また胸をいためた。 治療機械のスイッチが入れられ、その自動機構は、一分のすきもな 〈でも、しかたのないことだわ : : : 〉 くルルルのために作動した。 彼女は思ったしあの子はあの子なりに、育ってゆくほかはないの 容態と経過を知らせるシャリリの報告は、エルルを安心させ、お かもしれない。、 運動神経が発達していて扱いにくいからといって、 ちつかせるに十分な内容だった。 それが異常であるとは、もちろんいえない。生理現象だって、ドク だが、気の毒なことに、この善良な夫妻にとって、それは不幸の ター・シャリリ の診療室ですぐなおしてもらえる程度のものなのはじまりだった。ルルルの治療に大さわぎをしている間に、ムムム だ。おなかをこわしたり、ころぶとすぐかすり傷をうけたりするが行方不明になってしまったのだ。 といった程度のものなのだから : ・ 気がついたのは、夜に入ってからだった。 ムムムがしオしー こんなことを思いめぐらして、仕事の手をやすめていた彼女は、 はじめのうちは、、 ふと、なにか胸さわぎを感じて立ちあがった。そして、いそいでべ しつものたしなめる口調で、家の中や周囲の木 ッドルームに走っていった。 陰に声をかけていたアロロとエルルは、やがて、ほんとうにムムム 部屋のドアは半分開いたままになって、中は奇妙な静けさで、しが失踪してしまったのを知ると、狂乱した。 んとしていた。エルルは一瞬、からだをかたくして、入口に立ちす「ムムム ! どこにいるの、ムムム ! 」 くんだ。そしてつぎの瞬間、中に駆けこんで叫んでいた。 母親のエルルは、ルルルが泣きわめくのもかまわず力いつばい抱 「まあ、どうしたの ! 赤ん坊がこんなところにー ルルル、ルルきしめると、蒼白な顔で走りだした。 ル、しつかりしてちょうだい ! 」 「ムムム ! でてこい 父親のアロロは、眼を血ばしらせ、大またで、エルルを追いこし いつのまに戻ってきたのか、かたわらに茫然としてつったってい たムムムは、母親の顔を見て、それまでの緊張が急にほぐれたのだて走った。 さがす場所はそう多くはない。東京湾そいのペー・フメント、なに ろう、ワッと立きだした。 「ぼく、なんにもしないよ、なんにもしないよ。ただ、遊んでやつもない砂浜、わずかばかりの森、そして洞穴 : ふたりは、さいごに、海岸の岩かげにあいた、洞穴の小さな入口 ただけなんだ。そうしたら、赤ちゃんが勝手にべッドから落ちてし にたどりついた。もう希望はここにしかのこっていないのだ。 まったんだよ」 アロロとエルルは、見たことのない東京湾の海底につづいている しかしエルルは、そんなことを聞いている余裕などなかった。シ ョックでひきつけているルルルをしつかりと抱くと、大声で夫を呼といわれる、このせまいトンネルの前にかがみこんで、声をかぎり に叫んだ。 びながら部屋を走りでた。 もちろん、通報をうけたシャリリの処置は適切だった。ただちに 「ムムム ! 」
そこには、血のりのついたムムムの上衣の布きれと胸ボタン、そ 「ムムム ! 」 ふたりの声はかれ、やがてガス球の光が弱くなって陽がの。ほりはして、球体とがあった。 「かしてごらん、ずっと立ったままだったドクター・シャリリが じめた。しかし、ムムムはもどってこなかった。 エルルは、そのトンネルに、むりにからだをねしこもうとしてかがみこんでいった。 アロロはエルルの手をにぎり、ひらかせると、球体をとって、シ は、アロロにひきだされた。ムムムにもやっと入れるほどの直径し かないのだ。 ャリリにわたした。それはあきらかにムムムのものだった。 あたりはすっかり明るくなった。エルルは、疲労でぐったりとな シャリリはよごれた白衣のすそで、血のりをていねいにぬぐっ ったルルルをかかえて、砂の上にすわりこみ、泣きだした。 た。それは、黄金色の真珠の光をとりもどし、かすかにふるえてい 「ビビーを呼んでみたら、どうかね ? 」 るようにみえた。 とっぜん、ふたりの上で声がした。ドクタ 1 ・シャリリだっこ。 赤ん坊のルルルがまたはげしく泣きだした。 ヒヒーはし。は アロロは、犬のビビーもいっしょにいなくなったことにやっと気三人は、くらいカのない足どりで、そこを離れた。。。 づいて、そのとおりにした。 らく、洞穴にむかって吠えていたが、やがておとなたちのあとを追 ピ。ヒー ってと・ほとぼあるきだした。 しわがれた、つかれきった声が、洞穴にすいこまれた。 。ヒビ 4 アロロはくりかえした。 三時間ほどたち、太陽が天頂に近くなってから、その呼び声がと 三日めの夕刻、アロロはドクター・シャリリに呼ばれた。 どいた。そして、。ヒ。ヒーが悲しい知らせをもって、洞穴からはいだ うすよごれた、くらい診療室の片隅をゆっくりと歩きながら、シ してきた。。。 ヒヒーの美しい孔雀色の被毛は、泥水でうすぎたなくよ ャリリは低い声でいった。 ごれて、からだにべったりとまといっき、金と銀の両眼は疲れてど「かなりのことがわかってきたようだ、アロロ んよりとくもっていた。 アロロはシャリリのくぼんだ眼窩をぬすみ見るようにして、きい 「。ヒ。ヒー どうしたの ? ・ムムムは ? ・ムムムは ? ・」 た。「ムムムは助かるのでしようか ? 」 エルルがとびっした。。 、 - ヒ。ヒーはその場に腹ばいになり、あらい息 をしながら、くわえていたものをエルルの手のひらに置いた。 シャリリはたまって首をふると、レコーダーのまえまですすみ、 「ムムムのものだわ、あなたー そこで立ちどまった。そして、ディスプレイにあらわれた曲線上 エルルはそれをにぎりしめて、絶叫した。 に、細い骨ばった指をはわせた。 2
その一隅の海より、小さな小さな、ねこのひたいほどの、整えられ て、都市のいくつかの場所に、球体がかくまわれたのだった。 ガス球は、一瞬のうちに、これらの記憶を走査した。そして、下た土地があり、十メートルほどの間隔をおいて、たった二軒のこち んまりとした家が建てられていた。家のまえは白いペー・フメントに 方の三人を、形のない眼によって観察した。 なっていたが、その長さは五十メートルにもみたず、両端は瓦礫で 都市システムの精霊であるガス球は、人間に似たロポットをつく 、球体に密封された生命を育てさせようとした。人間自身、人間ゆきどまりになっていた。 そのペ 1 プメントを、いま、三つの影がゆっくりと動き、そのひ と同様なロポットをつくろうとはしていなかったから、その意志を ひきついでいるオートマトンたちにとって、人間と同じ働きをするとつは手まえの家に、のこりの二つはもう一軒にすいこまれた。小 さな、すばしこく動く影が、そのあとを追った。 ロポットをつくることはむずかしかった。 それらは不完全であり、過去いくたびか、球体の生命を育てるこ とに失敗してきた。しかし、失敗のたびに、改良が加えられた。大「ルルル、いまミルクをあげますよ、いい子だから泣かないでね : の。ヒ。ヒーはすっかりおちついたし、ムムムも、とにかく五歳までは エルルは、お葬式の間じゅうひとりでおかれたのですっかりおか 無事だった。ルルルは元気なのだ。 ムムムは機械のリズムという、都会の魔力によって、海底の金属んむりのルルルをあやすと、ミルクをあたためだした。 のジャングルの中にまよいこみ、消えてしまったけれども、これは「よしよし、いますぐお母さんがくるからな : : : 」 アロロも、べッドのそばによって、この、よくふとった赤ん坊の しかたのないことだった。ながいながい年月、人間たちは機械とと もに生活しており、その魔法のリズムからのがれることはできなく泣き顔に、笑いかけた。ふたりの家の窓辺には、ガス球のひとっ が、にぶい光をはなって、じっと浮かんでいた。 なっていたのだ。 ガス球は全力をふるって、ルルルをムムムの二の舞にしないため赤ん坊の泣き声は、やがてごきげんのよいかたことにかわり、そ れにアロロとエルルの笑い声がかさなった。ふたりの脳裏からは、 の策をねるだろう。 日は沈み、東京湾に夜がおとずれた。アロロとエルルとシャリリもうムムムのことはほとんど消えてしまっていた。ルルルがはじめ ての赤ん坊のように、ふたりには思われた。 の三人は、ゆっくりと帰りじたくをはじめた。 大きなガス球は、もう一段高みに昇ると、打上花火のように、もやがて赤ん坊は満足してすやすやと寝息をたてはじめ、アロロと エルルもキスをして安らかな眠りについた。 との小さな多数のガス球にわかれた。 ガス球は、夜があけるまで、その場所を動かないでいた。 そこの場所からは、東京湾の全景を見おろすことができた。 海はあくまでも静かだが、陸地は荒涼としていた。緑はほとんど 見られず、灰色の岩と瓦礫のつらなりのみがすべてを覆っていた。 7
アロロはガス球のならぶ海岸そいのペーブメントを、はしるよう が、この頃では、自分の遊び相手にはならないことがわかってき にして、家路についた。 て、すこしがっかりしているようだった。それに、いままでは一日 3 じゅうかまってくれていた母親が、その赤ん坊の世話で忙しいの 3 で、ご機嫌もあまりよくない。 「だけどムムム、もう毛を抜いたりして、。ヒ。ヒーをいじめちゃいけ それからしばらくは、無事にすぎた。やがてレトルトの溶液の中ませんよ」 = ルルが注意しようとしたときには、もうムムムの姿は から、小さな生命が誕生した。五体満足な女の子で、ルルルと名づ見えなか「た。 けられた。 「あなた、たまにはムムムと遊んでやってくたさいな。わたしが相 ルルルはときおり、ムムムの時とよく似た奇妙な生理現象を起こ手にな「てやれないものたから、この頃、荒れてこまるのよ。ビビ しては、母親のエルルを悩ましていたが、それでも日に日に成長 ーにはいたずらをするし : し、元気そうたった。エルルは夢中でルルルの世話をやいた。 エルルはべッドルームを出ると、仕事からもどってさっきから居 アロロは毎日道路の整備に精をだし、ムムムはピ。ヒーと駆けまわ 間でぼんやりしている夫のアロロに声をかけた。 っていた。 しかしアロロは、だるそうに首をふった。 そんなある日、外で遊んでいたムムムが、大事件でもあ 0 たよう「ムムムはもう五つだ。家でおとなしく勉強していてもいい年ごろ に、家の中に走りこんできた。 。こよ 「おかあさん、ピ。ヒーの毛がこんなに抜けたよ、見てごらん ! 」 「だって、性質ですもの、しかたがないわ , = ルルは抱いていたルルルを、あわててべ , ドにねかせると、眼「やれやれ、運動神経ばかり発達して、こま 0 たやつだ。わしの花 をまるくしていった。「まあ、どうしたというの、ムムム ! そん壇をあらされでもしたらたいへんだ。ひとつ見てくるかな」 な汚れた足のまま、入ってきたりしてーー・」 「お願いしますわー 「だって、。ヒ。ヒーの毛が、ひつばるたんびに、どんどん抜けるんだ エルルは、最近ますますふさぎこむことの多くなった夫が、さほ もの。病気じゃないの ? ねえ、おかあさん ! 」 ど神経もたてずに腰をあげてくれたので、ほっとしてこういった 「ひつばれば抜けるにきまってますよ、夏ですもの。それよりお願が、その安堵も、じきにうちゃぶられてしまった。 いだから、その毛を家の中でまきちらさないでおくれ。ルルルの眼「すばし 0 こいやった。。ヒ。ヒーをのこして、もういなくなってしま の中にでも入ってしまったらたいへんだからね。さあいい子だから、 った。せつかく、わしが珍しい草花のことを教えてやろうと思った また外でビ。ヒーと遊んでいらっしゃい。おかあさんは忙しいのよ」 のに : ムムムは赤ん坊が生まれるのを、とても楽しみにしていたのだ拍子ぬけがして不満そうな夫の声がきこえてきたのだ。 = ルルは
この球体はムムム少年にとって、文字どおりの宝玉なのだ。 て、また、ため息をついた。今朝も彼はあまり心が楽しまなかっ そまつにあっかってはいけないよ。 た。原因は自分にもよくわからない。それだけに、よけい、いらい おとさないように気をつけてね。 らした気分になるのだ。 おとうさんやおかあさんから、いつもそういわれている。球体が彼の毎日の仕事である、東京湾そいの道路の整備が、うまくいっ 大切なものであることは、、 しわれなくとも、ムムムにはよくわかっていないわけではない。むろん、眼の前で陽気に朝食のしたくをし た。その黄金色はいつも変化していて、なによりも美しかったし、 ている妻のエルルに不満があるはずはなかった。 それを胸からはなすと、いつも気分がわるくなるからだ。 なぜだろう : ・ だからムムムは、夜ねるとき球体を胸からはなさなかったし、ビ彼はもう一度自分にたずねてみた。誰に対しても、腹などたてて ビーとはねまわるときも、転がりおちないようにつくってもらったはいないのだが : ポケットの奥に、しまいこんでいた。 「あなた、なにをぼんやりしていらっしやるの ? したくができま いままではそれで、なんのまちがいもおこらなかった。おとうさしたわ : : : 」 んをおこらせたり、おかあさんを悲しませたりするような失敗は、 やわらかなアルトにわれにかえると、テー・フルの向こう側に、妻 いちどもしたことがなかった。ムムムは利ロな少年なのだ。 のエルルの細い眼が笑っていた。白いふつくらとした両手が、あた だが、最近になって、ほんのすこし、心配なことがおこりだしてこ、、 ナカしコーヒー・カップをはこんでいる。 いた。。ヒ。ヒ 1 とあそびながら砂浜に近づくと、奇妙に胸が高鳴り、 「ああーー」 そしてそれが、球体を胸からはなすとしずまるのだ。 アロロは古代ギリシャやローマを思わせる、トーガに似たゆった ムムムは不安だったが、まだ誰にも話してはいなかった。いまのりとした上衣の前を合せなおしながら、むりに顔をほころばせた。 ところは、自分だけの秘密なのだ。 ムムムはまだ戻らないのか ? 」 ムムムは球体をしまった胸のポケットをぼんぽんとたたくと、ま「あの子はいっ帰るかわかりませんわ。まるで、伝説にでてくる銀 た子どもつぼい顔つきにもどって、大声でさけびだした。 河航路の宇宙船みたい。時間の観念もないし : : : 」 ビビ 一ビピー 「うむ、まったく、いつも動きまわっていて、おちつきがない。こ しかしビビーはなかなかもどってこず、手足をばたばたさせて叫まった子だな」 ぶムムムの顔は、しだいに泣きだしそうになっていった。 しかし母親のエルルは、夫のこのことばには同意しなかった。 「あら、おちつきがないのではなくて、機敏なのですわ。つまり、 朝の食卓にむかったまま、海のほうに、放心した視線をさまよわ運動神経が発達しているのよ」 せていたアロロは、温和だがすこしばかり神経質そうな顔をしかめ「不必要な神経だよ」 ー 25
「それに、とても感じやすいのよ、繊細で : : : 」 アロロはあきらめて、朝食のつづきにもどった。沈黙のうちに食 「ますます不必要だよ」 事はしばらくつづいたが、それはとっぜん現実のものとなった。昔 2 アロロの声が、ほんの少し、大きくなった。エルルはすぐに後悔の悪夢がふたたびよみがえったのだ。 して、だまって食事をとりはじめた。 「ただいま ! おとうさん、おかあさん」 やさしい夫とかわいい子どもにかこまれたエルルは、いつも倖せ ムムムが帰ってきたのだ。顔をまっ赤にして、なにか奇妙なもの だと思っていた。毎日の生活は快適で、将来に対する不安もない を小わきにしつかりとかかえて、家の中にとびこんできたのだ。ビ ひとり息子のムムムのいたずらは、ときどきもてあましたが、それビーもいっしょだった。 も母親としての楽しい悩みにすぎなかった。 ただそれだけに彼女は、夫がときおりムムムを非難するのが、悲 2 しかった。しかし抗議するわけこま、 . 、を . し、刀 / . し ムムムを育てたの は、彼女の母親としての本能だったからだ。 透明な水晶細工のように光を屈折するレトルトに、ひっそりとか 同じように、だまって朝食をとりながら、夫のアロロは、自分のくまわれた小さな球体は、うすい黄金色の肌を輝かせて、少しずつ 今朝の感情の起伏を、しだいに、ぼんやりとではあったが、理解し = ネルギーを吸収していた。それは、自分を養ってくれる溶液に安 はじめていた。 心して身をまかせながら、時の来るのを待っているように見えた。 数年もまえから、無気味なうねりのように、周期的に彼を襲って溶液槽は、直径一センチ五ミリばかりのこの球体にふさわしい大 いた、黒い不安の波が、最近また波頭をもちあげてきたのだ。そのきさの正六面体で、その上部は、数本の細い可撓パイプを経て溶液 不安のたかまりが、彼を不機嫌においやっていたのだ。 調節用の自動装置に連結していた。 〈ずっと昔にも、同じことが起こったような気がする : : : 〉 自動装置は、注意ぶかい七つの眼と、微妙に動作する数多くの触 アロロは何十年か前のできごとを、憶いだそうとした。しかし、手によって、レトルトの外側から球体を観察し、得られた情報を解 それは、頭の奥のほうで、形をとりそうにみえて、いっこうに、は析するとただちに、溶液調節機構を動かして最適の成分と温度をも つきりした姿をみせなかった。彼は、もうすこしですべてが解決すっ溶液をつくり、パイプによってレトルト内に送りこむーーーといっ るような気がして、二度、三度、頭をふった。 た単調で完璧なフィード・ハックを行なっていた。 したがって球体は、なんの不満もなく理想的な状態で、その生命 エルルはけげんそうに、顔をあげてアロロをみつめた。アロロはをはぐくむことができた。 なにもいわず、考えつづけた。だが、いっこうに記憶はもどりそう「どんな赤ちゃんが生まれるかしら、楽しみだわ」 になかった。 「ムムムに似ているにちがいないさ」
ンが描かれる。場所によって周期と振幅の異なる有限なこの曲線を思いだしたような気がする。それは、たしか、もっと悪いことだ は、明白に球面調和関数の一群によって表現することができる。ル ったようだ。それを考えれば、今回のことは、まだあきらめがっ 3 ジャンドルの方程式の正しい解の一次結合なのだ。わたしは、このく。さいわい、ピビーもルルルも無事なのだから : : : 」 震動の共鳴周波数とエネルギー変換効率との関数を見出すことに成 アロロはシャリリのことばがとぎれると、弱々しく首をふった。 功した。外部から入射する音響的震動は、それがいかに徴弱であっ 「ムムムはほんとうに、もう戻ってはこないのでしようか ? 」 ても、共鳴しさえすれば、球体に大きな効果を与える。それは電気「アロロ」ドクター・シャリリは淋しそうにいった。「わたしたち 的エネルギーに変換され、ついで別種の = ネルギーにまで変えられは、造られたものだ。ながい人間の歴史の多くを記憶し、技術のい る。球体はこのようにして、成長したムムムのからだと、そして心くつかを受けついではいるが、それ以上のものではない。与えられ とに、大きな影響を与えてきていたのだ」 たものを育てることだけが、われわれの役目だ。この仕事がいつの アロロはここで、なにか問いたげに身じろぎしたが、 シャリリは頃からはじまったのか、よく覚えてはいないが、たぶん、百年は経 暗い顔でそれを制してつづけた。 っているだろう。その間に、。ヒ。ヒーを一人前にし、ムムムをあそこ 「それがどのような種類の影響であったのか、くわしくはわからなまでにした。昔にくらべればずっといいんだ。アロロ、はやくいっ 。もちろん、放射能から身をまもる機能もはたしていたが、そのもの生活にもどりなさい」 シャリリはそれきり口をとざした。 ほかにおそらく、ムムムを活気づけ、好奇心でいつばいにする作用 しばらくして、アロロはカなくうなずいた。 もあったのだろう。アロロ、きみの疑問はよくわかっている。なぜ とし、つ ムムムがあの海底へのトンネルをくぐってしまったのか ことだ。正解がどこにあるかはわからない。だが、わたしには推察お葬式は、翌日の午後におこなわれた。球体とボタンと布きれの がつく。ムムムの球体は、海底から、洞穴を通して伝わってくる、 お葬式だった。 耳にはきこえない脈動音に特殊な共鳴をおこしたのだ。その共鳴は夏のおわりの陽が西の空に傾きかけたころ、アロロとエルルは家 球体の機能を異様にたかめた。おそらくムムムは、毎朝のように、 を出て、海岸ぞいのペーブメントをゆっくりと歩いた。アロロは手 その共鳴に惹かれて、洞穴に近づいていたにちがいない。海底のさのひらに球体をのせ、エルルはボタンと布きれの入った小函をしつ らにその下からひびいてくる可聴音をこえた脈動が、ムムムの正気かりと胸に抱いていた。。ヒ。ヒーはふたりのまわりを駆けまわりなが を失わせてしまったのだ。ルルルの事故がそれに拍車をかけた。アら、それでもおとなたちの動きにあわせてすすんでいた。 ロロ、きみもよく知っているように、われわれはあの洞穴に入るこすこしたって、ドクター・シャリリもそれに加わった。 とは禁じられている。できるのは、そこからとりだされた球体を育一行は夕暮れちかくなって、やっと目的の場所に到着した。べ てることだけなのだ。ここまできて、わたしは、数十年まえの悪夢・フメントのはずれにあゑめだたない小さな防波堤の先端で、三人
の」 そんなに昔ではなく、数年まえのことなら、よく覚えている。 いつの頃からか、わが家にすみついていた、孔雀色の大。ヒ。ヒー が、浜辺の洞穴を通って、海底から球体をくわえてきた。 アロロは妻のエルルと協力して、それからドクター・シャリリに 楽天的な表情で、ただひたすら、赤ん坊を抱きあげる日を夢見て いる = ルルとはちぐはぐに、ア。 0 はそれきり黙 0 て、うすい金色教えてもら 0 て、その球体を育てあげた。それがムムムだ 0 た。 そのことは、はっきりと記憶している。 の光を反射している球体を見つめた。それは溶液の中ほどに浮か だが十年まえ、二十年まえのこととなると、もやにかすんで、い び、幼児の寝息にも似たやすらかな周期で上下していた。 たどたどしいムムムの話から、この球体は、ビ。ヒーが海底からく 0 こうに焦点をむすばないのだ。 アロロはいらいらして、からだをゆすり、ムムムの誕生の頃のこ わえてきたものであることがわかっていた。アロロはそれを思いだ とを、もういちど、おさらいしてみようとした。 すたびに、恐怖におののいた。 。ヒピ 1 のくちから、一センチ五ミリの球体をうけとり、レトルト 数十年まえにも、たしか、同じようなことがあった。あの朝以 来、なんどか、思いおこそうとしては、失敗してしまうのだが、似の中にそ 0 とおとす。自動装置のスイ , チを入れる。溶液の中の黄 金色を見まもる毎日 : たような事件があって、悲惨な結末をむかえたのだ。 「そうね、きっとそうよ。だって : : : ムムムがつれてきたんですも ハヤカワ ノヴェルズ 月甲 人類の新しい大陸〃月″は果して誰のものか ? そ の領土権をめぐり、国の威信をかけて月面に展開さ れる米ソ両国の熾烈な戦いを鮮烈に描破した問題作 , , , 無人地帯 マーティン・ケイデン / 平井イサク訳予四五 0 円 宇宙時代に贈る衝撃のニ大作 ! 極秘に回収した生物衛星から恐るべき宇宙病菌が地 アンドロメダ ) 上に蔓延した ! 地球が初めて直面した戦慄の五日 題 間をドキ = メンタリー・タッチで描く話題の大作ー マイクル・クライトン / 浅倉久志訳予四八 0 円 報告書
の行列はとまった。 ドクタ シャリリ が進みでると、痩せた頬にタ陽をうけて、う なじをたれた。アロロとエルルもそれにしたがった。三人の脳裏に は、人間たちが過去におこなってきた、あらゆる種類の死者儀礼が 形をなさないままに渦をまいていた。三人はその渦に命ぜられるま まにお・ほっかないしぐさで祈った。 長い時間がすぎ、砂浜であそんでいたビビーがもどってくると、 函が海面に浮かべられた。函は押しやられ、またゆりもどされしな がら、しだいに遠ざかっていった。つぎに、球体が投げられた。 球体は比重の原理にしたがって、海中に沈んだ。アロロには、そ れは、かすかに震動しているように思えた。海面の波紋は、ルジャ ンドルの球面調和関数の。ハターンを描いて拡がってゆくように、思 われた。 5 お葬式がはじまると同時に、ペー・フメントにならんでいたガス球 たち、家のまわりにじっと浮かんでいたガス球たちのすべてが、静 かにいっせいに動きたした。 それらは、アロロたち一行に近づくと、誰にも気づかれぬまま、 その頭上でつらなり、重なり、ひとつにとけあいはじめた。 夜は光源の役割を果しているガス球たちは、芯は白い不透明なガ スであり、周辺は外側ほどすきとおったうすい気体からなっていた。 それらはひとりで空間に停止することができ、太陽をそのまま小 カス球たちの芯は、考え、判断す さくつめたくしたように見えた。。 ることができ、外周の希薄なガスは記憶そのものだった。 ビレンキン岡林・草鹿共訳 水星着陸 アドミラールスキイ大野道弘訳 天才 グーセンコ酒枝英志訳 迷路 ミハイロフ深見弾訳 ャベタでの邂逅 紹 集 ワルシャーフスキイ彦坂諦訳 ゴムイクルス 学 第グーセフ大木昭男訳 学ソヴェート文学研究の新著 工 ヴェ文 、、 r.æ日本文化・文学交流 ー近刊の日本文学訳著と日本文学研究書ー ソヴェート文学ニュース 本 ソヴェート文学研究会編集 編集委員ー彦坂諦去橋和ッ 黒田辰男 ( 責任者 ) 草鹿外吉松本忠司 野崎韶夫小野理山村房次 発行所新宿区赤城下町四六理想社 10 月号 250 〒 55 隔月刊 に 5
急にアロロの眉がくもった。よく覚えているはずのムムムの時に ドクター・シャリリは、いすから立ちあがった。背が異様に高 も、いやなことが起こったのを、うつかり忘れていたのだ。 く、そしてほとんど骨だけかと思われるほどの痩身だった。 アロロは自分のその記憶を確認しようとして、頭をかかえ、ソフ シャリリはゆっくりと歩きだした。アロロはそのあとにしたがっ アに身をしずめた。 た。 そのままの姿勢で、じっと動かなかったアロロは、しばらくし ドクター・シャリリのクリニックは東京湾を眼下に見おろす高台 。て、ぎくりと肩をふるわせ、顔をあげた。不愉快なベルの音が、彼に建てられており、すべてが、周囲の静かな海と砂浜に融けあう外 の瞑想をやぶったのだ。それと同時に、エルルの悲鳴がひびいた。観を有していたが、ただ、室内の調度だけはここの自然とは異質の 「あなた、たいへんよ、はやくドクター・シャリリに連絡してちょ ものだった。 うだい、はやく ! 」 悪臭をはなっフラスコ、レトルト、試験管、暗い壁にかけられた 球体の保護者である自動調節装置が、生命の異常を知らせるアラ メス、ビンセット、はさみ、止血鉗子、銀線 : : : こういった器具類 1 ムを発したのだ。 にかざられた室内は「、診療室というよりは、中世の外科術の実験室 アロロは、半狂乱の妻にせきたてられ、夢遊病者のようなあしどといったほうがよかった。 りで、ヴィジホーンに近づいた。 わずかに、部屋のすみに置かれた電子装置のディスプレイが、そ それは、なにからなにまで、ムムムの場合と同じだった。 の場所を中世と区別していた。しかしし装置のデザインはやはり古 めかしい。 シャリリは、部屋をゆっくりと横ぎり、電子装置のまえに立っ 「で、その後、赤ん坊は順調なのだな」 と、ひとつのレコーダーを指さした。 それまでアロロの訴えに耳をかたむけていたドクター・シャリリ は、話のとぎれるのを待って、たずねた。ねずみ色によごれた白衣「なにをしているか、わかるかね ? 」 から、薬品の臭気がただよった。 「はい 」アロロは、シャリリのやせこけた頬とくぼんだ暗い眼アロロは首を横にふった。レコ 1 ダ 1 のディス。フレイには、細い 窩をおそるおそるのそきながら、こたえた。「ーー先生の減放射能電気的な。ヘンで、いくつかの波紋が描かれていた。シャリリはいっ 効果による治療をうけてから、とても元気で、標準をはるかにうわた。 まわる成長ぶりが、自動装置に記録されています。成長のはやすぎ「きみの赤ん坊の球体からとりだした曲線だ。それから、ここにあ るのは、ムムムの球体のものだ。。 とう思うかね ? ・」 るのがかえって心配なくらいです : : : 」 「心配は不要だろう。すくなくとも誕生するまでは、わたしが保証「わかりません」アロロはまた首を横にふった。 「わかりにくい形をしている。なぜ、このような曲線が描かれるの する」 8