昨日は寝たっきりで起きなかったのだろう。 それで今日は行動する気になったのか。の撤収の作業を進めながら、双眼鏡で見ていたら、やは り核心部のイエロー ハンドの岩登りで苦労している。十一時ごろ、ルートを問い合わせてきたが、彼 らが確認出来ない。三時、交信で彼らに酸素の切れない前に戻るよう指示。その後交信なく、ホーン ・ハイン・クーロワールの雪の斜面が右にカープした上のところに、人影らしきものを見た。八時から 行動していて五時。もう酸素の切れる時間。連絡なし。六時、七時消息不明。八時、「に戻りま
しないくせに、一言ごとに「ありがとうございました」「分かりました。任せてください」といった 言葉が入ってくる。それで、お互いの心が通じているという。私もトーンを変えて、「ご苦労さま」 と言ったり、「ご苦労」と言ってみたり、 いかにもこちらもそちらを思いやっているということを、 言葉の上や、声で表現しようと試みた。 夜九時以降の交信で貫田が、樫原はどうなったかと言って来た。私は、心配するといけないので、 六時と八時の二回、樫原は五時に戻ったと伝えたので、その件はもうすみましたと言った。貫田は後 日、 e 0 に戻り、あれはないでしようと私に抗議した。あの交信は、わざとしたのだという。戻っ た樫原に、自分が悪かったと一言トランシー ーで謝らせたかったという。使命を帯びて出かけたの に、勝手に帰ってしまって、それでいいもんだと他の隊員に思われたくないと言った。私自身、樫原 が戻り安心したので、そこまで気がっかなくて悪かったと思った。トランシー ーには、こうした使 い方もあるのだ。貫田も隊のチームワークを真剣に考えているのだ。 さらに貫田は、先発した福島、早川が、さっさとべースに上がり食事をしていたとぼやいた。樫原 は下へ戻ったし、ヤクをあげるために最後まで努力したのは、貫田とシェルバだけだったので、彼の 気持ちはよく分かったが、この点については、先導者としての早川、福島は明日のことを考えたら、 早めに休んでおいたほうがいいのではないかと思い、彼らには注意しなかった。お互いにお互いを思 いやることと、役割分担については、非常に難しい。他人が苦労していても、自分は次のために備え なければならない場合もある。もしもの場合には、自分のことは別として、相手を思いやらなければ ならない場合もある。今回の場合には、近藤に余裕があったと判断したので、近藤にお茶を持って行
人で、三ビッチほど登ってしまってから、ナワン・ヨンデンとダワ・ノルプは出て来たという。大蔵 は酸素探し。これは大蔵自身も酸素を探したがっていたが、貫田が大蔵は福島と代わって直接上がっ たので、高所には慣れていないはずだからと、無理させないよう、早川に適当な理由をつけて、大蔵 をにおくよう、途中でことづけたらしい。からは、福島、関根がへ移動。大矢、樫原は 荷上げということになっていた。 朝、福島からの交信で、 (-)r-* のテントが雪で押しつぶされたと報告して来た。雪は降ってはいない ので、風で吹き上げられ、巻いている地吹雪で、テントが押しつぶされたらしい。テント場の整備は どうするかと言って来たが、昨日も出発が遅れに到着できなかった彼らだから、サーダー以下、 べ 1 スキャンプから 01 への荷上げが行くので、彼らに整備は任せ、 0 2 へ出るように指示した。一 方、早川は、十二時過ぎにはすでにルートを五。ヒッチ伸ばし、予定地へ到達し、へ戻り、そ のままべースキャンプまで戻ると言って来た。彼が o に戻って来たのは、七時半。相変わらず速 彼はで大矢に会ったと言う。大矢は下りるとも何とも言っていなかったという。大矢は何に も言わずに、 01 からしかも五。ヒッチくらい登って、そのまま 01 へ戻ってしまったそうだ。大蔵が から交信して来たので、樫原を連れて下りるように言ったら、関根の来るのが遅いので、樫原を 2 へ泊めるという。従って、今日の 0 2 泊は、福島、樫原、関根の三名。聞くところによると、関 根は高所障害とか、体の不調ではなくて、確実に一歩一歩、ビッケルをついて登るために、ス。ヒード が遅いとのこと。 いつになく、大蔵がやけに早く帰って来たので驚いた。遅くなったらまた迎えにいってやろうと思 126
転手さんが一人いるが、いいだろうかと聞かれたとき、私は、チベットでは殺生を嫌うはすだと一言 いったが、一応我々としては別に何も文句はないと言ったところ、実際に持って来た鉄砲二つ、これ は運転手さんのではなくて、張さんのだったのだ。 先発隊は、十二日にに入っていた。荷上げを続けていたが、十五日から時ならぬ大雪が降り 続き、べースへの荷上げは全くできなくなっていた。サーダー以下、シェル。 ( たちはチベット語が通じ る上に、信心深い。まして登山の開始時で、荷上げに苦労を強いられれば、殺生が原因で天候が悪く なったのだからと不満を言い働かなくなる可能性もある。一方、これから三カ月、で管理をす る張さんに対し、好きな狩猟を取り上げることは気の毒でもある。困った問題だった。この件につい て、貫田がどうしようかと言うので、まあ今日は会ったばかりだから、とりあえず今日の夕食は、み んなお互いの紹介もあるし、楽しくやっておいて、明日になったら、我々が e をはなれるまでの 間は、殺生をしないようにといってほしいといった。今日、尼さんはロン・フクへ帰ってしまう。サー ダーはじめシェルバたちが o に上がってしまえば、 e 0 の状況は 0 へは流れてこなくなるのだ から。 夕食は、私が作った。本来ならシ = ルバとともに来たコックに任せるべきだが、タマネギの輪切り再 を野菜カレ 1 煮のお皿のまわりに飾り、ちょっと豪華にした。張さんたちは作っているのを見ていたン らしく、これはあなたがわざわざ我々のために作ってくれた料理ですねと感激してくれたが、おいしモ ハオハオ そうには食べなかった。少し食べては、好、好とは言っていたが。かえって気の毒だった。中国人たチ ちは、お料理に対して非常にうるさい。各地方でもお互いに他所のものはあまりたべないという。今回
便が、朝二回出ました。これはどうしたものでしよう」福島からだ。コールタールのような黒い便と いうことは、胃か腸から出血した血液が混じった便ということになる。これはまずい。出血がひど 貧血を起こしたりしないうちにに戻したい。本日はもう無理だから、明日に戻るよう言 うが、「イエ、黄色い下痢です。大丈夫です。明日は朝早く出てまで行きます。七時に出ます。 以上、オー ー」と福島は言った。困った。八時の交信のとき、一人で降りられなくなったら大変と おどかしたが無駄だった。大矢、樫原ははりきっていた。酸素マスクの件で貫田と交信してきた。や はり冬は酸素機材の故障が多い。寒さのためた。早川、関根が、夕方戻って来た。二人とも、顔面凍 傷にかかっていた。 明日、一回にかけよう 十二月十四日。福島から交信が入った。「、、感度ありますか」繰り返し入ったが、こち らの声が向こうに入らない。「えー こちらから用件だけ言います。福島、木日に戻ります。朝、 トイレに行って決めました」実は昨日から朝のトランシし ( ー交信が、こちらから送信不能になっ た。ずっと悪天続きで、ソーラー ・、ツテリーのチャージが追いっかなくなっていた。昨日はあわて たが、全キャン。フとも本日はそのことを知っていて、受信は出来ると分かっているので交信してきた のだ。貫田が発電機を回しに行ってくれた。「本日はシェルバ二名がへ荷下げに行きますから、 彼らと下って下さい」貫田がそう言った。「 01 には三名のシェレ。 : 、・ ノノカコロゴロしていますから、彼 らも使えばいいですよ」昨日、仕事をスケジュール通りせず、 0 3 から逃げ帰ったシェルバたちは、
けて、ご飯を作り出したんですよ。僕は仕方なく、ウーンなんて出さなくてもいい声を出しながら寝 たふりしてました。起きろ、飯だといわれて、起きて飯食ったら、貫田さんが僕の分までシュラーフ をたたんでくれちゃって、僕はそれをじっと見ながら、たたみ終わったらきっとぶんなぐられるだろ うななんて思っていたんですよ。そしたら、貫田さんが風が強いなあと言ったんで、この時、僕はラ ッキーと思いましたね。これは帰れるそと思ったんですよ。ところが下からの交信で、今日は何ビッ チ伸ばすか、それとも停滞するかみたいな話がきたんで、貫田さんはさっさと支度をしちゃってね。 僕も支度しましたよ。外に出て下のテントへスノー ーを取りにいったけれども、手が冷たくて、一 本取るのにハアハアハア。手をじっと握って温めてからまた一本。その間背中に、貫田さんのイライ ラしつばなしの感じが。ヒッタリついてくんですよね」 「登り始めたら、だんだん調子が出て、結局十二。ヒッチまで伸ばしたんですけど、最後の一。ヒッチの ところで、下から貫田さんが、オーイ、後一。ヒッチにしようよ、その一。ヒッチをオレがしようと言っ たんですよ。そこで僕は、貫田さーん、もう後一。ヒッチなら自分が行くだけですから、貫田さんは来 なくていいですよと、叫んだんですが、頼むからその一。ヒッチをオレにやらせてくれと言うんです。 僕は分かりましたと言ったけど、内心ではもうちょっとで、一一一一一口、い え、どうせやるなら自分が最後 までやりますと、言いそうになったんです。けれども、もしそれを言うと、後で怒られそうなので、 言わなかったんですけどね」 0 2 での二人の生活は、二 ~ 三人用の小さなテントの中なので、近藤が ラーメンを食べている前で、貫田がキジを打ったとか、身振り手振りを交えて話してくれた。 十一月七日。上部ではルート工作が今日も続いた。早川がトップを切って 0 2 を出たが、早川が一 125 烈風に負けず
ランマの切手をはり、最奥の郵便局のスタン。フ入りで届くようにと、隊員たちは一人平均七十枚ほど のはがきを書いた。 昼間は荷上げなどの行動をし、キャンプの整備やトランシーパ 1 交信と、登山に忙しいので、はが き書きは夜なべ仕事になるが、一番コンディションのよい o のテントの中でも、マイナス二〇度前 後の冷気の中で、ひたいにつけたヘッドランプをたよりのはがき書きは大変な作業である。指先がか じかんでペンを握る手をなんどももみながらのことで字は汚くなるし、そのうえ高度の影響で少々・ほ けていたりもするので漢字を忘れてしまっていることもたびたび。 樫原、大矢はそのメールの管理をまかされていた。届いたはがきや切手をそれそれに振り分け、書 いたはがきを集め、藤木氏に託すまでにするには一苦労していた。しかし彼らは律気にこの仕事をこ なした。これからへ上るというぎりぎりの日まで、メール騒ぎをしていたのだ。 関根と私で昼食を作る。ミンマが手伝ってくれた。関根が、「十割そば作りましようか」と言った。 「そうね」と返事をした。私はおそばより冷や麦かおそうめんのほうがいいので、おそばができあが ってから、おそうめんを作ろうと思う。関根は一人一東の計算で七東、ミンマとティンディ二人の分 も入れて、要するに七人分。「これで十分ですよ」と言った。ちょっと足りないんじゃないかなあと 私が言うと、十分すぎるほどあると言う。で、それは任せた。 おそばができあがった。何かに集中している時は、なかなか来ない大蔵が、すっ飛んで来た。顔を 洗っていた樫原もさっとやって来た。大矢もすっとんで来た。お鍋の数が限られているので、おそば が出来てから、そのお鍋を使って氷を沸かしていた私は、うしろでおそばをすする音がしているのを聞 いていた。ふりかえってみるともうザルの中はからっぽ。ミンマとティンディの分も含まれていたの