、 ) ぞう 「ではーー宗家に男子はもう、あの小僧しかいなくなるわけだな」 宗家の兄弟の父親は先日、他界したばかりだ。権力者たちとのつながりがまだ浅い長男に代 替わりし、今しか機会はないと、彼ら四海会は動いた。これで、その長男までも亡くなるとす れば、四海会ばかりではなく他の組織も動きはじめるだろう。 「急がねばならないな。四海会の全勢力をあげて、あの小僧を手に入れなければ : : : 」 そうでなければ、彼のやってきたことすべてが無駄になる。恩ある老師を自らの手であや め、長年の相棒を部下に殺させた。もちろん、それを後悔するつもりはないが。 「末端組織もっかえ。見つかりさえすれば、こっちにはあの娘がいる。小僧も、妙な力はつか えないだろう」 周が指示を出すと、部下は一礼して走り去った。 未来を読むという、宗家の男子だが。四海会が手に入れようとしている宗家の次男・麟は、 はたして自分の未来を知っているのだろうか。ふと周はそう思ったが、疲れた目を押さえてそ の考えを頭から追い払った。 じゅうたん 麟皺の寄った上着を脱ぎ、赤い絨毯の敷かれた廊下を足早に歩く。 ちょうもんきやく 明日にはこの廊下も、世界各国から訪れる弔問客であふれかえることだろう。 ( それまでにはーーー ) 生きるか死ぬかの綱渡りのようなまねをしたことなど、いくらでもあった。それにくらべれ しわ
Ⅷそのままドアへ向かおうとする周に、安珠があわてて、 「ちょっと待ってよ ! 」 なにか、と振り返る。 いるんでしょ ? 」 「麟に会わせてよ ! おじようさん 「それはできないな。むしがよすぎるというものだよ、小姐」 あくたい 悪態をつく彼女の声を背にして、周はドアを閉めた。 ろうか そこへ、廊下のむこうから部下のひとりが周を認めて駆け寄ってきた。 「なんだ」 男が近づくのを待ってから、歩きながらたすねる。 「宗家の主治医を、やっと買収しました」 それで、と男は声をひそめた。 み 「主治医は、宗家の長男をすっと診ているそうでーーなかなか興味深いことを、もらしてくれ ました」 「長男というと、宗龍か ? 」 、ところの命だそうで 「そうです。宗龍は、主治医の診たてによると、もってあと三カ月がいし まゆ びくり、と周の眉が動いた。そして足を止めると、報告してきた男へ顔を向ける。 す
しんしん 生花の匂いと、酒や煙草の匂いが漂うさわがしい中に立ち、麟は自分に興味津々の視線が投 げかけられるのを感じた。 「この坊やは ? 」 「宗家のご子息ですよ」 たすねられ、周が答える。 「ほう、ひょっとしてあの宗家の ? 」 「ええ。麟、ご挨しなさい」 じようだん 冗談ではない、 と思ったが。ぐいと手を引かれ、頭のうしろを押さえつけられた。 おじようさん 「小姐が見ているよ」 ささや 無理矢理頭をさげさせられた麟の耳に、周が小さく囁きかける。 わずら 「申し訳ありませんね。彼はいまちょっと、目を患っていまして」 にこやかな声で挨拶する周の隣で、麟は言われるままおとなしく頭をさげ続けるしかなかっ 麟見えないぶんだけ、自分に集まる視線は痛いほどに感じられる。ふだんならざわめいている ちょうもんきやく としか聞こえないだろう弔問客たちの声も、個別に聞き分けることさえできた。 だから 後方であがった物音に、麟は誰よりも早く反応したのだ。 にお 0 あ となり ただよ
私の期待を裏切った。仕方ありません」 か 嗅がされた薬のせいではなく、気分が悪くなった。裏切ったのはむこうだとうそぶく周の、 その神経に。 という話はしましたね ? 」 「我が四海会が、あなたがた宗家の直系を欲していた ふいとそっぱを向いた麟に構わす、周は話を続ける。 ときわた 「やっていただけますね、あなたがたの言う〈時渡り〉とやらを。我が四海会のもとで、私の ために」 そう告げると周は立ちあがり、麟の背後へまわった。 ホンコン 「その昔、まだこの香港が大陸のものであった時代から、あなたがた宗家の直系は時の権力者 末来の道を示してきた。最近では、あの文化大革命を予言 たちのもとで〈時渡り〉を行い、 てんあんもん し、天安門事件の最後を予見してみせた」 そうですね、と続けながら。周の指先が、麟の背中につと触れた。 びくっと飛びあがった麟は、振り返りざま周の手をふりはらう。 「さわるなっ ! 」 だが周は麟の手首をつかむと、彼が動けないように押さえつけ、 げんじゅう きりん いれずみ 「あなたのここには、麒の刺青があるでしよう ? この幻獣の刺青こそ、あなたに〈時渡 あかし り〉の能力がある証だ」
そうけ くつじよく 屈辱だ、と思った。麟の目には、鳳が宗家の男子としての義務を果たせず、ただ遊びまわ っているとしか見えなかった。 「このことはもう、父さんにも龍兄さんにも話したんだ。あとは麟兄さんが許してくれれば、 俺は : : : 」 「なんだとっ ? 」 では、父も兄もそれを認めたというのか。ふたりとも「導き手」が何にも代えがたい存在だ と知っているはずなのに。 ぎりぎりと奥歯をかみしめ、麟は肩の上にかかる桃の枝を折った。 「李花は、俺の『導き手』だ ! 」 枝をふりあげ、鳳の頬にたたきつける。 花びらが散り、枝が半ばで折れて飛んだ。 「おまえには決して、わたせん ! 」 息をきらして、片頬を赤くした弟を見おろした。 そんな麟のうしろから、 「ーーー鳳さま : ・ 足音とともに、柔らかな声がした。振り返ると、李花が鳳のもとに駆け寄ってくるところだ っ ? ) 0
126 「あんた、あの周とかいう男に、殺されたんじゃなかったのか ? 」 男を見あげ、かすれた声でたずねた。 「黙って待っていれば、殺されるかもしれないな」 じちょう らくいん 裏切り者の烙印を押された男ーー許は、自嘲げに肩をすくめてみせる。 「だが、そうするつもりはさらさらない。宗家の坊やはこのまま、周の道具になるつもりがあ るのか ? 」 「道具 : ・ よろよろと上半身を起こし、べッドの端に腰かける許と同じ目の高さになって、相手を見つ めかえした。 「そうだ。周は坊やを、未来を読む道具にするつもりだ」 じようだん 「冗談じゃない ! 」 激しくかぶりをふって言い放っと、許は不敵な笑みを浮かべた。 かんきん 「幸い四海会には、おれが面倒をみてやった連中が大勢いる。おかげで、監禁された部屋から 出て坊やのところまで来れたんだが」 「仲間が逃がしてくれたのか ? 」 「そういうことだ。まあ、それも周に知られればャパいからな。あんまり連中に危ない橋は渡 ここから先は、おれと坊やだけで何とかしなければならないが」 らせられない。
110 ばんり 「弟をお願いします。あなたはたぶん、弟を導いてくれる女性です。万里の河を渡れるよう 決して闇に迷わぬように 「万里の河を : : : ? 青年が何を言っているのか、わからない。けれども頭のどこかで、わかっているような気が ふと気がつくと祖父が、背後から安珠の肩に手を置き、不思議に澄んだ目をして彼女を見お ろしていた。 きりん 「背中の麒麟は、守り神なのだよ」 喰い入るように見つめる安珠に、祖父はそう語っこ。 げんじゅういれずみ 「彼らーー宗家の男子は、十五になると必ずその背に幻獣の刺青をきざむ。彼らが自らのも っ力のために、闇へと押し流されないようにと」 「カって : : : あの、手をつかわずに物を動かしたり、手をふれるだけで相手の考えてることが わかるって、そういうカのこと ? 」 「それもある。が もっと別な、もっと大きな力があるらしい。わしも詳しくは知らない
に つぶやくの前に歩み寄ると、兄は手をあげ軽く弟の頬をはたいた。ごめん、と頭をさげる 「父さんが亡くなった」 よくよう 抑揚のない声で、兄が告げる。 はっと顔をあげ、だがは兄のあまりのやつれように言葉もなく、また顔を伏せた。 もどって来てくれるか ? 」 「麟、おまえの気がすむまでと思っていたが こた 兄の声が、胸にしみる。しかし麟は、応えられずにうつむいたままだった。 しばらくの沈黙のあと、 「私にはもう、時間がない」 兄がひとことひとことはっきりと、自分自身で確かめるように言った。 ほほえ 思わず見あげると、兄はタ陽をながめ微笑んでいた。 「私には子供がいないし。おまえがもどって来てくれないと、数百年続いた宗家も、あと三カ 月もしないうちに終わりになる」 「そな : : : 」 周安珠が兄について語った一一 = 〔葉から、ひょっとしてとは思っていた。まさかと思い、ひょ っとてと思いーー考えすぎだと自分に言い聞かせて。けれども安珠にあれ以上問いただせな ほお
おだ そこで青年はふっと目を伏せ、続いて安珠に穏やかな視線を向けた。 おじようさん 「小姐、弟がお世話になったようですね ? 」 りん 「弟って : : : ひょっとして、麟のこと ? 」 ほほえ ふわりと微笑み、青年はうなすいた。 「宗ーーー私のすぐ下の弟です。とはいえ、宗家にはもう私とのふたりしかおりませんが」 きし その言葉に、祖父の座る椅子がぎしりと軋む音をあげた。 「では、いちばん下の弟さんは : 信じられないといった表情で、祖父が青年の顔を見つめる。 「亡くなりました」 青年の表情はだが、穏やかな笑みを浮かべたままだった。 「そうですかーーー」 おもも 沈痛な面持ちで、祖父が目を伏せる。 「おじいちゃん : : : もしかして、麟のこと、知ってたの ? 」 ふたりのやりとりで、安珠はやっと確信がもてた。 とが みもと 祖父は、安珠が彼を拾ってきたとき、身許もわからぬ人間を連れて来てと、うるさく咎めだ てしなかった。日頃あれほど、危ない場所には近づくな、と口をすつばくして言っている祖父 、刀十 /
124 身体を揺すぶられ、頬をたたかれる。 「しつかりしろ ! おいっ ! 」 我に返って麟は、前髪をわしづかみにしていた己の手をまじまじと見つめた。 べっとりと血に濡れていたはずの手は、何の色にも染まっておらず、乾いて細かくふるえて あぶらあせ 脂汗かいてるぞ」 「ひょっとして、どこか悪いのか ? ふるえる指のむこうに、のぞきこんでくる男の顔があった。 まゆ ひや 日灼けした肌に、左眉のところに抉ったような白い傷あとが浮いてみえる。 「あんたーーー」 「許、だ。宗家の坊や」 ああそうだった、と麟は思い出した。 広くて明るいリビングから、周の命令でこの寝室へ連れられて来たのだ。 弱っていた麟は連れて来られるなり、べッドに放りこまれた。 防音設備がなされた部屋なのか自分の息しか聞こえてこす、麟はしばらく頭痛に耐え、暗闇 だけをじっと見据えていた。 、まはべッド・サイドの明かりがつけられ、ペッドの上と男の顔ははっきり見てとれる。 ほお えぐ おのれ