学校法人慶應義塾常任理事兼 慶應義塾大学 環境情報学部教授 村井純 MURAlJun 慶應義塾大学工学部数理学科 卒業、同大学院博士課程修了。 1 987 年博士号取得。 1984 年東京工業大学総合情報処 理センター助手、 1987 年東 京大学大型計算機センター 助手。 1990 年慶應義塾大学 環境情報学部助教授を経て 1 997 年より同教授。 1984 年 JUNET を設立。 1988 年 WIDE Project を設立し、今 日までその代表として指導に あたる。 著書「インターネット」、「イ ンターネット胸 ( 岩波新書 ) 、 「インターネットの不思議、 探検隊 ! 」 ( 太郎次郎社 ) 監訳「インターネットシステ ムハンドブック」 ( インプレ ス ) 、 rlPv6 : 次世代インター ネットプロトコル」 ( プレン ティスホール ) 、「アンワイ アード果てしなきインター ネットの未来ー 4G へのシナ リオ」 ( インプレス ) ほか。 6 日本から世界に向けて 4 月 27 日 .IPv6 を代表する研究プロジェクトである「 KAME Project 」の完成記念バーティ が行なわれました。そこで WIDE Project 代表である村井純氏が語った KAME の歴史には、 これからのインターネットと次世代旧に対するヒントが示されています。 また、氏が語ったエンジニアに対する熱い期待を紹介します。 プダウン組織であった旧 IAB が、 IP を OSI WIDE と KAME の始まり という国際標準規格の CLNP に変えようと し、それに対するエンジニアの反発がありま WIDE Project ( 以下、 WIDE) は、ある した。つまりユーザーのレビューを受けず 目的のために集まった個人の集合です。 に、実績のないプロトコルに変えるのはどう WIDE では、少々強引ではありましたが、 かと、神戸で大議論となったのです。その結 1992 年に INET ' 92 を神戸に誘致しホストし 果、新 IAB が誕生し、すべてが米国を中心 ました。それは、コンピュータサイエンスの に決まるのはよくないということで、私がメ 世界において、「日本は米国からのコピーを ンバーに選ばれたのです。新しい IAB の責 作っている」といわれており、それを覆した 任は、きちんとしたプロセスを経て、マーケッ いという皆の思いが強かったためです。 トに通用する次世代のプロトコルを作るとい うことでした。 X Window System や UNIX などの国際プ ロジェクトは米国がホストしていましたが、 次世代プロトコルの条件 我々には「日本から参加して作っている」と いう意識がありました。ディストリビュー ションのチャネルは米国がうまくやってお そのとき IPng という次世代のインター り、特にカリフォルニア大学バークレー校が ネットプロトコルを作ろうという議論があ ホストしていた BSD は、今でいうオープン り、 Steve Deering 氏の SIP と、 Peter Ford ソースのソースコードを配布し、皆でリファ 氏の TUBA という 2 つの素晴らしい提案が レンスポードを配っていました。それが後の されました。 CLNP べースで TCP が動いて UNIX です。この BSD 最大の貢献は、 TCP/ しまうのです。そして SIP べースで、今で IP のソースコードが世界中に配られたこと いう IPv6 も動くのです。甲乙付け難かった です。インターネットを拡げるには TCP/IP のですが、最後には固定長アドレスを使って のしくみを理解する必要があり、それには いる SIP に決まりました。固定長アドレス ソースコードを見ることが一番なのです。 の処理はわかるが可変長はわからない、とい のオープンソースという概念が、 WIDE 、そ うプログラマーを失うのではないかと危惧し して KAME Project ( 以下、 KAME) の基 たためです。 盤となりました。 そしてこのプロトタイプが出てきたとき、 INET 勺 2 を日本で開催したことで日本の これからのプロトコルを作り貢献するという コミュニテイへの信頼ができ、期間中に改組 行為には困難が伴うということに気づきまし された IAB * 1 に私が入ることになりました。 た。何もないところに初めに出すのとは異な そしてステアリングの一部を日本が握れるよ り、すでに使っているインターネットのプロ うになったのです。この改組の背景には、トッ ダクトがあり、社会全体がそれに体重をかけ 1 〒《 6 化一面Ø一 7 一 P 《 6 B 5 硅市可 4 ペ lnternet Architecture Board UNIX magazine 2006 Summer
R F C : R e q u e st F 0 「 Commentso インターネッ トに関わる技術の標準を定 める団体である旧 FT が正式 に発行する文書。 RFC1883 は現在、 RFC2460 lnternet P 「 0t0C6 Ve 「 sion 6 (IPv6) Specification に置き換わっ ている。 * 2 CSRG: lnternet Cont 「 Message P 「 0t0C6 * 3 lCMP:lnte 「 net Control Message P 「 0t0C6 I(AME P 「可 00t KAME Project ( 以下、 KAME プロジェクト ) とは、「旧 v6 、 lPsec および高度なネットワー クプロトコルに対する参照コードの提供」を目的として活動した産学共同プロジェクトである が、普及に関する技術的な課題を解決したと・して、 2006 年 3 月に活動終了を宣言した。そ の 8 年にわたる活動を総括することにより、旧 v6 プロトコルスタック開発の歴史を振り返る。 ネットワークで UNIX コンピュータ同士を オープンソースであったことが TCP/IP で相互接続し、分散処理する研究が インターネットを普及させた 主流になりました。そのためのオペレーティ IPv6 の基本仕様を定めた RFC1883 * 1 か ングシステムとしてカリフォルニア州立大学 バークレー校の CSRG*2 が BSD に TCP/IP ら 10 年が経ち、現在では IPv6 技術の基本 仕様は国際標準化が完了し、 BSD 、 Linux 、 プロトコルスタックを実装し、 4.2BSD とし Mac OS X などに IPv6 プロトコルスタック て、オープンソースのソフトウェアという形 が実装されています。日本は IPv6 先進国と で配布しました。 いわれるように、他国と比較して普及が進 ネットワークプロトコルの仕様書を理解す んでいます。この IPv6 の普及に大きな貢献 るのは非常に労力を要しますが、実装された をしたのが、産学共同プロジェクトである ソースコードからそれを学ぶのははるかに容 KAME プロジェクトです。 易です。また、受け取ったバケットの宛先を さまざまなプラットフォームで IPv6 プロ 見て、それが自分宛でなければ他に投げれば トコルスタックが採用されるまでには、多く よいという TCP/IP の特徴である単純さもあ の技術者の探求心と、営利を度外視して技術 り、結果として仕様と実装の改善が進みまし 者を提供した企業や組織の協力があったで た。ただ、その過程では間題も起こりました。 例えば、 ICMP * 3 は仕様に定義されていて しよう。日本が情報技術分野での国際貢献に も、 4.2BSD では ICMP の一部が正しく実 おいて、先導的役割を果たしたという点でも 非常に意義のあるプロジェクトです。 こで 装されていませんでした。このため、 ICMP を利用した traceroute という新しいアプリ は、改めて KAME プロジェクトの活動を総 括することにより、 IPv6 プロトコルスタッ ケーションが出現すると、ネットワーク障害 が頻発しました。裏を返せば、当時の多く クの開発を振り返ります。まずは、インター ネットが誕生した背景を簡単に振り返ってみ の機器がネットワークを BSD から学び、実 装は BSD から派生していたということです。 ましよう。 これは、オープンソースという戦略を採っ インターネットの起源は、 1969 年にべ た、 BSD の影響力の大きさを証明していま ル研究所で開発された UN Ⅸと、同年に実 す。また、サプネットという新しい概今の並 験が始まった ARPANET にあるといわれ ンじ、一ヨ 及でも、 BSD のソースコードが広く開示さ ています。別々の発想で生まれたこの 2 っ れていることが非常に役立ちました。世界中 の技術は、 1976 年に論文として発表され のネットワーク実装者が、 BSD のソースコー た Ethernet の登場をきっかけに融合してい ドを読み、サプネットの概念を理解し、製 きます。 Ethernet により、ローカルエリア ネットワークという概念が誕生すると、長距 品に実装しました。誰もが自由に参照できる 離ネットワークに加えて、ローカルエリア BSD のソースコードなしには、インターネッ 牆 1 一 P 《 6 化回Ø一 7 KAME Project UNIX magazine 2006 Summer
FUJITSU GeoStream R900 シリーズ GeoStream Si-R シリーズ Juniper CEC HITACHI ルータ / スイッチ GR/GS シリーズ BSD バージョン 日時 BSD/OS4.2 2000 年 1 1 月 29 日 FreeBSD4. O 2000 年 3 月 1 4 日 Extreme スイッチ 2000 年 1 2 月 6 日 NetBSD1 .5 AlaxalA R ℃ OH 2000 年 1 2 月 1 日 OpenBSD2.8 ルータ / スイッチ カメラサーバ プリンタ 図 3 各 BSD に KAME のコードがマージされた日時と MacOSX は、 KAME をマージした FreeBSD を基にしている そのときの BSD のバージョン 図 4 KAME の成果 バックポーンに多重化装置を人れ、 TI の回 タックを I から作る KAME プロジェクトが 線から 64kbps を切り出し、 IPv6 用の専用 1998 年 4 月にスタートしました。 線としました。これは、単一ネットワークで の相互接続実験から、複数ネットワーク間で の経路制御の検証へと段階が進んだことを意 味します。同じ月、トンネルを用いてカリフォ KAME プロジェクトの目標は、「 IPv6 、 ルニアの Cisco と結び、世界的な 6bone の IPsec および高度なネットワークプロトコル 初期メンバーとなりました。 に対する参照コードの提供」です。 1998 年 KAME プロジェクトのアイデアが出され 当時、 4.4BSD から派生した BSD は、商用 たのは、 1997 年 12 月にワシントン DC で の BSD/OS 、フリーの FreeBSD 、 NetBSD 、 開催された第 40 回 IETF です。 IPv6 分科会 および OpenBSD の 4 つでした。 KAME プ メンバーは、この時点ですでに IPv6 の仕様 ロジェクトは、すべての BSD に対し次の 3 に致命的な欠点がないと確信しており、これ つの形態でソースコードを提供しました。 を機に実装の努力を分散させないで、開発体 ① snap 制を一本化するための模索を始めました。 その時点での実装のスナップショット。最新 の実装であるがゆえ、不安定であるかもしれ ない。毎週月曜日にリリース。 ② stable 本来競合関係にある東芝、日立、 NEC 、 不安定なコードを削除し、安定性を確かめた 富士通などの企業が共同で IPv6 を実装し、 コード。基本的に奇数月にリリース。 しかも成果物はフリーで公開される。これま ( 3 ) release での日本では実現しそうにない大胆な目標が KAME プロジェクトの区切りにリリースす 掲げられました。このプロジェクトを成功さ る stableo 利用者にとっては stable と変わ せるためには、各社からのエース級プログラ りない。 マーの派遣が不可欠でした。「彼らを 2 年間 不安定かもしれない snap を提供する理由 ( 結局、 8 年間も続きましたが ) WIDE プロ は、コードの品質にこだわったがために ジェクトのために貸してください」と、村井 般にリリースされることなく世界的な認知度 氏と東芝の江崎浩氏 ( 現在、東京大学 ) が各 が低いままに終わってしまった Hydrangea 社をまわるという努力をされ、それまで分科 の反省に基づいてのことでした。コードの品 会として活動していたメンバーが各社、各組 質に改善の余地がある時点で公開することに 織から派遣されたのです。各社から派遣され、 よって悪印象を与える可能性よりも、 KAME 実際にコードを書く技術者は「コア」と呼ば プロジェクトの積極的な活動を内外にアピー こうしてコアが実装に専念する環 ルすること、そして不安定であるものを安定 れました。 境が整い、新しい最強の IPv6 プロトコルス させるために、急いでコードを改良するとい SEIL 活動の歩み 1 〒《 6 作面Ø一 7 KAME Project フリーな参照コードの作成による 世界への貢献と旧 v6 の普及 76 UNIX magazine 2006 Summer
う動機を与えることを優先しての方針です。 それまで各社により別々に開発されたコー ドの一本化の作業は、 Hydrangea をベース に各社の優れた部分をマージする形で進め られ、 1998 年 5 月には最初の snap 、同年 6 月には最初の stable をリリースしています。 以後、 snap を毎週リリースすることが絶え 間なく続けられ、マージの作業が完了した後 も同様の開発スタイルで最新の仕様が実装さ れていきました。 KAME プロジェクトは仕様適合試験や相 互接続試験を積極的に行なっていましたが、 提供するコードの質をさらに客観的に示すた めに、横河電機の岡部宣夫氏や横河ディジタ ルコンピュータの宮田宏氏 ( 現在は横河電機 ) らが中心となって、 TAHI プロジェクトを発 足させました。現在では TAHI プロジェクト が提供している検証ツールが事実上の標準と なっています。 先に述べたように、 KAME プロジェクト では、 4 つの BSD に同じ品質のコードを提 供することを掲げていましたが、それらは同 じ 4.4BSD から派生したにも関わらず、ネッ トワークのソースコードの実装は大幅に異な ります。実装する IPv6 やその他のコードは、 新しく書くため大枠としては共通化できまし たが、各 OS の差を吸収するために、コード の中に複雑な場合分けがたくさん埋め込まれ ることになりました。さらに、各 BSD のバー ジョンアップに合わせ、下位バージョンのサ ポートも行なったため、一時は 4 つの OS 、 10 バージョンを管理していたといいます。 こうした活動の結果、 1999 年の夏までに は、すべての BSD で採用されることが決定 していました。これには、当時 KAME プロ ジェクトのライバルであった NRL や INRIA が資金や人手の間題により、開発の継続が 困難になったことも影響しています。 BSD/ OS からは NRL の IPv6 コードが KAME プ ロジェクトのコードに置き換えられ、また 6 とは何なのか ! ? FreeBSD では KAME プロジェクトのコー ドがそのまま採用されました。 OpenBSD は IPsec のコードだけは独自に実装がされま したが、 2000 年末には、すべての BSD に KAME のコードが反映されています。 また、 KAME プロジェクトのコアである 萩野純一郎氏 ( インターネットイニシアティ プ ) が、 IETF v60ps の議長と IAB メンバー に選出されたことが象徴するように、 KAME プロジェクトの活動は広く世の中に認めら れ、 IETF でも発言力が増していきました。 順調に進んだように見える開発活動も、し ばしば特許の問題により開発が進捗しないと いうことがあったようです。 IETF のポリシーでは、プロトコルのある 部分が特許に触れていても、特許権保持者が その技術を誰にでも公平にライセンスするの であれば、利用料や契約を要求していてもそ のプロトコルを Proposed Standard * にで きるとしています。しかし KAME プロジェ クトでは、そのようなプロトコルについて は実装しない方針を採用しました。その成 果物を無償で配布することとしていたため です。また、ソースコードを広く配布するた め、契約が成果物の利用者に求められる場合 は利用者の把握が難しいという問題もありま す。あるいは、実装者である KAME プロジェ クトに契約が求められる場合は、そもそも KAME プロジェクトには契約を結ぶ枠組み がないという問題があったからです。こうし た問題以外にも、誰に対して契約を求めてい るのか明確でない特許もあったといいます。 しかし、利用料、契約が必要なプロトコル は実装しないという方針に対して、利益を 得るためでなく、訴えられないようにするた めに取得した特許に対しては、あまり過剰に 反応するべきでないという意見が内部から出 特許問題 * 5 RFC のうち、標準化過 程の最初の段階のドキュメン ト UNIX magazine 2006 Summer
トの普及はあり得なかったということです。 次世代 IP の必要性と旧 v6 誕生 1992 年に、 WIDE プロジェクトがホス トした第 1 回インターネットソサ工ティの 国際会議「 INET ' 92 」において、近い将来 IPv4 のクラス B アドレスが枯渇するとの報 告がされ、加えてモビリテイやセキュリティ などの新しい要求にも対応が求められまし た。それに応えて、急遽 IPng*4 と呼ばれる 次世代インターネットプロトコルの検討が 開始されたのです。当時の候補は 2 つ。 1 っ は、 IP のヘッダを小さくしてアドレスだけ を長くした固定長アドレスの SIPP (Simple lnternet Protoc01 Plus) 、もう I つは CLNP をベースとした可変長アドレス TUBA (TCP and UDP with Bigger Addresses) です。 2 年間にもわたる討論の結果、 1994 年 7 月に トロントで開催された第 30 回 IETF で SIPP が IPng として選ばれます。採用判断の基準 は世界中で作られるソフトウェアの複雑さを できるだけ排除すること。可変長アドレス は、アドレスを必要に応じて大きくできる利 点がある一方、アドレスの先頭にアドレス長 を示す情報が必要となります。そのために必 要となる数ステップが世界中の実装に与える 影響を懸念されたのです。こうして選ばれ た IPng はバージョンに 6 が与えられ、以降 IPv6 と呼ばれ知られるようになります。 れが IPv6 の誕生です。そして、翌年 1995 6 とは何なのか ! ? 年 12 月には基本仕様を定めた RFC1883 が 発行されたのです。 旧 v6 参照コードの必要性 かって CSRG が BSD 参照ソフトウェアを 開発して世界のインターネットの導人と普及 を牽引したのと同じ役割を、 IPv6 の導人に おいて果たすことを目標として、慶應義塾大 学 ( 以下、慶応 ) の村井純氏らは活動を始め ます。もともと、村井氏らの WIDE プロジェ クトでは、 RFC1883 が発行される以前から、 慶応、 NEC 、日立、富士通など複数のグルー プがそれぞれまったく違う実装を開発し、 IPv6 の仕様に誤りがないか検証を続けてい ました。複数の独立した実装を用い、互いに 通信できるかという相互接続性を検証してい たのです。また、奈良先端科学技術大学院大 学 ( 以下、奈良先端大 ) でも「 Hydrangea 」 といわれる IPv6 の実装が開始され、慶応と 同様にソースコードを公開することを目標と して開発が進められました。 1995 年 9 月にはこれらのグループにより、 IPv6 に関する分科会が発足し、相互接続実 験を重ねています。当時は、異なる実装と接 続することで新たなバグを発見することが多 く、同じグループ内で複数の実装を持ってい ることが強みとなりました。 1996 年 6 月には WIDE プロジェクトの 株式会社インターネットイニシアテイプ 株式会社東芝 日本電気株式会社 株式会社日立製作所 現在、 KAME に関わった部隊は アラクサラネットワークス株式会社となっている 富士通株式会社 横河ティジタルコンピュータ株式会社 現在、 KAME に関わった部隊は横河電機株式会社に移籍している 横河電機株式会社 図 2 組織構造 ( 創設時の参加企業 ) IPng:Inte 「 net P 「 0t0C6 Next Generation オープンソース コミュニティ BSD/OS FreeBSD NetBSD Open BSD Linux W 旧 E P roject KAME Project TAH! Proiect USAG! Pr0Ject インターネット コミュニティ IETF 標準化 ソースコード 図 1 オープンソースコミュニティ・業界への貢献 UNIX magazine 2006 Summer 75
ているのです。自由にかっ最高のクオリティ で世界にリファレンスコードを配布できる組 織がなければ無理であると確信しました。 そこで私は WIDE のエンジニアに対し、 何かが決まったらすぐにソースコードとプロ トタイプを作り、実験をしようと呼びかけま した。そして協力してくれるグループを再構 築することで、 1 つのプロトコルスタックに することになりました。 IPv6 の仕様は 1995 年に決まりましたが、 WIDE ではすでにプロ トタイプのインプリメンテーションやさまざ まな議論で盛りあがっていました。次世代イ ンターネットの問題を理解しているエンジニ アが作ったコードを基に、 BSD のフレーム ワークで進めていこうということで KAME は始まったのです。 KAME の成功 当時のリーダーであった山本和彦氏から、 「 KAME の研究者が開発に専念できる環境を 作ってほしい」と話がありました。これは KAME 成功の 1 つの要因だと考えています。 優秀なエンジニアを専念させてくれた各企業 や組織、そして、本当に頑張ってくれたエン ジニアに感謝しています。 その後、 KAME には国際的な大きな事件 が起こるのです。 IPv6 のプロトコルスタッ クは、他の国々でも別の 2 つのインプリメン テーションを作っていたので、合計 3 っ存在 していました。それらと技術的な競争をした 結果、その 2 つが KAME へと統合されるこ ととなったのです。つまり IPv6 のリファレ ンスコードは、世界のコミュニティの協力で、 プロセスを経て KAME に一本化されたわけ です。私は日本のソフトウェアの歴史の中で、 これだけオフィシャルなプロセスを経て、世 界に貢献できた例は他に知りません。 そして、このリファレンスコードはさまざ まなところで使われるようになり、定期的な 6 とは何なのか ! ? UNIX magazine 2006 Summer さった皆様に厚く御礼を申しあげます。 我々の夢に長い間付き合い、支えてくだ のです。 それが KAME が「完成した」という意味な 情報社会の基盤を作ることに貢献すること、 持ってほしいと思っています。そして未来の げたもので世界が動いているという自信を 次の世代の人たちには、自分たちが作りあ づけにつながったと考えています。 会を作る」という所信表明演説が今日の位置 喜朗前総理の「 IPv6 を使い、 IT で日本の社 います。行政の方の支援もありましたが、森 とはありませんが、そう考えている方は多く になると思います。日本でブッシュをしたこ あり、それがプルになれば、新しいステージ ませんでした。しかしそれはまだブッシュで IPv6 があり、 IPv6 をただ推すものではあり イノベーションの中国へと変わるきっかけに いうテーマで、デベロップメントの中国から デベロップメントからイノベーションへ」と 中国での IPv6 サミットは「プロダクトの おいては最高潮だと感じています。 ロッパでの開発や期待が大変大きく、中国に IPv6 を取り巻く状況は、アメリカやヨー 旧 v6 を取り巻く状況 使われるようになりました。 で、 Apple を初めとした沢山のべンダーにも アップデートや標準化への貢献をしていく中 写真 1 村井純氏 (KAME 記念完成バーティにて )
画面 1 に取得からパッチ当てまでの ては、 手順を示します。 1 度でもカーネルを再構築 した経験があれば、それほど難しい作業では ありません。また選択しておくべきオプショ ンはリスト 1 に示しているので、コンパイ ル則に忘れず選択してください。すべてが整 えば、あとは再起動させるだけです。 ■ mip6d のコンノヾイル Linux の MIPv6 の実装では、極力ユーザー ランド空間で実装するという指針があり、 カーネルだけでは動作しません。そこで必要 になるのが、 mip6d です。これは HA 、 MN 共に必要となるデーモンです。 mip6d のコンパイルに関しては画面 2 を 参考にしてください。この mip6d には、必 要なドキュメント類も同梱されているので、 6 とは何なのか ! ? 英語に抵抗のない方は、読をお勧めします。 ーサンプルネットワークについて こでは図 2 に挙げるように : / 64 HA を動作させるには、対応したカー ■ HA の設定 とおりだと仮定します。 を割当てます。各インターフェイス名は図の 2 0 01 : db8 : abcd : 2 0 0 0 : : abcd を、モバイルノードには、 2 0 01 : db 8 : abcd : 2 0 0 0 : : 1 す。ホームエージェントには、 をホームリンクとするような場合を考えま 2 0 01 : db8 : abcd : 2 0 0 0 : ネノレ 以外に、以下のパッケージが必要です。 ・ radvd ・ mip6d [ ソースコードのダウンロード ] $ c d $ SOMEWHERE $ wget ftp: //ftp .1inux-ipv6.org/pub/usagi/mipv6/kernel $ wget ftp : //ftp .1inux-ipv6.org/pub/usagi/mipv6/kernel [ 解凍および patch 当て ] $ tar zxvf kernel ー S20051214 . し ar. gz $ cd kernel ー S20051214 $ zcat . / kernel ー S20051214 ー um 土 p ー 0 . 1 . d 土 ff . gz ー patch -p1 ー s2 0 051214 . し ar . gz ー S20051214 - um 土 p ー 0 . 1 . d 土 ff . gz 画面 1 ソースコードの用意 共通 EXPER 工 MENTAL SYSV 工 PC PROC FS NET INET IPV6 IPV6 MIP6 XFRM XFRM USER XFRM ENHANCEMENT 工 PV6 TUNNEL 工 PV6 ADVANCED ROUTER IPV6 MULTIPLE TABLES 工 NET6 ESP NET KEY NET KEY M 工 GRATE モバイルノード 工 PV6 SUBTREES リスト 1 必要なオプション wget ftp: //ftp. 1inux-ipv6.org/pub/usagi/mipv6/mipv6-s20051214-umip-0.1. diff .92 wget ftp: //ftp. linux-ipv6 .0r9 / pub / usag 土 / m 土 PV6 / miPV6 ー S20051214 . tar. gz tar zxvf m 土 pv6 ー S20051214 . し ar .92 cd m 土 pv6 ー S20051214 . / m 土 pv6 ー S20051214 ー um 土 p ー 0 . 1 . d 土 ff . gz ー patch -PI zcat -isystem $SOMEWHERE/kerne1-s20051214/inc1ude ー CPPFLAGS= ー make sudo make 土 ns し a11 . /configure -enable-vt 注 ) -isystem で指定するカーネルヘッダへのパスは絶対パスである必要がある。 画面 2 mip6d の準備 アンカーテクノロジー株式会 社開発部開発部長 国武功ー KUNITAKE Koichi 会社へ移籍。 年アンカーテクノロジー株式 究所 (RINT) へ移籍。 2003 株式会社ネットワーク技術研 ナーズ株式会社入社。同年、 2001 年グルーオンバート した USAGI Project へ参加。 る lPv6 Stack 開発を目的と 加。 2000 年 Linux におけ lPv6 Users Group JP へ参 用に携わる。 1 998 年 Lin ux ターネットへ出向。旧 P の運 会社ドリームトレインイン ワーク株式会社入社。株式 1997 年三菱電機情報ネット UNIX magazine 2006 Summe 「
U N ー X リ 5 e 「 P 「 0 i e ( t R e p 0 「 ・ 13 グではない間題も検出されていて、 Java これら 2005 年から 2006 年にかけて、 TNF(The は「誤った検出」としてデータベースに記録 するようです。 Web べースのインターフェ NetBSD Foundation) は Sun の Java * 13 agreement に署名し 、 Java 2 の移植作 イスも操作しやすく、優れた商用アプリケー 業に取り組んでいます。近々成果が公開され ションだという印象を受けました。 ると思われます。 検出された問題の数があまりに多く、 2006 年 3 月から 4 月にかけて、見方によっ ては乱暴 ( ? ) ともいえるほど非常な勢いで ■作業中の port * 20 なかにはコンパイ ・ LANDISK 修正がなされました Giga LANDISK の移植を手がけた埜中氏 ルすら通らず顰蹙 ( ひんしゆく ) をかった例 は、 Renesas の SH-4(SH775 (R) を搭載した もありましたが、その後 1 ヶ月程の様子を ローエンド版である LANDISK*14 への移植 見る限り、目立った間題は報告されてはいな も行ないパッチを公開しています * 1 5 特に いようです。 ードディスクを搭載せず USB と LAN の みを搭載した USL -5P という機種は、手頃な ・ pkgsrc 価格とこじんまりした本体のため好評です。 2003 年末から始まった、 4 半期ごとに ・玄箱 リリースするスタイルは、ユーザーにも 河内氏によって玄人志向の玄箱 * 16 への移 開発者にも受け人れられ定着しているよ * 17 玄箱と後継機の 植がほぼ完了しました うに思います。執筆時点で最新のリリース 玄箱 HG は、ともに FreescaIe の PowerPC は 2006Ql となっています。更新された主 (MPC8241) を搭載しています。一方河内 要なパッケージは以下のようになっていま 氏は、現在 MIPS 版の LinkStation への移植 す。いうまでもありませんがこれはごく一 も試みているようです。 部で、個別のパッケージについての詳細は ANNOUNCEMENT * 21 を見てください。 ・ PC ー 9821 これまで何度か有志の手によって再開され まず特筆すべきは、 DragonFlyBSD * 22 てきた NEC PC -9821 シリーズへの移植が、 清原氏によって 2006 年 2 月時のソースに追 サポートの改善です。 DragonFlyBSD は 従されたようです * 18 FreeBSD から派生したプロジェクトで、当 初は FreeBSD 由来の Ports をパッケージン グシステムとして採用していました。しか ■ Coverity source-changes@NetBSD.org を購読され し人的資源の不足のために更新が滞り、方 ている方々はご存知かと思いますが、 Co 針を転換した結果、移植性を重視している verity 社 *19 が開発した Coverity という pkgsrc が採用されました。 静的なソースコード解析システムの解析結 DragonFIyBSD プロジェクトから参加し 果を基に、多くのバグを修正しています。 ている Joerg Sonnenberger 氏の地道な修正 Coverity 社は宣伝活動の一環 ( ? ) として、 により、最近の bulk build では本家である NetBSD と遜色がない好成績 * 23 を収めてい オープンソースの各プロジェクトに無償で解 析結果を提供しています。 ます。 筆者も解析結果のデータベースに ーアクセス することができました。なかには、本当はバ pkgsrc の Makefile の書式を確認し見直し http://java.sun.com/ j2se/licensees/ ・ 14 http://www.iodata. jp/prod/storage/hdd/ index lanhdd. htm http://www.asahi- net. 0「 . jp/-aw9k-nnk/n/ landisk. html ・ 16 h tt p : / / w w w k u 「 0 u t 0 s h i k 0 u . c 0 m / p 「 oducts/kuro-box/ku 「 0ー box. html ・ 17 http://www5.atwiki. jp/kuro-bsd/ http://www.kk.iij4u. or.jp/-kiyohara/pc98/ ・ 19 http://www.coverity. com/ ・ 18 h tt p : / / m a i ト i n d e x. n e t b s d . 0 「 g / s 0 u 「 c e - changes/2006/04/ http://mail-index. n e t b s d . 0 「 g / p k g s 「 c ー users/2006/04/04/0002. html ・ DragonFly ・ 22 http ://www dragonflybsd. 0「g/ ・ 23 http://mail-index. n e t b s d . 0 「 g / p k g s 「 c - buIk/2006/05/08/OOOO. html ・ pkglint. 130 UNIX magazine 2006 Summer
IPv6 の世界の広がりが見えてきます。さら とで、さらに幅が広がることを提示する時期 に、そこへ移動体を絡めるとより面白いこと だと考えています。 になると思い、基盤やソースコードをいただ 石塚 : オーバーレイの話が出てきていません いて開発ができないかと考えています。また が、そのあたりは ? 港区では、ゴミ収集車にインターネットに接 松浦 . Live E! が大きくなり、扱うセンサー 続できるキットを積み、サスペンションに圧 が増えていくと、今のサーバ / クライアント カセンサーを付けることでゴミの重さを量ろ モデルのままでは苦しくなります。そのため、 うとしています。そうすると、ゴミの集まり オーバーレイネットワークを組もうという議 具合を統計的に調査できます。この情報を基 論をしています。私は P2P ネットワークに に、収集車の巡回路を最適化することができ 位置情報を取り人れる提案をしましたが、そ ます。またゴミ収集車に付けた 1 つのセン れを全国に展開することで負荷を分散できる サーで、異なる地点の温度を収集することも と考えています。また洞井君が中心になって、 できます。 Live E! は、生データを集めるこ 膨張する時間軸を取り人れられないかという とで各団体に貢献できると考えています。石 議論をしています。 塚君はさらに各所と協力して巨大なデータス 洞井 : 環境情報は、位置や空間の情報に偏っ トレージを作ろうとしています。それは確か た部分があるため、 こを解決できれば低コ に間違っていませんが、拡大路線をとるだけ ストなインフラを作れると考えています。も ではなく、さまざまなメリットを示すこと ともとインターネットは、位置や時間を考え で、センサーを設置してもらうということも て作られたものではありません。これらを考 重要になると思います。各団体はセンサーを 慮したオーバーレイネットワークを作ること 付けるだけでメリットがあり、それを自由な で、現在のインターネットの良し悪しについ プラットホームである Live E! に開放するこ ても議論していきたいと考えています。 通信路は全て SOAP/XML AP AP AP AP AP AP-GW2 AP-GWI DB の冗長化 および 分散処理 ディレクトリ サービス提供 MS-DB Ms-db Ms-db ENDAI DB -tokyo D NAIST DB デジタル百葉箱 ( 小型マルチ気象観測ユニット ) 製品名 : Vai パイサラ ) ま晉 図 8 将来的な Live E! ネットワークアーキテクチャ 気象観測装置簡易センサー 製品名・ Weather Station ( WM918 ) 1 10 UNIX magazine 2006 Summer
00 」↓」」幻ー 国内プロードバンドユーサー間の 通信トラフィック置の地域別分布 * 1 第をま 0 ・一 0 ま 0 物ー第に 第 & 9 8.5 載 & 9 印′象 1 ー 42.1 る 41.1 雑 4 7 41.9 416 42 、 物 4 4.8 4 る 4 上 5.3 7.2 5.1 4 ( 浦 14 フ 13.4 1 ー 6 1 ー 5 14.9 1 工 4 125 13.1 、 17.5 182 ℃加 0 1 〃 1 & 1 16.9 1 ア 1 43 51 4.4 4.6 45 4.4 0 石 4.5 5.0 加 2.4 2 み 2.1 え 4 区 1 2. 52 5.4 56 5.9 5.5 60 CYS を 1 5 18 18 18 18 18 18 18 normalized to destinaton ■テータ処理方法 計測期間は、 2005 年 7 月 4 日から 7 月 1 0 日まで の 1 週間です。ある国内 ISP の全国のプロードバンドユー ザーを対象に、アクセス網 を収容しているルーター群で SampledNetFIow 機能を使 い、データ収集を行ないまし た。このデータを基に、ソー スおよびテスティネーショ ン IP アドレスと都道府県を、 サイノヾーエリアリサーチ社の 商用データベースを用いて関 連付けることにより、地域別 の通信量をバイト数で求めて います。このデータベース は、国内 ISP の一般ユーザー のアドレスプロックを都道府 県にマッピングしているもの で、専用線やデータセンター は含まれていません。そのた めここに示すトラフィック は、このデータベースで識別 された IP アドレスだけを抽 出した国内一般ユーザー同士 の通信であり、国内の専用線 やデータセンター、海外のア ドレスは含んでいません。 地域間のトラフィック分布 は、縦軸にソース、横軸にデ スティネーションを取ったマ トリックスに表すことができ ます。特定の地域をソースま たはデスティネーションに持 っ通信相手の分布は、マト リックス内の行と列で示され ます。この行と列の分布をそ れそれの総量に対して正規化 し、各地域から見た通信相手 の分布を折れ線で表していま す。図の左上部分は、北海道 東北地域を例に、正規化した マトリックスから折れ線を作 る様子を示しています。 THK CHB KYS SHK CHG D5T400 % 0S148 % THK 22 4.4 1 え 1 132 5 フ 41.0 ー 109 6.0 5 41 9 2 名 4 差 16 を 12 18 23 4.4 1 み 4 ー 3.8 み 8 382 0.4 2 5.0 1 み 3 1 4 5 フ 3 日 3 10P 18 2 、 4 51 2d4 12 タ 5.1 4 、フ 6 ℃ 18 20 5 フリる 141 50 404 望 0 5 る 5 48 11 の 140 4.9 37 当 106 18 1.9 4 第 11 ℃ 13 72 49 40 上 9 第 normalized source ま OOL し 5 HKR 質 ) K し刊 KLJ ⅲ協 a ね 第 THK ishikawa TOHOKU ん kui yamanashi shimane hY090 hiroshima miyagi wakayama a い E39 区 yomaga い 和 kus ん ma KNT CHB KANTO SHK CHUBU ibaraki : 侊 h ゆ SHIKOKU ん gunma ー Ok ma sh に uo 始 aichi Chiba mie ehime KNK 灯 N 灯 CHG KYS KYUSHU nagasaki k 、“ n 都 1150 kagoshima okinawa 9 工 0 工 5 5 こ AVE average Geographic T 「 0 缶 ( Matrix 0 日 apanese Use 0- Use 「→ T 「 0 缶 ( 、 COP 朝 h い C ) Ⅷ DEP 「 0 ct ( 2 ( 96 ). 則心 Res d. 分布を示す折れ線は地域にかかわらずほぼ同じ形 上図は、筆者が代表を務める netviz ワーキンググ ループ (WIDE P 「 oject) で作成しました。これは、 になり、その割合は概ね地域の人口に比例します。 国内のプロードバンドユーザーの、通信トラフィッ このことから、どの地域のユーザーもほぼ同じ割合 ク量の地域別分布を可視化したものです。ここでは、 で、他の地域のユーザーと通信していることがわか トラフィック分布の地域差があまりないことを示す ります。つまりインターネット通信は、近隣への通 信が多い電話網とは違うのです。 ため、通常のソース・デスティネーションのマトリ 矩形の領域は、ソース、デスティネーションとも クスの代わりに、折れ線を用いて表現しています。 測定したのは全国のプロードバンドユーザーのト に同じ地域に属する、いわゆる地域に閉じたトラ フィック量の割合を示しています。各地域における ラフィック量です。各折れ線は、その地域をソース トラフィック分布は大体同じなので、面積比が概ね あるいはデスティネーションとするトラフィックの 各地域のトラフィック総量比を表します。 通信相手の地域割合を示しています。 1 2005 年度 WIDE project 研究報告書より (netviz) 56 UNIX magazine 2006 Summer r k W n g 0 e t V れ G r 0 U P